[74]正座の共演


タイトル:正座の共演
発売日:2019/12/01
シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:5

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:48
定価:200円+税

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容
某瑛校に入学したハルカは初めてのお作法の授業の終わりに足を痺れさせ、同じく足を痺れさせた協太と軽くぶつかってしまい、お互いに笑ってしまう。
クラス内では、となりのクラスの人気男子三人をめぐる話題で賑わっていた。
そんな中、文化祭でクラスの出しものがお化け屋敷に決定し、ハルカと協太は同じ時間に正座で出入り口待機の担当になる。
正座の苦手な二人が同じ時間の担当で大丈夫だろうかと不安になるハルカと協太は……。

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本文

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 ごん、というかなり軽い衝突に反射的に「いたっ」と叫んで、額を抑えた。同じように「いて」と言いながら目の前の畳に半ば寝転がっていたのは、同じクラスの世田協太だった。
 資戸矢ハルカは、「ごめん、大丈夫?」と声をかけながら、今は額よりもじんじんと痺れる足をさする。
 協太も同じ状態だったようで、畳に伏したまま片手を上げ「ぶつけたところは全然痛くない。足が痺れただけ」と答えた。
「私も」
 ハルカは、背が高くスポーツも得意そうな協太がそうして畳に伏している様を見てふっと吹き出した。
 協太の方でも足の痺れに顔をしかめながら、笑っている。
「何、何、どうしたの?」とハルカと仲のいい朝子がやって来る。
「朝子、よく足痛くならないね」
「え、まあ」
 そんなことか、というような表情で、朝子はハルカを起こしてくれた。
「俺は?」と訊く協太に「重そうだから嫌だ。誰かに頼んで」と朝子は言い、何となく、傍にいたクラスメイトの男子が「世田くん、大丈夫?」と、やや気を遣いながら手を貸す。
 一学期、初めてのお作法の時間が終了した直後の出来事だった。


 ハルカの入学した某瑛校は、お作法、お茶、お花の指導のある元女子校だ。ハルカが入学する以前に完全に共学になってはいたが、入学を希望する男子は比較的従順というか、温室育ちというか、大人しい子が多いのも現段階での某瑛校の特徴だった。しかし、そうした中で放課後にスクールでテニスを習っているという協太は、この学校の中では活発な男子で、大人しいほかの男子は入学後、少し距離を置いているようにも見えた。
 その一方で、春の体育祭では協太はその運動神経と勝気さから、群を抜いた活躍を見せてくれた。リレーでは三人を抜き、騎馬戦では相手チームから五つの帽子を奪った。
 しかし、である。体育祭はいかんせん、団体戦だ。
 協太の活躍は目立ち、見ている方も爽快ではあったが、全体の得点、つまり勝利するところまでは届かなかった。
 それはハルカのクラスの男子が不甲斐ない、ということではなく、どこのクラスも似たり寄ったりな男子であるものの、隣のクラスは勝田キリという、かなり負けず嫌いでしっかりした女子やその友達のハヤミがいて、勝敗を分ける大きな種目の男子騎馬戦では、弱い男子たちを結束させ、指示を出し、同点にまで持ち込ませたのである。もしこの騎馬戦で相手側にキリの指示がなく勝利していれば、総合結果もこちらの勝利になっていただろう。キリの指示が出るまでは、協太の勢いが追い風となり、ほかの男子も奮闘していただけに、そのことを悔しがる女子は多い。個人種目の徒競争やパン食い競争では、ハルカたちのクラスの女子の活躍が目立ちリードしていたが、女子騎馬戦ではキリたちのクラスが勝利し、リレーも協太が独走体勢に持ち込んだものの、キリが根性を見せた走りで距離を縮め、結果はまさかの同時ゴール。そしてその総合結果は、キリたち隣のクラスの優勝となったのだった。
 そして女子が悔しがるのは、この某瑛校の女子には負けず嫌いが比較的多い、ということのほかに、実は隣のクラスに友、素、直というちょっと王子様のような雰囲気の仲良しの三人の男子がいて、体育祭後にこの三人と隣のクラスの女子の仲が良くなったことが大きかった。もちろんほかの男子と女子との雰囲気もかなり軟化しているようだが、女子の視点範囲は時としてとても狭くなる。
 特にハルカのクラスでも茶道部の梗、藤子、百合江の三人は、あの三人の男子に夢中だ。同じクラスでさえあれば、班で一緒に実験をしたり、教室移動で一緒に行動をしたり、休み時間には話したりと、距離を縮める機会が溢れている。それが、たったひとクラス違う、というだけで、あまりにも近付く機会が限られ、その距離は縮まらない。
 廊下で隣のクラスの女子が三人と楽しそうにしているのを見ては、梗、藤子、百合江の三人は面白くなさそうにしている。
 ハルカは友、直、素を素敵な男の子だな、とは思うけれど、特別仲良くなりたいとまでは思わない。
 そんな恋の部外者でいることに、正直少し安堵もしている。


