[53]正座先生、数学先生とコラボレーションする!
タイトル:正座先生、数学先生とコラボレーションする!
分類:電子書籍
発売日:2019/05/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:88
定価:200円+税
著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり
内容
茶道部部長のサカイ リコは、茶道と正座の普及のため活動する、高校3年生。
大学進学後も茶道を続けると決意したリコは、茶道サークルのある星が丘大学への進学を目指して勉強していたが、いまだ合格圏には至らず、悩んでいた。
そんなある日、リコは数学部の部長であるナツカワ シュウに声をかけられる。
なんでもシュウは、先日の期末テストにおいて茶道部部員たちがすばらしい成績を残す要因となった「正座勉強法」に興味があり、ぜひそれを自分たち数学部にも教えて欲しいのだという。
快諾したリコは、まずはシュウに「正座」の基礎を教えることになる!
果たして、数学と正座のコラボレーションの効果はいかに?
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本文
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1
わたしサカイ リコは、高校の部活動について、次のように考えています。
高校の部活動とは、生徒たち一人一人が『ぜひやってみたい』と思うものを、自分で選んで始めるものである。
なので、始めるときはできるだけ周囲からの強制ではなく、自らの意思で始めるのがよい。
もし、何らかの事情があって途中で辞めてしまうときも、自分の意思で終わりにするのがよい。と、考えています。
それは『自分の意思で決めた』と思うことでなければ、長く続けるのは難しいし……。活動を通じて得られるものの量も、大きく変わってくると思うからです。
これは、高校卒業後の進路を選ぶときにおいても、同じことが言えると思います。
進路を選ぶときは、部活動を選ぶときとは少し違い、自分自身のレベルと、希望先で求められるレベルを照らし合わせて候補を決めるのが一般的です。
しかし、たとえ自分の成績と照らし合わせて適正な進路であるからといって。周囲から勧められた進路にただなんとなく従い、合格に向けて勉強したところで……そこから得られるものは、あまり多くないのではと感じるのです。
でも、逆にそれが、自分がどうしても進みたいと感じ、自分の意思で選んだ進路であれば。
最初は決して適正であるとは言えないくらい、困難な進路であったとしても。目指す過程で自然と成績は上がり、また、勉強を通じて多くのものが得られるのではないでしょうか。
ただこれは、あまりにも自分のレベルに適さない進路を選んだ場合、合格は極めて難しく、単なる『無謀』と呼ばれるに行動になってしまいます。なので、その見極めに注意が必要なことでもありますが……。
この、高校時代の部活動と、卒業後の進路に関するわたしの意見について、実は、わたしなりに裏付ける根拠があります。
それは、わたし自身の高校生活です。
わたしサカイ リコは、現在、星が丘高校に通う三年生です。
部活は茶道部に所属し、なんと部長を務めさせていただいています。
そんなわたしは、周囲から見ると、いわゆる『部活女子』。
高校生活においてもっとも部活動を重視し、そのために日々を過ごしている人物だと、認識されていることでしょう。
しかしわたしは、実は高校二年生の夏まで、どの部活動にも属さない、帰宅部の生徒でした。
成績も、入学時にはかなりの好成績を収めていたにもかかわらず……。入学後はすっかりだらけてしまい、ずるずるとダウンし続ける状態にありました。
つまりわたしは、高校二年生の夏まで、特に熱中できることもなく、ただ漫然とした日々を送る、ダラダラとした高校生だったのです。
そんなわたしが変わることができたのは、自分の意思で茶道部に入部したからです。
きっかけは、当時三年生だった一学年上の友達に『学校祭で茶会をするから、良かったらおいでよ』と言われたことでした。
そこでわたしは、茶会に向けて正座の練習をし、長らく苦手意識を感じていた正座を克服できたことで……。
『本当は茶道部に入ってみたいと思っていた』という自分の気持ちに素直になり、入部を決意したのです。
そこから先のわたしは、まさに『部活女子』としての生活を送ることになります。
でも、これがもし『友達に強く勧められたので、仕方なく入部』したのなら。わたしはきっと茶道部の活動に熱心になることはできず、当然『部活女子』になることもなかったでしょう。
部活動中、何か思い通りにならないことが起きたり、自分の実力不足を痛感したりするたびに、人のせいにして……。
『やりたくてやっているわけじゃない!』
『自分の意思で入部したわけじゃない!』
と、言っていたかもしれません。
茶道部の活動は、これまで大変なことも多くありました。
部員が少なすぎて、入部するなりすぐ廃部の危機に直面したり。
茶道初心者であるために覚えることが多く、ついていくだけで大変だったりしたことがありました。
でも、そんな日々の中で、ずっと前向きでいられたのは。わたしの中に『ずっとやりたいと思っていたことを、自分の意思で選択して活動している』という思いがあったからだと思います。
そしてわたしは、茶道部の活動を通じて、なんと卒業後に進みたい大学も見つけることができました。
それは、星が丘大学です。
星が丘大学には星が丘高校茶道部OGも在籍している茶道部サークルがあり、わたしは高校卒業後も茶道を続けるために、ぜひ星が丘大学に進学したいと考えるようになったのです。
なので高校三年生の初夏の今は、残り少なくなった茶道部での活動を大切に行いつつ、受験勉強にいそしむ日々なのですが……。
そんなわたしに、意外すぎる協力者が現れたのです!
なので今回も。やりたいと思うことに熱心に取り組むうち、きっと未来が開けていく。
そう信じて……同時に、じ……自分も信じて……頑張りまーす!
2
「コラボレーション?」
いよいよ学校祭が近づいて来た七月上旬のある放課後は、これまで面識のなかった『彼』からの、驚きの提案で始まった。
「そう……。
僕たち数学部と、君たち茶道部のコラボレーション。
今年の星が丘高校学校祭は、それを目玉コンテンツにしたいと思っているんだ」
と言って、眼鏡をクイクイッ……。と上下に動かしたのは、星が丘高校三年生で、数学部の部長を務めているという、ナツカワ君。
「そんなこと、突然おっしゃられても……。
わたくしたち、これまで一度もお話したこともありませんのに……?」
次に、こんな感じですっかり困惑しているのが……。
わたしの後輩であり友人でもあり、頼れる部活仲間でもある、星が丘高校二年生。
コゼット・ベルナールちゃんだ。
「いいデスネー! ワタシ、大変興味ありマース!」
それから、コゼットちゃんとは対照的に、詳しい話を聞く前からノリノリなのが……。
やはりわたしの後輩でもあり友人でもあり。頼れる部活仲間でもある、星が丘高校二年生、ジゼル・ベルナールちゃん。
そして最後に、そんなコゼットちゃんとジゼルちゃんに挟まれ、リアクションするタイミングをすっかり失ってしまったのが……このわたし、サカイ リコである。
せめて、ナツカワ君の眼鏡クイクイを真似でもできたらよかったのだけど、わたしはそもそも裸眼なので、それすらできない。
この、ナツカワ君の意外すぎる提案。
これがわたしたちの、今年の学校祭準備の始まりとなる。
だけど今のわたしたちはそれを知らず、ナツカワ君の言葉に、ただ三者三様の反応をするしかなかった。
「僕がこんな提案をするのは、他でもない。
僕たち数学部と、君たち茶道部。
この二団体は、先日行われた『部活対抗・期末テストグランプリ』において、それぞれ一位と二位を獲得した、今星が丘高校において、トップクラスに頭が良いとされている団体だ。
さらに茶道部には『部活対抗・期末テストグランプリ』の試験勉強において絶大な効果を発揮した『正座勉強法』がある。
こてに、僕たち数学部の勉強のノウハウ……そうだな『数学部勉強法』とでも呼ぼうか。……を、組み合わせ。学校祭で発表した場合。
どうなると思う?
