[51]次期・正座先生は修行中!
タイトル:次期・正座先生は修行中!
分類:電子書籍
発売日:2019/04/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:88
定価:200円+税
著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり
内容
高校2年生のコゼットは、フランスからやってきた留学生。
留学当初は日本……特に『茶道』と『正座』を好きになれずにいたコゼットだったが、今では星が丘高校茶道部の次期部長として、積極的に活動するようになっていた。
そんなある日、フランスから両親が遊びにやってくると知ったコゼットは、両親に日ごろの成果を見せるため、双子の姉のジゼルと『特別茶会』を企画する。
しかし、茶会の要である部長のリコは、なんと追試で参加できないのだという!
悩んだコゼットは、茶道部の次期部長として『特別茶会』を成功させるべく、特別講師のトウコに『特別に稽古をつけてほしい』と頼むが……。
『正座先生と未来への第一歩』と同時期。
リコ以外の茶道部部員たちはどのように過ごしていたのか?
意外な事実が次々発覚する『正座先生』シリーズ第13弾!
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本文
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1
フランスからはるばる日本までやってきて、高校卒業まで留学すると決めたからには、日本でしかできないことを成しえて帰りたい。
できればフランスに戻ってからも、ずっと活かせるような、生涯の特技となるものを身につけて帰りたい。
わたくし『コゼット・ベルナール』の高校二年生の初夏は、そんな決意から始まりました。
〝どうしても、日本の文化を学びたいのデース! よーし! 日本へ留学しちゃいマース!〟
今から約十か月ほど前。
わたくしの双子の姉である『ジゼル・ベルナール』は、突如そのようなことをおっしゃり、日本へ行く準備を始めました。
〝ちょっと、ジゼルお姉さま!? それは留学しないと学べないようなことなのですの?
というか、日本の文化って、具体的には何を学びますのー!?〟
……このようなわたくしの声も聞かず、ジゼルお姉さまは光のような速さで留学手続きを始めると、やがて留学先を、近くに親戚の家がある『星が丘高校』へ決めました。
そして、
〝まだ決めてまセーン! でも正座! 正座と関わりアルことを学びたいデスネー!
せっかく、フランスでちょっと勉強しマシタしー!〟
と言い残し、旅立っていったのです。
これにより、わたくしの人生は激変いたしました。
なぜならば、当時のわたくしは、正座がとにかく大嫌い。
かねてから日本が大好きなジゼルお姉さまと、何度か正座にトライしてはみたけれど……。
わたくしは毎回まったく正座できず、足を痺れさせては『一体何なのです!? この辛い座り方は!』と、怒り狂い。正座に失敗するたびに、正座を生み出した日本という国のことまで、嫌いになっていたからです。
さらにわたくしは、当時正座を、無駄なもの。フランスで生活し、特に日本の文化とかかわりのない生活をしている限りは、特に必要のないものと思っていました。
なのでわたくしは、お姉さまの言葉で、非常に気が立ってしまいました。
わたくしはこの通り、ただでさえ気が短い。
幼稚園の頃から『コゼットちゃんは、少し怒りっぽく、カッとなりやすいところがあります。ついムッとしてしまった時は、一度深呼吸をしましょう。そして、気持ちを落ち着けて、ゆっくり考えてから、一番良いと思う行動をとりましょうね』と言われていたにもかかわらず。高校生になってもそれをまるで聞き入れられずに……。
気が付くと、このようなことを口走っていたのです。
〝正座……? 正座ですってー!?
聞き捨てなりません、それだけは許せませんわ、ジゼルお姉さま!
ジゼルお姉さまがわざわざ日本まで行って正座を勉強するくらいなら、わたくし、絶対に留学をやめさせてやります!
お母さま、お父さま! わたくしも日本へ留学いたします!〟
と。
これによってわたくしは、日本が大嫌いにも関わらず、日本に旅立つこととなりました。
それまでのわたくしと言えば、生粋のフランス人。
フランスが好きだし、外国にさほど大きな憧れもない。
おそらく、生涯をフランスで過ごすだろう。
……特に、日本になんか、頼まれたって絶対に行きませんからね!
と思っておりました。
それが、手続きの都合上、ジゼルお姉さまより四か月ほど遅れて星が丘に着いた途端、わたくしは星が丘高校茶道部の方々と関わる事になってしまい。今では……。
「次期茶道部部長として、次期『正座先生』として。
正座を極めるために、星ヶ丘神社へ修行に行きたい?
……コゼット、一人でか?」
という主旨の発言をし、ビックリした友人に、オウム返しをされております。
「はい! さようでございますわ!
……あ、でもユリナ様、どうかお静かになさって!
誰かに聞かれて、星ヶ丘神社の秘密が知られたらどうなさいますの!」
「……いや、コゼットの方が絶対声デカいよな?」
高校二年生の一学期。
六月上旬のある日の放課後は、友人の『モリサキ ユリナ』様に、わたくしの今の想いを打ち明けることから始まりました。
それにしても、ユリナ様ってば声が大きい。
わたくしは人差し指を立て『シーッ!』ともう一度念を押すと、誰か聞いてはいなかったものかと、この廊下をキョロキョロと見まわします。
それから注意深く、周囲を観察しましたが……。
幸運にも、この場にはわたくしたちしかおりませんでしたので。わたくしはホッと胸を撫でおろすと、ユリナ様へ向き直りました。
「それって、今度茶道部でやる『特別茶会』に向けて特訓したいってことだよな?
リコやジゼルには、もう相談済みなのか?」
「いいえ! ユリナ様にしかお伝えしておりません!
