[68]正座の女学生革命


タイトル:正座の女学生革命
発売日:2019/10/01
シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:3

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:44
定価:200円+税

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容
某瑛校に入学したナコは、運動神経も勉強もずば抜けてできるユイコと出会う。
ユイコはすぐに生徒の憧れの対象となった。ユイコは生徒会に入って校則を変えたいと考え、その思いを会長に伝えた。
会長は正座のできていないユイコに正座をきちんとすること、そして近々行われる近隣の女子校、某椎校との交流会を成功させることを条件に挙げた。
ナコはユイコが正座ができるようになるか、気が気ではない。
そして交流会の日を迎え……。

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本文

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 これは現在より十年ほど遡った頃の、とある地域にある女子校の物語だ。都心に向かう上り電車の途中駅には高校が点在している。そしてとある地域には、お作法、お花、お茶の授業があり、礼も正座もきちんとした古き良き時代のお嬢様を反映する教育の行われている某瑛校、国公立大学への高い進学実績を誇る某備意校、優れたスポーツ選手を育成する某椎校とがあった。それぞれの特徴がはっきりとしていることから、近隣の女子校同士でも、このうちの二校、或いは三校を受験する生徒は皆無であったが、『ご近所の女子校』という点から、交流の試みがこの年、生徒会同士により行われる運びとなったのだった。

 護利ナコは、入学早々、「この子はスポーツ選手を育成する某椎校と間違えてうちの高校を受験してしまったとんでもないうっかりさんでは?」と思う事態に遭遇した。
 同じクラスの天城ユイコは、入学早々にかっとばした存在だった。
 繊細な美少女という風情の生徒の多いこの学校で、容姿端麗な子がそれだけで目立つ、ということはあまりなかった。しかし、雰囲気だけではなくすらりとした均整の取れたスタイルに、ハッキリとした容姿のユイコは明らかに桁違いの美貌だった。手の届かない上流階級のお嬢様では、と密かに思っていたが、昼に中庭でバレーボールをしない? という輪に加わったかと思うと、ボールを追いかけ、優雅に散歩をされている学部長先生をさっとどかし、転がるようにしてレシーブを打ち返す。「天城さん、大丈夫?」と周囲がざわつく中、「まだまだ!」と走り出している。ユイコのボールへの執念とずば抜けた運動神経に、ナコはただただ驚くばかりだった。某瑛校は基本的にどの教科も、優れた教師が指導していることで知られている。体育の授業も、体操のボールやリボンなどを習う時間があり、体育祭では一年生から三年生までの全生徒が、ダンスとともにその技を披露する圧巻の演技も注目されていた。もともと従順で言われたことをきちんとこなす生徒ばかりの学校なので、多少の苦手意識があっても、某瑛校の生徒は教えられたことは努力する。そういう観点から考えれば、某瑛校は極端に運動能力の水準が劣るというわけではなかった。ただ近隣にスポーツに力を入れる某椎校があることや、自主的に部活で力を発揮するのびのびとした公立高校もあることから、『指導されたことはできるけれど、そこまで積極的ではない』というのが、某瑛校の生徒のスポーツに対する一般的な捉え方となっていた。ナコもそれに然りである。某瑛校に入学してからは体育祭に向けてのダンスや体操の指導は丁寧だし、やはり身体は動かせば気分も向上する。そういう自分はこの学校に合っているとまんざらでもなく思っていたところへの、ユイコの登場だった。誰の指導もなしにあんなにも動きまくり、しかも多数の分野のスポーツにおいてかなりの運動能力を発揮する人は、それこそスポーツ推薦で有名な高校に進学した中学校の同級生の中でもいたかどうかわからない。
 更に「この方はもしや、某備意校を受験するはずが行き先を間違えた方向音痴さんでは?」と思う事態にもナコは遭遇する。四月中旬にあった実力テストで三教科全て一位を取ったのがユイコだった。机に広げられたままになっているノートを通りすがりに見遣ると、その整然さ、詳細さに目を見張る。単願でどうにかこの高校に入学でき、これから遅れを取らないようにと肩に力を入れていたナコにとって、ユイコの学習能力は、己のこれまでの学習体制の稚拙さを強く意識させたのだった。
 何もかもが優れているこの同級生を前に、ナコは焦燥や妬みを全く感じなかった。
 確かに体育の時間、同じ時間、同じ内容の授業を受けているにも関わらず、リボンでもボールでもできるようになっているユイコを前に、未だに必死に転がったボールを追いかけていると惨めな気もするし、数学の問題が全然できない横で、問題をとっくに解いて居眠りしているユイコを見ると大きな敗北感も抱く。
 けれど、この人はこういう人だ、とユイコは思わせる力があった。
 自分と同一線上に捉えるべき人ではないと認識するばかりで、その成功を妬む気が全く起きない。
 そういう人がいるのだと気付くと同時に、そう思うのはナコだけではないことも次第にわかってきた。
 しかし、周囲はナコののんびりとしたユイコの捉え方を突風のように追い越し、『憧れ』という名の熱視線をユイコに送るようになっていた。おっとりしたお嬢様ばかりの学校だと言われているし、その通りだともナコは思っていたが、女子の本能は性格とはベツモノらしかった。


