[332]刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)をふせぐ
タイトル:『刀伊(とい)の入寇(にゅうこう)をふせぐ』
掲載日:2025/01/12
シリーズ名:うりずんシリーズ
シリーズ番号:4
著者:海道 遠
あらすじ:
(命を狙っておる者がやってくる)
夢の中で誰かから繰り返される言葉に、うりずんの心に暗雲がかかっている。彼は南国の2月〜3月の季節の神。
兜跋(とばつ)毘沙門天の妻、吉祥天から使いが来て、金鎖甲(きんさこう)という鎖帷子(くさりかたびら)にサビが出たという。
「戦神、毘沙門天の行く先に暗い影が感じられる」と、吉祥天から添え書きがあり、うりずんは金鎖甲に向かって正座してから、サビを落としにかかる。
本文
当作品を発行所から承諾を得ずに、無断で複写、複製することは禁止しています。
第一章 金鎖甲のサビ
「命を狙っておる者がやってくる」
夢の中で、誰とも判らぬ者から繰り返し言われる言葉に、うりずんの心に暗雲がかかっている。絵師の赫女(かくじょ)に相談するが、誰なのか分からない。
うりずんとは日本の琉球の冬が終わり、2月〜3月の季節。晴れと雨が交互にある季節の、若い青年の姿をした神のことだ。
「ちょっとちょっと、視線と手を動かさないでよ。さっきも言ったでしょう、あなたは今、オオゴチョウの花に見入ってるところなんだから」
「ああ、ごめん」
らせん状のはしご階段を上がった樹に作られた木の家。窓や縁側からは、ひすい色の海と真っ白い浜が広がる。
うりずんの薄茶の瞳がオオゴチョウの花に戻る。絵師の赫女(かくじょ)の絵のモデルをしている最中なのだ。
折しも北方の守り神、兜跋(とばつ)・毘沙門天の妻、吉祥天から使いが来て、毘沙門天の金鎖甲(きんさこう)という鎖帷子(くさりかたびら)にサビが出たという。
(純金は錆びないはずなのだが、良くない予兆か?)
「向かうところ敵無しの戦神、毘沙門天の将来に暗い影が感じられる」
と、吉祥天から添え書きがある。
(北から何者かが来るのか――?)
毘沙門天は、
「南国のうりずんという季節の神に託せばサビが落とせるらしい」
と言い、うりずんの元へ一羽の孔雀が、金鎖甲を背中にくくりつけてやってきた。
「我は毘沙門天の冠に彫られた孔雀である」
毘沙門天さまの金鎖甲を預かっていただきたいと言う。
ツンと威張った孔雀を迎えたうりずんは、丁寧に正座をして金鎖甲を受けとる。畳んであっても嵩(かさ)高く、ずしりとした重さに落としそうになる。
「へへん! そよ風係のうり坊くん、金鎖甲は重いだろう」
孔雀が急に素っ頓狂な声で笑った。
「うり坊? イノシシの子みたいに呼ぶでない。ん? お前は孔雀明王さまに伸(の)されている……」
「ちょっ……伸されてるんじゃなくて、乗せてるの。そう! ボクは孔雀明王の相方のピーちゃんさ!」
「金鎖甲は、さぞ重かったろう」
「ははは、南国まで遠いから、毘沙門天さまの兜(かぶと)の孔雀から代わってくれと頼まれたのさ。ああ~~重かった!」
「万古老師匠の洞窟前で、子どもらと戯れているお前が?」
「でもほら、運んできたでしょ! ボクだってやるときゃ、ちゃんとやるんだよ」
「ああ。ご苦労だった」
「しばらく遊んでいっていいだろ?」
(金鎖甲を預かったものの、サビが落とせるかな?)
