[224]お座り様と孔雀明王まゆらちゃん


タイトル:お座り様と孔雀明王まゆらちゃん
発行日:2022/04/01

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:44
販売価格:200円

著者:海道 遠
イラスト:よろ

内容
 まゆらちゃんは、孔雀明王。四柱(よんはしら)の明王の中で、唯一、武器を持たず穏やかな表情の女神だ。
 世の中の邪悪なものを退治してくれる孔雀の化身で、孔雀の背に乗っている。手は四本あり、桃、柑橘類、孔雀の羽根などを持つ。
 正座修行中のふたりの子どもの姿をした妖し(あやかし)の百世(ももせ)と流転(るてん)に、正座の稽古をつけてもらったことがある。背中にまゆらちゃんを乗せる孔雀のピーちゃんとは大の仲良しだ。
 真冬のある日、ふたりは手を凍えさせながら、日課の寺の庭の掃除をすませて、こたつにもぐりこんだ。すると、こたつから大きな猫が顔を出す。

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本文

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序   章

『あのふたりどうしてるかな?』
『孔雀明王さまは、あれからも、ちゃんと正座できてるかな?』
『体重がリバウンドして、また、ピーちゃんが重いって言ってないかな?』
『ちょっと様子を見に行ってみるか?』
『様子を見に行くって?』

第 一 章 猫又あらわる

 まゆらちゃんと、彼女を背中に乗せている孔雀のピーちゃんは仲良しだ。
 まゆらちゃんは、孔雀明王。
 四柱の明王の中で、唯一、武器を持たず穏やかな表情の女神だ。
 世の中の邪悪なものを退治してくれる孔雀の化身で、孔雀の背に乗っている。手は四本あり、桃、柑橘類、孔雀の羽根などを持つ。

 正座修行中のふたりの子どもの姿をした妖しの百世と流転に、正座の稽古をつけてもらったことがある。

 真冬のある日、ふたりは手を凍えさせながら、日課の寺の庭の掃除をすませて、こたつにもぐりこんだ。まゆらちゃんは、金の細かい細工がキラキラする冠を脱いだ。
「寒い、寒い。手が氷のようだわ。ピーちゃん」
「ボクたちのような、南国が故郷のものには大和の国の真冬の寒さが応えるねえ」
 ふたりの仕事はお寺のお堂の一角にじっと座っていることなのだが、このところ寒いせいでお参りしてくる人もほとんどいない。
 一度、ご住職にお堂にエアコンを設置してもらえるよう頼んだことがあるのだが、
『エアコンだと? ばかを言うでない。うちのような険しい山の上にあって、ほとんど参拝客のいないプアな寺にそんなぜいたく品がつけられるわけがなかろうがっ』
 見事に叱られてしまった。
「きゃっ」
「どうしたの、まゆらちゃん」
「こたつの中に何かいるわ!」
 ぼろぼろのこたつ布団の中から顔を覗かせたのは、大きな茶トラの猫だ。
「猫じゃないの。どこから?」
「すみませニャ―ゴ。私は猫又と申しますニャ。猫の妖怪で長生きしとりますニャーゴ」
 こたつから這い出てきた大きな猫は、二本に別れたしっぽを持っていて、一本ずつくにゃくにゃと動いている。申し訳なさそうに頭を下げた。
「こちらさまの正座がとても美しいというウワサを聞いて、教えていただこうとやってきましニャ」
「私の正座が美しいってウワサ? どこからそんなウワサが? 私も最近、習ったばかりの初心者同然なんだけど」
「なにせ、猫なもので背中が丸まってしまって背すじの真っ直ぐな正座ができニャいのですニャ……」
「まあ、私でよければ所作はお教えできますけれど。それより今日は冷えるからお鍋にしようと思っていたの。よろしかったら、ご一緒にいかが?」
「おニャべですか? 冷える日にあったまりますニャ――!」
 猫又は黄色い眼をらんらんと光らせて飛び上がった。
「ちょっとちょっと、どさくさにまぎれてボクまで鍋の具にしないでくださいよね!」
 ピーちゃんが冠の毛を立てて猫又に警戒している。
「ピーちゃんには、お豆腐と白菜、ふうふうしてあげるからねっ」
 まゆらちゃんがにっこりして言うと、ピーちゃんのご機嫌はたちまち直った。
 昼間から鍋パーティーが始まった。
 猫又は、猫舌なため、すっかり冷めた具しか食べられなかったが、白身の魚やカニなど味わった。

