[216]マドンナ・ブルーの正座



タイトル:マドンナ・ブルーの正座
発行日:2022/01/01

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:48
販売価格:200円

著者:海道 遠
イラスト:よろ

内容
 女子大生でおとなしい、すわりと友人の立夏(りつか)と、いとこのメグルは「正座のチカラ」という秘湯をめざして山深い温泉へやってきた。
 送迎バスが休みで山道を歩く三人。立夏は正座初段でいつか何かで起業するのが夢だ。すわりは正座のお稽古初心者、メグルは大学で「温泉巡り同好会」に入っているのんきな若者。
 途中、養蜂家の飛翔(ひしょう)という青年と出会い、マドンナ・ブルーというハーブのことを教えてもらう。
 
販売サイト
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本文

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第 一 章 瑠璃色の花

 三人の若者が路線バスを降りると、緑あふれた世界だ。
 良いお天気で空も青く美しく、新鮮な空気を吸ったすわりは両手を伸ばして深呼吸した。
「ああ、山の匂いだわ! 久しぶり!」
「駅からバスで二時間だったもんね。旅館の送迎バスが急にお休みってどういうことよ」
 すわりの後ろでふくれっ面しているのは、親友の立夏だ。
「すわりが山深い秘湯、それも『正座のチカラ湯』っていう秘湯があるからって言うから来たのに、ここから山道を歩くの?」
 ぶつぶつ言いながら、木立でうっそうとして暗い山道を歩き始めた。
「ごめんね、立夏。旅館、急に人手不足みたいなので。でも立夏はバスの座席で正座してたから楽ちんだったんじゃない?」
「ええ。普通に座っていたら足がむくんで大変だったと思うわ」
「さすが、正座初段ね!」
「正座初段? 正座に段とか級とかあるのか?」
 背後から声をかけたのは、すわりの従兄のメグルだ。
「そうよ。立夏ちゃんはすごいんだから。まだ正座を始めたばかりの私と違って」
「へええ」
 メグルは大学で温泉巡り同好会に入っているのんきな若者だ。
 すわりは積極的な立夏とは対照的な引っ込み思案な女の子だ。立夏に正座を教えてもらう決心をして「正座のチカラ湯」をたまたま見つけて誘ってみたのだ。
「それなりに正座の初段取るのは大変だったわよ。所作の実技以外にも、正座の歴史や効能の筆記試験とかがあるのよ」
「立夏ちゃん、すごく勉強してたもんね」
(※創作上の設定)
「ものはついでよ。メグルくん。正座の所作を教えてあげましょう」
「えっ、ここで?」
 樹々の茂った山道だが、立夏は思い立ったらすぐにやる。
 狭い草地に、立夏は移動した。
「背筋をまっすぐして立つでしょう? それから膝を地面について、スカートの時は膝の内側にはさみこみ、かかとの上にゆっくり座ります。両手は膝の上に。さ、あなたもやってみて」
「ここでか?」
「十分できる広さよ」
 立夏の指導の下、リュックを下ろして、メグルは正座の所作を繰り返しやった。
「うん、十回目か。まあまあの出来よ。これでよそのお宅へ行っても恥ずかしくないわね」
「やれやれ」
 三人とも草地に腰を下ろし、休憩した。
 メグルが、
「ところで、そこに立ってる道しるべに『正座チカラの湯』まで三キロって書いてあるけど、冗談だろ?」
 白いペンキで塗った木札の道しるべがある。
「本当だわ! 旅館まで三キロ? この山道を?」
 すわりはゲンナリした。
「仕方ない! 普通の車も通れない広さだもん。行きましょ!」
 立夏はさっさとリュックを背負った。
「歩くしかないのか……」
 メグルとすわりも後に続いた。