うりずんは考えこんでから、
「赫女! 悪いが今日はここまでにして、金鎖甲を磨くよ。じっとしていられない」
「え〜〜? 仕方ないなあ~~」
赫女は、しぶしぶ絵筆を片づけた。
うりずんはハシゴを登り、木造りの家にこもった。
託された金鎖甲は鈍い銀色になって、ところどころにミドリサビが出ている。
「これを金色に蘇らせるには……」
第二章 観音の領巾(ひれ)
水鉢に浮かべてあった仏桑華(ぶっそうか=ハイビスカス)の花びらをちぎり、サビた金鎖甲を磨きはじめた。
鎖のひと目ずつ細い隙間も花びらをこよりにねじり通して、磨いていく。瑠璃色のハチドリがブーンと飛んできて、うりずんの手元に細いクチバシを突っこみ、花の蜜を足してくれている。
「ふむ……」
磨き続けると、金鎖甲に少し金色が戻ってきたようだ。
二枚目の帷子(かたびら)を手にしようとして、紙が領巾に挟まれているのに気づく。優しい文字が書いてあるではないか。
『わらわの領巾ですが、毘沙門天さまの金鎖甲を磨かれる時にお使いください。お役に立てるやもしれませぬ』
衆宝観音さまのお手蹟(しゅせき)だ。さっそく領巾の布の端で金鎖甲を磨いてみた。たちまち黄金色で輝く。
「これはすごい! 領巾には魔除け作用があるらしいから、きっとサビの穢れも落とすことができるのだろう。ありがとうございます、衆さん」
遠く離れた愛しい人に感謝した。
領巾(ひれ)を、もう一度握りしめるや、口元へ寄せて匂いを含んだ。切なくなる甘酸っぱい香りだ。
「衆さん……、恋しいひと……」
(サビた金鎖甲に命を蘇らせて、闘う使命を与えるおつもりですか……まさか。私は季節を受け持つ者でしかない……)
金鎖甲と海老籠手は、見事に金色によみがえった。
丁寧に畳んで祭壇の上に置き、下がって背筋を伸ばして立ち直した。そして膝を床につき、衣に手を当てながらお尻の下に敷き、かかとを少し開いて正座した。
静かに合掌する。
(兜跋・毘沙門天さま、どうか勝利されますよう。敵も味方も怪我人が少なく――、吉祥天さまが悲しまれることのありませぬよう)
(いったい何者が日本に攻め入ろうと?)
うりずんは樹の上の家へ戻り、奥の書庫に入った。大陸の北に住む民族についての記録が並んでいる。書物ではなく空間に脳内の記憶を並べてあるだけだ。
心の眼が書棚を辿り……日本の10世紀前後の記録を探す。
「あった! これか!」
10世紀初頭、大陸の刀伊族(といぞく)が対馬へ侵攻。村人が犠牲になり、家畜も大量に奪われる。働き盛りの年齢の民は大量に捕虜とされる。次に壱岐へも侵攻。
壱岐では壱岐守(かみ)自ら応戦するも、またもや甚大な被害が出て、賊徒は九州にまで上陸したが、藤原隆家が土地の武者と一丸となって駆逐した。
記録はここまでしか残っていない。
うりずんは書庫を出て、孔雀のピーちゃんを口笛で呼んだ。金鎖甲を捧げ持ち、
「毘沙門天さまに……」
「それは、うり坊くんが持っていてほしいとか」
「戦士でもない私が持っていても、宝の持ち腐れ(もちぐされ)だが――」
「毘沙門天さまのご命令なんだから、そうしてよ」
第三章 都の少年
足で踏む感覚は、なじみきった豪華な檜(ひのき)の板張りか、美しい彩模様の縁を施した畳である。広い部屋に御簾(みす)が仕切ってある。
うりずんは、いつの間にか元服したばかりの隆家になっていた。
祖父上も父上、母上も絢爛豪華な部屋にいて、公達(きんだち)や女房が行き来する屋敷内で育った。幼児期から乳母には文字書きを習う前に「唐渡りの正座」という座り方を教えこまれた。
