[75]次期・正座先生、合宿をする!


タイトル:次期・正座先生、合宿をする!
分類:電子書籍
発売日:2019/12/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:96
定価:200円+税

著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり

内容
 高校2年生のコゼット・ベルナールは、フランスから日本にやってきた留学生。
 かつては『日本嫌い』『正座嫌い』だったコゼットだが、今では日本が大好きになり、星が丘高校茶道部の部長として楽しく活動していた。
 そして10月。新部長であるコゼットは、茶道部毎年恒例の『茶道部合宿』を仕切ることになる。
 開催地は1年生部員のオトハの家となり、コゼットたちは、少し遠方のオトハの自宅まで初訪問することとなる。
 今回の合宿の狙いは、11月に行われる『秋の部活動週間』に向けて、帰宅部の生徒たちが『茶道部に入りたい!』と思うようなPR方法を練ること。
 しかし、一泊二日の合宿は、なかなか思うようには進行せず……。
 次期・正座先生コゼットは、茶道部の新リーダーとして奮闘中!
 合宿を楽しく、かつ有意義な時間にするため、コゼットが頭をひねる、『正座先生』シリーズ第21弾です!

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本文

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 人に好かれる人にはなりたいけれど、頼られすぎると困ってしまう。
 なので、拘束されすぎることなく、一人で身軽に生きていきたい。
 人から尊敬される人にはなりたいけれど、本音を隠して生きるのはつらい。
 つまり、言いたいことを言っているだけで、愛される。あるいは、尊敬される人間になれれば、それが一番いい。
 思えばわたくし『コゼット・ベルナール』は、いつもこのような、矛盾していると言いますか……少々都合のよすぎる考えを抱いて生きてまいりました。
 ゆえにわたくしは『コゼットちゃんって、なんでもできるよね!』と認めていただけるよう日々努力はしつつも、それはすべて自分のため。
 頼まれれば学校の委員を手伝ったり、地域のイベントに参加したりすることもございました。しかし、それらはすべて『緊急の助っ人さん』『今回のみのお手伝いさん』として、でございました。
 つまりわたくしは、高校生になってしばらく経過するまで、団体での活動を、ほとんどしたことがなかったのです。
 わたくしは、自分で言うのもなんですが、相当に気の強い性格です。
 納得のいかないことには従えませんし、『良くない』と思ったことにはすぐ『良くない』と言ってしまいます。
 これによって、わたくしの人生には人間関係トラブルが絶えません。学校の先生には『コゼットちゃんは、もう少し協調性を身につけましょう』と言われる始末です。
 その結果、『コゼットちゃんは何でもできるけど、団体行動をしたり、リーダーになったりするのは向いていない。一人で自由に、やりたいことを極めるのがいいでしょう』と、周囲のみなさまも、そしてわたくし自身も思うようになっておりましたし、事実そんな生き方を続けてきた……つもりでした。
 ですがここで、現在のわたくしの肩書を見てみましょう。
 まず『星が丘市立 星が丘高校 二年生』。
 フランスに生まれ、フランスを愛する、フランス人のわたくしは、現在何の因果か、日本の高校に通っております。
 しかし、それはわたくしが納得して決めたことです。なので、まあ、これはよいでしょう。
 次に『二年六組 美化委員』。
 前述の通り、わたくしはあまり委員会活動等には積極的なたちではございません。
 しかし、星が丘高校では、生徒は全員何らかの委員会に入る決まりがございます。なので、この入会は致し方ないことです。それなりに活動も楽しんでおります。これもよいでしょう。
 そして『茶道部 部長』。
 ……部、長……?
 たった今お伝えした通り、星が丘高校生は、いずれかの委員会への入会が必須です。
 しかし『絶対にどこかの部活動に入らなくてはならない』という決まりはございません。
 つまりこの入部は、わたくしが自主的に決めたものにございます。
 それだけ……つまり、入部したというだけなら、これまでのわたくしをよく知るみなさまは『コゼットちゃんは茶道に関心を持ったんだ。昔は日本が嫌いって言っていたのに、変わったね。でも、それって良い変化だよね』と、思ってくださる程度にとどまるでしょう。
 実際、完全に良い変化なので、何の問題もございません。
 ですが。
 部……長……?
 もはや、わたくしをよく知るみなさまの意見を伺うまでもありません。
 他ならぬわたくし自身が『えっ? わたくし、部長ですの?』と、ギョッとしてしまうくらい、この肩書は意外なのでございます。
 にもかかわらず、わたくしは、なぜ部長になったのでしょう。
 昨年度、つまり高校一年生のときのわたくしは、茶道部の副部長を務めておりました。
 それは、わたくしが積極的に立候補した! ……というよりも、当時茶道部はあまりにも部員が少ない状態が続いておりましたので、やむを得ず。という感覚がございました。
 しかし、だからといってその次の年、そのまま部長になる必要はございません。
 そもそも、適当な気持ちで部長になるのは良いことではありません。そんなことをすれば、他の部員たちはもちろん、他の部活の部長のみなさま、先生方などにも影響が及ぶからです。
 なので、わたくしは『やむを得ず』部長になったのではありません。
 むしろ、大きな責任感とやる気のもとに……部長になったのです。
 そこに具体的な行動理念や目標があったわけではないというのは、まあ、我ながら少し頼りなく感じますが。とにかく、前向きだったのは間違いありません。
 だけど、逆に言えばそれは『向いているかどうかは度外視で、責任感とやる気だけで部長になってしまった』とも言えます。
 日本の高校を訪れ、それまで関心がなかった……というよりもむしろ相当に嫌っていた茶道を始め、茶道部の一員として活動をし始めて以来、わたくしという人間は大きく変わりました。
 それは、茶道部に入るきっかけをくださった双子の姉『ジゼル・ベルナール』の存在があり、先代部長である『サカイ リコ』様を始めとする、部員のみなさまが優しく支えてくださったからです。
 ゆえに、わたくしはそんなみなさまのためにも、未経験のことにチャレンジしたい!
 いいえ! それだけではいけません!
 協調性のなさはさておき……基本的に優秀なわたくしであれば、未経験の部長業務だって、立派に果たせるに違いありません。だから、完璧にこなして見せますわ!
 ……と、思ったのです。
 ここまでくると、責任感とやる気で、というよりは、勢いで決めた。という感じまでいたしますね。
 ですがわたくしは、本当に部長に向いている人間なのでしょうか。
 少なくとも、日本に来るまでは、決してそうとは言えない人間でした。
 たとえ、日本に来てからは良い方向へ変われているからと言って……その変化にも、限界があるのではないでしょうか?
 果たしてわたくしは、立派な部長になれるのでしょうか。
 部員のみなさまにとっても、自分自身にとっても納得のいく活動が、これからできるのでしょうか?
 まだそれは、わたくしにすらうかがい知らぬことなのです。


「では、みなさまお集まりになりましたわね!
 合宿一日目! はじまりのご挨拶をはじめます」

 十月下旬の『茶道部合宿』は、わたくしのこのような言葉から始まりました。
 こう見るとなんだかわたくし、一見手慣れているような雰囲気があります。
 しかし、実を言うとこの『進行役を務める』という行為には、いまだに緊張しております。
 わたくしはいかにも積極的な仕切り屋に見えますが、実際は違うからです。
 前部長のリコ様が引退するまでは、基本的にリコ様の脇で偉そうにしている。そして、リコ様が困ったり、トチったりをしたら、そこで助け舟を出す……。というのが主な仕事だったのですから。
 ああ、合宿は始まったばかりなのに、すでに引退したばかりのリコ様のことが恋しいとは。わたくしは、本当にリコ様が好きなようです。恥ずかしいので、本人には秘密ですけれど。
 なので、そんな、今ここにはいない先輩を思い出し、頼りたくなっている自分が、早速心配ではありますが……。
 少なくとも今回部員のみなさまには、それを気づかれないよう、格好良く振る舞いたいところです。
 なぜならばわたくしは、部長なのですから!