 季節は春から夏の終わりに移った。春の体育祭では隣のクラスに負けたハルカたちのクラスは、文化祭では絶対に隣のクラスだけには勝とうと意気込んでいた。
 体育祭のような明確な勝敗は文化祭ではないが、隣のクラス同士、お客さんがどれだけ来るか、どれだけ行列ができるか、評判がいいか、といったことはわかる。
 しかし、である。
 高校での初めての文化祭は、去年中学生だったハルカたちが受験の下見も兼ねて訪れた高校の文化祭が参考になるので、出る意見はどれもありきたりになる。そのまま一通り意見が出揃ったところで、この中から多数決で選ぼうという時間に差しかかる。
 その時、廊下を歩いていた文化祭実行委員と廊下側の窓越しに話していた梗が、「ねえ、隣のクラス男女逆の執事、メイド喫茶だって」と伝えた。
 だらけていた教室にぴしり、と緊張が走る。
 そんな企画を持ちだされたら、絶対に勝てない、と焦る女子が半分。
 そして、友、素、直の三人のメイド姿を是非見たい、行ってみたい、と今から妄想半分に楽しみにしている女子が半分、だった。
「もうちょっと考え直す?」と誰かが言い、同じような心境だったクラスメイトから小さく笑いが漏れる。
「あの、いいですか」
 低く、しっかりとした声が後方の席からして、皆が振り返る。
 朝子と「どうする?」というふうに顔を見合わせていたハルカも後方を見て、協太が挙手しているのに気付いた。
 クラス委員の女子が「どうぞ」と少しだけ緊張を取り戻した表情で促す。
 口数は多くなく、教室内でもあまり話さない協太だが、その分何かを言う時にはそれなりの意味や重さがある。
「少し、隣のクラスに影響されすぎていると思うので、今議論するのは、文化祭に何をやるかではなく、自分たちのクラスがいかに自信を持って何をできるかを決めることだと思います」
 そこでぱらぱらと拍手が起こった。
 いつも大人しくしている男子たちからだった。
 女子は協太の話の続きを待つ。
「この中のどの企画が極端に駄目で、特別にいい、というのは今の時点では僕は判断しかねます。だけど、隣のクラスが人気の出そうな企画を出しているというのなら、それに左右されず、逆に利用しようとは思えませんか。さっきと言っていることが逆のように思われるかも知れませんけど、僕が言いたいのは、自信と、言葉は悪いけれど利用の二本立てでいきたい、ということです。自信はさっき言ったように、自分たちの出した企画が成功すると断言できる心づもりでいること、利用は隣のクラスに人が多く来るのなら、そのお客さんをこっちに引っ張って来ようというくらいの図々しさを持とうということです」
「おお」と男子がざわめき、今度はクラス中から拍手が起こる。
「ありがとうございます」とクラス委員の女子が協太にお礼を言う。
 この一連の流れで、クラスの揺らぎは止んだ。
「それでは、自信を持って挑める、そして隣のクラスのお客さんを引っ張ってこられそうな企画という基準で、この中から決めたいと思いますが、いいですか?」
 クラス委員の歯切れの良い仕切りにより、夏休み前にハルカたちのクラスでは決を取り、何をするか、そしてその後、おおまかな役割分担が決められていった。