注目度の高い催しになるのはもちろん『勉強法』としての質も、最強クラスのものが仕上がるんじゃないかと思っている。
つまり、僕らが協力することで、足し算じゃなく、掛け算が成立すると思うんだ。
どうだろう。僕たちに『正座勉強法』を教えてくれないだろうか?」
「なる……ほど!?」
なんだかとてもスケールの大きな提案をされてしまったけど、まず、今ナツカワ君が言った『部活対抗・期末テストグランプリ』についておさらいしよう。
つい先日、我が星が丘高校では、一学期の期末テストが行われた。
しかもそれはただのテストではなく、良い成績を収めた団体、あるいは個人に、部費か、学校祭で金券として使用できるチケットをプレゼントするというものだったのだ。
なので、生徒はみんな大張り切り。
誰もが必死で勉強して、星が丘高校全体の偏差値まで上げてしまう勢いで、非常に頑張ったというわけだ。
ちなみにこれ、部活動に所属している人は、各部の部員全員を一つのチームとして、チーム全員の成績の平均値を、部の成績として計算。
帰宅部の人は個人で参加し、自分の成績でそのまま競争することができた。
なので『部活対抗・期末テストグランプリ』で上位を収めるということは、学校全体でもかなり賢い人間が所属する団体、あるいは学校全体でかなり賢い人である証明になるのだ。
そして、今ナツカワ君が言った通り……。
『部活対抗・期末テストグランプリ』の一位は、ナツカワ君が所属する数学部。
二位は、わたしたちの所属する茶道部となった。
そして、そんなわたしたちの勉強の秘訣は、なんと部活中日常的に行っている『正座』にあり、それは『正座勉強法』と名付けられた。
なので、ナツカワ君は今、その『正座勉強法』に目をつけ……。
『正座勉強法』に自分達の勉強法を組み合わせてより良いものに改造した、新たな勉強法を生み出そう! と、提案してくれているらしい。
だけど、いくら成績上位を収めた人々だからといって、わたしたちが協力した途端、掛け算といえるほどすさまじい、新たな勉強法を生み出せるかというと……あまりそんな気はしない。
そ、そんなに、うまくいくものかなあ……?
と、思っていると。
コゼットちゃんが右側からわたしに耳打ちし、それからジゼルちゃんが、左側から話しかけてくる。
「……あの、リコ様。
ナツカワ様は噂によると、東京大学への進学を目指す、星が丘高校においても大変優秀な方と伺っておりますが。
今回に関しては、あまりにも単純な計算をされてません?
掛け算というのはちょっと……」
「ハーイ。
コゼットの言う通り、ナツカワセンパイはとってもノリの良い方デスネーェ。
ワタシ、がぜん数学部に興味がわいてきマシター!」
「ちょっと。ジゼルお姉さま。
それって『ノリが良い』って言いますの?
あとお姉さまは茶道部の大切な書記なのですから、他の部との兼部は遠慮してくださいましね?」
コゼットちゃんとジゼルちゃん。
この二人は、その苗字と学年からもわかる通り、双子の姉妹だ。
さらに、フランスからやってきた留学生でもある。
なのだけれど。二人とも留学を始めて一年未満とは思えないほど日本語が流暢に話すことから、星が丘高校では『日本語がうますぎるフランス人姉妹』として知られている。
特にコゼットちゃんは、もはやイントネーションにおいても完璧。
もしかすると、すでに日本生まれ・日本育ちのわたしより日本語が得意な女の子なのかもしれなかった。
そんなベルナール姉妹は、性格は真逆だけど、とっても優秀なのは同じ。
姉のジゼルちゃんは、茶道部書記として。
妹のコゼットちゃんは、茶道部副部長として、部長のわたしを日々支えてくれている。
対するわたしはあまりにも平凡だけれど、最近はわたしなりに部長としての自覚をもって、積極的に行動したいと思っている。
なので、まずは、ベルナール姉妹の意見を踏まえつつ、ナツカワ君に対し、疑問に思ったことを口にしてみることにした。
「ナツカワ君。一つ質問いいかな?」
「もちろんさ。なんでも聞いてくれたまえ」
「ナツカワ君が、わたしたちと学校祭でコラボレーションしたいと思っている理由を教えてほしいんだ。
それは、やっぱり基本的には、新しい部員獲得のためなのかなって思うけど……。
『部活対抗・期末テストグランプリ』の優勝がきっかけで、数学部には新入部員が大量に入ったって聞いているよ。
だから、数学部は今、慌てて人を集める必要なんてないんじゃないのかなって、思うんだよね。
今わたしたちと無理にコラボレーションしなくても、すでに活動するには十分の人数が集まっているんじゃないの?」
「鋭い質問をありがとう。でも実はね、それこそが今僕たちが抱えている問題なんだよ。
今の数学部には、サカイくんのご指摘通り……。
『数学部に入れば、きっと成績が上がるはず!』と思って入部してくれた新入部員が、多くいる。
だけど、夏休みまではもうテストはない。
むしろこれからは、しばらく勉強のことは忘れて、学校祭の準備に打ち込む時期だよね。
……では、これまで特に数学部に関心はなかったけど『部活対抗・期末テストグランプリ』で優勝した話題の部だからという理由で、なんとなく入部した生徒たちや……。
テストで良い成績を上げるために、数学部に入った生徒たちは。
これからテストがない期間、果たして数学部に関心を持ち続けてくれるだろうか?」
「あっ」
少し話が見えてきた。
ナツカワ君は一見順調な現状に危機感を感じているからこそ『他の部活動とのコラボレーション』という、派手な行動を考えついたらしい。
「つまり僕はね。
最近入った数学部員のうちの多くは、これから二学期が始まるまでに、幽霊部員化してしまうとみている。
だから今の部員数に安心せず、新たな部員を獲得しなくてはと思っているんだよ。
でも、前回と同じような『テストでいい成績を収める』というアピール方法では、おそらく似たような結果に終わってしまうだろう?」
「……だから、学校祭で『他の部活とコラボレーションする』という形で注目を集め……。
今度は部にしっかり定着し、真面目に活動してくれそうな方を探すということですの?」
「その通りだ。えっと、きみはベルナール姉妹の……」
「コゼットでしてよ。ちなみに姉の名はジゼルですわ」
「教えてくれてありがとう。
そう、コゼットくんの言う通り、僕たちは『部活対抗・期末テストグランプリ』に続き『学校祭』という大きなイベントの中で、もう一度注目を集める必要があるんだ」
「そこで、同じく『部活対抗・期末テストグランプリ』で注目された、ワタシたち茶道部とのコラボレーションを思いついたというわけデスネー?