 まゆらちゃんはこたつから立ち上がった。
「正座の所作のお稽古をします」
「は、はいニャ」
「まず、背すじをできるだけ真っ直ぐにして立ちます。猫又さんは無理しないで、繰り返しお稽古しているうちにできると思いますから」
「はいニャ」
「そうだわ。その二本のしっぽで背すじを伸ばす時に、しっかり支えてはどうかしら?」
「こう、ですかニャ?」
 二本のしっぽを床に着き、猫又はできるだけ背すじを伸ばした。
「そう、そうです! きれいに背すじが伸びてますよ」
「ニャオン、嬉しいですニャ!」
「そして床に膝をついて、スカートはいてるメス猫又さんの場合は、膝の内側にはさみ、かかとの上に座ります。前足は膝の上に静かに置く。どうですか?」
(なんだか、とっても気持ちいいニャ。マタタビの香りを嗅いだような感じかな? 今までの焦りが消えてしまったようニャ。正座って不思議ニャ――ゴ)
 猫又は、うっとりとした表情だ。
「はいニャ。所作の順番は覚えましニャ。繰り返し、しっぽで支えてお稽古してみますニャ」
 猫又は、ご機嫌よくお礼を言って帰っていった。

第 二 章 金髪の女の子

 翌日も雪が新しく積もったので、まゆらちゃんはシャベルで雪かきをし、ピーちゃんは青みどりの美しいしっぽで雪を掃き寄せた。
 突然、ザザザという音がすると、庭の隅の雪山から板に乗ってすべり下りてきた者がいる。
「だ、誰?」
「今、雪をきれいに掃き寄せたばかりなのに、崩れちゃったじゃないの」
 ふたりが怒って近寄ってみると、すべり下りてきた子どもは、毛糸の帽子を脱いだ。帽子から金色の長い髪が流れ出た。
「女の子?」
 彼女はまゆらちゃんの側に歩いてきた。
 きれいな青色の瞳をしている。
「私はアンジェリーナ・中島と言います。父は日本人で、十四歳の国際ジュニアスクール生です」
「日本語はお話できるのね?」
「はい。アンって呼んでください。アメリカで育ったので日本の正座という座り方がうまくできなくて、正座がパーフェクトというウワサの孔雀明王まゆらさまに教えていただこうとやってきました」
「え? また私の正座のウワサを聞いて?」
 まゆらちゃんは首をかしげた。
 ピーちゃんは、女の子の乗ってきたカラフルな板をまじまじと見ている。
「きれいな板だね」
「ああ、これはね、靴をはめて滑るの。私、これの選手なのよ。スノウボードって言うの」
 女の子は雪の山まで戻って鮮やかにすべり下りてみせて、ふたりの前でピシっと止まった。
 まゆらちゃんは四本の手で、ピーちゃんは翼で拍手した。
「ふうん、あぐらしかできないで困ってるのね。座り方について教えてあげましょう。宿坊の部屋にこたつがあるわ。入っていかない?」
「はい! おじゃまします!」
 アンはボードを抱えてふたりについていった。

第 三 章 座り方講座

 こたつの上には、みかんが山盛り入ったかごと、桃の入ったかごがある。
「あれ? 桃って夏の果物じゃないんですか?」
 アンがきく。
「これは、まゆらちゃんが四本の手の一本で持っている桃に似た果物なのよ。とっても甘いの」
 ピーちゃんが説明した。
 まゆらちゃんは、ホワイトボードとマジックを持ってきて書き始めた。
***************
 一つ目。結跏趺坐
 座禅の座り方。つまり「あぐら」。左右の足の甲をそれぞれの腿の上に乗せて、かたく組んだもの。
 各如来から座った菩薩の方々、さらには不動明王はたいていこういう座り方。
「あ、私も基本形はこれね」
 まゆらちゃんはひと言そえた。
 紛らわしい点が一つあり。左右の足のどっちが上かで、細かい名称が変わる。
 右足が上に左もも上の足が目立つようになっている場合は「吉祥坐」。逆の場合は「降魔坐」。

 二つ目、半跏坐
 結跏趺坐を片足だけやって、もう一方の足を組まずに足の下に入れる形(半跏不坐)、あるいは片足を踏み下げた形(半跏踏下)「半跏坐」。
 有名なのは京都広隆寺の弥勒菩薩像。「半跏思惟」。