 文化祭でハルカたちのクラスはお化け屋敷をすることに決定した。夏休みの間にお化け屋敷で使用する材料の確保や、衣装の発注を行い、夏休み明けには最終段階の話し合いと準備が進められる。
 二学期開始後すぐの文化祭に向けたホームルームで立てた作戦は、混雑するだろうとなりの執事、メイド喫茶のお客さんにこちらに先に並んでもらうため、教室入口スペースに小さな待合場所を作り、そこでお茶をお出ししよう、というものだった。和風お化け屋敷を想定しているので、狭いスペースではあるがござと座布団を用意し、そこで希望するお客さんにお茶を振る舞う。呼び込みでは、「こっちではお化け屋敷スタート前に無料でお茶をお出しします」というふうに言うことにした。
 受付、お茶出し含め、白装束の衣装にすることも決めた。隣のクラスの華やかな男女逆転の執事、メイド喫茶からすると地味ではないか、という懸念もあるが、和を前面に出し、お茶出しサービス込みの白装束衣装はそれはそれで個性があるのではないか、と担任の先生も意見を述べてくれた。隣のクラスの担任の先生は新任の先生である一方、ハヤミたちのクラスの先生は学年主任で、事実上、隣のクラスのフォロー的な役割も兼ねている。先生には先生なりに負けたくない意地のようなものが多少はあるのかも知れない。
 そして、お客様に丁寧なことでも知られる某瑛校のハルカたちのクラスは更に、受付のほかにも入口、そして出口に一人ずつ正座してお客様を見守る当番を設けることにした。これは、これまでの例で小さな子がお化け屋敷に入ってすぐに怖いと泣きだして進めなくなったり、やっぱり戻りたいと言い出したり、また出て来る時にどこかで携帯を落としたなどという人がいたという実行委員会で聞いてきた話を参考にした案で、そのフォロー、案内という、重要といえば重要な役目だ。
「この入口と出口に配置される案内役はどうしますか? パイプ椅子に座っているのも、なんか雰囲気に合いませんよね」
 そんな意見から、ござを敷いたところに座布団を敷き、正座で待機でいいのではないか、ということになった。
 当番はできるだけ公平に、ということで、お化け役やお茶役など二日間の枠内で一人四十分ずつ分担することになった。
 この時点で、特に異議は出なかった。
 出なかったが、配役を決めていく中で、ハルカは一日目の入口待機に決まり、ふと嫌な予感がした。座布団はあるけれど、正座を四十分? もし途中で泣きだす子がいたら、その子の手を引いて、教室の外に連れ出すのが役割だけど、足が痺れて立てなかったら?
 ふと教室後方の黒板の分担表を見ると、同じ日の同じ時間、出口の当番は協太だった。
 お作法の日、ハルカと同じように足を痺れさせ、額を接触した協太である。
 果たしてハルカと協太が当番のこの日、この時間は大丈夫なのだろうか、とハルカはふと不安を感じる。
 そっと後ろを振り返ると、協太もこちらを見ていた。
「ねえ、正座、大丈夫かな」
 ざわついた教室の中でハルカが協太に声をかける。
「大丈夫にするしか、ない」と協太は言った。
 何となく、文化祭をまとめるような発言をしてしまった手前、今になって『正座が苦手だからこの担当は……』とは言い出せないのだろう。
 口調はしっかりしているが、その顔はどこか不安そうだ。