「ああ、ついに始まるんですねぇ。茶道部の合宿!
 茶道部のホームページ読者だった中学生の頃から、このイベントについては存じ上げてますっ。
 みなさんっ! これから一泊二日よろしくお願いしますね!
 もし合宿中何かありましたらぁ。わたしオトハに、お気軽にお知らせくださいっ。
 開催場所を提供したものとして、できるだけのことをさせていただきますよぉ」

 わたくしに続いて発言したのは、一年生部員の『ムカイ オトハ』さんです。
 オトハさんは今ご本人がおっしゃいました通り、今回の合宿の開催地に、ご自宅を提供してくださっております。
 そんなオトハさんは、茶道部においてやる気、実力ともに申し分のない方にございます。
 どれくらいやる気があるかと言いますと、オトハさんは中学三年生のころ、本来ならば別の高校を受験する予定でした。
 にもかかわらず、星が丘高校茶道部の存在を知ったことでわたくしたちの活動に強く関心を持ち、進路を変え、受験期間中も毎日星が丘高校茶道部ホームページを閲覧してくださったほどなのです。
 そのような受験経緯ですから、オトハさんの入学後の活躍は言うまでもありません。
 十月の現在に至っては、まだ一年生の身でいらっしゃいますのに、この貫禄。
 わたくしとしては、もう、良い意味で『後輩』とは認識しておりません。完全に信頼を寄せる仲間として、頼りにさせていただいております。
 なお、先ほどホームページの話題が出ましたが……。
 オトハさんほど、星が丘高校茶道部のホームページをご覧になっている方はおりません。
 何せ、ホームページ内にある動画を、一人で百回以上再生されたほどなのです。
 現にオトハさんは、ホームページに関して、わたくしの記憶にないことや、わたくしがそもそも目を通していなかった部分まで、完全に把握していらっしゃるのでした。
 最後にもう一つお伝えさせていただくと、オトハさんのご自宅は、星が丘高校からはかなり離れています。
 わたくしは今回初めてお邪魔しましたが、ここまで距離が離れているのならば、本来オトハさんの進学候補としてあがらなかったのも納得がいく……。と思ってしまうほどです。
 それでもオトハさんは星が丘高校への進学を選び、学業はもちろん、茶道部の活動のためにも毎日通ってくださっております。
 それを思うと、やはりわたくしはこの合宿を成功させなくてはならない! と、決意を新たにしてしまうのでした。

「みなさん、お疲れ様です。カツラギ シノです。
 私はこちらのオトハ同様、今回初めての合宿参加になります。
 途中、ご迷惑をおかけすることがあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
 あっ。もし忘れ物をした等で困ったことがあれば、オトハだけではなく、私にご相談いただいても大丈夫ですからね。
 私の自宅は、オトハの家からは近所なんです。お気軽にお申し付けください」

 二番目にお話しされたのは、一年生部員の『カツラギ シノ』さんです。
 シノさんはオトハさんの幼馴染で、今おっしゃられた通り、オトハさんのご自宅の近くにお住まいの方です。
 つまり、このお二人の一年生は、毎日大変な距離を通学して、その上で、茶道部の活動もしてくださっているというわけです。
 シノさんはこの通り、一年生とは思えないほど落ち着いた、真面目な方です。彼女がいらっしゃると、その場が引き締まります。
 だけど茶道に関しては今年始められたばかりの初心者で、さらに、かつては正座を苦手としていたという、意外な弱点がございます。
 そんなシノさんは、一年生とは思えない落ち着きと、茶道初心者らしいかわいらしさを、併せ持っていると言えます。
 つまり、将来のリーダー向きなのです。
 シノさんは、以前自分が正座を苦手としていた分、かつての自分と同じ境遇の方のお気持ちを、深く理解しています。
 たとえばシノさんは正座がうまくできない方に対して『簡単なことなのに、なぜできないの?』とは、口が裂けてもおっしゃいません。
 シノさんご自身に、正座がまったくできず、嫌いになってしまいそうなほど悩んだ経験がございますからです。
 ゆえにシノさんはそんなとき、静かに『正座下手さん』に寄り添います。
 そっと隣に座って、自分が正座を成功させるために培ったノウハウを、丁寧に教えてくださることでしょう。
 もしそんな方がリーダーならば、初心者の方も安心して入部や活動ができますよね?
 なので、わたくしとオトハさんは、次の部長、つまりわたくしの後継者は、シノさんがよいのではとひそかに話し合っております。
 問題は、本人には特にそのつもりはなく『やる気のあるオトハが、次の部長になるだろう』と思っていそうなところですが……。

「オーウ、オトハサン、シノサン、とっても頼もしいデース!
 実はワタシ、パジャマを忘れてしまいマシテー。早速助けていただくことになりそうデース」
「ええっ!? ジゼルお姉さまったら、昨日あれだけいっしょに持ち物確認をいたしましたのに、結局忘れ物をされましたのー!?」
「テヘッ。ごめんなさいデース!
 ……と、いきなり格好悪いところをお見せしてスミマセーン。
 ワタシは茶道部副部長のジゼル・ベルナール、デース!
 今回の参加メンバーでは、唯一の合宿経験者。二度目の参加になりマース。
 その経験を活かせるかはチョット不安デスガー……。
 ワタシは、合宿とは助け合い。と思っておりマース。
 合宿とは、普段の活動よりも、長時間部員同士が一緒に過ごすものデース。
 その中でワタシたちは、お互いのいいところを、いつもよりもたくさん、見つけることデショウ。
 もちろん……悪いところも、ときには見えてくるかも? と思っていマース。
 だけどそれは、よりお互いを深く知った! ということなのだとワタシは思いマース。
 ときにうまくいかないことがあっても、それは成長のチャンスデス! そんな気持ちで、この一泊二日を楽しんでいきまショーウ! ネ!」

 ジゼルお姉さまってば、パジャマを忘れたうっかりさんでありながら、つい、それを忘れてしまいそうになる、立派なご挨拶をしてくださいましたわ。
 ということでこの、三番目にお話をされたのが、わたくしの双子の姉でございます。
 ジゼルお姉さまは、わたくしと同じ、フランスに生まれフランスで育ったフランス人ですが、幼い頃から日本と日本の文化が大好きで、いつかは日本に留学したい! と思われていた方でございます。
 そしてお姉さまは、昨年のちょうど今頃、つまり高校一年生のときにそれを実現させました。
 つまり、留学先として選んだのが星が丘高校で、日本の文化を学ぶために選んだ部活動が、この茶道部というわけですね。
 ちなみにわたくしとお姉さまは一年ほど前、この留学決定が急すぎたことが理由で、ひと悶着ございました。
 が……それはもう過去のことなので、いいでしょう。
 当時のわたくしはジゼルお姉さまにかなり腹を立てましたが、今では、わたくしが日本へ留学するきっかけを作ってくださったことを、とても感謝しております。
 そんなジゼルお姉さまは、この通り、ちょっとトボけたところがございます。
 しかし、それ以上に周囲を和ませる明るさ、親しみやすさをお持ちの方です。
 茶道部でも副部長としてだけではなく、ムードメーカーとしても機能してくださっています。
 ゆえに、わたくしは、もしわたくしにも、ジゼルお姉さまのようなお気楽さ、おおらかさがあれば……と思うことが、実は多々ございます。
 わたくしは何事に対してもキリキリと思いつめがちで、困ったことがあると、今度はキーキーと吠えがちだからです。
 なので、いつも精神的に安定していて、周囲をよく見ているジゼルお姉さまのことは、つねに見習いたいと感じているわけなのです。
 ところで、ここまでに発言したわたくしを含む四人は、毎日のように一緒に活動している、全員見知った仲です。
 たとえば、この四人だけで今回合宿をするのなら、わたくしたちは今更自己紹介などしなかったことでしょう。
 ということはつまり……。