 三つ目、倚坐
 白鳳・天平時代の仏像によく見られる座り方。
 そのまま、台座や椅子に腰掛け、両足を普通に下ろした感じのもの。

 四つ目、跪坐
 両膝を地面につけて座る形が跪坐。正座に似ているが、正式には「大和座り」。やや前傾姿勢。
 京都三千院の観音様らがこの座り方をしていて有名。

 五つ目、輪王坐
 如意輪観世音菩薩の一般形態。片膝を立てて、両方の足の裏を合わせた形の座り方。
***************
 ここまでホワイトボードに一気に書きながら、説明し終わった。
 ピーちゃんがお茶を淹れた。まゆらちゃんは、ひと口飲んでほっと息をついた。
「どう? 私も最近、座り方に興味を持って勉強した『付け焼刃』だけど分かったかしら?」
 アンは、一生懸命スマホにホワイトボードに書かれた文章を打ち続けていたが、
「あのう、私、正座のお稽古だけしていただければそれでいいんですけど……。とてもこんなに難しい言葉は覚えられません……」
「あ、アン」
 ピーちゃんが笑いながら、
「これは、まゆらちゃんの自己満足だから覚えなくていいんだよ」
「え、覚えなくていいの? なーんだ!」
 まゆらちゃんが立ち上がって、
「では、正座の所作のお稽古しましょう。背すじを真っ直ぐにして、膝を畳の上について、スカートの時は膝の内側にはさみ、かかとの上に座り、膝の上に両手を置きます。そう、それでいいの。これを繰り返しやれば、あぐらより楽になるかもしれないわね」
 アンは、しみじみと感じ入っていた。
(これが、正座の所作。正座をした時の気持ち……。なんだか、カリカリしていた気持ちが全然ないわ。清らかな雪になれたような気持ちだわ)
「はい、頑張ってお稽古します!」
「みかんと桃、持って帰ってね!」
 風呂敷で包んだ果物を、どっさり背負って帰っていった。

第 四 章 冷えこむ夜

 その夜はいっそう冷えこみが厳しい。
 宿坊の一室で並べて布団を敷いたまゆらちゃんとピーちゃんだったが、寒くて眠りにつけない。
「今夜はなんて冷えるのかしら」
 気のきくピーちゃんが湯たんぽを用意して、それぞれの布団の中に入れた。それでも寒い。
「ピーちゃん、私の布団へいらっしゃい」
「え、いいの?」
「もちろんよ」
 ピーちゃんは喜んでまゆらちゃんの布団へ入り、ふたり寄り添った。
「まゆらちゃん、温かいな。温かくて柔らかい……」
「ピーちゃんも羽毛百パーセントですもの、温かいわ」
「ボクたち、ずっと一緒だよね。離さないでよね」
「当たり前じゃないの。私がピーちゃんと離れたら、孔雀明王じゃなくなっちゃう」
「まゆらちゃん、大好きっ」
 外は雪が降り続いているのか、物音ひとつしない。ふたりはようやく、うつらうつらと眠りの淵に引きこまれようとしていた。 

 突然、まゆらちゃんが飛び起きた。
「ど、どうしたんだい、まゆらちゃん」
「今、庭で何か大きな気配がしたわ!」
 まゆらちゃんは綿入れ半纏を羽織り、急いで庭へ飛び出した。ピーちゃんもおそろいの半纏を羽織って後を追う。
 外は真っ暗で、庭一面に降り積もった雪でほの明るく見える。
「! ! !」
 まゆらちゃんの足が止まった。
 雪の面から、お寺の柱みたいに太い人間の足が、にょっきり飛び出している。かなり毛深い男の足だ。真っ赤な一本歯の下駄を履いているではないか。
「誰か、雪に埋まってる!」
「このままじゃ凍っちゃうよ」
「ピーちゃん、雪かき用のシャベル、シャベル!」
 ふたりであたふたと納屋にシャベルを取りに行き、「足」のところへ戻ってきた。恐る恐るシャベルで足の周りを掘り始める。
 しばらく雪をどけていると、真っ赤なスリコギのようなものが出てきた。
「きゃっ! 何? これ?」
 まゆらちゃんとピーちゃんは抱き合った。
 そこへ、ご住職が提灯を持って宿坊から駆けつけた。
「いかがした、こんな真夜中に……あっ! こ、この下駄は!」
 ご住職の声が裏返った。
「この一本歯の下駄は、天狗さまじゃないか」
「天狗?」
「妖怪とも、山の神とも言われている存在じゃ」
 真っ赤なスリコギみたいなものの横に、黄色い光を放つギョロギョロした眼が雪の下から出てきた。クリーム色の長いヒゲが鼻の下やアゴから生えている。
 まゆらちゃんとピーちゃんは、力のかぎり太い足を引っぱって、巨体を引きずり出した。

