[241]縁結び正座特急


タイトル:縁結び正座特急
掲載日:2023/01/01

著者:海道 遠
イラスト:よろ

内容:
 早春のある日、孔雀明王とピーちゃんの鎮座する山寺に、檀家の奥さん、榊原さんがやってきた。
 旅行社の青峰というスラリと長身の男性の企画で「正座してお見合いする特急」のイベントがあるから、独身者のご住職を誘いに来たのだ。孔雀王まゆらと孔雀のピーちゃんはびっくり。榊原さんが、正座師匠の万古老のことも聞きつけて、招待したいと言い出す。ピーちゃんは、正座師匠の万古老と弟子の百世(ももせ)と流転(るてん)の住む山の洞窟へ飛ぶ。



本文

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第 一 章 招待券

 まだまだ寒い早春のある日のことだ。
「ご住職様、いらっしゃいますか?」
 檀家のひとつの榊原の奥さんが、朝早くから訪問着でやってきた。
 落ち着いた年配の女性だ。雪がちらついていたので傘をたたんで雪をふりはらう。
「おはようございます。ご住職なら、朝の勤行がもうすぐ終わると思いますが。上がってお待ちください」
 孔雀のピーちゃんが玄関で出迎えた。
「あら、ピーちゃん。青みどりの羽根がきれいねえ」
「ありがとうございます。榊原さんもいつも美しいお召し物で」
 ピーちゃんはお茶を淹れて、客間に持って行った。
 ちょうど朝の読経が終わった住職がやってきたところだった。
 ピーちゃんがお湯呑みの茶碗をテーブルの上にひっくり返してしまった。
「うわっ、これは失礼しましたっ」
 孔雀明王のまゆらが駆けつけて、
「どうしたの、ピーちゃんらしくないわね。今朝は顔色が良くないみたいだけど」
「そ、そう? 全身青みどりだから顔色なんて、ははは」
「無理しないで、お堂で休んでらっしゃいな」
「ありがとう、まゆらちゃん。ちょっと悪寒がしただけだよ」
 ピーちゃんはオツムのかんむり羽根を元気よく立ててみせた。
「これは、榊原さん。いつもお世話様です」
 住職はにこにこ笑顔で迎えた。
「いつもきれいに掃除が行き届いておりますこと。季節のお花も玄関などに飾られて」
「いやあ、お堂に鎮座するのが仕事の孔雀明王のまゆらさまと孔雀のピーちゃんが、毎日、真面目に頑張ってくれるおかげです」
 廊下の奥で、まゆらとピーちゃんが顔を見合わせて、そっと微笑んだ。
「今日はまた、どんなご用事で?」
「実はこんなイベントがありましてね」
 榊原夫人は、黒光りするテーブルの上に、パンフレットと二枚のチケットを置いた。
 パンフレットには「縁結び正座特急」と書かれた電車の写真がある。真っ青と赤のコントラストのカッコいい特急だ。
「これは?」
「特急に正座して乗って、約五時間乗っている間に気の合った者同士でカップルを成立させる企画だそうです。ご住職さまにいかがか、と存じまして。失礼ですが、ご住職さまにはまだ奥様がいらっしゃいません。できましたらお寺のお跡継ぎを、と檀家の皆さまも待ち望んでおります」
「特急の中でお見合いですか!」
 住職はチケットを手にとって赤面した。
「拙僧など、イイトシですからなあ。今からお見合いなど……」
「いえいえ、ご住職さまはまだまだお若く逞しいですわ。しっかり山寺を守ってこられて、これからが人生本番じゃありませんか」
「これからが人生本番……」
「お見合い正座特急だって。ご住職、まんざらじゃなさそうだよ」
 ピーちゃんがまゆらに耳うちした。
 まゆらは四本の手のうち、二本を使って榊原夫人に和菓子を出すと、廊下に戻ってきた。
「うん。本当にまんざらじゃなさそうだわ」
 そのうち、榊原夫人からふたりにお呼びがかかった。
「孔雀明王さま、ピーちゃん、あなた方、正座のお稽古をされたことがあるそうじゃないの。ご住職さまにも教えてさしあげてくださらない?」
「少しばかりですけどね。山の洞窟に住んでおられる万古老という正座のお師匠のお弟子の百世ちゃんと流転くんから教えてもらったんです。ね、まゆらちゃん?」
「あら、お弟子さんからお稽古をお受けになったの? お師匠の万古老さんとやらは、おいくつくらいかしら?」
「万古老の年齢ですか? さあ……」
 ピーちゃんは考え込んだ。
「お弟子の百世ちゃんたちが三百歳とか言ってたから、きっと倍くらいじゃないかしら?」
 首をかしげながら、まゆらが答えた。
「三百歳の倍ですって!」
「仙人さんですからねえ。もっとかも?」
「まあいいわ。独身でいらっしゃるの?」
「多分……」
 榊原夫人の瞳が輝いた。
「じゃ、その万古老さんを紹介して下さらないかしら? ひとりでも多く縁結び特急に集めたいのよ」

