[122]皆で正座しよう、地蔵盆


タイトル:皆で正座しよう、地蔵盆
分類:電子書籍
発売日:2021/07/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:44
定価:200円+税

著者:海道 遠
イラスト:よろ

内容
 主に関西で催される夏の終わりの風物詩、地蔵盆。一年に一度、子供の守護菩薩のお地蔵様はお化粧を直されて読経される。
 OLの青木美夏は、ご近所の奥さん方や町内会長に混じって手伝いを始めるが、奥の下宿屋から下手な歌が聞こえてくるのが気になって苦情を言いにいくと、部屋にはギターを抱えた若い男がいた。ゴザの上では子供たちが、ペタンと姉さん座りにして正座していないことに気づく。ゴザの下は石造りの小路なのだ。さて?

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本文

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第 一 章 地蔵盆

 京都。旧盆も終わり残暑厳しい中、美夏が汗をふきふき会社勤めから帰ってくると、子供のはしゃぎ声が満ちて、小路の奥に各家庭の提灯がズラリと並んで飴色の光を放って輝いている。
 地蔵盆だ。小路の中間にゴザが敷かれて石で彫られたお地蔵様が祠から出されて祀られ、供物の果物やおやつが山と供えられている。
 初老の町内会長さんも、当番の奥さんたちに混じって見守ったり手伝ったりしている。
 そういえば、昨日はお地蔵様が一年の汚れをぬぐってもらい、きれいにお化粧されて新しいよだれかけを着けてもらっていた。

 お地蔵様の祭壇の裏側になる小路の奥まったところに、大型ごみ収集所があり、新型の古い家具が捨てられてるのに混じって骨董品のような黒光りしたタンスや鏡台や文机が無造作に置かれているのが目に入った。何かが突き出してるので引っぱってみると、実際に持ったことのない琵琶ではないか。
(琵琶まで。螺鈿がきらきら。レトロ感たっぷり。もったいないわ~~)
 骨董品好きな美夏は、琵琶をそっと元の位置に戻して、未練を残しながら自宅へ急いだ。

 翌朝、美夏は仕事のある母親の代わりに地蔵盆の手伝いをしようと家から飛び出した。朝から太陽がまぶしい。
 それにしても昨日から耳ざわりなのは、小路の奥の下宿屋の二階から聞こえてくる下手で聞くに耐えないギターの音と歌声だ。
(いったい誰だろう? 地蔵盆の間くらい静かにしてほしいな)
 美夏は内心、気になりながら地蔵盆の用事にとりかかった。
「私もお手伝いします」
 ご近所の当番の主婦に混じってお昼時には昼食を配る手伝いをした。子供たちが群がる。
「美夏ちゃん、お母さんの代わりやね。助かるわあ。最近は人手もなくて煮物を作るのも大変でね、ファーストフードにしてるねんよ」
「これなら配るのも楽ですもんね」
 十五時には、僧侶が来て大きな数珠回しの読経が始まる予定だ。
 二階からの歌声はまだ続いている。美夏は、いっそう苛立ってきた。

**********
 美夏の住む町中に細長い路地がいくつもある。小路ともいう。
 小路の入口には小さなお地蔵様の祠がある。京都や関西では町内ごとに、ひとりだったりふたりだったり町内によってさまざまな石造りのお地蔵様が祀られている。
 辻信仰である。
 旧盆前後には地蔵盆という行事があり、お地蔵様は白粉(おしろい)と紅(といってもペンキだが)できれいにお化粧され、新調された真っ赤なよだれかけをかけられる。
 新調されたよだれかけは、一年以内に町内で産まれた赤ん坊の名前が書かれてその家から奉納されるのだ。
 日差しよけのテントが張られ、ゴザが敷かれ、僧侶が直径三メートルくらいの巨大な数珠を百八周廻し、お地蔵様に向かって読経する。他の時間は自由に開放されるので、子どもたちが遊んでいたり、お婆ちゃんたちがおしゃべりしていたりする。
 一日二回ほど子供を中心におやつや煮物が配られ、夜にはそれぞれ好きな歌を歌ったりゲームをしたり、子供の守護であるお地蔵様の前で賑やかな宵を過ごす。
**********