お二人には、そもそもお話せずに行くつもりですの!」
「えーっ……? ていうか、やっぱりコゼット、かなり声デカいぞ……」
ユリナ様は、わたくしがこの星が丘高校に来てからすぐに親しくなった方です。
そんなユリナ様は、この通り、男性のような口調でお話をされます。
さらに部活は女子サッカー部に所属されておりますので、お肌は真っ黒。髪の毛も短いので、度々男性と勘違いされることがございます。
ですが、その内面は、わたくしの知り合いの中でも、もっとも親身で、心配性で、繊細。
今も、わたくしの問題であるにもかかわらず、まるでご自身のことのようにアワアワと心配してらっしゃいます。
「ユリナ様が『茶道部の仲間に相談せずに修行へ行くなんて、大丈夫?』と。
わたくしを心配してくださっているのはわかります。
でも今回、わたくしは誰にも言わずに、こっそり力をつけたいのです。
だって……」
「……まあ、あたしもコゼットの気持ちはわかるよ。
今度やるっていう『特別茶会』には、コゼットとジゼルの父さんと母さんが来るんだもんな。
二人に『日本でこんなに力を付けましたよ』っていうところを見せたいんだろ?」
「さようでございますわ!」
ユリナ様は、女子サッカー部一筋。
他の部活と兼部はしておりませんので、茶道部の部員ではありません。
さらにいえば、ユリナ様は三年生で、わたくしは二年生です。なので、わたくしたちは同級生ですらありません。
にもかかわらず、わたくしがユリナ様とこうして仲良くさせていただいているのは、先ほどからちらほら名前が出ている、茶道部部長……『サカイ リコ』様が、ユリナ様とお友達であるからにほかなりません。
そんなリコ様は、わたくしが日本に来て最初に親しくなった方でもあります。
出会った当初はリコ様のことを『なんと頼りない方』と思うこともありましたが……。今ではとても尊敬する、大切な先輩の一人でございます。
リコ様は少しボンヤリしたところもありますが、どんなトラブルも最終的には乗り越え、しっかりクリアしてしまう力を持っていらっしゃいます。
ですが、そのリコ様は今回……。
「つまり、こういうことだろ。
コゼットは、二週間後に開催する『特別茶会』を絶対に成功させたい。
自分の父さんと母さんが、わざわざフランスから日本に来て参加してくれる一大イベントだからな。
でも、部長のリコは、当日追試があるから。『特別茶会』本番はおろか、準備や練習にも参加できない。
だから、副部長の自分と、書記のジゼルが『特別茶会』を引っ張る存在になる……。
なので自己のパワーアップを図りたいけど、ジゼルは星ヶ丘神社の秘密を知らないから『星が丘神社へ、一緒に修行へ行こう』とは言えないし、相談もできない。
で。リコ以外で唯一星ヶ丘神社の秘密を知ってるあたしに、とりあえず決意を伝えに来た、と……」
「そう! そうなのです! さすがユリナ様ですわ! よくおわかりですわね!」
現状を、完璧にまとめていただいてしまいました。
ジゼルお姉さまが日本へ留学してから、約十か月。
それを追ってわたくしも日本へ留学してから、約半年ほど。
わたくしの人生はすっかり激変し、今では星が丘高校茶道部の副部長として、あんなに苦手で嫌いだった正座を、毎日する日々を送っております。
そう。ここがポイントなのです。そんなわたくしに驚いているのは、当然わたくしだけではありません。
ジゼルお姉さまも、わたくしが茶道部に入部すると決めたときにはかなりビックリされておりましたが、お父さまとお母さまはそれよりもさらに、ものすごく、ものすごく……驚いていらっしゃいました。
なので先日、お父さまとお母さまは、このようなお電話をくださいました。
〝留学を決めて、早半年。
日本でたくさん良い経験をしたコゼットが、昔の『日本嫌い、正座嫌い、もちろん茶道も嫌い』という状態から、今の『日本に馴染み、毎日正座をし、茶道部の活動に燃えている』という状態に変わり、充実した生活をしているところを、一度見に行きたい〟
と。
さらに、その時に聞いた話ですが、半年前、お父さまとお母さまがわたくしの留学を許可したこと自体、こうなること。つまり『日本好き』になることを望んでのものだったそうです。
お父さまとお母さまは、当時わたくしの、思う通りにいかないことがあるとすぐプンプンと怒り出す点を、とても心配されていました。
なのでわたくしを日本に留学させることで、自分とはまるで考え方の違う人と出会い、フランスではできない経験をしてもらい……。
心のキャパシティを広げ、色んなことを受け入れられる人間になってほしいと考えていたようなのです。
確かにフランスにいたころのわたくしは、とても幼い人間でした。
とにかく負けず嫌いで、できないことがあれば何が何でも克服しようとするか、あるいは『こんなものはわたくしには必要ありませんわ!』とはねつけてしまう。
ジゼルお姉さまのことが大好きであるがゆえに、ジゼルお姉さまと違う意見を持ったり、対立してしまうことがあると、必要以上に悲しくなり、裏切られた気分になって、結果、ムカムカと腹を立てる。
そんな自分自身を、わたくしは『このままではいけない』と理解しつつ、なかなか変えることができずにいました。
でも、日本で様々な経験をしたわたくしは、お父さまとお母さまの狙い通り、大きく変われたと自負しております。
だからわたくしは、それを自負に終わらせず、誰の眼から見ても『コゼットは変わった。留学をして立派になった』と思ってもらうために……。
今回ばかりは失敗できない! 二人に絶対、良いところを見せたい! と思っているのです。
あと、それから……。
「もっと自分に力をつけるために、修行をしたいのはもちろんですが。
……単純に、星ヶ丘神社という施設に興味もあるのです。
リコ様ってば、星ヶ丘神社に行かれてから、なんだかキリッとされたじゃありませんか。
だから、わたくしも、その……。
星ヶ丘神社というものが、どれだけすごいのか。
一体どのような修行をしているのか、見てみたいのです。
具体的な希望としては、茶道の修行は少なめに、主に正座を。
正座について当日両親にうまく説明できるよう、重点的にご指導いただきたいと思っておりますの。
……まあ、問題は、いくらわたくしが修行したいとお願いしても、星が丘神社の主であるトウコ様が許可してくださるか、わからないということなのですけれど……」
「なるほどな。そういうことか」
わたくしの話をここまで聞き終えると、ユリナ様は大きく頷き、それからこうおっしゃいました。
それが、今回一人で行うとばかり思っていた修行の、大きな転換点となったのです。
「わかった。あたしも行くよ。
善は急げだ。さっそく、トウコ先生のところへ相談に行こうぜ」
「え? ……それはつまり、一緒にトウコ様に『コゼットに修行をつけてほしい』と、頼んでくださるということですの?」
「そういうことだし、それだけじゃないぜ。
『コゼットと、あたしユリナの二人に、修行をつけていただけませんか』って頼みに行くんだよ」
「え? ユリナ様も!?」
「おいおい。そんなにビックリするなよ」
ユリナ様のお言葉は、思わずビックリせざるを得ないほど、意外な答えでした。
前述の通り、ユリナ様はひたすらサッカー一筋。
これまで友人として茶道部での悩みを聞いてくださったことは多々ありましたが、まさかご本人が正座や茶道に関心があるとは思わなかったのです。
「コゼット一人で行かせられねえしな。
ここはあたしが、年上の保護者として! ついていってやるよ」
「ほう?」
これがいわゆる、日本でいうところの『先輩風を吹かせる』というものでしょうか。
ユリナ様は腕を組み『うんうん』と、目を閉じて得意げでいらっしゃいます。
しかし、わたくしは気づいてしまいました。
一見この、完全なる厚意に、ユリナ様のあるたくらみが隠されているということを。
「ユリナ様。そのお気持ち、大変嬉しく思いますわ。
ぜひ、わたくしと一緒に、トウコ様のところへお願いしに行っていただきたいです。
……でもユリナ様、本当はわたくしのためだけではございませんわよね?
