[83]正座の出発


タイトル:正座の出発
発売日:2020/3/01
シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:8

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:48
定価:200円+税

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容
某瑛高校に入学した前木コトは、映像研究部に入った。部活では同じクラスの男子、夕紀と光も一緒だ。
ちょっと自己主張の強い夕紀とおっとりしている光と三人で、最初の活動として某瑛高校をテーマに映像制作をすることになったコト。
夕紀に某瑛高校のイメージを訊かれたコトは、お作法などの授業があることから「正座」と答える。
三人はまずお作法の初回授業後のクラスメイト撮影から開始し、クラスメイトへの正座指導を思いつく。

販売サイト
https://seiza.booth.pm/items/1875288



本文

当作品を発行所から承諾を得ずに、無断で複写、複製することは禁止しています。


 某瑛高校に春が来た。
 元女子高の某瑛高校が共学になり、エスカレーター式に進学できる大学のほかに外部受験にも対応できるようカリキュラムを一新し、早数年が経った。今や某瑛高校はすっかり共学の高校として定着している。
 前木コトは今年某瑛高校に入学した。当初は茶道などの正座をする授業のある元女子高の某瑛高校を希望していなかったが、昨年の九月に訪れた文化祭の茶道体験で、某瑛高校の堅苦しいイメージは、真面目を美徳とする落ち着いた学校へと変わり、某瑛高校の受験を決めたのだった。
 入学式の日にコトは席が同じ列の笛木寧々と仲良くなった。寧々は初めから某瑛高校を第一希望にしていたという、おっとり、しっかりのいかにもこの高校、という感じがした。どちらかというと、思ったことは口にし、しっかりというよりはうっかりの方が多いコトだったが、寧々の方ではそういった面も含めてコトを好意的に受け入れてくれているようなのが、何よりもありがたかった。
 校内では制服を着崩していたり、大声で騒ぎながら廊下を走って行く生徒の姿は皆無で、楚々とした雰囲気が漂う。コトの隣を歩く寧々はそんな校風にとても合って見えた。今は朝からの二時間体育館で行われた新入生歓迎を終え、一年生は各教室に移動中である。
 寧々にコトはタイムリーな話題として「部活、どうする?」と訊いた。
 新入生歓迎会のメインは部活紹介で、ステージではさまざまな部が演奏や演技、簡単な球技などを披露してくれた。ぞろぞろと歩く一年生たちの列のあちこちから、面白かった部活のことや、どの部活に入りたいかといった話題が聞こえてくる。
 寧々は「科学部にしようかな」と言った。
「え、科学部!?」
 意外な部にコトは若干驚く。
 科学部は部活紹介冊子に活動日と活動内容を簡潔に記載し、発表もステージ上で冊子に書いてあるのと同じ内容を読み上げただけの、コトにとっては面白味の感じられない部活だったが、寧々はもともと科学が好きなことと、某瑛高校は人数の少ない部活でもきちんと予算を組んでくれるので、比較的自由な実験もできることからそうしたいと言う。寧々の説明を聞いたところで、入部したいとも思えないコトは、思い切って気になっていた映像研究部に入ることにした。映像研究部は秋の学校説明会で文化祭の様子を編集した映像を提供していた部で、その映像がわかりやすく、満遍なく校内の発表を紹介した上で、とても撮る側の温かさが伝わってきたのを覚えていた。
 部活見学、仮入部は本日から開始し、二週間後に生徒は強制ではないがいずれかの部活に入部届を提出することになっている。
 本日は土曜日で午前授業だ。
 某瑛高校は平日の昼食は食堂で給食になっていて、土曜日の午後に部活動などで学校に残る生徒は昼食持参か、一度学校を出て昼食を買いに行くことが許可されている。
「今日、部活見学行く?」とコトが訊くと、「前木さんが行くなら行こうかな」と寧々は頷いた。
