[262]正座ペットカフェ


タイトル:正座ペットカフェ
掲載日:2023/08/08

著者:海道 遠
イラスト:鬼倉 みのり

内容:
 心奈と美海は女子大生。豆柴のあん太と日本猫のチドリを飼っている。ある日、駅前の路地の正座ペットカフェバーへ行ってみる。美青年のバーテンダー、キリムラがいた。正座を教える母の元で育ったとかで、ふたりは正式な正座の作法を教えてもらう。
 店にはイグアナを抱っこしたおじさんと、ミニブタを抱っこしたおばさんがいた。
 そこへ、背の高いショートヘアの美人が小犬を抱いてやってくる。



本文

当作品を発行所から承諾を得ずに、無断で複写、複製することは禁止しています。

第一章 和風ペットカフェバー

 張り紙
「あなたの正座タイプ診断いたします。ただし、ペットを飼ってる方のみ。ペットと共にご来店ください。
 ペットの好きなスタミナカクテル(アルコールなし)をお作りして、あなたの正座をペットとの相性診断いたします。
 どんな種類のペットでもOK。
 和風ペットカフェバー
 キリムラ慎介」

「ちょっと、心奈(ここな)、知ってる? 駅前の細い路地に不思議なバーがあるって噂」
 親友の美海(みみ)が下校途中に話しかけてきた。ふたりは大学一年生だ。
「駅前の路地って、飲み屋や飲食店がごちゃごちゃ並んでるところね。あんまり入ったことないわ」
「カフェがあるそうよ。カフェっていうよりカフェバーって雰囲気かも? ペット同行の方のみ来店できるんですって」
「へええ」
「行ってみない? あん太とうちの猫、チドリを連れて」
 心奈は豆柴の「あんた」を、美海は日本猫の茶トラの「チドリ」を飼っている。
「物好きねえ、美海も。カフェバーなんて入ったことないわよ。お酒も飲めないし。何を着ていけばいいのよ」
「そのままの清楚なファッションで十分、おしゃれよ。心奈、ロングヘアきれいだし。昼間のうちに偵察に行きましょ」
 美海に引っぱられて、心奈は細い路地に入っていった。昼間なので路地の店はみんな閉まり、シンとしている。
 マホガニーの豪華な扉がある。猫の足型がポツポツついたデザインが可愛い。張り紙がある。
「なになに……、【あなたの正座をペットとの相性診断いたします】ですって! 興味津々ねえ」
「美海ったら。きっとぼったくりの代金取られるだけよ」
「心奈、超、現実的なんだから! 少しくらい、着ているワンピに負けないくらいロマンチックな夢見なさいよ」
「だって、正座診断って何なのよ?」
「だから、行けばわかるじゃない。午後八時にこの店で会いましょ。いい? あん太も連れてくるのよ。私もチドリと来るからね」
 美海は、やや強引に約束してしまった。

 心奈は帰宅すると、豆柴のあん太をナデナデして、ひとしきり遊んだ。あん太はまだ生後二か月のやんちゃ盛りだ。
「あん太、よそのお店行って大丈夫かな? 吠えたり暴れたりしない? チドリちゃんとはお友達だからいいけど、ちゃんとママのお膝に乗ってられる?」
 あん太は、心奈の指を甘噛みしながらじゃれつくばかりだ。
 夕飯が終わり、バスケットのキャリーバッグに入れて出かけた。
 路地は地味なネオンが灯り、飲み屋さん、居酒屋さん、バーがひしめいている。
 ふたりは張り紙してあったドアの前に立った。
「ちゃんと来たわね、心奈。あん太くんと一緒に」
 美海が日本猫のチドリを抱っこして待っていた。
「約束したんだもん、来るわよ」
「じゃ、入るわよ」
 ふたりがドキドキして重いドアを押すと、カランカランとドアベルが軽い音をたてた。薄暗い中に緑がかった照明、長いカウンターがある。
 ただし、スツールが並んでいるのではなく、客席もカウンターの内側も畳敷きになっている。カウンターも低い位置だ。
「へええ、和風カウンターってこういうこと!」
 美海が叫ぶと、カウンターの内側にいたバーテンダーの青年が、
「いらっしゃいませ」
 と、微笑んだ。
 その瞬間、心奈と美海の魂はどこかへすっ飛んだ。
「あなたみたいな美青年がこの世に生息してていいの?」
 美海が思わず叫んでから、自分で口をふさいだ。
「生息! あはは。生息してていいんですよ。あなた方のペットと同じようにね」
 笑顔が輪をかけて、この世のものとも思えない美しさなので、ふたりはポカンと大口を開けた。

