[70]ザブトンくんは知っていた


タイトル:ザブトンくんは知っていた
分類:電子書籍
発売日:2019/10/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:44
定価:200円+税

著者:海道 遠
イラスト:keiko.

内容
 ザブトンくんは、長きにわたり名門一之宮家の押し入れに詰め込まれた座布団の一枚。
ある日、お座敷に引っ張り出される。一之宮家のひとり娘、美麗がお見合いをすることになったのだ。
やってきた男は商社マンのイケメン、枕元 薫。
その男の正座と言ったら、ザブトンくんが何百人と乗せてきた中で、完璧な正座をするのだった。
なぜか、やんちゃ盛りの甥っ子まで連れてきた。
 さて、お見合いの行方はどうなることか。
ザブトンくんは美麗の相手の敷くことになってしまったが……。
美麗の赤ちゃん時代や習い事始めの六歳の頃より、常に一緒にいるザブトンくんは不安でならない。

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本文

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第 一章 引っぱり出された!

(うわっ、眩しい!)
 ザブトンくんは、真っ暗な中から急に光がいっぱいの世界へ仲間三十枚と一緒に引っぱり出された。何日ぶりだろう。次々と広い奥座敷に並べられていく。
「お、おい、何の騒ぎだ、これは」
 隣の座布団仲間にきくと、
「忘れたのか、今日は美麗お嬢さんのお見合いじゃないか」
「あ、そうだった……」
 ザブトンくんの紫の閉じ糸がダランとなった。ザブトン「くん」とは言っても、真紅の絹地に柄は華やかな菊や花車の刺繍だ。
 美麗お嬢さんとはザブトンくんがいる旧家一之宮家のひとり娘で憧れの的。小さい時から見守ってきたが、花もほころぶ十八歳になった。そしてお見合いの話が来たのだった。
「さあ、今日はあなたたちが活躍する花の舞台ですよ!」
 やる気満々であちこちに声を張り上げているのは、この家の主みたいなばあやさんだ。美麗お嬢さんの乳母でもあるから、緊張しながら皆を叱咤激励している。
 座布団連中がそれを横に見て、
「お見合いからこんなに騒々しいんじゃ、この後、お結納や結婚式まで大変な騒ぎになるぞ!」
「それにしても、お見合いにこんな沢山の親せきを呼ぶとは、大げさな家系だな」
「美麗お嬢様は、一之宮家の跡継ぎになる方だからな。婿どのがどんな人か、親せき中で拝見するのさ」
 ザブトンくんは面白くない。ひたすら面白くない。
「薔薇より百合より牡丹よりカトレアより、美しい美麗お嬢さんが結婚だなんて!」
 大反対だ!
 屋敷に運ばれる時、洋間のクッションのふわ子が、バサバサのレースの飾りを見せびらかしてジロリと睨みつけた。
 美麗お嬢さん専用の、西陣織り座布団、白菊ちゃんまで誇らしげにしている。

