[417]ふたりの樹守(じゅもり)と黄金の泉
タイトル:ふたりの樹守(じゅもり)と黄金の泉
掲載日:2026/06/17
シリーズ名:白雲木シリーズ
シリーズ番号:5
著者:海道 遠
あらすじ:
最近のピコは、緑青と無明のどちらが好きなのか悩んでいる。
ある夜、宮司さんの祖父上のところへおじゃましようとしていると、背後から声をかけたのは枯れ木のような、茶色い葉をいっぱい服にくっつけた老人だ。しかも宮司さんの祖父上と瓜二つではないか。ふたりは驚き、嬉し涙を流して抱きあった。
そこへ女神さまがやってきて、正式な所作で正座をして深く頭を下げて謝った。老人ふたりは、扶桑樹の同じ芽から生まれた兄弟だったのだ。

本文
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序章
扶桑樹は同じ根元からふたつの芽が出て育つ。
二本の樹に、最初はひとりの樹守(じゅもり)が天帝から詔(みことのり)を賜り任に着く。しばらくしてから、片方の扶桑樹が白雲木となって別れる。その白雲木にも別の樹守が着任する。
樹守とは、多くの樹霊の中から天帝の任命を受けた者のことだ。
上古(古代)の中国では、扶桑樹は東の倭国――日本の地に生え、太陽が休む場所と言われ、庶民から信仰されていた。
第一章 ふたりの女の子
「美穏(みおん)ちゃん……美穏ちゃん……」
夕暮れの街を美穏が帰宅しようと歩いていると、後ろから声がする。
「なんだ、ピコちゃんじゃない! どうしたの? うちのマンションはすぐそこだし、入って待っていてくれればいいのに……スマホも渡したでしょ?」
「あ………私、こういうのはどうも使いこなせなくて」
「そっか。で、どうかしたの?」
モジモジして話が進まない。
「……私……私……」
でっかい瞳に涙が溢れてきた。
「美穏ちゃん、どうしよう……『好き』って打ち明けちゃったの」
「え? 緑青くんにね。わざわざ教えてくれなくても」
「……ち、違うの。私……無明(むみょう)さんに……」
しばらく静寂が訪れた。
美穏の手から買い物袋がバサッと落ちた。
「無明さん―――?」
美穏にはあまりにも意外で、ポケッとしていた。
「じょ、冗談でしょ、無明さんはピコちゃんのお父さんくらいのトシ……! それとも、あの人、美少女のピコちゃんに惹かれたとか?」
「ひどい……ひどいわ! 美穏ちゃんは分かってくれると思ってたのに……」
ピコはわんわん泣きだした。
美穏は慌てた。
「じゃあ、とりあえず、マンションへ帰って落ち着いて、ご飯を食べましょう。樹くんには『今夜は男子禁制』ってLINEしとくわ。ね?」
ピコはこっくりとして、マンションについてきた。
美穏はさっきのことには触れないで、エプロン姿になり料理に取りかかった。
ピコも手伝いはじめて、少しご機嫌が治ってきたようだ。美穏の作ったグラタンやボリュームサラダをペロリと食べてしまった。
ふたりはダイニングの隣の和室へ移動して、正座してゆっくりお茶を味わった。
「ピコちゃん、正座の所作が流れるようにスムーズになってきたわね」
「美穏ちゃんが熱心に教えてくれたからね、きっと」
「着物の着付けのお稽古にも行きましょうね、千魅(ちみ)姫の教室は、すっかり疑いもなくなって明るいイメージになったそうよ。虎くんたちも本当の猫になっちゃったんですって!」
「まあ、ニャンコに?」
ふたりは笑いあった。
「美穏ちゃん、さっき、無明さんが私のパパくらいって言ったでしょ。何歳に見える?」