確かに。今の星が丘高校において、この組み合わせは『スッゴク頭のいい人たち』と思われておりますもんネ!」
「ジゼルくんの言った通りだよ。
で、どうだろう、サカイくん? この話、茶道部にとっても、悪い話じゃないと思うんだけれど……」
「うーむ……」
なるほど、そういうことだったのか。
『部活対抗・期末テストグランプリ』で一位になるまでは、数学部はナツカワ君を含めた三年生の部員三人だけで構成された、かなり目立たない部であったと聞く。
活動内容も、主に数学関係の検定試験に向けて、ひたすら問題を解くというものだったらしく……。正直なところ『これなら確かに、よっぽど数学に関心のある人でなければ入部しないかも……』とわたしは思っていたのだ。
対するわたしたち茶道部は、二年生と一年生を中心に構成されている部活だ。
三年生は、現在わたし一人のみ。
なので、来年度に入り三年生が卒業してしまってもその影響は小さく、比較的安定している組織なのだ。
部員については、他の部との兼部で活動している方が多く、茶道部一本で活動している生徒はやや少ない。
でも、その分、中心となっている部員の責任感は強く、意欲も高い。
つまり、少数精鋭であるというわけだ。今のメンバーであれば、来年度も問題なく活動していけるだろうとわたしは思っている。
だから、今は無理に他の部活とコラボレーションするよりも……茶道部単体で、堅実な活動を行い、茶道に関心のある方に『この部なら入部してみたい!』と思わせたい時期なのである。
しかも、それだけではない。
前述の通り、茶道部は『部活対抗・期末テストグランプリ』では、一位を数学部に奪われてしまった。
なので『学校祭では負けないぞ! 打倒! 数学部!』という雰囲気になっていたのである。
そんな矢先に、まさか数学部の方からこんな申し出があるなんて……。
と、わたしたちが困惑してしまうのは充分ご理解いただけると思うし、ナツカワ君には申し訳ないけれど、今回は断るのが無難だと思っている。
だけど個人的には、数学部に対して、強く共感するのも事実だ。
なぜならば、わたしが入部した当時の、去年の去茶道部も……。
やってきたばかりのわたしを除くと、部員は三年生が三人のみという、まさに『部活対抗・期末テストグランプリ』前の数学部とまったく同じ、危機的状況にあったからである。
去年の茶道部はそこから様々なPR活動を行い、部員を増やした。
だけどその過程には、やはりナツカワ君が今の数学部部員に対して懸念しているのと同じ。
『その場の雰囲気で入部してくれたけれど、すぐに幽霊部員化してしまった部員が、何人か誕生した』
『部員数そのものは増えたが、それは本命の部と並行して所属する、兼部の部員ばかり。専任で積極的に活動してくれる部員は増えず、戦力は補強されないままの状態が続いた』
という問題が発生したのだ。
だから当時のわたしが思ったのは、部員が増えるのは嬉しいことだけれど、それ以上に、部に定着し、しっかり活動してくれる人が欲しいということだった。
茶道部は文化部な上、他の団体と競い合う、大会といったものも存在しない。
だから、運動部のように、何人以上いないと試合が成立しないとか、音楽系の部活のように、そもそも演奏ができない、といったことはない。
なので一見のんびりしたものに見えるかもしれないけど……競争が存在しないからこそ、自分たちで目標を定めて、そこに向かって努力するという自主性が強く求められる。そしてそんな活動をするには、意欲的な部員たちが必要なのだ。
数学部も、おそらく茶道部と基本的には同じだ。
つまりナツカワ君たちは……。学校祭を利用して、去年の茶道部におけるわたしやコゼットちゃんやジゼルちゃんのような、次年度積極的に活動してくれそうな部員を探そうとしているのだ。
「僕たち数学部は、これまでは、そんなに活動の多い部活ではなかった。
さらに、友人三人で集まって作った部だから。
『悪い意味で、内輪で盛り上がっている』『後から入部する勇気を出しづらい』『そもそも、何をやっているのかわからない』という印象を持たれてしまっていた。
だから僕たちは、引退までにそれを払拭し、次の世代への引き継ぎを、なんとか成功させたいんだ。
今のままでも、気が向いたら参加するとか、兼部するとかという形で所属し続けてくれる部員はいるだろう。
でも多分、真の意味で定着してくれる部員はいない。
そんな彼らに今後の方針をしっかり打ち出し、数学部は所属に値する魅力的な部であると思ってもらうこと。
『部活対抗・期末テストグランプリ』で数学部の存在を知り、それなりに関心は持っているものの、まだ入部に至っていない生徒たちに、もう一度アピールすること。
数学部が生き残るには、この二点が急務であると思っている。
そこで、茶道部の力をお借りできればと思ったんだ。
最初は『部活対抗・期末テストグランプリ』のときと同じように、他の部と競い合うことで、自分たちの良さをアピールすることも考えたが……。
果たして、今回も勝負する必要はあるのか? と気づいたんだ。
部費はどの部においても切実な問題だったから『部活対抗・期末テストグランプリ』では、どの部も勝負せざるを得なかった。
だが、学校祭は違う。
学内の生徒たちはもちろん、遊びに来てくださった外部の皆さんを楽しませることが目的だ。
果たして、校内の部活同士で争っている暇はあるのかな?
たとえば比較的規模の小さい部活動同士で協力して活動できたら、本来以上の力を出すことが可能なんじゃないかな?
……と」
「なるほどね。
確かに茶道部も数学部も比較的規模が小さいから、普通に出し物をしてもあまり目立たないかもしれない……。というのは、わたしも正直同意できるな。
特に人数の面では、わたしたちも悩んでいたし」
「そうなのか。であれば、ぜひご検討いただきたい。
これが突然であることも、勝手な話であることも、理解しているが……。
もちろん、タダで協力してくれとは言わないからね。
たとえば学校祭当日は、僕たちのことを労働力として使ってくれてかまわない」
「えっ……!?」
「それから、僕はこれでも東京大学志望でね。
もし協力してくれるのであれば、茶道部員のみなさんにはマンツーマンで苦手科目の指導をし、成績を上げるお手伝いをさせてもらうよ。
当然、数学以外も教えるよ。
実は家庭教師のバイトもしているので、教え方には自信があるんだ」
「ワー! それはすごいデース!」
「むむむ……もし当日茶会を手伝っていただけるのなら、確かにそれは魅力的ですわね……」
と、わたしたちの心が少しコラボレーションする方向に傾きかけたとき。
ナツカワ君はふと時計を見ると、突如床に置いていた鞄をヒョイと持ち上げる。
そして小さく頭を下げ……。
「おっと。申し訳ない。アルバイトの時間だ。
今日はこの辺で失礼するね。良い返事を期待しているよ」
「えっ!?」
「では、また」
と言って、まるで風のようにその場を去って行ってしまった。
「い……行ってしまったねえ……」
こうして取り残されたわたしたち三人がポカンとしていると。
「おおー。あれはナツカワじゃないか。相変わらずだな。あいつも」
「ユモト先生!」
今度はわたしたちの元へ、最近すっかりわたしの生活指導担当となっている、ユモト先生がいらっしゃった。
「ユモト先生は、ナツカワ君のことをご存じなんですか?」
「もちろんだ。ナツカワが一年生のときの担任は、僕だったからな」
それならさっそくユモト先生に、ナツカワ君について聞いてみよう。
そう思っていると、わたしよりも先に、コゼットちゃんが手を上げる。
「それでは。あの、ユモト先生。質問よろしいでしょうか?
