[428]正座でつくる八角形の結界


タイトル:正座でつくる八角形の結界
掲載日:2026/09/08

著者:海道 遠
イラスト:鬼倉 みのり

あらすじ:
 長髪のボサボサ頭の父ちゃん、「そぞろ歩(あるき)」は売れない小説家だ。息子のハシルにご馳走してやろうと思っていたステーキ代がない。妻はひと月前、出ていってしまった。
「父ちゃん、お腹が鳴ったよ~~」
 そぞろは息子に土下座して謝った。そこへ荷車を引いた青年が声をかけた。
「今の正座、もう一度見せてください!」



本文

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第一章 正座占いの青年

「父ちゃん、お腹すいたよ~~」
 七歳のハシルがレストランの通りで、歩くのをやめてわめいた。
「ハシル、すまん。座布団みたいなステーキを食べさせてやろうと思ったんだが、父ちゃんのサイフの中身じゃ無理だ。あてにしていた印税が入ってこなくてすまんなあ」
 長髪のボサボサ頭をかきながら答える父ちゃん「そぞろ歩(あるき)」(ペンネーム)は、売れない小説家だ。
「そんなんだから、母ちゃんは家を出ていったんだぞ」
 唇を突き出したハシルの言葉は、そぞろの胸をズギューンと撃ちぬいた。
 そぞろの本があまりに売れなくて、ガマンしきれなくなった妻が一か月前に家を出ていったのだ。
「どうすんだよ」
 ハシルはむくれている。
「武士は食わねど高楊枝(たかようじ)だ」
「なんだよ、それ」
 レストランは諦めて、屋台グルメの並ぶ通りへやってきたのだが、財布の中身に合うメニューはない。
「父ちゃん、お腹が鳴ったよ~~」
「ガマンしろ、家に帰ったら、もやし炒め作ってやるから」
「またもやし炒め~~? ……母ちゃんがいたら、もっと美味しいの作ってくれるのに~~。父ちゃんのせいだぞ!」
 そぞろは地面に正座して、ガバッと息子に頭を下げた。
「ハシル。その通りだ。お前も母ちゃんも満足に食わせてやれない父ちゃんのせいだ」
 ハシルは唇を噛みしめて涙を引っこめてから、下を向いて、
「ごめん……。父ちゃんは悪くない。いつも仕事は真面目にやってるもんな。父ちゃんの書く本を分かってくれる人がいるかどうかだ」
「お前、子どもらしくない言葉を……」
 そぞろがじんわりとしていると、背後から声が飛んできた。
「そこのおじさん! 今の正座の所作、もう一度見せて下さい!」
 振り向くと、くたびれたトレーナーにジーンズで、今時、手入れの行き届いていない髪の若い男がおでん屋の屋台みたいなリヤカーを止めて立っていた。
 藍染めの暖簾(のれん)には、『正座占い』と書いてある。
「は、君は?」
「さっき、おじさんが土下座した時の正座がすんばらしかったです! お願いします。もう一度見せてください!」
 青年は素早く緑の毛氈(もうせん)を地面に敷いた。
「いいですけど?」
 そぞろはさっきの通り正座して頭を下げた。
「やっぱり! すんばらしい正座の姿と所作だ! 後光(ごこう)が射している!」
 青年は両手を広げて夜空を仰ぎ、
「狼星(おおかみぼし)よ! このような正座に出会わせてくださってありがとうございます」
「あ、あのう……」
 そぞろとハシルは呆気に取られた。
「あ、これは申し遅れました!」
 青年は慌ててアスファルトの上に正座した。
「僕は正座占いをしている綸斗(りんと)と言います」
 まだ二十歳くらいだろうか。
「正座占い? なんだ、そりゃ」
「正座の相や所作を見せてもらって、未来の指針を助言させていただくんですよ」
「~~?」
「お坊ちゃんに正座してもらっていいですか?」
「占い料は払えないよ。金、無いから」
「もちろん無料です!」
 ハシルは父親に言われるまま、毛氈の上にちょこんと正座した。
「おおお~~! なんとすんばらしいお行儀の正座だ! お小さいのに尊厳さえ感じられます! お父様の正座あってこそですね!」
 綸斗が大声で褒め、ハシルはタジタジとなった。
「息子さんに、屋台に乗って正座してもらえませんか?」
「屋台に乗って?」
「立派な正座ができるんですから、占いのCMにぜひ!」
「い、いくらかギャラが出るのなら。な? ハシル。焼肉でも寿司でも食べられるようになるかもしれんぞ!」
 そぞろは大乗り気でハシルに頷かせた。
「時給、このくらいでいかがです?」
 綸斗はスマホに打った数字を見せた。
「おお、オーケーだとも」
 ハシルは、屋台の上に敷かれた毛氈の上で正座することになった。
「まあ、可愛い正座」
「お行儀いいな、ボク」
 たちまち人だかりができた。