 ユイコは隣の席の、数少ない普通の相手として接しているナコによく話しかけるようになった。ユイコはとにかく頭もいいし、運動神経も群を抜いているけれど、意外とそそっかしい。うっかりしていることもある。そういう時、頼られるのがナコだった。ナコはユイコのほかに、後ろの席のサエとも仲良くなった。サエには、サヤという中学生の妹がいて、親はサヤもこの学校に入れるつもりだし、それが本人の希望だと話していた。サエはユイコとは逆に飛び抜けて何かができるということはなかったけれど、連絡事項をきちんと聞くし、周囲への気配りの達人でもある。そのおかげもあって、ユイコと一番親しい位置にいるナコは、ほかの女子に嫉妬されることなく、うまく友情を育めていた。
 お作法の授業の初回、出席番号順でなく自由に座れる、という時にもサエはそれとなく、入学当初からユイコと話す機会を探していたクラスの女子が隣に座れるように配慮し、更に正座が苦手らしいユイコが足を投げ出しかけた時、前の子に当たったとすぐに気付いて謝るようにも教えていた。ユイコは若干面倒くさそうにしてはいるものの、サエの配慮でさまざまなことがうまくまわっていることを理解しているので、素直に言うことを聞いている。
 そして、サエはお作法もお花もお茶も、すでに心得ているようなところがある。何より和室での授業でのサエの正座は背筋が伸びていて、本当にきちんとしている。
 しばらくしてナコは、サエのような子が、本当のお嬢様というものなのかも知れない、と思ったのだった。
 しかし、そんなサエですら、手に負えない事態をユイコは起こした。
 ユイコは生徒会役員募集の話を聞き、早速生徒会に入ると言い出した。運動部からも文化部からもスカウトがひっきりなしにきているユイコだったが、どれか一つに打ち込む気は起きない、という理由で部活には入っていなかった。そのユイコが自らやる気を出したのが生徒会だった、ということだ。そしてユイコはナコとサエはどうする? と訊いた。サエは人前に出るようなことは苦手なので、と早々に断った。ナコはどうしようかと思っているうちに、とりあえず行くだけ行ってみよう、という状態で、生徒会室に足を踏み入れた。
 生徒会室に堂々と入室したユイコを、生徒会役員は一瞬「この子が今年の我が校の王子様」と小さく呟きこそしたものの、すぐに冷静さを取り戻した。
 テーブルの方には議案書の資料が山積みになっていて、「奥へどうぞ」と畳の座敷へと案内された。
 そこで会長をはじめとする生徒会役員と向かい合ったユイコは、生徒会への志望動機を訊かれ、「この学校の校則を変えたいからです」と答えた。生徒会役員の先輩方は、ここで顔を見合わせた。某瑛校は、やはり私立の女子校ということもあり、公立高校に比べると細かな校則が存在する。入学する生徒はそれを承知していることが大前提であり、面倒など言いながらも、これが我が校、とどこか誇らしさを抱いている面もないわけではない。
「どういうことですか?」と穏やかに尋ねた生徒会長に、ユイコは「この学校はとてもいいけど、堅苦しいところがあります。実際にこの学校で過ごしてみて、必要な校則もあるし、生徒にも先生にも必要なさそうな校則もあると思いました。それを変えたいです」と答えた。
 さすがにマズイ、とナコは思った。『では、どうしてこの高校に来たのですか』と訊かれても仕方がないし、この高校の校則を知っている上で入学し、生徒会役員をしている先輩方を前にユイコは『必要なさそうな校則』と明言してしまった。
 先輩方を見る勇気がなく、正座をした膝の上で指を組んだり、ほどいたりしながら、じりじりと事の行く末を見守る。
「護利さん、あなたも天城さんの意見に賛成なんですか?」
 ふいに話をふられ、「え」とナコは顔を上げる。『違います。私はこの高校に不満はありません。天城さんとは無関係です』と咄嗟に言いたくなる衝動を抑え、ナコは深呼吸する。ナコはユイコを嫌いではない。いや、友達として好きであり、憧れてもいる。そして、自分では決して口にできないことをこうして堂々と言える。ナコだけではない、ほかの生徒が生徒同士ではぼやいても、決して先生や生徒会の先輩方の前では言わないことを、ユイコはほかの子同士では愚痴らず、きちんと伝える場で明言している。その正しさ、潔さに、目の前が明るく拓けた気がした。今、とてもナコは生徒会の先輩方を前に怯えてはいるけれど、それ以上にわくわくしてもいた。この、隣にいるとんでもなく素敵な同級生であり、友達が、これから何をするのか見たい気持ちが抑えられない。ナコは正座をきちんとし直し、背筋を伸ばす。
「あの、今の天城さんの意見は唐突だとは思います。ですが、新学期から天城さんをクラスメイトとして見ていて、とても優秀な方だと確信しました。だから、その、それほど支離滅裂な意見ではないと思いますし、天城さんの意見を少し聞いてもいいかな、とは思います」
 先輩方が顔を見合わせる。
 ああ、生徒会からのブラックリストに載ってしまった、とナコは若干自分の発言を後悔しかける。
 そのナコの感情を読み取ったのか、全く意に介さないのか、会長は「そうですか」と言って続けた。
「そうですね。我が校の新入生の意見を門前払いしようとは考えていません。その意見を支持してここまで来てくださった新入生も同様です。まずは、仮の役員として生徒会に入ってもらいます」
 え? 生徒会に入るかどうかってことで来たはずだけど、とナコが思っている間にも、会長は話を続ける。
「そして、二週間後に我が校では今年初めての試みとして、某椎校との交流会を行い、某椎校をおもてなしします。某備意校もご招待したのですが、卒業生の作家の先生をご招待しての特別授業が入っているとのことで、どうにか調整を考えてくださったようですが、今回は見送りになりました。とても残念がってくださっていて、是非次回は、というお約束をしています。今回の交流会が成功しなければ、某備意校とのお約束も危うくなる重要な会ということです。まずはこの交流会に生徒会役員として参加し、成功させられたら、お話をお聞きしましょう」
 会長が不敵な笑みでユイコを見ていた。
 ユイコは「わかりました」と頷く。
「それから」と会長が鋭くユイコを睨む。
「はい?」
「まずはきちんと正座できるようにしてください。これでは某椎校の前に出てもらうことも無理ですから」
 なんとユイコは生徒会役員の先輩方を前に、正座をせずに座っていたのだ。
 これにはユイコも『しまった』という顔をしていた。
 しかし、すぐに「おまかせください」と言い、「ナコ、頑張ろう」とこちらを見た。やっぱり? とナコは心の中で力なく笑う。なんとなくだけど、巻き込まれる気はしていた。付き添いのつもりで来たナコだったが、どうやら生徒会に仮扱いで入ることがもう決まってしまったらしい。
 ナコを見て、「助かるわ。生徒会は常に人手不足なの」と会長は、正座で背筋を伸ばした姿勢のまま、高らかに笑ったのだった。