「あ、あのっ。ご挨拶最後になって、ごめんなさいっ。
 い、い、い、一年生の、ヤノです。ヤノ モエコです!
 茶道部で活動するのは初めてです!
 今日は。よ、よ、よっ。よろしく、お願いします……!」

 そうなのです。
 今、この初々しいご挨拶をされた方。
 一年生部員の『ヤノ モエコ』さんが、今回茶道部のイベントに初参加されているのです。
 ヤノさんは入学してすぐの四月に茶道部へ入部されたものの、その後はあまり活動ができず、半ば幽霊部員となっておられました。
 しかし今回『秋の部活動週間からは、積極的に活動したい』とおっしゃってくださったことで、合宿への参加が決まったのです。
 つまりわたくしとモエコさんは、これまでお話ししたことが、ほとんどございません。
 いいえ、わたくしどころか、この場にいるモエコさん以外の全員が、モエコさんのことをほとんど知らないのです。
 当然、長時間一緒に過ごすのも初めてです。
 ゆえにわたくしは、この合宿に、とても緊張しております。
 参加していただくからには、この合宿を、モエコさんにとって素晴らしいものにしたいとわたくしは考えます。
 はっきり言ってしまえば、本日わたくしたちがモエコさんとどう接するかで、今後のモエコさんの茶道部ライフは決まるようなものだからです。
 これで、緊張せずにいられるものですか!
 ……と、内心心臓をバクバクさせていると、シノさんが一歩前に出て話し始めました。つくづく頼れる方です。

「では、これで挨拶も終了ということで。
 早速活動を始めましょうか。
 今日のスケジュールは……まず、コゼット部長とモエコさんは、茶道の基礎、主に正座の方法について練習。
 私、ジゼル副部長、オトハの三人は『秋の部活動週間』における活動内容を詰める……。という認識でいいんですよね?」
「その通りですわ! ではオトハさん、あちらのお部屋をお借りしますわね。
 わたくしたちは、そちらで練習させていただきます。
 『秋の部活動週間』についてはお三方にお任せいたしますわ!」

 ちなみに茶道部には、まだまだ部員が多くいらっしゃいますが、今回の合宿の参加者は、この五人のみとなります。
 茶道部は人数こそ多いですが、大会などがなく、気楽に参加できる分……かつてのモエコさんのように幽霊部員になってしまう方が多いのです。
 それでも、本当はあとお二人、積極的に活動している方がいるのですが……。
 お一人目の『タカナシ ナナミ』様は兼部している剣道部の活動がお忙しく、お二人目の『ヤスミネ マフユ』さんは、ご家庭の事情で今回はお休みです。
 これはとても残念ですが、せめて明日、お二人に楽しく報告できるような合宿をしたいと思います。
 なお、今回の合宿の狙いは、

1: モエコさんに、茶道部になじんでいただくこと
2: 十一月上旬に行われる星が丘高校のイベント『秋の部活動週間』に向けて、帰宅部の生徒たちが『茶道部に入りたい!』と思うようなPR方法を練ること

 の二つになります。
 一つ目に関してはもう説明不要として、二つ目も重要です。
 『秋の部活動週間』は、その名の通り、各部活の部員たちが『私たちの部は、こんなにすてきなところですよ!』と、一週間かけてアピール合戦をするイベントです。
 つまり『秋の部活動週間』での頑張りが、そのまま新入部員獲得人数に直結するといえるわけです。
 なので、その計画をジゼルお姉さまたちに完全お任せしてしまうのは、正直なところ申し訳なくもあります。しかしわたくしは、モエコさんと親しくなることの方が、さらに重要任務であると判断いたしました。
 なぜならば昨年度の茶道部は、少数精鋭で頑張ってきたからです。
 結果、たとえ人数は少なくとも、一人一人の意識が高ければ、充実した活動ができると、わたくしは身をもって実感しています。
 ゆえにわたくしは、モエコさんにもその『精鋭』になっていただきたい。
 具体的には、オトハさんとシノさん、そして本日はいらっしゃらないマフユさんに続く、四人目の『精鋭一年生部員』になっていただきたい! と思っているのです。
 なので、本日の合宿は、モエコさんの到着を待って始まりました。
 今は夕方、十六時なのですが、モエコさん以外のメンバーは、お昼には集まっていました。
 しかし、モエコさんは、用事がおありでしたのと、オトハさんの家がとにかく遠いこともあり、到着が少々遅れ、つい先ほど着いたばかりだったのです。
 なので、合宿は今から開始。
 これから、モエコさんに『精鋭一年生部員』になっていただくための第一歩が始まるというわけです……。
 モエコさんと一緒にお部屋を移動しながら、わたくしは緊張とドキドキで、思わずつばを飲み込みました。

「ささ、モエコさん。お部屋も移ったことですし、早速始めましょうか。
 モエコさんにあまり正座の経験がないことは存じ上げておりますわ。
 でも、どうかご心配なさらず。わたくしが丁寧に指導させていただきますからね」
「は、は、はい……」

 こうしてわたくしとモエコさんのマンツーマン指導が始まりましたが、モエコさん、積極的に参加してくださった割には、なんだか元気がございません。
 でもそれは、緊張なさっているからですわよね。少しおしゃべりすれば、きっと打ち解けてくださいますわよね?

「では、最初にお伺いしますわね。
 モエコさんは、正座をする上で、何か苦手とすることや、困っていることはございます?
 どんなささいなことでも結構ですわ」

 そこでわたくしは、いきなり正座を始めはせず、モエコさんの『正座状況』について、ヒアリングすることから始めてみました。
 最初にモエコさんの正座に対する認識をお伺いできれば、そこから適切な指導法を導き出せると思ったのです。

「え、ええっと……」
「ゆっくり考えてくださってよろしいですわよ。時間はたくさんございますから」

 わたくしはこれまで部活といったものに所属したことがなく、フランスではずっと帰宅部でした。
 習い事をしたことはありますが、それはピアノや水泳といった、先生から教わったことを、個人個人で形にしていくタイプのものです。
 つまり『同じ教室に通っている誰かにものを教える』といった経験は、ないまま育ったのです。
 茶道部に入ってからは多少指導の機会もありますが、それでもまだまだ『先生』と呼ぶには程遠い。
 たとえば正座の教え方一つとっても、リコ様を『正座先生』とするなら、わたくしは『次期・正座先生』程度の存在でしょう。
 それでも、わたくしなりに理解しております。
 『教える』ということにおいて、焦りは禁物なのです。だからわたくしは今、モエコさんの答えをじっくりと待っているというわけです。
 あとそれから、これは、日本に来るまでは存じ上げなかったことのですが……。
 日本人のみなさまは、日本人だからと言って、必ずしも日本の文化に親しんでいるわけではないようです。
 たとえば、先ほど申し上げました通り、シノさんはかつて正座が苦手でいらっしゃったようです。
 また、オトハさんも、星が丘高校茶道部に関心を持つまでは、正座は問題なくできていたものの、茶道の知識はまったくなかったそうです。
 なので、たとえこれからモエコさんがどんなに不思議なことをおっしゃっても。わたくしは、『なぜフランス人のわたくしでも知っていることを、モエコさんはご存じないのでしょう?』と思ってはなりません。
 かつてのわたくしは、日本人ならば、正座を簡単にこなし、折り紙もすんなり折る。お茶をたてるのも余裕で、どのおうちにも、ご自身でさしたお花が飾られている。なんて思い込んでおりましたが……その認識は完全に誤りなのですから、押しつけてはいけないのです。
 だからわたくしは、待ちます。モエコさんの言葉を……。
 そして思った以上の長い時間が経過し、待ちに、待ちに、待ちに待った末、モエコさんから出た言葉は……。

「わ、わかりません……」

 でした。

「あっ、あら……そうですの」

 思わず『えーっ!?』と叫び出してしまいそうになりますが、そんなことをしては、モエコさんは『責められているのでは?』と感じてしまいます。
 ここは我慢。我慢です。
 わたくしは一度大きく息を吸って吐いてから、このようにお返事いたしました。