本音を言えば、ユリナ様も、星ヶ丘神社という、あの星が丘市最大の謎の施設が、一体どのようになっているのか、一度調べてみたかったのではありませんの?」
「あっはっはー。バレちゃったか。コゼットにはわかっちゃうもんだな!」
わたくしが指摘すると、ユリナ様は大きな声でアッハッハと笑いました。
しかし、
「やっぱりそうでしたのね」
とわたくしがため息をつくと、ユリナ様は次のように続けました。
「確かに、星が丘神社の謎をこの目で見てみたいって言うのも、あたしの本音。
でも、一度あたしもコゼットたちに混ざって、正座を学んでみたいと思ってたのも、マジなんだぜ。
だから今回、コゼットが茶道よりも正座について重点的に修行したいって言うのを聞いて、これからあたしも居てもいいかなって思ったんだ。
完全に茶道だけをする修行だったら、あたしは邪魔なだけだけど。
正座中心の修行なら、並んで一緒にできるじゃん」
「なるほど! それもそうですわね。では、早速一緒に……」
「ほっほっほ。お二人さん。話は聞いておったぞ」
と。
わたくしたちが『いざ行かん!』という雰囲気になっていたところで、廊下に、フワリと涼しい風が流れ込むかのように、ある女性の声が響き渡りました。
さすがは星が丘神社の主、トウコ様。
わたくしたちの望みなど、はなからすべてお見通しということなのかもしれません。
そう。ついさっきまで誰もいなかったはずの放課後の廊下には、気が付くとトウコ様がいらっしゃったのです。
「よいぞ、よいぞ。面白い。
おぬしらの修行に付き合おうではないか」
「えーっ!? よろしいんですの、トウコ様!」
あまりにも話が早いので、わたくしとしたことが、つい大はしゃぎしてしまいました。
「おっ、おいコゼット。さすがに廊下でその大声は」
と、ユリナ様が注意してくださった次の瞬間には……。
「……おーいお前たち! もう放課後なんだから、おしゃべりするなら廊下じゃなくて、家に帰ってしなさい!」
わたくしは、あまりの大声に通りがかったユモト先生に叱られてしまうのでした。
ということで、すっかり前置きが長くなってしまいましたが……。
わたくしとユリナ様の修行は、このような形で幕を開けたのです!
2
こうしてわたくしとユリナ様は、トウコ様のご厚意により、翌日から一泊二日ほど、星ヶ丘神社で修業をさせていただく運びとなりました。
その前に、ここで先ほどから話題に出ているにもかかわらず、まだご説明させていただいていない『ある点』について、お話させていただきます。
そうです。星ヶ丘神社の秘密について、でございます。
まず、いきなり驚きのお話をさせていただきますが、星が丘神社には本当に神様がいらっしゃり、その神様というのがトウコ様でございます。
つまり、わたくしたちの通う星が丘高校は神様が出入りしている学校であり、わたくしの所属する茶道部は、その神様を特別講師として招いている、とんでもない団体なのです。
これだけで大変驚きかとは思いますが、なんとこれは、まだ驚きの『序の口』でございます。
では『えっ!? 驚愕の事実が、まだ続くの!?』と思っていただいたところで、次に、そんなトウコ様が祀られている、星が丘神社についてお話させていただきましょう。
星が丘神社とは、この星が丘市にずっと昔からある神社です。
半年前にやってきたばかりのわたくしは、この神社についてまるで明るくなかったのですが……。昔から星が丘市に住む高校生の間では『部活動の神様』としてあがめられる、とても大切な存在であったそうです。
ちなみに、ユリナ様だけではなく、わたくしたちの共通の友人である『キリタニ アンズ』様も、この『部活動の神様』を信じて、よくお参りに来られていたようです。
なお、茶道部に入るまでずっと帰宅部であったリコ様は、生まれてからずっと星が丘市民であったにもかかわらず、つい最近まで『部活動の神様』のことを知らなかったそうです。
その点も含めて、さすが天才的なまでにボンヤリしている。
いわゆる『ボンヤリの天才』なリコ様……と思わざるを得ませんね。
おっと、話を戻しましょう。
この星ヶ丘神社は、市内で最も神聖な土地、いわゆるパワースポットであるだけでなく、なんと、神様が暮らす別の世界につながっておられる、特別な場所でもあります。
とはいっても、星が丘神社に行けば、誰でも別の世界に行けるというわけではございません。
主であるトウコ様によって選ばれた存在のみが、そこへ向かい、テストやレッスンをしていただくことができるのです。
ここで『それって具体的にどうやって選ばれるの?』という疑問を解消するため、リコ様が五月に取った行動をクローズアップさせていただきましょう。
五月のある日、ユリナ様から
〝星が丘神社には、どんな部活動でも、トップクラスの団体に育て上げる『部活動の神様』がいるらしいぜ〟
と聞いたリコ様は、さすがボンヤリの天才です。
『部活動の神様』というのは、おそらく神社で働いている人間のことだろう。とお考えになり、ではさっそく相談に行こう! と、その足で星が丘神社へ向かわれたのです。
そして、境内で出会ったトウコ様が神様であることに全く気付かないまま……。
トウコ様の勧めで『試験』と呼ばれる『部活動の神様』にご指導いただくためのテストを受けることになったのです。
でも、注釈を入れますと、当時のリコ様が焦るのは、至極当然なことでした。
というか、わたくしも同じように大変焦り、ほぼ同じタイミングで星が丘神社の存在を知り、結果的にリコ様の後を追う形で、現地へ向かっていたのです。
なぜならば当時の茶道部は、指導者不足にあえいでいたからです。
今でこそ茶道部は部活動として安定し始めているのですが、昨年度までは、常に廃部の危機にある……いわゆる、風前の灯火にある団体でした。
当然、専門で指導してくださる方がいるはずもなければ、一応顧問を務めてくださっている先生すら、多忙でまるで顔を出せない状況にあったのです。
この状況を憂いたわたくしたちは、一刻も早い指導者の獲得を、と考えていました。
しかし、リコ様がご相談に向かったのは、ただの指導者候補ではありません。
トウコ様は神様なので、リコ様が指導するにふさわしい相手かどうか確かめるため、例の別世界でリコ様を試すことにしたのです。
そして、リコ様は見事『試験』を突破。
トウコ様に、茶道部の特別講師としてご指導いただく約束を取り付け、リコ様はトウコ様の用意したゲートを通って、無事に別世界から元の世界、つまりわたくしたちの住む現実世界に戻ってきました。
きました、のですが……。
その、ゲートを通って戻ってくる瞬間を偶然目撃した人間が、なんと二人もおりました。
それが、わたくしとユリナ様であったのです。
これがそのまま、わたくしが星が丘神社の件について、ユリナ様には相談できても、ジゼルお姉さまには相談できない理由になります。
この度茶道部を指導してくださることになった方は、人間ではありません!