 美夏は、OLになった今も、楽しかった子供時代の地蔵盆を鮮明に覚えている。
 晩ご飯をかき込んで早めに風呂に入り、浴衣を着つけをしてもらって駆けつける。童謡や歌謡曲まで何回も歌っておやつをもらったな~~と懐かしく思い出す。
 今年もお盆過ぎの晩夏がやってきたのだ。

 ギターの音と音程の外れた歌声はずっと続いている。
「もう我慢でけへんわ。ようし!」
 美夏は直接、苦情を言いに行くことにした。奥の下宿屋へ向かっていった。
 ガラス戸を勢いよく開け、
「ごめんください! おばさん、下宿屋のおばさん!」
 大声で叫んだが応えがない。
「ごめんくださ~い! 青木です!」
 依然として応えがない。階段の上から下手っぴいなギターの音がポロンポロンと聞こえ、音程外れな男の歌声が続いているだけだ。
「しかたないなあ!」
 美夏は靴を脱ぎ、勝手に上がりこんで階段を昇った。目の前には薄汚れた襖が立ちはだかる。
「失礼します。近所に住む青木と申しますが」
 思い切って襖を開けた。

第 二 章 オンチな下宿人 

 若い男が振り返った。雑誌や空き缶が散らかった雑然とした六畳間に、ギターを抱えて座っている。いきなりやってきた美夏に、誰かとばかりに目を見張った。
 美夏は思いきって声をかける。
「あの~~、今日と明日は地蔵盆で、皆、楽しみに集まってるんです。あの……その……ギターと歌声が……」
「え? もしかして、その地蔵盆というのに参加して、俺に歌ってほしいとか?」
「はあっ?」
 やや長髪の若い男は少年ぽく瞳を輝かせて美夏を見た。
「だって、おじさんやおばさんがカラオケの準備してるでしょ。だったら僕も一肌脱がなくちゃならないかな? と思ってたとこなんで」
「ちゃんと下の様子を知ってたんですね」
「そりゃ、窓から丸見えだもん。何をやるんだか分からなかったけどお祭りだよね?」
 男の部屋は冷房などないようで、白いTシャツが汗まみれだ。部屋全体が汗臭い。
「ところでお宅は?」
 男はアゴをしゃくった。
「三軒先の青木です。地蔵盆の当番だから手伝っています。あなたは関東の方やね。言葉が」
「ああ。はい。昨年から下宿させてもらってる九十九悠鷹です」
「九十九さんは学生さんですか」
「はあ、まあ。ところで皆さん、歌うのは今晩ですか。僕はその時でいいですか?」
(え? さっきの歌を皆さんの前で歌う気なのかな? 褒められるとでも思ってるのかな?)
 厚かましさに呆れる。
「子供さんとご年配の中で、本格的な歌が聞ければ若者も集まってきたりして」
 九十九悠鷹は勝手にニヤニヤして頭を掻いた。
(自惚れてるな~~。あんたの下手っぴいな歌なんて聞きに来る人、いないって)
「今晩の参加はご自由ですけど、それまで静か~~にギター弾いていただけますか? 午後からはお坊様の読経もありますので」
「あ、そうですか。オッケーです!」
 悠鷹は軽く請け合って、額に噴き出る汗をタオルでぬぐった。
「じゃ、お願いしますよ」
 美夏は言い渡して階段を下りた。玄関を出ない間に、元通り大声の音程はずれた歌と頭の痛くなるようなギターをつまびく音が鳴った。
(ダメだ、こりゃ)