 両側から木々に覆われた細い山道を、三人の若者は登り始めた。
 道のすぐ横は崖になっているところもあり、気を抜いては歩けない。崖の下は谷川が流れて爽やかな水音がする。
「ねえ、立夏ちゃんて、起業を考えてるんでしょ」
 すわりが背後から声をかけた。
「何よ、こんなところで。……まあね」
「へええ、起業だって?」
 メグルが後ろから話に入ってきた。
「それで、今から行く旅館、『正座チカラの湯』には『正座のチカラ』っていう成分の温泉があって、その研究のためにも行く気になったのよね」
「すわりちゃんが熱心に誘うんだもん。同じことなら何か起業のヒントにならないかなって思ったのよ」
「へ~~。すごいねえ、まだ学生なのに」
「メグルくん。今どき、何言ってるのよ。起業する学生はたくさんいるわよ。メグルくんの将来の目標は何?」
「俺の目標? う~~ん、とりあえず学生の間に日本中の秘湯巡りをやる。それを達成してから考える」
「……のんきねえ」
「でも、今から行く『正座のチカラ』成分の入ってる温泉にもすごく興味あるんだぜ」
 などと、おしゃべりしながら歩いていくと、分かれ道があった。今度は道しるべが無い。
「どっち行けばいいんだろ?」
「スマホも役に立たないわ」
 ちょうどその時、落ち葉を踏んでやってきた人物がいる。作業服姿で麦わら帽子に黒いネットのついた帽子を着て、ネットはめくり上げている。
「あ、ちょうどよかった。道を教えていただけませんか? 『正座のチカラ湯』っていう旅館を目指してるんですが」
 すわりが声をかけると、三十歳くらいの骨太い男はアゴの汗を手の甲でぬぐって顔を上げた。
「ああ、『正座チカラの湯』なら、今、俺が下ってきた道をずっと行ったところだよ」
 男はにっこりして言った。
「木立の隙間から、青い花がいっぱい見えるだろ。あれが有名な『正座のチカラ湯』の元になるハーブだよ」
「ええっ、『正座のチカラ』ってハーブなの? お湯の成分じゃないの?」
「あのハーブが湯の成分になるんだよ。詳しいことは、旅館の旦那さんがしゃべるだろうよ」
「あ、そうですね。すみませんでした」
 すわりがお辞儀して行こうとすると、青年は、
「俺は養蜂家の飛翔。また会うだろう。じゃあな」
 山道を逆の方へ行ってしまった。
(あの青くてきれいな花が、『正座のチカラ』の原料ハーブ……)
 樹の間から陽ざしを受けて咲く青い花は、目に鮮やかだ。

第 二 章 青い花を売る女性

 三人が山道を登っていくと、急に視界が開けた。
 道路が通っていて、道の駅があるではないか。
「あれ? どうしてバスはここまで通ってないのよ。今まで歩いてきたのは何だったの?」
 すわりと立夏は顔を見合わせ、メグルは呆気に取られていた。
「とにかく休憩しよう。へとへとだよ」
 三人は倒れかかるようにベンチに座り、自動販売機で買ったジュースなどを飲んだ。
「やれやれ、やっと一息ついたわね」
 道の駅の建物の中へ入ってみた。穫れたての野菜の市でにぎわっている。
 キュウリ、トマト、ブロッコリーなど野菜が積まれた奥に、ひとりで花を売っているおばさんに気がついた。
 むしろを敷いて座っている。正座だ。背すじがピンと伸びて素晴らしい正座だ。絣の地味な作務衣を着ていて農家用の日よけ帽子を被っているが、目鼻立ちはデパートで化粧品でも売っていそうな美人だ。
「きれいなお花ですね」
 すわりはおずおずと話しかけてみた。
 おばさんと呼ぶには失礼な気がするが、美人おばさんはにっこり笑って、
「どのお花がお好き?」
 水仙やカーネーション、菊や小さなひまわり、スイートピーなど心が和む可愛い花が並んでいる。その中に、すわりはさっきの青い花を見つけた。
「この花はっ!」
「マドンナ・ブルーっていうんですよ」
「マドンナ・ブルー?」
 花の中でひときわ目立つ瑠璃色の美しい花だ。
「これはハーブの一種なんですよ。日本ではボリジっていうんです。青い星型の花が可愛いでしょう? 咲き始めはピンクなんですけどね。効能はいろいろありますけど、憂鬱をやわらげて勇気を持たせてくれるそうですよ」
「まあ、そんな効能が」
「もう少し先に温泉がありますけど、この花の混じった堆肥(腐葉土や家畜の糞を発酵させたもの)の成分が流れ込んでいるので、入浴すると効き目があるらしいですよ」
「まあ」
 すわりの横で、立夏も真剣に聞いていた。
「何より、膝を痛めている人の痛みを緩和し、正座しやすくなります」
「まあ、正座が」
 すわりと立夏は目を輝かせた。
「他にもいろいろと重宝しますよ。花びらをサラダに散らしたり、ジュースに浮かべたり。若い茎葉は少量ならサラダや天ぷらなどで食べることができますしねえ」
 美人おばさんの説明は続いたが、すわりたちの関心は、正座のところで止まったままだ。
「あちらの温泉では『正座のチカラ』として効能が有名ですが、このマドンナ・ブルーが元なんです」
「『正座のチカラ』!」
「そ、その噂を聞いて、私たち温泉へ行くところなんです」
「まあ、そうでしたか」
 美人おばさんは目を細めた。
「温泉の源泉に効能が含まれているのじゃなく、マドンナ・ブルーの混じった堆肥が『正座のチカラ』の正体だったのね」
 立夏は興奮して立ち上がった。
 他にも美人おばさんはいろいろと教えてくれた。

