[242]正座の天体観測


タイトル:正座の天体観測
掲載日:2023/01/10
シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:23

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容:
某善位高校は設備が充実し、天文ドームがある。ツキは天文部に入部するが、夏合宿は雨天で中止になる。
その代わりにと顧問の先生が山の上にある寺院での合宿を企画してくれた。
礼節を重んじるお寺のお座敷での食事などがあるため、合宿の前に顧問の先生は正座をきちんとできるように指示した。
そして決行されたお寺での合宿の日、ツキたちは満点の星空に感動し、文化祭の日を迎える。そこに顧問を訪ねる女子高生がやって来て……。



本文

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 某善位高校は、スポーツ推薦など部活枠の推薦に加え、特待生クラス、特別コースを設け、普通科のほかにも専門の学科があり、一学年二千人を超える、大きな学校である。
 スポーツ推薦で入学した生徒は寮生活を送り、特待生クラスは特別カリキュラムを夕刻までこなし、長期休みには合宿を行い、学問の理解を深め、視野を広げている。
 そんな高校だけあり、設備も充実しており、某善位高校には、小さいながらに天文ドームがある。
 高校見学の折、校舎入り口から順々に校内を見学した三干ツキは、何棟もあるホテルのようにきれいな建物や、一体何人の教職員が在籍しているのだろうと思うほどに広い職員室前の廊下、及び渡り廊下一面に設置された教師に質問に来た生徒の学習スペース、フィットネスクラブのようなトレーニングルーム、おしゃれなカフェのようなフリースペース、一棟全てを使用した図書館などをただただ驚いて巡っていたが、敷地の最奥にある校舎の屋上にある天文ドームへ案内された時、ただの立派な高校から、入学したい高校へと意識がはっきりと変化した。
 天文ドームは、一般的なものと比較すればその規模は小さく、入り口から狭い螺旋階段を上って行くのに、数人でいっぱいになる。
 けれど、広大な敷地の最奥にある屋上という好条件のもとに建てられた天文ドームは、ツキにとって、とてつもない憧れになった。
 この学校に入学できれば、毎日ここへ来られる。
 そう思うと居ても立ってもいられない気分になった。
 もともと人気のある高校の上、特待生クラスを目指して、学力のある生徒が受験するため、年々某善位高校の受験者の学力は上がっている。
 果たして、現在の自分の学力でこの高校に入れてもらえるだろうか……。
 そう不安になり、必死に勉強したのが昨年のことである。
 一年後の今、ツキはそんな過去を思い出しながら、ため息をついた。
 ツキは、もともと特待生クラスなどは目標としておらず、望まずともというか、予想通りというか、普通科の一クラスに入った。
 入学が目的で、授業料免除の特待生クラスを希望していたわけではないので、大喜びの入学式であった。
 たまたま隣り合わせた味子は、市内でも有名な日本料亭の孫だというが、初対面にも関わらず気楽というか、とても話しやすく、すぐに打ち解けた。学校が始まって間もなくの女子バスケ部の大会の応援も一緒に行った。
 そんな順調な学校生活の一方、ツキの部活生活はあまり順調とはいえなかった。
 華々しい女子バスケ部の活躍を目の当たりにし、自分も天文部で、と意気込んでいたが、夏休みに学校で合宿を行う観測日に大雨が予想され、合宿自体が中止になった。もともと学校の設備を使用し、部員数も少ないので食事は予約なしの当日買い出しの予定だったので、費用についての返金だのキャンセル料だのは発生しなかったので、そのあたりは助かったといえば助かった。しかし、あれほど楽しみにしていた合宿が中止になるとは予想していなかった。
 普段の部活動でも天文ドームを使用することはあるが、基本的には文化祭で行う天文学や星座についての解説を行うための勉強だったり、資料をまとめたりという活動が主だった。そうした発表のほかに、合宿で行った観測の結果を展示するのが毎年恒例だったらしいが、今年はそれがなくなった。
 新学期になり、文化祭準備を進める中でも、ツキは合宿が行えなかった残念さを拭えなかった。