 午後三時になり、当番の大人や子供たちが待っているところへ、軽のバイクに乗って僧侶が到着した。
 黒い衣を着けた僧侶は七十年配だ。ヘルメットを脱ぐと首筋の汗をふきふき草履を脱いで扇子をバタバタさせながら、ゴザの上に上がってきた。
「いやあ、皆さん、ご苦労様。いつまでも暑いですな」
 お地蔵様のお祀りしてある傍らに大きな木箱があり、町内会長さんが蓋を開けた。中には巨大な数珠が入っている。取り出して子供たちも交えて広げてみると、茶色い木で作られた一粒一粒がミニトマトほどの大きさの数珠である。直径は三メートルほどある。
「はい、みんな。お坊様のお経にあわせてこれをぐるぐる回すから手伝ってください」
 町内会長が叫んだ。小さい子供たちは珍しそうに寄ってきて、数珠を持ち、円になって座った。
 美夏も子供たちの間に入って正座した。ゴザの下は石なので固くて痛い。僧侶だけが金ぴかの座布団の上に座っているが、まっすぐならずに背すじをゆがめている。
 子供たちも大半がぺったりと足を開いて座る姐さん座りになっている。その姿は、行儀作法を習ったことのある美夏の心に引っかかった。
「ゴザの下は石だから、正座しようとしても痛いよね」
 読経が始まった。当番の奥さんのひとりがキンキンと鐘を打ち、読経の間に巨大な数珠が回される。数珠が一周まわる度に途中に着けられた紫色の房が回ってきたのを確かめて、奥さんが回数を間違えないように木製の台に数え札を置いていく。この札が百八個ならぶと百八周したことが判るという仕組みだ。

第 三 章 厚かましいヤツ

 お経が始まっても例の二階の下宿人の部屋からは、相変わらず耳ざわりなギターの音と歌が聞こえてきた。
 美夏の頭がふつふつと沸騰し始めていた。
(あいつ、あれほど言ったのに……)
 時折、僧侶の読経の声よりも大声で歌っている。キンキンと打ち鳴らされる鐘の音よりも大きい。
 美夏のイライラが読経と共に大きくなる。
(おねえちゃん、早い早いねえ)
 隣に座って数珠を回すのを手伝っていた六歳くらいの女の子が、美夏を見上げてもらした。
 数珠の回転するスピードについていけず、手を離してしまっている。
(いけない、私ったら。あの歌声とギターの音に気を取られて……。子供たちに楽しんでもらわなきゃならない地蔵盆なのに)
 美夏は奥さん方や他の子供たちに告げた。
「皆さん、小さい子たちのためにもう少しゆっくりお願いします」
 その声に大人も他の子供もハッとして、数珠回しのスピードを緩める。
「ああ、助かったよ。回るスピード早くて、俺もついていけなかったんだ」
 そう言ったのは、オンチの下宿人、九十九悠鷹ではないか。ギターまで背負っている。さっきまで二階から下手な歌が聞こえていたのに、いつの間に数珠回しに加わったのだろう?
「あ、あなた、いつの間に?」
「ついさっきだよ」
 悠鷹は白い歯を見せてにっこりした。
 その笑顔にはずうずうしさの欠片もない。無邪気なのだ。
(やれやれ)
 文句を言う気も無くなって、美夏はもう一度座った。数珠は後二十回のところまで来ていた。