第二章 河原で乾杯

 本堂愛留(ほんどうめる)は、「雲の峰出版社」のある3階からエレベーターに乗ろうとした時、部下の怜萌(れも)と出会った。
「編集長、今日は定時退社なんですか」
 怜萌がにっこりして声をかけてきた。エクボの可愛い女子だ。
「ええ。そぞろ先生のところ、女手が無いから夕飯の支度に」
「ああ、奥様が……」
「そぞろ先生だけならともかく、育ち盛りの息子さんに何か作ってあげたくて」
「へえ。本当にそれだけですか~~?」
 怜萌は何か言いたげに笑い、ふたりはエレベーターに乗った。10人以上が乗りこんでぎゅうぎゅう詰めだ。ようやく1階に着き、どっと吐き出される。
「怜萌ちゃんは? いつもより早いわね」
「私は週一で通っているお作法教室の日なんです」

 愛留はスーパーに寄ってから、行き慣れた木造アパートの二階への階段を、パンプスの音を鳴らせて上がり、そぞろ歩氏の部屋を訪ねた。
 照明が点いていない。
「やっぱりお留守だわ」
 スマホでもう一度、電話してみた時――、階下から人声が上がってきた。
 そぞろ歩氏親子ではないか。
「おや、愛留編集長!」
「そぞろさん、さっきから電話してたんですよ」
「あ、悪かったです。スマホ解約しちゃったんですよ。何せ、火の車で」
「か、解約? 困りますわ!」
「まあまあ。これから夕食なんで編集長もいかがですか?」
 そぞろはえらくご機嫌でガタピシの扉を開けた。
 後ろから昇ってきた愛留の見慣れない青年が会釈した。
「さ、どうぞどうぞ。こちらの綸斗くんが奮発してくれて、食材いっぱい買ってきたんですよ」
 ふたりでスーパーの袋をたくさん持っている。
「そぞろさん、いっそ今からバーベキューしませんか? 道具は屋台に積んであります」
 綸斗が言い出した。
「バーベキュー? ボク、食べたことない! 食べたい!」
 外は真っ暗だが、ハシルは大はしゃぎだ。
「近くに川がありますね。河原にバーベキューできる場所があるんじゃ?」
「そうだな、あそこなら」
 バーベキューの話が進む。
「あの~~、私も何か作ろうと、ハシルくんの好きなもの買ってきたんですが」
 愛留が口をはさんだ。
「いつもすまんな、愛留さん」
「『雲の峰出版社』同期入社の仲じゃないですか。お気になさらず」
「じゃ、愛留さんも一緒にバーベキューしましょう」
「えええ?」
 河原で炭火をおこして野菜や肉を用意している間に夜中になってしまった。川面(かわも)に街のネオンが映っている。
「お腹が鳴ってる! お腹と背中の皮がくっつく~~!」
 ハシルが足をバタつかせる。
「ハシルくん、もう少しで焼けるからね」
 綸斗が駄菓子のチョコ棒を渡し、
「お姉さんにさっきの正座を見せてあげてくれる?」
 綸斗がヨガ用のマットを敷きながら言う。
 チョコ棒をもらったハシルは、ご機嫌がなおってマットの上で可愛い所作で正座した。
「まあ、ハシルくん。お行儀よく正座ができるのね」

 そぞろと青年は缶ビールの蓋を開けた。ふたりで飲み始める。
「愛留さんも一緒に乾杯しましょう!」
「何の乾杯ですか?」
 綸斗はいきいきした声で、
「正座の美しい人を見つけた祝いです」
「正座?」
「編集長さんとやら。ご挨拶が遅れました。僕は正座一族の代表を務めている綸斗といいます」
 レジャーシートの上に、青年は背すじを真っ直ぐにして立って膝をつき、伸びているトレーナーの裾をお尻の下に敷き、かかとの上に座った。
「これが正座の正式な所作です」
 隣にそぞろとハシルも正座した。
「正座姿の美しい人を捜して、屋台で占いをしているのですが、とびきり正座の美しいそぞろさん親子さんと出会ったんですよ」
「は? はあ」
 愛留はワケが分からないままだが、大人三人はビール、ハシルはジュースで乾杯した。
 肉や魚介類、ウインナー、ピーマン、とうもろこし、しいたけなどに火が通り、三人はバーベキューを楽しんだ。