 行きたい部活は違うが、入学したばかりの女子にとって校内で食事を一緒に摂る仲間を得ることは、とても大きな意味を持つ。普段は給食で席が決まっているため、某瑛高校では比較的そうしたプレッシャーはないが、それでも土曜日のランチ友達がいるかどうかはやはり安心度が違う。
 コトと寧々はその後の二時間の自己紹介と全員の係り決めの授業が終わった後に、学校へ来る途中にあるパン屋さんへ行って昼食を買い、それを教室で一緒に食べることにした。休憩スペースは校内に比較的多くあり、入り口を入ってすぐのラウンジやきれいに手入れされた芝の鮮やかな中庭、屋上などがあるが、まだ学校になじんでいない二人は冒険せずに大人しく教室にしようということになった。


 高校に入ったコトにとってはお約束ともいえる昼食の定番、焼きそばパン、コロッケパン、揚げパン、そして紙パック入りのいちご牛乳を買った。寧々はタマゴサンドとポテトサラダサンドに紅茶で、それぞれに会計を済ませる。店員さんは毎年春に見慣れた光景というように、浮足立って昼食を買う一年生に温かみのある対応をしてくれた。
 学校に戻る前に寧々は親に今日は部活見学をしてから帰る、という連絡を手短にし、それを見てコトも同じように親に一報を入れておいた。
 教室に戻る途中、コトと寧々は同じクラスの男子、早田夕紀が上級生と思しき女の先輩とラウンジで昼食を摂っているのを見かけた。大人しめの男子が多い某瑛高校で、夕紀は自己紹介も明瞭で「はっきりした性格だと自分では思っています。でも正しくないこともあると思うので、違う時には違うと言ってもらえると自分のためにもなるのでよろしくお願いします」と、自己について説明し、その対応にも触れていた。クラスの女子の中ではおおむね好印象だったとコトは思う。その夕紀に彼女らしき存在、しかも先輩がいた、というのは軽い衝撃だった。寧々も夕紀を特別視しているわけではないようだったが、それでも「彼女いるんだね」と、ラウンジを通り過ぎてから小声でコトに言った。
 教室に戻ると古白光が、学校指定の鞄を肩にかけ、教室を出るところだった。
 教室ですでに昼食を始めている女子三人が「古白くん、ここで食べないの?」と訊くと、「天気がいいから屋上に行く」と答え、女の子たちは「行ってらっしゃい」と笑顔でそれを見送っていた。女の子たちは光を見送った後「私たちも屋上行けばよかったね」と言って、「今から行ったら、さすがにわかりやすすぎ」と突っ込み、笑い合う。
 夕紀と対称的に、おっとりとしていてつい周囲が手を差し伸べたくなってしまうような、王子様のようというか、お姫様に近い男子が光だった。教室内では早くも夕紀派と光派のような、好みの二党派閥ができつつある。光は自己紹介の時も話すことが決まらないようで、名前と出身中学を言った後、「兄の友が二年生にいます。よろしくお願いします」と付け加えただけで着席した。
 寧々とコトが机を向き合わせて昼食を始め、さっきの三人の女子とお互いにどこで昼食を買ったかを話していると、昼食の買い出しから戻って来た女子が「ねえ、早田くんが女の先輩とツーショットでごはん食べてる!」と叫び、三人の女子は軽い悲鳴を上げた。
 にぎやかな学校生活が始まった、とコトは思ったのだった。
 昼食を終え、寧々と別れるとコトは一人映像研究部の部室に向かった。
 映像研究部の活動場所は、パソコンの置いてある視聴覚室とその準備室だった。
 コトが部室の引き戸をノックすると「はい、どうぞ」という声が聞こえてきて、コトは戸を開けた。
 電気を消した室内にはプロジェクターで映像を見る部員と思しき先輩と、見学と思われる一年生が座っている。
「どうぞ」と小声で後ろの席にいた先輩が空いている席を手で示してくれ、コトは小さく「ありがとうございます」と言って着席する。
 映像は昨年の文化祭を撮影したもので、秋の説明会の時に見たものだった。
 あの時中学校の制服を着て体育館の椅子に座って見ていた映像を、今この高校の一学生として見るのは不思議な気がした。あれからまだ半年ほどしか経っていない。