「正座のチカラ」の効能
 痛んでいた膝の痛みが緩和し、正座しやすくなる。
 正座すると背骨がまっすぐになり、姿勢が良くなる。
 正座することによって(湯舟の中で正座するといっそう良い)静かに物事を考えられる。畳に正座した時にしびれにくくなる。
 ミネラルも豊富。ミツバチの集める蜜も豊富などなど。
 立夏は素早くスマホに打ってメモしていた。

「ミツバチの集める蜜も豊富?」
「ええ、そうよ。あっ、飛翔くん、ちょうどいいところへ」
 美人おばさんが声をかけたので、振り向くと先ほど道を教えてくれた作業服にネットつきの帽子を被った青年が戻ってきたところだった。
「飛翔くん、今、こちらのお若い方々にマドンナ・ブルーのことをお話してたのよ」
「やあ、さっきの」
 青年は白い歯を見せてにっこりした。
「養蜂家さんなのよ」
「じゃあ、ミツバチがマドンナ・ブルーの蜜を集めるんですね」
 すわりはマドンナ・ブルーの花を十本買い、新聞紙にくるんでもらった。
「花束にするとよけい素敵だわ」
「新聞紙の花束ですけどね。これから、お嬢さんたちは『正座チカラの湯』へ行かれるんですって」
「じゃあ、俺の車に乗って下さい。俺も行きますから。ミツバチの蜜のことで『正座チカラの湯』さんにはお世話になっているんで」
「わあ、助かった!」
 一番にメグルが叫んだ。
 三人は喜んで青年の大きなジープに乗せてもらった。
「女将さん、いいかげんに帰ってきて下さいよ。旦那さんも寂しがってますよ」
 養蜂家の青年が美人おばさんに声をかけた。
「飛翔くんたら。そんなわけないでしょう」
 照れながら手を振るおばさんは確かに目元口元、くっきりの美人だ。