(父や兄たちは、幡足座(はんそくざ=あぐらに似た座り方)という座り方であるのに、何ゆえ麿(まろ)は正座を稽古するのか……)
不満が日々たまる。
「はい、所作は丁寧に……。お尻の下に衣を敷かれて……」
乳母が正しく教える。ほんのしばらくすると、
「いたたたっ! 足がじんじん痺れて……」
「工夫して座られれば痺れは軽減されまするっ。兄上さまは、修行の末にしっかりと正座がおできになられましたよ!」
乳母も側仕えの者も堅苦しく接するのが、窮屈で仕方がなかった。我慢ならず畳の上で大暴れしてみたりもしたが、弓矢の稽古や馬乗りの稽古の時だけが、仲間たちと気持ちよく汗をかけて日頃の鬱屈を発散できた。
十代半ばになる。順調に出世を重ねて権中納言の位に就いていたが――、父、藤原道隆が亡くなり――、政治の実権は従兄にあたる道長に握られていた。時は流れ、さまざまなことがあった。
17歳の夏、道長の家来と隆家の家来が乱闘騒ぎを起こした。その後、兄の伊周の女性関係の揉め事から、隆家自身、弓矢で相手の車を狙い打ちし、袖を射抜くという騒ぎを起こした。
ほんの少し「脅かしてやれ」のつもりが、相手が花山院だったので大騒ぎになる。「長徳の変」を起こしてしまったのだ。
兄の伊周は太宰府帥(だざいふそち)に左遷され、隆家も出雲権守に左遷されたが、都からほど近い但馬の地でとどまった。
周りからは「さがな者(荒くれ者)」と呼ばれた。
父親が入内させた一条天皇の中宮、姉の定子は3人めの皇子をお産みになられた直後、若くして薨去してしまった。
定子が皇子をお産みになることだけが、藤原北家を担う(になう)兄、伊周(これちか)の望みだった。ようやく願いが叶ったとたんに中宮を失った伊周の落胆は、惨憺(さんたん)たるものだった。中関白家の道長の長女、彰子が一条天皇に入内して皇后を名乗っていた。彼女が皇子を産めば――完全に政権を奪われたことになるのだ。
うりずんは不思議に感じた。
(何故、見てもいない花山院に矢を射掛ける光景や、隠遁(いんとん)していた但馬の風景など覚えておるのか……。これでは、まるで藤原隆家本人ではないか!)
――うりずんは我に返った。見えるのは日本の南国だ。
夜更け――、樹上の板張りに正座して、沖からの海鳴りを聞いていた。満天の星が見下ろしている。
(私は――、隆家に憑依(ひょうい)していたのか?)
背後にいた孔雀のピーちゃんが、ゆっくりと尾羽根を扇型に広げた。一斉に尾羽根が瑠璃色に光る。
「兜跋・毘沙門天さまから伝言だよ。戦いが近い。金鎖甲をつけて身を護れ! と」
(孔雀は、サソリや毒蛇をついばんで食べる益鳥(えきちょう)なのだ!)
第四章 大陸の少年
薄紫色に染まった火山の裾野を、野生の馬の群れが白い息を吐きながら駆けていく。今日も刀伊族の住む大陸の草原はよく晴れそうだ。
少年はボロ布をまとって地面の上に膝を折って座り、羊たちを見つめるが、もう数頭しか残っていない。
数十年前、彼方の火山が噴火したという話は聞き飽きた。今もその影響は残り、畑を耕せてもロクな作物は採れない。人間も家畜も常に飢えていて年々、羊が減るばかりだ。
彼方には溶岩が黒く固まっている。
「ソヨギがまた、へんちくりんな座り方をしとるな」
水を汲みに行く少年が、ペッとツバを吐く。
「爺さんが教えてくれたんだ。正座という」
父も母も兄弟もいない。血が繋がっているかどうか分からない羊飼いの老人に育てられた。
幼馴染みの少年が忌々しそうに、
「のんきに座っている場合じゃないぞ。村の男たちが船に武器をたくさん積んでいる。どこかへ食料と奴隷を分捕りに行くらしい」