 説明会の時には自分の行った茶道部の体験の映像ばかりに関心が向いたが、改めて見ると初めての文化祭に意気込む一年生の姿も印象的だった。コトが茶道体験で隣に座った男の先輩と女の先輩が着ていた女装と男装の衣装で喫茶店をやるクラスでは、開始直後から男装の似合うしっかりとした女の先輩があちこちに声をかけ、きびきびと動いていたし、白装束のお化け屋敷のクラスではお客さんにお茶のサービスをしたり大きな荷物を預かったりときめの細かい気づかいをしていた。あと半年後に、自分はこんなに高校生らしいことができるのだろうか、とコトは漠然と思う。そして今、映像を見ている先輩たちの横顔を見ると、とても真っすぐで感慨深い目をしている。きっと撮影した時のこと、この映像を編集した時のことを重ねているのだとコトは思った。
 映像が終わると、自然と拍手が起こった。
 ここで先輩たち数人が室内を明るくし、プロジェクターの前に立った。
 部長と思しき男の先輩は「どうもありがとうございました」と一年生に映像を見てくれたことへのお礼を言った後、「こんな感じで、映像研究部では校内の様子を撮影する活動を現段階ではしています。本当に少人数で始めた部活で、去年の文化祭は全てのクラスと部活を入れようと決めたので、撮影の分担がすごく大変で、もう今は卒業しましたが一学期で引退した三年生や実行委員さんにお願いしたりもして、撮りました。もし皆さんが入ってくれるようでしたら、今の段階で十人いるのでとても助かります。もちろん、ほかの映像も撮りたいとか、編集もやりたいとか、いろいろ要望もあると思うし、できる限り僕たちも対応して楽しい部活にしていきたいと思います。入部を考えてくださるようでしたら、この後部活の具体的な話をしたいと思うのですが、どうでしょうか」と、文化祭の時の様子と部活の方向性を簡単に説明して、一年生にこの部活を選ぶかどうかの判断をゆだねる。
「でも見学とか、仮入部の段階だから、ほかの部活を見たい人もいると思うよ」と、となりにいた女の先輩が言い、「そうか」と部長と思しき男の先輩が慌て「無理に今日決めなくていいです」と言い、笑いが起こった。
 この後の質問で、ほかの部活との兼部も可能ということがわかると、その場にいた全員が現時点での入部の意志を伝えた。
 やはり部長と思しき男の先輩は部長で、三年生だと言う。となりにいた女の先輩は副部長でやはり三年生だった。一年生を除いた現時点での部員は三年生が男の先輩二人に女の先輩一人の三名、二年の先輩が男の先輩一人に女の先輩二人の計六名だった。
 今日この場に来た一年生はコトと夕紀と光、それにほかのクラスの男子四人と女子三人での計十名だ。
 この後昨年文化祭の映像と併行して制作されたコンクール参加作品の映像を見せてもらい、映像を撮るカメラについてや、映像画面に文字を入れたりする編集のソフトを学校が購入してくれたことについての話を聞いた。


 学校での健康診断で朝からジャージに着替えて校内を回ったり、寧々を含めた女子数人で登下校するようになったりと、高校生活に浮足立ちつつも慣れてきた頃に、第一回の委員会の集まりがあった。
 奇遇にもコトのなった図書委員は、夕紀と光も一緒だった。
 初回の顔合わせでは一学期の昼休み、放課後のカウンター当番の割り当てと、図書委員になった理由と好きな本を言うことを含めた自己紹介が行われた。夕紀は委員会が終わったところで、この前ラウンジで一緒に昼食を摂っていた二年生の上部朝子先輩と話し始め、二人はそのまま一緒に帰って行くのが視界に入った。本人が『はっきりした性格』と自己紹介で言うほどに、ある意味きつい感じかと思ったけれど、朝子と一緒に帰る後ろ姿はとても雰囲気が柔らかい。
 思ったほど、尖った性格でもなさそう、とコトは思ったけれど、やはり当初の印象は当たっていたらしい、というのは次の映像研究部の集まりで明らかになった。
「最初だからこそ、もうちょっと自由な手法で撮って、それを自己紹介みたいにしてもいいと思います」
 そう、夕紀は挙手して発言した。