第 五 章 大天狗

「ぶはっ! 冷たかった~~!」
 洞穴の中に響くような低いガラガラ声が広がった。
 助け出された天狗は、白い山伏の僧衣もポンポンの着いた結袈裟も背中の翼も、びしょぬれになっている。
「あっ、ワシの大切な羽うちわはどこじゃ?」
 天狗は両手で雪を掘り始める。
「羽うちわ?」
 ピーちゃんが首をかしげた。
「神通力を持ったうちわじゃ。あれをひと振りすれば、飛行、折伏(=相手の悪を指摘し屈伏させて正信に導き入れる方法)
 変身、天変地異、風災、火災、人心などなど、どんなことも叶えられる。持っているだけで妖魔退散の力がある。あれはワシの命より大切なもの……。ああ、あった!」
 天狗の手には、硬そうな鳥の羽根のうちわが握られていた。
「どうして、雪の中へ……」
「ワシはこうして一本歯の下駄を履いておるじゃろう。自分で正座の稽古をしていたら、足首をねじってしまったのじゃ。それで、正座の名手というウワサの孔雀明王に正座を教えてもらおうと、この寺へ来たのじゃが……。そこの杉の枝から飛び降りて雪に埋もれてしもうたのじゃ」
(またか)
 まゆらちゃんは思った。
(また、私の正座のウワサ?)
 天狗の足元を見ると、一本歯の下駄の高さがすごいではないか。
 さすがに雪の積もった庭は歩けないので下駄は脱ぎ、手で持った。
「足首はもうよろしいのですか?」
「まぁ、だいたいは。ワシとしたことが、とんだドジをしてしまいましたわい」
「下駄を履いたまま正座をしようというのは、ちょっと無茶ですわね」
「はぁ……」
「お風呂を沸かしますから温まってから、お稽古しましょうか」

 すでに夜明けになっていた。
 うす紫の闇の中、ピーちゃんが頑張って薪木を燃やしてお風呂を沸かし、天狗はかまど風呂に身を縮こませて入った。
「あ~~、こりゃ、極楽、極楽。冷え切った身体が温まっていくわい」
 風呂から上がると、ご住職の作務衣を借りて肩からかけ、こたつで温まった。
「そこの孔雀、風呂を沸かしてくれてご苦労じゃったな」
 天狗の顔がよけい赤くなったような気がする。ピーちゃんは頭をツンとして、
「いやあ、なに、このくらいのこと」
「孔雀明王どの、かたじけない。おかげで捻挫の痛みもすっかり取れたようじゃ。このお礼に何かしたい」
「お礼?」
 ピーちゃんが目を輝かせた。
「天狗さんの大きなカエデみたいなうちわで風を送ると、なんでも願いが叶うんでしょう? じゃあ、この寒さを吹き飛ばしてよ!」
「おお、お安いご用じゃ」
 天狗とまゆらちゃんとピーちゃんは、庭に出た。
 雪は止んで、朝日が昇ってきたところだ。本堂や宿坊の屋根からツララが何本も下がっている。
「よいか、皆の衆、行くぞえ」
 ヤツデの大きな羽うちわが構えられた。
 特大ダイコンのような太い腕で、天狗が羽うちわを扇ぐ。
「せ~~~~の~~~~!」

 びゅ――――ん! !