 文化祭が近付くと、授業時間に余裕のある教科は先生が自習にしてくれることがあり、その機会に準備を進められる。
 今日は地理の先生が自習時間にしてくれた。
 周囲の授業の邪魔にならぬよう、静かにハルカのクラスでは文化祭の準備が行われていた。
 幸い隣のクラスはお作法の時間で出払っているのは、やりやすかった。
 しかし、お化け屋敷の小道具や仕切りを準備している現段階、もともと授業を受ける教室内にそれ以外のものを大量に置いているので、教室はかなり手狭な状態になっていた。
 実行委員が「誰か手が空いている人がいたら、使わない段ボールを一階の資材置き場まで運んでください」と指示を出す。
 何となく立ち上がったのが、ハルカと協太だった。
 顔を見合わせ、協太が「じゃあ、運ぼうか」と山積みの段ボールを示し、ハルカが頷く。
 それぞれに段ボールを抱え、教室を出た。
 よそのクラスの授業や、同じように自習で文化祭の準備をしている様子が廊下を歩いていると聞こえてくる。そのざわめきの中を暫く黙って歩いていたが、ハルカは文化祭当日のことを思い出し、「文化祭の担当、同じ時間だね」と言ってみた。
 協太は「うん」と頷き、数歩進んだところで、「正座の出入り口担当って、足痺れるかな」と独り言のように言った。
「私も同じこと、この前思った。どうなんだろうね」
「うん」
「当日に運だけに任せて四十分正座したら、ちょっと心配な気はする」
「うん。さすがに初日の授業みたいにこけることはないけど、やっぱり時々、立ち上がる時に足が痺れているのを実感することはある」
「そうなんだよね」
 資材置き場は校舎の端の方にあるので、二人は真っ直ぐに廊下を進む。
 途中、「あ、隣のクラスお作法の授業だ」とハルカが中庭を挟んだ一階下の教室を見て言った。
「本当だ。結構、こういう場所から見えるんだな」と協太もお作法の授業を見る。
「足、痺れている人、いるかな」
「どうだろう。顔を少し見ていればわかるかも知れない」
 ハルカと協太は段ボールを抱えたまま、廊下で立ち止まり、暫く様子を見る。
 ハルカはこの時、隣のクラスの直、素、友の三人を見つけた。
 なるほど、こうして見ると確かに三人は王子様のようだ、と思う。それは外見の素敵さはもちろんのこと、背筋の伸ばし方や正座の仕方といった所作に品があることが大きいと気付いた。
 授業では、お辞儀の仕方を学んでいるところで、三人は周囲と同様に手を揃え、正座の状態でお辞儀をするのだが、これが本当に圧巻のきれいさだった。自分と何が違うのか、それは品の有無か。では品とは何か。ぐるぐるとハルカは考える。
 まずは、一見呑気そうに見える三人だが、そして実際に呑気なのかも知れないが、それは心の余裕に拠るところが大きいとハルカは思った。つまり、ハルカや協太のように、『今日は足が痺れるか』などと、不安要素を抱いていない。心に余裕がある。そのゆったりとした雰囲気が、王子様のような外観と相まって、優雅さを漂わせているようだ。
 では、その余裕はどうしたら生まれるのか……。
 ここでハルカは行き詰る。
 言葉で『余裕を持って』と自身に説明することはできても、そこに行きつく方法が見当たらない。
 協太も同じことを考えていたのか、「正座して上手にお辞儀ができる人って、雰囲気も柔らかいな。俺みたいに、変な緊張が全く感じられない」と言い、「そうなんだよね。私もだよ」とハルカは頷く。
「今日さ、放課後時間ある?」と協太に訊かれ、つい「何で?」と訊き返す。
「いや、今日俺テニスない日だし、文化祭も近いから、正座のことを悩むより先生に相談した方が早いと思って。何か同じように悩んでいるみたいだし、一緒に行くか訊いてみた」
「あ、そうか」
 どうして正座の話をしていたのに、協太がそういう発想をすると予想できなかったのか……。ハルカは後悔する。
「どうする?」と訊かれ、「行く。行きます」と答えた。
「じゃあ、放課後、職員室の前で。もし俺が先に行って、お作法の先生がいたら、先に話をしておくから」
「わかった。私もそうする」
 そう二人は約束し、段ボールを資材置き場まで運び、教室に戻った。
 相変わらず雑然とした教室内で小道具を作っていた朝子がハルカに気付き、「遅かったね」と言う。
「そう?」
「うん。どこで遊んでたのよ」
「遊んでた、わけではない。隣のクラスのお作法を少し見学していたの」
「ああ、そうなの? どのクラスも同じようじゃない?」
 特に正座で困ったことのない朝子はそう返し、「まあ、そうなんだけど、実際に授業を受けているのを遠くから見るとまた客観的で違った」と説明すると、「ああ、なるほどね。確かに勉強でも、できる人や、苦手なところがある人と一緒にやると理解しやすいって思うことある」と朝子が納得する。
「そう、そういうことなの」とハルカは頷く。
 教室内で、直、素、友の三人の名前を出すと、梗、藤子、百合江がいちいち反応するので、見本となる正座があの三人であることは黙っていた。


