[111]正座のヒロイン


タイトル:正座のヒロイン
発売日:2021/02/01
シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:15

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:48
定価:200円+税

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容
某出井高校の包栽(ほうさい)ツムギは、服飾部の一年だ。
本格的な活動を行う服飾部での制作を楽しみにしていたツムギは、ダンス部の芙蓉(ふよう)から文化祭の衣装を依頼される。
やや戸惑ったものの、華やかな芙蓉の衣装を作ることを考えると、ツムギはやってみたいと思い、部の先輩に話を伝えた。
ダンス部との交渉後、ツムギは部長と衣装に使う布選びに呉服店を訪れる。
そこで座敷に案内され、ツムギは部長に正座を教わり……。

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本文

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 某出井高校一年の包栽ツムギは、服飾部に入部した。服飾部は、昨年家庭科部から新たに独立した部活だ。家庭科部では料理、お菓子作り、そして裁縫を行うが、三年ほど前にかなり本格的な裁縫の腕前の生徒が入部し、その生徒がしかし、料理の方が苦手で……、という経緯で、何かのもめごとや内部分裂というわけではなく、それぞれのニーズを活かした上での結論として服飾部は誕生したらしい。今はその服飾部を作った先輩は卒業していないが、その先輩に触発され、どんどん腕を上げていった部員たちが今も服飾部を盛り上げていると聞いた。中学生だったツムギが夏休みの部活見学の折、服飾部を訪れると、ミシンや手縫い、編み物など、それぞれの創作に打ち込む先輩がいて、教室の隅には売っているものと遜色なく、高校生の感性ならではの大胆なデザインの作品が展示してあった。一人で服飾部を訪れた当時中学生だったツムギに、先輩たちは手を止め、色々と部のことを教えてくれた。そして、「どういうものを作っているの?」と訊いた。『作りたいの?』ではなく、『作っているの?』という問いは、同士としてツムギを見てくれているという嬉しさと、部活動ではあっても皆真剣にやっている、という意志が伝わってきて、自然と背筋が伸びた。「スカートとか、簡単なワンピースを作るのが好きで……」と、ツムギが答えると、先輩たちはどこの布屋さんがいいとか、部ではどんな服を作っている人がいるとかいうことを話してくれた。そうして翌年の春、ツムギは某出井高校に入学し、部活体験が始まると、迷わずに服飾部に向かったのだった。
 受験勉強をする必要もなくなり、これで好きな裁縫に熱中できる、さあ、何を作ろう、と心躍らせていると、生徒会から思わぬ提案があった。
 部活動の予算を少しでも各部に多く配分するための相互協力が打ち出され、代表的な例としては写真部や映像部が吹奏楽部などの発表を記録する要員として活動し、そうすることで写真部や映像部の新たな機材を買う予算の確保、そして吹奏楽部などは保護者の協力や自費でのカメラの購入が不要となるということだった。そして、生徒会からは、この提案がただの予算配分の都合だけではなく、依頼を受けることによる部の意識向上、部活が盛んな某出井高校の新たな部活の取り組み方だという狙いが打ち出され、その場で満場一致となった。
 この生徒会の説明会にツムギは参加していなかったが、そうした予算改革が開始される、ということはその後の生徒総会で書面にまとめたもので説明を受けた。