 ほかの部員も残念がってはいたが、文化祭が近いため、天文部の発表で使用する暗幕の準備や、椅子などの借りる備品の確認に忙しく、それを口にする者はなかった。
 今日も一年生は星座の解説の見直し、暗記に集中していた。
 そこへ、科学担当の顧問の先生がやって来た。
 全員が活動を止め、あいさつする。
 先生は唐突に、「今週の週末、予定ある人いる?」と訊いた。
 大会や出展のある一部を除いた文化部に所属する生徒には、複数の部に属する兼部が多いのだが、天文部は全員、天文部の一択だった。そのため、今も全員がその場にいた。
「いない?」と先生が訊き返す。
「はい」と、部長が周囲を見渡して答えた。
「じゃあさあ、今週末、ここで合宿しようと思うから、希望者は親にここ記入して判押してもらってきて。ちょっと日数ないんで、できれば明日中に職員室まで届けて」と顧問の先生は言い、天文部の合宿要項と下に保護者許可証を添付した用紙をさっさと配布した。
 この顧問の先生は、どこだったか、難しい大学を出ているらしいが、授業においても生徒との会話においても、口数は最小限に留めている。
 ツキたちの父親くらいの年代で、やはりツキたちくらいの年齢の子どもがいると聞いているが、スーツや髪型には頓着しないようで、字も雑多で風変りな印象があった。
 ただ、一女子生徒であるツキからするとだらしない、と思えるこの先生、適当そうに見えて、かなり教え方がうまかった。
 中学まで理科は評価3がもらえれば上出来だったツキは、この某善位高校では赤点を覚悟していたが、中間、期末ともに七十点台後半を取り、それプラス、学校で定められた評価基準の授業態度で無遅刻無欠席により、一学期の評価は4をもらえた。ただ、さすがに頭のよい先生だけあって、最終問題は難解で、できる人にしかできない問にしてある。その点はツキには全くのお手上げだが、自身の科学に対する知識をここまで押し上げてくれたこの先生は、ただ者ではない、と感じた。
「先生、よくこんな直前に校長先生の許可が取れましたね」と部長が用紙を見ながら言った。
「うん、今年から席が校長先生のすぐ横になったから、校長先生が会議に行く直前に、ざっと説明して、許可の印鑑押してもらった」
 顧問の先生はあっさりと答えた。
 某善位高校は、生徒の数もさることながら、教職員の数も多く、入り口から最奥の校長先生の席はとても小さく見える。
 詳しい評定はわからないが、受け持ったクラスや担当教科での評価が上がるごとに、先生の机は校長先生の席に近づくらしい。
 おまけに、某善位高校の校長先生は、多くの教職員をまとめるだけあり、その厳しさは有名である。
 その校長先生を会議に行く直前につかまえて、判を押してもらえるのは、恐らくこの顧問くらいだろうと部員全員が口にせずに思っていた。
「それでね、合宿の場所なんだけど」と珍しく顧問が再び口を開いた。
 ツキは、合宿要項を見る。
 現在地から下り電車で二十分ほど行った先にある隣の県との間にある山の頂に位置する、有名な寺院の名が記されていた。
「先生、こんなすごいところ、よく直前に使わせてもらえましたね」と部長が返すと、「うちの実家がそっちの方で、まあ、古い付き合いがあるから」と顧問は説明し、「それでだ」と、視線を用紙から上げた。
 部員が首を傾げ、顧問を見る。
「見ての通り、お寺で部活動をさせてもらう」
「はい」と部長が頷き、シンクロするような動きで部員が視線を顧問に向けたまま、顔だけ縦に振る。
「宿泊部屋はお座敷で、ご住職や、たくさんのお坊さん方にお世話になる。だから、作法と正座をできるようにしてから行かないといけないわけだ」
「はあ」と、部員は顧問を見たまま答える。
「今、部活用のSNSに、正座の詳細は送信したので、後で各自確認しておくように」
 顧問がそう言って携帯を操作してすぐに、部員の携帯が短く鳴った。
 顧問は間を置かず、「そこの、文化祭で解説部員が座るシート、今、使える?」と訊き、「はい、使えます」と部長が頷く。
「今時、パソコンで音声やデータを流す選択肢を取らず、暗幕の中でその都度空で発表するとは、素晴らしき時代の逆行」と顧問が呟き、「今の、ディスってます?」と部長が睨むと、顧問は眼鏡の奥の視線を逸らし、「最大限の褒め言葉だ。伝わらなかったかな?」と首を傾げ、「では、諸君、早速始めよう」と手を叩き、部員を促した。