……こんなことを、実際に目の当たりにした方にならまだしも、そうでない方には、話したところでなかなか信じていただけないでしょう。
トウコ様ご自身には、正体を隠す気はまったくないようです。
自分から招いたリコ様だけならまだしも、偶然目の当たりにしたわたくしたちにもあっさり正体をバラされましたし、その後、特に秘密にしろとも言われておりません。
しかし、わたくしたちとしては、みだりに言いふらすのはどうか。と思っております。
それは話した相手に信じていただけるかという問題以前に……神聖な、しかもわたくしたちに力を貸してくださっているトウコ様に対して、不誠実なことはしたくないという想いがあるからです。
その代わりに、茶道部の皆様と、いつも仲良くしていただいているアンズ様には、一つ秘密ができてしまいましたが……。それは、仕方のないことだと思っています。
ということで、以上の事柄から、星が丘神社にまつわる真実は、わたくし、リコ様、ユリナ様の、三人だけの秘密となったのです。
そしてとうとう本日、リコ様に続いてわたくしとユリナ様も、修行のため別世界へ行くというわけでございます!
「うおー。緊張してきたぜ。
あたしたちもついに別世界デビューしちゃうんだな……」
「ちょっとユリナ様、手が震えていらっしゃいますわよ。
大丈夫ですの?」
「そういうコゼットも足がガクガクしてるぜ。
コゼットも本当は、ちょっと怖いんだろ?」
「こ! 怖くなんて!」
「ほっほっほ。二人とも、大丈夫じゃって。
何も怖いことなどないぞ」
ところで、別世界においては、こちらの世界とはまるで違う時間の流れがあるそうです。
端的に言えば、向こうでの一日は、こちらの十分ほどなのだそうです。
つまり、よっぽど長期滞在しない限り、時間の経過はあまり気にしなくていいといえるでしょう。
日本のとある人気漫画には『精神と時の部屋』という、時間の流れ方が、わたくしたちの住む世界とは違う部屋が登場しますが、まさかそれが星が丘市に実在するとは……。
という気分です。
わたくしとユリナ様はこれから一泊二日の修行をさせていただきますので、多く見積もっても、こちらでいえば十五分くらいの時間を、星が丘神社で過ごした……。ということにしかなりません。
よって、外泊の許可をもらう必要もなければ『遅くなる』と家族に連絡を入れる必要すらありません。
なので必要なものがあるとすれば、一泊分の寝間着や着替え、その他お泊まり道具のみです。
ということで、わたくしとユリナ様は、今朝、普段より若干荷物が多いのを家族に気づかれないようにそーっと家を出て、放課後、学校を出たその足で、今星ヶ丘神社に向かっているというわけです。
そういえば今朝は、なぜかジゼルお姉さまにお会いできませんでした。
なんでも、今日は用事があり、早く家を出る必要があったそうです。
一体、どのような用事なのでしょうね?
ところでわたくしはあまり場所を取ることのないように、本日できる限りの軽装で参りました。……が、ユリナ様は大変な大荷物です。
本日のお昼休みも、同席するリコ様とアンズ様に『ユリナ、旅行でも行くの?』とツッコミを入れられてしまい、隠すのが大変でございました。
なんでも
〝持ち物に何か不足があったときによ。
星ヶ丘神社の人たちにご迷惑おかけしたらまずいじゃん。
あたしたちは、修行に来てる身なんだからさ〟
だそうです。
おっしゃることは、もっともなのですが……。
果たしてユリナ様、おうちから枕を持ってくる必要はあったのでしょうか?
おそらくユリナ様は、枕が変わったことで夜眠れなくなったら、修行に差し支えるかもしれない。
そう判断された結果、ご自宅から使い慣れた枕をお持ちになられたのでしょう。
しかしリコ様いわく、ユリナ様はどこでも眠ってしまう方。
その不安は杞憂に終わり、この大きすぎる枕は、おそらく必要ないまま終わる気がします。
それでも人様に迷惑をかけまいと、細心の注意を払う。
枕ひとつにも、大変心配性な、ユリナ様の人間性が出ていらっしゃる……。
と、わたくしは思うのでした。
「つうか、コゼット、荷物少なすぎねぇ?
なんか困ったら、言えよ?
もしものことを考えて、コゼットの分も枕持ってきたから。
これで枕が変わって眠れないってこともないだろ?」
「いえ、あの。
わたくしが自分で家から持ってきた枕ではなく、ユリナ様のお持ちになった枕を借りたら、それって、枕、変わったことになりますわよね!?」
「あー! そういやそうだな! 悪ぃ、あたしの枕で我慢して!」
「もう! 貸してくださるのはありがたいですけどぉ!」
「ほっほっほ。お前らのおしゃべりは、つくづく面白いのう。
ほいじゃあ、行くぞ」
三人仲良く星が丘神社のある星が丘公園に入り、そこからしばらく歩いて、階段を登りに昇り、ついに星が丘神社へ到着。
境内に入ったとたん、トウコ様は、パチン! と指を鳴らし、その途端、明らかに空間をゆがめたような謎の穴が目の前に開きました。
「うわー! これが噂のワープゾーン!」
「そーそー。こうやって、普通にくぐるだけで向こうに行けるからな。
簡単じゃぞ」
「うおー! すげー!」
わたくしはてっきり、ユリナ様は穴を見るなり、さらに怖がるとばかり思っておりました。
しかし、実際のユリナ様は、トウコ様がなんなく通っていく姿を見た瞬間、手の震えがピタリとストップ。
「おーし! 行くぞ! コゼット!」
さっきまであんなに怯えていらっしゃったくせに、今は未知のものが面白くてたまらないという様子で、揚々と通り抜けていきました。
「……まったく、元気なお方ですこと」
……でも、その変わりように少し呆れていたら、わたくしも難なく通り抜けられたので、本当は少しユリナ様に感謝しております。
そしてたどり着いた別世界は、かなり大きな日本家屋がいくつも立ち並んでおりました。
いわゆる、アレです。『武家屋敷』というものに似ているように思います。
「はーい。じゃあ、おぬしらはあっちへ行くぞ。
ちょっと遠いが、すまんぅの。そのへんは我慢しておくれ」
「あの? トウコ様。建物や部屋ならあちらにもございますが……?」
「ああ、そっちはのう。客人が来ておってな。
そっちは使わず、コゼットたちはこちらの建物に寝泊まりしておくれ」
そして、どうやら本日わたくしたちが泊まるのは、ここよりも随分離れにあるようでした。
星が丘神社内の別世界はとにかく広く、建物内に空き部屋は散見されるのですが、そこはわたくしたち用ではないようです。
ところで、ここでもう一つ。
わたくしはトウコ様に尋ねたいことができたのですが、それに関してはわたくしよりも先に、ユリナ様が質問されました。
「ところで、トウコ先生にいつもついてらっしゃる、従者のマフユさんは、今日いないんですか?