 長距離は無理だが、ピーちゃんは峰から峰へ飛ぶことができる。さっそく万古老の住む洞窟へ飛んで行った。

第 二 章 万古老を磨く

「万古老師匠にお見合いだってえぇ~~?」
 見かけは十一歳の百世と流転は、アゴがはずれるほど口をあんぐり開けた。
 万古老はお風呂にも入らず、ボロボロのももけた(毛玉やほつれがある)肌着や着物しか持っていない。慌てた百世と流転は、ピーちゃんに頼む。
「万古老師匠は古い古いシャツとモモヒキ(パッチ)を交互に着てるだけで、お見合いに着られるような着物なんて一枚も持ってないんだ。な、百世?」
「うん。せめて身体はきれいに洗っておくから、ご住職から古着をお借りしておいてくれないかな?」
「わ、わかった!」
 ピーちゃんは、またもやお寺から山の洞穴を往復して、着物を借りてくる。
 その間に百世と流転は、榊原夫人が持ってきたパンフレットを見せた。
「お見合い特急だって。孔雀明王さまのお寺の檀家さんが、イベント会社の人からもらってきたパンフレットだよ」
「お見合い? 誰がそんなものをしたいと言ったんじゃ!」
 万古老は一瞬だけ警戒の眼を光らせ、パンフレットを「フン」とあしらった。
 百世と流転は万古老を滝壺に連れて行って、ドボンと突き落とした。
「な、何をする気じゃ! 半分凍っている滝壺に入れるとは! ワシを心臓マヒにさせる気か!」
「こんな垢だらけの身体じゃ、お見合いできないだろっ」
「とにかくおとなしくして!」
 ふたりは万古老の身体をゴシゴシ洗い、ピーちゃんが持ってきた着物に着替えさせて、ぼうぼうに伸びたヒゲを整える。
「こらっ、ヒゲを剃るでない! あごヒゲは胃まで伸ばしておくのがワシのポリシーじゃ!」
「正座して列車の中でお見合いの招待だよ。これを逃したら一生オヨメサンなんかもらえないかもしれないよ」
「ダメならダメでいいんだよ。お寺の檀家さんが人数を集めておられるから、協力するだけでいいんだよ」
 百世と流転は、暴れるお師匠をどうにか支度させた。
「そんなくだらん催しのために、ワシの威厳あるヒゲにトリートメントまでしおって!」
 お転婆ながら女の子の百世は、お師匠をきれいにするのが嬉しい。
「ついでにごま塩ひげをソフトブラウンに染めてあげたからね。あたいたちみたいに長い髪があれば、もっときれいにしてあげるんだけど、お師匠はツルリンだからなぁ」
「うるさいわ、百世! ワシはこれが気に入って……」
「すみませんねえ、万古老お師匠」
 百世と流転とピーちゃんが、なだめすかして山寺へ連れて行く。