 生暖かい風が吹き、まゆらちゃんとピーちゃんは目をつむった。
 なんだか、周りの空気が温かくなったと思うと、まゆらちゃんが目を開けて初めて見えたのは、真っ赤なハイビスカスの花だった。
「こ、これは……?」
 真っ赤だけではない。黄色いハイビスカスも咲き乱れている。
 辺りは鮮やかな緑にあふれ、花に負けず色とりどりの小鳥が飛び回っている。空はどこまでも真っ青だ。
 眩しい太陽がサンサンと輝いていて、ヤシの木がニョキニョキと生えている。
「わ―――! ! ボクたちの故郷の南国みたいだね、まゆらちゃん!」
「本当ね。なんて色鮮やかで暖かいんでしょう」

第 六 章 南国の庭で

「じゃあ、ヤシの下にむしろを敷いて正座のお稽古をしましょう」
 まゆらちゃんが言い出し、天狗もピーちゃんも大賛成した。
「むしろの上に乗るために、その高い下駄は脱いでくださいね、天狗さん」
「はいはい」
 天狗はおとなしく、むしろの外に一本歯の下駄を脱いだ。
「背すじを真っ直ぐに立ちます。そんなに胸を張りすぎずに。そして、むしろの上に膝を着き、スカートはいている人の場合は膝の内側にはさみこみ、かかとの上に座ります。両手は膝の上に静かに置きます。どうですか」
「こ、こんなものかのう」
 緊張した天狗はひとつひとつの所作に気をつけてやっている。
「はい、そうですね。あの高い下駄さえ脱げば、お上手に正座ができますよ」
「ありがとうございます。孔雀明王どの」
 天狗がまゆらちゃんに丁寧に頭を下げた。
 ――とたんに上から何かが降ってきた。 

『ありゃ―――! 銀世界が南国になっちまったぞ』
『さすが、天狗のヤツデのうちわだな』
『ああっ』
『あっ、百世!』
 ヤシの木のてっぺんで様子をうかがっていた百世が、ツルッと足を滑らせて真下に落っこちたのだ!

「うわあっ」
 天狗は上から落ちてきた何かに頭を直撃された。起き上がろうとした時に、もう一度、何かが降ってきた。流転も驚いた拍子にヤシのてっぺんから落ちたのだ。
 天狗と百世と流転の三人が折り重なった。

「あ、あなたは百世ちゃん!」
「へへへ、孔雀明王様、久しぶり……」
 百世は長い銀髪を分けて顔を出し、照れ隠しに笑ってみせる。流転も藍色の髪を結び直して頭を下げた。
「流転くんまで? これはどういうこと?」
 百世と流転は、天狗の上からミドリの芝生の上に下りた。
「あれから、孔雀明王さまはどうしてらっしゃるかと思い……」
「そうそう、また体重オーバーされて、ピーちゃんに重いって言われやしないかと……、うぐっ」
 百世が慌てて、流転の口をふさいだ。
「ほんと? 何か怪しいわね」
 まゆらちゃんの目が光った。
「天狗さん、この百世ちゃんと流転くんが、まゆらちゃんの正座のお師匠さんですよ」
 ピーちゃんが紹介した。

第 七 章 お座り様

「正座のお師匠さんか何か知らんが、さっきはワシの自慢の高い鼻がへし折れたかと思ったぞ」
「それはそうと、天狗さん、正座が上手にできたじゃないの!」
 まゆらちゃんが言ったとたん、百世が叫んだ。
「孔雀明王さま、ごうか~~~く!」
「なあに? 合格って」
 百世と流転はそろって、まゆらちゃんの前に座った。
「実は、孔雀明王さまが、あれからもちゃんと正座できているか、抜き打ちテストしたんだよ」
「抜き打ちテスト?」
「そう。ご自分で正座できるどころか、他の方に教えられてるじゃありませんか。だから、合格です」
「じゃ、今まで私に正座を教えてもらうお願いに来たのは……」
「最初は猫又、それから女の子、そして天狗さん、自由に姿を変えられるっていうか、姿の定まらない妖しに協力してもらってね」
 百世がべらべら説明した。
「姿の定まらない妖し? ってことは、猫又も女の子も天狗さんも、全部同じ妖しだったの?」
「そう。でも、孔雀明王さまのお稽古に合格したら、その効き目で姿が定まるはずなんだ。そうしたら、『お座り様』っていう名前を授けようって、大師匠の万古老さまがおっしゃったの」
 まゆらちゃんとピーちゃんは、そろって天狗さんに目を向けた。
 そこには、清楚な青年に変身した元の天狗が立っていた。平安時代の直衣を身にまとい烏帽子を被っている。
 その顔と言ったら、月の精、月読の君も真っ青なイケメンではないか。
「おお、正座のお稽古がうまくいったようじゃな。ワシが、いや、麿が、姿の定まらなかった妖しだ。たった今から『お座り様』と名乗ってよいはずじゃ」
 眉のカタチは凛々しく、鼻梁は聡明そうにまっすぐで、瞳は黒曜石のようにキラキラ輝いている。やや大きめの唇も男らしくひき結ばれて、美男子中の美男子だ。
「あなたが姿の定まらなかった妖しの『お座り様』?」
「ピィ――――! ! !」 
 ピーちゃんが素っ頓狂な叫びを上げた。