「初めてですものね。仕方ありませんわ。
 それでは、わたくしが一から正座についてお教えいたしますから、わたくしの真似をしていただけますかしら」
「わ、わ、わかりました」

 そうです。理想のリアクションが来ないことなど、想定済みなのです。
 この展開は、今までも、何度も体験してきたことなのですから。
 であれば、事前に考えていた方法で、正座練習を進行いたしましょう。
 茶道部のイベントに訪れる『正座初心者』の方向けのレクチャーをすればよいだけのことです。

「では、まずは立ちましょうか。
 立っているところから、正座をする。という手順で、まずは正座をしてみましょう」
「は、はいっ」

 正座以外の座り方から、正座に移行する。
 という方法もありますが、わたくしは、立っている状態から正座を始める、あるいは学ぶのが最も良いと考えております。
 たとえば外で正座することになった場合、それは基本的に真面目な場です。
 そういった場所で『最初はあぐらをかいていたけれど、途中から正座に移行した』というパターンは、あまりないでしょう。
 であれば、部屋に到着して、着席した瞬間から正座をしなければならない場。という想定で練習した方が、いざというとき、困らないような気がするのです。
 ところで、当然のことではございますが、茶道部は茶道をするところであり、正座だけをする部ではございません。
 それでも、茶道部が正座の指導を非常に大切にしているのは、前部長であるリコ様の意向によるものです。
 リコ様は在籍中『正座の仕方を知っている日本人はたくさんいるけれど、正座が得意な日本人は、そこまで多くはない』と、強く感じておりました。
 そんなリコ様自身も、かつてはシノさん同様、正座が苦手な方だったのです。
 ゆえにかつてのリコ様は、いきなり『正座をして参加してね』と言われてしまうお茶の席には、少し参加しづらさを感じていたのでしょう。
 そこでリコ様は、茶道に関心を持ってくださった方にはまず、続けやすい正座の仕方を教えるという方針で部を運営されました。
 リコ様は指導の際、正座に苦手意識を感じている方には『こういったところに気を付ければ、楽に長時間正座を続けられるよ』とお伝えします。
 『正座なんて日常生活に必要ない』と考えている方には『確かにそうかもしれないけれど、正座ができると、たとえば、こんないいことがあるよ』とお話しします。
 リコ様は正座をよいものだと思っているからこそ、決して強要しませんでした。
 無理に勧められたものは続かないし、かえって嫌いになってしまう可能性がある。だけど、もしよさを理解してもらえたなら、その人は自然に正座をしてくれるはずだ……というお考えだったのです。
 なので、わたくしも、その考えを継ごうと思っています。
 行きますわよ。よく聞いてくださいましね、モエコさん!

「立たれましたね。それでは、これから正座の練習に入りますが……もし、正座をして辛いということがございましたら、すぐにおっしゃってくださいましね。
 正座が不慣れな方が、足が痺れた状態で無理に正座を続けても、よいことはございません。
 『辛くなってきたな』と思ったら、まず、わたくしに一言お伝えください。
 そして、わたくしの指示に従ったのち、足を崩してくださいな」
「わかりました……」
「ありがとうございます。では、今のように、立った状態から正座する場合は、まず、片足を半足分、前に出しましょう。
 次に、静かに上半身を沈めます。
 それから、片方の膝が床へついたなら、その膝を前に倒しながら、もう片方の膝を床につけます。
 そして、片足ずつ足を寝かせて、正座になる、というわけですわね」
「で、できました……」
「はい。大変すばらしいですわ。これで正座ができましたよ。
 普段この動作って、意識せずにされていると思うのですけれど、言葉にしてみると、なんだか難しく感じられますわよね。でもお上手です」
「ありがとうございます……」
「では、無事に正座ができましたので、次は座り方の基本をお伝えします。
 端的に言えば、足を痺れにくくするためのコツですわね。
 まず『痺れ』とは、身体の血流が悪くなった結果、起きることだというのを、覚えておいてくださいまし。
 つまり、血流がよければ、痺れることはないのですわ。
 では、血流がよい状態を維持するには、具体的にはどうすればよいのかというと……。
 身体の一か所に負担が集中しないよう、体重を分散させることが大切です。
 上半身の重みを、つま先側にかけすぎず、かといって、膝側に身体を傾けすぎることもなく。頭のてっぺんから、つるされているようなイメージで、背筋を伸ばし、座ります。
 なお、このとき、猫背にはならないよう気をつけましょうね。
 それからこの場合、両手は膝の上に置くことになりますが、そのときは手の向きを『平行』ではなく『カタカナのハの字』に置くことを意識してみましょう。
 こうすることで、背筋を伸ばすのが、少し楽になるかと思います。
 それから、かかとは少し外側に開き気味にしておきましょう。これも、痺れ防止につながります」
「なるほど……」
「あと……今回はジャージで参加してくださっているので、無関係ではございますが、もう一つ。
 もしスカートで正座をされる際は、スカートはお尻の下に引くようにしましょうね。
 スカートが広がり、足全体がスカートに隠れている状態で正座するのはよくありませんので」
「わかりましたっ。き、気をつけます」

 それにしても、モエコさんは素直な方です。
 この教え方は、非常に基本を大切にしています。説明しているわたくしですら『基礎的すぎるかもしれません』と不安に思ってしまうくらいのものです。
 なので場合によっては『それくらいできますよ! バカにしないでください!』と、モエコさんが怒ってしまわれるのでは……と思っていました。
 しかし、モエコさんはただ淡々と、わたくしの言った通りにしてくださいます。
 やや、リアクションが薄いのが、淋しくはございますが……。

「では、このまま正座を続けてみましょう。練習の場ですから、おしゃべりをしていてかまいませんわよ。
 何かここまでで気になることがあれば、教えてくださいな。お答えしますわよ」
「あ、特にない。です……」

 あ、そうですの……。
 と、へこたれてしまいそうになりますが、こんなの初めてではございません。
 過去、正座を教える場面でも、まぁ、似たようなことはあったのです。
 それに繰り返しとなってしまいますが、モエコさんは初心者なのです。
 茶道部はいつでも、初心者を最優先に、初心者が安心して活動できる雰囲気づくりをする。
 これが茶道部の伝統……というほどまだ浸透してはおりませんが……今後伝統にしていきたいものなのですから、わたくしはやはり辛抱強くあるべきなのです。
 ……少し辛くなってきましたが。
 こうして、わたくしたちはしばらく並んで、無言で正座を続けました。
 そして、それから五分ほどたったころ……。

「あ、あ、あの、すみません。足が、痺れてきちゃったみたいで……」
「まあ。教えてくださりありがとうございますわ。
 それでは、これから痺れたときの対処法をいくつかお伝えします。
 なので、それを実践してみてから足を崩し、そこで練習はいったん終了といたしましょう」
「はいっ」
「では、お伝えしますわね。まず『痺れてしまったな』と思ったら、片方の足に、重心をかけてみましょう。
 両足一度にはできませんので、片方ずつ行うのですよ。これによって、血行がよくなる可能性があります。
 次に、左右の足の親指に注目します。足の指が重なるほど近づけて、その上下を入れ替える形で、パタパタ、ゆっくりと動かしてみましょう。
 この、上下を入れ替えるときに、重心を左右に移動させるようにします。こうすることでも、血行がよくなる可能性があります。
 それでも痺れが緩和されないようでしたら、ツボ押しをしてみるのも手です。
 このツボは男女によって位置が違うので、モエコさんには、女性のツボの位置をお伝えしますわね。
 ツボは、眉毛の上あたりにございます。ここを刺激すると、痺れすぎてしまって、立ち上がるのも大変なときに効果があるのです。
 ただし、正座したままだと、押しても効果はございません。
 なので、ここで足を崩して……。さあ。ツボを刺激してみてくださいな」
「あっ……少し楽になった……ような……?」
「うふふ。さっそく効果があったようでしたら何よりですわ。
 さて、このようなところでしょうか。以上になります。
 いかがでしたかしら? 今回の正座は。
 基本的な座り方から、痺れてしまったときの簡単な対処法をお伝えしました。
 ここまでで、何かわからないことや、困っていることなどがあれば、おっしゃってくださいな」
「わ、わかりません」
「あ、あら、そうですの?」

 モエコさん、今度は即答です。
 し、しかし『わからない』とはどういったことでしょうか。
 仮に『特にありません』ということでしたら、このまま終わるのもよいかと思います。
 ですが『わからない』と言われてしまうと、こちらもしばらく待ってみるほかありません。待っていれば、何か疑問点が出てくるかもしれないのですから。 

「……ええっと……」
「…………」

 しかし、モエコさんは、なかなか何もおっしゃいません。
 正座していたよりもさらに長い時間が経過しましたが、それでも無言です。
 こ、ここはもう少し待つべきなのでしょうか?
 それとも、ここで切り上げるべきなのでしょうか?
 わ、わ、わかりませんわ!
 わたくしまで『わからない』状態になってしまいました。
 なので、せめて一言声をかけましょう。モエコさんは緊張されているのかもしれないのですから。
 わたくしは、部長なのですから!

