[96]ダルマ正座はしあわ正座


タイトル:ダルマ正座はしあわ正座
分類:電子書籍
発売日:2020/07/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:44
定価:200円+税

著者:海道 遠
イラスト:keiko.

内容
 正座教室に通っている女子高生のサチは、ぽっちゃり体形だからか、正座してもすぐに後ろへひっくり返ってしまうのだった。
 しかし、何か願い事を言ってから正座してひっくり返り、を繰り返してると、願い事が叶うことが分かってきた。友達や親せきも。サチの真似をして正座してひっくり返り、元に戻ると願い事が叶う。
 教室のユカリ先生は、その方法でフランス人医師の婚約者を射止めた。サチは一番の願い事である、重い病で不自由な生活を強いられている妹のミユキのためにサマージャンボ宝くじが当たりますように、という願いをこめて七転び八起きの正座を始める。

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本文

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第 一 章 プロポーズされる

「私の正座、どこか変?」
 サチが曇った顔でつぶやく。
「変だなんて! カンペキのペキよ」
 友達のキリカが慌てて首を横に振る。
「教えてもらった通りに正座しても、どうしても後ろへ転んでしまうのよ。ちょっと見ていて」
 自宅の畳の上で、サチは静かに膝を折り、制服のスカートの裾をはさみこみ膝の上に両手を乗せた。確かにカンペキだ。ところが!
 直後にサチの身体はコロンと後ろへ転んでしまった。
「ほらね、転んじゃうでしょ。なのに正座教室の先輩からとても褒めてもらうの」
「な~~んだ、サチったら、褒めてもらって悩んでるの?」
「うん。なんでも家元、お墨付きの最高の正座が出来てるんだって」
「すごいじゃないの!」
「日本じゅうの人にあなたのカンペキな正座を見せてあげて下さいって……教室のユカリ先生が」
 サチは周りから毎日、そんなことを言われるが、そんな大それたこと、考えたこともない。

 どちらかというと、サチはぽっちゃりしている。
 最初の頃なんて座ろうとする度にコロンと後ろに転んでしまって立ち上がれなかった。教室の皆からさんざん笑われた。
 そんな時に病弱で部屋から滅多に出ない妹のミユキが慰めてくれた。
「お姉ちゃん、一生懸命練習してるんだもん。きっと誰か認めて褒めてくれる人がいるわ」
「ありがとう、ミユキ、優しいわね」
 すると、しばらくして褒めてくれる人が現れ、徐々に増えてきたのだ。
 それだけではなく、小さな願い事を口の中で唱えてから正座してひっくり返り、その弾みで元に戻る! それを繰り返していると、願い事が叶うことが分かってきた。
 くだらない小さな願い事から始まったのだが。
(今日、おかあさんの作ったお弁当に唐揚げが入っていますように)とか、(テスト勉強できてないから、急に休講になりますように)とか、(あのワンピ、どうしても着たいから痩せますように)とか。
 小さな願いながらも、必ず叶うようになってきた。それを正座教室のユカリ先生に話したのだ。