第 二章 お嬢さんの相手

 今日の美麗お嬢さんは、一段と艶やかだ。お祖母さんから受け継がれた豪華な古典柄の振袖をまとい、お母さんとばあやさんにデカい帯を結んでもらった。
「お嬢様。今日は、一世一代の正座をなさっていなくちゃなりませんよ」
 ばあやさんの「言わずもがな」のお説教が始まった。
「お部屋に入られる前にお廊下で正座。静かに襖を開けて、一旦、立ち上がり、部屋の中へ入って再びお座りになってから深くお辞儀をなさる。その間、足元や手元が揺るがないように、お気をつけて」
「はい」
「そして、お座布団のところへ行かれたら、速やかに正座をなさいますこと。正座の注意事項は分かっておいでですね」
「前側の裾は手を当てて、後ろ側の裾はお尻の下に敷き、静かに座る。背筋を畳と垂直になるように伸ばし、顎は真正面。手は緩やかに膝の上に置く」
 美麗は正座する度に何度も言われている注意事項を反芻する。
「はい。分かっておいでですね。くれぐれも粗相のございませんように」
 いよいよ玄関で両親と並んで親せきを迎えた。はにかんだ表情が天女様みたいだ、と、ザブトンくんは後から玄関のツイタテくんから教えてもらった。
(あんな綺麗な人が十八の若さで結婚しちゃうのか……。てか、こんなデカい家をしょって立つのか。大丈夫かなあ)
 遂に、ばあやさんが伝えた。
「お仲人様ご夫妻とお相手のの枕元様がお見えになりました」
(枕元? うっとおしい名前のヤツだな)
 一之宮家の親せき一同も車留めが見える間まで、どどどと移動して、首を伸ばした。
「本家令嬢の婿になるかもしれない人物だ」
「よく見極めなければ、分家の運命もその男にかかっているからな」
 親せきの伯父さん、伯母さんたちは、メガネを拭きなおして見物する始末だ。
「あのお仲人さん、信用していいのでしょうね」
「お相手の勤務先の上役さんらしいわ」
 かまびすしいこと、この上ない。
 ザブトンくんたちも今か今かと待っていると、座敷に通されてきたのは、スラリとしたイケメンではないか。三十歳くらい? 紺のスーツもピシっと決まって顔立ちもまあまあ気品がある。
「枕元 薫と申します」
(いや、ボクの方が気品ある座布団だけどな。おや?)
 枕元氏の後ろから七、八歳の男の子がチョコチョコついてくるではないか。
「甥のミチルです。申し訳ありません、どうしてもついてくると言いまして」
(うす汚れたガキンチョだな。なんだかよそ行きの半ズボンスーツがぶかぶかだぞ?)
 ザブトンくんのミチル感想はあまり良いものではなかった。
「まあ、可愛いお客様。大歓迎ですわよ。何かお飲みになる? ボク」
(……なんて、美麗さんのお母さんも甘いんだからあ)
 ミチルがザブトンくんを、ジロリと睨んだ気がした。負けずにザブトンくんも閉じ糸をとがらせて、中指立てるつもりをした。どうも迫力が足りない。

第 三章 お見合い始まる

 奥の間で美麗さんとご両親、お仲人様夫妻と枕元の挨拶が取り交わされた。
「こちら○○株式会社勤務の枕元 薫くんです」
「一之宮長女、美麗です」
 双方、向かい合って座り、頭を下げた。
 枕元に敷かれながら、ザブトンくんは、
(ボクは悔しくも、大広間から引き抜かれて枕元のお尻の下に敷かれることになった。なんてことだ、よりによって……)
 歯ぎしりしたほどだ。枕元の横顔はすんばらしく美しく、洋間からクッションのふわ子まで見惚れている。その上、清潔そのものの靴下を履き、爽やかな香りさえする。
 しかも、更に腹の立つことには、今まで、たっくさんの人を乗せてきたボクだが、枕元の正座が文句なく美しいのである。背筋の伸ばし方、程よい顎の位置、脚も男にしては行儀よく折られて、膝の上に置かれた手も上品な置かれ方だ。正直、正座する人間の中でこんな美しく整った座り方をする男は初めてだ。
 仲人夫妻のご主人が、胸を張って言う。
「枕元くんは将来有望な商社マンでね。この一之宮家の優秀な跡取りに向いていると私は信じてますよ」
 美麗さんは、ほんのり頬を染めて枕元をチラ見している。いつもの快活さはどこへやら?
(う~~ん、ボクにも横顔があったらなぁ)
 ザブトンくんの悔しさなどまったく届かないうちに歓談は和やかに進んだ。

 枕元が少し、中座した。その隙に、行儀よく座っていることに辛抱できなくなったミチル少年が、
「ああ、喉乾いた! おばちゃん、ジュースちょうだい! オレンジの」
 と言って、オレンジジュースをもらおうと手を伸ばしたが、グラスを持つ手がすべってしまい、
(ボクの上に!)
 ジャーッ! とこぼしてしまった!
「いっけねえ~~」
 少年は、みるみる間にジュースの沁みこんでいくザブトンくんを裏返して他の座布団と一緒に積み上げ、何くわぬ顔で座敷の裏口まで脱出した。
「退屈だあ、腹、減ったなあ」
 台所の上がり口で足をぶらぶらさせていたら、裏口に大きな秋田犬が寝そべっているのに気がついた。
 秋田犬のゴロウはお見合いなど、どこ吹く風でぐうぐう眠っている。びっくりして飛びのいたミチル少年だったが、庭の外れの草むらから猫じゃらしを引っこ抜いてきて、ゴロウの鼻の穴に近づけた。
(フン、フン、フン)
 むずがゆくなったゴロウは目をつむったまま、鼻を動かす。ミチル少年はだんだん調子にのり、今度はゴロウの大きな耳を猫じゃらしでなぞってみた。
 耳がピクンと動く。