 だからといって、何かが大きく変わる、という意識がツムギにはなかったが、予算説明の数日後、ツムギは同じクラスの酢団芙蓉に声をかけられた。
 芙蓉はその古典的な名前とは対角線上の、とても今風の女の子だ。『ダンス部に入る』と新学期の自己紹介でしており、引き締まって無駄のないスタイルや、かわいらしい容姿の目立つ存在で、すでにダンス歴も長そうだった。一方のツムギも自己紹介では『服飾部に入部する』と言い、入学式後、すぐに自分のお気に入りのブラウスを黒の制服のジャケットに合わせて登校し、そのうちにネクタイやリボンを手作りして、その日の気分に合わせたものを着けて登校するようになった。某出井高校では、それぞれの個性に寛容であり、また認め、応援する風潮があり、ツムギのそうしたアイテムもとても好意的に受け入れられた。中学生の時には女子の集団の中で無難に平和にやっていくには、個性の出し方の匙加減を常に配慮しなければならなかった。家庭科の裁縫の授業でも、あまりに上手に先に進めると、上辺では褒めてくれても、『手伝って』と、ほかの子の作品に手を貸すことになったり、『包栽さんは得意だからいいよね』と、やっかみじみたことも言われ、そのたびになんとかうまくやれるように水面下で我慢し、努力した。
 ようやく自由にできる、と思った矢先、クラスでも目立つ芙蓉に声をかけられたツムギはこれまでの経験から、身構えた。
「包栽さん、そのリボンも手作りなの? 服飾部で作るの?」
 そう訊かれ、ツムギは「うん」とだけ、短く答えた。正確には、服飾部で全て作ったのではなく、自宅で作った続きを服飾部の部活中に作ったのだが、そういうことを芙蓉が知りたがっているとも思えなかったので、黙っていた。
「ねえ、服飾部って、洋服も作るって部活紹介で言ってたけど、難しいのもできるの?」
 芙蓉が何を知りたいのかわからず、ツムギは「まあ、難しいかどうかはわかんないけど、先輩の中には服に合わせたアクセサリーを作れる人もいるよ」と答えた。
「じゃあ、ダンス部の衣装制作ってできる?」
 芙蓉が身を乗り出した。
「……衣装にもよると思うけど、あと、布代とか……」
 ツムギは、かつての家庭科の課題を手伝ってと頼まれ、断る言い訳を考えるのに悩んだ過去を思い出し、俯いて答えた。
「そこなの!」
 ところがそこで芙蓉はもともと大きな目を見開いて輝かせた。そして部活の衣装について話し始めた。
「毎年、ダンス部はお揃いのTシャツに、下は色とかだいたいのかたちを合わせた自前で発表してたんだけど、生徒会からの部活予算で、シャツとか、発表会で使った後に個人の持ち物になるものは、基本的に予算の対象にならないって言われてたんだって。だけど、先輩たちとしても、もっとテーマに合った衣装がほしいよねって前から話していたところに、生徒会から校内でほかの部に制作を依頼すると費用が出やすくなるって説明があって、あ、もちろん、もし、衣装を制作してもらった場合は、その衣装は部に保管して、個人の持ち物にはならないんだけどね、校内の部で、そう、服飾部で作ってくれるってなれば、布代がダンス部と服飾部の折半になったりもして、お互いに自費が抑えられて、活動の幅が広がるってことなんだけど、どう思う?」
 急な話でツムギは驚いたが、今のところ文化祭には個人作品を例年通り展示するとだけ先輩からは聞いていて、ほかの部からの依頼があるとは言われていなかった。
「あ、それで生徒会の規約を見たら、依頼した場合は、制作元の部や制作者も発表するって条件がついているから、もしダンス部の衣装を服飾部が作ってくれた場合、ちゃんとそれも公表っていうか、宣伝っていうか、する予定だけど……」
 黙っているツムギに芙蓉はそう付け足す。
 ……自分の作った衣装をこの子が来て、舞台で踊る……。