 正座教室のお師匠ユカリ先生は、たおやかな大人の女性だ。
 彼女の正座こそ見ていてうっとりする。膝をそろえてゆっくり座る所作、着物の裾を優雅に織り込んで腰を下ろすさま。そして真っ直ぐに背筋を伸ばすさま。膝の上にそろえられるのは、正に白魚の手だ。
 そのユカリ先生に、サチはお稽古の途中で呼び出された。
「実はね、私、十年も思いを寄せてる方がいらっしゃったの」
「え~~~、先生の恋バナですか?」
「フランスからお仕事で日本へ来ておられる方。お医者様なんだけれど」
「まあ」
「そろそろフランスへ帰られるっていうから、私、思い切って……」
「告白なさったんですか?」
「あなたの正座の様子を、そっと隣の部屋から見てもらったの」
「えええええ~~~~」
 サチは驚いて、いつものように師匠の前でひっくり返ってしまった。それから、その反動で元通りに正座した。
「そう、それそれ。その正座よ! サチさん、あなたの正座は美しいばかりではなく、ダルマさんの起き上がりこぼしの精神が溢れてるのよ」
「私の正座が、ダルマ……?」
 教室にいた生徒が吹き出した。
(それなら、少しは分かる。ダルマ体形だもんね。倒れてもすぐ起き上がれる)
「そう。ぽっちゃりしていながら、どんな逆境にも負けない、ど根性正座とでも言おうかしら」
「ど根性正座!」
 正直、ユカリ先生から「ど根性」という言葉を聞くと思わなかった。
「で、この正座の通り私が真似しましたら、ジュールったらね、あ、ジュールってのは、その片思いの彼のことですけど」
「は、はい」
「『何度、倒れても諦めない! なんて素晴らしい精神だ! こんな女性を私は妻にしたかったんだ。ユカリさん、どうか、僕と結婚して下さい』ってプロポーズされてしまったの」
「プロポーズですかっ」
「そうよ。これも皆、サチさんのおかげ。正座をする前に願い事を言ってやってみたら、叶うようになったって言ってたでしょう? 彼は帰国するのもやめ、日本に居続けて結婚することになったの」
 ユカリ先生はほんのり頬を染めて生徒たちに打ち明けた。
 教室で歓声が上がった。
「先生、おめでとうございます!」
「ステキ~~~! フランスの方とご結婚だなんて」
「おめでとうございます!」
 生徒の女の子たちは大騒ぎだ。
「ありがとう、皆さん。一番、お礼を言わなくてはならないのは、サチさんね」
 サチは、信じられずにぼんやりしていた。
「本当は、私のようにころころしている体形だと、起き上がりにくいのですが、私は子供の頃、柔道を習ってまして、それで投げ飛ばされても、すぐに起き上がれる技を教えてもらいましたから」
「そう! それでなんだわ。あなたの正座が無敵なのは」
 輝いた顔で「無敵」なんて言われても戸惑うばかりだ。
「実は、今日、彼に来てもらってるの」
「フランスのフィアンセの方にですかっ!」
 教室の皆が乗り出した。そこへスッと襖が開き、上背のある金髪の青年が入ってきた。聡明そうな額とアクアマリンのような青い瞳は、気品に満ちている。
「こんにちは。ユカリの生徒さんたち。外科医のジュール・レゼールといいます。ユカリさんと結婚することになりました」
「先生、もしかして年下っ!」
「きゃあああああ」
 嬌声が飛び交った。
「サチさん、初めまして。あちらでゆっくりお話ししませんか?」
 金髪碧眼の彼に言われて、サチは飛び上がった。
「あなたの正座を見て、真似た私を見て、心を決めてくれたのですもの。ジュールはあなたと少し話したいそうよ」
 ユカリ先生が言い、三人は別室でゆっくりお茶をいただいた。

第 二 章 新しい命

 サチの従姉イツコは、結婚して五年になるが、子宝に恵まれない。
 久しぶりに従姉を訪ねた。顔色が冴えない。
 何を食べれば赤ちゃんが授かるとか、どんな日常生活がよいとか、そんな話ばかりだ。不妊治療の話も出ているらしい。
「いっちゃん、そんなに思いつめない方がいいよ」
「ごめんね。サチ。あなたにはまだ早い話題だったわね」
 実母と義母、ふたりの母からと、旦那から、ず~~っと子供を待たれている従姉は、毎日のご飯もノドを通らないくらい追い詰められているらしい。
「いっちゃん、顔色良くないわねえ。どうかな? おまじないのつもりで。最近、私の正座を真似した人が、願い事がかなうって評判なの。やってみたら」
「サチの正座? 赤ちゃんと何の関係があるの?」
「さあ、私にも分かんないけど、やるだけやってみたら?」
 本当におまじない程度のつもりで、サチは従姉の前で正座をしてみせ、転んでから元に戻ってみせた。従姉もその通り、正座してから、くるりんとでんぐり返りをやってみた。
「これでいいのかな?」
「騙されたと思って、一日一回やってみて」
 サチ自身も苦笑いしていたが、驚いたことに、三か月後、イツコに赤ちゃんができたのだ!
 電話で呼び出されてイツコの家へ着くなり、玄関を飛び出してきた知らない婦人にハグされる。イツコの義母だ。
「サチさんね? あなたがうちの嫁に天使を連れてきたくれたのね?」
「サチさん、なんとお礼を言っていいか! ほら、何年も前からベビー用品やおもちゃを買いそろえてあるんだよ!」
 イツコの旦那も飛び出してきて、ぬいぐるみと一緒にぎゅうっとされるし、母親まで従姉の家に駆けつけていた。
「サチ、よくやった! お小遣い三千円アップしたげるわよ!」
 イッちゃんも泣いて喜んでいる。
「サチ、あなたのおかげよ! 旦那も母も義母も大喜びよ!」
「……自分でも信じられないんだけど……。出産までお大事にね」
 頬っぺたをつねりながら、そう言うしかなかった。
 その日は従姉宅でお祝いのご馳走に預かった。