「愛留さんの正座、よろしかったら占ってさしあげましょう」
 綸斗が言い出した。
「正座占いという意味が……」
「正座の所作とお姿を見て、将来の指針とか教えてさしあげるんです」
「……」
「まず、背すじを真っ直ぐに伸ばして立ち、床に膝をつく。スカートはお尻に敷いて、かかとの上にゆっくり座る。両手は静かに膝の上に」
 愛留は言われるままにその場で正座してみた。
「おお! これは初めて遭遇する神々しい正座だ! まるで大和座りなさる仏像のようだ!」
「大和座り?」
 綸斗はまたもや大感激をした。
「貴女もぜひ、僕たちのプロジェクトに参加していただきたい!」
「プロジェクト?」
「はい! 『正座で八角形をつくる結界』プロジェクトです」

第三章 あぐら一族

「僕たち正座一族には対抗する敵がいます」
 綸斗は説明を始めた。
「日本の大切な正座ではなく、あぐらをする一族です」
「あぐらなら正座と同じくらいなじんでますけど?」
「そうですね。あぐらは『胡坐』と言い、胡とは古代中国では東方、西方民族のことです。そちらで日常的な座り方になって、日本でもリラックスする時の座り方として定着してますが、姿勢が悪くなるので骨盤にとって良くない座り方なのです」
「俺だって何気なくあぐらをかいてるが」
「彼らのは普通のあぐらではないんです。立ったまま、片脚でのあぐらなんですよ」
「立ったまま片脚で?」
 愛留だけでなく、そぞろも身を乗り出した。
「立ったままの片脚のあぐらをする明王で、烏枢沙摩(うすさま)明王さまってのがいらっしゃるんですが、似たポーズだからって、その明王をでたらめにシンボルに担ぎあげて、良からぬことを企んでいるのです」
「へえええ」
「立ったまま片脚のあぐらなど、無理がかかり身体に良いわけがない。間違ったあぐらがはびこるのを防がなければならない」
「うむうむ」
 そぞろは、ビールを仰ぎながらうなずく。
「あぐら一族のリーダーは、『悪し組(アシグミ)』という名前の男です」
「へえ、悪し組……いかにも悪だくみしそうな名前だな」
「なんとしても阻止しなければならない。そのために八人で正座して八角形の結界をつくって彼らの活動を封じ込まなければ」
 息巻いて言う綸斗に、そぞろもうなずいた。
「ようし、その計画に小説書き仲間や出版社の方々にも声をかけて八角形をつくりましょう!」
「ま、待ってください、そぞろさん」
 愛留が口をはさんだ。
「出版社の方は、本当に信用できる少数の方だけに、私から声をおかけします。ただし、私が取材して本当に『アシグミ』という方が片脚立ちのあぐらを広めようとしている証拠がつかめればの話です」
「編集長さん!」
 綸斗が叫んだ。
「『アシグミ』は、本当に日本人の姿勢を悪くしようと仕向けてるんですよ」
「この目で確かめないと信じられませんわ」
 もっともな愛留の言い分に、綸斗は黙る。
 早くも東の空が白み始めた。
「早い方がいいわね。バーベキューご馳走さまでした!」
 愛留は、膝にもたれて眠っていたハシルをそぞろに返した。立ち上がるか早いか、スーツのシワを整えて土手を登っていった。

「すごいパワーだな。本堂愛留編集長って」
 綸斗が後ろ姿を見送りながら洩らした。
「愛する人のためなら、すごいパワーの出せる女性だ」
「綸斗くん。編集長の愛する人って?」
 バーベキューの後始末をするそぞろの手が止まった。
「気づいてないんですか? あなたのことですよ、そぞろさん」
「えっ」
「初対面のボクにも分かりましたよ。愛留編集長はそぞろさんのことがお好きって」
「んなバカな。こんな子持ちの俺なんかを」
「でなければ、食材持って訪ねたりなんかしませんよ」
「そりゃ担当の編集者としてだよ」
 そぞろの顔が真っ赤になった。
「ボク、分かってたよ。愛留ねえちゃんが父ちゃんを好きだってこと!」
 目を覚ましたハシルが爆弾発言した。