第 三 章 正座のお稽古

 住職と万古老はお堂に連れていかれ、まゆらとピーちゃんは長椅子を並べた。
「列車の席に正座するんだから、本当は、お稽古も椅子でやらなきゃならないんですけどね」
 榊原夫人は万古老と初めて会った。
「初めまして。万古老さん。わたくし、このお寺の檀家代表の……」
 挨拶されても万古老は完全無視だ。
(厄介な話を持ってきたおばはんと、誰がしゃべるもんか)
 榊原夫人は夫人で、万古老の気持ちを察知したらしく、
(なに? この汚らしい爺さん。せっかく縁結び正座特急に招待してあげようって言ってるのに、態度悪いわねぇ)
 キレそうになっているが、人数集めのためにひたすらガマンする。

 いよいよ正座の稽古だ。
「おい、流転。お前、指導しろ」
 万古老が流転に命令する。
 流転は皆の前に出て、正座の所作を説明する。外見は十一歳の男の子でも、さすが三百年間も万古老に正座を習い続けたベテランだ。
「はい、皆さん、長椅子の上に立って。落ちないように気をつけてくださいね。背すじを真っ直ぐ伸ばして、視線は真正面ですよ。それから椅子の上で膝をつき、着物はお尻の下に敷いて、かかとの上に座ります。できましたか?」
「ぎゃあっ」
 簡易椅子に正座しようとしていた榊原夫人が、座席に膝を着く時にすってんころりんと椅子ごと転んでしまった。
「榊原さん、大丈夫ですかっ」
 まゆらとピーちゃんに両側から支え起こされた夫人は、額に汗しながら立ち上がった。
「あ、ありがとう。今度は気をつけるわね」
 一生懸命に正座するがぎこちない。
 住職も、グチりながらお稽古する。
「座禅なら得意中の得意なんだが……」
 まゆらは久しぶりに本格的に稽古して気持ちが落ち着く。
 またもや、簡易椅子から落ちそうになった榊原夫人に手を差し伸べた者がいる。
 長身のグレイのスーツ姿で細面の三十歳くらいの男性だ。
「大丈夫ですか」
 夫人は真っ赤になりながら男性の手にすがった。
「列車の椅子は、この椅子より柔らかいのでご安心ください」
「ああ、あなたはイベント会社の……」
「はい。このイベントを企画した青峰です。この度は、『縁結び正座特急イベント』にご参加いただくとのことで、ありがとうございます」

 まゆらは、ハッとした。
「なんと気品のある男性でしょう。人間の中では珍しいわ!」
 ピーちゃんが素早く察知して、
「まゆらちゃんの気の多いクセがまた始まった! 惚れっぽいんだから~~」
「だって、こんな素敵な人間男性、めったにいないわよ」
「大好きな人がふたりもいながら」
「ピーちゃんだって素敵だと思わない?」
「ボクは男に興味ない」
 冠の羽根を立てて、プイとした。
「ねぇ、あの人、私のことどう思うかしら? 腕が四本あって人間の女性とは全然違うのよ」
「まゆらちゃん、何か勘違いしてるんじゃない?」
「え?」
「ボクたちは、ご住職と万古老さんの付き添いで特急に乗るんでしょ。イベント参加者じゃないんだよ」
「分かってるわよ。あの人だって参加者じゃなくてイベント会社の人だってことは。でも、立場は問題じゃないのよ。どこに運命の出会いがあるか分からないんだから」
 ピーちゃんはむくれた。
「へーんだ。浮気女のまゆらちゃん!」
 聞いていた百世が、
「ピーちゃん、今回はまゆらちゃんには自由にしてもらって、ご住職と万古老師匠のお相手探しに集中しましょ」

第 四 章 特急出発

 正座して縁結び特急発車の日を迎えた。
 ご住職と万古老と共に、ホームに特急が滑りこんでくるのを、ワクワク半分、緊張半分でまゆらとピーちゃんは待っていた。
 百世と流転は見送りに来ている。
 車体が滑りこんできた。
 いよいよ乗りこむと、社内は豪華な紋べり(畳のふち飾り)の畳敷きになっていた。
(なあんだ、椅子の上で練習してソンした!)
 ピーちゃんがオツムの羽根をトンガリ立てた。