 若干部長の指摘を誤魔化しているようにも思えたが、せっかく合宿の手筈を整えてくれた顧問である。
 部員は皆、速やかにそれに従った。
「まず、わが校の制服は五年前にリニューアルし、女子用のズボンもあるが、見たところ、本日女子の諸君はスカートのようだ。……一応言っておくが、正座に関しての前置きであるから、誤解のないように。話を戻す。スカートは正座する際お尻の下に敷くようにし、広げないように。足の親指同士が離れないようにすること。膝は握りこぶし一つ分程度離れているか、つけるように。脇は軽く開くか、閉じるように。そうそう、背筋は伸ばして。うん、なかなかに上出来だ。合宿の時に座る際は、是非、このような正座を心がけるように。さっき送信したデータも見ておくように」
「はい」と、部員が返事をしたところで、顧問は時計を見遣り、「それでは、その調子で」と言い残し、足早に去って行った。


 霊山として有名なその山は、立派な石段を上った先にある。
 そこまでの距離は、本格的な登山とまではゆかなくとも、履き慣れた運動靴に帽子、タオル、飲み物といった準備が必要だった。
 普段運動は体育の時間のみのツキを始め、多くの部員は途中、休み休み山を登った。
 舗装された道路はいつの間にか濃い色の土になり、日差しは木々の葉に遮られ、蒸し暑い空気は冷たく澄んでいた。
 顧問は先を歩き、要所要所で立ち止まり、部員全員が通過するのを見守っていたが、その健脚ぶりには正直皆驚いていた。
「なんであんなに元気なんだよ……。昔、難関高校から現役で国立入ったって言うから、体力とは無縁だと思ってたのに」
 遥か先をしっかりとした足取りで進んで行く顧問を見ながら、汗をびっしょりかいた男子部員がぼやく。
「なんでも昔、散歩サークルに入ってたらしいよ」と、一緒に歩いていた部員が説明する。
「それ、何?」と男子部員が訊く。
「歩くことで脳が活性化するとかいう考えで、数学の問題を解きながらとか、英文とか録音したのを聞きながらとか、とにかく勉強をしながら延々と歩くサークルで、短い時で三時間、長い時で八時間くらいだって聞いたことある」と部長が説明する。
「そりゃ、体力もつくわ……」
 後ろを歩いていた部員が脱力した様子で言う。
「だけど、それ、危なくないですか? 一つのことに集中しながら歩いているわけですよね」
 ほかの部員が訊く。
「だから、サークルのメンバー何人かで、目立つ色の服装で、歩行者専用の場所を選ぶんだって。その中のコースにごく稀にここでの登山が含まれることがあったらしいよ」
「へえ」と後ろの部員が頷く。
「それで、今でも時間が許す限り、先生目立つ色の服で延々歩いているんだって」
「なるほど」と、ツキも納得する。
 上りの続く山道はきつかったが、ここのところ自宅と家との往復に加え、帰りにはアイスやキャラメルマキアート、ドーナツ、ケーキなどを満喫していた身体には、運動による心地よさが染みわたる。
 最後に石段を上がり、本堂の前で手を合わせてご挨拶をした後、宿泊する座敷に移動した。
 囲炉裏を囲んだ板の間で半分自炊のような食事かとツキは思っていたが、広い座敷にそれぞれの膳が配置され、精進料理が用意されていた。
 いつもより早めの夕食だが、夜の早いお寺の生活故であり、この後天体観測を行う天文部にはありがたい時間配分だった。
 歩き疲れた足裏に、ひんやりとした板の間の冷たさが心地よく伝わり、塵一つなく掃除された座敷は、自然と身が引き締まる。
 座敷に上がる前、部長より、「疲れているとは思うけれど、失礼のないよう、食事中の姿勢や作法には気を付けて」という注意が伝えられた。
「正座する時には、背筋を伸ばして、膝はつけるか、握りこぶし一つ分開く程度、足の親指同士が離れないように。食事中だけれど、脇を広げ過ぎないように気を付けて」
 先生からつい先日伝えられたばかりの内容だったが、改めてこうした場にくると、再度言われて気を付けるべきことが結構あるとツキははっとする。
 用意していただいた料理は、彩り美しく、秋野菜をふんだんに使ったもので、味付けも想像していたより今風で、食べ盛りで登山をしてきた高校生のツキたちでも十分な量と味わいだった。
 自然と箸が進み、気づけば膳の上の器は全て空になっていた。
 汁物などのいただき方までは学んでいなかったため、どこまで礼を尽くせたかは定かではなかった。
