[414]お江戸正座41
タイトル:お江戸正座41
掲載日:2026/05/20
シリーズ名:お江戸正座シリーズ
シリーズ番号:41
著者:虹海 美野
あらすじ:
文三は諏訪理田屋の支店の主である。
戯作者の娘であるおふみと一緒になり、五つのおとみ、三つのおとく、一つのおとねの三人の娘がおり、幸せな毎日である。
文三は娘が皆、おふみに似てかわいらしいことが嬉しかったが、それを聞くおふみはやや暗い表情をする。
そんな折、諏訪理田屋を商う、文三の兄、文太と、文二との三家族で集まることになった。
おふみは娘三人のしつけに気が立っている様子である。文三がその訳を聞くと……。
本文
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1
文三は、夢を見ていた。
家の外で文三は遊んでいる。
まだ、かなり幼い。
そうして、兄の文太に文二がいる。
途中で厠(お手洗い)に行きたい、と文三は文太に訴える。
訴えられた文太とて、まだ手習いに行く前くらいの年齢ではなかろうか。文太自身が、厠に行きたいと訴え、連れて行ってもらってもいいくらいだと今ならわかる。
兎に角、文三は厠に行きたかった。
文太は「なんでさっき行っておかなかったんだ」と親みたいなことを言う。
そんなことを言っても、もう遅い。
今、文三は厠に行きたい。
「文二、文三が厠に行くから、一旦家に戻ろう」と、文太が言う。
「いやだ」と、文二が言う。
我が兄ながら、協調性がないやつだ、と思うが、そもそも『厠に行っておけ』と言われて、『出ない』と言い張ったのは自分である。
文太は「行こう」と、文二に言い、文三の手を引き、母屋に急ぐ。
下駄を脱ぎ、「ここに糊(のり)があるから気をつけろよ」と、文太が言う。障子の張替えをするところで、糊が廊下に置いてあったのだ。
気をつけろ、と言われた時、文三の足は糊の中にあった。
「ああ、もう!」と文太が言うのと同時に、文三は何かを思う前に、わっと泣き出した。
「泣きたいのはこっちだよ」と文太はつぶやきながら、しかし、文三を見捨てず、本人もまだ小さい体ながらに文三を抱え、厠まで行った。
やれやれ、と思ったところで目が覚めた。
まだ、外は日が昇っていない。
寝相の悪い末娘のおとねの足が、文三の腹に乗っていた。
そっとおとねの足をどかし、布団をかける。
その隣に、やはり寝相の悪い次女のおとく、長女のおとみが、枕とは逆の方向に頭を向けて眠っている。こっちもそれぞれに布団をかける。
一番端に妻のおふみが眠っている。
ようやく末子のおとねも夜すぐに寝るようになり、夜泣きもなくなったから、おふみの負担も減ったようで、文三は安堵している。たまに、あまりにおふみが大変そうで、おふみが「旦那さまは寝てください」と言っても、「なあに、少しだけ変わろう」と言い、おとねを抱き上げ、背を優しく叩き、眠るまで縁側で空を見ていたこともあった。
つい最近といえば最近だが、昔といえば、昔である。
そうそう、厠だ、厠に行こうと思っていたのだ、と、文三はそっと障子を開け、厠へ向かう。
昔住んでいた実家のように長い廊下の先に厠があるわけではないので、それは便利な点だと思う。
春が始まろうとしている今の時期は、空気がひんやりしているが、それも心地よく感じられる。
文三は、厠から戻ると、縁側に座り、空を見た。
背筋を伸ばし、着物を尻の下に敷き、脇はしめるか軽く開く程度、肘は垂直におろし、手は太ももの付け根と膝の間で指先同士が向かい合うように揃え、膝はつけるか握りこぶし一つ分開くくらい、足の親指同士が離れぬように正座する。
ずいぶん昔の夢を見たなあ、と文三は夢を思い出す。
夢で見た、文三が厠へ行きたいと言い、その時に糊に足を入れてしまったのは、実際にあったことである。といっても、文三は全く覚えていない。後で恨み半分、長兄の文太に聞かされた話だ。『あの時は、私だけが大変で、糊に足を突っ込んだ文三を私は抱えて厠まで連れて行ったっていうのに、大人はみんな文三の足を洗ったり、着替えさせたりしているし、文二は文二で『もっと遊びたかった』だとか不機嫌でいるもんだから、お菓子なんかもらってね。本当に私は損な役回りだと思ったよ』とこぼしていた。