ここのところ、老人は殆ど小屋で寝たきりだ。少年は黙々と世話をしている。
「戦いが近い……」
薄い粥(かゆ)をすすりながら、老人が唐突に言った。
「戦い……?」
老人の眼には緊迫した色が浮かんでいる。椀を置くや、
「おお! 若い時の血が滾る(たぎる)! 豊かな土地の食料を頂戴しに行くのじゃ! ハヤブサのように迅速と言われた我らじゃ!」
寝たきりだった者とは思えない気迫だ。
「……悔しいが今のワシには無理じゃ。村の若い男たちが団結して船が出る時に、お前は正座して『無事に村の者を、日本まで乗せてください』と船の神にお願いするのじゃぞ」
「船で海の向こうへ?」
「そうじゃ。村の者が目的を果たし、無事に帰れるように祈るのじゃ、若き憑依者シャーマンよ」
「シャーマン―――?」
「憑依した者からの世界が見えるじゃろう、音が聞こえるじゃろう……うりずん」
「うりずん? オラはソヨギだ!」
「ソヨギは『戦ぎ(そよぎ)』と『梵ぎ(そよぎ)』両方の意味を持つ。どちらを生きるかな? ソヨギ、お前の表の名は、うりずんじゃ」
ふと理解した。
「俺は――南国の早春の神うりずんだ……。思い出したぞ、お爺」
「ああ、お前は季節のそよ風、うりずんだ」
船の様子を見に行こうとして木戸を押した時、響もす(どよもす)声が引き留めた。
【うりずんよ……】
お爺の影が焚火の明るさを受けて壁に映る。甲冑の肩幅は巨大に広がり、恐ろしく逞しい体だ。
「誰だ?」
【我は兜跋・毘沙門天……。大陸の民は海を渡り日本に攻めこむ。略奪が行われ、血が流れよう】
「……!」
【お前は戦ぎ(そよぎ)であっても武器を持ってはならぬ。『護る』に徹せよ】
「いや、オラも戦わなきゃ……」
【ならぬ! 決して戦ってはならぬ。そのために金鎖甲を渡したのじゃ。ソヨギからも藤原隆家からも急ぎ、離れよ! 我から火斗仏(ほとぶつ)を送ってやるゆえ――】
「火斗仏?」
爺さんの身体がむくりと起き上がり、うりずんは大きな手に、むんずと捕まれた。
「それ、日本へ飛んでいけ!」
最後の一頭の羊を抱いたまま、うりずんは気を失った。
意識が戻った時には、ひすい色の海辺で白い羊が草を食んで(はんで)いた。
第五章 刀伊の入寇
日本で、刀伊の入寇と呼ばれる事件が起こった。
突然、壱岐に中型の外国の船団が五十隻ほどやってきて、小舟に分乗して大陸の人間が村人に襲いかかり、働ける男女だけを連れ去った。家畜も多数、食べられた。
よほど飢餓状態だったと思われる。数十年前、大陸のとある火山が噴火して、かなりの災害をもたらした。未だに山すそには冷えかけの溶岩が残り、地熱は冷めずに作物は作れない。
刀伊の人々は、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされていたのだ。
ピーちゃんから報告を聞いたうりずんは、
「道理で草もまばらで、家畜も飢えていたはずだ」
「うり坊くんよ、大陸のことを知っていたの?」
「ああ。私はシャーマンだ。大陸の子どもに憑依して、景色を見ることができたのだ」
「へええ、シャーマン。神秘的だと思っていたら」
「で、九州の人々はどうした?」
「都から来た貴族のタカイエっていう人が、太宰府帥(だざいふそち)っていう偉いお役目について、村民に慕われて弓矢の腕も優れているんだってさ。貴族の武者たちと土地の武者を率いて刀伊の人たちを追い返したらしいよ」
「ふうむ、『さがな者』って言われていた隆家がな……」
――お前はどうする?