第 三 章 正座の効能いろいろ

 温泉旅館「正座チカラの湯」。
 この温泉地は何百年も前からの秘湯の地として知られている。
 温泉旅館は谷川添いに何軒も建っているが、「正座チカラの湯」は、一番山奥に位置する。
 この温泉に入ると、何故か足腰の痛みが緩和され、正座もしやすくなる。~~というのが売り文句だったが、最近になって、本当に痛みがまったくなくなり、楽に正座できるようになるお客が続出した。
 噂は広がり、大盛況になりかけたのだが、少しのお客様だけを丁重におもてなししたい、という女将の経営方針で、限られたお客様だけの予約を受けていた。
 ところが、
「おい、こんな売り文句めったにないぞ。普通の旅行サイトやSNS各種にも、記事をアップしたぞ!」
 張りきって言う旦那さんと、女将さんは正反対の方針だ。意見が別れて大ゲンカになった。
「多くのお客様はありがたいけど、うちの規模で丁寧なおもてなしは無理です。流れ作業のようなおもてなしはしたくありません」
 さっさと荷物をまとめて出ていった。
 旦那さんは女将さんが不在のまま、おろおろしながら営業している有様だ。今日も三十組のお客様をお見送りしているところだ。
「旦那さん、『正座のチカラ』のおかげで足が痛くなくなって、正座できるようになりましたよ」
「私もリウマチの痛みが軽くなりました」
「本当にすごい効き目ですねえ、『正座のチカラ』って」
「マドンナ・ブルーの茎の天ぷらも美味しかったですよ!」
「マドンナ・ブルーの花びらを浮かべたワイン、素敵でした。ピンク色に変わってロマンティックでしたわ」
「憂鬱が飛んで行ってやる気が出てきたわ!」
 送迎バスに乗りこむお客は、お土産にマドンナ・ブルーの花束を渡されてニコニコして乗りこむ。
「また、おいで下さいませ」
 バスがゆるいカーブを曲がって見えなくなるまで、支配人と女中頭のカヨさんと三人でお見送りした。
「やれやれ、午後の送迎バスの出迎えまで、少し休憩しよう。女手なしで旅館の仕事はキツイな」
 旦那さんは四十半ばだが、へとへとになっている。支配人の同年配の西垣さんが旦那さんを労って、
「これ以上は無理ですよ。旦那さん。女将さんのところへ行って、謝って帰ってきていただいて下さいよ。女将さんは、道の駅でお花を売ってらっしゃるそうですよ」
「そんなことはとっくに知ってるよ。支配人。道の駅はすぐそこだから」
「女将さんも心配だからあまり遠くへ行かれず、道の駅でそれとなくこちらの様子を見守ってらっしゃるんですよ」
「女将さんがいらっしゃらなければ、旅館の要が不在で、バタバタしてしまいますわ」
 女中頭のカヨも困っていた。
「いや、私が頑張る。あれをそう簡単に許さないぞ。あっちから頭を下げて帰るまで、許さん!」
 正座チカラの湯の旦那さんは頑固だ。

 そこへ、養蜂家の飛翔のジープがやってきた。
「こんにちは! 旦那さん、お客様、三名様ご到着ですよ!」
 飛翔が叫ぶと旦那さんと支配人とカヨは整列して出迎えた。
「ようこそ正座チカラの湯へいらっしゃいませ」
「旦那さん、今日、送迎バス、お休みだったんじゃないの? さっきすれ違ったからちゃんと走ってるんじゃないの?」
「あ、ホームページの書き換え忘れていました! 申し訳ございません」
 支配人とカヨが、車から降りたすわりたちの荷物を運び始める。
「なんだ、送迎バス運行していたのね。汗みずくになって山道を歩いてきたのに~~~」
 立夏がくちびるを尖らせた。
「誠に申し訳ございません」
 旦那さんと支配人は深々と頭を下げた。
「旦那さん、女将さんに早く帰ってきてもらったら?」
 飛翔が苦笑いしながら言った。

