[12]私と正座の関係


タイトル:私と正座の関係
分類:電子書籍
発売日:2016/07/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:28
定価:200円+税

著者:夜兎
イラスト:鬼倉 みの

内容
 突然告げられた兄の結婚話。
 結婚挨拶の場には私も出なくてはいけないらいいけど……私は堅苦しい席が大嫌い。それは緊張する空気が嫌いって言うのもあるけど、何より長時間正座をしなければいけないというのが嫌で仕方がない。
 正座なんか嫌いだと渋る私に、お母さんが教えてくれたのは、知ろうともしなかった歴史と、沢山のいい所だった。
 正座が嫌いな人、苦手な人必見!
 痺れにくい座り方から、正座のメリット、正しい説までこれでもかと詰め込みました!

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本文

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 今週の週末は、実に憂鬱である。
「どうしても、一緒に出なくちゃいけないのー?」
 私がリビングでゴロゴロしているのを見て、お母さんが顔をしかめる。
「お兄ちゃんのお嫁さんが来るってのに、あんたが出なくてどうするのよ」
「めんどくさーい」
 私のお兄ちゃんが、ついに結婚するらしい。お嫁さんとなる彼女と一緒に結婚の挨拶に来るそうだ。
「別に顔だけ出せばいいんでしょ? 長時間側にいなくても」
 お兄ちゃんとはそれなりに年が離れているから、お嫁さんとも離れているだろうし。そんな席に私が一緒にいても、ねえ。
「いいえ、今回のあなたは私の隣に座るの。お兄ちゃんのお嫁さんなんだから、きちんとしなさいよ」
「え、うっそー」
 お母さんの隣ということは、私は半日近く正座!?
 堅苦しい席って、苦手なんだけどな。
「……正座?」
「それ以外の何があるの」
 呆れたようにため息をつかれた。だって、だって。
「正座なんて長時間できるものじゃないでしょ!?」
 長時間座ってれば痛くなるし、疲れるし、落ち着かないし。そもそも短時間でもダメなのに。
 駄々をこねる私にもう一度ため息を付いて、お母さんは私の前に座った。
「あんたねぇ……正座っていうのは日本人の心なのよ?」
「そんなこと言われたって。嫌いなものは嫌いなんだもん。あぐらでいいじゃん、あぐらで」
「あぐらは正式な場では失礼なの。正座は仏壇を拝む時や将軍にひれ伏す時に使われていた座り方なのよ。まぁ、元々和装があぐらに向かない作りだったってのもあるみたいだけれど」
「将軍って、徳川家康とか?」
 将軍といえば徳川家ぐらいしか思いつかないけれど。
「もっと昔、征夷大将軍のことね」
 征夷大将軍って、確かあれよね。平安時代とかそこら辺の、軍人さんだったはず。つまり……
「え、正座って千年以上の歴史があるの?」
「そういうこと。とっても長い歴史があるのよ。正座と呼ばれ始めたのはごく最近の話なんだけどね」
 歴史を聞いたところで座る気にはなれないけれど、すごい話だとは思う。
 でも、どうして正座なんて辛い座り方が長く受け継がれてきたんだろうか。
「どうしてって顔、してるわよ」
「え、なんで分かったの?」
 お母さんはふふっ、とからかいを含めた顔で「それくらい母親なのだから当たり前よ」と笑った。
「正座ならではの利点があるの」
「利点なんて……しびれるだけじゃん」
 結局のところはそこ。わざわざ辛い座り方をするわけがない。
「実際に座ってみなさい」
 ほらほらと促されて、渋々砕けた座り方から正座へと座り直す。
「何か感じない?」
「何かって言われても……」
 何もない、と言いかけて、ふと気がつく。
「あれ?」
 すうっと背中に棒が入ったように伸びて、それでも力を入れているような感じはしない。
 普段から座っていると猫背になってしまうのだけれど、正座をすると自然と伸びている。むしろ猫背にするほうが辛い。
「気がついたみたいね」
 自慢気に言うお母さんの顔に少し頭に来るものの、気がついたことは確かなので頷く。
「背筋が伸びてるんだけど」
「正座の利点はね、猫背になりにくいことや、腰への負担が少ないことなの」
 言われてみると腰に無駄な力が入っていないような気がする。
「他にも膝のストレッチ効果があったり、本来下半身へ行くべき血液が頭に回ることによって集中力が高まったり、きちんとした態度であるように見える、とかもあるわね」
「へぇ。結構いいところもあるんだね。だけど、悪いところもいっぱい聞くよ? 足が太くなるとか、ね」
 そんなにメリットがあるなんて知らなかったけど、私が知っているのはデメリットの方が多い。
「一時的に血の流れが妨げられることでむくんでしまうことは確かだけれども。極端に太くなるなんてことはないし、むくみだってマッサージをすれば治るわ。しびれる原因も同じで、神経を圧迫する事によって血が流れづらくなる。それで神経に流れだす異常電流がしびれの原因ね」
「異常電流!?」