 乗車して終点まで七つの駅がある。
 お見合い参加者は男性七名、女性七名。年齢はバラバラだ。全員が乗りこむとざわざわしてきた。
「三個めの駅に到着時までには、全員、この人と思う人を決めてください」
 搭乗員の青峰が説明する。
 まゆらとピーちゃんは、ご住職と万古老を畳の上にざぶとんを敷いて正座させた。

 青峰は、まゆらを見ても何の反応も示さない。
(お寺で会ったことを忘れてるのかしら)
 まゆらの美貌に惹かれて、さっそく数人の男性が近寄ってくる。
「わ、私は参加者ではないんですよ。参加者の付き添いで……」
 まゆらは、やんわりガードするが、男性たちは、
「まあ、かたいことをおっしゃらずに」
「ボクの隣に正座しませんか」
 ピーちゃんが大きく「キィッ」と啼いて羽根をバタつかせたので、男性たちは向こうへ退散した。

 ふと気づくと、ご住職が絶世の美女に声をかけられているではないか。スラリと背の高い女性だ。
「初めまして。銀華と申します」
 ご住職はビビリまくっている。
 銀華の美しさはまるで氷河の水色のようだ。ブルーの混じった長い黒髪のせいだろうか。色白で切れ長の目をしていて、見つめられると外せない強い視線の持ち主だ。
 水色のボートネックのセーターに薄いグレイのタイトスカート、シンプルなファッションだ。
「お隣り、よろしいですか?」
 住職の隣席に積極的に座った。それも優雅で上手な所作で。
 住職は、甘く爽やかな香りに頭がくらくらとなった。
 列車は静かにホームを滑り出したが、住職は話しかけることなく、ふたりは気恥ずかしいような沈黙の中にいる。
 山奥に長く暮らしていて、こんなに洗練された女性を間近にした ことがないのだ。
 ましてや……。
「ご住職って、ずっと独身だっけ?」
 ピーちゃんが、まゆらに耳うちした。
「私は何百年もあのお寺にいるけど、ご住職は五十歳くらいかな、ずっと見守ってきたから、独身のはずよ」
「ボクとまゆらちゃんは一心同体だから、ずっと一緒だよ。ご住職は時々、修行の旅に出る以外は、お寺でひとり暮らしだよね」
「そうよね。飲みにも出かけないから女性に慣れてないわよね」
 まゆらはため息をついたが、ピーちゃんはニヤニヤした。
「でも、あのふたり、なんとなくいい感じだよ」

第 五 章 横恋慕

「あの〜~、パンフレットによると、こちら側からの景色の方がもうすぐ海が見えてきれいですよ。もしよろしかったら、隣にいらっしゃいませんか?」
 まゆらとピーちゃんは、ギョッとして声の方を振り向いた。
 万古老師匠が、鼻の下を伸ばして住職に迫った長身の女性に声をかけたのだ。

 水色のセーターの女性、銀華は戸惑っている。
「万古老師匠ったら、万年、洞窟に住んでる人間離れした生活してるくせに、あんなに洗練された美女にアプローチするなんて!」
 ピーちゃんがプンスカして小声で洩らした。
「せっかく、うちのウブな住職に声をかけてくれた女性を!」
 まゆらも面白くなさそうだ。
「ささ、おいでなされ」
 万古老は、にこにこ笑って更に誘う。
「万古老ったら!」
 ピーちゃんが、もはや呼び捨てで飛び出していこうとしたが、
「あら? 仙人さんかしら。ごめんなさい、私、こちらのお坊さまの隣りがよろしいのです」
 青黒い髪をかき上げて、女性は万古老の誘いをサラリと交わした。