第二章 カフェで正座

 『正座カフェ』とは、なんと和洋折衷(わようせっちゅう)なことだ。カウンターを挟んですべて畳敷きで、玄関で靴を脱ぐことになっている。
 心奈と美海は靴を脱ぎ、あん太も足の裏をふきふきされた。
 あん太とチドリは、顔見知りなので畳の上でじゃれ始める。
「お嬢さん方、こちらへどうぞ」
 この世のものとも思えぬ美青年のバーテンダーが席を勧めた。
 目には見えないが、ペパーミント色の風が吹いてくるような気がする。
 彼もカウンターの向こうで美しく背すじを正して正座している。
「へええ。みんな正座なのねえ」
「そうよ。お嬢さん方も、しびれに負けないように正座してくださいね」
 隣の席からふっくらした、ワインカラーの口紅のおばさんが答えた。膝にはミニブタを抱いている。
「キリムラくんのおうちは、代々礼儀作法を重んじる一族なのよね」
「はあ、まあ。日本式の行儀作法を教える家なので、僕もこの店を開く時に『正座』をできたらな~~と、畳敷きにしたんですよ」
「で、どうしてそこにペットが?」
 心奈が勇気を出して聞いた。青年の答えはシンプルだった。
「好きだからですよ」
 さっそく、あん太とチドリを代わる代わる抱っこして、彼らも青年に抱っこされて顔をぺろぺろしている。
「君たち、何が好きかな~~? おにいさんが美味しいスタミナジュース作ってあげるよ」
 そして顔を上げ、
「まずお嬢さん方、悪いけど立ってみて下さい。美しい正座の順序を一からやりましょうね。ワンコを抱っこしているあなた!」
「私ですか?」
 心奈が指名された。
「ゆる~~い座り方だね。シャキッとできていない。シャキッとした正座ができれば日々の生活も違ってきますよ」
「は、はい」
「ニャンコの飼い主のお嬢さん」
 美海の番だ。
「あなたの正座は、言っちゃ悪いけど初歩以前の問題だね。しっかりお教えさせてもらうよ」
「ま、まあ、初歩以前?」
「はい、立ってください。背筋をまっすぐにして。胸を前に突き出すように広げて。膝をついて、スカートはお尻の下に敷く。そしてかかとの上に静かに座る。両手は膝の上に自然に置く」
「こ、これでいいかしら」
 ふたりとも、ゆっくり言われるとおりにした。
「ふむ。ま、いいでしょう。おふたりとも、今のところ、ペットとの相性も合っている座り方ですよ」
 青年はにっこりした。
「お嬢さん方も。カクテルも作りますよ。ご注文をどうぞ」
「え~、カクテルなんて種類、私、わかんない」
 美海が口を尖らせた。
「じゃあ、甘口のを見つくろいましょう。ワンちゃんと猫ちゃんにも好きそうなものを」
 青年が手際よくシェーカーを振って作ったものは、テキーラ・サンライズとカシス・オレンジというカクテルだ。
「テキーラ・サンライズはテキーラ、オレンジジュース、グレナデンシロップで作ります。飲みやすく色もいいカクテルですよ」
 心奈は、ひと口飲んでみて虜(とりこ)になった。
「カシス・オレンジも美味しいわ!」
 美海も目を輝かせた。
 ペットたちは、フードと企業秘密を混ぜて作ったものをご馳走になった。二匹とも夢中になって食べた。

 そこへ、扉をバン! と勢いよく開けて、筋肉ムキムキのおじさんが大きな緑色のイグアナを抱いて入ってきた。抱っこしている腕にもイグアナのタトゥーが入っている。
 心奈と美海は、悲鳴を上げそうになった。
「やあ、やっさん。今夜は遅かったじゃないか」
 キリムラが挨拶すると、ムキムキのおじさんは、
「悪かった、キャサリンのドレス選びに迷ってたんだ。な、キャサリン」
 おじさんに抱っこされたイグアナは、ブルーのフリルがいっぱいついたドレスを着て、おそろいの帽子まで着ている。
 おじさんがいかにも可愛げにノドをもみもみすると、彼女は目を細めた。
「キリムラさんよ。早いとこキャサリンに特上のいつものを作ってやってくれ」
「はいな」
 キリムラがウインクを返したので、心奈と美海は、ドキンとして倒れそうになった。
「お嬢ちゃんたち、初顔だな。キャサリンと仲良くしてやってくれよな。ワンコとニャンコも」
 イグアナのおじさんが隣にドスンと正座しながら言ったので、イグアナのアップが迫り、こっちでも気絶しそうになった。