第 四章 鯉の池で

「これは見事な鯉ですね~~」
 緑豊かな庭の池。石橋を渡りながら、枕元が水面を見て言う。
「はい。父が鯉には目がないもので」
「一匹、数百万は下らないことでしょうね」
 深みどりの池には色とりどりの錦鯉が群れている。しかし、錦鯉にも負けない美麗の振袖姿である。
 お見合いの歓談が一段落したところで、美麗の父が、「庭でも散歩していらっしゃい」と勧めたのだった。

「まずまず誠実そうな青年だ。整った正座を見れば判る」
「お似合いですわね」
 美麗の両親と仲人夫妻はすっかり乗り気だ。
「わん、わん、わん!」
 いきなり、庭に犬の吠え声がこだました。ミチル少年が秋田犬のゴロウに追いかけられている。
 ザブトンくんも、座敷から縁側に身を乗り出して見ていた。
「わ~~ん、助けて!」
 少年は顔色を変えて石橋まで駆けてきた。ゴロウも橋まで追いついてきた。
「わんわん、わん!」
「本気じゃなかったんだ、ちょっとくすぐっただけだってば!」
「どうしたんだ、ミチル」
 枕元が叫んでいる間にミチルはふたりに助けを求めてきて、次にゴロウが。
「あっ」
 ゴロウに突進された美麗がよろめいた。石橋の上で晴れ着の袖が蝶々みたいにひらめく。
「おっと、危ない」
 それを受け止めた枕元が石橋から足を踏み外してしまい―――。
 バッシャーン!
 大きな水音と、飛沫が飛び散った。
 枕元が錦鯉の群れの中にダイビングしてしまった。美麗、ミチル、ゴロウまでもが呆然と眺めていた。

第 五章 ザブトンくんの下に

(なんでよりによって、ボクが……)
 さっきからザブトンくんは、ぶつぶつ文句が止まらない。
 枕元が池に落ちた瞬間、お父さんがザブトンくんをひっぱり別の部屋へ引きずっていった。全身、ずぶ濡れになった枕元は洋服をすべて脱ぐように言われ、下半身にバスタオル一枚巻いた格好でザブトンくんの上に座り、風呂の支度ができるまで待っていた。
(なんてことになってしまったんだ。それに、このザブトン、ねちょねちょしてオレンジの匂いがするぞ)
 ザブトンくんに枕元の洩らす文句が聞こえてしまった。その時の目つきからは、誠実さは消え、狡猾そうな怒りだけがチラリと見えた。ザブトンくんも面白くない。こう言ってやりたい。
(この甘い匂いとねちょねちょは、あんたの甥っ子がやらかしたことだよ)
「本当になんてことでしょう」
 美麗のお母さんとお祖母ちゃんが、タオルを山積み持ってきた。
「いや、甥っ子のミチルがやんちゃなもので。愛犬を怒らせてしまい申し訳ありません」
「普段、おとなしいのでリードを外してありまして、こちらこそ申し訳ございません。すぐにお風呂の準備ができますからね」
 枕元はザブトンくんの上で歯をガチガチ鳴らせて待っている。横で悪びれてもいないミチル少年を睨みつけた。
「とんでもないことしてくれたな。ミチル。だから家にいろって言ったんだ」
「だって、父ちゃんがどんなお姉さんと会うのか……むぐ!」
 ミチルの口元は枕元の大きな手のひらで塞がれ、耳元で、なにか言われていた。
 お手伝いさんがやってきて、枕元さんに、
「失礼します。これが上着の内ポケットに入っていたのですが、濡れて破れてしまいました」
 それは、薄い紙だった。
「あ、ああ、大したことないメモです。いただいておきます」
 目にも止まらぬ速さで、枕元はザブトンくんの下に隠した。

第 六章 リコン届け

(ん? この紙は何だ?)
 ザブトンくんは、自分の腹の下をチラリと覗いた。
(薄っぺらい紙だな~~。それにしても、枕元のやつ、えらく慌ててるぞ)
 ザブトンくんの上で膝をもぞもぞさせているくらいだから、整った正座が崩れてしまっている。
「枕元さま、お湯殿の支度ができました」
 ばあやさんが呼びに来て、枕元はあたふたとボクの上に立ち上がり、風呂場へと向かった。
(今だ! この紙を見るチャンスは!)
 お腹の下からごそごそと取り出す。
(これは……! 話に聞く『リコン届け』ではないか~~~!)
 枕元と知らない女性の名前が書いてある……!
 ザブトンくんはしばらく、リコン届けから目が離せない。