 それは想像だけで、ツムギを嬉しくさせた。
 ツムギは服を作るのは好きだが、十代故というか、性格故というか、自分が着ることが前提なので、大胆な服は作ったことがなかった。
 けれど、目の前のキラキラとした、誰が見ても憧れるような芙蓉が着るのであれば、創作の幅は果てしなく広がる。
「……先輩に訊いてみるね。私は、やってみたいと思う」
 ツムギは小さく、そう答えた。
「ありがとう! 部長に言っておく」
 芙蓉はツムギの手を取り、飛び跳ねて喜んだ。
 その芙蓉の真っすぐさが、ツムギには眩しくて、こそばゆくて、けれど同じ教室にいても遠いだけだと思っていた芙蓉との距離が縮まるのを感じた。


 ……そうはいっても、新入部員のツムギの一存で決められるわけでもなく、とにかくそういう話があったと、ツムギは部活の先輩に報告した。
 先輩たちの反応は、ツムギが思い描いていたような、ツムギに駆け寄り両の手を取って、『すごい! 絶対成功させようね!』と目をきらきらさせるようなものではなく、「うん、わかった」という淡泊なものだった。そうしてそのままそれぞれの制作を開始してしまい、ツムギはやや戸惑いながらもそれ以上言えず、自分も今使わせてもらっているミシンに向かった。
 部活が始まって一時間ほど経った頃、部長が携帯画面を確認し、「これからダンス部の衣装の話し合いに行きます。制作を続けたい人はそのまま続けて、ダンス部の方に一緒に行きたい人は来てください」と指示を出した。
 どうやら部長はツムギの報告を聞き流したのではなく、その場でダンス部の部長にその件を聞いたことを伝え、向こうからの返信を確認して、部としてどう動くかを考えていてくれていたらしい。
 手を止め、部長についていったのは、ツムギのほかは二人だった。残りの部員は黙って制作を続けている。
「じゃあ、ちょっと行ってきます」
 部長がそう言って入り口の引き戸を開け、振り返って言うと、「行ってらっしゃい」と部員は手元から目を離さずに見送ってくれた。
 放課後の校内は吹奏楽部、合唱部、太鼓部などの活動する音で満たされている。
 階段を下り、渡り廊下を進むと、体操部のかけ声、バスケ部のドリブルが聞こえてくる。
 そしてその手前の渡り廊下の先のプールへ向かうコンクリートの空きスペースで、ダンス部が曲を流して練習していた。
 ツムギたち服飾部に気づくと、ダンス部の部長と思われる先輩が軽く会釈し、そのままダンスを続けた。
 曲は和風で太鼓やお囃子も入っている。
 高く、速く、乱れのないその動きにツムギは目を瞠った。
 曲が終わるとダンス部は一度集合し、それから改めて服飾部にあいさつをした。
「まだ振りは変えていくけど、雰囲気はこんな感じ。……どうかな。お願いできる?」
 ダンス部の先輩が服飾部の部長に訊く。
 部長は即答せず、「……去年までは市販のシャツで発表に出ていたけど、今回は違う趣向にしたいって解釈でいい?」と確認する。
「そうなの」と、部長は大きく頷く。
「こっちの希望としては、原則、必ずではないけど、使いまわしが利く、演劇部の衣装のような扱いでないと生徒会からの許可が下りないから、演出色の濃いものがいいの。後は動きの妨げにならない感じなら、全面的にお任せしたいんだけど」
「わかった。演出のための衣装で、動きやすければいいのね。後は任せてくれるなら、こっちで案を練って、デザインを見てもらって了解が取れたら採寸、材料購入、制作に入る。生徒会への書類提出もあるから、なるべく早くデザインは仕上げるけど、そっちでもチェックや追加の要望は早めにお願いしたい。そういう条件でよければ、やらせてもらう」
 どちらの部長も要点を踏まえて話したことにより、交渉はあっと言う間に済んだ。