何をそんな昔のことを、と思った。
だが、こんなふうに思い出すのは、それなりに心に残った話だったからだろう。
今、文三には、五つのおとみ、三つのおとく、一つになったおとねの三人の娘がいる。
ちょうど、文太、文二、文三くらいの年の差である。
文三の家は、茶葉を扱う諏訪理田屋という店で、子は息子七人であった。文三はそこの三男で、弟が下に四人いる。
自分自身が兄弟の中で弟であり、兄であった時には意外と気づかなかったが、今、娘三人を見ていると、いろいろな心持ちになるものだ。
長女のおとみは、玩具で遊んでいる時に、使っていないものを次女のおとくが使おうとしたり、最近つかまり立ちをする三女のおとねが近寄って、ちょっと触ろうものなら、怒り出す。それで長女のおとみと次女のおとくが、どっちが先に叩いただ、そっちが意地悪を先に言っただ、叩いたからやり返しただと、始める。三女のおとねは、もうすでに自分の意志をどう伝えれば一番効果的かを心得ているのか、自分に不都合があれば、わっと大声で泣く。
見ていると、なんとなく、それぞれの気持ちというものが理解できる。
「そうか。これは、おばあちゃんに買ってもらった玩具だから、おとくにもおとねにも貸したくないのだな」と、おとみの話を聞く。
「おとみが使っていないから、これで遊んでいいと思ったんだよな。うん、おとくは、おとみの使っていたのを無理やり取ったんじゃあないものな。よくわかっているな」と、おとくの頭を撫でる。
「そうか、そうか、おとねも姉ちゃんたちに混ざりたかったんだよなあ。おとねだって、もう大きくなったんだもんなあ」と、泣いているおとねを抱き上げ、軽く揺らしながら、外を見る。
「お父ちゃん、おとみも」
「おとくも、抱っこ」
文三の裾を、娘二人が引っ張る。
「そうか、そうか。じゃあ、みんなでお父ちゃんと遊ぶか」
娘三人に囲まれ、文三は目尻を下げる。
娘はみな、妻のおふみに似て、顔が小さめで目が大きく、かわいらしい。
文三は「本当にうちの子たちは、おふみに似ているなあ」と嬉しくて、おふみに言うでもなく、独り言でそう呟く。
「お母ちゃんに似てる?」と、おとみが訊く。
「ああ、よく似ているよ」と、文三が答える。
そういう時、なぜか、おふみはちょっと目を伏せるのである。
それが少々、文三には気にかかっていた。
2
この頃、陽気もいいし、ということで、本店諏訪理田屋、陶器店諏訪理田屋、そうして支店諏訪理田屋、つまり、諏訪理田屋の兄弟の上三人が集まろうということになった。いつもなら、お商売の後に、兄弟の上三人のみでお商売のことを話しながら飲んで、それぞれの家へ帰っていた。だが今回は、ちょうど花見の時期だったから、どこかに行こうかという話も出た後、それなら、兄弟全員がよかろう、今回は本家の庭の花を見ながら、軽く昼餉に宴をしようという話がまとまった。
この本家の宴会というところから、それなら家族も連れて来てはどうか、という案が出た。
これまで、それぞれの家に子が生まれると、祝いの品を持って短時間、訪問することはあったが、家族連れで集まるのは、初めての試みである。
それで、今度、花見なり、潮干狩りなりにいずれ、一族皆で行くのも面白いのではないか、というふうに話がまとまった。
まあ、十中八九、本家のお内儀さんが、文三のところの子もまだ小さいから、というふうに、長兄に提案してくれたのだろう。長兄の文太のお内儀さんは、本当によく気の付く人で、それぞれの家で子を授かると、子への祝いの品のほかに、子を産んだばかりの妻への反物を仕立てて持ってきてくれる。こういう時だからこそ、新しい着物を、ということらしい。
まあ、兎に角、今回は本家に諏訪理田屋を営む兄弟三人とその家族が集う。
すでに、本家では酒や、子のために食べやすいものは家で用意し、次男の文二のところは、妻のおつぎさんの実家が料理屋だから、そこでお菜を詰めてもらって来ると、準備万端である。