第 三 章 志望校に合格

「ねえ、サチ……」
 キリカが言う。
「ここまで来たら、奇跡でもなんでもないわよね。あんたの実力よね」
「じ、実力って! 私はただ正座に失敗してるのを見せてるだけで」
「それに不思議な力があるんだわ! ね、お願い」
 キリカには、三浪している兄がいる。
 今度、志望校に合格しなければ、諦めて就職かバイトすると言っているとかで、お父さんから念書まで書かされているらしい。
 崖っぷちに追い詰められていて、絶望的だ。
 妹からサチの正座を見ると、ラッキーなことが起こるらしいと聞いて、妹と一緒にやってきた。
「俺、どうしてもあの大学に入って、好きな昆虫のことを研究したいんだよ」
「昆虫のことを研究したいために三浪も頑張ってるんですか!」
 サチは思わず言って、あわわと口をふさいだ。
「いったい、何の虫ですか?」
「カマキリだよ」
「カマキリ~~?」
「そう。カマキリってのはゴキブリと仲間で……」
「きゃあ、ゴキブリ! 言わないで!」
「悪かった、悪かった。それでさ、受験のことなんだけど。もう、こうなりゃ神頼み、ダルマ頼みだ。サッちゃん、頼む!」
 キリカの兄は玄関ポーチに土下座した。
「そ、そんなことをされても、合格を保証する力なんて私にはないわよ」
「とりあえず、頼む」
 仕方なくサチは正座してみたが、いつものように後ろへころん、と転んだ。だが、弾みで元へ戻る。これが柔道のたしなみがほんの少しあるせいなのかどうかわからない。
「おお! これだよな! 何度ダメでも頑張って挑戦する! ありがとう、気合入ったよ、毎日やってみる」
 そう言ってハチマキを絞めなおして帰ったキリカの兄だったが、四か月後、見事に志望校に合格したのだった。
「やった~~! やったぞ、キリカ、サッちゃん! 桜が咲いたぞ!」
 教室へ走りこんで来るや、妹とサチを順番にハグしたくらいだ。
 この事は、正座教室でますます噂になった。
「サチさんの正座って、キリカさんのお兄さんの志望校合格まで実現させてしまったんですって!」
「すごいわね~~~!」
「私も願い事、叶えてもらおうかしら?」

第 四 章 サチの妹

 皆、噂を聞きつけて、サチに正座をしてもらい、皆、その真似をするようになった。
 百発百中で、皆の願い事、何キロダイエットしたいだとか、マイホームを建てたいだとか、世界一周旅行したいだとか、いろんな願い事が叶った。
 今や、サチは神様扱いされ、「ダルマ正座」「七転び八起き正座」に押し寄せる人は後を絶たない。
 毎日、自宅に何十人もの人が押し寄せ、料金こそ取っていないものの、お礼の品で家は溢れかえり、両親はほくほく顔だが、サチは冴えない顔をしていた。自分にそんな才能があるとは、どうしても思えないので、ネットに書くことは周りの人に厳禁にしてある。