学校には普通に来てたみたいですけど」
「ああ。あいつなら今は別件を対応中なのじゃよ。
本来ならおぬしらと一緒に修行するはずだったのじゃが、残念がっておったよ」
「そうなのですか……」
こんな会話をするうち、歩いていくと、最初は単なる昔風の場所だと思っていた別世界が、やはり常識にとらわれない奇妙な世界であることがわかってきました。
家々のすぐ脇には、いかにも修行に使われそうな険しい山があり、そのすぐそばには唐突に大きな滝のようなものも流れており、そちらは滝行という修行を連想させます。
しかしなぜ、日本人は滝に打たれることなどを思いついたのでしょう。
滝行はテレビでしか見たことはございませんが、とにかく大変そうで、あんなにも大変なことを望んで行うなんて、日本人、わけがわからない……。と思ったことがあります。
しかし、ここでユリナ様が、とんでもないことをおっしゃりました。
「わー! あそこに滝なんてあるんですね!
あたし、一度でいいから滝に打たれてみたかったんすよ!」
すっかり失念しておりましたが、ユリナ様はリコ様のお友達ですので、リコ様に似た点、愉快というか、ユーモアがあるというか、思い付きで行動しすぎるというか……といった、困った点が多数ございます。
ユリナ様ご自身にその自覚がなさそうなのが困りものなのですが、たとえば似ている点のひとつとして『面白そうだ』と思ったことには、あまり先のことは考えずにどんどん突っ込んでしまう、といった点がございます。
そしてさらに困ったことに、トウコ様はそういった、思い付きでの行動を推奨される方なのです。
あれ? なんだか嫌な予感がしてきました……。
「おっ? ユリナはあれに興味があるのか。
よいぞ。せっかく来たのだし、打たれてみるか?」
「いいっすね! ぜひ滝行、させてください!
よーしコゼット、正座始める前に精神鍛錬だ!
荷物置いたら滝行、やってみようぜ!」
「そうじゃな。コゼットも初めてじゃろう?
記念じゃ記念じゃ、やっていけ!」
「ひええっ!? わたくしも絶対参加なんですのー!?」
と、のっけから恐ろしい洗礼を受けつつ……。
いつも一緒のはずのトウコ様とマフユ様が、今日は別々に行動されていることに多少の違和感を覚えつつも……。
星ヶ丘神社での時間は、ゆっくりと過ぎていくのでした。
3
「はぁ、はぁ、はぁ……。
ジャパニーズ滝行、すさまじかったですわ……。
ユリナ様、恨みますわよ……」
「あっはっは。悪ぃ悪ぃ、付き合わせちまって」
「まったくですわよ! ……まあ、いい経験にはなりましたけど……」
そうして、数時間後。
フランスからはるばる日本までやってきて、高校卒業まで留学すると決めたからには、日本でしかできないことを成しえて帰りたい。
できればフランスに戻ってからも、ずっと活かせるような、生涯の特技となるもの……。
だけではなく、日本でしかできない経験も、多数経験してから帰りたい。
と、かねてから思っていたわたくしですが……。
滝に打たれ、その後お風呂をいただき、今ようやくフラフラと本日泊まる建物に戻ってきたところでございます。
修行をするといったからには、多少の苦行は覚悟しておりましたが……まさか滝に打たれる経験をすることになるとは思いませんでした。
以前、テレビで芸能人の方が、あまりの辛さにすぐに滝を出てしまったとき『根性のない方ですわ』と思ってしまったことを、今はただただ申し訳なく、自分の思慮の浅さを恥じいる次第でございます。
滝行は、あまりにも過酷なものでございました。
「よっしゃ! じゃあ始めるか! 正座修行。
トウコ先生、よろしくお願いしまーす!」
そんなわたくしに対し、ユリナ様はあまりにも元気です。
これが体育会系……。と思わざるを得ません。
しかし正座に関しては、わたくしが先輩。
格好悪いところは見せられませんので、わたくしもシャッキリと背筋を正してトウコ様に改めてご挨拶しました。
「ほいじゃあ、まずは正座の基本をコゼットがユリナに教えてやっとくれ。
長時間座り続けやすい座り方を知ってから、正座談義でもしよう」
「えっ?
わ、わたくしがですの……?
あの、ユ、ユリナ様。申し訳ございません。
わたくし、一人で習得するのは得意なのですが。
人に教えるのは、あまり得意ではなくて……」
「安心せい。わらわもおるのじゃから。
もし説明不足な点や、不明瞭な教え方が見られたら、そのときは補足するぞ」
「そうだよ。コゼットが普段やってるやり方を教えてくれ。
トウコ先生の言う通り、一人じゃないんだし。
それにあたしが相手なら、うまく説明できなくたってたいしたことないし、間違えても、すぐトウコ先生に訂正してもらえるから怖くないだろ?
さ、頼むぜ」
「承知しましたわ……」
『人に教える』という話題になるとき、わたくしが最初に思い出すのは、茶道部の『タカナシ ナナミ』様のことです。
ナナミ様はわたくしと同じ二年生ですが、非常に落ち着いていらっしゃり、また、人に教えるのが大変お上手です。
なので、わたくしが茶道部に入った直後は、誰よりもナナミ様をお手本に学んだ記憶がございます。
そんなナナミ様は、実は茶道部の専任の部員ではありません。
ご実家が剣道道場ですので、ナナミ様がメインで活動されている部活は剣道部。
茶道部には、兼部部員として所属されているのです。
なので茶道に関しては初心者で、茶道部にも、わたくしとそう変わらぬ時期に入部したというのですから、驚いてしまいます。
「では、まず、柔軟から始めましょうか。
ユリナ様には、今のところ正座する習慣はございませんものね?」
「そうだな。
ていうか、正座と柔軟って何か関係があるのか?」
「よくぞ聞いてくださいましたわね。あるのですわよ。
まず、正座が苦手に感じる原因のひとつとして、筋肉が硬直していることが考えられますの。
なので、まずは身体をほぐす。