 特急はいくつかトンネルを抜けて、見晴らしの良い海岸線に出た。
 榊原夫人が、車内の釜でお茶を点てた。
「さあさ、お茶でも一服、いかがですか? 水平線見物茶ですわ」
 参加者に声をかける。
 万古老が一番に、にじりより、
「では、ワシがあのお方にお勧めいたしましょう」
 お抹茶の入ったお茶碗を銀華の前まで持って行った。お茶の作法も何もあったものではない。
「ささ、水色のお嬢さん、どうぞ。特急の中でのお茶も一興ですぞ」
「は、はあ」
 銀華は仕方なく両側の参加者に会釈し、
「お先に頂戴いたします」
 鮮やかにお茶碗を回し、三回に分けて飲み干した。
「けっこうなお点前でございました」
 彼女が飲み干す間、万古老は真正面に座ったまま、じっと見つめていた。
「そうじゃろうて。奥さんのお点前は鮮やかじゃったからのう。どうじゃ、お代わりはいらんかの?」
「……い、いえ、満腹いたしました」
「そうかそうか。ではワシも頂戴するとしよう。おい、そこの釜の前の奥さん、ワシにも茶をひとつお願いするわ!」
 まるでお蕎麦の追加を頼むようだ。
 まゆらとピーちゃんは、真っ赤になった。
「百世ちゃんと流転くんに知らせたら、すぐに叱りに来るよね?」
「ピーちゃん、ダメよ、知らせては。招待した榊原夫人の面目も立たなくなるから!」
 まゆらは静かに立っていき、万古老を元の席に帰らせようとした。
「万古老師匠、お茶はそれぞれの席でいただきましょうね」
「お? これは孔雀明王さま。ちょっとだけ待ってくだされ。この万古老、正座の師匠をして長い。お嬢さんに正座の所作をお教えしたい」
「ええ?」
「申し遅れましたが、ワシはこういうもんです」
 万古老は着物のたもとからシワシワの紙切れを取り出した。銀華は受け取って声に出して読んだ。
「正座の道を追求して早や一千年、正座ひとすじに生きる男、万古」
「失礼じゃが、お嬢さんは背すじが少々ゆがんでおられる。このままではお疲れになるじゃろう。この万古老が伝統の所作をお教えしてさしあげましょう」
「は、はあ」
 万古老は手を取って立ち上がらせた。
「よろしいですか? 少々、車両が揺れますが、ソコを踏ん張って真っ直ぐお立ち下さい。骨盤の上に背骨を垂直に立てる気持ちで。そうです。おきれいですよ」
「はあ」
「次に、膝を畳の上に着きます。そしてスカートを、お、お、お尻の下にクルリと敷き、それから、かかとの上に静かに座ります。背骨が骨盤に垂直に立ってるイメージを忘れずに! はいはい! よくできましたよ。初回ですが一級を差し上げましょう」
 万古老の勢いに押されて、銀華は深々と頭を下げた。
「ありがとうございました」
 ようやく万古老は自分の席に戻り、ご住職は口を「へ」の字に曲げて稽古が終わるのを待っていた。