第 四 章 「正座のチカラ」湯、到着

 玄関ロビーには真っ青な絨毯が敷き詰められ、奥には氷の柱が飾られている。氷の中に閉じ込められているのはマドンナ・ブルーのたくさんの花だ。
 通された部屋からは、渓流を眺めることができる。渓流の側の山には青い花がたくさん咲いている花畑が見える。
「あれが、養蜂家の飛翔さんのミツバチのためのマドンナ・ブルーの花畑ね」
「『正座のチカラ』を楽しみに来る私たちのためでもあるのよ」
 部屋にもお風呂があり、渓流沿いにある大きな露天風呂でも、マドンナ・ブルーの効能を楽しめるという。
 すわりたちはさっそく、渓流沿いの風呂へ行ってみた。
「ちぇっ、混浴じゃないのか」
 メグルが舌うちした。
「なに、考えてるのよ、やらしいわねえ」
 すわりが叱りつけて、立夏と一緒に女風呂へ向かった。
 脱衣場を抜けると渓流の隣に広大な岩風呂があり、キュウリのような新鮮な香りが立ちこめている。掛湯もあり、ふたりは明るいうちからたっぷり温泉を楽しんだ。
「ああ、気持ちいい。なんだか気持ちが大きくなる気がする」
「すわりちゃんはおとなしいからねえ。マドンナ・ブルーの効能で勇気が出るかもよ」
「そうだったらいいな」
「じゃあ、いったん湯舟から出て『正座のチカラ』の効力をためしてみようか」
 ふたりは脱衣場へ行き、身体にバスタオルを巻いたまま、床で正座の稽古を始めた。
「ハイ、一日も休まない方が、正座は身に着くからがんばりましょ」
「立夏ちゃんたら」
「背筋を真っ直ぐにして立つ。下を見ないで。床に膝をついて、巻いたバスタオルはお尻の下にちゃんと敷く。そしてかかとの上に静かに座る。そうそう」
 ふたりは何度か脱衣場と湯舟を往復してから、部屋に引き上げてきた。部屋でも正座してみると、とても楽にできる。
「画期的な温泉ね! やる気、勇気も湧いてきたわ。私にも正座初段、取れるかな?」
「頑張ればできるわよ。まず、三級からね」

 夕食になった。中居さんがお料理を運んでくる。
 三人はマドンナ・ブルーをワインに浮かべて乾杯した。青い花をグラスに入れると、
「わあ、きれい~~~」
 ピンク色に変わり、歓声を上げた。
 隣の牧場からのステーキ、鮎の塩焼き、山菜やマドンナ・ブルーの柔らかい葉や茎の天ぷら。デザートのケーキには青い花が散らされていて、マドンナ・ブルーづくしだ。
 旦那さんが挨拶に来た。
「本来は挨拶に来させていただくべきところ、無骨な私めで恐縮ですが、申し訳ございません」
「まあいいじゃないですか。いやなことを忘れたい時は飲みましょう!」
 メグルが酒を進めたので、ぐいぐいやってしまった旦那さんは酔っぱらってしまった。
「ああ、酒がうまい。ありがとう、メグルさんとやら」
 立夏を女将さんと思いこんだようだ。
「よく、帰ってきてくれたなあ、お前。ここしばらく女将がいなくて大変だったぞ」
「旦那さん、私は客ですよ。女将さんとお間違えになっては困ります」
「え、え、こりゃ、失礼しました。では、この旅館の女将になっていただけませんか?」
「旦那さん、完全に酔ってらっしゃるでしょう!」
 立夏は困って、
「私は起業家になるんです。ちょうどここのマドンナ・ブルーに興味を持ったところです。もっといろいろ商品開発してネットで販売しませんか? この旅館も、もっと繁盛間違いなしですよ」
 立夏も酔っぱらってしまってるのか、そんなことを言い出した。
「立夏ちゃんたら、あなたこそ酔っぱらってるんじゃないの?」
 すわりは慌てた。
 ちょうどそこへ、中居頭のカヨが来て、旦那さんを引っぱって退出した。

第 五 章 花摘みの催し

 翌日、酔いが覚めて冷静になった旦那さんがマドンナ・ブルー花摘みの会を催すつもりだという。
 立夏は目を輝かせて、
「では、マドンナ・ブルーの中で毛氈を敷いて、正座教室を開きましょう」
 と言い出した。
 花畑を経営している飛翔に頼む。
「前からマドンナ・ブルーの花摘みの催しは計画してました。今日、決行するんですね!」
 飛翔もやる気満々で引き受けた。
『第一回目は午前十時から。第二回目は午後三時から。養蜂家の飛翔氏が玄関からご案内します』
 ロビーのアナウンスで伝えられた。
 すわりも立夏も念入りに日焼け止めを塗った。