「なに? あんたが天狗じゃった妖しじゃと?」
 ご住職がやってきて目を見はった。
「なんと見目麗しい男子じゃろう! もしよろしければ、うちのお堂の孔雀明王のとなりに立っていてくれんかのう。女性の参拝客が増えそうじゃ」
「立つより正座でよろしいのでしたら」
 お座り様は言った。
「せっかく何回も正座を習ったのですから。それに、正座を教えてもらううちに、カタチばかりでない正座の良さが分かったような気がするのです」
「カタチばかりでない正座の良さというと?」
 まゆらちゃんが尋ねる。
「はい。正座するための丁寧な所作をして座ると、とても心が穏やかになるのです。醜い欲や慌てふためく心や、自分勝手な思いが洗い流されていくような気持ちになれるのです。『無』の境地と言いましょうか」
「ほほう」
「あなた様に教えていただいたおかげですよ、孔雀明王さま」
「いやぁ、私はたまたま正座修行していた子どもたちに教えてもらったおかげですよ。ね、百世ちゃん、流転くん」
 まゆらちゃんはにっこりして、ふたりを見た。
「そうかい? あたいたちは正座修行の昇格試験のために、孔雀明王さまにやってもらっただけなんだけど、お座り様みたいに思ってもらえると照れるなぁ」
「うん。役に立って良かったな、百世」
 流転も照れて答えた。ご住職が目を細めて、
「うむ! お座り様には、正座して穏やかな心で孔雀明王のとなりにお堂に鎮座してもらう。これでお参りの人も増えるじゃろう。めでたし、めでたしじゃ」

第 八 章 ライバル

「めでたし、めでたしじゃないよ!」
 ピーちゃんが珍しく怖い顔をして、ボソッと洩らした。
「まゆらちゃん、今さっき、お座り様があんまりイケメンなので一目惚れしたでしょ! 隠してもだめ。ボクはまゆらちゃんの心が読めるんだから」
「ピ、ピーちゃんたら」
 まゆらちゃんのほっぺが真っ赤になった。
「お座り様、ぜひ、この寺にとどまってくださり、私たちとお堂に座りましょう!」
「そ、それは、座っているだけで仕事になるのなら、麿は文句はないが」
「ちょっと、まゆらちゃんて、あんなに積極的だった?」
 百世が流転の耳元でごにょごにょ言った。
「知らなかったよ……」

 ピーちゃんが甲高い声で叫ぶ。
「ボ、ボクだって美青年になったお座り様に一目惚れしたんですからね! まゆらちゃんにもこの件だけは譲れないよっ」
「ピーちゃんがお座り様に一目惚れですって? ピーちゃん、あなたはれっきとした男の子よ! お座り様も男性なのよ!」
「まゆらちゃんてば、遅れてるなあ。最近は男性同士でも女性同士でも愛し合うのは自由なんだよ! てか、お座り様は妖しだから性別は関係ないんじゃない?」
「まあ、私だって一目惚れしたんだから、ピーちゃんには譲れないわよ」
 まゆらちゃんとピーちゃんの間に、まさかのライバルの火花が散った。
「こうなったら、お座り様をどちらが先に落とすか勝負だ!」
 ピーちゃんがたたんでいる玉虫色の美しい羽根を半円形に広げて威嚇した。

「おい、どうする、流転。ヤバい雰囲気じゃないか、これ」
 百世がヤシの幹の陰で、流転に告げた。
「知らないぞ、せっかくあんなに仲の良かったふたりの友情にヒビが入っても……」
「ピーちゃんて、クチバシ使うと怖いんだよな……」
「明王さまだって四本の腕に武器を持って応戦するかもしれないぞ! 本当は戦女神なんだから。流転、大ごとにならないうちに逃げるぞっ」
 ふたりは長いツタにぶら下がり、南国の空間を飛んでいった。

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