特に硬くなっている足首をほぐしておくと、正座するときに助けになりますのよ。
リコ様は、正座初心者のとき、ナナミ様の勧めで服装はいつもジャージで、まずストレッチをしてから正座の練習をされたそうです。
……あ、でも、ユリナ様は……」
「よく気づいた。
ユリナはサッカー部でいつも運動してるから、筋肉が硬直してる心配はないかもしれんな。
さらに、先ほどお風呂に入ったばかりだから、身体はほぐれておるしな。
……でも、しておこうか。
コゼット、今のはとても良い判断であったぞ」
「あたしもそう思う。
あたしみたいに、いつも運動してるやつが正座を習いに来るとは限らないもんな。
初心者を相手にするときは、まずは柔軟からでいいと思うよ」
「二人とも、ありがとうございます。
では身体を伸ばしながら、お話を続けますわね……」
「そういや、コゼット。お風呂と言えば、さっきお風呂に入りながらも正座してたよな。
あれはどうしてだ?」
「ああ。それは、正座初心者であった頃のなごりですの。
お湯の中では浮力が働くので、お湯に浸かっていないときよりも身体が柔らかくなるのですわ。
なので、お部屋でするよりも、楽に練習ができますから、始めのころはよくお風呂で正座していて……。
今でもその癖が抜けないのですわ。
ぜひ、ユリナ様も試してみてくださいな」
「なるほど。努力家のコゼットらしいな。やってみるよ。
でも、今日はもうお風呂は上がっちゃったから……。
部屋で正座するときのコツを、よろしく頼む」
「お任せくださいませ。
まず、リコ様が特にお勧めされていて、わたくしも『これはいいな』と思っておりますのは……。
両手を膝の上に置くとき、カタカナの『ハ』の字の形を意識して置くことですわね」
「こうか? あ、なんか座りやすくなった気がする。
自然と胸を張るような姿勢になって、背筋が正されるからかな?」
「わたくしもそう解釈しております。
それから、顎を少し引いて、体重を、前方へ落とすようにしてみましょう。
あと、お尻をほんのわずかだけ、浮かせてみてくださいな。
これは、本で得た知識なのですが。
お尻はかかとにピッタリくっつけず、間に紙が一枚挟まっているような気持ちでいると、かかとに体重がかかりすぎず、痺れにくくなりますわ」
「紙? 紙ってちょっとピンと来ねえな……。
トウコ先生、すみません。実際に紙をはさんで座ってみてもいいですか?」
「もちろん良いぞ。ほい」
「あ、そうだ、裏技として、爪先をわずかに座布団からはみ出すように座るのも手ですわよ。
こちらは座布団があることが前提なのがやや難点ですが……。
本日はございますので!」
「ありがとう。じゃあ、一歩後ろに下がる形で座って……こうかな?」
「……うん、うん。良いぞ、二人とも」
こうしてユリナ様と『指導』というよりも『会話』するような形で正座を教えるうち、次第にわたくしは、トウコ様のサポートなく、ユリナ様に正座を教えることができるようになっていました。
相手がユリナ様というのが良かったのでしょう。
ユリナ様は年上で、目上の方ですが、良い意味で相手に気負わせないおおらかさがございます。
なのでわたくしも『間違ったことを教えたらどうしよう』と思うことなく、知っている知識を素直に話して、ユリナ様はその通り座り、意見や質問をくださって……。
という形で、スムーズに練習が進むのです。
そう思っていると、トウコ先生がこのようなことをおっしゃいました。
「そうだ。これはまだわらわがいなかったころの話じゃが。
リコがまだ茶道部に入る前と、入部したばかりのころ。
リコはナナミを自分の部屋に招いて、よく二人で話しながら正座の練習をしていたらしい。
正座って、少し堅苦しいイメージもあるが……。
わらわは友達同士、和やかに教え合うのも良いと思っておる。
ちょうど、今のようにな」
「そうだったのですわね……」
「ってことは、あたしがリコで、コゼットがナナミのポジションってことかな。
コゼット今、すごく『正座先生』って感じだもんな」
「ありがとうございます。
その、う、嬉しいですけれど。
ナナミ様と同じポジションになるというのは、少し恐れ多くもありますわ……」
「あっはっは。何言ってんだよ。次期部長はコゼットだろ?
ナナミは剣道部があるから、役職に就けないもんな」
「次期部長……」
そうなるつもりではおりましたが、改めて言われると、なんだか緊張してしまうものです。
リコ様が茶道部を引退された後、わたくしは新部長として、星が丘高校茶道部をけん引していくことができるのでしょうか。
いえいえ、やるからには自分なりにベストを尽くして!
良い部活を作っていくつもりなのですが!
……と、思っていると、静かに足音が近づき、おもむろに部屋のふすまが開きました。
今日は一度も姿を見ていなかった、トウコ様の従者であり、当然人間ではないマフユ様がいらっしゃったのです。
「おー。熱心でございますなあ」
「あら! マフユ様! いらっしゃったのですわね。
別件対応中とお聞きしましたから、今日はお会いできないものだとばかり思っておりましたわ」
「おっ、おっほん! そ、そういえばそうでござったなあ……」
ですが、今日のマフユ様は、何やら目が泳いでいらっしゃり、どうも不審な雰囲気です。
まるで、何かを隠していらっしゃるようにも見えます。
そしてマフユ様はトウコ様のすぐそばまで近づき、わたくしたちには聞こえないように、何やらひそひそと耳打ちされると……。
「わかった。では、交代じゃな」
と、トウコ様は頷き、おもむろに立ち上がるのでした。
「あら? トウコ様、どちらへ?」
「すまんのう。ここからはしばらく、マフユに見てもらっていてくれるか?」
「えーとですなあ! コゼット殿!
トウコ様は今の修行で少々お疲れになられたのでござるよ!
なのでここからは、バトンタッチ!
拙者、マフユがお手伝いさせていただくでござる!」
「ふーん……」
お、お疲れ?