 サチには妹がいる。
 幼い頃から心臓の難病と言われ、無理はできない。
 学校に行けたり行けなかったり。今日もベッドに上半身だけ起き上がっている。窓辺のカーテン越しに、陽のあたる世界を見ている妹が可哀想でならない。
 その妹、ミユキも、この騒ぎを驚きながら喜んでいた。
「良かったわね。お姉ちゃん。みんなの願い事を叶えてあげられるなんてすごいことよ!」
「うん、そりゃ、良かったと思ってるよ。願い事が叶って嬉しい皆の顔を見るとね」
「じゃあ、なんでそんなにつまらない顔をしてるの?」
「だって、私の願い事は叶わないんだもん」
「お姉ちゃんの願い事って?」
「ミユキ、あんたが元気になることよ」
「それは……」
 ミユキは押し黙った。
 彼女が元気な生活を送ることは、百パーセント近く不可能だと、医者から言われている。ましてや、正座してから後ろへ倒れ、元に戻る運動などしたら、どうなることか。
「仕方ないわよ、お姉ちゃん。いくら願い事を叶えられるたって限界があるもの。私はこういう身体に生まれてくる運命だったのよ。諦めなきゃ仕方ないわ」
「ミユキ。私は何億円もの宝くじに当たるより、あんたが元気になる方が嬉しいのに……神様は意地悪だわ」
「お姉ちゃん……」
 自分のために心底、心を痛めてくれる姉のことを、ミユキは有難く思った。
 廊下に出ると、キリカが来ていた。
「ちょっと、サチ。今の話、悪いけど聞いちゃったの。その――宝くじの話、使えるかもよ! いいえ、使わないでどうするのよ!」
「え?」
「ユカリ先生の旦那様になる人は、フランスでも一、二、を争う心臓外科のお医者様なんでしょ」
「そうだっけ?」
「そうよ。あんたってぼやっとしてるわねぇ」
 キリカは肩をすくめた。
「ああ、そうだったわ! ユカリ先生が初めて婚約者のジュールさんを連れてこられた日に、妹のこともお話したんだったわ」
「そんなこと忘れるなんて! で、ジュール先生は何かおっしゃっていた?」
「『私に力になれることがあれば、おっしゃってください』って」
「もう~~~! サチってば! ちゃんとおっしゃって下さってるじゃないの! 手術費用を宝くじで当てて、ミユキちゃんに元気になってもらいましょうよ!」

第 五 章 宝くじを当てる計画

「今度、サマージャンボ宝くじがあるわ。それを、ミユキちゃんの手術費用に充てるのよ。ミユキちゃんの病気は手術で治るんでしょう?」
「そうなんだけど、成功率数パーセントの難しい手術だそうよ」
「難しくても、それに賭けるのよ! ユカリ先生のご主人になる方は、若くして心臓外科医の名医だそうじゃないの! これはもう、運命が手伝ってくれているとしか思えないわ!」
(大きな宝くじを当てて、それを妹の手術費用にする……。そんな願い事、できるかな?)

 正座教室で悩んでいると、ユカリ先生がやってきた。
「どうしたの、元気ないじゃない」
「妹のことです」
「ご病気の?」
「はい。妹の心臓手術のために、サマージャンボ宝くじを当てようと……。でも、そんなよこしまな考えで当てることができるでしょうか?」
「よこしまな考えだなんて! その宝くじの賞金で豪遊するわけじゃなし、妹さんの手術のために使うんでしょう? なら、あなたが後ろめたく考える必要はまったくないわ」
「そうでしょうか」
「そうよ、サチさん!」
「本当に先生、そう思いますか?」
「思うわよ。ジュールにもくれぐれもよろしく頼んでみるから」
「ありがとうございます、先生!」
 座りなおしたサチは、ついうっかり、スッテンコロリンと後ろへ転がった。そして反動で起き上がった。

 そして、サマージャンボが発売される日。
 サチはキリカについてきてもらって、長蛇の列に並び、宝くじを百枚買った。そして、家に持って帰って宝くじを前に正座して合掌し、でんぐり返りを繰り返して合掌をした。
「どうか、宝くじ一等五億円、当たりますように!」

