[416]破魔矢の待ちぶ正座!


タイトル:破魔矢の待ちぶ正座!
掲載日:2026/06/07

著者:海道 遠
イラスト:鬼倉 みのり

あらすじ:
 明治時代の半ば。十六歳の元、武家の息子の留平は、両親から華道を習いに行くよう言い渡され、文句を垂れながら家元の屋敷へ向かった。
 若いが落ち着いた家元、至極一輪(しごくいちりん)と家元の次の位の宗家である多鶴(たづ)は「水仙の君」と呼ばれる美女だ。
 ある日。留平は多鶴に呼ばれて、「破魔矢」を見せられる。至極一輪と多鶴は、華道の他に何かをなそうとしているようだ。



本文

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第一章 留平(るへい)少年

(あ~あ、やだやだ)
 世は明治の中頃、平和な昼下がり、ひとりの少年が文句を言いながら、ある屋敷へ向かってのろのろと歩いていた。ところどころ破れたり、泥よごれがついた着物と袴すがただ。
 どうにもこうにも、気分が乗って飛び跳ねて行く気になれない。
 向かっている先は、華道家元の本家である。
 両親から、強く稽古に通うように言われて歩いているのは、留平という十六歳の少年だ。
(あ~~あ、やだやだ)
 通行人がふてくされた少年をじろじろ見ながら、すれ違う。
(どうして、俺が華道なんて習わなくちゃならないんだ。そりゃ、剣道のお稽古で勢いあまって、練習相手と師匠を間違えて頭にスコーン! とやっちまったことはあるし、乗馬の稽古で隣に走っている馬の首に飛び乗ってしまったことはあるけど……)
(華道を習ったら、そういうドジが治るんだろうか? 落ち着きが身につくんだろうか? 父さんも母さんも、華道は女だけがするものじゃない! って言うけど……、花を活けるなんて、ぜんっぜん興味が無いもんな)
 石ころを蹴ったりしながら歩いているうちに、華道至極(しごく)流家元家の玄関に来てしまった。
(やけにでかい門構えだな、びびるじゃんか)
(それに「至極流」っていう名前自体が勇ましいぞ。まるで剣法の流派の名前みたいだ)
 門をくぐって屋敷の玄関にたどり着く。玄関には、衝立(ついたて)に美しく正座して華やかなお花を活ける女性が描かれている。
「南留平と申します。初めてお稽古に来ました~~!」
 やけくそで叫ぶと、母親と同じくらいの年代の女性が出てきた。
「はい、こんにちは。南さんの坊ちゃんですね。お話はお家元からうかがっていますよ。どうぞお上がりください。ただいま、お家元は、お弟子さんのお稽古を見ておられます」
 女性の後ろからついて行くと、長い廊下の先にお座敷があり、数人のお弟子さんが、それぞれ花器(かき)を前にして、花を活けている。
 お弟子さんは女性ばかりだ。
「お家元、南留平さんです」
 留平は、弟子のお花をなおしていた青年を見た。青年と言っていいくらいの若さだ。しかし、家元だけあって肩までの総髪の黒髪がツヤツヤとし、袴すがたが堂々としている。
「ああ、いらっしゃい。お父上からお話は聞いていますよ。華道に興味があるんですって? どうぞ、こちらへ」
(華道に興味がある? 父さんてば、口から出まかせを……)
 家元は留平を、床の間の前に座らせると、
「私は家元の至極一輪(しごくいちりん)と申します。ここの流派は他の華道の流派と違い、正座の作法と合体した世界を習得していただきます」
「せ、正座も一緒にするんですか?」
「そうです。最初に正座ありき、という考え方です」
(うわあ、よけい苦手だ~~!)
「一通り、私が正座の所作をいたしますから、見ていてください」
 家元は言って、立ち上がった。
「まず、背すじを真っ直ぐに立ち上がり、床に膝を着きます。袴のお尻に手をあてて袴を敷きながら、ゆっくりかかとの上に座ります。両手はゆるやかに膝の上に……」
 どこから見ても隙のない美しい正座の出来上がりだ。
「これを習得してもらってから、活け花の指導をいたします」
「あ、あのう、自慢じゃないですが、俺は正座がからきしダメで、すぐに痺れて転んでしまいます~~」
 家元のすぐ横で弟子の女性に、何やら助言していた女性が、言葉をはさんだ。
「ほほほ、慣れれば大丈夫ですよ。何ごとも修練です」
 上品な小紋の花柄の着物を着たその女性は、二十歳くらいと思われたが、まるで水仙のように真っ直ぐ伸ばした姿が、凜としてため息の出そうな可憐さだ。
 留平は、ぼうっと見惚れてしまった。