 ようやく僧侶の読経と鐘の打ち鳴らしが無事に終わり、皆、ホッとした。
 僧侶は立ち上がったが、足がしびれたらしく力が入らない様子だ。足首がぐにゃぐにゃしている。足を引きずって着替えをしようと飾り壇の裏側へ回った。その時、出っ張っていた大型ごみに足を取られた。
「わあっ」
 お地蔵様のお菓子やお花をお供えしてある壇に、裏側から倒れてしまった。
 がらがらがら……。
 木組みのお供えの棚は、巨体にのしかかられ、いとも簡単に崩れてしまった。子供たちが悲鳴をあげた。
「お坊様! 大丈夫ですか!」
「お坊様!」
 町内会長や奥さんたちは口々に叫び、僧侶を助け起こした。
「申し訳ありません。あんなところに大型ゴミを置いておきまして」
「いや、どうもない、どうもない。足を打っただけや」
 立とうとしたが、顔をしかめてうずくまってしまった。
 悠鷹が飛び出してきて、僧侶の足首を触ってみた。
「動いちゃだめだよ。お坊さん。捻挫してるじゃないか。さ、俺が送っていこう」
 背中を向けて僧侶にうながす。
「ああ、こりゃ、すまんのう」
 僧侶は悠鷹の背中に背負われてバイクまで運んでもらい、悠鷹がバイクを運転して病院へ運んで行った。
 美夏や奥さんたち、町内会長、子供たちは呆然と見送った。

第 四 章 悠鷹の歌声

 悠鷹が炎天下の中、歩いて戻ってきた。
「お坊さんは全治一週間だって」
 報告を聞き、皆はホッとした。奥さんたちが缶ジュースを次々に悠鷹に差し出している。
「あ、ありがとうございます」
 彼は笑顔で受け取り、差し出されるだけのジュースを飲んだ。
「あ~あ、生き返った。……しかし、腹へった」
「焼き芋のおやつがありますよ。良かったらどうぞ」
 またもや、奥さんたちに取り囲まれておやつの焼き芋を頬ばった。
 その様子を見た美夏は、わけが分からずモヤモヤした。
「さ、今度は僕がお返しに一曲歌います」
 悠鷹はギターを膝に乗せた。
(わっ、あの下手くそな歌とギターを披露する気? さっき言うてたのは本気やったんや)
 耳を覆いたくなる美夏だったが……。

 ♪ さよならしたくなかったよ
   あなたの手のぬくもりを感じていたかった
   もう一度握ってほしい、
   しっかり
   今度こそ、どこへも行かないように……

「……?」
 美夏は片付けの手を止め、自分の家の夕飯作りに帰りかけていた奥さんたちが足を止めて戻ってきた。
(上手いやないの! 二階で練習してた時は、あんなに下手やったのに、どうして?)
 キツネにつままれたような気分だ。
 悠鷹が歌い終わると、奥さんたちから拍手が湧きおこった。
「おにいさん、歌、上手やねえ」
「かっこよかったわよ。今晩の子供たちののど自慢大会にも出てちょうだい」
「ありがとうございます。でも、今夜は申し訳ないけど歌えないです」
 悠鷹は申し訳なさそうに言った。
「え、残念だわ」
「ほんと。歌えばいいのに」
 奥さんたちは、心から残念そうに諦めるしかなかった。

 下宿屋に入ろうとする彼に美夏が声をかけた。
「どうして今夜、歌えないの。そのつもりじゃなかったの?」
「そのつもりだったんだけど、急に実家に帰ることになったんだ。これから荷造りする」
「ええ?」
 これには美夏も驚いた。悠鷹にはまったくそんな気配がなかったというのに。
 その時、ガシャガシャという音が聞こえたので振り向くと、お地蔵様の裏側に積んであった大型ごみが移動されようとしていた。
 町内会長がカンカンになって怒っていた。
「こんなところに大型ゴミを溜めておくから、お地蔵様の罰が当たったんだ。おかげで僧侶が捻挫してしまった。他の町内の読経に行けなくなってしまい、この町内の面目が立たない」
「――で、大型ゴミの収集を待たずに持ちこみすることになったんだって」
 後を継いで悠鷹が言った。
「どうして、あなたがそこまで知ってるの」
「さっき、報告があったのを聞いただけさ」
 汗をかきながら懸命に歌っていた悠鷹はどこへやら、とても悲しそうだ。
「もう少し、ここに居たかったけどなあ」
「え? あなたが実家へ帰ることと大型ゴミの話がごっちゃになってない? 何か関係あるの?」
「まあいいじゃないか」
「まあいいってどういうことよ」
 表通りに町内会長が軽トラックを持ってきて、小路の入口からバックし始めた。

