[368]打出の小槌(こづち)の中で正座
タイトル:打出の小槌(こづち)の中で正座
掲載日:2025/07/19
著者:海道 遠
イラスト:鬼倉 みのり
あらすじ:
高校生の問題児、歴太は勉強を嫌がって、ライバルの風丸とケンカなどやらかしている。母親がお行儀のために正座の特訓をしてくれる作法子さんをつけていた。
ある日、お稽古を始めようとすると、急に部屋が大きく揺れ、歴太は気を失う。目が覚めるとキンキラキンの豪邸で、麗子という美人、味美子という料理得意な子、マッサージの上手い世話子という三人のメイドが待ち構えていた。まるで酒池肉林の世界に紛れこんで、歴太はうきうき過ごす。
本文
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第一章 地震
「はい、背筋をまっすぐ。膝をついて、あなたは男の子だけど、スカートの場合はスカートに手を添えながら、お尻の下に敷き、かかとの上に座る。両手は膝の上にそろえます」
「あ~~~! もう、順番は分かってるって! 何度やれば気がすむんだよ!」
歴太(れきた)はわめいて、長い足を投げ出した。
「一日でもサボると、きれいに正座ができなくなります」
正座を指導していた作法子(さほこ)さんが、和服姿でぴしりと正座したまま答えた。
歴太は高校二年生。問題ばかり起こしている勉強嫌いなので、困った両親が行儀作法の先生、作法子さんを雇った。彼女は住みこみで歴太の生活全般を監視している。
歴太は年がら年じゅう、
「美人の彼女がほしい、料理のうまい彼女がほしい、世話好きな彼女がほしい」
などと、勝手なことを言って、隙があれば、作法子さんから逃げようとしていた。
「今日は放課後、神社に行かなきゃ、風丸(かざまる)のやつと決闘の約束があるんだよ」
「決闘ですって、とんでもないですわ。どこにも行かないで正座のお稽古をみっちりしてもらいます!」
作法子さんも負けてはいない。いつも和服姿で一見おしとやかだが、やんちゃな歴太を上手に押さえこんでいる。
「だって、あいつと決闘しないとボスの座を奪われてしまうんだ」
「なんと言ってもダメです」
厳しく言われるたび、歴太は苦虫をつぶしたような顔になり、諦めるのだった。
今日も午前中からお行儀一連のお稽古だ。正座は特に厳しい。
「はい、背筋をまっすぐにして立って」
正座を始めようとした時だった。ケータイの警報が鳴り響いた。
地なりのような低く恐ろしい唸りが聞こえてきて、家全体が揺れだした。
「うわ、なんだ、これ」
「歴太さん、地震ですよ! 頭を隠して!」
「大きいぞ、これは」
家財道具が倒れ、天井から何かがバラバラと降ってきた。恐ろしく揺れて、まっすぐ立っていられない。
「親父~~、お袋~~、大丈夫かあ?」
やっとそれだけ叫び、歴太は揺れの中で気を失ってしまった。
第二章 ここはどこだ?