トウコ様は今の今まで、滝に打たれるわたくしたちを見て楽しげにされたり、今も正座をしながらお話をしていたのが主で、お疲れになる要素は、あまりなかったように感じられるのですが……。
「承知しましたわ。では、マフユ様、よろしくお願いいたしますわね」
不思議に思いつつも、今度はわたくしは、マフユ様に正座の教え方をチェックしていただく形で、修行を続けることにしたのでした。
4
練習を終えた後の夕食は、わたくし、ユリナ様、トウコ様の三人でいただきました。
準備中はマフユ様もいらっしゃったのですが、準備を終えた途端なぜかまた席を外されてしまい……。
やはりトウコ様が現れるとマフユ様はいなくなり、トウコ様が姿を消すと今度は代わりにマフユ様がいらっしゃる。
という状況が続いている……ような気がします。
ちなみに今は夜の九時ほどですが、ユリナ様は、食事を終えて、三人でおしゃべりをしているうちに、なんと眠ってしまいました。
もちろん、枕の必要などなく、です。
リコ様のおっしゃった通り、やはりユリナ様はいつ、どこででも眠ることのできるお方でございました。
わたくしに貸す分も含めて、お二つも用意されていた枕の存在意義は、果たしてあったのでしょうか……。
あまりにももったいないので、せめてわたくしは今夜、ユリナ様の枕を借りて休もうと思います。
そう思いながら、わたくしはユリナ様の頭の下に座布団をそーっと置き、肩に薄手のブランケットをかけさせていただきました。
「ぐっすり眠っておるのう。
元気そうにしておったが、ユリナは気を遣うやつだからのう。
気疲れしておったんじゃな」
「まったくですわ。
今日もわたくしのために『生徒役』として、わたくしにたくさん、教える練習をさせてくださいました」
「こいつはいつもそうなんじゃろうな。
女子サッカー部でも、後輩にとても人気があると聞いた。
コゼット。今日は二人で来られてよかったな」
「はい。わたくしもそう思っていたところです」
トウコ様はチビチビとお酒を飲みながらわたくしに微笑み、わたくしは頷きます。
ところでこれまで触れておりませんでしたが、トウコ様の容姿は高校生ほどです。
なのでトウコ様がお酒を口にしているさまは、一見未成年がお酒を飲んでいるようで法律違反に見え、ギョッとしてしまいますが……。
実際にはトウコ様は大人どころか、おばあちゃまとお呼びしてもまるで足りないほどに年齢を重ねていらっしゃる神様ですので、どれだけお酒を飲まれても、全く問題はございません。
そしてお酒を飲まれたトウコ様は、心なしか、いつもより饒舌でいらっしゃいます。
二人きりになったことですし、これはチャンス! と思ったわたくしは、かねてから気になっていたことを、トウコ様に尋ねてみることにしました。
「あの、トウコ様」
「なんじゃ?」
「以前からお尋ねしたかったのですが……。
トウコ様は、なぜ『部活動の神様』として、下界におりて……。
直接高校生たちのサポート活動しようと思われましたの?」
わたくしの問いに、トウコ様は『ふむ』と言って頷くと、空になっていたわたしのグラスに、オレンジジュースを注いでくださりながら、続けます。
「気づいたら。……という言い方は漠然としすぎてるか。
実はわらわ、本当は高校生の部活動に関して、特にご利益のある神様ではないのじゃが……。
あるときから、なぜか高校生たちに人気が出てしまってのう。
それで仕方なく『部活動の神様』としての力もつけてみよっかなー。
なんなら、お参りに来る熱心な高校生たちと直接会って話して、一緒に部活動してみよっかなー。
……って思うようになったんじゃよ」
「ええっ!? トウコ様って、生まれつき『部活動の神様』だったのではありませんの!?」
これは意外すぎる答えです。
日本の神様というのは、やおよろず……。八百万を超えるほど、つまり、無数にいらっしゃり。さらに皆様、それぞれに得意分野があると聞きます。
ですのでわたくしは、日本の神様というものは、神様同士が分担しあって、日本の皆様のお願いを叶えてらっしゃる。
神様は、得意分野に関しては無敵。
自分の担当するジャンル内の願いであれば、どんなことでも叶えられる。
そしてトウコ様が担当しておられるのは『高校生の部活動』……と、思っておりました。
「それが、違うんじゃよぉ。
……実はそれ、あるときから高校生が言い出した、根も葉もない噂がスタート地点でのう。
というか、他の神様は『縁結び』とか『豊穣』とか『商売繁盛』って、もっと広いカテゴリの神様が主じゃのに。
わらわだけ突然『高校生の部活動を応援する』神様とか、ちょっと、範囲が狭いというか、一つの性能に特化しすぎてるじゃろ」
「……確かにおっしゃる通りですわね。
わたくしも、正直なところ、珍しいなって思っておりましたけど……。
日本は本当にたくさんの神様がおられますから。
てっきり、トウコ様のような神様もいらっしゃるのかと」
「ひゃっひゃっひゃ。確かにコゼットがそう思うのも無理はないかのう。
でも、その通りじゃ。日本には本当にたくさんの神様がおるからのう。
一人くらい、わらわみたいのがいてもいいかな。
担当範囲外に関しても、ちょっと役に立てるよう、努力してみようかなって。
ある日思ったんじゃ。
……それに、わらわとしても。
『部活動に関するご利益があるというのは、根も葉もない噂なので、どんなにお願いされても叶えられんよ』というのは、プライドが許さんし。
『部活動の神様がいる』って噂を本当にしたくてな。
ちょっと頑張ることにしたんじゃ。
……あーでも。
よくお参りに来るからってだけの理由で、特定のやつらをひいきするのはいかんじゃろ。
だから、お参りに来たやつが、どれだけ真剣なのかを確かめるために『試験』を始めたんじゃ。
合格したら、わらわもそいつと同じくらい真剣に、部活を指導する……という気持ちでな。
だから実は、星が丘市の外でも先生をしに行ったことがあるんじゃよー。
その間はマフユが神様の代行をしておってのー」
「そうだったのですわね……」
「あと、わらわ、ヒマじゃったの!
いくら不老不死の神様とはいえ、毎日無為に時間を過ごすのはいかんじゃろ。
……だから、わらわなりに有効な時間の使い方を考えたとき。
最初に思い浮かんだのは、やっぱり、お参りに来る高校生たちのことじゃった。
毎日精いっぱい練習して、努力を重ねて。それでもまだ不安だからと……。
真剣な顔でお参りに来る高校生たちの力に、少しでもなれたらと思ったんじゃ。
だから実はな? この別世界、一番活用してるの、わらわなんじゃ!
初めて教える種類の部活に関しては、ここですんごい練習してから来てるもん! 実は!」
神様と言えど、できないことはあって。それを克服するために、人知れぬところで努力をされている。
それはすなわち、始めから何でも完璧にできて、迷わずに生きている方など、この世のどこにもいないということなのでしょう。
その事実はわたくしにとって、とても励まされるものでした。
今日、トウコ様とお話ができて本当に良かった。
そう、心から思いました。
「して。コゼットの悩みとはなんじゃ?
今回は、実は何か悩みがあって、それを解消するために修行に来たんじゃろ?」
「トウコ様、やっぱりおわかりでしたの?」
「当たり前じゃろ。神様なんじゃから」
トウコ先生には、やはりお見通しのようでした。
わたくしがこの度『特別茶会』を開くにあたって、悩んでいたこと。
それは、わたくし個人が両親に良いところを見せられるか? ということ以前に、リコ様不在の今回、わたくしがきちんと部をまとめられるのだろうか? ということでした。
わたくしが日本にやって来て、もはや半年以上が経ちます。
その間星が丘高校茶道部の一員として茶道を学んだわたくしは、もはやかつてのように『日本』『茶道』『正座』の三つに、偏見は一切ございません。
それどころか、週に何回も楽しくお茶を点てる日々を送っております。
なので、今はもう、日本の文化に対する理解度は高水準です。
この点においては、胸を張って言えると思っております。
でも、一つの部活に所属する、今後部をまとめていく存在。
『次期・茶道部部長』『次期・正座先生』として。
わたくしは、どの程度の力量があるのかというと、とたんに自信がなくなってしまうのです。
それは……。
「コゼットは、相当な負けず嫌いで、自分に厳しいよな。
じゃから、本当なら複数人でワイワイ部活動をするよりも、一人で、好きなことをじっくり極めたいタイプじゃよな。
だから、人と一緒に活動すると……。『厳しく教えすぎてはいないか?』『頑張りすぎて周囲から浮いていないか?』『張り切りすぎている自分は、皆に快く思われていないのではないか?』と、ふと不安になるんじゃろう。
だからユリナに教えるとなったときも、やってみればちゃんとできているのに、始めるまでなんだか自信なさそうにしてたんじゃよな」
「……その通りでございます。
わたくしはこの通り、気の強い方で、カッとなりやすいですし。
リコ様のように、うまく周囲と調和しながら活動することが苦手です。
だからこの度『特別茶会』をわたくし主体で運営していくとなったとき、急に自信がなくなりまして。
気持ちの面では失敗できない。絶対に完璧にやってみせると思うのですが。
先ほどのように自分が一番上の立場として、引っ張る場面になると、不安になりまして。
ユリナ様とは親しくさせていただいているので平気でしたが、茶道部の方々とは、コミュニケーションを十分に取れていないところもありますので。
本当に皆様、わたくしについてきてくださるのかなって……」
「ほう? コミュニケーションが取れていない。
本当にそうじゃろうか?