第三章 写真立て

 カランカランと音がして、背の高い女性が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
 酒瓶の並ぶ棚を背にキリムラが言った。
 女性はベリーショートヘアで薄暗い中でも美貌の持ち主だと分かる。瞳の大きな鼻筋の通った美人だ。ヨークシャーテリアを抱いている。十センチくらいのヒールのパンプスを脱いだ。
「おや、今夜は初顔さんが多いねえ」
 ミニブタを抱っこしているワインカラーの口紅のおばさんがもらし、ふと、入ってきた女性を見て驚いた顔をして、イグアナのおじさんに目配せした。
 イグアナのおじさんは女性に目をやり、小さな目を見開いた。
「こちらのお席へどうぞ」
 女性はカウンターから離れたテーブルに着き、ヨークシャーテリアを膝の上に放した。小犬は震えていた。
「どうしたの、寒いの? こっちへいらっしゃいな」
 美海が声をかけたが、犬は震えたまま動かない。女性が薄く微笑んで返した。そして席を立ち、注文したカクテルをひと口だけ飲んでから、早々に代金を置いて出ていこうとする。
 その時、キリムラが顔色を変えた。
「ナギサちゃん、ナギサちゃんだね?」
 女性はそのまま出ていってしまう。
 外は小雨が降り出した。
 キリムラは、傘を握って彼女の後を追いかけて店を出ていく。
 その間に、ミニブタのおばさんとイグアナのおじさんが酒瓶の並んだ棚にある小さな写真立てを見つめていた。
 心奈と美海は、その写真立てを見て、写っている女性がさっきのヨークシャーテリアを抱っこした女性と、うりふたつだということに気づく。
「そっくりじゃないの」
 ミニブタを抱っこしたおばさんは何か知ってるようだ。イグアナのおじさんも頷いた。
「一瞬、ぞ~~っとしたぜ。サギリさんかと思った」
「私もさ。他人の空似であんなに似てることってある?」
 ふたりの顔はまるで幽霊に会ったかのように青ざめた。そして酒瓶の棚の写真立てに目を戻した。
「どう見てもさっきの女性、サギリさんとしか見えないよね」
「あのう、サギリさんというのは?」
 美海がためらいながら尋ねた。ミニブタを抱いたおばさんが、
「ああ、サギリさんはね、キリムラさんの恋人だったの」
「だったって?」
「三年……もう四年になるかねえ」
「三年ちょいだな」
 イグアナのおじさんが答えて、ミニブタのおばさんが後を続ける。
「サギリさんは、キリムラさんの恋人でねえ。このお店をふたりでやっていたんだけど交通事故で亡くなってしまったんだよ。ペットのヨークシャーテリアが道路に飛び出したのを追っかけてね」
「……」
「……」
 心奈も美海も絶句した。
「そりゃあ、仲のいい恋人同士でね。このお店もサギリさんの発案で始めたそうだよ。なぜか結婚する気はなかったみたいだけど。あのふたりは一生、恋人同士でお互いを束縛せず、理解しあってる……そんな仲だったねえ」
「そうだったんですか……」
 心奈がしみじみと言った。
「そりゃ、自分の可愛がってる子が道路に飛び出したら、私も追いかけます。なんて痛ましいこと」
「私もチドリだったら追いかけるよ、心奈」
 美海もチドリを抱きしめてそう言った。
「幸い、その時、飛び出した犬は助かったって聞いたけどね」
 ミニブタおばさんがもらした。
「で、さっきの女性は誰だったんでしょう」
 皆、押し黙ってしまった。

第四章 サギリの妹

 数日して、心奈と美海は、勇気を出してもう一度、あのカフェへ行ってみることにした。
 あの夜、いつまで経ってもキリムラは帰ってこなかったので、ミニブタのおばさんも、イグアナのおじさんも勝手に酒を作り、ひとしきりおしゃべりして帰っていった。心奈と美海も帰ることにしたのだった。

 店へいってみると、カウンターの中に正座していたのは、あの夜にやってきたベリーショートヘアの女性とヨークシャテリアだった。
 覗いてみて彼女を見るなり、ふたりはバタン! と戸を閉めた。
「見た?」
「うん、み、見た」
「今日はまだ明るいわよね。五時だし」
「うん、幽霊の出る時間じゃないわよね」
 ふたりでそれぞれのペットを抱きしめて突っ立っていると、ドアが開いた。
「やあ、いらっしゃいませ」
 キリムラが、極上の笑顔で迎えた。
「この間は失礼しました。つい、彼女と長話になった上に雨がひどくなってしまい、戻ってみると店にはもう誰もいなくて」
「いいえ。それはいいんです」
「彼女は野崎ナギサさん。あの写真立ての女性の妹さんなんだ」
「妹さん……」
「まあ、座って。ワンちゃんとニャンコにも何か作ろう」