歴太は、霧の中から出たように目を覚ました。
「んん……? いったいどうなっちまったんだ? 身体の上に何か乗っかってるぞ……」
「歴太さん、今、取りのぞいてさしあげますからねっ」
作法子さんの力強い声が聞こえた。
ほどなく、歴太の身体に乗っかっていた大きなものが取り除かれて、作法子さんの底力で一回転して床にドシーン! とひっくり返された。それは豪華なソファだった。
「なんだ、これ。うちのソファじゃないぞ。それに和室にいたよな、俺たち」
「ええ。ここは……歴太さんのおうちではなさそうですわ」
ふたりがぐるりを見回すと、見たこともない洋風の豪邸だ。大理石の床と柱。大理石の大テーブル。置物や絵画もキンキラキンで眩しい。
「いったい、ここはどこだ?」
「地震の影響でどこかへ飛ばされてしまったんでしょうか?」
「まさか」
ふたりが呆然と立っていると、ぞろぞろとメイド姿の三人の女の子がやってきた。
「麗子で~~す」
ロングの巻き毛ヘア、つけまつ毛もばっちり、お色気たっぷりな女の子だ。
「歴太さん、今日から宜しくね!」
ふたり目は、テーブルの上にずらりと料理を並べて待っていた。
和食、洋食、中華、見たことのない料理も並んでいる。
「味美子(みみこ)です。これ、全部、歴太さんのために私が作りましたの! 何でも食べたいものをおっしゃって下さいね! 和風、中華、西洋料理、エスニック、珍味以外にも、世界中の古代の料理や中世の料理など、いろいろ出来ますから! あ、スイーツも、おはぎやお団子、ようかんから、ケーキ、スイートポテトなど他、いろいろおっしゃってください!」
歴太は料理を見て、ゴクンとツバを飲みこんだ。
もうひとりは、
「お身の周りのお世話をさせていただく世話子(せわこ)です。なんなりとご用事を申しつけて下さいね。お料理の食べ過ぎで、もし太られても、ダイエットのための体操もご指導しますし、マッサージでも遊び相手でも何でもさせていただきますわ」
にっこりした。
歴太は思わずほっぺをつねった。
「まるで酒池肉林(しゅちにくりん)じゃないか。あ、酒は無いけど。三人とも、なんで俺のこと知ってんの? ここはどこなの?」
「宜しくお願いしまあす!」
歴太の質問には答えず、三人の女の子はそろって頭を下げた。
作法子さんの手が、バシン! と歴太のお尻を叩いた。
「いてっ!」
「どんな環境にいても、正座のお稽古は毎日、していただきますよ!
こうなったら、この三人の女の子にも正座を教えねばなりませんわ」
第三章 夢のような生活
歴太が夢見ていた生活が始まった。
学校へ行かなくていい。成績のことでガミガミ言われない。
可愛い女の子がいて、しょっちゅうベタベタできる。
美味しい料理の数々が好きなだけ食べられる。
身体が疲れたら、マッサージしてもらえる。ジムの装備も万全で、気持ちよく汗が流せる。
好きなだけゲームができる。
友達がいないのだけが物足りないけど、ぜいたくは言えない。
まるで夢のような生活だ。
――作法子さんの正座の特訓は別だが。
正座を含めたお作法は、毎日続けられた。三人の女の子、麗子、味美子、世話子にも、厳しく正座が教えこまれた。
「はい、麗子さん、味美子さん、世話子さん、正座のお稽古をします。まず背すじをまっすぐ伸ばして立って。膝をつきます。そしてスカートを丁寧にお尻の下に敷いて、かかとの上に座ります。両手は膝の上に軽くおいて。今度から、歴太さんの前に座る時はいつもこの姿勢で」
「え~~、いつもこんな仰々しい(ぎょうぎょうしい)座り方するの? オバサ~ン」
三人の女の子は唇をとんがらかせたが、作法子さんの指導は厳しい。
麗子はお稽古を繰り返すうち、汗でファンデーションやつけまつ毛が落ちてしまうこと、しょっちゅうだし、味美子は任務がら、ぽっちゃりしているので、膝がうまく曲げられずに何度もひっくり返った。
「ふう、三人の中で、まともな正座ができるのは、世話子さんくらいね」
作法子さん自身も、額に汗しながら特訓を続けた。
正座のお稽古以外は歴太にとって、楽しい毎日だ。
あまりの極楽気分に、ここはどこかということなど気にならなくなった。
ある日、また地震が起きた。豪邸の中のインテリアはぐちゃぐちゃになってしまう。