 放課後、結局協太とハルカは同時に教室を出て、一緒に職員室に向かった。
 お作法の先生は和服姿で今日も優雅な身のこなしだ。
「先生」と協太が声をかけ、文化祭で正座での担当があるので、少し正座が上手にできるようにご指導をお願いしたいのですがと伝えた。
 先生は空いている時間を確認し、「明後日の昼休みなら時間が取れます」と快諾してくれた。
「ありがとうございます」と協太とハルカは頭を下げてお礼を言い、時間と場所を再度確認すると職員室を出た。
「明後日ならまだ一日あるから、明日出入り口の担当の人から希望者を募ってみよう」と協太が提案し、ハルカも「そうだね」と頷く。
 二人は気の重い要因が前進し、解決に向かっていることで自然と表情も明るくなる。
 途中、華道室に入る友、素、直の三人を二人は見かけた。
「あれ、文化祭で生け花出品する人?」と協太が訊き、「そういえば、そういうのがあったね」とハルカは思い出す。
 自分が全くそういった候補に入っていないことから、そうした展示発表の存在を忘れかけていた。多分協太も同類だろう。
「あの三人、この学校向きだよな」と協太が小さく言った。
「え?」とハルカは顔を上げる。某瑛校はほっそりとした男子が多く、協太もスレンダーな体型をしている。しかし、テニスを続けてきたからだろうか、ほっそりとしているけれど、締まっていて、背が高く、肩幅もしっかりとしていて、それはほかの大勢の男子と一緒にいても、すぐに見分けられるほどに際立ったきれいな体型だった。
「体育祭だって、女子の作戦だって後で知ったけど、それを素直に聞いたから、あそこまで結果を出せたわけだし、お作法も華道も得意みたいだしさ」
 確かに、とハルカは思う。
 あの三人は、この学校でなかったら、ここまで注目されたのだろうか、とも同時にハルカは思い、それは少し自身の妬みが入っている気がして口にはしなかった。
「この学校にしたこと、後悔している?」とハルカは協太に訊く。
「それはない」と協太は断言する。
「俺、若干浮いている感じはあるけど、中学まで部活の体育会系の中でずっと頑張ってきて、結構きついと思うこともあった。だけど、たまたま部活がない日にこの学校の説明会があって、学校から『三校は見学に行くように』って言われていたから、取りあえず来てみたけどさ、この学校だけだったんだよね」
「何が?」
「訊く前に『お手洗いはこちらです』って案内してくれたの」
「え?」
 予想外の答えに、ハルカは再び協太を見上げる。
 協太はふざけた様子もなく、しごく真面目に続ける。
「学校つくと、すぐ説明会の会場に案内されることが多いし、まあ、それが普通なんだけど、そうすると俺、意外と『まあ、後でいいか』って後回しにするところがあるんだよね。だけど、説明会の会場に行く前に、ちょっとトイレどっちかなって見まわしたら、案内係の先輩がすぐに来て、トイレの場所を教えてくれたんだ。まあ、渡された案内にも校内の見取り図が入っていて、それを見ればわかる話ではあったんだけど。それだけではなくて、一緒に行った友達も、トイレに行っとくって言い出した時には、『説明会の席はまだあるので大丈夫です』って、トイレ行ったら早く戻らないとと内心少し焦る俺のことも気遣って言ってくれたんだ」
「ああ、そこまでの気遣いは確かにこの学校でないと、なかなかないかも知れないね」
 ハルカは苦笑する。
 体育会系で、物事を大きくハッキリ捉える性格だとばかり思っていた協太の志望動機がまさかこんなにも些細でデリケートなことだとは思いもしなかった。
「それ、入試の面接でも言った?」と訊くと、「もちろん」と協太は頷く。
「先生は何て言ってた?」
「『世田くんも些細なことでも手を差し伸べられる生徒さんになってください』って笑顔で言われた」
「そうなんだ」と、ハルカは相槌をうつ。そして、「お花とか、お茶とか、お作法があるってことは?」と気になったことを訊いてみた。ハルカはお花もお茶もお作法も初心者で、特別な思い入れはなかったが、それらの授業をそれなりに楽しみにしていた。この学校に入学した女子はお花、お茶、お作法に造詣の深い子がいる一方、それらの授業を希望しての初心者も多い。中には、お花もお茶もお作法も苦手、という子もいるが、ごくごく少数だ。それに比較すると、現段階ではわざわざお花、お茶、お作法を習うことを希望する男子は少ないとハルカ個人は思う。学校も更に多様化した昨今、運動施設の充実した学校や、専門的な勉強のカリキュラムを組んだ学校はたくさんある。そうした学校ではなく、お花、お茶、お作法を学ぶ学校生活を選ぶことを協太はどう思っていたのか、知りたかった。
「それは内心、勘弁してくれ、と思った。実際、一緒に行った友達はそれと学校で給食があることが自分に合わないって、ここを受けなかった」
「来るまでそれ、知らなかったの?」
 某瑛校は学校案内にも、ホームページにも、お作法、お茶、お花の授業と給食については大きめに説明を出している。当然、それを知った上で説明会に皆来るものとハルカは思っていたが、協太のように『取りあえず』で来ると、そこをすっ飛ばしてしまうこともあると知った。そして、その『取りあえず』で来た中学生が、某瑛校を志望し、通うことになるケースがあることも。
「……部活で忙しかったから」と協太は小さく言った。さすがに自身の事前の下調べ不足を恥じたようだ。
「そうか」
 ハルカは驚きを表に出したことを、少し悪かったと思いながら相槌を打つ。「確かに忙しいと、夏休み中に三校見学は厳しいよね」と同意を示した後、心に浮かんで伝えたくなった思いを「あの三人は確かにこの学校に合っていると思うけど、世田くんだって、合っていると思うよ」とそのまま口にした。
「え?」
 協太が驚きと戸惑いの目でハルカを見る。
 ハルカは協太を見上げ、続ける。
「だって、世田くんは、隣のクラスに影響受けて揺れていたクラスをあんなにすぐ立て直したし、正座が得意でなければ先生に頼もうって、前向きに学ぶ人だし、十分適しているよ。それに、この学校の校風って、女子がしっかりしているって言われているけど、そこから世田くんがこの学校で今みたいに頑張ることで、見学に来た中学生がまた違った見方をするようになるかも知れない」
 協太はハルカを凝視し、「プラス思考の意見、ありがとう。俺、頑張るよ」と真面目な顔で頷く。
「役に立ててよかった」とハルカも頷き返した。
 雑談の中でのやり取りだったが、ハルカにとって高校入学以来、朝子と同等、或いはそれ以上に誰かを理解し、嬉しい気分になる出来事だった。