「私は、多鶴(たづ)と申します。こちらの宗家(そうけ)を努めさせていただいております」
 宗家とは、家元の代わりを努めたりするずいぶん上の位だ。
「では、私が見させていただきますから、先ほど、家元がなさった正座の所作をしてみてください」
 留平は多鶴を意識して、よけいに動きがぎくしゃくしてしまった。
「何回かお稽古するうちに流れるような所作は身につくでしょう。今日のところはこの辺で。後はお花を活けていただきましょう」
 留平の前に、ようやく名前の分かる菜の花や、桃の枝が持って来られた。
「まず、花器と剣山の扱いに慣れてください。下草どめとも言います。剣山は鋭い針が立っています。くれぐれも手に気をつけて。それから花切りバサミは……」
「母がこれを持っていくようにって」
 留平は持たされた花切りバサミをふところから出した。
「立派なハサミですね。これの扱いにも気をつけてください」
「はい」
 お花を手に持ちながら、留平は、多鶴の端正な横顔をうっとりと見つめていた。とたんに、
「いて~~~!」
 よそ見していたので、剣山に指を突き刺し、血が吹き出した。
「ほらほら、だから注意したでしょう」
 多鶴が応急に手指に布を巻いてくれた。
「さすがは『水仙の君』、お優しいわね」
 誰かが洩らした。彼女がお弟子さんたちから「水仙の君」と呼ばれていることが分かった。まさしく水仙のような清廉さだ。
 留平の稽古の様子を、家元の至極一輪が、鋭い目つきで見つめていることに、留平は気づかなかった。

第二章 ご一新の後

 それから一か月間、高等小学校が終わると「水仙の君」目当てに、留平は真面目に、正座と華道の稽古に通った。
 稽古が終わったある日、廊下の隅で、最初に留平を出迎えてくれた奥女中のヨネが、涙ぐんでいた。
「おヨネさん、どうしたんだい?」
 留平が声をかけると、ヨネは涙を拭き、
「あ、いえ、なんでもございません。ところで、留平さん、お稽古はいかがです? 進んでおられますか?」
「正座の稽古は、まあまあかな? お花の方はさっぱり、何をやってるんだか分からないけど」
「破魔座は、もう教えていただけましたか?」
「破魔座? 何だい、それ?」
「では、破魔矢もまだ見ておいででないのですね」
「破魔矢? さっきから何のことだか分からないんだけど」
 ヨネは、留平を玄関脇の小部屋に呼んで畳に座らせた。
「少し、話を聞いてやってください」
「――?」
「実は……、家元の至極一輪さまは、今でこそ芸事に生きておられますが、ひと昔前までは、徳川親派のさるお大名のお世継ぎだったのです」
「ええっ」
 留平は思わず大声を出した。ヨネは続けて、
「明治維新以後、幕府親派だった大名屋敷は、ほとんどが新政府に没収されました。江戸市中の七割近くの面積を武家屋敷が占めており、そのうち半分を新政府が接収したわけですから、江戸の町の三割もの広大な土地が政府のものになったのです」
「へええ」
「しかし、残念なことに新政府のお偉い方々は、この土地をどのように有効活用して良いか分からず、半分以上のお屋敷は空き家のまま、荒れ放題になるばかりなのです」
「そ、そんなわけなのかい?」
 留平は、そんなことはまったく知らずにいたので驚いた。ヨネは再び、さめざめと泣きはじめた。
「先ほども申しましたように、至極一輪さまは世が世なら、お大名のお跡継ぎ。ですから荒れ放題の武家屋敷に巣くう魔物を退治しておられるのです。同胞さまが住んでいたお屋敷が魔物の巣窟(そうくつ)になるのが耐えられないからでございます」
「ま、魔物? そりゃあ、耐えられないよなあ」
「そこで、同じく徳川親派だったあなたさま、南家のご長男にも協力していただき、破魔座の姿勢で破魔矢を射るお稽古をしていただきたいと思っておられるのです」
「えっ、じゃあ、父さんから家元に頼みこんだんじゃないのかい?」
「多分、留平さんのご入門は、至極さまからお父さまにお願いされたことでしょう」
「なんだってえ~~? それで父さんは、やけに熱心に……」
「『水仙の君』と呼ばれている多鶴さんも、さるお家のご家老のお姫様なのです。今は至極さまと一致団結して活動しておられます」
「えっ、多鶴さんもかい? じゃあ、俺もぜひ、お手伝いさせてもらわなくちゃ!」
 多鶴の名前を聞いたとたんに、態度が変わった留平を見て、ヨネは、クスッと笑った。
「今日は留平さんに『破魔矢』をお目におかけしたいそうでございますよ」
「破魔矢? 破魔矢って、お正月に神社でもらう破魔矢のこと?」
「ご説明をお聞きになればお分かりになります」