ナツカワ様は、一体どういった方なのです?」
コゼットちゃん、早い!
わたしの左隣のジゼルちゃんも、コゼットちゃんに先を越されて残念そうにしているので、ナツカワ君についてもっと知りたいと思っているのは、三人の共通意見のようだ。
ユモト先生は顎に左手を当て、親指と人差し指ではさむポーズをし。
どう表現すべきか……といった表情を浮かべたのち。やがてこう話し始めた。
「ナツカワはなあ……。
一言で言うと『思い立ったら何でも、すぐにやるタイプ』。
それから『やりたいと思ったことは、すべて挑戦するようにしているタイプ』だな。
とにかく悔いの残らない高校生活を送りたいと思っているらしい。
元々非常に優秀なやつで、本当なら、星が丘高校よりも、もっとレベルの高い高校に行けたはずなんだが……。
家庭の事情で偏差値の高い私立高校はやめて。
家から近くて、偏差値がまあまあの。公立の星が丘高校を受験することになったんだ。
でも、大学は東京大学を強く志望していてな。
入学してすぐに『このままお金がないという理由で、東京大学を諦めたくない』と言って、僕のところに、アルバイトの許可証をもらいに来たんだ。
それから、アルバイトをしながら勉強し、さらに数学部の活動も行いながら東京大学を目指す生活をしているというわけだ」
「あ、だからナツカワセンパイは『家庭教師のアルバイト経験がある』とおっしゃってたんデスネー!
星が丘高校は、基本アルバイトは推奨されてないと聞いてイマシター。
だから、不思議だと思っていたんデース!」
「ああ、そういうわけだ。
ナツカワはとても努力家で、模範的な生徒だよ。ただちょっとあの通り、暴走しがちな一面はあるがな」
「でも、ユモト先生。
わたくしには、ナツカワ様は少しオーバーワーク気味といいますか。
『やりたいこと』を抱えすぎのように見えますけれど……」
「きみの意見ももっともだ。
だけどナツカワは、数学部を立ち上げた人間として、責任を感じているんだろうな。
数学部が、自分たちが卒業したとたん、廃部になってしまうようじゃ……。
『創始者である生徒達が、新入部員を入れることに尽力せず、内輪で盛り上がっていただけ。結果、卒業したとたんに消滅してしまった』と思われても仕方ないからな」
「そんなこと……!」
「たとえ周囲はそう思わなくても、ナツカワ自身はそう思ってしまうんだろうなぁ。
だから、あそこまで必死なのさ」
「ナルホドー。ナツカワセンパイがすっごく真面目で、すべてに全力という方なのが、今のご説明でとてもよくワカリマシター」
コゼットちゃんの質問で始まったユモト先生のお話は、ジゼルちゃんの言葉でまとまってしまった。
なのでわたしは、またもうまく口をはさめず、ユモト先生と同じ、顎を親指と人差し指の間ではさむようなポーズで……。どうするべきかと考えるにとどめるのであった。
「だからまあ。急だし、冷静に考えたら難しいのは僕もわかるんだが。
良かったら考えてやってくれないか。
ナツカワの言う通り、茶道部にとっても決して悪い話じゃないと思うから。
……おっと僕も職員会議なんだ。そろそろ行くよ。
じゃあ、サカイたちもあまり遅くならないようにしろよ」
「はーい……」
こうして、放課後の廊下はわたしたち三人だけという、最初の状況に戻る。
揃って部室へ向かう途中だったのに、その短い移動距離の間に、随分色んなことが起きたような気がする。
「ナツカワ様とユモト先生。お二人の話を総合しますと……。
ナツカワ様は学校祭で、数学部に入りたいと思うような強烈なアピールがしたい。
だけど今の数学部だけでは求心力に欠けるので、茶道部の力を借りようと思った。
もしわたくしたちが承諾するなら、数学部のみなさんはそのお礼として、学校祭で茶道部のサポートをしたり、家庭教師をしたりしてくださると……。
そして、そこまでナツカワ様が数学部のために尽力する理由は、部の今後を明るくしたいと思っているから。
できるだけ後悔のない高校生活を送りたいと思っているから……。
なのですわね。
ナツカワ様の口ぶりですと、わたしたちは学校祭当日までに『正座勉強法』をナツカワ様にお伝えする作業を行って……。
それを『数学部勉強法』と組み合わせた新しい勉強法を、学校祭当日に冊子やポスターにまとめる形で発表するのでしょうか。
で、学校祭当日は、数学部のみなさまは茶道部のお手伝いをしてくれると」
「『労働力』って表現をしていたし、きっとそうだよね。
その点も含めて、一度ナツカワ君のところまで確認しにいかなきゃいけないね」
「ですわね。あの、リコさま。
わたくし正直なところ、このお話。断るのが無難かと思っていたのですが……」
「ワタシも。ちょっとムズカシイかなー? と思ってたんデスガ……」
「うん?」
そこで、コゼットちゃんとジゼルちゃんが、同時にわたしの顔をじっと見る。
わたしの気持ちはまだ固まらないが、どうやら二人の気持ちはすでに決まりつつあり、しかも、それをお互いに理解し合っているらしい。
その『気持ち』がどんなものかはすでに予想がつくのだけれど、であれば、なぜわたしの方をじっと見ているんだろう……?