 事実上、生徒会長を前に入学して間もない一年生のユイコは学園の校則批判をし、生徒会長の宣戦布告を受けるかたちとなった。できるだけ穏便に過ごしたいらしいサエは、「ごめん、これについては私は関われない」と早々に宣言したのだった。そうは言っても、生徒会以外の面ではいつも通りである。このあたりの無理なことを無理とハッキリ伝えて、それを了承して関係を続けられるドライさがナコは好きだった。周囲を見ても、親友のような子たちが必ずしも同じ部活に入っていることもないし、別のグループの子と行動をともにすることもあって、それで友情が終わる、ということはない。これは中学校の頃にはかなり難しいところで、それが可能なのはこの学園の校風ならではだとナコは思ったのだった。ユイコにしても、こういう点での友達関係には満足しているようだし、この学校に満足している上で敢えて新たな改革をしたいと思っていることは理解できる。
 ただ、あのやり方は直球過ぎないか、と思い返すと溜息がでるし、事実上、あの場でユイコを止められたとすればそれは自分だけだったのにという気も今更ながらにする。
 おまけにあれだけの大口を叩きながら、ユイコはこの学校で重んじられる基本中の基本の正座がきちんとできていなかったのだ。しかも、先輩方がきちんと正座をしていたにも関わらず……。
「ねえ、本当に正座の方、大丈夫なの? 私は生徒会のおもてなしに関してはそんなに心配してないよ。だけど、あれだけ大見栄きって、おもてなしの最中に足が痺れたって、転んだりしたら校則を変えるどころか生徒会役員になれるかどうかもわからないよ」
 受験前の母親のように、ナコはユイコの後について同じことを何度も口にする。ユイコはナコの心配をよそに「大丈夫、大丈夫」と言うばかりだった。
 そして昼休みは早々に中庭の方へ遊びに出掛けて行ってしまい、時にはそれで疲れたのか午後の授業中にうたた寝していることもあった。
 放課後は仮の役員扱いではあるが、交流会のための会議にはユイコとナコも参加し、準備も手伝っている。茶道でのおもてなしのお茶菓子は発注済みで、人数が多いので、茶室ではなく、茶道を習う時に使用する和室を借りるよう手配してある。給食がお休みの日なので取り寄せるお弁当も決めてあるそうだ。
「会長、お茶の前の交流は体育館でバスケって書いてありますけど、その練習はいいんですか?」
 ユイコが訊き、会長は首を傾げる。
「特に予定には入れていません」
「せめて走りこみと、ボールに慣れる程度の練習はしておいた方がよくないですか?」
 生徒会役員の一同は顔を見合わせる。
「気が乗らないかも知れないですけど、試合終了までに走れない、一点も取れない、ではさすがに恥ずかしいと思います」
「……わかりました。ただし、みなさん塾や習い事も多いですから、あくまでも時間に余裕のある人のみの練習を各自で、ということでいいでしょうか。体育館は各部活が使用していますから、中庭か、トレーニングルームでの練習ですね。ボールを借りることは体育科の先生に話しておきます」
 ユイコは若干不満そうな顔をしていたが、それ以上は言わず、ナコは内心安堵したのだった。
 今、生徒会役員は初めての交流会に向けて、いかにこの学校が素晴らしいかを含めた上でのおもてなしを想定している。正直、小学校の頃からおおまかなルールを知っているバスケに時間を割く余裕はなさそうだった。そして、会長は『正座の方は大丈夫なのですか』という目をユイコに向けていたようだが、ユイコがそれにどこまで気付いていたか、定かではなかった。