 ただ、ありがとうございました、という心からの感謝をこめて、「ご馳走さまでした」と手を合わせた。
 こういう時のためにも、お作法は学んでおくべきだとツキは感じた。
 そして普段、朝起きれば用意されているお弁当や、学校帰りに寄って食べるさまざまな品にも、人の手間と時間とが込められていることを改めて思った。


 食後に入浴を終え、宿泊する広い和室に沿った縁側で天体観測が始まった。
 星がこんなにきれいにはっきりと見えるのは、ツキにとって初めてだった。
 ひと際大きく見える、なじみ深い星座、その周囲に瞬く、普段見えないたくさんの星。
 見上げているうちに、自然と涙が浮かぶ。
 なんと美しい世界に自分は生を受けたのか……。
「きれいでしょう」
 そう、隣で顧問の先生が小さく言った。
 顧問の先生は空を見たまま、「勉強しながら何時間も歩いて、日が暮れて、ある日、この山の麓で空を見たらね……。あの空へ行くことは叶わなくとも、この場で近づくことはできないかと思って、その時に僕の通っていた学校が掲げる、『進路が決まらないならとにかく国立大』という言葉から僕は大きく前に踏み出したんですよ」と言った。
 先生ほど頭のいい人であれば、そういった研究に進む道や、高校の教師だとしても、特待生クラスを受け持って、部活動の顧問免除といった選択があったのではないか、とツキは思った。
 けれど、「今日は晴れてよかった」と空を見ている先生を前にし、そうしたことは今、訊くべきではない気がした。
 部長は、「先生、高校生活最後の年にこんなに素晴らしいところへ連れて来てくださってありがとう」と、少し離れたところから手を振って言った。
「いいところでしょう」と先生は空を見たまま応じる。
「ねえ、卒業してからも、元天文部で年に一度か二度、ここに集まろうか」と、三年生の先輩が言った。
 次々に賛同する先輩たちの華やいだ声がする。けれど、三年生は一部の推薦入試はすでに八月に始まり、この後もAO入試などが控え、年明けにはセンター入試、及び各学校の筆記や実技を伴った試験がある。
 年々難関大への合格者を増やしている某善位高校では、その進学する地域も広範囲になり、飛行機でなければ行けない国立大学で一人暮らしを始める人もいる。今、ここでした約束がどの程度果たされるのか、はたまた何年続くのかはわからないが、ようやく高校に入学して一息ついたばかりのツキには、遠いようでいて、決して遠くはない未来の一場面に思えた。
 ふと、しんみりした心もちになっていると、「一休みしませんか」と、ご住職がやって来た。
「今月はお月見がありますから、少し早いですが」と言い、縁側に団子とポット、伏せて重ねられた湯のみを用意してくださった。
「ありがとうございます」と顧問が言い、「先生が初めて来られた時にも、団子とお茶をお出ししましたね」と住職は笑った。
「先生は、どんな学生でした?」と興味津々に訊く部員たちは、自然とご住職を囲み、縁側に靴を脱いで座った。
「こらこら、お忙しいから」と顧問が止めるが、ご住職は「今日はほかにお泊りのお客様もいませんし、構いませんよ」と応じた。
「それにしても、皆さん、随分とお行儀のよろしいことで、感心ですね」
 のんびりと言ったご住職の言葉に部員は我に返る。
 皆、座布団のない板の間の廊下や縁側でも、背筋を伸ばし、膝をつけ、足の親指を離さず、正座をしていた。
「ありがとうございます。それも、ここでお世話になることになったからこそですよ」と顧問は苦笑する。
「きっかけは何であれ、結構なことです」と住職は、空を見る。
 部員がご住職、顧問にお茶をお渡しし、順番にお茶を湯のみに入れて、一息つく。
 満点の星空と、幾多もの流れ星を、ツキは初めて見たのだった。


 文化祭では、天体観測の様子のほか、登山の様子なども各々の携帯で撮った画像データを編集し、動画で紹介した。
 星座解説の順番が近づき、クラスの出し物を終え、部室前に駆けつけたツキは、そこで動画の前に立つ中学生を見かけた。
「え、山登りあるの?」と、憂鬱そうに言っている。
 動画の場面が次々に移り、天体観測の様子が映し出された。
 ナレーションが『満点の星空はこの上もなく美しく……』と入り、星座の説明に移る。
「え、いいな。入部しようかな」と、つい今しがた憂鬱そうに言っていた子が呟き、隣にいる子も「これは感動するね」と頷いている。