 翌日、協太は朝のホームルームの時間を利用し、文化祭でより良い結果を出せるよう、入口と出口で正座をする担当で、正座に自信のない人向けの指導を先生にお願いした旨を伝えた。
「もし、当日足が痺れそうだとか、まだ正座をした時の姿勢があまり良くないと思う人は、明日昼休みに先生に特別に指導してもらえるので、よかったら参加してください」
 これまで小道具作りに明け暮れて、夏休み中に決めた演出や振る舞いの見直しや改善まで考えが回らなかったクラスメイトは、協太の提案に「おお」と尊敬の眼差しを向ける。
 その場で出入り口担当のうち、四人が昼休みの正座指導に参加すると挙手し、ほかのお茶出し係やお化けの係も、当日の振る舞いや演出についての再確認をしようと相談し始めた。
 そして翌日の昼休み、昼食後に揃って先生の指導を受けることになった。
 まずはお礼である。
 時間外の指導をしてくださることに揃って感謝の言葉を伝えると、先生は満面の笑みで「今日のこの時間しかないので、みなさん頑張りましょう」と言った。
 和室で正座した六人にまず先生が注意したのが姿勢だった。
「みなさん、まずは背筋を伸ばしてください」
 先生を前に正座した六人は、緊張のために背筋を伸ばすのも少し力み過ぎて不自然な感じになる。
 それを先生は一人ずつ肩や背の状態を見て直していく。
「肘は垂直に。脇は閉じるか軽く開くくらいにしてください。手は太ももと膝の間の位置にハの字になるように。膝はつけるか、握りこぶしひとつ分開けてくださいね。足の親指は離れないように。スカートはお尻の下に敷いてください。ああ、当日は全員お着物なら問題ないですね」
 先生はそう言うと、正座を直した六人を見て回る。
「いくつか言いましたけど、これは正座をしやすくする方法ですから、難しく考えずに、自然とできるように心がけられるのが理想ですね」
 先生にハルカも協太も正座を見てもらい、「そうですね、いいですね」と言われ、その姿勢を維持する。
 先生は「みなさん、文化祭の出し物の時の正座ですから、正座だけに集中できませんよね。軽くお話でもしませんか」と提案した。
 そこで文化祭に何をするか、どのように決めたかを六人で先生に話した。協太の発言や、今回の提案については、ハルカを除いた四人も感心していたようで、自然に話にも熱がこもったようだった。協太は居心地悪そうに俯いていたけれど、その表情はどこか嬉しそうだとハルカには思えたのだった。
 きちんとした正座をして先生とお話し、短い時間であっても正座に自信を持てた六人は、指導の後、先生に心からのお礼を伝え、教室に戻った。