第 五 章 荷造り

 軽トラックは新しい型のゴミを積み上げ、第一弾が出発した。
「お坊さんが大型ゴミのはしっこにつまずいて捻挫してしまったんやもんね。他の町内の読経には行けなくなるし、町内会長がご立腹なのも無理あらへんわ」
 奥さんたちと反省する美夏だった。
 振り返ると悠鷹の姿がない。美夏は階段を駆け上がった。
 悠鷹は早くも押し入れから衣類など取り出し、荷造りしている。
「えらく早い行動ね」
 美夏も座って大量の本やCDなどをヒモでまとめ始めた。
「ああ、ありがとう。適当にまとめてくれれば助かるよ」
「私、初めてよ。今朝、知り合った人とその日のうちにさよならするなんて」
「俺も今晩、歌いたかったけど仕方ないさ」
(いったい、何の急用が……)
 美夏は喉元まで出かかった言葉を飲みこんだ。そこまで詮索するなんて、初対面同様の人にできない。そのうちに荷造りはすっかりできてしまった。

「外へ出ましょうか。もうすぐ涼しくなるわ」
 残暑の中にも夕風が立ち始めている。
 悠鷹は残された大型ゴミのところへ歩み寄った。二回目に運ばれる分は骨董品ばかりだ。明治か大正時代のタンスや鏡台、手鏡、火鉢、何故か琵琶まである。
「家財道具はわかるけど、どうして琵琶まであるのかしら」
 改めて琵琶を見下ろしている時、
 中年男がわめきながらやってきた。
「わ~~~! 俺の大切な骨董品! 親父のやつ、勝手に処分する気だな!」
 中年男は骨董品のタンスに抱きつき、鏡台をナデナデし、
「可哀想になあ、お前たち。もう少しでゴミ処理場へ持っていかれるとこだったんだよ。間に合って良かった」
「あら、町内会長の息子さんが出されたゴミだったんですか」
 奥さんのひとりが言った。
「僕は出してへん! 親父が勝手に出してしもたんですねん! 僕の宝物を! 特にこの琵琶は抱きしめて寝たいくらい大切な宝物なんや」
 会長の息子という中年男は、琵琶の柄を抱きしめて涙を浮かべた。
 そこへ荷台が空になったトラックが帰ってきた。
 会長は飛び降りるなり、
「おい、ツトム! お前、まだその汚らしい物に未練があるのか。父さんがやっとゴミに出してやったのに」
「汚らしい物とは、なんやねん、父さん! 俺には命より大事なもんや。絶対、ゴミには出さへんで!」
 ひとりの奥さんが、
「あのう、親子ゲンカなら家でやって下さいな。今日は地蔵盆ですよ」
「ああ、こりゃすまんかった」
 会長は謝り、
「ツトム! 今回は勘弁してやる。骨董品を家に戻せ」
「えっ、ええのか、父さん」
 会長は町内会の皆の手前、仕方なく息子の骨董品を元に戻させた。
 息子は嬉しそうに家へ戻していく。螺鈿の琵琶も撫でられながら運ばれていかれた。
「会長の息子さんって、骨董品集めの趣味があったんやね」
「あの琵琶、螺鈿やさかい、すごい値打ちもんと違う?」
 奥さんたちがこそこそ噂している。
「さあ、荷造り解こうぜ」
 急に背後で悠鷹が言ったので、美夏は我に返った。
「と、解く? 荷造りできたばっかりのを? どうして?」
「実家に帰らなくてもよくなったんだ」
「ええ? どういうこと? いつの間に帰らなくてもよくなったの?」
 美夏にはさっぱり訳が分からない。悠鷹はそれ以上、何も言わず二階へ上がってしまった。