兜跋・毘沙門天の声がうりずんに尋ねた。
「せっかくシャーマンとして、隆家と草原の少年の眼から景色を見ていたことだし……、未だに熱を持つ火山付近の地面をどうにかしたい」
「何か計画はあるのか?」
うりずんは、しばらく樹の上の板場に正座して考えていた。
「毘沙門天さま、氷の神様に会いたい。どこにおいでか教えてくださいますか?」
「氷の神とな―――?」
毘沙門天の考えこむ姿が見えるようだ。
第六章 ミミズクの案内
「氷の神に聞いても冷たいから『氷室(ひむろ)の親方』って者を訪ねてみろってか……つまんねえダジャレだな」
うりずんは故郷の南国を遠く離れ、信濃(しなの)という山の国へ飛ばされてきた。
信濃は、九州や中国地方、都の周辺国ではお目にかかれない高い山が連なっている。初夏に近いのに真っ白い雪を被っている峻険な山々だ。
「そろそろ地上を歩くか」
空からヒラリと着地した。
藁ぐつを履いて、時折、落ちてくる雪のために肩から箕(みの)を被り頭には笠を被った。耳がちぎれそうに冷たかったのが、少しマシになった、
しかし、山の森は鳥の声しかしない。
(マタギ(木こり)でも通ってくれないと話し相手がいないなぁ)
(誰かから聞かないと『氷室(ひむろ)の親方』のウワサが入ってこないもんな。誰か来ないかな)
木立の奥から視線を感じた。緑色に近いまん丸の眼がふたつ、並んでいる。
「ミミズクのとっつぁんよ」
「ホウ」
首をくるりと回して、ミミズクが反応した。
「この辺で氷の貯蔵してある氷室を知らんか?」
「日だまりの匂いのする、珍しいあんちゃんが来たと思ったら、何だと? 氷?」
「そうだ。こんなに日陰に雪が残っているところなら、氷室がありそうだと思ってな」
「氷室の親方にきかんとな」
「氷室の親方?」
「んだ。氷室の親方が、うんと言わねば氷に触ることはなんねえからな」
「そうなのか。山の掟も人間たちの戦いも、面倒だな」
ミミズクは飛び立ち、続いて、うりずんも飛び立った。
「まだ明るいが、見えるか?」
「なあに、すぐに暮れてくる。宵の明星の姫さんが綺麗なあんちゃんを早く見たがってる。おいで!」
鬱蒼とした山道を先導して飛んでくれる。
「あ! そうだ、あんちゃん。氷室の親方に手土産は?」
「手土産? 何も持って来てないけど」
ミミズクは枝に止まった。
「そりゃあ、マズいかも」
「親方は何を土産にすれば喜ぶんだ?」
「土産なら――決まっとる! キュウリだ」
「キュウリ? 氷室の親方はえらい巨漢だとか。好物はてっきり獣の肉か何かだと思いこんでいたが……」
「いやいや」
ミミズクは羽根をひらひらさせて、
「親方は新鮮なキュウリを冷やしてボリボリ食べるのが何より、目が無いんだ」
「へえ、この寒いのにキュウリか……」
氷室の親方が住む山小屋の入り口に到着した。
とたん――、巨漢と鉢合わせして、うりずんとミミズクは飛びのいた。
「な、何事?」
牛みたいな角を生やした色黒のデカい男が、デカい斧(おの)を肩にかついで出かけようとしている。
「あ、あのう……氷室の親方ですか?」
うりずんが声をかけると、振り返った巨漢は口に太いキュウリを3本もくわえている。
「ふぉ、ふぉうだぎゃ、あん(なん)だ、あんたは?」
「……南国のうりずんと申しま……」
巨漢はキュウリをバリバリと咬み砕いて飲みこみ、
「悪いが、今、急いどるがや! 谷川から、水光(みひか)姫さまからの供物キュウリが大量に流されてきたんだがや!」
「谷川から供物キュウリが――?」
「水光姫さまは水の神さま。氷室の親方に供物されても、不思議はありません」
ミミズクが応えた。
「キュウリを入れた氷の柱でも作られるのでしょう」
うりずんは、キュウリ入りの氷の柱を想像してみた。