「あ~~あ。ソファも椅子もタンスも本棚も倒れてしまった」
すると、どこからか日本のお寺の鐘の音がゴ~ン、ゴ~ンと聞こえてきて、地震は治まる。
「どうやら、お寺の鐘の音とここが揺れることとは、何か関係あるみたいだな」
地震のせいで豪邸の壁が少しヒビ割れてしまった。
ひび割れから、作法子がそっと外を覗いてみる。
「ど、どうしたの、作法子さん、ケガはないかい?」
「歴太さん。このひび割れを覗いてみてください」
「え?」
言われるままに覗いてみた。覚えのある緑の土の混じった壁だ。
「どこかで見た壁だ」
「おうちのお座敷の床の間ではありませんか?」
「ああ、そういえば!」
歴太が幼い頃から見慣れた座敷の壁の色だ。
「じゃ、俺たちはお座敷の壁際にいるってこと?」
「そうですね。もしかして、ここは打出の小槌の中では?」
「はあ~~?」
歴太は耳を疑った。
確かに歴太の家の座敷の床の間には、昔から立派な「打出の小槌」というものが飾られてあり、それを振るとどんな願いでも叶うと言い伝えられていた。カタチはポッチャリめの和風ハンマーとでも言おうか。
ある日、父さんがそれを振って願い事を唱えた。
父さんの事業はうまくいき、母さんの習っている書道が入選した。
歴太もひどい成績ではありながら、どうにか高校には合格できた。
「思い出した! 打出の小槌はお寺の鐘の音に弱いんだ! 振って出した品物は消えてしまい、小槌の能力も二度と使えなくなるって、祖父ちゃんが、ひい祖父ちゃんから聞いたって言ってた!」
「まあ、そうなのね?」
「作法子さん。確かに打出の小槌はうちにあるよ。だが、なんでここが打出の小槌の中だってことになるんだい?」
「反対側のひび割れからも覗いてみましょう」
部屋の反対側のひび割れから覗くと、座敷でゆっくりお茶を飲んでいる両親の姿が見えた。
「歴太は、最近、姿を見ないがどうしている?」
父親が言った。
「さあ、友達の家へでも泊まりに行ってるんでしょう」
「騒ぎを起こしおって。気をもんでる最中に」
「あなた、放っておくのが一番です。騒がしくなくていいですわ」
母親がお茶をゆっくり味わって答えた。
「おおい! 親父、お袋! 俺はここだってば! 床の間の打出の小槌の中だってば! 気づいてくれよ! 騒ぎを起こしたってどういうことだ?」
歴太は大声で叫んだが、ふたりは気づかない。
「どうやら聞こえないようですね」
作法子さんが冷静に答える。
「作法子さん、どうしてそんなに『打出の小槌』に詳しいんだい?」
「それは『打出の小槌』と、私の生き甲斐『正座』とが密接な繋がりにあるからです」
「どんな?」
「打出の小槌は、完璧に正座できる者、言い換えるとお行儀の良い者しか持ってはいけないという決まりがあるんです。だから、一寸法師の鬼も、桃太郎の鬼も素行が荒かったので、手放す破目になりましたが、大黒様はお行儀よい神様なので俵の上に立っていても許されます」
「で、俺とその話はどういう関係があるんだい?」
「歴太さんは、お行儀が良いとは言えませんでした。ご両親が困って私を呼ばれたのですから。打出の小槌は、あなたに罰を与えるために、中に閉じ込めたのではないかと思います」
「夢のような生活だと思ったのに、罰だって~~?」
第四章 脱出したい
歴太は恐怖をおぼえた。
(このまま極楽にいては、打出の小槌の外の世界から忘れられてしまう……。そりゃ、まずいよな)
(せっかく願いが叶った酒池肉林だが、絶対に脱出してやる)
ケータイで両親や友達にメールを送ったが、すべてエラーになってしまう。次は手紙作戦にした。たくさん手紙を書いて、壁の隙間から外へ落としてみたが、家政婦さんが、すべて掃除機で吸いこんで、クズ籠へ捨ててしまった。
(ダメか―――。待てよ)
(打出の小槌から出る方法は、作法子さんが知っているんじゃないだろうか)
思えば、作法子さんは謎の女性で、何歳でどこの出身なのか、どうしてお作法ができるのか、まったく知らないことばかりだ。
母親がどこから雇ったのかも判らないが、今は両親に連絡のとりようがない。
こうなったら、カンペキすぎる正座をマスターして、内側から打出の小槌に頼むまでだ。
作法子に頼んでいつもより厳しい稽古をしてもらった。
何日も頑張って、細かい所作にいたるまで文句のない正座ができるようになり、屋敷の天井を仰いでから土下座し、