第 六 章 正座のお稽古

 夕方、六時半になって、家で大急ぎで夕飯やお風呂を済ませた子供たちが、地蔵盆のゴザの上に集まり始めた。美夏がお地蔵様のお供え壇の前に立った。そしてパンパンと手を鳴らした。
「昼間、皆さんの座り方を拝見してました。お姉さんは、少し座り方を習ったことがあります。皆さんの座り方は、べたっとしていて、とてもお地蔵様に手を合わせる姿とは思えませんでした」
 子供たちは顔を見合わせたり、美夏を睨んだりした。
「そこで、ちょっぴり時間をもらって正座のお稽古をさせてもらうことにしました。町内会長さんの許可もいただいてあります。ほら、お坊様みたいに捻挫してしもたらアカンでしょう?」
 きょとんとしながらも、子供たちは、何か始まると分かってワクワクする様子だ。
「じゃ、正座の順番をやってみますね」
 美夏は青地に朱い朝顔柄の浴衣姿で、すっくと立った。
「背筋をまっすぐ。視線は真正面にして床に膝をつきます。そして浴衣の裾を膝の内側にはさんで、かかとの上に静かに座り、両手は膝の上に軽く乗せます」
「お姉さん、きれい」
 八歳くらいの女の子が目を輝かせて言ったので、美夏は照れた。
「いや、教えるのはあんまり慣れへんねんけど」
「何、照れてんだよ。浴衣を褒めたんだよ、な? お嬢ちゃん」
 いきなり言ったのは、九十九悠鷹だ。
「な、何よ、失礼やね。違うわよ、私の正座の所作がきれいだと思ったんやわ、ねえ、お嬢ちゃん」
「ううん、浴衣のお花がきれい」
 正直な少女の答えにがっくりしつつ、美夏は可愛いと思った。
 憎らしいのは九十九悠鷹だ。
「ほらな、浴衣の柄が褒められたんだよ」
「あなたは静かにしていて下さいな。みんながマスターするまで、のど自慢は始めませんから、頑張ってや」
「えええ~~~」
「その座り方覚えないと、のど自慢始めへんの?」
 子供たちは不満の声を漏らした。
「その代わり、家からお座布団を持ってきてもええわよ」
「お座布団、持ってきてもええの?」
「私、足が痛かったんや」
「ボクも!」
「家に取りに行ってこよう!」
 子供たちは次々に自宅へ座布団を取りに戻った。

第 七 章 九十九神

 座布団を取りに戻った子供たち二十人ほどは、足が痛いのを我慢する必要がなくなり、大乗り気で正座のお稽古をしたのだった。
 ちっともじっとしていない男の子たちや、ゲーム機を離さない子も真剣にお稽古して、どうにか順番を覚えた。
 九十九悠鷹も、ちゃっかりお稽古に混じっていたのには、美夏は空いた口がふさがらなかった。
「えっと、まず真っ直ぐ立つ。それから床に膝をついて、俺は半パンだから膝の裏に折りこまなくていいよな。それからかかとの上に座り、両手は膝の上に軽く置く……と。これでちゃんとできてる? 先生」
「悔しいけど上手ですよっ」
「なんで悔しいの?」
 悪びれない笑顔で美夏を覗きこむ。
 どうして悔しいのか、強いて言えば、しがない下宿生なのに憎めない爽やかさを持っていて、だしぬけに絡んでくるからなのか。
「なんでって……なんでもあらへんわ」

 正座のお稽古が終わり、正座をできるようになった子供たちは、のど自慢大会が始まるのを座布団に座って待った。
 町内会長がマイクを用意したり、てんてこ舞いしている。
 やがて、のど自慢大会が始まり、子供たちは好きな歌をそれぞれ歌い始めた。大人も混じってカラオケを使って十八番を披露している。