「えっと。モエコさん。緊張されなくてもいいのよ。あの、その……」
「ごめんなさい……」

 こ、今度は謝られてしまいました!
 な、なぜでしょうか!?
 わたくしって、そんなに恐ろしく、思わず謝りたくなるほど、話しづらい存在なのでしょうか!?
 モエコさんの突然の謝罪に、わたくしはなんだか泣きたくなってきてしまいました。
 さらにいえば、モエコさんの『どもり癖』まで、す、す、すっかり移ってしまっています。
 こ、こ、こ。これはわたくし……大ピンチです!
 しかしそのとき、ふいに、スルスルと部屋のふすまが開きました。
 この気まずい場に、誰かが来てくださったのです!
 それは、天の助け!

「ハーイ! お二人とも、調子はいかがデスー?」

 ……ではなく、ジゼルお姉さまでした。

「う、うふふ。ジ、ジゼルお姉さま、ごきげんよう。えーっと、わたくしたちはですね……」
「…………」

 モエコさんの方に視線を向けてみますが、やはりモエコさんは何もおっしゃいません。
 わたくしたち三人のあいだには、奇妙な沈黙が流れます。

「エーット……?」

 そんなわたくしとモエコさんの気まずい雰囲気を見て、ジゼルお姉さまはすべてを察したようです。

「少し、休憩にいたしまショウ!」

 とわたくしたちの肩を優しく叩き……立ち上がらせてくださったのでした。


 話し合いの結果、わたくしたちは夕方の活動を早めに切り上げて、夕食後からまた頑張ることにいたしました。
 とはいっても、ここまででうまくいっていないのは、わたくしとモエコさんだけなのでは?
 ひとまずわたくしたち二人だけ休憩にして、ジゼルお姉さまたち三人は、このまま作業を続けても問題ないのでは?
 ……と思っていたのですが、どうやらあちらのグループでも、予想外のことが起きていたようです。
 そこでミーティングにあてるはずだった十七時台は、自由時間に変更です。
 ゆえにわたくしは、オトハさんの家を出て、一人散歩をしている次第です。
 はい。ご想像の通りです。うまく指導ができず、いたたまれない気分になってしまったので、外へ出て頭を冷やしたかったのです。

「いい天気ですわねぇ……」

 今日の空は、意外なほど明るいものでした。
 十月も下旬なのですからもっと日は短く、空気は冷たく、淋しくなるようなものかと思っていたのですが、実際はまだまだ温かく、過ごしやすいものとなっております。
 しかし、今のわたくしには、天気に関して語る余裕はございません。
 この時間を利用して、どうしても考えなくてはならないことがあるのです。

「はぁ。それにしても、どういたしましょう……。
 モエコさんったら、何を聞いても答えてくださらないんですもの……。
 どうしたら、もっと円滑なコミュニケーションができるのかしら」

 河原まで歩いて行って、ベンチに腰掛けながら、わたくしはウーンウーンと悩んでしまいます。このまま考え続けていたら、頭が爆発してしまいそうです。
 ……しかし、策はあります。
 それは『一人で解決しようとしない』という策です。
 そう。あてがあるのです。
 わたくしは先日、とある方に、こんなことを言われていたのです!

〝コゼット君。予知して見せよう。
 きみはきっと合宿中、困ってしまうことが起きる。
 だけど、誰かに相談したくなっても、受験勉強に必死なリコ君には連絡しづらい……。
 剣道部の準備にかかりきりのナナミ君や、ご自宅である星が丘神社で仕事のあるマフユ君も同様に、頼りにくい。
 かといって、他の作業をしている茶道部の仲間に相談するのはどうなのか……。と思ってしまうことだろう。
 ……だから、そんなときは私に連絡をくれ。
 私は比較的余裕のある大学一年生だからね。遠慮はいらないよ〟

 そう。『とある方』とは、星が丘高校茶道部のOGで、現在は星が丘大学一年生の『カワウチ アヤカ』様のことなのです!
 先日わたくしたち茶道部は『秋の部活動週間』に関するヒントを得るため、アヤカ様のご自宅にお邪魔させていただきました。
 その際、わたくしはアヤカ様と連絡先を交換し……帰宅後、お礼のメッセージを送った際、このようなお返事をいただいたのです。
 そして今、アヤカ様の予知は的中し、わたくしはお電話させていただこうと思っています。
 それにしても、なんなのでしょうか、あのお方は……!?
 ここまで予知が完璧に当たるだなんて、もしかして、アヤカ様は超能力をお使いになられるのでしょうか?
 ということで、ここはご厚意に甘えて、遠慮なくお電話させていただきましょう。
 スマートフォンのアドレス帳からアヤカ様のお電話番号を呼び出し、プルルルル……と発信です。

「あの、もしもし……。
 恐れ入りますが、カワウチ アヤカ様のスマートフォンでお間違いないでしょうか。
 わたくし、星が丘高校茶道部のコゼット・ベルナールです……」
「おやおや、こんにちは、コゼット君。
 そろそろかかってくるような気がしていたよ」
「そ、そうでしたの!?」

 アヤカ様超能力者説が、いよいよ有力になってきました。
 アヤカ様は、わたくしが電話してくるタイミングまで見抜いていたようです。

「こうして電話してくれたということは……。
 少しゆっくり話をしても大丈夫な状況だと思っていいのかな?」
「はい。休憩時間を利用してかけさせていただいておりますわ。
 率直に申し上げます。アヤカ様の予想が当たってしまいましたわ。
 わたくし合宿中に早速壁にぶつかってしまいまして、助けを求めております。
 アヤカ様のご意見を頂戴したいのです」
「なるほど、承知した。それでは、現在の状況を、できるだけ詳細に教えてくれるかい?」

 すべてお見通しらしいアヤカ様は、至極落ち着いた様子で、現況をお求めになられました。
 なので、わたくしも、なんだか落ち着くことができ……これまでに起きたことを、冷静にお伝えすることができました。

「はい……。ええっと、ですね。今回わたくしたちは、五人で合宿を始めました。
 わたくしを含むそのうちの四人は、見知った仲間にございます。
 だけど一人は、合宿が初めてなのはもちろん、茶道部の活動自体に参加すること自体初めての『モエコさん』という方なのです。
 そこでわたくしたちは、五人を二つのグループに分けて作業することにいたしました。
 わたくしとモエコさんは『正座の練習』。
 それ以外の、ジゼルお姉さまをはじめとする三人は『秋の部活動週間の計画』。
 という形に、です。
 だけど……わたくしと二人きりの指導という形式が、モエコさんを緊張させてしまったようです。
 正座の指導そのものはうまくいきました。モエコさんは素直に従ってくださり、知識は十分にお伝えできたと思っております。
 だけど、わたくしができるだけモエコさんとコミュニケーションをとろうとしたところ、そちらはうまくいかなかったのです。
 会話は弾まず、練習は沈黙ばかりになってしまいました。
 そこに偶然やってきたジゼルお姉さまが、見かねて、ひとまず休憩にしようとおっしゃってくださったのですが……。話を聞くと、ジゼルお姉さまたちの作業もうまくいっていなかったようです。
 そこで、仕切り直しのために、夕ご飯までは作業ストップとなったのです。これによって、現在の休憩時間に至ります。
 ということで……わたくしは落ち込んでしまっているのです。
 これは、部長であるわたくしの力量不足、あるいは計画ミスなのではと」
「ほほう。では、どうしてそう思ったのかな?」