「目にも冷ややかだし、キュウリも長持ちするだろう」
谷川に行ってみると、氷室の親方が谷川の真ん中の岩に立ち、上流から次々に流れてくるキュウリを網で受け止めている。それを河原に投げ上げて、斧でぶった切っていく。
「硬いんだがや! 水光姫さまのキュウリはの! しかし吾輩には咬みごたえがあってちょうどよい。たんと食べて身体を冷やさぬとならん」
バリバリとキュウリを咬みくだきながら、親方は言った。
第七章 戦いの計画
キュウリの山を束ねて背負い、親方の住処に戻ると、入り口に薄布の衣をつけた女人が正座をして迎えているではないか。
「こちらの女人は?」
「この方こそ、川上からキュウリを流してくださった水光姫さまだがや」
「そ、その座り方は!」
思わず尋ねると、
「水光姫さまは、神武天皇東征の折に、井戸から現れた水の女神さまだがや。吾輩の作る氷の水をくださる、行儀も文句のないお方だ。正座がどうかしたがや?」
「正座なら、ずいぶん稽古して慣れておりますよ。大陸でも日本でも、最近の流行ですもの」
水光姫とやらは微笑んで答えた。
「ところで青年、吾輩に何の用で参ったんだ~ぎゃ?」
「あ、そうでした!」
うりずんも正座した。
「南国の季節の神、うりずんと申します。こたび、大陸の刀伊から、壱岐、対馬、九州の一部に侵攻があり、日本の民が多数傷つき、捕虜として連れ去られたのです」
「そりゃ~知らなんだがや……、どえりゃあこった!」
「遠く離れておりますから、ご無理ありません」
「むむう……あんたは、どうやって知ったんだ~ぎゃ?」
「兜跋毘沙門さまの夫人、吉祥天さまから届け物があったのです。金鎖甲と腕に着ける海老籠手(えびごて)が。もし、南国でも戦いが起こった時の防御の戦闘着です」
「ちょっと待ちゃ~! 毘沙門天さまから金鎖甲をいただくっちゃ、あんたは何者だがや?」
氷室の親方はデカい眼を、よけいにひん向いた。
「私は、人の魂に乗り移ることができるのです。憑依能力が生まれつき備わっていて……」
「でら(すごい)カッコええの!」
「刀伊の入寇は何故、起こったのか、こたび、武勇の名を立てた藤原隆家の少年時代にさかのぼり、どんな境遇で育ったのか知るために憑依して……」
「なんとな?」
「同時に、刀伊族には何が起こっていたか知るため、ヒツジ飼いの少年ソヨギにも憑依して」
皆、しばらく黙りこむ。
「氷室の親方……」
「水光姫さま……」
ふたりは顔を見合わせた。
「いかが思われるがや? 姫さま」
「青年神の申すこと、あながちウソとも思われぬ。大陸では数十年前、神なる火山の噴火があり、いまだに作物が育たぬらしい」
水光姫が赤い唇を震わせた。
「やはり!」
うりずんは顔を上げて、膝をたたいた。
「刀伊の民らは飢餓状態になり、藁をもつかむ思いで侵攻を行ったようです」
水光姫が、
「藤原隆家と申す者が太宰府に赴任して人望を集め、戦に勝利したとか」
「姫、水くせえがや。刀伊という民族が襲来したことを存じておられたのかや?」
姫は慌てて更に頭を下げ、
「申し訳ございませぬ。親方さまは、氷室の氷を守ることとキュウリを召し上がることでお忙しいと思い……」
「そのキュウリ、いえ、氷が役に立つ時が来たのです!」
うりずんが叫んだ。
「火山付近の地面がまだ熱を持っているのなら、冷やさなければ作物が育つようになりません。氷を大量に地面に埋めこんでみたらいかがかと?」
「なんとまあ、とんでもにゃあ策をお考えになるのう、うりずんさんとやら。氷を運ぶのは大変な作業だがや」
氷室の親方はキュウリをバリッとかみ砕いて、気持ちがたかぶったようだ。
「毘沙門天さまが、火斗仏なるものを大量に送ってやるとのこと。それと……」
うりずんの手に、一振りの太刀が現れた。