第三章 破魔矢

「留平さん、こちらへおいでくださいまし」
 ヨネに案内されるまま、離れらしき部屋についていく。
 途中の渡り廊下で、庭木の向こうの建物から「えい、やあっ!」というかけ声が聞こえてきた。
(何かな? 誰かが武道の稽古でもしているのかな?)

 離れのふすまの前でヨネが丁寧に正座し、声をかけた。
「ありがとう。ご苦労さまです」
 中から凜々(りんりん)とした声が答える。
(この声は「水仙の君」?)
 留平の推測は当たっていた。
 ヨネがふすまを開けると、六畳ほどの小さな部屋の奥に、「水仙の君」こと多鶴が正座していた。
「ようこそ、留平さん」
 清々しい笑顔の中にキリリとした表情が見える。
「お見せしたい物があります。どうぞ、こちらへ」
 床の間と違い棚があり、反対側からの障子越しに柔らかな光が入ってきている。床の間に飾られている、ある物がぼんやりと浮かび上がる。
 それは、弓と鷹の羽で作られた矢だった。実際の弓矢よりひと回り小さい。
「これは……?」
「破魔矢と破魔弓です」
「正月飾りの?」
「実際に射るために使います。正座――破魔座をして使うので、普通の弓より寸法が小さくなっています」
「破魔座をして使うということは……」
「ヨネさんから、お話を聞いてくださいましたか? 元の大名屋敷に住みついている行き場のない者どもを捕えるための弓矢です」
「え? 魔物をやっつけるんじゃなかったんですか?」
「魔物? 何のお話かしら」
 多鶴は、やや吹き出しそうになりながら、留平に破魔矢と弓を手渡した。確かに新年の飾り物ではなく実戦で使う物だ。

「水仙の君」――多鶴は口元を引き締めた。
「私ども、幕府に仕えていたも同然の家の者たちは、ご一新と同時に生業(なりわい)(生きていくための仕事)を失くしました。新政府は基礎を作る人材や組織が決まらないまま発足したので、国家の基礎ができるまで大混乱を極めました。未だにその尾をひいています」
 その辺の話を、留平は父親から何度か聞かされていた。が、ご一新となって、しばらくしてから生まれた世代なので、実感なく育ってきた。
 ただ、日々の暮らし向きが楽でないのは感じている。両親は細かい請負仕事や農家の手伝いをして、なんとか生計を立てている。本当は、息子の留平を学校や習い事に行かせる余裕などないはずなのだ。留平は、華道を習うことを子どもっぽく嫌がっていたことを恥じた。
 しかし、至極一輪の流派は、どうやらただの華道の家元ではないらしい。
(破魔矢を使って、行き場のない者どもを捕える? って?)