第四章 女性たちの調査

 愛留は、出社するなり部下の志田怜萌(しだれも)をデスクに呼んだ。
「ちょっと隣の小会議室に来てくれる?」
「はい?」
 この子になら不思議な「アシグミ」という男のことや片脚立ち一族のことを相談できると思ったのだ。
「何でしょう、編集長」
「あれから、そぞろ歩先生に会って――『正座一族』と名乗る青年に出会ったの」
「『正座一族』?」
 愛留は怜萌に、綸斗から聞いたことをすべて話した。
「『片脚立ちをする一族』? 何なんですか、それは?」
「そこへ潜入するって言っちゃったのよ」
「編集長ってば、突進型なんだから」
 怜萌は肩をすくめたが、
「仕方ないですね。お手伝いしますわ!」
「ありがとう、怜萌ちゃん!」
「まず、ふたつの一族について調べなきゃいけませんね! 私のお作法教室の師匠にうかがってみます」
 怜萌は、その日の夜にさっそく電話で報告した。
「愛留編集長。うちのお師匠、『正座一族』のことを知っていましたよ。綸斗さんのことも」
「まあ、本当?」
「ご実家は代表的な正座の所作の宗家だそうですが、一年ほど前から彼は行方不明だそうです」
「まあ」
「片脚立ちの『あぐら一族』のことは、ご存知ありませんでした」
「そう。ありがとう。師匠の先生に宜しくお伝えしてちょうだい。後は私たちの手で調べましょう」
 愛留が調べているうちに、ウスサマ明王のように立ったままあぐら組むポーズの一団が、イベントを行うことをアピールしている情報をつかんだ。
「ウスサマ明王みたいな? これかしら」
 怜萌が愛留のパソコンをガバッと覗きに来て頷いた。
「編集長、これに潜入しましょう!」

「父ちゃん、電話。出版社のふくなんとか、からだって」
 ハシルのスマホに、そぞろが取引している出版社から電話がきた。
 出版社の副社長からと聞き、寝ころんで雑誌を読んでいたそぞろは、急いで正座してスマホを受け取った。
「おお、そぞろ先生。息子さんのスマホのナンバー、聞いておいて良かったよ。本堂愛留編集長がどこかへ行ってしまったんだよ。休暇届けは出してあるが、連絡が取れんのだ。そちらへ行っているかな?」
「いいえ、愛留編集長とは、数日前に河原でバーベキューしましたが、それっきり……」
「河原でバーベキュー?」
「あわわ、いやとにかく、昨日も今日も連絡はありませんよ」
 スマホを切り、そぞろはマシなTシャツに着替えた。
「ハシル! 正座占いの兄さんところへ行くぞ! 支度しろ」
 ハシルの手を引っぱって、占いの屋台が並ぶ通りへ出かけた。

 夏祭りなみに色々な屋台が並ぶ中に「正座占い」の屋台を置いて、綸斗は暖簾を上げようとしていた。
「あ、そぞろさん」
「綸斗さん、愛留編集長が行方不明になった! きっと先日の件で……」
「僕も『あぐら一族』のイベント情報をキャッチしたばかりで、連絡しようとしていたところで」
(遅いんだよ~~、正座一族のリーダー。愛留さんに何かあったらどうしてくれるんだよ~~!)
 そぞろはどやしつけたいのをガマンして、三人でイベント会場へ向かう。

第五章  八角形の会場

 会場には、サーカス小屋のような巨大なテントが張られており客が長蛇の列を作っている。
(いったい、あぐらの何に惹かれてこんなに人が集まったのかな?)
「そぞろさん、入場が始まりました。僕たちも入りましょう」
「おいおい、チケットは?」
「ゲットしてあります」
 綸斗がウインクした。
「ま、待て。俺たちまで敵のふところに入っちまったら、手も足も出せなくなる。ここはひとつ……」
 そぞろは綸斗に、ごにょごにょと耳うちした。