「どうか俺を外の世界に出してください」
頼みこんだ。だが、様子は何も変わらない。
「うう、ダメか。作法子さん、どうしたらいいんだろう。何か方法を知ってるんだろう。こんな中で、ミニサイズの身体のまんま、一生を過ごすなんていやだよ」
「外の誰かに連絡して、打出の小槌を振ってもらうしかありませんわね」
作法子さんは言った。
ある日、地震で崩れた隙間から見える景色が変わった。
外の風景が見える。そこは歴太の高校だった。骨董もの好きな校長が、打出の小槌を見たいと、歴太の両親に頼みこんだらしい。
外の会話はすべて聞こえる。
校長が打出の小槌を手にとって見ているらしく、歴太のいる屋敷はひどく揺れている。
「素晴らしい打出の小槌ですな」
「はい。何代もの先祖から伝わる家宝です。木目がそのままで地味ではありますが」
親父が校長と話している。
「いやいや、艶が素晴らしいですよ。描かれている吉祥模様(きっしょうもよう)も鮮やかな色ですね。この度は見せていただきありがとうございます」
「どういたしまして。気にいっていただけましたら、置いて帰ります。その代わり、この度、息子がご子息に負わせたお怪我の件はご内密にしていただけませんでしょうか。進学にも影響があるでしょうし」
「そ、そのようなことは」
「お願いします。置いて帰らせて下さい」
歴太はびっくりした。
「校長の息子に怪我を負わせた? 何のことだ?」
「歴太さん、風丸さんは校長の息子さんですよ」
作法子さんが言った。
「か、風丸が校長の息子? そういえば、そうだった!」
「田中風丸さんです。ま、田中という苗字は多いですからね」
「じゃあ、先日のいざこざで足に怪我させた件か。それを、親父は打出の小槌を差し出してチャラにしようとしてるのか」
「我が子可愛さのあまりですわね」
作法子さんは、やれやれと肩をすくめた。
第五章 打出の小槌の行方
というわけで、校長室に置かれた打出の小槌。
校長は、歴太の父からもらったことをお首にも出さず、やってくる客に自慢している。
「まばゆいばかりに美しい打出の小槌ですな」
客も褒めそやしている。
「いかがでしょう。譲っていただくわけには」
客がとんでもないことを言いだした。
「いやいや、これはそう簡単に手放すわけには。いくら御倉(みくら)さんといっても」
「御倉さん?」
歴太が客の名前を小耳にはさんで、客をよく見てみた。
「学校に一番寄付金するPTA会長だ! 間違いない! 何かやらかして揉めるたび、うちに来るから顔は知っている」
「PTA会長?」
「ああ、すげえ金持ちだ」
校長に断られても諦める気がないらしく、
「これくらいでは、お譲りいただけませんかな?」
代金を示した。ケタはずれの値段だったらしく、首を横に振っていた校長もたじろいだ。
「この打出の小槌にそんな金額を! あちこち痛んでいますのに」
「その痛み具合が風流でいいのですよ。ぜひ、お譲りいただけませんか」
校長はしばらく考えてから、
「申し訳ありませんが、会長、こればかりはお許しください。大変、気に入りましたので」
校長はどうにか断り通したが、校長室に置いておくのは目立つと考えた。
小槌の中の歴太は、どうなるのか気が気でなかった。やがて、車で校長の家に連れていかれるのが分かった。
「作法子さん、どうなるんだろう、俺たち」
「歴太さん、気をしっかり持ってらっしゃい」
風丸の家では、風丸が家庭教師にしごかれていた。
急に立ち上がり、家庭教師に叫んだ。
「あ~~、もう、勉強なんてやだ! 俺は車の整備士になりたいんだ! 難しい大学なんて行く気はない!」
「お父様はあなたに学校を継がせるおつもりです。しっかり勉強して志望大学に入らなければ!」
家庭教師の男が叫んでいる。
(あいつも、勉強がイヤでうっぷんが溜まってたんだな)
「歴太さん、いい考えがありますわ」
作法子さんが言い出した。
「風丸さんに、打出の小槌を振ってもらうんですよ」
「ええっ、あいつに? 簡単にいうこときかないぞ」
「取引するんですよ」
作法子さんは、にやりと笑った。
第六章 風丸との再会
「なんだ? 親父、また変な骨董品を買ったんだな」
テーブルの上に置いてある打出の小槌に風丸が近づいてきた。