「防御のためだけに使うよう、この太刀をお貸しくださった」
第八章 計画
氷室の親方は眉を寄せ、
「火山の噴火から数十年とはいえ、……地下深くには煮えたぎった熱源があるという。別名、火魔人(かまじん)とやら」
「火魔人!」
「氷の柱を何万本差しこんだところで、地表は紅蓮の炎の名残りで固まってしもうとるし、……何万年もかかかりそうだがや」
氷室の親方は唸った。うりずんは、
「親方は数万もの眷属(けんぞく)をお持ちだそうではないですか。数で攻めれば可能です!」
「うりずん青年……、そ、そうだなも……」
「親方も毎日、大量のキュウリを食べれば百人力の冷たさでしょう。そうだ、水光姫のお力も借りよう!」
うりずんは思いついた。
「キュウリを運ぶ流れを操っていたのは、神代(かみよ)の昔から存在する水光姫だ。火山の火口に水を流し入れてもらおう!」
水光姫の顔は冴えない。
「あの火山はとても強力よ」
「だが、放置しておけば刀伊族が食料に困って、またもや日本に侵略するかもしれない」
水光姫はしばらく考えこみ、背筋を真っ直ぐに立った。その場に膝をついて、
「山の神にお祈りしてから、毘沙門天さまのお知恵も借りましょう」
衣をお尻の下に敷いて、かかとの上に座り額を地面に着けて願った。うりずんも正座して、山の神に鎮まるよう願った。
取り巻く空気が、火山の熱とは異なる温かさを帯びた。
(ヤケドを負うような熱ではなく、神仏から守っていただくような温かさだ)
うりずんと姫は静かに頭を下げ続けた。
兜跋毘沙門天が「ぬっ」と現れた。
「正座して我を呼んだか、うりずんよ。信濃まで……」
「毘沙門天さま、お呼び立ていたしまして」
「これしき、我には一飛びだが……和らいだ気配がすると思えば、せせらぎの女神、水光姫ではおわされぬか」
「毘沙門天さま、お久しゅう」
姫は領巾(ひれ)をつまんでお辞儀した。
「毎日、キュウリを作って召し上がっておいでか、瑞々しいお肌ですな」
「まっ、お上手を!」
毘沙門天は「がはは」と笑った。
「そうだ、うりずん。我の金鎖甲は無事に届いたか?」
「はい! お預かりして、サビも落としました」
「刀伊の者どもが襲来した時、役に立ったか?」
「まだ身につけておりません」
「なに〜〜? 身につけていない? ……何故じゃ!」
「毘沙門天さまは筋肉隆々(きんにくりゅうりゅう)としたお身体ですが、私は細身です。金鎖甲がガバガバになって腰までズリ落ちてしまいます」
「……」
毘沙門天は、目に手を当てた。
「この……へっぽこ! オツムまでへっぽこになったのか!」
「……え?」
「うりずんよ! 金鎖甲が着る者の体型に合わせて、ぴったりと、フィ、フィ、フィ……えっと……」
「フィットですか?」
「そうじゃ、それを忘れたのか? トリセツに書いてあっただろうが!」
「トリセツは苦手なので、読んでおりません」
毘沙門天は顔を手でおおい、地面にくずれ落ちた。
第九章 決戦
氷室の親方の手下は、巨大な氷に何百本もキュウリを入れて柱を作った。五千本はあるだろうか。
自分も手下にも「もうイヤ」というほど、毎日キュウリを食べさせた。手下たちはすっかり冷たさの免疫ができて、冷えに強くなり、船や木の車で氷の柱を運ぶのも平気なくらいだ。
別の手下が火山の周囲に穴をたくさん掘り、氷の柱を放りこんでいく。親方の手下は数万という数だ。
――大陸の民は遠くから呆然と見ているばかりだ。
火山の噴火口には、昔の噴火の影響で湖ができようとしていた。
「湖に氷の柱を放りこめ!」
毘沙門天が叫んだ。太い氷の柱がどんどん放りこまれていく。
「気をつけろ! 湖の底には火魔人が潜んでいるぞ!」
「火魔人が!」
「うりずんよ。今日こそ、金鎖甲は身につけているな!」