「服飾部の人はこれで全員じゃないよね? 曲、デザインの参考に送るから」
「ありがとう。助かる。じゃあ、また」
「よろしく」
 そんなやり取りをして、服飾部は早々に部室へと引き上げた。
 随分と淡々としたやり取りだったとツムギは思ったが、翌日、ダンス部の使用する曲を部長が聞かせると、部員の顔つきは一気に変わった。
「演出のための衣装であることと、動きを妨げないこと、この二点のほかは、全て一任してくれるそうなので、デザインを考えたい人は今週中に持って来てください。まだ、その中から誰かの一点だけを選ぶか、何点か採用するか、それを基準に新たなデザインを全員で検討するかは決めていないので、まずは自由に考えてみてください。あと、曲を送ってほしい人はこの場で言ってくれてもいいし、後で連絡してくれてもいいです」
 部長がそう言い終わると、曲を送ってほしいと全員が言い、その日は誰も制作の続きをせずに帰宅してしまった。


 服飾部では、提出されたデザインを皆でディスカッションし、最終的に和裁で浴衣風の衣装を作ることになった。ダンスをするので上衣は浴衣風で切り込みを入れた膝丈の裾をつけ、下にはそれぞれ黒のパンツを用意してもらい、浴衣風の衣装の裾がきれいに舞うようにしようという結論になった。そこでツムギは挙手し、裾の裏地が翻った時にきれいに見えるように、何色かの明るい色を入れようと提案し、受け入れられた。
 デザインをダンス部に持って行く時に、だいたいの希望の色を聞き、それぞれの身長の確認と肩から手首までなどの採寸を行った。デザインの了解も得ると、その日のうちに布を買いに行くことになった。それぞれの発表作品の制作もあることから、文化祭前の忙しさは必至で、初めて受けた依頼であることと、恐らくは衣装が出来上がった後も調整が必要になるだろうということから、強制はしないができる部員からどんどん、ダンス部の衣装に取りかかることになった。
 ここで部長が布を買いに行くのに、ツムギがついて行くことになった。他のメンバーには、先ほどの採寸を参考に、浴衣同様の上衣と裾の型紙に取りかかってもらう。
 てっきりツムギは、いつも部長が行くという大きな店へ行くと思っていたが、部長が向かったのは、同市にある呉服店だった。
 少し気が早い気もするが、店先には浴衣も出ている。
 部長が「こんにちは」と言いながら中へ入ると、奥の座敷から和服の女性が出て来て、「あら、久しぶり」と親し気に笑った。
「あの、今度部で和風の衣装を作ることになったので、浴衣用の反物を見たいんですけど」
「まあ、そうなの。どうぞ」
「失礼します」と、部長が上がり框から座敷に上がり、靴を揃える。ツムギも部長と同じようにし、座敷に上がった。
 某出井高校は運動部、文化部ともに活動は盛んだが、やはり日ごろの活動は運動部が目立つ傾向にある。そうした中で、文化部の服飾部というのは、大人しく、お行儀もよい、という捉え方をされているとツムギは考える。
 しかし、初夏の陽気の今日、やや汗を浮かべ、こうして呉服店に入ると、自己の不足している領域を感じた。
「今、お茶を淹れてくるので待っていてね」と言い、和服の女性が奥に消えると、部長は「ありがとうございます」と言い、その場に正座した。ツムギは、部長に小声で「正座の仕方とか、お作法ってありますか」と尋ねた。
 部長はツムギを見上げ、「ああ」という感じで頷き、正座について教えてくれた。
「まず、背筋は伸ばして。これは正座に限らず、普段の授業なんかでも心がけるといいよ。肘は垂直におろすようにし手は太股の付け根と膝の間に重ねずにハの字にして。脇は閉じる又は軽く開く程度で」
 ツムギは言われた通りに正座をする。
「膝同士はつけるか、握りこぶし一つ分開くくらい。ああ、スカートはお尻の下に、うん、ちゃんと敷けているね。後は足の親指同士が離れないようにして。うん、上出来」