「え? そうね〜〜え――と……パパくらいにも見えるし、樹くんの少し上くらいにも見えるわ」
「実は……はっきりわかんないの」
「えっ!」
美穏はダイニング椅子から転げ落ちるところだった。
「年齢とか関係ないんですって。考えてみると、私もそうだわ。孔雀族なんですもの」
「そっか、人間の感覚じゃないのね」
「私、緑青パパに息子の相手にって頼まれて、ここに来たけど、緑青くんはお兄ちゃんみたいにしか思えなくて。頼りがいのあるように思えるのは、無明さんの方なの」
「女神さまから聞いた話からそう思えたのかもね。最初は私を怖い顔でベランダからさらった、黒ずくめの無明さんだったけど、こっそりと森の中でカラスにエサをあげていたんでしょう?」
「ええ。カラスは老いた親鳥の面倒までみると、女神さまから教えていただいたわ」
「無明さんて、根はとても優しい人だって分かるわね」
美穏はため息をつき、
「急いで答えを出さなくても、ゆっくり考えればいいと思うわよ」
第二章 そっくりの老人
宮司さんの祖父上から、ピコちゃんのスマホに電話がかかってきた。
「はい。ピコです」
「おお、ピコちゃん、今、美穏ちゃんと一緒じゃろ。巫女さんから、旅行の土産の伊勢の餡餅をいただいたんじゃが、皆でいただかないか?」
「伊勢の餡餅を! 行きます行きます! すぐに美穏ちゃんと伺います! 美穏ちゃん、祖父上お爺ちゃんが、伊勢の餡餅を食べましょうって!」
「うわあっ、伊勢の餡餅! 珍しいわ、長い間食べてない! すぐにおじゃましましょ!」
美穏ちゃんも、目を輝かせた。
宮司さんの祖父上のおられる社務所まで歩いて2分! ピコと美穏ちゃんは、喜んでマンションを飛び出す。
マンションの玄関を飛び出したところで、急にピコが立ち止まった。
「どしたの、ピコちゃん!」
すぐ後ろが森なので見えづらい。目を凝らすと、ピコの前に夕暮れの紫色の中に、ぬ〜〜っと黒い人影が立っている。
人というより、木? それも古木の影みたいだ。ふたりは目を凝らして見てみて、やっと、それが老人だということを理解した。
古そうな黄土色の布のフードを被り、身体全部が布で覆われているが、腰紐1本で巻いてあるだけだ。首元にジャラジャラと沢山の首飾りを巻き、頭には鹿の角が飾られている。ただの飾りだろうか、本物の鹿の角に見える。
左手には瓢箪(ひょうたん)をくくりつけた木製の杖を持っている。
「すみませんな、そこのお嬢さんたち……」
しわがれた声で話しかけてきた。
「ピコちゃん、気をつけて!」
美穏ちゃんの声は警戒を含んでいる。
「この辺に由緒ある神社がどこかに……そして、ご神木があるはずなんですが……、宮司さんのお宅はご存知ないでしょうかの?」
「ここが神社の敷地ですが、宮司さんのお宅はいらっしゃるかどうかわかりませんよ。社務所ならこの先にありますが」
「おお、ありがたや! ワシは目が悪うなって、夕暮れは特に見えにくくて困っておったんです」
お爺さんが感激して膝を着いたところで、社務所から走り出てきたのは、宮司さんの祖父上だ。
ピコちゃんたちを迎える用意に、オレンジジュースのグラスを持ったまま走り出てきたのだ。
「そ、そこのお前さん! お前さんはもしや……扶桑樹のもうひとりの翁(おきな)どの――葵生(あおい)どのでは?」
「そ、そのお声は懐かしや、白雲木の翁どのじゃな!」
「おお、おお、間違いない! お別れしてからどのくらいの月日が流れたものか……」
感激のあまりもつれる言葉を口にしながら、ふたりの老人は歩み寄り、双方の肩をがっしり抱きあった。
ピコと美穏ちゃんは、呆気に取られるばかりだ。何せ、ふたりの老人は瓜ふたつなのだから。