「はい!」
「火魔人が炎の剣で向かってきても、お前は氷の柱を投げ入れる作業に没頭しろ」
「はい!」
その間にも、毘沙門天の遣わした指人形のような火斗仏が、配下の手を冷たさから守るために、手のひらに貼りついたりした。
「おお、ありがとよ、火の小っちゃい仏像さんたち。ぬくとい(温かい)わえ」
氷室の親方も礼を言いながら、氷の柱を運んだ。
水光姫も勇ましく指揮をとり、配下の女人に手伝わせてキュウリを補給したり、流れを火口に引いたりしている。その中には孔雀明王まゆらの姿もある。
火口の湖は水面を上げ始めた。
「ふむ、何万本の氷の柱を投げ入れたかな。ずいぶん湖の冷たさも増して、地下の熱も温度を下げたことだろう」
毘沙門天が大きな息をついて腰を下ろした。
湖を見下ろす火口の一角に、赫女がよじ登ってきて画板に紙を広げ、絵筆を持った。
「こういうスペクタクルな場面はスケッチしなくっちゃ!」
うりずんが、毘沙門天の足元に控えて正座した。
「地下の熱が冷えれば土地は生き返ることでしょう。何もかも、閣下のおかげ――」
頭を下げた時――、湖から、真っ赤な人影が飛び出してきた。
ピーちゃんが驚いて羽ばたく。
「うりずんどの! 背後から!」
水光姫の悲鳴が響いた。
巨大な赤い人型の化け物が、全身から火焔を燃え立たせながら、うりずんの背後に迫り剣を振りかぶった。
「火魔人のかたまりだがや! でらぁ~~、ちんちこちん(熱い)!」
親方が叫んだとたん、火焔の尾をひいた剣が、うりずんの背中にぶつかった。
ガキ―――ンッッ!
金鎖甲が剣を受ける凄まじい音が響いた。破ることができない。もう一度、火魔人が剣を振り下ろしたが、うりずんは太刀を持ち、受け止めた。刃(やいば)と刃が拮抗する。
うりずんのこめかみを一筋の汗が滑り落ちる。籠手を添えて、相手の太刀を押し返した。
「おのれえっ、小癪(こしゃく)な若造っ!」
火口の一角を崩して後じさりするや、火魔人はぐらりと傾き、炎の勢いを無くしていく。
そのまま、小さい炎となって湖に落ちていった。
「やった――! 金鎖甲が火魔人に勝った――!」
ピーちゃんが叫び、まゆらちゃんと抱きあった。
第十章 災い去り
「数年もすれば、山すそで作物が育つようになるだがや」
毘沙門天も、たくさんの火斗仏も水氷姫の姿も消えていた。
火口に残った湖が、平和な青い水を湛えている。
「これでしばらく、火魔人も地下でおとなしくしているだろう」
「良かったわね、うりずん。怪我はない?」
孔雀明王まゆらちゃんが尋ねる。
「ああ。金鎖甲と海老籠手のおかげで剣は衝撃だけで済んだよ。まゆらさんもピーちゃんもお怪我はなく?」
――ありがとうございます。毘沙門天さま。
北の空へ向かって、うりずんは正座して感謝した。
山すそには、刀伊族の平和な土地が広がっている。
「吾輩は疲れたぁ~ぎゃ。都の祇園社に戻るがや」
氷室の親方がアクビと共に言った。
「都の祇園社? 信濃の氷室では?」
「ああ。吾輩の真実の名は、牛頭(ごず)とスサノオいうて、ふたつあるのや。普段は都の祇園社におりますのや」
氷室の親方は、急に京ことばになった。
「なんですって! 」
隣でスケッチしていた赫女が立ち上がった。
「祇園社のスサノオの尊は細身の美男子のはず……! うりずんがあんな風にキュウリの食べ過ぎで太ったら――モデルができなくなるわっ」
「吾輩はキュウリばかり食べて、ほれ」
氷室の親方が太鼓のようなお腹をポンとたたき、
「布袋(ほてい)さまのようにタプタプになってしもたさかいなぁ」
うりずんが顔色を変えた。
「しまった! 私もかなりのキュウリを食べてしまった!」
金鎖甲を脱ぎ捨てるや、山を転がるように駆け下りていった。