 美麗は、すっかりしょげていた。
「ゴロウをちゃんとリードで繋いでおかなかったのが悪かったんだわ」
 涙が白菊ザブトンちゃんの綺麗な花柄の上にポトポト落ちる。クッションのふわ子も心配そうに見守っている。
『美麗さんのせいじゃありませんよ、あのミチルくんという男の子がやんちゃなだけ。ゴロウはびっくりしたんですよ』
「私、きっと嫌われる……」
『そんなことありませんよ、お嬢様』
 ふたりの聞こえない神秘的な会話を聞きつけたザブトンくんは飛び上がった。
「美麗さんがあいつに嫌われているって聞いて、悲しんでいるということは!」

第 七章 アイツが再訪

 二、三日して枕元が再びやってきた。
 ザブトンくんは、押し入れから出る気がしない。
(ストライキ決行だ! せっかく干してもらってお日様の匂いいっぱい、ふわふわに戻ったのに、どうしてまた、アイツに敷かれなくちゃならないんだ! 美麗さんを騙そうとしているアイツに!)
 怒りでぶすぶすと燃えだしそうなザブトンくんだ。しかし、何も知らないばあやさんに、ひょいと力づくでひっぱり出された。
「この前、中綿まで干して、ふかふかにしてカバーも洗い、糸も閉じなおしたから男前が上がったってもんだよ」
 ばあやさんにおだてられて、ストライキはどこかへ行ってしまった、現金なザブトンくんである。
 座敷へ運ばれて行き、枕元にばあやさんが勧めたが、彼は座布団をあてずにいつもの落ち着いた正座をしていた。枕元は、またミチルという甥っ子と一緒だ。
「父ちゃん、この前、何かしくじっただろ。ボクと犬のせいだけじゃないだろ」
 ミチルの言葉に、枕元は苦々しく舌打ちした。
「お前はひと言も口を聞くな。ここの娘と婚姻届けだけ書いてしまえば、父ちゃんは大金持ちだ。お前も贅沢三昧できる。そして頃合いを見て、お前ととんずらする。それまでの辛抱だ」
「ふうん、期待しないで待ってるよ」
 ミチルは唇を尖らせた。
 やがて美麗の両親が来て、先日の騒ぎのことを謝っていた。
「なんとも申し訳ないことをしました。甥がお宅様の愛犬に悪さをし、あんなことに……。こら、ミチル、頭を下げなさい」
 ミチルは頭を押さえつけられ、仕方なく下げた。
 美麗のお母さんが、
「こちらも良くなかったんですわ。犬をつないでおかなくて。ボクにケガがなくて何よりでした。でも、枕元さんは、ひどい目にお遭いなすったわね」
 優しく苦笑する。
「美麗さんまで巻き添えにならずに良かったと思っています」
 美麗がおっかなびっくり部屋へ入ってくる。今日はおとなしいクリーム色のワンピース姿だ。

第 八章 午餐の誘い

「枕元さん、先日は大変なことになってしまい、申し訳ございませんでした」
「美麗さん、謝るのはこちらの方です。だからこうしてお詫びに上がったんです」
「じゃあ、怒ってらっしゃらない?」
「怒るだなんて。そんな」
 枕元がはっきりかぶりを振ったので、美麗は胸を撫で下ろした。
「ところで、私、こちらに何か紙片を忘れてませんでしたでしょうか?」
 ザブトンくんはピンと来た。
「いえ、女中たちから何も聞いておりませんが……」
 美麗の返事に、枕元は、ホッとした様子だ。
 襖の向こうからばあやさんが声をかけた。
「旦那様、奥様、お昼時にさしかかります。午餐をお持ちいたしましょうか?」
「では、枕元さんも、あちらのダイニングでご一緒にいかがですか? 甥御さんの坊ちゃんも」
 急にミチル坊主の顔が輝いた。
「きっとご馳走だね。行こうよ!」
「これ、ミチル」
「よろしいじゃございませんか。私も枕元さんのご機嫌を損じてなくて胸をなでおろしましたし、実は両親がとてもあなたのことを気に入っておりますのよ」
 ザブトンくんは真っ青だ。
(いかん、いかんよ、美麗さん、その男は……!)
「さあ、あちらでお庭を見ながらくつろいでお昼をいただきましょう、さ、ボクも」
 和やかにダイニングへ移動していく。