 そうして部長に正座について教えてもらったところで和服の女性が戻って来た。
 お茶をいただきながら、部長が今回服飾部でダンス部の衣装を担当することになった経緯を説明した。
「じゃあ、柄は大きい方がいいのかしら」と言われ、部長が「そうですね。舞台で発表するので、その方がいいかも」と頷き、まずは反物を見せていただくことになった。布地の心地よい匂いに囲まれ、部長とツムギは反物を選んだ。
 和服の女性はさまざまな反物を快く出してくださり、その中には値引きの札がついているものもあった。
 紺地に朝顔や百合の花の描かれた古風な反物を何種類か部長とツムギで選んだ。どの反物も値引きの札がついているのも助かった。
 まだ予算を受け取っていないため、領収書をもらって先払いする。
 部長はおおよその反物の値段もあらかじめわかっていたようで、財布とは別に用意していた封に入ったお金を出し、お釣りと領収書を仕舞う。高校一年のツムギにとっては、ダンス部十六人分の反物は上衣分に短い裾だけといっても結構な値段で、先にお金を払った部長が心配になるも、ツムギの財布は心もとなく、『私が出しておきます』と、とても言えない。
 呉服屋の名の入った紙袋を二人で提げ、部長は「次に行こう」と言った。
「裏につける生地は、薄くて光沢のあるものがいいから」と速足で駅を目指す。
「はい」とツムギは部長を追った。
「サテンの布地がいいと思うんだけど、いつも私が行くお店でいい?」
「はい。……あの、私役に立てなくて、なんか、すみません」
 ツムギが小さく言うと、「何が」と訊き返される。
「呉服屋さんでも、和室のお作法みたいなのもわからなかったし、ほぼ部長におまかせで」
「ああ、あのお店は昔からの顔見知りだから。それに、包栽さんには、重要な役割があるの」
「なんですか?」と、ツムギが身構えて訊く。
「こうやってお店を回って、生地を選んで、部員をまとめてって、これまでの一連のこと。私たち三年生が卒業した後、二年生の子ももちろん、これまで通りの活動で生地屋さんに行ったりはしているけど、これからは、ダンス部だけではなくて、他の部からも何か頼まれるかもしれない。そういう時の交渉の仕方とか、買い物の仕方とか、そういうの、一緒に行って私が教えられるのは今年だけだから」
 部員の中でどうして自分なのか、という思いが過ったが、部長はそのことには触れず、「頼りにしてるよ」とだけ言って笑った。


 部長の行動力のおかげで、ダンス部の衣装の材料は概ね揃った。
 部室では優秀な部員がすでに型紙を完成させていた。
「部長、さっき生徒会長が、ダンス部への衣装提供についての予算請求書類を持って来て、後、浴衣を作るって言ったら、一階にある和室を貸してくれるそうです」
「へえ、助かる」と部長は言い、早速和室へ移動して、布を裁つ作業に入ることになった。皆裁縫道具一式を持ち、家庭科室に置いてある和裁用の厚い敷物のような台を借りてきた。
 皆が反物を広げる前に、部長は正座について軽く説明した。
「さっき包栽さんと呉服屋さんに行って、畳の上で反物を広げて見せていただいたの。これからそういう機会も増えると思うし、和室で反物を仕立てるなら、正座もきちんとできた方がいいから」と言い、そこから「じゃあ、包栽さん、さっき説明した通り、教えてみて」とツムギを見た。両手に提げていた反物を置き、ふうっと一息ついたところでの突然の話の振りに、ツムギは「あ、えと」と慌て、二年生が「これ飲んでいいよ」と未開封のお茶をくれた。
「あ、すみません、いただきます。お金は……」
「いい、いい。大丈夫」