 ツキはそっと「これから、中で星座解説があるので、よかったらどうぞ」と声をかけた。
 二人は顔を見合わせ、中へ入る。
「お客さん、来てくれていますね」
 頭上から声がし、顔を上げると顧問が立っていた。
「先生、来てくれたんですか?」
 合宿以来、あまり部活に顔を出さなかった顧問と文化祭で会うと思っていなかったツキが、やや驚いて言うと、「そりゃ、顧問だからね」と答えた後、眼鏡を持ち上げ、「ちょっと急ぎの原稿があって、顔を頻繁に出せなかったのは申し訳なかったと思っていますよ」と続けた。
 顧問を責めるつもりはなかったが、なんとなくそんなふうになってしまってツキが若干気まずい思いをしているところへ、「先生」と、他校の制服を着た女子高生が一人走り寄って来た。
 全国でも有数の難関高校の制服だった。
 難関高校というと、とても真面目な身なりなのかとツキは思っていたが、髪を明るい色に染め、化粧も薄くしている女の子だった。
「あの、私の母が昔、先生の授業を受けて、文系から理系に進路を変更して大学に進んだと聞きました。私も先生の著書を拝読して、とても勉強になりました」と、一気に伝えた。
 先生は「そうですか。それは、それは……。時々、ご両親が僕の授業を昔受けていた、という生徒さんが来てくれることはあるんですよ」と答え、表情をやわらげた。
「あの、先生のサイン、いただけませんか」と、先生の著書らしい本とペンをその女子高生は差し出した。
「はい」と先生が頷き、表紙を開いたところにペンを軽やかに走らせる。
「ありがとうございます」と、女子高生は心底感激した様子で頭を下げた。
「これから、中での発表があるので、そっちもよかったら」と先生は言い、部室の戸を開けて、ツキと女子高生を先に通してくれて、扉を閉めた。
 お客さん用の椅子の並べられた入り口とは別の、手前の暗幕のカーテンをそっと開け、ツキは中に入り、解説者用の場所に正座する。
 暗幕の中の幾つもの星座を追いながら、ツキは初めての発表を終えた。
 お客さんから拍手が起こった後、さっきの女子高生が「この部は、ずいぶん所作がきれいですね。正座も。どこかで勉強されたんですか」と、部長に尋ねた。
 他のお客さんも興味があったようで、二、三人がそのままとどまっている。
「所作の勉強はしていないのですが、部室の外の動画でも紹介しているんですけど、今年は例年の夏合宿が中止になった関係で、先生が寺院での合宿をしてくれたんです。それで、失礼がないようにって、正座は事前に少し……」
「もしよかったら、少し教えてもらえませんか。姿勢をよくしているところとか、膝をつけているところは見ていてわかります」と、女子高生が言う。
「では、次の発表までの時間なので、簡単ですけど……」と、部長は言い、以前先生から送信された正座の詳細を携帯で確認し、部員の解説用の席のシートを広げた。
 そこに、女子校生と、興味を示したお客さん、三人が正座をする。
「背筋を伸ばして、スカートはお尻の下に敷いてください。膝はつけるか、握りこぶし一つ分開く程度で。足の親指同士が離れないように。手は太ももと膝の間にハの字で置いてください。脇は軽く開くか、閉じてください。足がしびれてしまったら、無理はしないでください」
 部長の説明に合わせ、女子校生とほかのお客さん三人が正座をする。
「すごくいい感じです」と部長が拍手する。
「ありがとうございます。この後、せっかくだから、茶道部体験にも行ってみようと思います」と女子高生がお礼を言い、ほかのお客さんも満足してくださった様子で部室を後にした。
「ありがとうございました」と笑顔で彼らを送り出した後、ツキは先輩に小声で、「先生の本にサインしてほしい人、いるんですね。初めて見ました」と、笑い話としてこっそり伝えた。
 笑うとばかり思っていたが、先輩は「何、それ、私のこと?」と、じろり、とツキを見た。
「え、先輩も?」と驚くツキに、「この部の女子、大抵は先生のサイン本持ってるよ。多分、三干さん以外は」と言い残し、部室の外で、次の発表の宣伝を始めた。
 慌てて先輩の後を追いながら、今日の帰りに本屋で先生の著書を探そう、とツキは思ったのだった。


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