 某椎校が交流会にやって来たのは、前日までの雨が止んださわやかな日だった。
 お互い私立高校で土曜日も午前授業があるので、最初は昼食会からだ。
 先生方が注文されるお寿司弁当専門のお店からこの日のために届いたのは、お赤飯に魚の切り身、煮物、栗などが小さく区切られた枠内にきれいに詰められた弁当だった。昼食代は後で集金予定だが、設定金額よりもワンランク高いものを選び、不足分は生徒会費から出すことになっている。後でおもてなしするお茶会のお茶菓子代も生徒会の交流費負担になる。
 某椎校の生徒会役員はスポーツ推薦ではなく、一般受験で入学した生徒さんらしいが、それでも力のある視線やしっかりとした肩幅の高身長な点からもスポーツをするのに恵まれた体格、という印象があった。
「今日はよろしくお願いします」と声を張っての一同の礼は爽快で、一瞬圧倒されたが、ここは某瑛校の生徒会で、すぐに自己を取り戻し朝礼でしっかりと指導されている礼をし、「ようこそおいでくださいました。本日はよろしくお願いいたします」と優雅な笑みを見せたのだった。
 初の交流会の昼食は、簡単な自己紹介の後、それぞれの学校の特色などについての話題になる。
 某椎校は全国レベルの運動部がいくつもあり、全国大会予選では生徒が応援に行くのだと言う。吹奏楽部や一部の文化部の活躍はあるものの、そういった課外授業のない某瑛校生徒会はそれを興味深く聞く。某椎校の生徒会は明瞭な声量と率直な本音のツッコミを交えた話を展開し、初対面の某瑛校の生徒会の気分をほぐしてくれた。しかし、いかせん体育会系の学校と、おっとりのんびりのお譲さん学校では食べる速度が異なり、遅れを取った某瑛校は、某椎校に先に更衣室に行ってもらうことにした。某椎校はお弁当の容器の分別を確認して手早く片付け、「お先に」と生徒会長が場所を伝えた更衣室へ向かった。
 いつものペースより若干急いで食事を済ませた某瑛校は、テーブルを拭き、食堂の戸締りをする。「あ、スポーツドリンク、渡すの忘れていた」と先輩がテーブルの横に置いてあったスポーツドリンク十二本入りの二箱に気付く。
「それ、私とナコの二人で持って行きましょうか」とユイコが言い、「お願いできる?」と言われ、ナコとユイコは箱を持ち、先に更衣室へ向かった。
 更衣室からは楽しそうな話し声が聞こえてくる。
「弁当、肉入ってなかったね」
 ぼそっとした声に、大爆笑が起こる。
「この更衣室、やたら豪華」
「体育の時しか使ってなさそうだけど」
「あのお嬢さんたちとバスケって、どうすんの?」
「本気とか、無理でしょ?」
「こっちは全員左手でやることにする?」
「それでも勝つかも」
 廊下でそこまでナコとユイコは聞き、話題が某椎校の先生の話に変わったところで足を踏み出そうとした。その時、二人の後ろに生徒会の先輩たちがすでにいたことに気付いた。
 先輩たちは立ち聞きした内容には触れず、いつもと変わらない笑顔で「早く着替えましょう」と言った。
 ある種の腹の据わり具合に、ナコは改めてこの生徒会を怖いと思ったのだった。