 喉を潤し、人心地ついたツムギは先ほど呉服屋さんで部長が教えてくれた通り、背筋を伸ばすこと、スカートはお尻の下に敷くこと、親指同士は離れないようにすることなどを説明しながら自身も正座をした。それに部長が膝はつけるか、握りこぶし一つ分くらいとか、手は膝と太ももの間でハの字にするとか、付け加え、「では、準備も整ったので」と部長は笑顔で言った後、部員を見渡す。そしてすうっと間を置き、「某出井高校! 服飾部! 全力集中!!」と、いつも冷静で物静かな部長からは想像できないシャウトをした。そして呆然とするツムギをよそに「オーッ!!」と片手を突き上げる服飾部。ツムギのほかにも今年入部の一年生はいたが、事前に聞いていたのか、はたまた同じ心持ちで瞬時に反応できたのかはわからないが、戸惑っている人は誰もいない。
 そして一気に場は静まり返り、それぞれが反物を広げ、しるしをつけた後は、裁ちばさみを出し、室内にはひたすら布を裁つ音だけが小気味よく響いた。
 ここにきて、ツムギは自分以外の部員は皆、和裁を経験していると気づく。部で購入したもので、同じものを作り、それをダンス部が着て舞台に立つ。緊張で、布にしるしをつけた後、なかなか裁てない。
「落ち着いてやって。一応一人二着ってことになってるけど、間に合わなければ、ほかの人が手伝うから」
 見兼ねた部長が声をかけてくれる。
「……いえ、大丈夫です」とツムギは答えた。
 もう一度裁つ場所を確認すると、はさみを手に取る。
 浴衣は全て手縫いで、真っすぐに縫う。
 ひたすらに手を動かし、その楽しさにすぐにツムギは夢中になった。


 服飾部は持ち前の集中力と高い技術力で、六月中にダンス部の衣装を仕上げた。
 ダンス部はとても喜んでくれ、事前に採寸もしたので、サイズも問題なかった。
 ダンス部、服飾部ともに、もともと毎年予算をそれほど請求する部ではなかったので、衣装の材料費を二つの部で折半するかたちで、生徒会から全ての費用が戻ってきた。部長は大学の服飾科へ進学を希望していて、そこでの参考作品として、今回のダンス部の衣装も紹介していいかをダンス部に確認し、同じように体育大のダンス学科を目指すダンス部の部長も、今回の衣装での発表動画を使用してもいいかと確認していた。
 そんな様子を見ていたツムギは、この学校に入学してよかったと、心から思った。
 和室の清掃をして引き払い、いつもの部室に戻ると、生徒会長がやって来た。
「いやー、ダンス部の衣装、さっき見てきました。さすがですね。来年はいっそのこと、全校生徒の衣装を服飾部で作りますか?」
 笑顔で言う生徒会長に「生徒会長のポケットマネーで、どこかに発注するか、生徒会の方で制作してください」と、部長はあっさり言い返し、「いいけど、その頃僕この学校にいないからなあ」と生徒会長は笑った。その笑顔は楽し気で、でもどこか寂し気でもあった。
「まあ、今のは無理にしても、卒業する年に生徒会としてこんなに楽しい活動のお手伝いができたことは、本当に嬉しかった。ありがとうございました」
 ふざけていた様子の生徒会長は、そう言って、きれいに礼をした。
「なんか、最近行儀よくなったんじゃない?」と訊く部長に、生徒会長は「ちょっとだけ、お茶を学んだもので」と言った。
「そうなんだ。こちらこそ、最後の年に新しい活動ができて楽しかった。ありがとうございました」と部長も礼をした。
「それでさあ」
「なんですか?」
 生徒会長が何かを切り出す気配に、部長の声が鋭くなる。
「いや、もちろん、強制ではないけど……」
「だから、何?」
「文化祭の昼間の発表とは別に、中夜祭、あるでしょう? 部外者は入れない、生徒だけで体育館で盛り上がる……」
「ありますね」
「……怖いな……」
「気にしないで続けてください」
「はい。その中夜祭で、服飾部も自分の服っていうか、作品、制作した衣装を今年は着てステージに出ませんか?」