第 六 章 まゆら、そわそわ

 まゆらが落ち着かないのを、ピーちゃんは気づいていた。
「まゆらちゃん、車両の隅ばかり見てるね」
「え、そんなことないわよ」
 車両の隅には、添乗員の青峰がしっかり正座して、参加者を見張っている。
「まゆらちゃんてばメンクイで。またもや新しい人を! ボクたちの役目はご住職のつきそいだよ」
「わかってるわよ、万古老も面倒みなきゃいけないんでしょ。弟子の百世ちゃんと流転くんから頼まれたんだから」
「分かっていたら真面目にしてよね」
 三つ目の駅までもう少しである。
 車掌のアナウンスが流れてから、青峰が立ち上がってこちらへやってきた。
 まゆらは、一本の手から果物を落としてしまった。
「参加者の付き添い、ご苦労さまですね。孔雀明王さま」
 転がった吉祥果を拾い、まゆらに渡しながら真正面に正座した。
 一見、優し気だが鋭い視線でまゆらを捉える。
「あ、拾って下さってありがとうございます」
 まゆらは身体が硬くなるのを感じながら、彼の瞳に心が溶けていくのを感じていた。
「次の停車駅に大きい広場があります。樹の下で休憩しませんか。その後、カフェでお茶でも――」
「え、お仕事は大丈夫なんですか」
「このまま平穏に特急が運行すれば問題ありません」
「よ、喜んで!」
 答えたものの、隣のピーちゃんからの怖い視線を感じた。
「やはりご住職と万古老師匠を見守らなくちゃなりませんから、ご一緒できかねますわ」
 青峰の頬が嘲笑にゆがんだ。
「まあいいでしょう。愛に羞恥心はつきもの」
「はあ?」
 まゆらが呆気に取られているうちに、彼は立ち上がり、下車の準備を始めた。
「よく歯止めをかけたね。まゆらちゃん。褒めてあげる」
 ピーちゃんがホッとしたようだ。
「あなたが怖い顔で睨むんですもの」
 特急の車両は平和に揺れ続け、三つ目の駅に停車した。
 ご住職は、でれでれ顔が止まらないまま銀華に腕を組まれて立ち上がり、万古老も下りる支度をした。

 駅前の広場は丸い造りで芝生の中に噴水があり、マリーゴールドや真っ赤なケシやラッパ水仙、ラナンキュラスなど可愛い花を咲かせる植木が並べられていた。その周囲を高い樹が囲み、ベンチが設置されている。
 芝生の一角に、まゆら一行はゴザを敷いて正座した。
 遠慮なく添乗員の青峰がやってきて、隣に正座した。ピーちゃんが怒っている間もない。
「まゆらさん。あなたは永久に山寺のお堂に鎮座し続けるつもりですか」
 青峰は直球を投げてきた。
「は? はあ。それが私の努めですから」
 実際に、まゆらはずっとピーちゃんの背中に乗っかって座り続けるつもりだ。
「あんな暗い寺のお堂にいないで、大海原や壮大な山々を空から眺めませんか? 爽快な気分になれますよ」
「空から?」
「ええ。上空から一気に降りて、海面スレスレに飛んだり山々の間をすり抜けたりすれば、スリル満点ですよ」
 青峰は口角の端を不気味に上げて、得意げに言った。
「そんなことができるのですか?」
「できますとも」
 彼の瞳の奥に青い炎が見えた。
 まゆらの心に氷のように冷たく、それでいて熱い焼きゴテのようなものが押しあてられた。
 いつの間にか男の両腕に捉えられ、まゆらの背中は枝がしなるように反ったままに身をゆだねている。

 ……動けない……。

 心地よく、頭の芯が蕩けるような不自由さだ。
 男の指が顎の先を持ち上げる。
(接吻される? だとしたら何百年ぶりかしら……。あのデートは八百年くらい前だったかしら……? あれから誰も孔雀の上に乗った私なんて、相手にしなかったわ……)
 首筋に、男の唇が触れようとした時、
「まゆらちゃん!」
 ピーちゃんの声が、まゆらを現実に戻した。
 辺りは陽の光が満ちて緑の溢れた広場だ。特急の参加者があちこちで正座して休憩している。気に入った相手とプレデートしているカップルもいる。
「搭乗員さん、ちょっとご相談があるのですが」
 水色のセーターを着た銀華が近づいてきた。
 やむなく、青峰はまゆらから離れて座りなおした。舌打ちした口元に、尖った歯がチラリと見えた。