 巨大テントの中に入っていくと、中央に八角形のラウンドが描かれている。八角形に沿って西アジア辺りの民族衣装のような衣服の男女がひとりずつ、立ったまま片脚あぐらのポーズをとっている。
 マイクを持って進み出た男は、黒いあごヒゲを垂らせた褐色の肌をしている。
「あっ、『アシグミ』!」
 綸斗が押し殺した声で叫んだ。
 まさに、あぐら一族のリーダー「アシグミ」だと、すぐに判った。褐色の肌、彫りの深い目元と猛禽(もうきん)のような鋭い眼の異国の男だ。
「ようこそ、皆さん、あぐら一族の宴へ。これから皆さんにも片脚立ちのあぐらをしていただきます」
 会場の客がどよめいた。
「見物するだけじゃなくて、私たちもへんてこなポーズするの?」
「まるでフラミンゴじゃないの」
「今、フラミンゴみたいというお声が聞こえましたが!」
 すかさずアシグミが声を張り上げて、手下に腕くらいの大きさの木製の仏像を持ってこさせた。
「『片脚立ちあぐら』のポーズは、この烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)様のお姿を参考にしたポーズです。一日のうち朝と夜にこのポーズをすれば、集中力が増して瞑想でき、平衡感覚が養われ健康になれるのです」
 会場がざわついた。
「本当かい、それは」
「あのポーズをマスターするだけでも大変じゃないか」
「入会金か何かぼったくられて、バカを見るんじゃないか」
 アシグミがマイクを握り直した。
「急にお信じになれないのもご無理はありません。八角形の中心に証人をお招きしましょう」
「証人――?」
 ひとりの女性が八角形の中心に連れてこられた。
 そぞろとハシルは、目を飛び出させた。
「愛留編集長!」
 愛留編集長だ。青い民族衣装のような衣に身をつつんで、手を引かれて八角形の中央に連れ出されてきたが、虚ろな目をして無抵抗だ。
 アシグミが彼女に近づき、
「片脚立ちのポーズを!」
 命令すると愛留編集長は素直にポーズをとった。揺らぎもせず、ぴったり決まった脚線美の白い脚が美しい。
「どうですか、気分は」
 愛留のピンク色の唇が開き、
「……とっても心地いいです。瞑想できて気分が癒されます」
「どうです? 皆さん! この女性は片脚立ちあぐらを始めてまだ三日目ですよ! 初心者でもこの効果です!」
 アシグミは晴れやかに両手を広げて叫んだ。
 会場の客からパラパラと拍手が起こり、やがて割れんばかりの拍手の嵐になった。
「わかったぞ!」
 そぞろが叫んだ。
「どうしてフラミンゴみたいなあぐらポーズに人気が集まるのか」
「どうしてです?」
 綸斗が尋ねる。
「瞑想だよ! 皆、厳しい世の中で生きていくのに疲れて、つまり、心を『無』にしたがってるんだよ」
「な、なるほど……」
 綸斗の瞳に光が宿りながらも、そぞろに問うてみる。
「正座よりずっと難しい片脚立ちのあぐらに、本当に癒される効力が?」
「やっぱ、あれかな? 広告塔になってるウスサマ明王のご利益なのかな? 炎で世の中を浄化するらしいから」
「炎が燃えている中で瞑想ってできる?」
 綸斗は考え込んだ。
(今まで「正座」の絶対的な効果……所作の正しさだけを信じてきたけど間違っていたかも?)
 そぞろが、
「心を『無』にして気持ちをひとつに集中する……。なるほど、片脚立ちのあぐらならバランスをとることに気持ちが集中できるからな」

第六章 宗家の母親

「愛留ねえちゃん、どうしちゃったんだよ~~」
 ハシルが涙をいっぱい溜めて叫んだ。
「ハシルくん。待ってな。愛留お姉ちゃんはきっと、助け出すから」
 綸斗は胸を張った。

 アシグミの部下が駆け寄って何やら告げた。
「なんだと?」
 アシグミが顔色を変えて、テントの外を覗いた。
「こ、これはっ!」
 テントの外には、ひと回り大きく八角形を作り、若者たちが並んでいるではないか。ひとりひとりが凛々しくアゴを引き締めて正座している。気圧されそうな力強い正座だ。
「こ、これは……」
 アシグミは一旦うろたえたが、目つきをいっそう鋭くした。
「正座の八角形の結界を作ったのは誰だ!」
 綸斗がアシグミの前に進み出た。
「俺だ! 屋台を引いて正座占いをしながら、すんばらしい正座の人だけを集めて八角形に座ってもらった」
「なんだ? 若造。結界を解かなければ我の八角形の中央にいる女を解放せぬぞ」
「むぐぐ……」
 綸斗のこぶしが強く握りしめられた。