 名前が物騒だ。やっぱり正座は身体に悪いんじゃ……
「名前はちょっと怖いけれど、身体としては正常な反応なのよ? 一部に血液が流れづらくなっていますよーって知らせてるだけなんだから」
「じゃあ、足や膝に悪いって言われているのは?」
 テレビか何かで正座は膝に悪いって言っていたような記憶がある。医者の話だったから、間違ってはいないはずなんだけど。
「うーん。これは難しいところね」
「間違ってるの? 医者の人が話してたのに?」
 身体のことなら、医師以上に詳しい人はいないと思うんだけど、違うのかな。
 首をかしげている私を見たお母さんは、唸ってみせる。
「間違っているとは一概には言えないのよ、これが」
「どういうこと?」
 間違っているともあっているともはっきりしない。ちゃんとした答えが欲しい。
「元々足が悪い人が正座をしたら、悪化するのは当たり前なの。圧迫していることには変わらないからね。だけど、普通の人が正座をするのはさっきも言った通り、膝のストレッチになっていい効果を出す。でも医者にかかるのは悪化してからだから、ほとんどの医者が正座は足に悪いって思っているのよ」
「まあ、普通に考えれば足が悪いのに無理したら悪化するのは当たり前だよね……」
 傷口に塩を塗るような事なのか、これは。
 そうやって考えてみると、正座っていいことなのかもしれない。
「ただなぁ……どんなによくてもしびれるのは、ね」
 しびれを我慢してまで膝を良くしたり、背筋を伸ばしたりする必要はないよね。
「しびれない、とまではいかなくても、しびれづらい方法はあるのよ」
「なにそれ」
 どうしても正座しなくちゃいけないんだったら、知りたい!
「しびれないなら、少しぐらい正座するくらい構わないよ!」
「うん、じゃあいつも通りに正座してみて」
 言われた通りに正座する。
 膝をたたんでカーペットの上に座るものの、足首がフローリングに当たる音がゴリゴリする。痛みはないけれども。
「そのまま重心を前にして」
「重心を前? って、どうやって……」
「顎を引いて、意識して背筋を伸ばす。後は太ももの上に置く手を、少し前にずらして置いてみて。そうするとかかとや足の甲に体重がかかりづらくなるから」
 重心を前に倒すと、べったり床にくっついていた足の甲が少し浮いて、かかとに体重がかからなくなった。ただちょっと気を抜いたら倒れちゃいそうだけどね。
「今度はかかとを開く」
「え、かかとって閉じるものだったの?」
「はじめから開いているならそのままでいいから。で、そのまま親指を重ねる。これは自分の一番楽な深さで重ねて大丈夫よ」
 離れていた足を重ねる。私は親指より深く、足の甲同士を重ねた方が楽だ。これは人それぞれらしい。
「膝はくっつけない方が痺れにくいの。あ、だけど開き過ぎは注意ね。女の子なんだから、開き過ぎたらみっともなく見えちゃうから」
「むしろくっつけて座る人っているの?」
「……いるんじゃない? くっつけている方が楽って人が」
 なんとまぁ、適当な。
「どう? 多少は座りやすくなったでしょ?」
 言われてみると普段の正座より楽なような気がする。まだ長時間座っているわけじゃないし、痺れにくいかどうかはわからないけど。
「これで座布団があったらもっと楽になるの。お客さんに座布団を出さない家はほとんどないからね、そこは気にしなくても大丈夫」
「うん、そうだね。どこの家にも座布団は用意してあるね」
 流石に畳とかに座るとき、座布団を用意しない家はないでしょ。
「それでも、どうしても正座がダメな人とか、我慢できない人は正座用の椅子を使うといいわ。できるだけ目立たないのね。かかとに直接おしりをのせない分、かなり楽になるの」
「じゃあ最初っからそれを使えば……!」
「でもこれはどうしても正座ができない人の最終兵器、かもね」
「なんで」
 実在する道具なんだから、使ってなんぼじゃない?
「健康な若い人が正座は痺れるから、なんて理由でそんな道具使ってたらどんな印象を持つと思う?」
「……分かんない」
「感じ方は人それぞれだから一概には言えないけど……私だったら少しの時間も我慢できないの?それくらい、って感じる」
「うん、確かに私もそう感じるかも。それぐらい我慢すればいいのにって」
 小さい子ならともかく、私世代とか二十代の大人とかが椅子を使ってたら印象悪くなるよね。仕方がないとしても、それくらい。
「正座っていうのは我慢するものではない。だけど痺れてしまうのはしかたのない事だから、こうやって痺れにくい座り方が生まれたの」
「そうだね。正座は痺れるからやっぱり好きにはなれないけど……それでもこうして逃げ道というか、座り方を知ったからか嫌いではなくなったよ。集まりの時も、頑張ってみる」
 色々なことを聞いたから、嫌いとは一言で片付けられなくなったし、頑張って見るくらいいいかな。
 お母さんは私の言葉を聞いて、嬉しそうに笑って頭を撫でた。
「どうしてもダメだったら、あんたの場合崩すこともできるんだから。ギリギリまで頑張りなさいよ?」
「はーい!」
 うん。話を聞く前よりは、憂鬱ではなくなったかな!