第 七 章 青い龍鬼

「簡単でけっこうですから車両の中に衝立をご用意していただけませんか?」
 銀華は、添乗員の青峰を杉の木の下まで呼び出して言った。
「ある参加者さんの視線が気になって……」
 銀華の目配せした先には、万古老が芝生に寝転がる姿があった。
「それはそれとして、お前はどういうつもりだ」
 青峰の声色が厳しい。
 銀華は肩をすくめた。
「私の変装バレてたか。あなたのお仕事中の姿を見学しようと思って」
「とぼけるな。監視しているんだろう」
「当たり前よ。これ以上ウワキされたんでは、私の神経が、いえ、面目が立ちやしないわ」
「私にはウワキは無い。すべて本気でわがものにしたいと思った女だけだ」
「青龍鬼……欲だけはさすがね。あの孔雀明王の艶やかさ。あなたでなくても欲しくなるわよね。でも、最初の妻の私が許さないわよ」
 青黒い髪の中から小さな角が見え、小さな雷が青白い光を放っている。
「雷氷の女神、銀華。おお、怖っ。山寺の住職に接近してどうするつもりだ」
「あなたの知ったことではないわ」
 ふたりは睨み合ってから同時に視線を外し、それぞれの芝生席へ戻った。

 あれほど晴れていた空が、黒い雲に覆われ始めた。
「皆さん、車両に戻ってください!」
 青峰の呼びかけに、参加者は広場から駅舎に戻り始めた。
 早くも大粒の雨がどっと降ってきて、雷が地を這う蛇のように静かに迫ってくる。
「雷まで鳴ってきたわ。皆さま、早く車両に乗ってください!」
 榊原夫人も、参加者にうながしてホームへ急ぐ。参加者は急ぎ足で車両へ乗りこんでいく。
 皆が乗りこんで、元どおりに畳敷きの車両に正座した頃には、雷鳴が轟き、暗い車内に稲光が閃いた。
「きゃ~~っ! すごい雷!」
「怖い!」
 参加者も悲鳴を上げる中で榊原夫人は、はたと気づいた。
「搭乗員の青峰さんは? それに孔雀明王さまの姿が見えないわ!」
 ピーちゃんの鋭い眼に、殺気ともいえるものが走った。
 同時に一旦戻った車両から飛び出したのは、万古老と銀華である。

「まゆらちゃ~~ん!」
 ピーちゃんは激しい雨の中を飛んで広場へ戻った。中央の噴水の上空を見上げる。
 噴水の真上に、青い龍に巻きつかれてぐったりしているまゆらがいるではないか。
(榊原さんが訪ねてきた時に感じた悪寒は、これの予知だったのか)
「まゆらちゃん!」
「ピーちゃん、危ないから近寄ってはダメ!」
「お前は……搭乗員の青峰! 人間に化けていたんだな。まゆらちゃんを返せ!」
「世にも美しい孔雀明王は余のもの。お見合い正座特急なんぞ、まどろっこしくなったわ。すぐに余のハレムに加えて可愛がってやろうぞ、孔雀明王」
 青い龍は長い牙をあらわにした。
「そんなことさせるもんか、まゆらちゃん、しっかりして!」
「うるさい孔雀めが」
 眼にも止まらぬ速さでピーちゃんの眼前へ降りてきた青い龍は、冷たい息を吹きかけた。たちまちピーちゃんは、ハチドリほど小さくなってしまった。
「ピーちゃん!」
「ふん、孔雀もハチドリになってしまえば、一握りでつぶしてくれるわ」

第 八 章 万古老、若返る

「孔雀明王どの~~!」
 万古老の声を聞いて、まゆらの瞼が薄く開いた。
 たちまち青龍鬼を背負い投げして地面に叩きのめす。
「見たか、青い龍鬼! まゆらちゃんの力を!」
 小さくなったピーちゃんがはしゃぐ。