 穏やかな雰囲気そのものの映像研究部の部室内は、軽い衝撃を受けていたと思う。
 ことの発端は、あの初日に集まった一年生十名が入部届を提出した後に本格的な活動の第一弾として、ひとまず三人、四人のグループに分かれ、『某瑛高校』をテーマに映像を作る、という提案を部長がしたことだった。グループは同じクラスの夕紀、光、コトの三人と、ほかもそれぞれに同じクラスのグループ二つで計三グループを作った。
 それに対し、夕紀は一人ずつの制作を提案した。
 明らかに穏やかで、内向的な性格という感じの部長はちょっと戸惑った様子で、「まあ、それでもいいのですが、まずはカメラの使い方を覚えてもらったりしたいし」と説明する。夕紀は「カメラの使い方なんて、普通わかるでしょ」と引かない。そんなやり取りがしばらく続き、副部長の先輩が間に入るタイミングをうかがっていた時、「まず、一緒にやってみようよ。早田くんがカメラ使いたいなら、僕は編集の方の係りになってもいいし、グループでやるって、何も全部を等分しなくても、好きなことや得意なことで分担できるよ? 前木さんにも同意してもらわないといけないけど」と、光が穏やかなまま、夕紀に話しかけた。
 夕紀は「俺が言いたいのは」と納得しかけ、そこへ光が「部活って、これまでこの部活を続けてきてくださった先輩にやり方を教えてもらうのも、一緒に入った人と協力したり、その人のいいところを知っていくことも僕は意義があると思う。まずさ、そういうことから学んで、それができるようになったら提案をしたら? 僕もだけど、早田くんこの部活の初心者なんだからさ」と続けた。
 一瞬、部室がしん、とした後、皆が光をこれまでとは違う、やや尊敬の目で見ていた。
 ただ頼りないように見えた光は意外と芯を持った、そしてそれを感情的にならず相手に伝える方法を知っている人物だった。
 反論すると思われた夕紀はこれまた意外にも「そうか、そういう考え方に気づかなかった。ありがとう」と光に言い、それから部長に向かって「すみませんでした」と頭を下げた。
 些細な出来事だったが、夕紀と光の性格を部員一同が理解できた一件だった。
 その後、コトは夕紀と光と三人で『某瑛高校』をテーマに何を撮るかを決めることになった。
「前木さんは、この学校って最初に何が浮かぶ?」
 もっと乱暴な口調で話しかけられるかと思ったが、夕紀はきちんとした口調でコトに訊いてくれた。
「ええと、私はこの学校、お作法とかあるって塾の先生に聞いて、文化祭に来て、すごくきちんとしていたから、自分の中で『正座高校』って呼んでた」
 光が吹き出し、「面白い。確かに正座する授業がある高校ってそれほど多くないよね」と頷く。
「つまり、堅苦しいっていうか、そういう感じ?」と夕紀が訊き、「今ではそれはいいことだって思うけど、最初はきちんとした人には向いているだろうけど、自分はちょっと無理かなって思った」とコトは正確な考えを伝えつつ、頷く。
「いいんじゃない。『正座』のテーマで撮るの」と夕紀が言い、光も頷く。
「いいの? 撮りたいテーマ、ほかにあるんじゃないの?」とさっきの夕紀の発言を思い出してコトが訊くが、夕紀は「今回は個人の活動じゃなくて、まずは部活のことを学ぶってわかったから、そこは大丈夫」と言う。
 こうしてコトたち三人は、映像研究部最初の活動として、『正座』の観点から某瑛高校を撮ることに決めたのだった。


 時を同じくして、お作法、お花、お茶の授業も順次開始された。
 コトは昨年の九月の文化祭で、この学校の茶道体験に参加し、親切な茶道部の先輩に正座の指導をしてもらっていた。そのおかげもあって、それほどこうした正座をする授業に苦手意識はなかったが、案の定、足をしびれさせる同級生が続出した。
「前木、早く!」
 お作法の授業の直後、夕紀がコトを手招きして呼び、そこには光もいる。
 何事かと思うと、夕紀は映像研究部で借りたカメラを出し、撮影態勢に入っている。
「え?」
「正座がテーマっていったら、まさにこの光景だろ」
 夕紀はカメラを録画状態にし、光に「来い」と言い、足をしびれさせて悶絶している男子へと突撃する。