 ふすまの前で男の声がした。
「お入り」
 多鶴が答えると、男は急いでふすまを開けて入ってくるや、多鶴に進みより、耳元で何やら告げた。
 多鶴は改めて留平に引き締まった視線を向け、
「今宵、ある屋敷に出かけることになりました。今一度、そなたの正座の所作と弓矢の構え方を確認したい」
「えっ、今宵ですか?」
「そうです。至極一輪さまから命令がありました。おうちへは知らせておきますから」
 留平は緊張して立ち上がった。
「背すじを真っ直ぐに立ち――、そうです、水仙のように凜と、しっかり」
 多鶴がかたわらで指導し、留平は懸命に所作に打ちこんだ。
 破魔座と呼ばれる正座の稽古の後、弓矢を持つ稽古が行われた。

第四章 荒れ野で

 陽も山の端(は)に沈もうという時刻に、留平は多鶴とふたりきりで、ご一新前に武家屋敷が並んでいた場所へ歩いていった。
 思わず「つわものどもが夢の跡……」とつぶやきたくなるような寂れようだ。
 三十年ほど前までは幕臣の屋敷が立ち並んで、厳格な中にも活気のある町だったろうに、今では荒れ野の中にポツリポツリと朽ちかけた屋敷や外塀が残っている有り様だ。
 お化けのように、うっとうしく茂った樹々に、カラスの群れが帰ってきて騒がしい。
 多鶴はこの景色に慣れているらしく、紺色の袴すがたでどんどん進んでいく。
 留平も破魔矢と弓をしっかり握って後を歩いていくが、多鶴の勇ましい歩き方に小走りでなければついていけない。
 やがて、多鶴は門構えとかろうじて判るほどの軒先が垂れ下がった屋敷の前で足を止めた。
 黒っぽい装束の数人の人影が、彼女の周囲に吸い寄せられる。
「奥に三人います」
 ひとりの男の報告に、多鶴はうなずいた。
「留平さん、ついてきて」
 多鶴は、留平を連れて、庭づたいに裏手へ回り、濡れ縁から上がる。留平も続く。中庭の向こう側の棟に、灯りがぼんやり見える。この朽ちかけた屋敷をねぐらにしている者がいるのだろう。
 廊下の曲がり角に、ふたりは身を潜めた。
「ここで待ち伏せします。よろしいですか、人が来る気配がしたら、すぐに正座するのですよ。相手を見据えるつもりで、力の入った『破魔座』をするのです」
「は、はい」
「そして間髪入れずに、弓矢を構える!」
「はい!」
「構えるだけで、間違っても矢を放ってはなりませんよ。矢は威嚇(いかく)のために使うだけです」
 厳命された。
「目的は相手を捕えることです。傷つけたりしてはなりません」

 息をひそめて廊下の曲がり角に待ち伏せしていると、男の話し声がする。
「まだ、酒が足りん! 買ってくる」
「今からか?」
「いいじゃねえか。今日は賭場(とば)で勝ちまくったんだ! こんな時くらい」
「もう十時だぜ。最近、夜に出歩くと戻ってこないヤツが多い。何者かにさらわれているとしか思えない。止した方がいいぜ」
「大丈夫ってことよ」
 酒瓶をぶら下げて、廊下を歩いてくる男の姿が薄闇の中に見える。
(……来るわよ!)
 闇の中で、多鶴が留平に低い声で告げた。
 廊下のきしむ音が近づいてくる。
 曲がり角から、ひょいと男の顔が覗いた瞬間、留平は素早く殺気のこもった破魔座で座り、男を見上げた。
 無精ヒゲを生やした中年男で、地味な着物姿、酒の匂いをぷんぷんばらまいて、かなり酔っているらしい。いきなり廊下に現れた小柄な留平を、きょとんと見つめた。
「な、なんだ、坊主」
 留平は携えていた弓を構え、破魔矢をつがえる。
「おじさん、一緒に来てもらうよ」
「なに? お前は誰だ? どこへ連れて行こうってんだ」
 多鶴が、留平の背後から、
「こんな荒れた酒盛り場より、ずっと良いところへですよ」
「おお、きれいなお姉さんじゃないか」
「多鶴さんにさわるな!」
 とっさに、留平は男の鼻の先ぎりぎりに、矢の先をピシリと止めて固定した。
(やったぜ)
 留平は、初めての命令に成功した! と、いい気になりかけた時――、急に足元からひっくり返り、視界が逆さになった。
(……!)
 何が起こったか分からない。ただ、網のようなものに多鶴さんと一緒に押しこまれたのは分かる。
 酔っぱらいの仲間の男がふたり出てきて、へらへら笑っている。
「大きなネズミがかかったぜ!」
 留平は、多鶴と共に仕掛けてあった網に捕らわれて、天井から吊り下げられたのだ。
「この前から、あちこちの空き家で仲間がさらわれてっから、こっちからネズミ捕りを仕掛けておいてやったのさ。そしたら、捕まったのは小僧とえらいべっぴんさんときたか!」
「この網から出しなさい! 私どもは、空き家でたむろしているあなた方を救おうとしているだけです!」
 多鶴は、落ち着いた声で命じたが、ならず者の男たちに通じるはずはない。
「はっはっはっ、救おうだってさ。じゃあ、きれいなおねえさんにお酌でもしてもらって、この世の地獄から救ってもらおうじゃないか!」
「そいつぁ、いい!」
 三人で、がっはっは、と笑う声が急に途切れた。
 ――と思うと、男たちがバタバタと廊下に倒れたのと、網で吊るされていた留平と多鶴が、床に落ちたのは同時だ。
 まといつく網をふりほどき、顔を出した留平が目にしたのは、清々しい水仙の香りと共に現れた、総髪の大柄な男――、至極一輪ではないか!
「一輪さま!」
 多鶴がすがるように名を呼んだ。
「警護をつけておいて良かった。多鶴、お前が同行していながら、なんたる失態だ。留平の身にもしものことがあればどうする」
「も、申し訳ございません……」
 多鶴は廊下に額をつけて謝った。