「え!? 私たちは、裏方っていうか、そういうのは……」
「そこはダンス部が協力してくれるそうですよ。まあ、お礼というか……」
「私の一存では決められないので、部員と話し合ってからでいい?」
「もちろん」
 ここで生徒会の先生から、生徒会役員は生徒会室に集合、という放送が入り、生徒会長は急いで生徒会室へ向かった。


 一仕事終え、後はクラスの出し物と自分の当日展示の作品制作だけだと考えていた服飾部は、大騒ぎとなった。
 ダンス部のために衣装を急遽制作することになった時は、あっという間に取り組み、完成にこぎ着けたが、制作した衣装を自分で着て人前に出る、ということとなると、ちょっと話が違う、と皆が思った。
 部長もどうしたものかと悩んでいるのがわかった。
 しかし、ダンス部は颯爽とした様子で服飾部を訪れ、「結論を出す前に、まあ、やってみようよ」と、服飾部を誘い出し、曲を流し、それに合わせてきらきらと踊り、その中で素人でもできるような振りを実に簡潔に上手に教えてくれた。
 そして、生徒会長から話が持ちかけられた時には断固出ないと言い張っていた部員も、次第に出ようかな、という雰囲気になり、最終的には全員が自分の衣装を着て出ることになった。
 それでも、最初からステージに立つ状態で始まるのは緊張すると言う一部の意見を聞いたダンス部は、「じゃあ、最初ダンス部の輪の中で座ったところから始める?」と、非常に親切な提案をしてくれた。その後、ダンスのテーマも考えてくれ、タイトルは『ヒロイン』だと言う。
 いかにも、華やかなダンス部の考えそうなタイトルだと服飾部は思ったのだった。
 そして迎えた文化祭の中夜祭。
 ダンス部の発表の後、一度舞台が暗転し、その間に教えられた通り、各自の制作した衣装を着た服飾部はステージ中央に正座し、それを覆うようにダンス部が囲む。ここからゆっくりと音楽が流れ、舞台が照らされる。
 それぞれに流れるような動きで舞うダンス部の中央で正座をしている服飾部は、『制作』を表現し、そこからダンス部に一人づつ手を引かれ、踊る場面では、これからの進路を含めた新たなる『出発』を表現しているとダンス部は教えてくれた。最初の部分での正座は、ダンス部が衣装制作のお礼に差し入れを持って和室を訪れた際、服飾部が正座をし、和裁をしていたイメージから発案したと言う。
 難しい動きは全てダンス部が担当してくれ、服飾部は教えられた比較的簡単な動きのみでの演出だった。
 和風のお揃いのきらびやかな衣装で舞うダンス部とともに、それぞれの想いを込めた自作の衣装を着た服飾部がスポットライトを浴びる。
 ツムギは黒のワンピースを制作したが、スカート部分に白いふわりとした布をつけた。
 ほかの部員も白いサテンのノースリーヴワンピースにデニム生地を纏わせたデザインや、ふわふわの花をあしらったモスグリーンのドレス、花冠にヴェールを被った下にフィットした半袖にタイトなミニスカートなど、それぞれの個性を出した作品で舞台に立った。
 ツムギの手を引き、横で見事に踊ったのは芙蓉で、芙蓉がきれいにターンをするたびに、ツムギが発案した裏地が映えた。
 ダンス部と服飾部の合同発表が終わりに近づくと、ダンス部の部長が、「自分たちの制作より、私たちダンス部の衣装制作を優先してくれた上で、こんなに素晴らしい服を作る服飾部は全員がヒロインです。どうか、盛大な拍手を」と言った。
 惜しみない拍手の中、ダンス部と服飾部は交互に手をつなぎ、礼をした。


 翌日の文化祭は、他校の生徒が多く詰めかけた。
 文化祭の日程はだいたいどこも同じ二学期の一週目から三週目の週末に行うが、金曜日、土曜日などで文化祭を行い、某出井高校の文化祭二日目が休日という高校も多く、そういった生徒が遊びに来る。