 夕紀は目で光に『話しかけろ』と合図し、物腰の柔らかい光が「大丈夫?」と訊く。
 確か野球部に入りたいと自己紹介で言っていた背が高く、体格のしっかりしている男子は顔を赤くし、投げ出した足をさすっている。とても普通に話す状況ではないが、それでも顔を上げ、返答してくれる。
「うん、もう少しすれば……」
「訊くまでもないと思うけど、正座、辛かったですか?」
 え、そんなこと訊く? と思うことを光はしごく真面目な口調で訊き、訊かれた方も何度も頷いている。
「最初の十分くらいは平気だったけど、後半辛かったです」
「来週はお花の授業があるけど、頑張れそうですか?」
「はい、なんとか頑張ります」
 そこまで撮ると、夕紀は録画を一度止め、「次行くぞ」と今度は女子の方へ視線を向ける。
 コトと光は男子に自分たちが映像研究部で、正座について今取材をさせてもらったことを説明し、今の映像の使用の承諾を得るとそのお礼を言い、夕紀の後を追った。
 次はお互いに支え合いながら、足のしびれが治まるのを待っている女子二人に突撃し、今度はコトがインタビューする。
「すみません、映像研究部なんですけど」
「ええ、何?」
「私たち、某瑛高校の『正座』をテーマにしてるんですけど、インタビューいいですか?」
 ここ最近仲良くなった子たちであり、光と夕紀がいるのも大きかったのか、二人は「えー、まあ、いいよ」と笑いながら応じてくれる。
「実際にお作法の授業受けて、どうでした?」
「将来のためっていうか、自分のためにもいいなと思っていた授業なので、頑張りました。授業の時は平気かと思ったのですが、終わってみたら、こんな感じでした」
「まだしびれてますか?」
「でも、だいぶ楽になりました」
「また頑張ります」
「ありがとうございます」
 最後に友達の寧々のところへ行く。寧々には後で説明して映像を使用していいかどうか許可を取る予定なので、まずは撮影に入る。
「お作法の授業、どうでした?」
「もっと難しいかと思っていましたけど、先生の説明がわかりやすくてためになりました」
「正座は大丈夫でしたか?」
「え? はい。大丈夫です」
 ここで夕紀が録画を終わらせた。
 最初の取材はまずまずだった。
 夕紀は「編集の時に文字も入れたいから、今の撮影で思ったこと、書いといて」と光とコトに言う。
 部活入部初回から部長に平気で意見するだけあり、こういったところの手堅さは、頼りになる。
「二人は、正座平気だった?」とコトが訊く。
「俺はこの学校にしようかどうしようか迷った時に、中学校の先生に少し正座の仕方を教えてもらったから」と夕紀が答え、「僕は特に何もしてないけど」と光が首をかしげる。
「それぞれなんだね」
「俺思ったけど、その個人差を撮るのが面白い。さっきインタビューしただけで、ずいぶん違うのもわかったし、それを撮って、見てもらうとこの学校が、前木が言っていた『堅苦しい』学校っていうちょっと距離のある印象から、共感できる実際の声を通して親近感が持てるように変わると思う」
「この次はどうする?」とコトが訊くと、「まだわからない」と夕紀はあっさりと言い、「これからも正座の授業がある日はカメラ持参して、撮っていって、そこからどうするか構成できればいいと思う」と続けた。
「早田くんて頭いいね」と光がのんびりと言う。
「古白くんがいると、男子のインタビューがすごく感じよくできて助かるよ」とコトが言うと、「そうかな」と光が笑う。
 あんまり共通点のなさそうな三人ではあるが、それはそれでなんとかなりそうだとコトは思った。


 次の正座をする授業はお花の授業だった。お道具の説明で終わるのかと思ったが、「この学校の皆さん、とてもお花を生ける感性に優れていますので、せっかくですから、簡単にやってみましょう」と先生は嬉しそうにおっしゃった。この日使ったお花は日本に古くからある渋めな印象のお花ではなく、ガーベラなど、比較的身近で見る花だった。
 先生は目を細めながら、さまざまな個性の作品を見て回っている。
 そのせいもあって、正座のことで苦悩している様子のクラスメイトは見られなかった。