第五章 賭場へ

 翌日、留平は華道の稽古の後、至極の部屋に呼ばれた。
(わ~~! 昨夜のこと、こってり叱られるのかな?)
 恐る恐る部屋を訪ねると、多鶴もいた。
 文机に向かっていた至極は、こちらを向くと、
「昨夜は合格だ。我らは空き家に集まるならず者を減らすべく、活動しているのだ」
「へ?」
 きょとんとする留平に、多鶴がうなずいてみせた。
 至極が改めて話しはじめる。
「黒鳶(くろとび)というならず者の親玉がいる」
(黒鳶? なんか聞いたことあるような?)
「元、徳川親派の旗本のせがれで、無理やり新政府を立てられて、荒みきった明治の世を憎んでいる。大勢の職を失った徳川親派の武家の者どもをどうにかしたいと思ってか、町では暴力をふるい食料を奪ったり、賭場を仕切ったり、空き家に集まる者どもの親分のような存在になっている」
「はあ」
「私、至極一輪の第一の目的は、黒鳶を捕らえて暴力をやめさせることだ。元は武道の素質に恵まれた武家の子なので、新政府に折れることを説いて、厚生させてやりたいのだ」
「噂を聞いたことがあります。徳川慶喜公に仕えて静岡に下ることを断ったとか」
「その男だ。黒鳶はかなりの石高の旗本家の生まれなため、新政府に再就職することも、ましてや身分を変えて商人や農業、人力車を引くなど力仕事に従事するなど、自尊心が邪魔してできないのだ。きっと武士の身分を失った者は、ほとんどが明日の食い扶持(くいぶち)にも困っている有り様だと思われるのに。――私もそうだが」
(至極さまは、黒鳶に真っ当な職に就いてほしいんだな)
 留平は思った。
 多鶴がそっと耳うちした。
(黒鳶という男は、至極さまの幼なじみなのよ。実は、私も少し知っているの)
(えっ!)
 留平は、また驚き、
(そうだよなあ、ご一新の大混乱できっと生活は無茶苦茶だろうから、別れ別れになった友達に立ち直ってほしいよな。俺の友達がそうなっても思うだろう)
「そこで、留平、頼みがある」
 至極が少し動くと、文机の上の水仙が香った。
「お前はまだ十六歳、私の弟子として顔を知られていない。そこで、賭場に入りこみ、黒鳶をここの道場に連れて来てほしいのだが」
 多鶴が言い添える。
「この屋敷の中庭にある道場なんだけど、新政府の警察官に再就職するために腕を磨く場所なの」
(いつぞや聞いた、気合の声はその道場から聞こえた声だったのか……)
「いっそう、破魔座をしっかり稽古して破魔矢も訓練せねばならんぞ。どうだ?」
 しばらく考え、留平は答えた。
「分かりました。頑張ってみます!」