 服飾部は交代で部の展示の受付を担当していて、ツムギが当番で服飾部の受付席に座っていると、ダンス部の衣装のままの芙蓉が遊びに来た。芙蓉は一通り作品を見た後、「後で一緒に回ろうよ」とツムギを誘った。
「……私でよければ」
「一緒に行きたいから誘いに来たんだよ」と芙蓉は屈託なく笑う。
 そこへ「包栽さん?」と声をかけられた。
 顔を上げると、中学校の時に同じクラスだった女子二人がいた。
 二人に家庭科の時間、手伝ってほしいと言われたことを思い出し、ツムギはやや俯きながら、「こんにちは」とあいさつした。
「久しぶりだね」と二人は言い、「すごいね、これ、包栽さんが作ったんだね」と、展示してあるツムギの服を見た。
「……うん」
「この衣装も作ってもらったんだよ」と、芙蓉が着ている衣装を見せる。
「え、すごい」
 驚く二人は、親切に衣装の裾などを説明してくれる芙蓉の話を聞き、「へえ」とか「わあ」と感嘆したり、頷いたりした。
 そして「中学の時、包栽さんがすごく上手だから、それをお手本にして家で続きを作ろうと思って、無理言って手伝ってもらったことあったんだ」と二人は言った。
 二人に対してそのこと以外の記憶はツムギの中になかったが、ここは「あ、そうだったんだ」と、曖昧に返事をしておく。
「でも、包栽さんが縫ってくれたところと、自分が縫ったところの違いが一目瞭然で、才能とかそういうものがあるんだなってあの時思った」
「今日来て、包栽さんはどんどん先へ進んでいるんだなってわかったよ」
「……え、」
 ツムギは驚いたまま、二人を見上げていた。
「そうなの、この人、すごいの。おまけに大人しいけど、しっかりしてるし」
 芙蓉が代わりに会話をつなぎ、二人が頷いて、「それじゃあ、これからも頑張ってね」と言い、二人が文化祭のパンフレットを見ながら服飾室を出て行く時には「また」と、明るく手を振った。
 二人と入れ替わりに部長がやって来て、「包栽さん、交代の時間」と言った。
「あ、はい……」
「お邪魔しています」と芙蓉が服飾部の部長にあいさつし、「こんにちは。それ、やっぱり、すごく似合ってますね。本当によかった」と、部長が嬉しそうに言う。
「服飾部の皆さんのおかげです」と芙蓉が礼をする。
「まあ、頑張ったのは、服飾部全員だけど、最初この話をもらって来たのが包栽さんでなければ、ここまでいい作品になったかどうかはわからないと思うんだ」
「どういうことですか」と、芙蓉が訊く。
「包栽さんが、すごく嬉しそうにこの話を持ってきて、もう絶対やりたいって感じで、新しく入ってくれた部員の子がそんな嬉しそうに言ったら、断る選択肢、ないでしょう。ああ、この子、すごくデザインとか、制作とか、好きなんだなって。うちの部は結構ミシン、手編み、和裁の経験者が多くて本格的なんだけど、その分、もう自分の進む先を自分の中で決めている人がいて、それはとても大事なことなんだけど、この学校の服飾部だから視野を広げられるっていうか、そういう新しい可能性に目を向けられる逸材だなと思って」
「……すごい褒められてるよ。なんか言いなよ」と芙蓉がツムギの背をぽん、と叩く。
「……あ、その、ありがとうございます」
 どう言ったらいいかわからず、ツムギはぎこちなくそう言った。
「こちらこそ。期待してます」
「……一応、頑張ります」
「とりあえず、交代の時間だから、行ってきたら?」と部長が言う。
 ツムギは「ありがとうございます」を繰り返し、服飾部を出た。
「ほら、行こう。迷路もお化け屋敷も行きたいし、シンクロ公演も見に行こうよ」
 芙蓉に手を取られ、ツムギは賑やかな校内の廊下を小走りに通り抜けた。


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