「わたくしは、ナツカワ様とお話していて感じた印象と、ユモト先生がおっしゃっていたナツカワ様の人物像が、少し誰かに似ていると感じております。
なので個人的には、放っておけないといいますか……」
「あはー。コゼットの気持ち、とてもよくわかりマース。
ワタシたちの良く知る方に、そんな方がイマスからネー」
「うん? それって、もしかしなくてもわたし?」
その理由とは、わたし自身にはまるで自覚のないところにあったようだ。
コゼットちゃんとジゼルちゃんは、仲良く並んで『うんうん』と頷き、再びわたしの顔をじっ……と見つめるのであった。
「さようでございます。
ナツカワ様の、目的に向かって一直線なところ。
そのために時々少し妙な理屈を展開したり、暴走とも取れる行動を取ることもありますが……。すべては自分の所属する団体のためであるため、憎めないところ。
この二点、わたくしはリコ様に似ていると感じますの。
なので……では、お姉さま。わたくしたち姉妹の意見は、おおむね同じなように思えます。
なので、順番にリコ様にお伝えしましょうか」
「そうデスネー! ではまず、コゼットからドウゾー。
もし二人の意見が同じだったときは、都度ワタシも『ワタシもデース』と同意しマス」
「承知いたしましたわ」
そう言ってコゼットちゃんは一歩前に出て、ジゼルちゃんは逆に一歩下がる。
「リコ様。わたくしはこの件、リコ様の判断にゆだねたいと思っております。
でも、たとえばリコ様が『ナツカワ様にどうしてもと頼まれたので、仕方なく協力しようと思う』。
あるいは『ユモト先生にはお世話になっているので、先生の意向には従いたいから、協力する』とおっしゃるのであれば。
強く反対するつもりです」
「はい! ワタシも同意見デース」
「でも。リコ様が『ちょっと興味あるかも……』ですとか。
『なんだかわくわくするコラボレーションだなあ』などなど、前向きな気持ちをお持ちであれば。
わたくしは、飛び込んでみるのもどうか? 少なくとも、悪い話ではない。
と思っております」
「これも! ワタシもデース!」
「ただ、この件に関して、多くの人数、時間は割けないでしょう。
わたくしたちが推測している通り、数学部へ出向くのが、学校祭が始まる前の……。
たとえば短期間のお手伝いという形であれば。
なんとか『正座勉強法』の伝授と、茶道部の活動は両立できるでしょう。
しかし、たとえば学校祭当日まで数学部に通い詰めてお手伝いをし、当日も数学部のブースに来て作業してほしい……。というものであれば、協力は難しいとわたくしは考えます。
なのでまずはそこを確認の上、相談、あるいは交渉を行う必要がございますわね。
そして問題の『誰が教えに行くか』ということですが……。
わたくしは、リコ様が適任なのではと感じております。
ナツカワ様は主にリコ様の活動を評価してわたくしたちに声をかけたのでしょうし『正座を教える人』という点においても、リコ様が最もふさわしいと感じております。
大人数で行ってもしょうがないでしょうから、リコ様単独での指導がベストかと」
「これにも同意デース!
なので! リコセンパイの気持ちが、数学部に正座を教える方向に傾いているのであれば。
ワタシたちは応援しマース。
その間の茶道部は! ワタシたちにお任せクダサーイ!
……というか、ホントはワタシがお手伝いに行きたいくらいなんデスガー。
ダメデス? ジゼル……」
「ダメに決まっているじゃありませんか!
最近、二年生に活動の主な部分を、少しずつ任せるようになったリコ様はともかく。
ジゼルお姉さまは次期副部長なのですからね!
今はそれどころじゃありませんわよ!」
「ハーイ……」
すっかり背中を押されてしまった。
わたしの気持ちは、二人にはすっかりお見通しのようだ。
そう。わたしはナツカワ君に協力がしたい。
かつての茶道部と似た境遇にある数学部の、力になりたいと思っているのだ。
「……二人とも、どうもありがとう。
明日にでも、ちょっと話を聞きに行ってみるよ。
二人の言う通り、実は興味ありありなんだよね。
だって、茶道部とは無関係のところで『正座』に興味を持って、声をかけてくれたっていうのは……。
茶道部としてだけじゃなく『正座先生』としての活動も認めてもらえたみたいで、嬉しいじゃない?」
「リコ様なら、そうおっしゃるだろうと思っていましたわ!」
「ハーイ! これまたワタシも同意デース!
アッ! デモ……。
もし人手が足りないときはー。このジゼルをお呼びクダサイネ?
いつでも駆けつけマスから!」
「だ! か! ら! お姉さまはダメですってば!」
では『正座先生』としての出張活動、前向きに検討してみますか。
二人がじゃれ合う姿を見ながら、わたしは新たに与えられた課題に胸を高鳴らせた。
3
こうしてわたしは、初めて『茶道』とは無関係のところで正座を教えに行くことになった。
「では、改めまして三年五組と数学部所属のナツカワです。
サカイくん。今日は指導、よろしくお願いします」
「はい! 三年二組と茶道部所属のサカイです。
ナツカワ君、今日はこちらこそよろしくね!」
ナツカワ君から最初に話をもらってから、二日後。
ナツカワ君の提示する条件が、先日わたしたちが推測した通りのもので、茶道部の活動にそこまで支障はないと判断したわたしたちは、正式に協力を約束した。
そして早速、数学部の部長であるナツカワ君に、正座を教えに行くことになったわけだ。
ということで、今日はその正座練習当日なのだけれど……。
わたしはてっきりその練習会場は数学部の部室か、はたまた全く違う、とにかく人のいないところなのだと思っていた。
しかし、実際に呼ばれたのは、なぜか普段運動部がトレーニングルームとして使用しているはずの、多目的室である。
どうしてここに? と思っていると、よっぽど考えていることが顔に出ていたんだろう。
ナツカワ君が説明してくれた。
「男子と二人きりの指導では、サカイくんも居心地が悪いと思ってな。
正座の練習場として、今日はここを用意してみたんだ」
「本日のアーチェリー部は、一日この多目的室でトレーニングの日ですから。
アーチェリー部だけでは広すぎますし、茶道部と数学部の合同練習場として提供させていただくことにしました。
だから、こちらのエリアは遠慮せず自由に使ってくださいね」
「あれ!? アンズ!?」
さらにそこへ、わたしの友達のキリタニ アンズまでもがやってくる。
アンズはわたしの大親友で、アーチェリー部では通称『裏顧問』と呼ばれるほどの実力者だ。
なので、確かにアンズを通じて相談をすれば、アーチェリー部に関する交渉は格段に成功しやすくなるだろう。
ということは……。この二人、実は知り合いだったの!?
目を白黒させていると、二人がニコニコと会話を始める。
「キリタニくん、今日は本当にありがとう。
君の協力があったおかげで、先生たちからもあっさり許可が出たよ」
「このくらいいいんですよ。
いつも奥のエリア、未使用でもったいないなって思っていましたから。
……ああ。リコにはお話していませんでしたね。
実は私たち、中学時代からの友人なのです。
なので今日はナツカワ君の相談を受けて、空いている場所を提供することにしたの。
今の話通り……。
部員たちはもちろん、顧問の先生の許可も得ているから、気にしないでくださいね」
「そういうわけだ。
サカイくんとキリタニくんは仲がいいと聞いていたので、キリタニくんが近くにいるなら安心だろうと、アーチェリー部が使う場所をお借りさせていただいた」
「そうだったんだ……」
「じゃあまたね、ナツカワ君、リコ。何かあれば、いつでも私を呼んでください」
随分気を遣ってもらってしまった。
けれど確かに、たとえば狭い部屋で二人きりで練習……という形だったら、わたしの気分は、正直なところ、とても窮屈だったことだろう。
わたしのことを考えて、アンズをはじめとするアーチェリー部の方々に場所の提供をお願いしてくれていたナツカワ君に、わたしは感謝した。
「では早速始めようか。
服装は、サカイ君の指定通りジャージにしたが……。
本当にこの格好でいいのかい?