 第一回目、午前十時からのコースは、すわりたちを含め、参加者は十五人である。旅館の玄関に集合すると、麦わら帽子をかぶった飛翔が待ち構えていた。
「皆さん、マドンナ・ブルー花摘みの催しにようこそご参加下さいました。私は養蜂家の飛翔と申します。マドンナ・ブルーの栽培もおこなっています。花畑は山土ですので、旅館から貸し出しの長靴を履かれましたか? 軍手もご用意しております」
 飛翔は張り切っている。
 すわりたちは案内されて山を登った。
 温泉を楽しんでいた時も、山の上に見えていたブルーの花々が近づいてきた。
「軍手をつけて、籠は持たれましたか? では、今から三十分、お好きなだけマドンナ・ブルーを摘んで下さい」
 お客たちは歓声をあげて、青い花の花畑の中へ入っていった。
「マドンナ・ブルーって、昨夜のお料理にもふんだんに使われていたわね、青色が素敵なのよね、香りもさっぱりしているし。ブーケにしても映えるわね」
 ブーケを抱えた写真を撮影している女性もいる。
 いよいよ真ん中に敷かれた緋色の毛氈の上で、正座のお稽古が始められた。「正座のチカラ」の効力が試される。
「皆さん、では、マドンナ・ブルーの最大の効き目、正座をお教えさせていただきます。私、正座初段の夏野立夏と申します。宜しくお願いします」
 立夏は毛氈の上で参加者に挨拶をした。
 そして、昨夜、露天風呂の脱衣場ですわりに指導した通りの順序で、参加者にも指導した。
「ほほう、なるほどなあ」
「さすがに正座初段だけあって美しい正座ですわね」
 参加者からパラパラと拍手が起こった。
「さあ、今度は皆さんもご一緒にやってみましょう」
 正座の即席講座が始められた。
 しばらくして――。
 すわりは感じ始めた。
(なんだか、腕がかゆいわ……。花摘みの時はちゃんと軍手をはめていたのに)
 すわりの手がみるみる間に真っ赤に腫れてきた。立夏がびっくりして叫ぶ。
「すわりちゃん! この腕、どうしたの?」
 飛翔がやってきて腕を見てみた。
「これは、マドンナ・ブルーによるかぶれです。稀に人によってかぶれてしまうことがあるのです。申し訳ございません」
 飛翔はすわりを連れて旅館に戻ろうとした。

 その時、けたたましいエンジン音が近づいてきた。大型バイクの音だ。
 マドンナ・ブルーの花畑を踏みしだいて、バイクが乗り入れてきた。
「ごめん、緊急時だから」
 バイクに乗っていた人物がヘルメットを取った。
「あ、道の駅の美人おばさんだわ!」
 すわりが叫んだ。
「本当だ、あの美人おばさんだ。ということは『正座のチカラ』湯の女将さん?」
 立夏も目を飛び出させた。
 女将さんはワインカラーの作務衣姿のまま、バイクを降り、腕をかゆがっているすわりに歩み寄った。
「応急にこの軟膏を塗らせていただきます。かぶれ専用の軟膏で実験済みです」
「は、はい」
 すわりは女将さんに任せて腕を差し出した。
 女将さんが袖をめくり、かぶれた箇所に軟膏をすりこんでいく。
 十分ほど時間が経った。腕の赤みがひいてきている。
「かゆみがひいてきました」
 すわりが言った。
「念のため、旅館に救急車を呼びました。私も同行しますから、さあ、まいりましょう」
 女将さんが先導して花畑を後にした。

「飛翔さん、これはいったい?」
 立夏が飛翔に尋ねる。
「もしもの時のために、花摘みの催しでの正座教室の模様の動画を女将さんに送っていたんだ」
「そうだったの……」
「じゃ、女将さんも飛翔さんも、マドンナ・ブルーにかぶれる可能性があるって知っていたのね。……それはまずいんじゃないの?」
 立夏は不安そうに顔を曇らせた。