 某椎校とのバスケ交流試合は、開始早々にユイコの決めた先制点で某椎校のやる気を加速させた。先ほどうっかり聞いてしまった某椎校の会話からユイコが俄然闘志を燃やしたのか、ユイコにとっては通常運行なのかはわからないが、とにかくユイコはその運動能力全開で試合に挑んでいるらしかった。
「え」という顔をした某椎校はすぐに戦闘態勢に切り替え、ユイコをマークする。囲まれたユイコはそれでもボールを奪い取ると、「会長!」と先輩である生徒会長を呼び、ロングパスを回す。強力なディフェンスを突破し「ナコ! シュート」と指示を出す。
 素早い某椎校のパスからボールを奪い取れるのはユイコだけで、そこから出されるパスをも某瑛校の生徒会は、何度もあっさりと某椎校に取り返される。どうにかパスを受け取れても、シュートを外す。
 それでもユイコは一度もチームの誰かを叱責しなかった。
 何度でもボールを奪い、パスを回す。
 その辛抱強さ、前向きさ、そして心身のしなやかさに、ナコは改めて天城ユイコという同級生の人を引きつける所以を知った。
 ユイコの出したパスが某椎校のディフェンスで、コートを転がる。それをナコは追い掛け、某椎校より先に取る。すぐに囲まれる。
「ナコ」
 ユイコの声の方に咄嗟に投げたボールは、ユイコから副会長へと渡り、シュートが決まった。某瑛校の生徒会の表情から強張りが消え、笑顔になる。
「何、あの一年生」
 某椎校の三年生が息を切らしながら小さく呟く。
「会長!」とふいにユイコが叫ぶように会長を呼ぶ。
「バスケ、楽しいですね」
 その言葉に、さっき更衣室前で聞いた某椎校の会話への返事をこの試合できっちりしましょうという意図を、某瑛校の会長及び生徒会役員は理解した。頷いた会長は、次第にユイコに指示を出される前に動けるようになり、「ユイコ!」と呼ぶようになった。ユイコは会長に視線を向けながら左横の副会長にパスを回し、そこから会長へとパスが渡り、シュートが決められる。部活へ行く途中、体育館前を通って観戦していた某瑛校の生徒から歓声が上がった。
 すごい!
 コート内を汗だくで走りながら、ナコはユイコを見た。
 頑張ることで、働きかけることで、こんなにも大きな変化が起こる。
 それは一人で何かを頑張ることとは違った、多分、この場にいる某瑛校の生徒会の先輩方、そして某椎校の生徒会の誰がいなくてもなし得ることのできない奇跡のような気がした。そして、その奇跡を起こしたのは、紛れもないユイコだった。
「ナコ!」
 ユイコから会長、そして会長からのパスを受けたナコがシュートし、点差が縮まる。
 知らない某瑛校の先輩が「ナコちゃん」と声援と拍手を送ってくれる。
 途中、メンバーチェンジをし、全員が試合に参加し、ベンチに下がる時には精一杯声援を送る。
 某瑛校の生徒会役員は果敢に試合に挑み健闘したが、さすがに某椎校には敵わなかった。
 しかし、試合終了後某椎校は握手を求め、「楽しかった」と言ってくれた。
 生徒会長は某椎校のその言葉に一瞬の間を置いた後、じわっと涙ぐんでから「ありがとう」と笑った。
「今度、某備意校が来る時には何する?」と訊かれ、「オセロが神経衰弱くらいで手を打ってもらいましょう」と会長は答え、笑いを誘い、ユイコは真剣に「会長、今日から生徒会でオセロと神経衰弱の特訓を始めましょう」と提案したのだった。