聞くところによると茶道では、和装ができない場合、スーツ、あるいは制服で茶会に参加するそうではないか。
制服の方が良かったのでは?」
「正座初心者さんが座り方の練習するときは、ジャージが一番適しているんだよ。
生地が柔らかいから、足を曲げて座っても圧迫されなくて、負担が小さいの。
だから、足にぴったりしたズボンをはいて正座するときよりも、足が痺れにくいんだ。
……もっとも、今ナツカワ君が言った通り、制服で茶会に参加することもあるから。
女子であれば、制服のスカートは足を締め付けるはずもないから、最初から制服で練習するのもありだね」
「なるほど。納得した。ではジャージでお願いしたい」
こうしてわたしは、アンズたちアーチェリー部がトレーニングをする横で、ナツカワ君に正座を教えることになった。
人に正座を教えるのも、これでもう何度目になるかわからない。
だから、今日もきっと、問題なく指導できるだろう。
……と、言ってみると。なんだか自分が自称している『正座先生』という称号が、いよいよ自分にぴったりなものになってきた気がするのであった。
「では、基本的な座り方を教えるね。まずは……」
「待ってくれ。座り方の前に、足が痺れにくくなる方法を教えてくれないか。
お恥ずかしい話だが……。
僕、正座をしてもすぐに足が痺れてしまうんだよ。
それが怖くて『正座は身体にいい』と言われても、正座する勇気が出せなくてな」
「そうだったんだね。
足が痺れる原因っていうのは、足が圧迫されることによって、血流がスムーズにいかなくなってしまって。末梢神経の機能が低下した結果、身体に『今の姿勢を続けるとまずいよ!』って知らせるために、電流を流しているってことなんだ。
だからつまり、痺れないためには、足を圧迫させなければいいんだよね。
足への負担を減らす座り方をすることが必要なんだ」
「ぐ、具体的には?」
「背筋を伸ばすことだね。
背筋を伸ばさずにダラリ……って座っていると。体重がお尻にかかってしまうの。
で、正座っていうのは、お尻の下に足を敷く座り方だよね?
だから、背筋を伸ばして、できるだけお尻へ体重をかけないようにするのが、そのまま痺れ対策になるんだ。
そうそう。わたしたちがなぜ、正座を勉強の助けにできるって考えたかって言うと。
正座には、集中力を上げる効果があるからなんだよ。
その根拠は、正座をすることで骨盤が左右対称になり、背筋が伸びることにあるの。
背筋が伸びることで、身体が吸収できる酸素量は増える。
この結果、呼吸は整えられ、脳の働きが良くなるってわけなんだ。
だから、逆に言えば、背筋を伸ばすことが『正座勉強法』においては必須なんだよね……。
たとえ正座できていたとしても、背筋が曲がったままなら、身体が吸収する酸素量は増えないままだし。つまり、脳の働きは良くならないから」
「なんだって……!? すごく心当たりがあるぞ。
実は僕、猫背でね……。
座っていると、背中がどうしても曲がってしまうんだ。
克服するにはどうしたらいいかな?」
「それなら、おへそより下……下腹の部分へ向かって力を入れるみたいな感じで座ってみるといいかも。
自然と背筋が伸びるっていうか……背中を曲げる方が大変になる気がしない?」
「なるほど。こうかな? おお……なんだか腹筋が鍛えられる気がするよ!」
「今言った場所に力を入れながら掃除機をかけたり、自転車に乗っても筋肉が鍛えられて背筋が自然と伸びるらしいよ。
もし今日のやり方でまだ正座がしづらいと感じたら、それらの運動や、筋トレをしてみるといいかもしれないね」
「なるほどね! とても勉強になったよ。
では、背筋を伸ばすことを最優先事項として……。
それでも痺れそうになったときはどうしよう。
足を組み替えてもいいのかい?」
「うーん、ダメではないけど……正座中の足の組み換えは、膝とかに負担がかかってしまうんだ。だから、可能であれば避けて。一度正座をやめた方がいいかもしれないね。
『絶対正座し続けなきゃいけない』と思うと、きっと続かないから。
つらくなってきたらやめて、次の機会に持ち越すのも手だよ」
「わ、わかったよ。
では、まずはここまでメモを取らせてもらおうかな……」
ナツカワ君への『正座指導』はこのように始まったけれど、どうやらナツカワ君は正座に対して苦手意識があるようで、すぐには正座しようとしなかった。
痺れることを前提に考えて、先に『痺れたときはこうする』という知識を持ってから正座する方が、安心してできるタイプらしい。
なので、無事に正座を始め、わたしがこんな提案ができるようになるころには、十五分は時間が経過していた。
「じゃあ、うまく正座できたことだし。今からしばらくおしゃべりでもしようか。
さっき教えた通り、下腹に力を入れることを意識して座り続けてね。
でも、途中でもし正座がつらくなってきたら、その場で足を崩していいからね」
「おしゃべり!? そんなの、いいのかい?
正座の練習とはもっと真面目で……厳しいものでは?
僕はいろいろ説明も聞かせてもらったことだし、これから無言で正座し続けるのだとばかり思っていたよ」
「いいんだよ! 正座っていうのは、決して堅苦しいものだったり、厳しいルールの下でするものではないの。
まずは正座しながら、リラックスして話すことを練習しよう?
わたしたちこれまで、面識もなかったじゃない?
だからコミュニケーションもかねて、ちょっとお話したいな」
「ふむ……そうなのか。では、そうしよう。
そうだ。おしゃべりをするなら、まず言っておこうかな。
実は僕ね。サカイくんのことは入学したころから知っていたよ。
サカイくんは先ほど僕たちの関係を『これまで面識がなかった』と表現したけど……。
僕としては、以前から一方的に知っている仲であったといえる」
「えっ、どうして!? もしかして、アンズから話を聞いていたとか?」
「そうではないよ。
というか、どうしても何も……。君、入学時はスターだったじゃないか。
トップ入学だったろう?
いったいどんな秀才なのだろうと、つい注目してしまったんだ」
「あ、なるほど……」
わたしの成績……。
おしゃべりタイムになるなり意外なものが飛び出したので、ちょっと戸惑う。
それは、今では決して良いとはいえないものなので、もはや『過去の栄光』としか言えない。
だけど、あれをきっかけにわたしの存在を知ってくれたのだと思うと、なんだか嬉しい。
たとえその後成績が落ちてしまっても、そのときおさめた結果は、残り続けるものなのだ。
「わたしはね。ナツカワ君のことはこれまでよく知らなかったけれど、ユモト先生に少し教えてもらったよ。
難しい大学を目指す勉強をしながら、数学部の活動もして、さらにアルバイトもしてるんだって?