もう、文三の一家は行くだけでよい。
それをおふみに伝えると、おふみが「お義姉さんに気遣っていただいて。小さな子どもを連れていけば、向こうも大変でしょうに」と言う。
「なあに、向こうだって、昔は文吉もおひなも小さかったんだ。子どもの扱いは心得ているだろう。それに、そのうちみんなで行く花見だって、小さな子どもばかりになるんだ。結局、また本家でやるかも知れないんだ」
おふみが文三の実家を気遣う時に、そう軽く受け取るのが、文三の役割であると、文三は考えている。おふみも文三がそう言えば、「確かにそうだけど……」と言い淀みながらも、やや表情は明るくなる。
「では、うちからは、何かお菓子でも持って行きましょうか。文二さんのところのおつぎさんのご実家は料理屋さんで、お菜を持ってきてくださるというし、文太さんのところでもお酒や子の食べるものを用意してくださっているし。文太さんのところの文吉ちゃん、おひなちゃん、文二さんのところの瀬太郎ちゃんとおとせちゃんは、餅菓子が好きよね。あちらでいただく分と、それとは別にお土産用に箱に詰めてもらうお菓子は別のものにしましょうか」
おふみは、どこの菓子店で何をどれくらい買ったらいいかを考えている。
文三にしてみれば、ちょっと実家に寄るだけである。
そんなのに、いちいち、兄たちの子どもが何が好きかとか、ましてや、そのために菓子を買って行くなぞ、面倒で仕方がないが、おふみは言いだすときかない。
『うちだけ何も持たずに、お宅に上がり込んで、あれこれご馳走になるなんて、そんなことをしたら、文三は一体どんな嫁と一緒になったんだと、思われますよ』と、目を吊り上げるに違いない。
誰もそんなこと、思わないだろうけどね……。
内心ため息をつきつつ、文三は「そうだったな。おふみはよく気が付くな」と返す。
七人兄弟だが、上三人が集まる時には文三は末子も同然で、多分、文太も文二も、文三に何かしてもらおうとは、思っちゃあいない。その文三が妻に、幼い娘三人を連れて行っても、『おお、よく来たなあ』、『座って、座って』と迎えてくれ、おふみや娘たちに、『さあ、たくさんおあがりなさい』と言うくらいだ。
こう言ってはなんだが、その後生まれた弟四人の面倒は、文三が結構見たものだ。だから、それを差し引けば、たまの集まりの座敷だの食べ物だの、取るに足らないと文三は思う。
だが、そのあたりのことは、おふみに説明したところで、ため息をつかれるのがおちだ。
おふみは戯作者の先生のご長女で、初めて会った時から品と落ち着きを感じた。
そういうところに、文三は引かれた。
ということは、おふみの気遣いや礼儀についても引かれたということだ。
まあ、もし、おふみが『ようし、じゃあタダ飯食いにいくよ』と、幼い娘三人に言えば、娘たちも将来、どこかへ嫁いだとしても、同じことを言うかも知れぬ。
そう考えれば、おふみはできた妻だ。
ただ、少しおふみが疲れてやしないか、というのが気がかりであった。
そんなことを考えながら、店に立っていると、座敷の方から、「いい? 本家の文太伯父さんのところへお呼ばれして、おうちにお邪魔する時は、きちんとごあいさつするのよ。それと、お部屋に上がったら、背筋を伸ばして、脇はしめるか軽く開くくらい、膝はつけるか握りこぶし一つ分開く程度、手は太ももの付け根と膝の間で指先同士で向かい合うように揃えて、着物はお尻の下に敷いて、足の親指同士が離れないようにね」と教えるおふみの声がする。
「はい」と返事をする中に、末娘のおとねの声も入っていて、つい文三は頬を緩め、「あの、すみません」と、恐る恐る声をかける客に、「はい、いらっしゃい」と大声で応じた。
3
つくづく、文三は自分が呑気者だと思い知った。
本家に行くのが決まって数日後の夕餉時であった。
「だから、きちんと座っていただかないと駄目でしょう」と、おふみが、次女のおとくを叱った。
ちょっと足を崩して座っていただけである。