「なんてそっくりなの?」
「どういうわけ?」
宮司の祖父上が、
「とにかく中に入って語りましょう。夜風が冷えてきましたから」
第三章 昔話
「わしらは元々、ふたりともが扶桑樹の芽から育った。桑の木は二股で成長するが、途中で片方は白雲木になるのじゃ。そして、上古の昔から中国では扶桑樹は倭国――日本のことと思われていた」
黄土色の衣をまとった瓢箪の杖を持った老人が、社務所に上がりこんでゆっくり話しはじめた。
「手のひらの上に光って浮遊している珠が、扶桑樹の樹魂(じゅこん)―――樹の魂じゃ。これはひとつしかない」
樹魂なる光は、やや弱々しく輝いたり消えそうになったりしながら渦巻いて浮かんでいる。
「二十年ほど前に、天帝のご命で我々ふたりはしばらくの間、別々に生きることになったのじゃ」
「天帝が別々に生きるよう、仰せられた理由は何だったのかの?」
宮司さんの祖父上も首をかしげた。
「翁よ、忘れたとは言わせんぞ。あの時、白雲木の女神を、そなたかワシか、どちらを婿にするかで揉めていた時があったじゃろうが。その隙に孔雀男の緑里眼がすんなり女神と結ばれてしまったではないか」
「ああっ、そうじゃった! あのクジャク族の男があっという間に女神をかすめ取ってしまったのじゃった!」
「かすめ取ったって……」
「もし緑青くんが聞いたら怒りますよっ」
ピコが唇を尖らせた。
黄土色の衣をまとった翁は、皆から視線が集まったのに気づいて、コホンと咳ばらいした。
「お若い衆よ、不思議そうにしておるが、ワシらにも若くて見目麗しい時があったのじゃぞ。ワシなんぞ、射干玉(ぬばたま)の黒髪に若緑色の装束が似合うて、我ながら素晴らしい巨樹の若君じゃった。今、こちらにおられる翁もまた凛々しい若者じゃった。しかし……、白雲木の女神は孔雀の男を選んだのじゃ」
トントンと社務所の扉が鳴った。
ピコが立っていって開けると、女神がもじもじして立っていた。涙が溢れてきて、震える肩をどうしようもない様子だ。
女神は玄関先で背筋を伸ばし、膝をついてお尻の下に衣を敷いてかかとの上に座った。正座の正しい所作だ。
「翁さま方、その節は、誠に……誠に申し訳ないことを致しました。どちらもわらわを妻にと考えてくださっていたにも関わらず、孔雀族の緑里眼との間に子を授かってしまい……」
ピコと美穏は、同時に顔を見合わせた。
(緑青くんのことね)
(そうね……)
(天帝さまは女神さまのことが原因で、翁さまたちに別々に生きた方がよいと判断されたのかしら)
「いやいや女神どの。神も人も、恋心というものだけは、自分の自由にならぬものじゃ」
ふたりの翁はうなずきあい、しばらく沈黙が落ちた。
黄土色の衣の翁が、重い空気をはらうように言った。
「扶桑樹の大きさは、明日の朝になって明るくなってみれば、どんな風になっているか分かるぞよ」
第四章 樹の大きさ
さて、翌朝になってみると、白雲木の隣に別の巨木が100倍ほどの太さの木になってそびえ立っている。
「……!」
「……!」
宮司さんの祖父上はじめ、樹くんも、聞きつけてやってきた緑里眼父子も、扶桑樹を見上げて言葉が出ない。
神社の敷地をめいっぱい使って、ご神木の白雲木の隣に直径が何百メートルかの巨大な樹が立っている。
もう少しで、幹が外側の鳥居にはみ出て侵食しそうなくらいだ。
「大き〜〜い!」
叫んだのはピコちゃんだが、いつも抱っこしている紫の孔雀が樹に向かって羽ばたいた。
樹の内側を羽ばたいて、何か様子を探っているようだ。
黄土色の衣の翁がやってきた。