「お花の授業どうでした?」と、授業後コトたちはカメラで録画しながらインタビューをする。みんなお花を手に「思ったより楽しかったです」とか、「卒業しても続けたいです」というかなり前向きな感想を口にする。
「正座の方は大丈夫でした?」
 そう訊くと、カメラの位置を下方にずらさせて「途中で足崩しました」と正直に答えてくれる人もいた。
 次の茶道の時間にも続けて撮ろうということになったが、夕紀が難しい顔をする。
「正座の授業が生徒にとって大変だってところまでは撮れたけど、このままだとそれだけで終わる気がする」
「確かに」と光が頷く。
「だんだん慣れてくるところを撮りたいけど、部内発表って七月だよね?」とコトが確認する。それにもうじき中間テストがあり、七月上旬には期末テストがある。期末テストの後はテスト返却日と終業式のみになるので、スケジュール上期末テストまでには撮影を終え、できれば編集の手順までを考え、少し余裕を持って終業式後の発表を迎えたいところだ。
「ねえ、正座の仕方は自信ある?」とコトが訊いた。
 前に夕紀が中学の先生に正座を教えてもらったと話していたことを思い出した。
「まあ、教えてもらったから、お作法の時にも『いいですね』って先生は言ってた」
「古白くんも褒められていたよね」
「うん……」
「もう少しすると梅雨に入るけど、それまでの時期って土曜日に屋外でお昼にして午後から部活に行く人いるよね? だからさ、そういうお昼風景を撮りながら、そこで正座がまだ苦手な人に軽く正座の仕方を教えて、その後の授業でどうなったか撮ってみるっていうのは? 仕込みには含まれないよね? 試みとして受け入れてもらえると思うけど、どうかな」
 コトが二人に訊くと、「いいと思う」と二人は頷いてくれた。
 今週までが部活活動期間で来週からは中間テストの一週間前に入り、大会間近の一部の部活を除き、部活は休みに入る。
 テストは水曜日から土曜日までなので、土曜日テストの後に昼抜きで中庭に集合することが決まった。


 受験から解放されたコトはすっかり勉強する習慣から離れていたせいで、テスト前はかなり必死に勉強することになった。土曜日はもうテストが終わった後に机に突っ伏して眠りたかったが、ここからが部活の頑張りどころだ。
 弛緩しきった教室内で、担任の先生がやって来てホームルームが開始された時には中庭に直行することだけを考えていた。昼食はありがたいことに寧々がパン屋さんで買っておいてくれると申し出てくれた。クラスでは自然に土曜に部活に行く女子はみんなで買い物に行き、一緒に食べるようになった。だから寧々が今日は部活がないから土曜日に午前中で帰るとか、コトが今日のように昼休みに即部活、という時にも一緒に行動する相手に困らない。これは寧々とコトに限らず、女子同士、その時によって友達が不在のことは多くあるのでお互いにとても都合がいいし、クラスの女子の仲も深まる。土曜日に部活のない子もクラスの雰囲気がいいことで、親しい女子が増える。それに某瑛高校はきちんとした真面目な生徒が多いこともあってか、基本的にみんな約束を守るし、もし都合が悪くなった時には早めにそのことを伝え、謝る。そうした些細なことに関しての律義さが共通認識されることにより、信頼感も早い段階からお互いにしっかりと持てているのだと思う。
 そんなことを考えていると、夕紀が机の前に鞄を置き、持参したらしいおにぎりをもくもくと食べていた。
 先生が話している中、夕紀がおにぎりを食べていることに周囲で気づいている人もいるが、あえて誰も言わなかった。
 ホームルームが終了し、先生が去った後のざわついた教室で、夕紀が「すみません、映像研究部なんですけど」と声を張った。
 帰り支度をしていたり、昼食の買い出しに行こうとするクラスメイトが夕紀の方を見る。
「今、『正座』をテーマに制作をしています。これまでも撮影の協力ありがとうございました。今日、撮影を中庭で行います。協力してもいい、僕らの最初の作品にぜひ出たい、という人は中庭に来てください。昼食持参で大丈夫です」