そこで、歴太は叫んだ。
「おう、風丸、しばらくだな」
「? ……?……?」
風丸は、どこから声が聞こえたか分からず、辺りをきょろきょろ見回している。
「だ、誰か、呼んだか?」
「俺だよ、歴太だよ」
「れ、歴太? どこにいるんだよ。声だけでどこにいるか、わかりゃしない」
「ここだよ、ここ。今、お前が持ってる打出の小槌の中だよ」
「えっ!」
風丸は、金髪の前髪をかきあげて、打出の小槌を回転させながら、まじまじと見た。
五ミリくらいのひび割れの中に、何かがうごめいているのが分かった。よおく見ると、小さくなったライバルがいるのが見えた。
「ひぇっ」
びっくりした風丸は小槌を放り出した。
小槌は床に転がり、中では大地震なみにひどいことになった。
「何をする! 頭も全身もあちこちで打っちまったじゃないか」
歴太がわめくと、風丸は小槌をおそるおそる持ち上げ、もう一度、ひび割れの中を覗きこんだ。
「わっ、本当にお前、歴太だ! どうしてこんなチビになって、こんな中にいるんだよ」
「やっと見つけてくれたな。風丸。俺にもさっぱりわけがわからないんだよ。急に地震の後、気がつくとこの中に閉じ込められていたんだ」
「それで決闘に来られなかったのか」
作法子さんが、急いで歴太のシャツの裾をくいくい、と引っぱった。
「今こそ、風丸くんに丁寧~~に正座して、土下座するんですよ、『僕たちが外に出られるように願って、打出の小槌を振ってください』って!」
「ええ、風丸に土下座してお願いするだって? やなこった、そんなの」
「何、言ってるの、千載一遇のチャンスですよ。このまま小槌から出られなくなってもいいんですかっ」
「あ、まあ、そりゃ、そうだな。しっかし、癪に障る(しゃくにさわる)な~~。風丸に正座して頭を下げるなんて」
「そんなこと言ってる場合じゃありません! プライドも何もかも捨ててもらいます!」
「あの色っぽい麗子ちゃん、美味しい料理をたっぷり作ってくれる味美子ちゃん、とろけるようなマッサージしてくれる世話子ちゃんともお別れか?」
「煩悩も、きっぱり捨ててもらいます!」
作法子さんの眼は真剣だ。
「はい、正座の復習をお稽古しなさい」
「正座の?」
「ええ、今、ここで。まっすぐ背すじを伸ばして。しっかり膝をつき、かかとの上に座る。さあ、やってみて。あなたの正座とお願いの仕方によって運命が決まるんですよ!」
仕方なく、歴太は正座のおさらいをした。
「風丸さん、風丸さん、私のことご存じよね? 歴太さんの教育係の作法子です」
作法子さんが呼びかけると、風丸は、ひび割れを覗いてびっくりした。
「歴太だけじゃなく、あんたまでその中に?」
「はい、お願いがあるんですが」
「この打出の小槌を振ってください。『私たちが出られるように』とお願いしながら」
「俺が?」
「ここから出してくださったら、勉強しなくても志望校に合格するように願って、打出の小槌を振ってさしあげますから。それと、この中には超美人とお料理上手な人と、お世話好きのメイドさんがいらっしゃいます。好きなだけ滞在なすっては?」
「本当か、それは! 効き目があるのか?」
風丸は作法子の話に身を乗り出した。
「はい、それはもう。ほら、歴太さんもこのとおりですから」
作法子が素早く合図し、歴太は、念を入れて丁寧に風丸に向かって正座し、深々と頭を下げた。
「どうか、小槌を振って俺たちを外へ出してください」
「お願いします、風丸さん」
「ふ~~む、そこまでお願いされたんじゃな」
その時、風丸の背後を、父親が僧衣を着て通りすぎた。
「時間だから、行ってくる」
「ああ」
風丸が生返事を返した時、小槌の中の歴太が悲鳴をあげた。
「ああ~~~、いかん!」
「どうしたの?」
「もうすぐ夕方の六時だ! 寺の鐘が鳴らされるんだよ。風丸の家は寺なんだよ! 高校は仏教系なんだ」
「それは大変だわ!」
打出の小槌が振られている間に鐘が鳴らされれば、願いはいっさい聞き入れられなくなる可能性がある! 歴太は悪い予感がした。
「それなら親父が鐘を突き終わるまで待った方がいいな」
風丸もうなずいた。
第七章 鐘つき
風丸の父親の住職は、鐘つき堂に昇り、鐘についた綱を持ったところだった。ひとつ目の鐘が鳴らされる。
ゴオォォォン!