 まゆらに何百年か前の記憶が甦った。
「万古老……、あの声は……」
 地面にのされた青龍鬼が、頭を振って起き上がった。
「あいたた……、見かけによらず怪力だな」
 ピーちゃんが、
「孔雀は弱ったと見せかけて、毒蛇やサソリのトドメをさすのさ」
「毒蛇はひどいな、おチビのハチドリ。余はこれでも龍だぞ」
「龍にもピンからキリまであるだろ。お前なんかランク最低の龍とも言えないトカゲだ!」
「そうなのよ! ミドリの小鳥さん」
 答えたのは銀華だ。
「ランク最低の龍ともいえないヤツ。それが、うちのヤドロクなのよ。よく言ってくれたわ」
「うちのヤドロク?」
「そう、ウワキばっかしてる私の亭主。このまま引きずって連れて帰るわ。雷氷の女神の威力で頭を冷やしてやらなくちゃ。人間界や仙界の孔雀明王にまでご迷惑をおかけしたんだもの」
 ピーちゃんはびっくりしたはずみに、ハチドリから元の孔雀に戻った。
「あなたの夫だったのか。もっと厳しく見張っといてよね。まゆらちゃんだってウワキ症なんだから」
「お互い、苦労するわね」
 含み笑いしながら、銀華は銀色にくねって龍の姿になると、青龍鬼の腕をくわえて空へ登って行った。

「孔雀明王どの!」
 藍色の着物を着た逞しい青年が、まゆらに走り寄った。
「万古老……。あなたは正座師匠の万古老になっていたのね」
「え、ああ、何百年も無精していると、自分がどんなカタチか忘れていた」
 青年は頭をかいた。
「でも、私のことは覚えていてくれたのね」
「目の前で、極悪な龍に捕えられたんじゃ、放っておくわけにいくまい」
「嬉しい!」
 まゆらは、万古老の首すじに抱きついた。
 辺りはすでに小雨になっている。
「ピーちゃん、いったい、どうなってるの?」
 榊原夫人が、息を切らせてやってきた。
「元、恋人同士が復活したみたいだよ。復活組は、お見合い成功のカップルにはカウントされないのかな?」
「いえ、大歓迎よ!」

「正座で縁結び特急」は、無事に元の駅に帰ってきた。
 出迎えた百世と流転は、事情を聞いて、あんぐりした口がふさがらなかった。
「万古老と孔雀明王さまが、元カップルだったって?」
「万古老が、まゆらちゃんのファーストキスの相手だった?」
「で、復活したの?」
 万古老は、元の長いあごヒゲの老人の姿に戻って笑っている。
「フォッフォッフォッ」
 まゆらの方は頬を赤く染めて背後に隠れていた。
 ピーちゃんがビリジャンの翼をすくめて、
「万古老は、何もかも承知でまゆらちゃんの危機を察知して、守るために正座特急に乗り、銀華に接近したふりをしていたんだって」
「じゃあ、苦労して万古老の身支度したあたいたちも、騙されたんだね」
 百世が、流転に気の抜けた声でぼやいた。
 その後ろで、住職が肩を落とし、
「な~んだ。結局、ダシにされたのはワシひとりだったのか」
「私も似たようなものですわ。何にも知らなかったんですから。ま、今回の縁結び正座特急で三組はカップル成立して、仲人シュミの腕のお株は上がりましたけど」
 ピーちゃんのつやつやした背中を撫でながら榊原夫人が言った。
「ご住職とピーちゃんのために、『縁結び正座特急第二号』の計画を立ててあげますから、そんなにがっかりしないでね」
「え? いやいや、けっこうですぅ~~!」
 ピーちゃんはすごすごと山寺への道を急ぐ。その後を、まゆらが孔雀明王の威厳を取り戻して追う。
「あれ? まゆらちゃんは、万古老とやり直すんじゃないの?」
「何を言ってるの。万古老は数ある過去の男性のひとりにすぎないわ。私の努めはピーちゃんの背中で正座して、お堂に鎮座してることよ!」
「さすが、まゆらちゃん!」
 ピーちゃんの黄金の瞳が輝いた。
(ん? ピーちゃんの背中で正座……)
 まゆらの足が止まった。
(……ってことは、お弟子たちに習う何百年も前に、あの方に正座の所作を習っていたんだわ! すっかり忘れてた!)
「まゆらちゃん、どうしたの、置いてっちゃうよ!」
 まゆらは我に返って孔雀を追った。


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