 夕紀がそう言っている間に光が黒板に夕紀の言ったことを簡潔にまとめ、下に三人の名字も記した。
 荷物を持ち、三人は教室を出る。
 芝のきれいな中庭を撮り、取材開始だ。
 昼食の買い出し組はまだいないが、持参した組はもう昼食を開始している。多くは時間厳守の運動部の人たちだ。部活によってはウエイト増量のため、しっかりとごはんを食べるよう指導されているところもあるらしい。
「こんにちは、映像研究部ですが、ちょっといいですか」
 そんなふうにクラスメイト以外の一年生、また二年生、三年生にも失礼のないよう気をつけながら声をかける。
 そうこうしているうちに中庭にクラスメイトも集まり始めた。
 そこへ「友くんの弟さん?」と明るい声がかかった。
 見ると、稲荷寿司や海苔巻き、三色そぼろ弁当、色とりどりのサンドイッチの持参のお弁当を広げ、駅前のおいしいと評判のドーナツ屋さんの袋も携えているひときわ優雅な三人の女の先輩がいた。
 コトは「先輩」と思わず声を上げた。
 コトが九月の文化祭の茶道体験でお世話になった茶道部の三人の先輩だった。
「もしかして、文化祭の時に来てくれた子?」と訊かれ、「はい、あの時はお世話になりました」と頭を下げた。
「どうしたの?」
 カメラを持っている夕紀の方も見ながら三人が訊く。
「あの、私たち映像研究部で『正座』をテーマにして制作しているところなんです」とコトは言った。
「そうなんだ、あ、私たちお弁当のほかに今日ドーナツ買ってきたんだ。よかったらどうぞ」
 三人はそう言って、それぞれのドーナツの入った紙袋から一つずつを紙に包んで渡してくれる。
「あ、どうもすみません。いただきます」
 空腹故に、ついいただいてしまう。
 食べている間も三人の先輩は光に光の兄のことを聞いたり、光のことを聞いたりする。そして、「お兄さんに次の月曜日茶道部に遊びに来てって言っといて」とか、「終業式にどこか行こうって言っといて」と、冗談なのか本気なのか、明るく軽い口調でいながら割と具体的なことを畳みかける。「はあ」とか「わかりました」とか、いまいち頼りない口調で返す光を夕紀が三人から少し離れたところに引っ張って行き、小声で「あの三人、茶道部だろう?」と訊く。「そうだっけ」と、たった今『茶道部に遊びに来て』と頼まれたにも関わらず曖昧な光に代わってコトが「そうだよ」と答える。
「古白、お前さ、あの三人に中庭に集まったクラスメイトの正座指導をしてくれるように頼めよ」
「ええ? 僕たちがやるって言ってなかった?」
「それよりあの三人の先輩の方が適役だし、話の流れとしてもメリハリがつく」
「そうか……、あッ!」
 のろのろとドーナツを食べている光のを夕紀は取り上げて頬張り、「さっさとやるぞ」とカメラの準備をし、「古白、三人に兄ちゃんの中学校の時の写メでも見せて、頼んで来い」と言った。
「ええ、僕高校に入って携帯新しくしてもらったから、そんなのないよ」
「別に何でもいいって。そんなの」
「家族旅行で温泉行った時のとかは?」
「もう、貸せ」
 夕紀は携帯画面を操作する光から携帯を取り上げると、浴衣姿で卓球台の前で光とその兄と思しき人物の並んで笑う画像を見つけ、「これでも見せて頼んで来い」と再度言い、光は「普通に頼めばいいだけなのに」と言い、行くのを渋る。
 そこへ寧々たちが買い物を終えてやって来た。
 コトを見つけ、お昼を渡してくれる。
「今日ね、パン屋さんに行った後、お肉屋さんでみんなとコロッケとか唐揚げも買ったんだ。土曜日はサービスデーなんだって。一応、コトちゃんもどうかなと思って唐揚げ三個入り買ったけど、二個プラスでサービスしてくれたんだ。いる?」
「うれしい、ありがとう。お金渡すね」
 そんなやり取りを手早くした後、光を伴いコトは先輩たちのところへ行く。
「ドーナツいただいたんで、よかったら、これ一つずつどうぞ。それとこれ、古白くんが家族旅行した時にお兄さんと撮った写メだそうです」と、唐揚げを勧めつつ、光に画像を見せるよう促す。
 三人の先輩は唐揚げを頬張りながら画像を凝視し、歓喜する。