第 九章 父上、激怒

 ダイニングの間は、マホガニーの大きなテーブルが置いてあるが、隣の居間とつながっている。ソファの上からレースのすそをなおして、ふわ子も様子を窺っている。が、覗き見しようとしているザブトンくんを見つけ、ふわ子はそっと居間の隙間から中に押し入れてやった。
 午餐(お昼ご飯)と聞いてきたのに、ダイニングテーブルの上には何もない。
 そして、美麗の両親が立ったまま、枕元を待ち受けていた。
「ご主人、奥様。これは、いったい?」
「君に馳走するものなど何もない」
 父親が険しい顔で言い放った。
「ど、どうなさったんです? やはりボクが池にハマッたりしたから……」
「そんなちっぽけなことで怒ったりせんよ!」
 怒号が飛んだ。
「これに見覚えがあるはずだ!」
 ご主人が枕元の目の前に示したのは、ぼろぼろになった、あの『リコン届け』だ。一度、水に浸ってしまったから殆ど読めないが、それでも、ふたりの名前の記述はかろうじて読み取れる。
『枕元 薫』と『枕元○○』
 捺印まで捺されている。枕元の顔から血の気がひいていく。
「あっ、それはその……」
「それは、その、じゃないよ、君。ばあやが君の敷いていた座布団の下から発見した! 君は妻帯者なんだな。なのに、私たちやお仲人ご夫妻を騙して美麗と見合いをしようとした、とんでもない男じゃないか」
 ザブトンくんは、(アッ)と思った。
(アイツが風呂に行った後、腹の下に敷いておいたリコン届けのこと、すっかり忘れていた! 美麗さんの気持ちが気になって。ばあやさんが拾ってくれたのか)
「妻帯者でしたが、ようやくリコン届けを提出するところです。妻とは長く別居状態で……」
 枕元はあたふたと答えたが、美麗の父親は泰然と言い返した。
「君のことは、そのスジの専門家に調べさせた。その離婚届の妻の実家も結構な資産家だったそうじゃないか。駆け落ち同然に結婚したようだな。結婚詐欺に失敗して、かなり金銭的に困っていたのだな」
「そ、それは……」
「言い訳無用だ! 塩を撒け、塩を!」
 一之宮家の当主の怒りは、ちょっとやそっとで収まらず、屋敷中の使用人に塩を枕元の後ろ姿に叩きつけるように撒かせたのだった。
(もう少しで、一之宮家の財産を手に入れられたところを……。こんな縁談もあろうかと、礼儀作法まで習い身につけたのに。ミチルにねだられて連れてきたのが間違いだったか)
 枕元は舌打ちして、薄汚れた野良犬のように退散したが、捨て台詞を忘れなかった。
「金持ちがどれだけ偉いってんだよ、金の座布団に押しつぶされるがいいさ」
 足早に一之宮家の門を出た。
「父ちゃん、ご馳走は?」
 ミチル少年が父親の腕にぶら下がって、食べ損ねた午餐をねだっている。
「待ってろ、父ちゃんがびっくりするようなご馳走を食べさせてやるからな。今度はヘマするなよ」
 美麗と母親は震えながら寄り添って見ていた。
 美麗の耳の奥に、枕元の捨て台詞が何度も響いた。

第 十章 ばあやさんのお仕置き

「たるんでおる!」
 三十畳の大広間にずらりと並べられた五十枚の座布団に向かって、たすき掛け、仁王立ちになって腰巻までチラ見えして、ばあやさんが恐ろしい顔になっていた。
「そなたたち、何のために武士の世から伝わる、この一之宮家の座布団をつとめておるのじゃ! 毎年、毎夏、天塩にかけて綿を入れ替え、縫い直し、洗ってやっていると思うているのじゃ!」
 座布団たちは、ビクビクしている。
「今回は美麗お嬢様が結婚詐欺に遭いそうにおなりになり、この一之宮家を根こそぎ結婚詐欺師に持っていかれるかもしれぬという大きな危機じゃったのじゃぞ!」
 ザブトンくんは、端っこの列にいたが、強張って身動きがとれない。
「中でも、オレンジジュースの匂いが残っているそやつ!」
 ばあやさんは布団叩きを、他のお手伝いさんに言って、薙刀に持ち替えた。そして、ザブトンくんの顔面に切っ先を突きつけた。ザブトンくんは生きた心地がしない。
「結婚詐欺師の上辺の整った正座にごまかされて、大事な証拠を下に敷きながら、ぼんやりして忘れてしまうとは! 正座はその人間の心まで映す聖なる座り方じゃ。座布団がそれを見破れなかったとは、なんたること! 罰にこのばあやが切り刻んでくれよう!」
(ひぇ~~~! お許し下さいませ~~~)