風丸が打出の小槌を振り上げたところだったからギリギリセーフだ。
「あああっ」
いきなり住職が、腰を押さえて鐘を打ったカタチのまま固まる。
「どうしたんだ、親父!」
窓を開けて風丸が大声できくと、
「ギ……ギ……ギックリ腰……」
「ぎっくり腰だってえ」
駆けつけた風丸がふたつ目の鐘をつく。
ゴオォォォォォん!
そのとたんに、
「へっくしょん、へっくしょん!」
風丸の花粉症が発作を起こし、くしゃみが止まらない。力が入らなくなる。
しばらく鐘は止まる。
住職の奥さんが、救急車に電話してから、ピンチヒッターとなり、三つ目の鐘をつく。
ゴオォォォォン!
ご近所の奥さんが犬連れでやってきて、住職の奥さんとおしゃべりを始める。
「あら。花ちゃん、素敵なお洋服着せてもらって。可愛いわね!」
「ほほほ。私の手作りなんですの。花ちゃんもトリミングに連れて行ってきましたのよ」
「まあ、それでお洋服が映えるのね! 良かったわね、花ちゃん」
ミニプードルの花ちゃんが、住職の奥さんの膝に昇ってホッペをぺろぺろした。
「ご住職、大丈夫? 救急車呼んだ? そういえばこの前もギックリ腰になられたわね」
花ちゃんが住職の奥さんに喜んでまとわりつき、なかなか鐘がつけないが、どうにか四つ目の鐘をつく。
住職のためにやってきた救急車が到着して、野次馬が見物に来た。
「君、鐘をついてくれんかね」
住職が痛みに耐えながら頼んだので、救急隊員が仕方なく綱をつかんで、五つ目の鐘をつく。
ゴオォォォォン!
クシャミの治まった風丸が六つ目の鐘をつく。
ようやく鐘をつき終わったので、風丸が安心して打出の小槌を振り始めようとした。
そこへ小槌の中から作法子さんが叫ぶ!
「小槌を振る人間は、ちゃんと正座しなくちゃダメよ!」
「せ、正座?」
「ええ、風丸さん、私が指導しますから、正座の手順を覚えて」
「あ、ああ」
小槌の中から声だけの指導に、作法子も風丸も手間取る。
作法子さんが大声で説明して、風丸はやっと深夜になって正座をマスターする。
「やったあ! きれいな正座だぜ、風丸!」
思わず歴太は拍手を送った。
第八章 正座で小槌ふる
ついに夜中に、打出の小槌が振られることになった。
風丸は作法子さんから習ったとおり、背筋をまっすぐにし、膝を床につき、お尻の下に敷いた。そして、かかとの上に静かに座った。ようやく小槌を持ち上げる。
「どうか、歴太と作法子さんを小槌から出してください」
振りながら、三度くらい唱えただろうか。
いきなり原寸大の歴太と作法子さんが風丸の近くに現れて尻もちをついた。
「わ~~! びっくりした! 歴太! 作法子さん!」
ふたりは顔を見合わせた。
「歴太さん!」
「作法子さん! 出れた! 小槌の中から出れたぞ!」
「ええ、風丸さんのおかげね!」
「あんたら、本当に小槌の中に入ってたのか……」
風丸は呆然としていた。
「そうなんだ! どういうわけか、突然に入ってしまったんだよ」
「で、その中は極楽だったんだろ」
「ま、まあな」
「歴太、照れてないで、早く俺もその中へ行けるよう、打出の小槌を振ってお願いしてくれ!」
「そうだったな」
今度は歴太が正座して、打出の小槌を構えた。
「どうか、風丸を打出小槌の中へ入れてやってください」
そっと持ち上げ、しゃんしゃんと振った。
……
目の前にいた風丸がふといなくなった。
次の瞬間、小槌のひび割れから覗くと、小さくなった風丸が三人の侍女に囲まれて鼻の下を伸ばしているのが見えた。
第九章 作法子さんの夫
「いくら美女とうまいもんと世話係がいたって、あんな狭い世界はごめんだよ」
自分の部屋で大の字になって、歴太は思いきりのびのびした。