「残念ながら、扶桑樹の大きさはまだ分かってもらっておらぬようだな」
「えっ?」
一同が振り向いた。
「新しく生えたと思われた巨大な樹は、扶桑樹のうちの枝の先っちょの新芽でしかない」
「ええっ?」
「ほら、そこな、かわゆい女子ふたりと少年ふたり。こっちの地盤の際(きわ)まで来て覗いてみなされ」
翁が瓢箪をぶら下げた杖で下を示した。
ピコと美穏ちゃんは、おっかなびっくり足元の枝の縁に膝を着き、下を覗きこんだ。
「うわっ、滝が何段も下に落ちてるぅ〜〜!」
「一番下の湖はどこなの?」
「街や田畑はどこへ行っちゃったの?」
緑青も腹ばいに寝転んで崖下を覗き、
「巨大樹が生えただけじゃなくて、昨日まであった街が一段下の地層に引っ越している!」
「ものすごい地殻変動が起きたみたい! ご近所の方や神社の巫女さんたちは大丈夫かしら?」
翁が、
「扶桑樹は神仙に生える樹じゃ。大地震が起きたみたいに見えるだろうが、住んでいる人々は気づいていない」
第五章 無明、来る
「ピコ! このブランコに乗れ! 扶桑樹の全貌を見せてやろう!」
バサバサと羽ばたきが聞こえたと思ったら、無明が紅孔雀にブランコをぶら下げさせて、飛んできたところだった。
「む、無明さん……!」
か細い腕をぐいと引っぱられたと思うと、ブランコの椅子に乗せられていた。昨日、気持ちを打ち明けて寄り添った時と同じ、彼の香ばしい香りがする。
(何の香りかしら? これは?)
すぐに上空からの景色に圧倒され、そんな疑問は飛んでいった。
なんという世界!
なんというでかいパノラマ!
視界の遥か下に大きな湖がいくつも見え、大瀑布がそれぞれの湖へ何本も落ちている。よく見回すと、大瀑布の落ちている大地から巨大な樹が2本生えている。
そしてそれは、まさしく天を衝く(つく)勢いで上方へ伸びている。天辺は雲の上にありそうで先端が見えない。
「高い! こんなに高いなんて!」
足が震えて、無明の身体にしがみつく。
「すごい規模ね! 次は美穏ちゃんか、樹くんか、緑青くんにもこの景色を見せてあげて!」
「緑青くんは父上が支えて飛んでいるから、美穏ちゃんに乗ってもらおう」
美穏ちゃんも、無明に紅孔雀のブランコに乗せてもらい、上空からの景色を見てきた。
「ああ、すごい高さの樹だった……! こんなことになっているって気づかずに、街が機能しているっていうのが、なんだか魔法みたいだわ」
帰ってきた美穏を受け止めたピコは、
「そうよね、街の人々は、こんなに大きな樹が地面から生えたことにも気づかないで、いつもの朝の風景だったでしょう?」
第六章 毒蟹(どくがに)の存在
無明はたくさんの紅孔雀を地面に下ろし、自分も神社近くに降り立った。
「扶桑樹の翁どのはおられるかな?」
「はあ、ワシのことですな?」
翁が進み出て来た。
「天帝の使いから聞いた。扶桑樹が毒蟹に幹の内部を占領されていると」
「な、なんですと? それは、ワシも知りませんでしたぞ」
「半月ほど前から天帝の命で、解毒剤を作っていたのだが……」
聞いていたピコがピンと来た。
「無明さんの身体からただよう臭いは、解毒剤を作っているから?」
「そうなのだ。お前は鋭いなあ、ピコ」
「えへ、そうでも……」
「蟹は自分の体内で毒を作れない。ということはエサから作るらしいのだが何を食べているのか、それを調べていたのだ。急がねば、扶桑樹は毒蟹に蝕まれて枯れてしまう」
「それは大変だわ!」
ピコと美穏は騒ぎ出した。
「蟹だと?」
そこへ、美しい翼を羽ばたかせて緑里眼が飛んできた。