第十一章 そのザブトンくんのおかげで

「待って、ばあや!」
 美麗が走ってきて、ザブトンくんの上に覆いかぶさった。
「何回打ち直して洗おうと、この座布団だけは許してやってちょうだい! 美麗が小さい頃から寝ころんで、おむつ替えされて、猫のユタンポとゆっくり寝ころんでた、その座布団だけは許してやって!」
 黒目がちな瞳から涙がポロポロ落ちている。
「美麗お嬢様……」
 ばあやさんも、ザブトンくんも、他の座布団たちも呆然とした。
「それだけではありません。美麗はその座布団のおかげで『美しい正座』を見つけることができたのです」
「正座をですか?」
 薙刀の先をようやくザブトンくんから離して、ばあやさんは顔を上げた。
「ええ。正式な作法を始める六つの時からずっと一緒。その座布団だとなぜか、痺れも切れずに背筋を伸ばして正座ができ、清々しい気持ちになれるのです。ですからどうか許してやって、ばあや」
 両手をもみしぼるようにして美麗は頼んだ。
「まあ、ばあやがあれほど苦労してお教えしてもできなかった正座がこの座布団のおかげで?」
 ばあやさんは改めて座布団を見下ろしてから手にとってみた。
「他の座布団と変わらない、何故かオレンジジュースの匂いがするだけなのに」
「その座布団がいいの!」
「お大切な白菊座布団より? 洋間のレースクッションより?」
「ええ、ええ!」
 必死の美麗の頷き方に、ザブトンくんも涙が出てきて、ばあやさんの足元にポタポタ落ちた。

第十二章 美麗の宣言

「この度のことで、私、目が覚めました」
 すっくとザブトンくんの上に正座した美麗は、両親に向かって言った。
「今後、お父様、お母様が勧められるご縁談はすべてお断りいたします」
 両親はぎょっとなった。
「だいたい、私はまだ十八。結婚するかどうかも決めていないのに、お父様たちだけが盛り上がって、外見と正座に惑わされて、枕元さんを連れてきたのですもの。私も偽イケメンに危うく心を持っていかれそうになりましたわ」
 両親は面目なくうつむくしかなかった。
「枕元さんは、ここを去る時、『金の座布団でも敷いてろ』なんていう罵詈雑言を残されました。われわれ一之宮家は、人様からそんな言われ方をするような傲慢な態度でふるまっていたかどうか、この機会に反省したいと思います」
 両親は娘の意外な言葉を聞き入り、頷いた。
「一之宮家をどうするかは私がゆくゆく決めます。本当に心から信用できる人に相談して。ばあやや、ゴロウや、このザブトンくんや、白菊ちゃんとね」
「えっ!」
「まあ、それは冗談ですけれどね」
 美麗は顔をほころばせ、
「間違いないのは、私がおばあちゃんになっても、このザブトンくんはずっと一緒ってことです。彼がいると心強いですからね。正座は人の心を映し出します。今回のことでそれがよく分かりました。もう二度と騙されません」
「分かったよ、美麗。父さんも反省せねばならない点もあるかもしれない。二度とお前に結婚詐欺師など近づけないよう、気をつけよう」
 父親の一之宮氏は冷静に言って、微笑んだ。
 ゴロウがいきなり飛び込んできて、ザブトンを踏み踏みしながら、美麗にじゃれついた。
「ゴロウったら、はいはい、後で遊んであげるからね。今回はザブトンくんとあなたが英雄だわね」
 ザブトンくんは泥と、ゴロウのよだれまみれだったが、
 【彼(ザブトンくん)がいると心強いですからね】
 美麗の言葉が嬉しくて飛び跳ねたくなった。


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