「歴太さん、いいですか」
襖の外から作法子さんの声がした。彼女は入ってくると、歴太の枕元に改まって正座した。
「歴太さん、そろそろ私、おいとまする時が来たようです」
「おいとま? ここをやめるってこと?」
「はい。歴太さんは立派な正座がおできになれますからね。もう私がお教えすることは何もありません」
「そりゃまた急な話だな」
歴太は起き上がって正座した。
「実は、夫が遠方へ赴任することになり、迎えに来たのです」
「夫? 作法子さん、結婚してたの?」
とても意外だった。作法子さんは人妻というにはあまりにも浮世離れした神秘的な女性だったからだ。
「夫が歴太さんにお礼を申し上げたいと言っております。会ってやってください」
言い終える前に、彼女は庭への障子を開け放った。
すっかり夜だが、満月で昼のように明るい。庭に、ひとりの偉丈夫が立っていた。見慣れない白い着物だか洋服だか区別のつかないものを着ている。耳の横には団子のような髪を結っている。
「夫の大国主命(おおくにぬしのみこと)でございます」
「大国主命って、因幡の白うさぎの伝説の?」
「そうです」
「どうして大国主命なんだ? 打出の小槌と何か関係あるなら大黒さまじゃなかったっけ?」
歴太がもらすと、
「大国主命は、別名、大黒さまともいうのですよ」
月光に照らされた男は、にっこり笑った。
「ええ~~? そうだったの?」
「ええ。そして私は妻の三穂津姫(みほつひめ)」
作法子さんは、いつの間にか天平時代みたいな着物を着て、領巾(ひれ)を袖から垂らし、庭の白砂の上に立っていた。
「妻だって? 大国主命の!」
「はい。私はあなたの教育係というよりは、この家の打出の小槌の番人としてやってきたのです」
作法子さんが袖から、金箔を張ってすっかり美しくなった打出の小槌を取り出した。
「取り返してきましたよ。風丸さんには出てもらって」
「風丸くんには申し訳なかったが、これは私の大切なものでね」
大国主命が涼やかな声で言った。
「歴太くん、打出の小槌の効力はどうだったね?」
「はあ。すごいです。願っていたものが全部そろっていて。でも、二、三日で飽きました。願い事が叶うって退屈なことですね」
「そこまで理解したとは聡明だな、歴太くん」
大国主命はゆったりと微笑み、
「願い事を言い、小槌を振ったら思い通りなんて、簡単すぎてつまらないことだ。自分で汗水垂らして得たものは飽きたりしないだろう」
「はあ」
「打出の小槌は夢のように消え失せるものしか出せない。それを人間に分かってもらうためのものだ。しかし、君は妻に毎日鍛えられたせいで『美しい正座』は身についただろう」
「はあ、おかげさまで、それはしっかり」
「ふむ。それは君が苦労して稽古したせいだ」
自分で苦労して身に着けたものは、簡単には消え失せない。歴太は実感した。
「なるほど、いいことを教えてもらったぜ」
「では、そろそろ失礼します。妻がお世話になりました」
「もう行っちゃうのか? 遠くか?」
「天界ですので、かなり遠いですが……。またお会いすることもあるでしょう」
作法子さんだった三穂津姫が鈴のような声で答えた。
メガネをかけた無表情に近い着物美人だったが、神代の時代の着物のせいで天女のように見える。
腕の中には、金箔の張られた打出の小槌が抱えられている。
おまけに迎えにきた大国主の命がとてつもなく「いい男」だ。
(くそ~~、なぜか悔しいぞ)
ふたりは、満月に照らされて林の奥へ去っていく。
(俺は、いっそのこと打出の小槌になりたくなった!)
(作法子さんの腕に抱っこされるもんな)
歴太のわがままは、治っていないようだ。