 結婚の報告に来る当日。
 お兄ちゃんが、綺麗な女の人を連れて来た。二人共緊張しているみたいでガッチガチ。ちょっと面白い。
 二人がガチガチに緊張しているからか、私の肩から余計な力が抜けた。
「綺麗な女性(ひと)だね。ね、お母さん」
「ほんと、お兄ちゃんも隅に置けないわね」
 お母さんと喋りながら、用意されていた座布団に座る。
 えっと、座るときはかかとを閉じないで開いて。座ったら重心を前にして、足の甲に体重をかけないように、っと。
「ほら、背筋が曲がってる」
「あ、ホントだ」
 顎を引いて、太ももの少し前に手を置く、と。
 せっかくお兄ちゃんと結婚してくれる女性が来たんだから、しっかりしないと。
 ピシっと背筋を伸ばして座る私を見て、お兄ちゃんがちょっと目を見開いていた。
「おー……随分しっかりしたなー」
 驚いたように言葉を漏らすお兄ちゃんの様子に、ちょっぴり鼻が高くなる。
「私もいつまでも子供じゃないんだよ!」
 誇らしげに胸を張る。
 不意に緊張で顔が強張っていた彼女が、表情をゆるめた。微笑ましいものを見るように、ふんわりと笑われる。
「ふふっ、妹さんととっても仲がいいのね」
 笑った彼女の顔があまりにも可愛らしくて、頬が熱を持つ。
「お兄ちゃんの癖に……こんなに綺麗なお嫁さんをもらうなんてずるい!」
 むくれる私の肩を、お母さんに叩かれる。
「あんた、いつまでお客さんを立たせたままでいるの。お兄ちゃんのお嫁さんが綺麗だからって嬉しくなってるのはわかるけど……まったく」
 確かにテンションは上がってたけど……彼女の前で怒らなくてもいいじゃん。
「ごめんなさいね。どうぞ、おすわりになって」
「失礼します!」
 ほらー。せっかく肩の力が抜けてきてたのに、また緊張しちゃってるじゃん。おかげでこっちまで緊張してくる。
 無意識に無駄な力が入って、足が痛くなってくる。このままだといつもと変わらない。
 一度深呼吸して、教わったことをゆっくり思い出す。頭のなかで再生しながら、その通りに座りなおす。
 緊張のあまりピタッとくっついていた膝同士を少し開いて、痛いくらいに握られていた拳から力を抜く。手のひらに付いた爪の跡が、自分が思っていた以上に緊張していたことを物語っていた。
「しっかりした妹さんですね」
「はい!?」
 ガチガチになっていた時間が思いの外長かったらしく、いきなり会話を振られて驚く。思わず裏返った声になってしまった。
「私が小学生の時は、こんなに長時間正座なんて出来なかったものですから……」
「いやいや。普段はもっと落ち着きないですよ」
「それでも、凄いと思います」
 手放しで褒められて恥ずかしくなる。でも、誇らしい。
「ありがとうございます!」
 やっぱり正座一つで印象変わるんだ……研究してみるのも面白いかもしれない!
 お母さんが「教えてよかったでしょ? 感謝しなさいよ」と言わんばかりの視線を送ってきているのが癪だけど。綺麗な正座の仕方を教えてもらってよかった。
 きっとこれから大人になっていくに連れて、大切になることだと思う。正座を気にしておいて、損な事はないと思うんだ。
 お母さんから教わっていたことでいい印象を持ってもらえたし、私自身の認識も変わった。
 痺れるから、痛くなるから。それだけで片付けられないものが正座にはあるんだと知ることができた。
 知らないうちに漏れた笑みは、とっても清々しかった。
 こうして、私達家族と彼女との顔合わせは無事に進んでいったのであった。


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