 そう率直に尋ねられると『どうしてでしょう?』と思ってしまいますが、その理由は明白です。
 わたくしは今回合宿を始める前に、去年の合宿の様子を、ジゼルお姉さまから聞いておりました。
 よって、わたくしは今、去年の合宿を基準に、成功度合いを推し量っています。その結果……。

「……総合的に判断して、今、合宿がうまくいっているように思えないからです。
 去年の合宿は、非常に楽しく、和気あいあいとした雰囲気で進んだと、ジゼルお姉さまから聞いておりました。
 だけど、今年の合宿は決してそうではありません。
 ゆえに、わたくしはこの落差に落ち込んでおります。
 何が間違っているのだろう……と思うと、思い当たることが多すぎて、沈んでしまっているのです」
「そうだったのかい。でも、その点は気にすることはないよ。
 まず、コゼット君は去年の合宿を誤解しているようだ」
「えっ?」
「去年も、トラブルはあったんだよ。
 去年はナナミ君が急遽参加できることになったんだが、リコ君はそれを『ナナミの参加には、何か秘密があるのでは?』と捉えてしまったんだ。
 具体的には『転校でもしちゃうのでは? だから今急に、一緒に過ごした思い出を作ろうとしているのでは?』と思ったらしい。
 ナナミ君はご存知の通り、剣道一筋の生活を送る多忙な子だ。
 なので、そんな子が、たとえ少々時間ができたからと言って、茶道部の手伝いをするとは考えにくかったんだろうね。
 もちろん、それは誤解だった。ナナミ君は当時純粋に茶道に興味を持ち始めていて、空いた時間ができればぜひ手伝いたい、合宿にも出てみたいと思っていたらしい。
 なので、最終的には誤解も解け、楽しくすごせたんだけど……。解けるまでの間には、少し気まずくなってしまった場面もあったんだよ」
「えっ? そうでしたの? ジゼルお姉さまは何もおっしゃりませんでしたので、てっきり万事うまくいったのかと……」
「ジゼル君は他人に気を遣うタイプだからね。コゼット君を不安にさせないためにも、トラブルや失敗談は伝えず、できるだけ明るいイメージで合宿を語ろうとしたんだろう。
 ……それで、今回の合宿におけるトラブルの話だけど。どれも自然なものだと思うよ。
 コゼット君もこれまでに経験はないかい?
 まず、普段は仲のいい友人同士でも、長時間一緒にいると疲れてくるから、険悪な雰囲気になりがちだ。
 たとえば修学旅行中とか、みんな疲れて無言になってしまう場面なんてものはなかったかい? あんな感じだね。
 次に、一泊以上する場合、作業時間に余裕があると感じられ、どうしてもだらけた空気になりやすい。
 結果、だらけてしまった人の作業効率は落ちるし、だらけずに頑張っている人は、だらけた人を見てつい苛立ってしまうだろう。
 これは、たとえばそうだね……。学校祭の準備とかで、放課後遅くまで残っていられるときなんかに起こりやすいね。
 だから、先ほどコゼット君が言っていた、ジゼル君たちのチームで発生したトラブルは、この二点と同じ、あるいはこの二点に近いことが原因じゃないのかな。
 それから、コゼット君とモエコ君の件に関しては、特に心配いらないと思うよ」
「なるほど。そうなのですわね……なら安心ですわ。
 って、ええっ!? アヤカ様、今、なんとおっしゃいました?」

 思わずうなずいてしまいそうになりましたが、アヤカ様は今、突然おかしなことをおっしゃいました。
 前半のジゼルお姉さま方の話は納得できましたが、後半の、わたくしとモエコさんの話については納得できません。

「コゼット君とモエコ君に関しては、特に問題はないと言ったんだよ。
 これから合宿終了までの声掛けだけで、なんとかなるくらいのことさ。
 モエコ君は、今回初めて茶道部のイベントに参加しているのだろう?
 たとえコゼット君が委縮しないように、意見を出しやすいように……と、心を砕いても、意見しづらいのは当たり前なんだ」
「確かにそうかもしれませんけど……。
 モエコ様はこちらから質問をしても黙ってしまわれるばかりなのです。
 だからわたくしは『わたくしの教え方が悪いせいで、正座に興味をなくしてしまわれたのでは?』と思ってしまいましたの。
 モエコ様は、わたくしが『困っていることや、わからないことはないかしら?』と聞いても『わからない』とおっしゃるのみでしたし」
「そうだったんだね。
 つまり、コゼット君は、モエコ君から積極的な発言がなかったことを残念に思っているようだけど……」
「その通りです」
「でも、正座の指導そのものはうまくいき、モエコ君はコゼット君の教えをしっかり守ってくれたのだろう?」
「その通り、ですけれど……」

 そのようにおっしゃられますと、確かに特に問題はないような気がしてきます。
 ですがなんだか納得がいきません。先ほどのわたくしとモエコさんは、とても、良い雰囲気と言える状態ではありませんでした。それを『特に気にしなくてもよい』と思えるほど、わたくしは楽観的になれません。

「私が思うに。おそらく『わからない』という言葉が、モエコ君の意見なんだろう。
 彼女は質問に答えることを放棄しているわけじゃない。
 単純に『まだ見つからない』と言いたいんじゃないだろうか。
 話を聞くに、彼女は話すのが苦手そうな子だよね。
 そんな彼女との会話は、いつも饒舌なコゼット君には、少しもどかしいことなのかもしれない。
 だけど焦らず、モエコ君の動向をもう少し見守るといい。
 もしかしたらすっかりこの件を忘れかけてしまった頃に、質問が飛んでくるかもしれないよ」
「はぁ……。そんなこと、あるのでしょうか? これはやはり、わたくしの力不足では……」
「そう判断するのはまだ早いよ。
 そこで……ここでコゼット君に、今すぐ確実にできて、絶対に効果のあることを教えよう」
「えっ? それはなんですの?」

 電話越しなのに、思わず身を乗り出してしまいました。
 それを教えていただくことで、わたくしはついにこの悩みの突破口を見いだせるのではと思ったのです。
 しかし、アヤカ様がおっしゃった言葉は、次のような、驚きのものでした。
 ですがそれが、この合宿をさらなる意外な展開に連れていくのでした。

「お風呂に入ることさ」


〝おっ、お風呂……?〟
〝そうだ。お風呂だよ。疲れてガチガチに固まってしまった思考と身体を、温かい場所で一度ほぐしておいで。
 そうすれば、もう少し気楽にモエコ君とすごせるはずさ。
 今はまったく思いつかない、新しいアイディアだって浮かぶかもしれない〟
〝はぁ……〟
〝さあ。騙されたと思ってやってごらん〟
〝わ、わかりましたわ……?〟
〝よろしい。ではまた。健闘を祈るよ〟

 先ほどのアヤカ様との電話は、このような形で終了いたしました。
 正直なところ、これに従い、お風呂に入ったところで、本当に道が開けるかは怪しいものです。……が、他に打てる策もありません。
 ということで、わたくしはアヤカ様に従うことにしたのでした。