第 六 章 宝くじの結果

 そして数か月後、サマージャンボ宝くじは、見事に当選したのだ!
 サチとミユキは抱き合って喜んだ。
「やった、やった、本当に当選しちゃったわよ、宝くじ! なんて強運なの、お姉ちゃん!」
「私にもワケが分からないのよ、どうして、こんなに願い事が叶うのか」
 ユカリ先生からも電話がかかってきた。
「彼が知りたいからって」
「ありがとうございます。見事に手術資金は当てました」
「まあ、よかったこと!」
 しかし、こんなことがいつまでも世間に知れないわけはない。
 ネットで騒がれ始めた。
 幸運を呼ぶ女子高生! 願い事が何でも叶う正座のすってんころりん!
 真相は? ダルマの正座のせいか?
「いくらなんでも、宝くじを当てようだなんて、欲張りよねえ」
「百発百中だからな。欲張りになっても仕方ないさ」
 そんな声が周りから聞こえるようになった。
「サチ姉ちゃん、宝くじを買ったのは私のためなの?」
 ベッドの上に弱弱しく座ったミユキが心配そうに尋ねる。
「ミユキは何も心配しないで」
「だって、欲張りって悪く思われてるんでしょう? 私の手術のために」
「世間にはいろんな考えの方がいるから、仕方ないわよ」
「お姉ちゃんは当たることが分かってるから、世間の方に反感を買ってしまうのね」
「当たるなんて、私も分かってなかったわよ」
「でも、そう思われるのよ」
 ミユキはそう言って、スマホを持った。
「ミユキ、何するの」
「世間の方に、私の病状を分かってもらうの。このままじゃ私、長く生きられないんでしょ」
「ミユキ……」
 ミユキは思い切ってネットで、それも実名で自分の身体のことを打ち明けたのだ。
「私は新倉ミユキといいます。今、騒がれてるダルマ正座で願い事を叶えてしまう女子高生、新倉サチの妹です。私は生まれついての重い病気で普通の生活がおくれません。そのことを姉はとても心配してくれていました。手術してもらおうにも、とてもお金がかかります。そこへ、姉にはダルマ正座の能力があると判り、半信半疑で宝くじを買って手術の費用を作ろうとしてくれたのです。おかげ様で宝くじは当たり、私は手術さえ成功すれば、健康になれることになりました。どんなに姉に感謝していることか。決して遊んだり、無駄に使ったりしません。残ったら、病気で苦しんでいる子供たちの機関に寄付します。どうか、姉を悪く言わないで信じてやってください」
 すると、サチに対する世間の風当たりが、みるみる間に緩やかになった。
「ミユキ……あなた、勇気があるわね」
 ミユキの行動は本当に勇気あるものだった。自分の病気のことを公表して、サチに被った泥を落とそうと必死だったに違いない。
「だって、お姉ちゃんが悪く言われるのは、たまらなかったんだもの」
 涙をポロポロ落とす妹を、サチは、
(きっと元気にしてあげるからね)
 力いっぱい抱きしめた。

 ところが、である!
 ユカリ先生の婚約者のフランス青年が、失踪してしまったのである。なんたることか、宝くじの五億円を預かったまま。

第 七 章 失踪

 ミユキがネットで自分の病気について公表してから間もなく、ジュール先生が連絡してきた。
「手術資金ができたそうだね。一度、妹さんを診察に連れてきてください」
 病院で、ジュール先生と、その上司の先生によって、ミユキの検査が一から行われた。
 サチと両親はずっと付き添い、見守った。
「やはり、難しい手術が必要だ。成功率は数パーセントだが……。どうするかね?」
「受けます! お姉ちゃんが頑張ってゲットしてくれたお金ですもの」
 ミユキは即答し、サチが小切手で用意した五億円を渡した。
「確かに」
 ジュール先生は頷いて、小切手を内ポケットにしまい込んだ。

 それっきりになってしまった。
 それっきり、ジュール医師とは連絡が取れなくなってしまったのだ。ユカリ先生が電話やメールを何回送ろうと、連絡が取れない。
 病院の先輩医師に相談したところ、
「え、彼はフランスへ帰ったのじゃなかったのかい?」
 と、聞き返され、彼のロッカーからはすっかり私物が消え、住んでいたマンションは、しばらく前に引っ越したらしくもぬけの殻だった。
 サチやミユキもショックを受けたが、ユカリ先生のショックも大きかった。婚約者に失踪されたのだ。
 彼が務めていた病院の廊下で、ユカリ先生は泣き崩れてしまった。
「ユカリ先生……」
 サチもかける言葉が見つからない。
「今から思えば……」
 ユカリ先生は泣きじゃくりながら、
「あなたの正座のことを話した私がいけなかったんだわ。あなたの正座で願い事が叶う、なんて言ったから、最初からそれを目当てに彼は私に近づいたんだわ」
「先生……」
「お金目当ての男と分からず、婚約してしまうなんて、私ってなんて愚かなのかしら」
「先生……」
 サチは先生の肩を支えて、タクシーに乗り込んだ。
「先生は何も悪くありません。悪いのは、あの医者です。私も妹も騙されたんですもの」
 ユカリ先生は、サチの頼もしい言葉に驚いた様子で顔を見た。
(これが、いつもダルマになってひっくり返ってる女の子?)
 サチはめらめらと怒りの炎を胸の内で燃え滾らせていた。
(妹を助けようとしていたのに、私たちを騙して逃げるなんて。ユカリ先生のことも裏切るなんて、男の風上にもおけないわ!)
(それより何より……、あの男は、正座を汚したんだわ! 許せない!)