星ヶ丘茶道部のやつらと、ここにいるユリナのような、星ヶ丘茶道部の関係者。
その全員がこうも積極的に、茶道部の繁栄のために一丸となって努力しているのは……。
おそらくリコのためだけではないぞ。
特に、今回の『特別茶会』に関してはな。
……なあ? おぬしたち?」
「えっ……?」
トウコ様の言葉に驚き、トウコ様が指さす方向へ振り向いて。
ふすまが開いた瞬間、わたくしは息をのみました。
「こんばんはー! コゼット副部長!」
「夜分遅くにすみません……。コゼット副部長。話、聞いていました」
「まったく、コゼットってばー! そんなに悩んでいたなんて。
ワタクシに相談してくださったっていいじゃありまセンカー!」
「そうですよ。コゼットさん。私たちは、いつもそばにいるんですから」
なぜならば、そこにいたのは、なんと!
トウコ様とマフユ様の真実。
つまりこの星が丘神社の秘密を知らないはずの、茶道部の皆様だったからです。
「み、皆様。来てらっしゃいましたのー!?」
「当ったり前じゃないですかぁ!
こう見えて。わたしってすーっごく勘がいいんです。
だから、隠しごとをしても、すーっぐに気づいちゃうんですよ!
なので、トウコ先生のことは、星が丘高校にいらっしゃったときから、なんだか秘密がありそうだなあって思ってて……。
この前単刀直入に『トウコ先生って人間じゃないんですか?』って聞いちゃったんですー!
トウコ先生とマフユちゃんが神様とその従者の精霊っていうのは予想外で、かなりびっくりしちゃいましたが……。
人生、何事も経験! ぜひ一度トウコ先生がお住いの別世界に来て見たくて、今回修行をお願いしたんです!」
最初にこちらへ向かってウインクしたのは、一年生の『ムカイ オトハ』さんです。
オトハさんは、積極性の塊のような方。
年齢はわたくしと一切しか違わないはずなのですが、そのパワフルさには圧倒されることが多いです。
でもまさか、そのままストレートにトウコ様とマフユ様の正体を尋ねるほど、怖いもの知らずな方であったとは思いませんでしたが……!
「……すみません、コゼット副部長。
この通り暴走するオトハを止めることができず、一緒に来てしまいました……。
でも。『特別茶会』に向けて、私がトウコ先生にご指導いただきたいと思っていたのは事実です。
あの。私たちはまだ一年生で、コゼット副部長たちにとって、戦力になっているかというと不安ですが……。
実は『特別茶会』を、初めての発表会だと思っているんです。
コゼット副部長とジゼル書記のご両親に、茶道部が良い部活であると思っていただくためにも……。
やるからには、最善を尽くしたいと思い、私も来ました。
一緒に頑張りましょう。どうか、よろしくお願いいたします」
次に声をかけてくださったのは、同じく一年生の『カツラギ シノ』さんです。
シノさんはオトハさんのお友達ですが、わたくしたち茶道部と、シノさんとの出会いは、あまり良いものではありませんでした。
そのため、シノさんは、当初は茶道部に対して否定的な考えをお持ちで、わたくしは、彼女に個人的に反発を覚えることもありました。
だけど今は、この通り。
マイナスから始まった関係は、ゼロを越えて、どんどんプラスの方向へ向かっています。
「マッタク。コゼットはひとりで抱え込みすぎなのデース。
『特別茶会』は、副部長のコゼットだけがひっぱるものでなく、アナタの姉であり、茶道部の書記でもあるワタシの。二人が中心になりながら頑張るものデショウ?」
三番目にヒョイと顔を出したのは、ジゼルお姉さまです。
お姉さまはわたくしのおでこを、コツンと優しく叩くと、それからニコッと笑いました。
おっしゃる通りです。わたくしは『留学を機に変わった自分を見てもらおう』と思うあまり、大切なことをすっかり忘れていました。
姉妹で一緒に、同じ部活で頑張っていたのです。
であれば、わたくしは、ジゼルお姉さまとバラバラに努力するのではなく、相談しながら力をつけて行っても良かったのです。
「これで私たち全員が、トウコ先生の秘密を知ったということになりますね?
コゼットさんたちが、トウコ先生たちを尊重して秘密を守っていたこと、私達は理解しています。
でも、もう大丈夫ですよ。
部員皆で、この星が丘神社と一緒に歩んでいきましょう」
そして、最後に声をかけてくださったのは、ナナミ様です。
ナナミ様はわたくしと同学年ではありますが、やっぱり頼りがいのある方です。
将来私は、今の自分の良さを残しながら、ナナミ様のような部長を目指していきたいと感じます。
「んあ……? あれ、なんでナナミたちいんの?
なあ、コゼット。これって、夢……?」
あ、そうです。
ナナミ様が最後ではございませんでした。
今回、わたくしにずっと付き合って、秘密を共有しながら、支えてくださってユリナ様が今、目を覚まされたようです。
日本に来たばかりのころは一人も友人がおらず、日本のすべてを一方的に嫌っていたわたくしにも、今は、こんなに素晴らしい友人たちがおります。
『特別茶会』では、両親にそれを伝えたいと、わたくしは心から思いました。
「夢じゃございませんわ、ユリナ様。
ちょっと驚きなのですけれど、これ、どうやらなんだか現実みたいなのです」
「えっ? どういうこと? えっ?」
「では、みなさまー!
本日はお越しいただき、誠にありがとうございます。ですわ!
それでは『特別茶会』に向けて、あともう一日修行、頑張っていきますわよー!」
「おー!」
今は残念ながらいらっしゃらないリコ様に、今回のことを明るく、楽しい気持ちで報告できるように。
寝起きで現実についていけず、ポカンとしているユリナ様の手を取りながら。
わたくしはもう一日残っている修行に向けて、さらなる気合を入れるため。真上へ向かって、拳を大きく突き上げました。