「はぁ……いいお湯ですわ」

 オトハさんのおうちに戻り、ご相談すると、オトハさんは一番風呂にご招待してくださいました。
 なので今、わたくしはオトハさんの家の大きなお風呂に、一人で入っている状態です。オトハさんってば、お金持ちです。このお風呂であれば、あと数人は入っても問題なさそうなくらい、このお風呂は広いのでした。
 ところでわたくし、すっかり忘れておりましたが、お風呂に入ると眠くなってしまうという弱点がございます。
 眠くなってしまっては、現在ただでさえ落ちている思考力が、さらに落ちてしまうのでは? 今日はいつにもまして疲れておりますし。下手をしたら、ここで眠ってしまうのでは? と、今不安を感じている次第です。
 しかし……。それは杞憂でした。

「ご一緒してもよろしいですか?」
「わっ!」

 シノさんが、突如この場にいらっしゃったからです。
 あまりにも意外な来客に、わたくしは思わず大声を上げてしまいます。
 なぜなら、シノさんは真面目でお堅く、他人との距離感を、慎重に詰めていくタイプです。
 なので、わたくしはそんな彼女が、気軽に一緒にお風呂に入ってくるタイプだとは思っていなかったのです。

「こんにちは。コゼット部長。いや……今は『こんばんは』の時間でしたね。こんばんは」
「こ、こ、こんばんはですわ。いらっしゃいませシノさん。一緒に、この大きなお風呂を堪能いたしましょう」
「ええ。それでは、早速ですがコゼット部長の今のお気持ちを当てますね。
 思うように合宿が進行しなくて、落ち込まれているのではありませんか」
「ええっ!?」

 もしかして、シノさんもエスパーなのでしょうか。
 まさにまったくおっしゃる通りですが、ここは肯定してはなりません。
 わたくしは部長なので、強く落ち着いた姿を見せなくてはならないのです。

「お。落ち込んでなんかおりませんわ」
「では、なぜ急に、お風呂に入ろうと?
 夕食後でもよかったじゃありませんか。気分を切り替えたかったのでは?」
「むむむむ、鋭いですわね……じゃなくって。
 お風呂に早く入ったのは……そうですわ! お風呂では正座の練習がしやすいですから。ちょっとトレーニングをしようと思っただけですの」
「ふうん……。そうでしたか。お風呂で正座。いいですね。では、私もそうしますね」
「ええ! そういたしましょう?」

 これでごまかせたでしょうか。
 わたくしは正座を始め、シノさんもそれにならいます。
 これは珍しい『正座以外の座り方から、正座に移行する』パターンですね。
 ちなみに、お風呂での正座は本当に効果的です。
 お風呂、つまり水の中では、浮力が働きます。
 これが身体を柔らかくするため、普段より楽に正座ができるのです。
 さらに言うと、この『お風呂正座』はダイエット効果もあると最近注目されています。
 他の姿勢でお風呂に入るよりも代謝が上がって、これによって痩せやすくなるのだとか。
 なので、先ほどの練習ではこれもモエコさんにお伝えしたかったのですが、できませんでした。
 ああ、またシュンとしてしまいそうです……。

「では、コゼット部長。正座しながら、ひとりごとを言わせてください。
 まず、私たち三人の件については、心配なさらなくて大丈夫ですよ。
 先ほどは『秋の部活動週間』をよりよいものにするために『ああした方がいい』『こうした方がいい』って相談しているうちに熱が入りすぎちゃって。
 その結果、ちょっと険悪な雰囲気になっちゃっただけなんです。
 一度休憩時間をとって、お風呂やごはんで身体をリフレッシュさせれば、元のよい雰囲気に戻れるはずです。
 中学時代、ダンス部の合宿で似たようなことがありましたので、私としては『あのときと同じだな』ととらえていますよ。
 なんと言いますか、長時間一緒にいすぎると、なぜか暗い雰囲気になってくるといいますか……。
 もっと深い関係になるために本音を打ち明けようとして、かえってうまくいかなくなっちゃうことがあるんですよね。
 なので、コゼット部長も、どうかあまり気に病まないでください」
「……長時間一緒にいすぎると、なぜか暗い雰囲気になってくる……」

 その言葉を聞いて、わたくしはまたも身を乗り出してしまいます。
 それは、先ほどアヤカ様もおっしゃっていたことだったからです。
 確かにモエコさんを除く四人は昼から集まっていたので『長時間一緒にいた』というのはあてはまります。

「あの。それ、アヤカ様もおっしゃっていましたわ。
 そういうものですの?
 わたくし、こういった催しに参加するのは初めてですから、シノさんが『当たり前』に感じていることがどんなものなのか、理解できておりませんの」
「ふふふ。やっぱりアヤカさんとご連絡されてたんですね。
 つまり、それくらい困ってらっしゃったんですね?」
「あっ」

 バレてしまいました。というか、自白してしまいました。
 お風呂が温かくて、全身の筋肉がゆるんで、ついでに気持ちまでゆるんでしまっているようです。
 シノさんはそんなわたくしを笑顔で見つめると、続きを語りました。

「モエコさんに関しても、そこまで心配しなくていいと思いますよ。
 私の経験に限った話ですけど。
 たとえば『合宿をやるよ!』となったとき、みんな、同じレベルの意欲を持って参加するわけではありません。
 何が何でも、合宿を成功させたい人もいれば……。
 『みんなが参加するから、仕方なく参加した』という消極的な理由でやってくる、意欲の薄い人もいますから。
 それ自体は、悪いことではありません。
 問題は、意欲の濃さが違うことで、頑張っている人が損をしてしまったり、思うように頑張れない人が責められたりしてしまうことです。
 これが、チームの分裂を招いてしまうからです。
 ……だけど、私が把握する限り。この茶道部には、意欲の薄い人はいません。
 モエコさんは確かに口下手そうですが、先ほどコゼット部長がお風呂に立った後も、一人で正座の練習を続けられていましたよ」
「そう……でしたの?」
「はい。だから、心配ありません。茶道部部員のモチベーションは高いです。
 茶道部は小規模な部活ですが、リコ前部長を始めとする先輩方が、一生懸命維持してきた部活であると、ここにいる全員がご存知です。
 適当な活動をして、廃部にしてはいけないという気持ちが……少なくとも、今日ここに来ている全員にはあると、私は思っています」
「シノさん……」
「そうですよっ!」
「わわわっ!?」

 シノさんのお言葉にジーンときていると、そこでオトハさんが、ガラガラガラ! とお風呂の扉を開け、その次の瞬間湯船に、ザプーン! と、文字通り飛び込んでまいりました。
 そしてオトハさんは着地するなりサラリと正座に姿勢を変えると、わたくしとシノさんに向かい合う形で座り、話し始めました。

「あのですねぇ、コゼット新部長?
 わたしは、『わたしの家で合宿すれば、絶対成功! 百パーセント、やってよかったって思える合宿ができるぞ!』『モエコさんのことは、コゼット新部長に完全にお任せしちゃおう!』なんて、思ってませんよぉ?
 確かに、そうなるに越したことはありませんけど。
 たとえ思うようにいかなくたって、コゼット新部長のせいだなんて思うはずがありません。だから落ち込まないでくださいね?
 そもそも、普段より活動に使える時間が長いとはいえ、たった一日で劇的な変化なんて起きませんよぉ。
 突然いい案は浮かばないから、わたしたちの話し合いはちょっとトラブっちゃうし。
 突然仲良くなれるわけないから、コゼット新部長とモエコさんは、うまく話せなくて、まだ緊張した空気になっちゃうんです。
 それでいいんですよ。
 というか、合宿を成功させなきゃ、茶道部が滅ぶというわけでもありませんし。
 夕方ジゼル新副部長がおっしゃった通り、今日が仲を深めるチャンスになれば、今日の活動そのものは完璧じゃなくてもいいんです」
「オトハさん……」

 なんだか、涙が出てしまいそうです。今のわたくしは、身体と、気持ちだけでなく、涙腺までユルユルです。
 わたくしはこの合宿をよくしようと、一人で気を張っていました。そして、それを隠せているつもりでした。
 しかし実際は違い、みなさまはずっとそんなわたくしの様子に気づき、心配をしてくださっていたのです。
 先ほどわたくしは、別の仕事があるジゼルお姉さま、オトハさん、そしてシノさんに相談するのが申し訳なくて、アヤカ様にお電話をしました。
 だけど本当は、素直に打ち明けてよかったのです。『自分のせいで合宿が失敗するのではと不安だ』と、言ってよかったのです。