 数日後の夜、留平は至極の手下たちの協力で、遊び人風に着物を着くずし、場末の黒鳶の主催する丁半博打(ちょうはんばくち)の賭場に潜入できた。
 賭場の盆茣蓙(ぼんござ)の上でツボ振り役の女賭博師が「水仙の君」多鶴であることを知り、思わず目を疑った。
 着物も結い髪も素人のそれではない。粋な迫力を放つ女性になりきっている。
(目つきまで違う!)
 いつも、至極の稽古場で静かに水仙の花を活けている時の優しい瞳ではなく、奥にらんらんと炎が燃えている。
(なぜ、ここに多鶴さんが……?)
 待ち伏せされた気分だ。
(これこそ、待ちぶ正座だ!)
 多鶴の正座は、さすがの至極仕込みで少しも乱れはない。凜とした彼女の正座のせいか博徒たちも、立て膝やあぐらをかくことなく正座をしている。
 留平も気合いを入れて所作をし、空いた場所に正座した。
 客が現金から換えたコマ札が次々に置かれ、進行係の中盆(なかぼん)が声をかける。丁とは二つのサイコロの賽(さい)の目が足して偶数、半とは奇数のことを言う。
「皆さま、良ござんすか、良ござんすか?」
 多鶴の瞳があちこちに確認を送り、両手が華麗に舞い、二つのサイコロが入れられツボが伏せられた。
「丁!」
「半!」
 客たちが叫ぶ。
 多鶴がツボをのけ、中盆が叫ぶ。
「〇〇の丁!」
 しかし、ひとつ不自然な動きのサイコロがある。
「ちょ、ちょっと待って! ……おくんなさい」
 留平は、ふところから破魔矢の先を出して握りしめ、怪しいサイコロを砕いた。中にはおもりが入っていた。黒鳶の敵の勢力が紛れこみ、イカサマを働いたのだ。
 細工した者はすぐさま捕えられた。
「小僧、見慣れん顔だが、よくやった!」
 現れた大柄で色黒な遊び人風の男こそ、黒鳶だった。イカサマを見抜いた留平は、黒鳶から気に入られたようだ。

 未明になって賭場がお開きになる頃、留平が帰ろうとすると、裏口に多鶴が待っていた。
「驚いたでしょう? 私がツボを振っていて」
 留平はごくりとツバを飲みこみ、うなずいた。
「黒鳶さんを、ご一新前からお慕いしているのです。それで、お手伝いを。それと、私も黒鳶さんに立ち直ってほしくて」
「じゃ、じゃあ、至極さまは?」
「一輪さまは尊敬するお師匠さまです」
 どちらにせよ、完全に留平の失恋だ! 歯を食いしばって辛さに耐えた。

第六章 山での勝負

 黒鳶に気に入られたのがチャンスとばかり、留平は、彼の行きつけの飲み屋などへ同行した。
 取り巻きの男どもが、留平を生意気だとののしるのを、黒鳶は手で制して、
「ふたりだけで話したい」
 と言い、飲み屋で向かい合って座った。
「留平とか言ったな。お前、至極に命令されて、俺に接近したんだろう」
 いきなり図星を指されて、留平は口をパクパクさせた。
「そう慌てなさんな。至極のおせっかいは前から続いている。だから、多鶴も好きにさせているんだ。しかし、あいつもしぶといことだな」
「黒鳶さんのことが心配なんですよ。幼なじみなんでしょう? 幼なじみが、町で乱暴を働いているのを黙って見ているわけにはいかないじゃないですか」
「小僧、お前もしぶとそうだな」
 黒鳶は苦笑いした。
「黒鳶さん、一度、至極さんとちゃんと会ってお話してみませんか? いいと言っていただけるなら、場所は用意してあると至極さんから言づかっています」
「む?」
「昔、おふたりがよく暴れ回ったという山の庵(いおり)で待っているとのことです」
「東権現山だな」
 黒鳶はうなずく。
「いつかは至極と決着をつけなくてはならんと思っていた。ご一新で変革を遂げた世に、華道で生きることにしたあいつと、逆らっている俺と――」
 どうやら黒鳶は重い腰を上げてくれそうだ。