おふみの隣にいる三女のおとねにも、さっきから匙を使うようにと、何度も持たせ直している。おとねの使っている茶碗は、小さな子の使うもので、陶器店を営む文二がくれたものである。大方、お内儀さんのおつぎさんが気遣ってくれたものなのだろうが。
さて、好物のお菜の夕餉で嬉しかった次女のおとくは、ついつい、きちんと座ることを忘れた。
「お母ちゃんの作るごはんはおいしいねえ」と、にこにこと笑っていて、文三は、ああ、なんてかわいいんだ、と夕餉の席でなければ、駆け寄って、頬ずりしているところであった。
それこそ、おふみに叱られるだろう。
笑顔だったおとくが、俯き、涙目になる。
「もう、おとく、そんなことで泣くんじゃないよ。お母ちゃんも、せっかく楽しい夕餉に、そんなに怒らなくたっていいじゃない」と、長女のおとみが、大人びた口調で言う。
ああ、まだ幼いのにおとみは賢いなあ、と文三は感心する。
だが、そこで、おふみは憮然とし、黙り込んでしまった。
「ほら、食べよう。せっかくお母ちゃんが拵えてくれた夕餉なんだ」と、文三は娘たちに言い、どうにか夕餉を終えた。
だが、おふみは膳を前に座ったままである。
文三は末子のおとねを背負い、膳を下げ、先に床を延べておとみとおとくに寝るように言い、膳を片付けた。
その間に文三の背で眠ったおとねをそっと布団に寝かせる。
やれやれ、どうしたものか、と文三は、おふみの前に座った。
「どうしたんだい? 具合でも悪いのか?」
「いいえ」とおふみは首を横に振る。
そうして、顔をよくよく見れば、泣いているではないか。
「やはり、具合が悪いんじゃあないか?」
「違う、違います」とおふみは首を横に振る。
文三はその隣に座った。
おふみはこんな時でも、背筋を伸ばし、着物を尻の下に敷き、脇を閉め、肘は垂直におろし、膝はつけるか握りこぶし一つ分開くくらい、手は太ももの付け根と膝の間で指先同士が向き合うように揃え、親指同士が離れぬように正座している。
「まあ、おふみが全てをきちんとしたいのも、子どもに教えるのも、おふみの真面目な性格からだ。何も気に病むことはないよ」
文三は、静かに言った。
やはり、男の子だけの家で育った文三と、女の子だけの家で育ったおふみは、子育てや親としての姿勢が少し違うのだろうか。
そう思っていると、「そうじゃあないんです」と、おふみは小さく言った。
「では、なんだ?」と文三は首を傾げる。
「うちのおとみ、おとく、おとねはとてもかわいいです」
「ああ、知っている。もちろんだ」と文三は大きく頷く。
「だから、そうじゃあないんですって」とおふみが文三を睨む。
「やや、じゃあ、一体なんなんだ」
はあっとおふみはため息をつく。
「うちの娘たちは、どうしてこう、我が強くて、けんかをするのでしょう」
おふみは再び大きく息をついた。
「なんだ、そんなことか?」
拍子抜けした文三が返す。
「そんなこと、ですって?」
おふみが大きな目を更に見開く。
この表情、娘たちが驚いた時にそっくりだ、と文三は思う。
「ああ、しっかりしていて、いいじゃあないか。将来有望だ」
「……なんて呑気な……」
おふみは、呆れた面持ちになる。
「呑気か? 娘たちのよいところを褒めて、呑気とはなんだ?」
「……私は」
「うん」と、文三がおふみの言葉を待つ。
「娘たちはあなたに似てほしかった」
なんだって?
仰天した文三は、「一体どのへんをだ?」と訊く。
「……あなたはもちろん知らないでしょうけれど、今あの子たちのしているけんか、私と妹の子どもの頃にそっくりなんです。私はすぐ妹に意地悪して、玩具を貸してやらないことも一度や二度じゃあありませんでした。妹もそれに負けじとやり返してましたし」
「楽しい家じゃあないか」と、文三が言うと、おふみがじろり、と文三を睨む。
「私、昔も言いましたが、あなたの弟君の文左衛門さんにも、うちで意地悪をいたしました。それを打ち明けても、あなたは私を受け入れてくださいました。その時、『こんなふうに心広い子を、いつか授かれたら』と思ったんです」
そんなことを思っていたのか!