 着替えた一同は休憩後、茶道を行う和室に向かう。
 そこでお茶のおもてなしを某瑛校の生徒会役員が行う。
 某椎校は緊張の面持ちでいたが、ナコは別の意味で緊張していた。
 さっきのバスケは試合に負けはしたものの、交流会として大成功をおさめたが、果たしてユイコは正座がきちんとできるのだろうか。さんざん走り回った後で体力を消耗したユイコは、会長からの忠告をすっかり忘れてはいないだろうか。
 ここでナコは、どうして時間があったのにユイコに一言正座をきちんとするように伝えていなかったのだろう、と自分の至らなさに気付いた。ユイコがバスケを成功させたのなら、ナコにとっての役目はまさにユイコの会長から課せられた『正座をきちんとする』というミッションをクリアさせることに他ならなかった。ああ、シュートを三回決めて、見ていた先輩たちから拍手なんかされてすっかり舞い上がって忘れていた、と後悔しても後の祭りだ。
 会長をはじめとする三年生の先輩が、三人ずつにわかれて座ってもらった某椎校におもてなしをし、ユイコとナコ、二年生の先輩は、ふたつに分かれ、それぞれに二年生のおもてなしをする役の先輩からお茶をいただくことになっている。
 ナコは正座をし、恐る恐る隣を見る。
 あ、と声を出しそうになった。
 ユイコは実にきれいに正座をしていた。
 以前お作法の先生から正座の指導を受けた後に、サエから「先生も言っていたけど、背筋を伸ばして。それから膝はつけるか握りこぶしひとつくらい開く程度で。スカートは広げないでお尻の下に敷いて。足の親指同士が離れないようにしてね」と教えられたが、ユイコはそれを忠実に守って正座をしていた。
 もともと容姿に恵まれ、すらりとしているユイコはこうしてきちんと正座をすると、どこぞのご令嬢、という感じさえする。
 そして、更に驚いたのが視線の先だった。
 スポーツ三昧で、日本文化とは縁遠いと思っていた某椎校の生徒会一同は表情を硬くしながらもきれいに正座をし、お茶に挑んでいる。
 某瑛校の生徒会三年生、おもてなし役の二年生はさすがの所作の美しさで、お茶菓子をお出しする。お茶に関しては、一年生はまだ最初の授業でお道具の確認までの段階だったため、生徒会長からナコとユイコは簡単にお作法を教えられていた。某瑛校の文化祭で茶道部に行けばお茶も体験できたのだが、残念ながらナコもユイコも中学校時代に訪れた文化祭で茶道部には立ち寄っていなかった。言われた通りのお作法でお菓子をいただく。こういう時、サエであれば構えることなく、極端な話、ナコが家で菓子パンを食べるくらいの感覚で、お菓子をいただくのだろうことが想像できた。
 慣れない正座の上に、和菓子をお作法に則っていただき、その後にお茶の登場は、なかなかに緊張する。自校のナコですら緊張するのだから、某椎校はどれほど緊張していることだろうと思うと、某椎校の足を崩さない正座やしっかりと伸びた姿勢には、頭がさがる思いだった。さっき更衣室で好きなことを言っていた彼女たちも、今回の交流会に向けて時間をやりくりし、準備をしてきてくれたことが十二分に伝わってくる。
 多少のことはおおらかに構えましょうという心持でいた某瑛校の生徒会一同は、某椎校の交流会に対する姿勢に感服し、お茶の時間は終了した。
 終わった直後、さすがに某椎校は足の痺れを我慢できず、よろめいてはいたが、某瑛校生徒会役員は某椎校の努力に対し、感慨深い気持ちになっていた。ユイコが初めに手を貸し、ほかの某瑛校の生徒会役員もそれに倣う。
「忙しい中、お茶の勉強をしてきてくださったんですか」と某瑛校の生徒会長が訊く。
 某椎校の生徒会長は「余裕でやるつもりだったんだけどね」と笑った。