そんなに忙しい中、アーチェリー部と交渉して場所を借りてくれたなんて、本当にありがとう。
今日だって、時間を捻出するの、大変だったでしょう」
「いいんだよ。僕が言い出したことなんだから、それくらいするのは当然だ。
そもそも、僕は忙しいのが大好きだからな」
「そうなの? 忙しさを楽しむコツってある?」
「コツと言われると特に思いつかないが……。
やるべきことを自分で用意して、それを達成するための生活をする……。
つまり、目的意識があるのとないのでは、毎日の張りが違うだろう。
だからしいて言えば、目的を持つことが忙しさを楽しむコツかな。
サカイくんもそう思わないかい?」
「思う! 茶道部に入る前と今じゃ、日々の充実度がまるで違うもん」
「そうだろうそうだろう」
話し始めると、確かにわたしとナツカワ君には共通点が多かった。
もちろんナツカワ君は多くの面においてとっても優秀な人だから、努力の度合いや学校の成績は、ナツカワ君の方が圧倒的に上だ。
でも、考えは意外なほど似ていたのだ。たとえば、ナツカワ君のこんな考え方である。
「目的を持って、その達成のために日々忙しくしていると。
充実感を得られるのはもちろん、かえって他人に優しくなれると思うんだ。
良くも悪くも、人に注意を向けられる時間が減るからね……。
実は僕ってかなり怒りっぽい方なんだけど、できるだけ忙しくするようになってからは、少しムッとくることがあっても『他にやることがあるから、怒っている暇はない』『この人も今、色々大変なのかもしれない』と、軽く流せるようになった。
あとそれから、時間があるころは他人の粗が目についてしょうがなくて、ピリピリしがちだったが……それもなくなった。
しかも、同じように忙しい日々を送っている人の気持ちも理解できるようになった。だから相手がミスをしたり、約束に遅れるようなことがあっても『疲れているのかな』『であれば、余裕がなくなるのも仕方ないな』と寛容になれた。
「それ、わかる!
忙しいと余裕がなくなって、怒りっぽくなるものかなって思ってたけど。
やっぱり目的意識があると、最優先でそこへ向かっていくから。
『これは今すぐにやらないとね!』っていうことと『これは、今は置いておいてもいいよね!』って部分をうまく取捨選択できるようになって、無駄が減った気がする。
人に対して優しくなれたっていうのもわかるな。
忙しく色んなことをしていると、辛いことを経験する確率も上がるから。
その分ちょっと人として成長できる気がする。
だからと言って『忙しい』を理由にやるべきことを無視しちゃったり『忙しい自分』を自慢するのは良くないけどね」
「その通りだ。サカイくんと考えが近くてよかったよ。
……だってこの『忙しさ』に対する考えは、僕個人のものだから。
基本的に人は忙しい生活を嫌がるものだし、目的意識があればなおのこと、余計な仕事を増やしたくはないだろう?
だから、まさか応じてもらえるとは思ってなかったんだ。
てっきり、断られるのだとばかり思っていたんだよ」
「そうだったの? なのに、よく誘ってくれたねえ」
「悔いを残したくないのさ。どんな些細なことにおいてもね」
なるほど……。
ユモト先生がおっしゃっていた通り、ナツカワ君は、とにかく後悔をしたくないタイプらしい。
だからおそらく、もし後悔するとしても、行動しなかったことによる後悔より、行動したことによる後悔をしたい。と、考える人なのだろう。
その気持ちはとてもよくわかる。
それに、そんなナツカワ君に共感してしまうあたりが『二人は雰囲気が似ている』とコゼットちゃん&ジゼルちゃんに言われた要因な気がするのだった。
「少し話しづらいことではあるが。
茶道部も、数学部も……部としては、最近までかなり苦しかっただろう。人数的に。
にもかかわらず『部活対抗・期末テストグランプリ』においては、それまで注目度の低いこの二つの部活が、なんと一位と二位を独占してしまった。
正直なところ痛快だった。
こんな面白いことはめったにない。だから、茶道部と何か協力して物事に取り組めないかと思ったんだ」
「それが、学校祭でのコラボレーションだったってこと?」
「そう。それに僕の狙いは、他にもあった。
それは、単純にお互いの出し物をよくするということだよ。
『部活対抗・期末テストグランプリ』でいい成績はとったが、星が丘高校における数学部の立場は、まだまだ弱い。
聞くところによると、茶道部も近い境遇だそうじゃないか。
だからこのままでは、学校祭において生徒会から、さほど重要視されない可能性がある。
でも、二つの部が協力して、合同開催の出し物をすれば……。
おそらく当日発表場所として割り当てられる場所が、単体で出し物をするときよりも、良くなるはずだ。
単純に人数が増えるからね。
具体的に言えば、茶室だけではなく、茶室の隣の空き教室も貸してもらえる可能性が上がる。
もし茶道部が、たとえば外で茶会をするなど、場所にこだわらない姿勢を見せれば……。
もっといい場所に配置されることも夢じゃない」
「ああ! 去年の学校祭で男子サッカー部と男子バスケットボール部がコラボレーションして、女装喫茶をしたときは……。
規模が大きくなった分、広めの教室が割り当てられたもんね。
確かに茶道部が単体で参加してたら『場所は茶室と茶道部部室だけ使ってね』って言われてたかも」
「そういうことだ。
去年の僕たちは悲惨だったからな……。
四階のはずれの教室なんていう、よっぽど興味関心のある人間しか来ない場所へ割り当てられてしまった……。
こんな経験、次年度に生かすしかないだろう。
だから今回は先に打って出ることにしたんだ」
どうやらナツカワ君は、思った以上に茶道部のことを調べて、考えていてくれているらしい。
それでもって、負けず嫌い。失敗の経験を、なんとしてでも次に生かそうとしている。
そんなところは、コゼットちゃんに似ている気がする。
そういえば、わたしとコゼットちゃんも似ていると時々言われるから、わたしに似ているコゼットちゃんとナツカワ君が似ているというのも、当然と言えば当然なのかもしれない。
「なりふり構って、手段を選んで。
確かにそういう生き方はスマートかもしれない。
そのやり方でうまく行くのなら、僕もそれがベストだとは思う。
でも僕はそうじゃない。やれることは全部やらないと、目的を達成できない程度の人間だ。
だから茶道部に協力してもらおうと思ったんだ。
……突然だけどサカイ君。君は一つの部長として、周囲に伝えたいと思っていることはあるかい?」
「それは……」
確かに突然の質問だけど、もちろん、ある。
でも、どう言葉にするべきか。
そう考えていると、ナツカワ君はわたしが返事に困っていると思ったのだろう。
先に、自分の考えを教えてくれた。
「僕はね。数学部の活動を通じて『人は変われる』ということを伝えたいと思っている。
数学も、正座と同じように、苦手な人は多いだろう?