なんと気の早い!
文三の口元が緩む。
「なんです、人が真面目に話しているっていうのに、妙な顔をなさって」
「妙な、とは、ごあいさつじゃあないか」
ふくれているおふみが面白かった。
「おふみだって、私が子どもの頃を知らないだろう?」
おふみが不思議そうに文三を見る。
「男七人の家だ。兄ちゃんとも、弟ともずいぶんけんかをしたもんだ。それこそ障子が外れたり、違い棚の置物が割れたりして、お父ちゃんに怒鳴られて、騒々しいもんだった。でも、お父ちゃんもお母ちゃんも、それが自分の性分のせいだなんて、ただの一度も考えちゃあいないだろうね。叱られはしたけど、自分のせいだと言われたことがないんだから」
おふみはまじまじと文三を見た。
「だって、そんな素振り、全く今はないじゃあありませんか。私の前でもいつも落ち着いていますよ」
「そりゃあ、大人になったし、私はおふみのように寝る時間までなくして、子どもたちの面倒を見ているわけじゃあないんだ。当たり前だろう?」
大きく文三が頷く。
それを見たおふみは、おいおいとまた泣き出した。
まるで、小さな子のようだった。
「だけど、文吉ちゃんもおひなちゃんも、瀬太郎ちゃんもおとせちゃんも、きちんとしていて、静かじゃあないですか。あれはどういうことです?」
自分の子どもの頃を打ち明けたと思ったら、今度は文三の兄の子どもたちについて挙げ始める。なんともまあ、時間の幅が広いし、気持ちの揺れも大きい。
おふみは忙しい性分だ。
そんなことを言ったって、兄の子どもたちに会ったのは、ほんの短い時間のことだ。
子が生まれた折に、お内儀さんについて来てとか、兄がうちにちょっと寄るついでに一緒に来たとか、その程度のことだ。
きちんとして、静かなのは、その時限りのことということもあるではないか。
だが、そう言っても、『うちの三人はそうはいきません』とおふみが返せば、文三も言葉に詰まる。
「うううん、それは、きっと、お内儀さんの方にでも似たんじゃあないか? 弟の文五郎と文七は物静かな方だったけど、ほかは何倍も気性が激しかったんだから。それでも子どもの頃、散々兄弟同士でやり合ったから、もう気が済んだんだろう。私も含めてね。それだけだ。おとみも、おとくも、おとねもいい子だ。おふみが面倒みてくれているんだから。ただ、まだ小さい」
おふみは小さく頷く。
文三はそこで、ふと気づいたことを口にした。
「うちの実家での集まりに行くのが気が重いなら、無理することはない。適当に理由をつけて、断ればいいんだ」
「……そんなことはないんです」と、おふみは首を横に振った。
「無理してないか?」
「ええ、そんなことを言ったら、文太さんのお内儀さんの方がずっとずっと気を遣ってくださってます。私なんて……」
「いやいや、そういう気苦労は、それこそ人と比べるものじゃあない。おふみが気が進まないならやめる。それだけだ。おふみは元々こらえ性なところがある。これ以上、何かで気疲れする必要はない。相手がどうのとか、どこへ行くとか、そういうのは関係なしにだ」
文三がおふみの目をしっかりと見て言う。
おふみは文三を見つめ返し、「本当にあなたはできたお人です」と言った。
そんなふうに言われれば、文三も悪い気はしない。
つい、へらり、としたが、いやいや、いかん、今はまだ話し合い中だ、と思い直し、「では、何が気にかかるんだ?」と尋ねる。
「ですから、あの大きなお屋敷で、うちの子どもがご迷惑をかけると思うと……。きっと、皆さん優しいですから、『大丈夫』とか、『子どもだから』と言ってくださるでしょうけど、お座敷を汚しはしないか、置物を壊してはしまわないかと……」
やれやれ、と文三はため息をつく。
「だから、あの家では息子七人が育ったんだ。さっきも言ったけどね。そんなの日常茶飯事だったから、全く心配はいらないよ」