 そこへコトが「私たち映像研究部で『正座』をテーマに撮影をしていて、まだうちのクラスは正座に慣れていない人が多いことがわかったんです。できたら、先輩方に正座の指導をお願いできませんか。それで、作品に出演していただきたいのですが」とお願いする。
 三人は「いいよ」とあっさりと引き受けてくれた。
「ありがとうございます」
 その間に夕紀が中庭に来てくれたクラスメイトに声をかけて集まってもらう。
 準備は整った。
 三人の先輩はまず姿勢を正すようにと言った。
 通りかかった理事長先生が足を止めて様子を見ているので、その姿も撮影する。
 テスト後の脱力状態のクラスメイトが姿勢を正す。
「女の子はスカートをお尻の下に敷いてください」
 何人かの女子がスカートを直した。
「肘を垂直におろして。手は太ももの付け根と膝の間にハの字になるように。脇は閉じるか、軽く開く程度で。そうそう、そんな感じ」
「膝もつけるか、握りこぶしひとつ分開くくらい」
「足の親指は離れないように」
 三人の先輩は気づいた点を挙げながら、クラスメイトの正座を見ていく。
 撮影に協力してくれたのは、十五人ほどだった。
 以前足をしびれさせた野球部の男子も来てくれている。
「大丈夫?」と先輩に訊かれた時に、「はい」と緊張しながらも笑顔で応じる。
「みんな大丈夫そうだね」と先輩達は言った。
 その後で「先生、どうですか? 今年の一年生」と理事長先生にも声をかける。
 カメラのアングルを先輩達から理事長先生に移す。
「大変素晴らしいです。梗さん、藤子さん、百合江さん、あなたがたも立派な先輩です」と理事長先生は大きく頷き、目を細めた。


 翌週行われたお茶の授業では、中庭での指導の成果、そしておそらく撮影が行われたという意識により、クラスメイトの正座は上達し、先生にも正座がきれいにできていますね、と褒めていただけた。この場面は授業中で撮影できなかったため、夕紀が頼み、先生に再度コメントをお願いして撮影した。
 後日三人はクラスメイトに撮影が無事終了したこととお礼を伝え、気持ちばかりですが、と各々で買って来た個包装のお菓子を全員に配り、放課後には茶道部へ行き、三人の先輩にもお菓子を渡してお礼を言った。光は以前頼まれた伝言の月曜日に茶道部へ行く件は言い忘れてしまったということと、終業式の日はまだ小さい妹と弟のいる友達の素のところへ、直と一緒に行ってお好み焼きを作る約束をしていると言っていましたと伝え、三人をがっかりさせていた。
 それから部室へ行き、映像の編集作業に入った。
 すぐに期末テストの準備期間に入ったこともあり、思ったより時間がかかったが、どうにか発表の日には完成にこぎ着けた。
 三人で完成まで全てをやりたかったが、やはり編集過程では先輩の指導を何度となく仰いだ。そうした際に先輩たちは自分たちの制作もある中で、いつも感じよく応じてくれ、こういう面からも学ぶことは多いとコトは思った。
 それを同じように感じ取ったのか、夕紀も「今教えてもらっている場面こそ、撮影したいな」と言ったのだった。
 こうして完成した一年生のグループ制作は、部内で発表されることになった。
 ほかのグループの制作も、それぞれの視点で某瑛高校が撮られていた。その中で、コトたち三人の制作した作品は、クラスメイトの自然な表情や、『正座』の捉え方から上達までの構成などの点、そして意外にもおっとりしている光が編集時に入れたツッコミ満載の文字の面白さから圧倒的な支持を得た。秋の文化祭では全てのグループの作品を順番に発表する予定だけれど、この作品は面白いので短く編集して来春の部活紹介の時にも、今の二年生、三年生のイチオシ作品とともに発表しようということになり、それはほかの一年生からの拍手で満場一致で決まった。
 喜び合うコトと夕紀、光に部長は拍手を送りながら、「夏休み中は、一人ずつ自由に作品を作ってみてください」と提案した。
 喜び合っていた夕紀、光が自分以外の二人をふっと仲間から、ライバルとして捉えるのをコトは見逃さなかった。それは多分、コトも同じだ。高校生活が始まって早四カ月。心躍る楽しい時は始まったばかりだ。


あわせて読みたい