 息せき切って駆けてきた若い女がいる。愛留の部下の怜萌だ。
「待って~~! 待ってください!」
 振り向いて、怜萌の背後に続く年配の女性を待った。
 女性は和装姿の威厳ある態度でしずしずと歩いてきた。怜萌が紹介する。
「こちらは正座宗家のひとつの代表を努めていらっしゃる伊奈承和子(いなそがこ)さまです」
「母さん!」
 綸斗が叫んだが、女性はアシグミの方を向いた。
「アシグミさん、ご苦労さま」
「とんでもございません」
 アシグミは態度を改めて深々とお辞儀をした。
「母さん、これはいったい?」
 豆を食らった鳩のような眼で、綸斗が棒立ちになっている。
 母親より先に怜萌が説明に立った。
「正座宗家の伊奈承和子さまが、綸斗さんに正座の深い意味を分かってもらおうとアシグミさんに片脚立ちポーズのイベントをお願いされたのです」
「何だって?」
 アシグミがテントの中から愛留を連れて出てきた。すっかり清々しい表情をしている。
「本堂愛留編集長、ご無理を言いましたね。ご苦労様でした」
「いいえ、アシグミさん。私でお役に立てたのでしたら」
 愛留はにっこり笑った。
「母さんてば。いったいどういうわけだよ!」
「綸斗。宗家の跡取りらしくなってほしくて一芝居うったのよ」
 アシグミと愛留が頷いた。

第七章 綸斗の決心

 一同は正座の宗家に場所を移した。
 そぞろは、日本の伝統的な文化の宗家のどっしりした佇まいに圧倒されて、ハシルの小さな手を握りしめたまま、ピカピカの廊下を歩いていった。
 立派な床柱のある座敷に、綸斗の母親自らが案内した。
「ささ、皆さま、おくつろぎになって」
 弟子の女性がお茶を置いていった。
「そぞろ歩先生、この度は綸斗がご面倒をおかけしたそうでお詫び申し上げます」
 寸分の崩れもない正座で畳に手をつき、承和子は頭を下げた。
「いえ、奥様、とんでもございません」
 そぞろは慌てて膝を整えた。
「そぞろ歩先生のご本は、いくつか読ませていただきましたよ」
 承和子が意外なことを言ったので、そぞろはよけいに慌てた。
「本当ですかっ?」
「『そぞろ歩き風景』心和むお話でしたわ」
 そぞろは、じぃんと感動した。

「今回の騒動についてですが」
 承和子はようやく話し始めた。
「ウスサマ明王と申しますのは、炎の神様として有名ですが、お腹の男児を女児に変えることができる神様なのです」
 そぞろや綸斗はじめ、愛留も怜萌も真剣に耳を傾けた。
「私は正座の宗家のひとり娘として生まれ、婿養子の夫にも先立たれイバラの道を歩んできました。そこで、お腹の子が女児だと分かった時点で、ウスサマ明王におすがりして男児に変えてもらうよう、西アジアのアシグミさんにお願いして祈願していただいたのです」
「そ、そんなことができるのですか?」
 そぞろが思わず叫ぶ。
「この通り、祈願成就しました」
 承和子は綸斗に目をやった。目を白黒させている。
「正座の宗家を維持していくのは、男子でさえ重責です。それ以来、アシグミさんとは『座り方』を導く同士としてお付き合いを続けています」
 アシグミは末席に正座して静かに聞いている。
「ところが、綸斗は宗家の年間行事を行わないばかりか、家出して『正座占い』なるものなどを、屋台を引いて始めてしまい……。そこで、アシグミさんに日本で片脚立ちあぐらを広めてもらい、綸斗に立ち直ってもらえるように仕向けたのです」
 愛留が、
「アシグミさんのところへ潜入した私と怜萌ちゃんは、すべての事情をお聞きして協力することに」