「ありがとうございます」と某瑛校の生徒会長が某椎校の生徒会長に手を貸したままお礼を言う。自然と礼をするのは、某瑛校の習慣が染みているからだとナコは思った。某瑛校の生徒会長に「ありがとう。もう大丈夫」と言って、若干心もとない足取りで歩く某椎校の生徒会長は、「せっかくの交流会だし、私たちは某椎校からの最初の代表者だから、できることはしようと思って」と続けた。
「そっちこそ、バスケ、練習したの?」
 某椎校の生徒会長に訊かれ、某瑛校の生徒会長は少し逡巡し、「今年生徒会に入った天城からバスケについては指摘があったのですが、実はそれほど私は重要視していなくて、個人練習を少ししただけだったんです」と正直に話した。
「天城さん?」
 某椎校の生徒会役員がユイコを見る。
「すごかったね。うちの学校のバスケ部でも通用しそうな勢いだった」
 素直な賞賛の言葉に、ナコはユイコが勉強もすば抜けてできることを言いたくなるのを堪えた。
「ありがとうございます。でも、とてもとても無理です」
 ユイコにしては珍しく、謙遜する。
「天城さんは、どうして某瑛校にしたの?」
 そう某椎校の生徒会役員に訊かれたユイコは、「この学校は私ができないことを学べるからです」と答えた。
「バスケも勉強も好きですけど、私はお作法とか、お花とか、お茶とか、着付けとか、そういう日本文化は学んでいないので、そういうことをこの学校で学びたかったんです。それに、この学校は穏やかでお上品な生徒が多いって思われていますけど、その実我慢強くて努力家で、その上に優しさや穏やかさが成り立っているんですよね」
 某瑛校の会長がつと、ユイコを見るのにナコは気付いた。
「そういう校風が私はとても好きで。生徒会に入って、そういう校風をもっとよくしたいし、この学校を作っている一人一人の生徒がもっと自主性を持てたら、今よりも更にこの学校は魅力的になると考えているんです。それをこれからやると思うと、楽しみで仕方がないです」
 某椎校の生徒会長は「うちの学校もいいよ。うちの学校に今からでも来ない?」と言い、「歓迎しますよ」とほかの某椎校の生徒会役員も半ば本気の姿勢で頷いた。
「天城はうちの有望な人材なんで、交流会では使っていただいて構いませんけど、スカウトは御遠慮願います」
 間に某瑛校の生徒会長が入る。
「残念。じゃあ、次の交流会は某備意校も一緒にうちの学校で。お昼は人気のからあげ、コロッケランチを出します」
「楽しみにしています」
 そんな挨拶で、第一回の交流会は終了した。


 交流会の後、ナコとユイコは生徒会選挙を経て正式に生徒会役員になった。もともと人見知りやあまり遠慮のないユイコは、すぐに生徒会室にもなじみ、よく奥の畳で先輩方と議論を交わしている。ユイコの将来性は認めたものの、まだまだ甘さを指摘する先輩方だが、最近ユイコの正座については何も言わなくなった。先輩方は、交流会の準備はもとより、ユイコへのナコの働きかけをきちんと見ていて、交流会後にねぎらってくれたのだった。またユイコは陰ながら練習したらしい交流会の後も、サエの指摘を受け、お作法、お茶、お花の時間にきちんとした正座を心がけ、その成果が現れ始めた。ユイコの正座をきちんとさせたサエの噂を聞きつけた先輩方は、頻繁にサエを生徒会にスカウトしているが、今のところ、丁重にお断りをされている。
 運動神経、学習能力、そして正座も完璧に近付きつつあるユイコが、生徒会選挙にて、投票者数と獲得票数が同数という驚異的支持を得て生徒会長に当選する、ある意味学園の歴史的な出来事をナコが間近で見るのは、まだ少し先のことになる。


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