 留平が頃合いの良い日を選んで、黒鳶を山の庵に案内することになった。彼は新聞紙に良い香りのする水仙を包んで、たくさん抱えてきた。高貴な香りが立ちこめる。
「黒鳶さん、それは?」
「見ての通り、水仙の花だ。あいつと勝負するなら、これしかないと思ってな」
「剣道か何かで勝負するんじゃないんですか?」
「俺もあいつに華道を習っていたことがあるのだ。水仙の花は、多鶴そのものでもあるのでな――」
 留平の胸がきゅんと痛んだ。
「それと、正座で勝負するつもりだ」
(黒鳶さんまで至極先生に華道を習っていたとは)
 岩肌のゴツゴツした山道を、黒鳶の広い背中の後ろから、留平はぴょんぴょん跳ねながらついていった。

 谷川沿いに建つ藁ぶきの庵は、少々くたびれているが、内部の部屋は落ち着いていて、静謐(せいひつ)な空気に満ちている。
 十畳ほどの座敷で、それぞれ花器を前に置き、向き合った位置で花を活けていた男ふたりは、同時に息をついて肩の力を抜いた。
「黒鳶、さすがに水仙を活ける腕は昔のままだな」
 至極は向かい側に座る幼なじみに言った。
 活けられた純白の花びらが、射しこむ陽光を受けて輝かせている。
「何を言う。家元のお前にはかなわない」
「水仙を、愛する女のように一本ずつ壊れ物を扱うかのように慎重に活けていた……。まるで、そう、多鶴の手を取るかのように。子どもの頃から、お前は多鶴に優しく接していたな」
 至極の眼が、真正面から恋敵を見つめた。
「至極よ、褒められて悪い気はしないが、昔のように俺の手は清らかではない。ここ十年ほどの間に、かなり汚れてしまった」
「……」
「ご一新以後、家族バラバラになり、ヤケになって新政府を憎んで、徒党を組みあちこち荒らしまくった。本当は純白の水仙を活ける資格の無い手だ」
「……」
「こんな俺を立ち直らせてくれようという気持ちは誠にありがたいのだが、もはや手遅れだ。修行し直して警察官になる気はない」
「黒鳶……」
「自分のことは自分で立て直したい。旅に出ようと思っている」
 部屋の隅でふたりの活け花とやり取りを聞いていた留平も、耳を一段とそばだてた。
 その時、脇のふすまが静かに開いて入ってきたのは、多鶴だ。
 彼女は、水仙を活けるワザのようにたおやかに正座し、深く頭を下げた。
「お家元、いえ、一輪さま。私は黒鳶さんについて行く所存です」
 至極は静かに視線を向け、留平は「ええっ?」と叫びそうになるのを必死でこらえた。
「そうか……」
 至極はうなずき、
「ふたりで旅立つなら心配はないだろう」
「今まで黙って黒鳶さんの賭場へ通わせてくださいまして、ありがとうございます。それより、今まで正座と華道を丁寧にお教えくださいまして心よりお礼を申し上げます」
「……多鶴。まだまだ道は険しいだろうが、幸せになるのだぞ」
 娘を送り出す父親のような穏やかな言葉に、多鶴の陰の濃いまつ毛の内側から真珠がいくつもしたたり落ちた。

 暁色に空が染まるある朝、ひと組の男女が東京の郊外から旅立った。
 そっと見送るのは、華道家元の至極一輪と留平だ。
「ふたりの前途が明るいことを祈ろう」
 至極の表情も朝陽を受けて穏やかだ。
「家元さま、無理なさらないで、失恋した者同士、仲よくやりましょう!」
 バン!
 無礼にも思いきり肩を叩いた少年に、至極は呆れながらも笑い、
「失恋の痛みが分かっている言い方だな、留平。お前はしびれが弱点だったな。よし、来なさい。本当の痛みを、平安時代から伝わる破魔矢の正座の極意を授ける特別講座で分からせてあげます」
「破魔矢の特別講座~~? お手柔らかに~~!」
 留平の悲鳴が、こだました。


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