 西日の射しこむ晩夏のある日、そぞろの安アパートに、綸斗が上がりこんでいた。
 母親から話を聞いてから、綸斗は悩み続けていた。
「本当は女として生まれてくるはずだったと聞いて、まだショックが抜けないんです……」
 まるまってあぐらをかいている綸斗に、ハシルがチョコ棒を差し出した。
「美味しいよ。元気出るよ」
「ありがとう、ハシルくん……。相変わらずきれいに正座してるな」
「うん。母ちゃんに教えてもらったの」
 綸斗はよけいに落ちこんだ。
「僕、本質的には女っぽいんだろうか? 根性が足りなくて宗家を逃げ出したんだろうか?」
「女だから根性が無いなんて言ったら、お袋さんや編集長たちにドヤされるぞ。お袋さんはお父さんの分まで、君を立派に育ててくれたじゃないか」
「でも、僕は自信が無くなって結界の仲間を集めようと屋台で『正座占い』を始めた」
「正座が嫌いってわけじゃないよな」
「うん、しゃっきりするから好きだよ」
「じゃあ、どうだろう? お袋さんの前で一世一代の正座をしてみせるっていうのは?」
 そぞろの助言に綸斗の瞳が輝いた。

 綸斗は勇気を出して、母親――伊奈承和子に電話した。
「母さん、僕、正座宗家の役目をやり直したいと思う」
「どういう風の吹き回し?」
「本気の覚悟だよ。その証拠に僕の精一杯の『正座』を見てほしいんだ。今度の誕生日にね」
「誕生日に? もうすぐじゃないの」
「宗家の皆さんにも見ていただくよ」

第八章 正座の結界

 秋の空が高くなったと感じられるようになった。
 紋付袴羽織姿の綸斗にそぞろ親子が続き、宗家へ到着した。愛留と怜萌もやってきた。
 庭には萩の花やコスモスが咲き乱れ、風が涼しく感じられる。
 座敷に待っていた承和子の横に、なんと家出した妻まで和服で同席していたので、そぞろは心臓が口から飛び出そうなほど驚いた。
「美歩(みほ)!」
 ハシルは母親に駆け寄って抱きしめた。
「母ちゃん、会いたかった!」
「ごめんごめん、もうどこへも行かないからね」
 妻はそぞろの元へ来て、頭を下げた。
「勝手に家を出てすみませんでした。もう一度、苦労をご一緒させてください」
 そぞろはしどもどしながら、
「一生売れない小説家のままかもしれないけどな。――いったいどうしてここへ?」
 怜萌が微笑んで、
「綸斗さんの『正座占い』の屋台を捜している時に、奥様がそぞろさんの本を屋台で販売してらっしゃるところをお見かけしたのです」
「なんだって? お前、そんなことを?」
 妻の美歩は遠慮げにうなずいた。
「少しでも役に立てればと思って……」
「それで、今日こちらへお誘いしました」
 怜萌が説明を加えた。
 元の鞘(さや)に戻るように、自分の気持ちを抑えて愛留が勧めたことだった。
『編集長、本当によろしいのですね?』
 怜萌がそっと念押しのメールを送ると、愛留はしっかりうなずいた。
 さて、床の間を背にして正座する母親の前に立った綸斗は、深く息を吸い、胸の高まりを抑えて畳の上に膝をつき、袴をお尻の下にゆったりと敷いて、かかとの上に座った。
「これからはご心配をかけないよう宗家としてやってまいります」
 承和子は綸斗の正座を満足げに眺めた。
「男だろうと女だろうと、私の子に間違いありません。今ようやくそう思います。よくぞ生まれてきてくれました。今日から宗家を宜しくお願いしますよ」
 親子は互いに深々とお辞儀をした。
「今後、あなたに子どもが生まれたら、男であろうと女であろうと宗家の跡継ぎをする権利を持ってもらいます。受けるかどうかはその子の自由にいたします」
「そ、それはまた、大きな改革だなあ……」
 そぞろが洩らした。
 座敷の隅に姿を現したアゴひげのアシグミが、力強く拍手した。
「綸斗くんが作った八角形で正座していた方々は、感心するほど立派な座り方をしていた。リーダーとして自信を持ってください」

 玄関に迎えのタクシーが来て、そぞろ親子三人が乗りこもうとすると、愛留が助手席に強引に乗りこんだ。
「これで綸斗さんは落ち着かれたことだし、さあ、そぞろ先生には、自宅にこもってお仕事していただきます!」
「ええ?」
「私、愛留編集長が玄関に正座して結界を作りますから、どこへも行かせず集中していただきますわよ!」
「そ、そんな~~」
「ハシルくんと奥様とご自分のためにも!」
 タクシーは安アパート向かって走り出した。


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