 夜になっても残暑厳しい暑さが残っている。
 美夏が涼もうとして小路を出てくると、昼間、骨董品を家に戻した町内会長の息子が大きな風呂敷包みを持って、そっと暗闇を歩いてくるところだ。
(なんだろう? あの息子さんが大きな荷物を……)
 思う間もなく、町内会長さんの怒鳴り声が追いかけてきた。
「こらっ、ツトム。骨董品をまたどこかへ運ぶつもりだな」
「この螺鈿の琵琶だけは家に置いておいたら、またいつ大型ゴミに出されるか分からないから、場所を移動させるんだよ。親父、俺の好きにさせてくれ」
「男のクセに琵琶なんぞ抱きおって! 女々しいったらありゃせん!」
 会長は息子の抱いている風呂敷包みを無理やりひったくろうとして抵抗する息子と睨みあう。
「会長さん、息子さん、やめて!」
 美夏が止めさせようとしたが、親子は離れない。ご近所の奥さんたちも間に入りふたりを引き離した。
 息子は、肩で息をしながら風呂敷包みを抱きしめたまま泣き出した。
「僕の宝物の琵琶はどこにもやらへん……」
「泣くなっ! ツトム!」

 お地蔵様のゴザの辺りから歌が聞こえてきた。美夏はカラオケの音かと思ったが、九十九悠鷹がギターを伴奏しながら歌っているのだった。
 昼間は立ったまま歌っていたが、なんとゴザの上に正座して歌っているではないか。

 ♪ あなたの手のぬくもりを感じていたかった
   もう一度握ってほしい、しっかり
   もし、どこかへ行っても、あなたの手のぬくもり、
   しなやかさを忘れたりしないから
   忘れたりしないから……

 悠鷹は歌い終わると立ち上がり、テントを出て町内会長親子の前へやってきた。真剣な表情で、
「ケンカしないでください。お父さんは息子さんの好きなことを考えてあげて、息子さんもあなたを思うお父さんのことを考えて」
 会長親子は下を向いて黙りこんだ。

 九十九悠鷹は美夏のところへやってくると、笑顔になり、
「ありがとう。あんたのおかげで夏の終わりのいい思い出ができたよ」
「私は何も。町内のお手伝いをしただけよ」
「正座って初めてまともにやってみたけど、気持ちが落ち着いていいもんだね」
 そう言ってから、まだのど自慢の続いているテントを後に、下宿屋に戻った。

 翌朝は日曜だ。またもや朝から残暑が厳しい。
 美夏は昨夜、遅くまで地蔵盆の後片付けをした。
 お地蔵様にお供えしてあったお菓子や果物は、各家庭におすそわけして、テントはたたまれた。
 今朝になってみると小路はガランとしていて、人が通れる道になっていた。お地蔵様は辻の祠に戻されている。
 美夏が祠の格子戸越しに覗くと、ふたり対になったお地蔵様は、真っ白なお顔でニコニコしていた。
 地蔵盆が無事に終わり、ほっとしていると、下宿屋のおばさんが出てきた。
「美夏ちゃん、夕べはご苦労様でした」
「はい。ご苦労様でした」
「ところで、うちの二階の下宿人、九十九さんから」
 下宿屋のおばさんから、封筒を手渡された。
「手紙?」
 美夏は急いで封を破った。
『実は、俺は人じゃない。九十九神なんだ。古い道具に魂が宿る九十九神。俺は捨てられそうになっていた螺鈿の琵琶の九十九神なのさ』
「九十九神……?」
『町内会長の息子さんが必死で守ってくれたけど、古びてしまって、あんたがこれを読む頃には、崩れてぼろぼろになっちまって、カタチは無いと思う。だからもう一度ありがとう。正座も教えてくれてありがとう。浴衣を着て正座したあんたは、鮮やかな朝顔そのものだったぜ。
 カタチは無くなっても九十九神はずっと存在するから、泣くなよ』
「やっぱり、うぬぼれてるなあ……」
 手紙を握りしめる美夏の手に、温かい大粒の涙が落ちた。

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