たとえば文系の私立大学に進学するなら、受験科目にも入らない。
だからもういいだろうと言って、まったく勉強しなくなってしまう人もいるくらいだ」
「そうだよね。まさに、正座も同じだと思う。
わたしも以前は『自分の生活には特に必要ないから』って理由で正座を避けて、苦手意識を持ったまま生活していたよ」
この場でははしょるけれど、実は、数学に対してもわたしは同じように思っていた。
つまり、もし茶道に本気にならなかったら、わたしは正座から逃げる人間になっていただけでなく、数学からも逃げる人間になっていただろうということだ。
ナツカワ君の指摘通り、数学を受験科目にしたくないという思いから、受験科目に数学のない大学を選んでいた可能性もあるのだ。
だけど、実際はそうならなかった。それは『茶道がやりたい』と自分の意思で決め、そのために正座を克服し……。今はもっと茶道をやるために、数学の勉強も始めた。
だから正座と数学は、やりたいことをやるために始めたものだったけれど……。
正座に関しては、今では苦に感じるどころか、良さやその面白さを知り、周りに伝えるようになり、いつしか『正座先生』と呼ばれるまでになった。
そして今はその正座の技術を生かして、これまでかかわりのなかった人たちと交流している。
であればわたしは、いつか『数学先生』にもなれちゃうのだろうか……。
それはさすがに夢の見すぎかもしれないけど、想像するだけでなんだか幸せな気持ちになった。
よっぽどニヤニヤしていたのか、そんな思考が読まれていたようだ。
ナツカワ君は時々背筋を整え直し、お腹に力を入れるような動作を繰り返しながら、わたしにこう言ってくれた。
「はっきり言うよ。君はもう一度秀才になれると思う」
「へっ!?」
「だって入学時点では、君は僕を差し置いて一位になってるんだ。
良い勉強法さえ見つければ、また君は好成績に戻れる。
そう考えるのが自然だろう?
正直に言うね。僕は一度君に負けたものとして。それから、家庭教師の端くれとして。
君の現状を歯がゆく思っている。
『部活対抗・期末テストグランプリ』できみの成績は上がった。でも、まだ安定しない。
だから良い教師が必要だ。
今回協力してくれるお礼に、僕がその教師になろう。
君の志望校は星が丘大学だろう? 大丈夫だ、僕がついていればなんとかなる。
君の進路は僕がなんとか導いてみせよう。
だから君は『勉強があるから』なんて言わず、君が心からやりたいと思う活動を、ギリギリまで続けてほしい。
そして高校三年生の最後のテストが終わるころには、再び僕と肩を並べる優秀な生徒に戻ってほしい」
「ありがとう……ナツカワ君が協力してくれるなら、できる気がする!」
ナツカワ君の申し出を受けて、彼の『正座先生』になって。
ゆっくりお話する機会ができてよかったなあ。
これまで数学部のことはただのライバルに思っていたけど、実際はそんなことはなかった。
ナツカワ君はとても頭が良くて、常にみんなをいい方向に導くためにいろいろ考えてくれる人だったのだ。
外に目を向けてみると、こんなにいいことがあるんだ。
これだから、部活はやめられない。新しく視野を広げるチャンスを、いつもわたしにくれるのだ!
「よし! ではそろそろおしゃべりは終了して、僕の細かな座り方をチェックしてもらおうかな。よろしく頼むぞ正座先生!」
「望むところだよ数学先生!
……終わった後は、ぜひぜひ数学のコーチをよろしくお願いしまーす!」
こうしてわたしたちはお互いの得意分野を教え合う約束をし、その様子を、遠くからアンズが笑顔で見つめてくれている。
わたしはふと目が合ったアンズに小さく手を振ると、ナツカワ君に次の正座に関する極意を教えるべく『正座先生』としての活動を再開した。
4
そしてそれから、さらに二日後の、放課後。
とうとう今月中旬に行われる学校祭の、各出し物の配置が発表された。
配置の発表は、各部活の代表が、生徒会室まで配置表を取りに行くという形で行われる。
当然ながら我が茶道部は、わたし、コゼットちゃん、ジゼルちゃんの三人で向かったわけだけれど……。
配置表を見たコゼットちゃんとジゼルちゃんの手は、震えていた。
とても信じられないことが起きたという表情で、目を見開いている。
「……とんでもないことにナリマシター……!」
「ええ。……あの、リコ様、ナツカワ様。
これについて、一体どのようにお考えですの?」
そんなベルナール姉妹の両脇には、わたしと、すでにもう配置表を受け取っていたナツカワ君が立つ。
だけどわたしたち二人は、こうなることをすでに理解していたので、冷静だ。
手が震えたり、信じられないと思うこともなく、この結果をすんなり受けとめている。
「やはり『部活対抗・期末テストグランプリ』の一位と二位が組んだというのは、先生や生徒会としても無視できないことだったようだね。
ここで僕らを冷遇したら『テストで頑張っても、部活動にさほど良い影響はないのか』と、部活動に所属するすべての生徒に思われかねないからね」
「すごいね、門をくぐってすぐのところに配置だよ……!
これなら、学校祭に遊びに来てくれた外部の人は、全員通ってくれるじゃない!」
そう……。ナツカワ君の目論見は当たったのだ。
人数が少ない、しかも目立たない文化部。
本来であれば校内の足を運びにくいところに配置されがちなわたしたちの会場は、なんと校門を入ってすぐの、絶好の位置に配置されたのだ。
これは普段の部活動はもちろん『部活対抗・期末テストグランプリ』の影響が大きい。
わたしたち茶道部と数学部は、部活と勉強の両方を頑張ったことで、道を切り開くのに成功したのである。
だけどこれは、容易に予想できるものではない。
もしわたしたちが仲良くなることもなくバラバラに活動していたら、きっと同じ結果にはならなかったはずだ。
なので、ジゼルちゃんも当然のことながら、非常に驚いている。
「……も、もしかして、ナツカワセンパイ。最初からこれが目的だったのデース?
とっても策士デース!」
「これだけが目的ではないけれど。こうなるかもって推測はしていたよ。
これで茶会に人は多く集まりそうだ。
僕たち数学部の功績が、茶道部の役に立てて嬉しいよ」
「『役に立った』なんてものじゃないよ!
ね。このコラボレーション、始める前から大成功の予感じゃない?
こんないい場所を会場にできるなんて、これまでにないほど多くのお客さんが見込めそうだよ!
ねえ! 早く部員のみんなにこの結果を知らせにいこう! あ、ナツカワ君も良かったら一緒に!」
「ぼ、僕も行くのかい……!?」
「もちろんだよ! あっ、もし可能なら数学部の他の部員の皆さんもお呼びしたい!
とにかく、早く行こう!」
とうとう、学校祭が始まる。
この配置を絶対無駄にしないよう……わたしたち茶道部&数学部は、次のコラボレーション準備を始めるのであった。