「コゼット部長。あなたは、モエコさんにいいところを見せようと張り切りすぎてしまいましたよね。
 『きっとモエコさんも同じ気持ちなのでは?』と、私は思います。おふたりはきっと、お互いに無理をしすぎているんです。
 この後の夕食では、たとえまた会話が弾まずとも、ずっと笑顔で、話しかけやすい雰囲気を作り続けましょう。
 そうすれば、いつかモエコさんも、私たちに親しみを感じてくれると思います」
「そうですそうですっ。今、ジゼル新副部長がモエコさんとお話してるんですけど、あのジゼル副部長でも、モエコさんとの会話をいきなり弾ませるのは難しいみたいです。
 だから焦らずに行きましょう?
 たとえ合宿中に仲良くなれなくても、その途端地球が終わって、二度と会話できなくなるわけじゃありません。じっくり向き合っていきましょう?」
「ええ……ええ。そういたしますわ。お二人とも、ありがとうございます!」

 わたくしはこぼれてきてしまった涙を指で拭い、そんなわたくしをお二人はニコニコ、ニヤニヤと温かく見つめてくださいます。
 そういえば、半年ほど前は、このお二人とこんなに仲良くなれるなんて思ってもみませんでした。
 であれば、モエコさんとの関係を悲観する必要なんてありませんよね。
 たとえ今日うまくいかなくたって、ベストを尽くし続けていれば、いつかオトハさんとシノさんのときと同じように『気がつくと仲良くなっていた』なんてことになるかもしれないのですから。

「あ、あ、あ。あのうっ!」

 と、気持ちを穏やかにしたところで、またもお風呂の扉があきました。
 しかし今度は先ほどと違い、カラカラカラ……という控えめな音で、現れたのも当然オトハさんではございません。
 そう、今やってきたそのお方は……。

「モエコさん!?」
「はい! モエコです!」

 驚くわたくしをよそに、モエコさんはゆっくり、ゆっくりとこちらへ近づきます。
 それから『そんなに静かにしなくてもよいのですよ?』と言いたくなってしまうほど、そーっと、そーっと湯船に入り、十秒、いや、三十秒ほどの沈黙をへたのち……こう、おっしゃいました。

「せせせっ、先輩。コゼット先輩……。
 さっきはごめんなさい!
 わたし、この通り、すぐ、ど、ど、どもってしまう癖があって。
 し、しかも。考えるのが、すごく遅いんです。
 だから、人には『無視されているのかな』ですとか『話を聞いてくれていないのかな』って、誤解されちゃうことが多いんです。
 なのでそれが嫌で、質問をされても『特にないです』ってすぐお話を切り上げようとしちゃったり。
 ゆっくり考えたいときは『わかりません』っていうことで、時間を稼ごうとしちゃったりする癖があるんです。
 でも、それもいつも、う、うまくいかなくて。
 だだだ、だからいつも、思うように人と関係を作れなくて。
 やりたいことがあっても……。つ、つ、つ、続かなかったん、ですけど。
 今回は、どうしても茶道をやりたいので。
 まだ『茶道についてわからないこと』の答えは出てないんですけど。『茶道をしたい』『皆さんと仲良くなりたい』という気持ちだけは伝えたくて。
 だっ、だっ、だからぁ……。
 お風呂、来ました!」

 モエコさんはそうおっしゃると、そこでここにいる全員が正座をしていることに気づいたようです。
 わたくしは一瞬『自由に座っていただいてよろしいのですわよ!』と言おうとしましたが、モエコさんは。これを合宿の一環だと思ったようです。

「わ、わたしも正座っ。していいですかぁっ!?」

 とおっしゃいました。
 無理をなされていないか少々心配ではありますが……。望んで正座してくださるのなら、それはとても嬉しいことです。断る理由はありません。
 あと、それから、先ほどお伝えしそびれたことを話すチャンスです。

「どどど、どうぞですわ! モモモ、モエコさん。先ほどはお伝えしそびれてしましたが、お風呂での正座はお湯による浮力が発生いたしますから、正座の練習に大変適しておりますのよ。
 なので、もし練習をされたいのでしたら、今は絶好の場ですわ。
 でででっ、でも! 無理のない範囲で。正座をしたいと思うときだけ、正座してくださいましねっ!?」
「ははは、はい! そうしますう! ありがとうございますぅ!」
「あはは。モエコちゃんもコゼット新部長も、緊張しすぎー!」
「オトハッ! あんたは黙ってなさいっ」

 それにしても、モエコさんの突然の告白には驚きましたが、あれは非常に納得のいくものでした。
 アヤカ様のおっしゃった通り、先ほどのモエコさんは、質問に答えることを放棄したわけではありませんでした。単純に『まだ見つからない』と言いたかっただけなのです。
 ゆえに、このモエコさんの抱える『言いたいことをうまく伝えられない』という問題は、この合宿内で必ずしも解決するわけではなさそうです。
 オトハさんのおっしゃる通り、人は短期間で劇的には変われないのです。だから、急な変化を期待するのはお互いの負担になってしまいます。
 だから、今は解決できなくてもいいのです。
 今こうしてモエコさんとの誤解が解けたことで、わたくしとモエコさんの関係は前進しました。今回はそれで充分です。毎回、イベントごとに大きな成果を出せなくたって、小さな変化は起きます。それは、必ず次につながることなのです。
 だからわたくしはここで無理にいい結果を出そうとせず、今考えられるベストを尽くすだけでいい。
 そう、ここにいるみなさんと、アヤカ様が教えてくれたのですから。

「オーット。誰かのことを忘れてマセンカー?
 ハーイ! ここで、ワタシの登場デース!」
「ジゼルお姉さま!」

 最後に、カラカラカラッ! という、非常に軽快な音を立てて、お風呂の扉が開きます。
 先ほどオトハさんは『ジゼルお姉さまとモエコさんがお話ししている』とおっしゃっていました。
 なので、きっとジゼルお姉さまがモエコさんに『一緒にお風呂に入ろう』『そして、みんなと一度お話してみよう』と提案してくださったのでしょう。
 ジゼルお姉さまは、それをわたくしに言うことはないでしょう。
 だけど、わたくしはちゃんと気づいています。
 このようにいつもそっとサポートしてくださるジゼルお姉さまのことを、わたくしは心より尊敬しているのですから。

「わーっ。これで五人勢ぞろいですね! 記念撮影でもしちゃいますー?」
「いや、オトハ! お風呂で写真はだめでしょう! みんな何も着ていないんだから!」
「アハハ! では、夕食後に一枚ドウデスー?」
「い。いい。いいですね! わたしも皆さんと写真、撮りたいですっ!」

 こうしてジゼルお姉さまが湯船に入り、ここにいる全員が正座しているのに気づいて、ならいます。これで、五人が正座した形になりました。
 そうだ。それから合宿が終わったら、まずはアヤカ様にお礼を言いましょう。
 そして、忙しいのは承知ですが……ナナミ様とマフユさんにもお伝えしたいものです。
 お二人はお忙しく、茶道部の活動に参加できないこともあります。ですが、お二人とも本当に大切な部の一員です。ぜひこのお話を聞いてほしいと、わたくしは思います。
 報告したい人がたくさんいる。
 ああ、これはなんと幸せなことなのでしょう。
 その報告とともにお見せする、まだ撮っていない写真のことを思いながら、わたくしの頬はゆるんでいきます。
 それからふと正面を見ると、モエコさんの頬もゆるんでいて、わたくしはとうとう、こんな風に気楽に話しかけることに成功したのでした。

「ぜひ、食後に集合写真を撮りましょう。……楽しみですね。モエコさん!」
「はい! コゼット先輩!」


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