「蟹なら、クジャクの大好物だ。配下の紅クジャクに好きなだけ食わせてやろう!」
それまで黙って聞いていた樹(たつる)が、近づいてきた。
「無明さん、せっかくだけど駆除すべき蟹は有毒だそうだ。クジャクにも毒は効いてしまうだろう」
「それはまずいな」
せっかくクジャクが活躍すると思ったのに、無明さんと緑青とピコちゃんはがっくりした。
第七章 蟹の女親玉
扶桑樹の内部は、それは巨大な空間が広がり、人々が住んでいる。山があり川があり、村があり、人々の営みがある。
内部にも太陽の光が届くため、そこに住む人々は、自分たちが巨大な樹の中に住んでいるとは気づいていない。
無明は数年前から扶桑樹の内部に入り込み、増殖しているらしい毒蟹について、数や蟹の身体や毒の調査を続けていた。
そんなある日、無明はひとつの扶桑樹の奥で、巨大な陸蟹と出会った。
鬱蒼(うっそう)と繁る森の中のことだ。
本体だけで人間の3倍はあるだろうか。最初は虎か何かの獣だろうかと思うほどの大きさだった。
(陸蟹――? 陸の蟹だったか)
巨大な陸蟹の腹の下から、無数の小さな蟹がザワザワと湧くように出てきている異様な光景に、無明も背筋にイヤな感じを覚えた。
巨大な蟹の甲羅もかなり年月が経っているらしく、苔やシダに覆われている。
まるで思考能力が高い生き物のような眼の光り方だ。ゆっくりとハサミが開いたり閉まったりする様子も、不気味に思える。
巨大な蟹の甲羅の上に人影が見えた。
「お前は誰だ?」
女の声がする。
巨大な蟹は、「いつ、ちょん切ってやろうか?」とでもいうように、大きなハサミを持ち上げたり下ろしたりしている。
甲羅の上を女が触ると、気持ちよさそうにじっとしている。女は蟹の背をいかにも可愛い愛玩動物に接するように、眼を細めてゆっくりさすっている。
「俺は日本に住む無明という。このたくさんの蟹は、あんたの配下か?」
「そうだが、何か?」
女は腕も脚もむき出しにして、肩から下は皮の鎧を着け、アマゾネスの戦士のような格好をしている。
「日本にこの蟹が上陸してきて、毒を食べてしまい犠牲者が出て困っている。駆除したいと思っているのだが、蟹は有毒の個体と無毒の個体とが入り混じり、しかも外見では区別がつかない」
「それは我も把握している。共食いすると無毒の蟹が減ってしまう。有毒の蟹は何年か前に突然発生し、我もどうしていいものやらと思っている……」
「あんたはいったい?」
「ルーシエ。蟹の親玉だ」
「この地が『扶桑樹』の内部だということを知っているのか?」
蟹の親玉という女はキョトンとした。
「扶桑樹の内部? 扶桑樹とは何だ?」
無明はがっくりするのをガマンして、親玉の女に扶桑樹について説明してやった。
「では、そんな神聖な樹に、蟹どもは増殖してしまったのだな。――それは天帝と扶桑樹を信仰している民に詫びねばならぬな」
ルーシエという女は一見逞しいが、性根は素直なようだ。
第八章 解毒剤
無明は、解毒剤を開発するために研究を繰り返した。
だが、解毒剤は作ることができていない。毒が蟹の体内で作られていないからだ。どうやら外部の何かの物質を体に取り込み、作られているようだった。
無明はそれを疑ってみて、毒蟹を全滅するための研究を続けていた。
そして、遂に手がかりを見つけた。
ここで知り合った緑里眼という勇ましい漢の、多く所有するクジャクが「陽の緑(みどり)因子」を持ち、毒蟹の持つ「陰の朱(しゅ)因子」を滅ぼすことに。
彼はすぐに緑里眼に全てを話し、クジャクに毒蟹を滅ぼす協力をしてほしい、と懇願した。