第 八 章 「傷つく覚悟を持って」

 どうやって捕えるか? サチは自宅に帰って考えた。
 最大限にサチの力を使うことにした。サチは初めて自分のために願かけをして正座した。
「ジュール医師が捕まりますように」
 ころりとダルマ正座をして、ずっとそれを繰り返す。
 サチの家にやってきた、キリカと兄もそれを見て協力し、赤ちゃんを連れた従姉のイッちゃんもやってきて同じようにした。
「皆さん、ありがとう」
「サッちゃんには願いを叶えてもらったんだもの。今度は私たちがお返しする番よ」
 そして祈りの正座は続いた。
「宝くじが見つかりますように」
「宝くじが見つかりますように」
 それは次第に、
「ミユキちゃんが元気になりますように」
「ミユキちゃんが元気になりますように」
 ……と、変わっていった。
「皆さん、私のために……」
 ミユキは感動の涙が止まらなかった。サチと一緒に何度も頭を下げた。

 宝くじを持ち逃げしたジュール医師は逃走するため、変装したかもしれない。目撃情報はあてにならなかった。
 すでに日本を脱出したのかも? という情報が流れ始めていた。
 その矢先、空港の検閲でジュールが発見されたという知らせが入った。
 黒髪、短髪、サングラスで変装していた。
 乗った飛行機がエンジントラブルで離陸後、すぐに海に着水したという。
 それを聞いたとたん、サチの祈りは、
「ジュール先生の命が助かりますように!」
 に変わった。その場にいた皆が驚いた。
「サッちゃん、あんなに怒っていたのに?」

 サチとユカリ先生はタクシーで事故現場へ向かった。
 飛行機は墜落をまぬがれ、ケガ人が担架で運び出されていた。湾岸には沢山の救急車が来ていた。
 ユカリ先生がひとつのストレッチャーに走り寄った。
「ジュール!」
 青年にははっきりと意識があった。サチとユカリ先生は一緒に救急車に乗り込んだ。
 ストレッチャーの横に座るなり、ユカリ先生が叫んだ。
「ジュール! サチさんとミユキさんに謝って!」
「……」
 サチはびっくりした。
「なんてことするの、ミユキさんの命がかかっているお金を……」
 青年は眼を手のひらで隠し、歯の間から声を押し出すようにもらした。
「悪かった……。どうかしていたんだ……」
(一流大学を出て、立派なお医者様で……。そんな人でも魔がさすことがあるんだ……)
 彼を憎む心は消えて、哀れに思うサチだった。

 数日後、ジュールは軽傷ということで退院した。
 警察官に付き添われてサチの家を訪ね、姉妹に謝った。
「申し訳ありませんでした。宝くじ分の小切手は病院の金庫にあるから、名医に執刀してもらって下さい。私は祖国に帰って刑に服します」
 きっちりと正座して頭を下げた。
「ジュール先生も宝くじも無事でよかったわ」
 サチとミユキは顔を見合わせて微笑んだ。

 玄関では、ラベンダー色のワンピースを着た、ユカリ先生が待っていた。ユカリ先生の洋装を見るのは、サチは初めてだ。
 警察官に付き添われて車に乗ったジュールを見届けてから、
「あの人の国でやり直します。ミユキさん、手術のご成功、遠くからお祈りしていますね」
「ありがとうございます。きっと元気になります」
 ミユキはしっかりお礼を言い、サチも、
「先生、お幸せをお祈りしていますね。それにしても、ユカリ先生、勇ましいですわあ」
「『傷つく覚悟もないのに好きって言ってるだけでは何も変わらない』とか言うじゃない?」
 ユカリ先生はにっこりした。
 サチは思った。
(ユカリ先生は、かっこいいだけのジュール先生だけじゃなく、彼の犯罪を犯してしまった気弱なところもひっくるめて愛してるんだわ)
「フランスで正座教室を開いて、この人を待ちます。ダルマ正座を教えながら。何にも負けない七転び八起きの。そして……」
「大切なものは、何よりも命だってことをでしょう」
 サチが答え、ふたりは微笑みあった。


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