第 六 章 「正座のチカラ」で起業

「もうすっかりかゆみは退きました。病院へ行かなくても大丈夫です」
 旅館の玄関で待ち構えている救急車の前で、すわりは力強く言った。女将さんの方が驚くくらい、すわりはしっかりしている。
「お嬢さん、それは良かったですが、私どもにも責任はございますから、病院で診察は受けてください」
 女将さんが丁寧に頭を下げると、すわりは納得して、救急車に乗りこんだ。

 診察を受けたすわりは、医師から首をかしげられた。
「念入りにひと通りの検査はさせていただきました。まったく異常なしです。大丈夫ですよ。マドンナ・ブルーにかぶれる体質の方はおられますが、すべての方ではありません。極めて稀です」
「稀でも催しを開催してしまったうちの責任でもあります」
 女将さんは厳しい表情になって診察室を出た。
 そこへ、立夏と飛翔とメグルがやってきた。
 すわりは女将さんに力強く言う。
「女将さん、自信を持ってください。女将さんが塗ってくださった軟膏、本当によく効きます。もしかして、マドンナ・ブルーの成分が入っているのではないですか?」
「どうしてそれを?」
「そんな気がして」
「よく分かりましたね。マドンナ・ブルーの蜜を集めている飛翔さんからハチミツを分けていただき、我流で作ったものです」
「まあ、肌がかぶれたのも、軟膏で治ったのも、マドンナ・ブルーのおかげなら『ワクチン効果』ってことかしら?」
「女将さんのカンはすごいですよ」
 飛翔が言った。
「あの花から、かぶれた時に鎮静する薬が作れるんじゃないか、と考えつかれたんですから。おかげで僕も協力することができました」
「でも、認可が下りてない薬を使ってしまったのはいけなかったわね」
「認可なら下りてますよ」
 飛翔が何気なく言った言葉に、一同、驚いた。
「申請しておいたんです。安心して下さい、女将さん」
「まあ、飛翔くん。なんてお礼を言ったらいいのかしら。ありがとう、ありがとうございます」
 飛翔もほっとして女将さんに頭を下げた。
「すわりちゃん、飛翔さんて男らしいわね」
 立夏が目を潤ませてもらした。
「あの男らしさは、マドンナ・ブルーのせい? なら、効き目がすごいわね! 正座だってきっと完璧にできるんじゃないの? なんたって、マドンナ・ブルーは、『正座のチカラ』なんだから!」
 答えるすわりもいつもより堂々としている。立夏はあふれそうな涙をふりはらい、
「決めた! 私、飛翔さんをビジネスパートナーにして、起業するわ! 正座とマドンナ・ブルーを広めるわ!」
「私にも手伝わせて!」
 すわりが言い、
「俺も仲間に入れてくれ!」
 メグルが叫んだ。
「え? 温泉巡りが趣味の、のんびり屋なメグルが?」
 すわりが目を丸くさせた。
「うん! なんだかやる気いっぱいだ。マドンナ・ブルーの効き目かな? いいかな? 飛翔さん」
「もちろん、いいよ。メグルさん。人数がいた方がいいから、俺からも宜しくお願いします」

 一同は玄関で和やかな雰囲気になった。
 ひとりだけ、泣いているのは旅館の旦那さんだ。女将さんを見て思わずガバッと抱きついた。
「湯美子! よく帰ってきてくれた! お前が女将でいてくれないと、旅館の切り盛りが大変なんだよ」
「ちょっとあなた、こんなところでみっともないですわね、手を離してくださいなっ」
「湯美子~~、そんな冷たい言い方って!」
 すわりと立夏たちは、その様子に肩をすくめた。
「旦那さんも『正座のチカラ湯』に入っているはずなのに、どうしてあんなに女々しいのかしら?」
「よしっ! 起業始めるのと同時に、その謎を解明するのも俺たちの使命だな」
 飛翔が苦笑いして言った。
「まずは、旦那さんに正座の所作をお教えします!」
 立夏が胸をドン! と叩き、若者たちは大笑いした。

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