緑里眼の前に背筋を伸ばして立ち、膝をついて衣をお尻の下に敷き、かかとの上に座り、両手を彼の前に下ろして頭をつけて下ろした。
「ど、どうしたんだ、無明! 急に行儀よくしたりして、気持ち悪いじゃないか!」
「本気でお願いしているんだよ!」
「何を言っている、すぐに協力するぜ!」
何度か会い、面識のできていた無明の頼みを、緑里眼はひとつ返事で引き受けた。
このことは、扶桑樹に住む蟹の女親玉のルーシエにも知らされた。
緑里眼の青緑のクジャクたちは、最初、大好物の蟹を大量に見つけて喜んで食べ始めた。が、そのうち羽根の色が朱く染まりはじめ、弱る個体が出現しはじめた。また、青緑色の羽根のまま元気な個体もいる。
無明は青緑のクジャクの羽根を煎じた液体を、弱った個体に飲ませた。毎日、飲ませると朱色になりかかっていたクジャクは元通りに元気になった。
これが、無明の解毒剤を作るきっかけとなったのだった。
報告に出かける無明に、ピコもついていった。
鬱蒼とした湿気の多い森に、少女はビクつきながら、
「すごい森ねえ。紫クジャクはこういうところ、好きよ」
「お前はインド生まれだもんな」
蟹の女親玉、ルーシエに会いに行ってみる。
「これで、蟹同士の悲劇も避けることができるのだな!」
ほっとした様子である。
ルーシエは、無明とピコに、
「おふたりとも、『黄金の水』を知っているかい?」
と言い、話してくれた。
第九章 黄金の泉
森の中の、これまた大きい木の幹から光り輝くほどの金色(こんじき)の水が溢れている。
「これか。ルーシエの言っていた『黄金の水』というのは」
「なんてきれいなの? 幹のウロから銀河が流れ落ちてるみたい!」
無明は流れ落ちている水を両手で受けた。
それから、いつの間にもらい受けたのか、翁が杖の先に持っていた翡翠色のヒョウタンの中にも入れて、いかにも美味しそうにごくごく飲んだ。
「あ~~! ずるいわ、甘いの? 自分ばっかり!」
「――燃えるような甘さだ……」
無明は顔を上に向けて爽やかな風を味わってから、口移しでピコの口に『黄金の水』を流し込んだ。
ピコは眼を飛び出させそうになって、
「! ! いきなり、びっくりするじゃない!」
「どうだ?」
「甘いわ! ほんのり甘くって優しい味よ。燃えるような甘さって、ウソ言ったわね」
「甘いと感じたか? じゃあ、たった今から、お前は俺の伴侶だ」
「伴侶って?」
「奥さんのことだよ。ルーシエが言ってたんだ。これを口移しで男が与え、甘いと感じた女が妻になるとな」
「えええっ?」
ピコの眉毛が怒ってつり上がった。
「じゃあ、やり直しよ。こういう大切な儀式の時は――」
少女は神妙に泉の前で背筋を伸ばして立った。
そして苔の上に膝を着き、衣をお尻の下に敷いた。かかとの上に座りアゴを上に向けた。
無明のサラサラした黒髪がピコの頬にかかり、もう一度、甘い水を与えられた。
数日後、無明とピコ、樹と美穏、緑青が扶桑樹の森を訪ねた。
『黄金の水』の湧き出ている樹の根元に、皆が手のひらを置いた。改めて扶桑樹と白雲木のつながりを知る。根元を素手で触ってみると、樹の命の鼓動を感じることができた。
若者たちの背後では、ふたりの翁がにっこりして見守っていた。
「おめでとう! ピコと無明さん!」
樹冠に祝いの声が、ピーちゃんの「クワ~~ン」という声と共に響いた。
「緑青くんとやら、君はこれでいいのかね?」
翁ふたりが緑青を振り向いて尋ねた。
「俺は、親父みたいに豆腐メンタルじゃないから、失恋くらいで寝込んだりしないのさッ」
肩をそびやかして樹の出口へ急いだ。