 文化祭の二日間、ハルカたちのクラスのお化け屋敷は大盛況のうちに終了した。初日、隣のクラスの列の前で『こちらのお化け屋敷では無料でお茶をお出ししています』と声高らかに宣伝をしていた朝子に隣のクラスの勝田キリが「ちょっと営業妨害しないでよ」と走り出てきたところを、「まあまあ」とハルカがなだめ、「せっかくですから、一度来てみませんか」とキリをお化け屋敷に連れて行った。執事の衣装が隣のライバルのクラスでありながら、見惚れるほどに似合っているキリをお化け屋敷に連れて行ったおかげで、キリとお近づきになりたいらしく、けれど勇気の出せない女子中学生三人が続けてお化け屋敷に入り、その後次第にお客さんの列ができていき、お茶係も忙しくなっていった。
 またハルカと協太、ほか出入り口担当の係は、お客さんが大きな荷物や飲み物を持っている時には連携して入口でそれらを預かり、出口に運ぶサービスをし、受付まで来たところでトイレに行きたくなったと言った小学生の子には戻って来たら並ばずに入れるように配慮したのだった。こうした時にはベテランの担任も進んで案内を引き受けてくれた。
 お化け屋敷終了後、卒業アルバムに載せる集合写真を衣装の白装束で撮影した時には、みんな最高の笑顔だった。この写真を自分の携帯にも保存したく、何人かの生徒は隣のクラスの知り合いに頼み、カメラマンの後ろから撮影をしてもらっていて、それを後で希望者に送信していた。
 しかし、それを勝る写メ送信希望者が続出したのは、白装束衣装の協太と隣のクラスのメイド衣装の直、友、素の四人の写真だった。この日、お化け屋敷を訪れ、預けていたお茶をうっかり忘れて行った直を協太が追いかけて渡した際、直は丁寧にお礼を言い、「あの、四人で写真撮っていいですか」と尋ねた。
 正座から立ち上がり、即座に走り出した協太が足をもつれさせないか内心ハラハラして見守っていたハルカが、直から渡された携帯で写真を撮った。
 この四人の写真は、瞬く間に『激レアショット』と校内で叫ばれ、あちこちからその写真を所望する声が上がったのだった。

 文化祭終了後、「無事終わったね」という声で振りかえると、協太が白い歯を見せて爽快な笑顔で立っていた。
「うん、あの正座十五分の状態からの全力疾走は見事だった」とハルカが言うと、協太は「そうなんだよ。大丈夫だったんだよ」と頷いた。
「それでさ、文化祭の打ち上げ、やらないかなと思って」
「あ、そうだね。打ち上げは有志の幹事がいればできるらしいね」
「俺、やるよ。隣のクラスの直とかの三人が『良ければ、うちのクラスと合同にしない?』って言ってくれているんだけど、どう思う?」
「……いいと思う!」
 ハルカは叫ぶように言った。
 別にハルカが直、友、素と親しくなりたいわけではないが、ハルカのクラスの女子では、それは夢のような機会だと捉えるのではないか。梗、藤子、百合江の三人はどうにか友を文化祭の最中に茶道部に招待できたようで、それを楽しそうに話してはいたが、こうした学校行事に誘うという口実がないと、なかなか声を掛けづらいらしく、今度はどうしようと相談し合っているのも聞こえてきた。クラスメイトの話を盗み聞きするつもりはないが、ホームルームの時間にクラス委員に注意されるまで盛り上がっていた三人の話の内容は、クラス全員が否応なく知るのが、ここ最近のハルカのクラスのお約束になっている。
「あ、でも、向こうのクラスの女子はいいって言ってる?」
 直、友、素は穏やかそうだが、遠目から見ても頼りない。勝手に話を進めて、キリたちの怒りを買うのではたまらない。
「それなら心配ないよ。だって、向こうの女子が言い出して、それを直たちが言いに来たみたいだから」
「そうなんだ」
 そう頷き、ふとハルカは協太を見上げた。
 もしかして、隣のクラスの女子の中に協太と親しくなりたい輩がいるのでは、という疑問は数秒で確信に変わった。
「協太くん、打ち上げ楽しみにしているね」
 後ろを通った隣のクラスの女子が、協太の背を軽く叩き、小走りに去って行く。
「うん、明日うちのクラスに言ってみる」
 明るく返す協太を見つつ、ハルカは自分の周辺も騒がしくなりそうな気がして、それは溜息をつきたくなるような気持ちとともに、どこか誰かに話せずにはいられないけれど、話したくはないような思いの差す心境だった。


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