そう言うと、おふみは、「そうですか」と小さく言い、文三が促すと、すぐに床に入り、すうすうと眠った。
文三には取るに足らないことではあったが、おふみは真剣に悩んでいたらしい。
毎日一緒にいて、文三なりにおふみを気遣っているつもりであったが、まだまだ文三の思い及ばぬことがあるようだ。
4
さて、約束の日、事前に注文しておいた餅菓子を持参し、文三一家は隣町にある諏訪理田屋本店の実家を訪ねた。
長兄の文太のところの文吉が十、おひなが七つ、文二のところの瀬太郎が七つ、おとせが三つになったところである。そうして、文三のところがおとみが五つ、おとくが三つ、おとねが一つである。
家が離れているので、通う手習いは別々だから、この先も子ども同士で毎日会うという機会はないだろうが、まあ、子どもの足でも行き来できぬ距離ではない。これから、ここに集まる従兄妹たちが、どのように関わっていくのかは、まだわからぬところではある。
母屋では宴会の準備が整っていた。
酒に、それぞれの膳には汁物にごはん、おつぎさんのご実家で用意してもらったお菜も個々の膳に盛り付けてある。子どもの膳には汁物とごはん、お菜の取り皿があり、お菜が取れるよう、皿に移したお菜が子どもたちの取れる場所に置いてある。親切なことに、おとねのために、粥まで用意してくださっていた。
そわそわと落ち着かぬ雰囲気の中、大人同士があいさつをかわし、子どもはすぐに膳の前に座った。
皆、背筋を伸ばし、着物を尻の下に敷き、脇はしめるか軽く開くくらい、肘は垂直におろし、膝はつけるか握りこぶし一つ分開くくらい、手は太ももの付け根と膝の間で指先同士が向かい合うように揃えている。
文三のところのおとみとおとくも、周囲を見て、事前におふみが教えたように、正座している。
宴会が始まり、暫くすると、おふみの隣にいたおとねが、おとみやおとくが取り皿に入れたお菜を指差し、「あれ、あれ」と言い出した。
すると、「これがほしいの?」と、文太の息子の文吉が訊いてくれ、「もう、食べられますか」とおふみに訊く。
「ええ、お豆腐なら」と答えると、文吉は取り箸でそれをおとねの皿に入れてくれた。
そうして「かわいいなあ」と目を細め、「食べるの、手伝ってもいいですか」と、おふみに訊く。
「いいけど、文吉ちゃんは食べなくていいの?」とおふみが、おずおずと訊く。
「もう、さっと食べましたから。最近、お昼のお弁当も速く食べるようになったから、慣れたんです」と言う。
文吉は、誰に似たのか、実に丁寧に、辛抱強く、そうして楽しそうにおとねの面倒を見てくれる。
おひなは、おとみとおとくに、「おままごとは好き? 玩具がたくさんあるから、後で好きなのを選んでね」と言い、おとみとおとくは目を輝かせている。
文二のところのおとせは、庭にある竹馬が気になるらしく、「後であれで遊んでもいい?」と、隣に座る文二に訊き、「ああ、好きに使いな。けがには気を付けるんだよ」と、文太が答える。
そうこうしているうちに、酒が進み、気づけば、文吉はおとねを膝に乗せ、絵草紙を呼んでくれているし、おひなはおとみとおとくに玩具を出してくれている。そのうちに、文二のところの瀬太郎が、おとみとおとくを交互に肩車して遊んでくれる。竹馬に興味を持ったおとみやおとくに、おとせが「やってみる?」と竹馬を貸し、「俺が持っててあげるから、やってごらん」と、瀬太郎が竹馬を向かい側から支えてくれている。おひなも庭に出てきて、それを見ている。
なんとも和やかな風景だった。
散々けんかもした、諏訪理田屋の上三人の家族が集まり、その子どもが、こうして仲良く遊んでいる。
「今日は諏訪理田屋のお商売の話だったが、次はお商売の話なしで、皆で集まろう」と文太が言う。
「それがいいね、兄ちゃん」と文二が言う。
「俺も賛成だ」と文吉も言う。
ふと見れば、妻三人は、仲良く遊ぶ子どもたちをなんとも言えぬ幸せそうな顔で見守っていた。