「いらっしゃいませ」
 ナギサという女性がカウンターの内側からふたりにおしぼりを出した。心奈と美海はドギマギしていた。
 キリムラがふたりをいたわるように、
「ミニブタのおばさんとイグアナのおじさんに聞いたんだろう。あの写真立ての彼女のこと」
「は、はい」
「野崎サギリ。この店の共同経営者だった。僕の母親がお行儀教室を開いていて彼女が習いに来ていた。で、ふたりでこの店を始めて数年経った頃、不幸はいきなりやってきたってわけだ」
 キリムラは愛おしげに写真立ての中で笑ってる彼女を見た。
「私はサギリの妹のナギサです。この子は姉さんが命をかけて救った子なの。私がママになって面倒見ているの」
 足元にいるヨークシャーテリアを見下ろした。テリアは真っ黒の瞳で見上げる。
「お姉さまにそっくりですねえ」
 心奈と美海はしみじみ言った。
「でしょう。最近、ショートヘアにしてから皆さんに言われるわ」
 ナギサは苦笑いした。
「私、姉さんが大好きでした。今も大好き。それでずいぶん考えたのですが、キリムラさんのお手伝いをしようと決めました。ここは姉さんの遺した場所でもあるんですもの」
 ナギサは三十代だろうか。落ち着いて見えた。

 しばらくすると、アゲハ蝶の幼虫を入れたケースを持ったメガネのおじさんや、ロップイヤーウサギと五歳くらいの女の子を連れた初老の婦人、セントバーナードを連れた女子高生などがやってきた。
「なんだか今日はお客さんが多いわね」
 美海がもらした。

 キリムラが手をパンパンと鳴らして皆に正座してもらった。
「お客様皆様、いつもペットカフェ・キリムラを可愛がっていただいてありがとうございます」
 自分もカウンターの向こうから正座して丁寧に頭を下げた。
「今日はお集りいただいてどうもありがとうございます。先日から、そこに掲示しておいたように、このキリムラを改装したいと思います」
 心奈と美海は慌てて壁を見た。そこには、
『ペットカフェバー・キリムラ、改装日とお休みのお知らせ』
 と張り紙がしてあった。
「しばらくお休みを頂戴しますが、お隣の花屋さんがお引越しされるということですので、このキリムラをもっと皆様に愛していただく店にするために店内を広げ、ワンコ、ニャンコたちと爬虫類やその他のペットを分けたスペースを作りたいと思っています」
 客たちはおとなしく聞いている。
「改装して、道路沿いに大きな窓をふたつほど着けたいと思っています。どうしても『バー』だと入りづらい方もおいでだと思いますので、『カフェ』のイメージをもっと濃くして、主婦の方、学生さんにも入っていただけるように改装したいと思っています。昼間のお客様もたくさん来ていただけるように。そして――」
 ナギサが頷いて、後を続けた。
「畳の部屋をもっと広くして、ペットたちにものびのび遊んでもらえるように。飼い主さんたちは、正座をしっかり練習していただけるように。私もキリムラさんを一生懸命お手伝いしますので、どうぞ宜しくお願いします」
 美しい座り方で頭を下げた。伸びやかな首筋が眩しい。
 お客様たちから拍手がわいた。
「陽の光が入る『ペットカフェバー・キリムラ」か! いいなあ』
 イグアナを抱っこしたおじさんがいつのまにか来ていて、ひときわ大きく手を叩いた。
「ほんとう、素晴らしいアイデアね」
 ウサギと女の子を連れた初老の婦人も拍手した。
 皆、笑顔だ。

第五章 悩み

 ある日、キリムラは、カウンターではしゃいでいる心奈と美海に、声をかけた。
「おふたりさん、僕の悩み、聞いてくれるかな?」
「悩み……ですか?」
「キリムラさん、いつも張り切ってお店をしているのに」
 キリムラに悩みがあるとは意外だった。
 キリムラは正座してふたりの前に座ると、
「すごく後悔してるんだ。亡くなったサギリのこと。なぜ、彼女と結婚しなかったのかと」
「……」
「あれから時が経ち、ナギサちゃんを愛してることに気がついた。プロポーズしたいと思っているが、彼女は姉の恋人だった男を受け入れてくれるだろうかと」
 そんなことをきかれても、心奈と美海は返す言葉がない。
「困りますわ。キリムラさん……」
 心奈が視線を外す。美海が、
「じゃ、何気なくナギサさんに聞いてみることにします。正座のことで迷っていることがあるとかなんとか言って」
「美海ったら、そんな安請け合いしていいの?」
 心奈が心配そうに言ったが、美海はやる気満々だ。
「女同士なら何か通じるものがあるかもよ」

 ふたりは、キリムラの実家のお作法教室でナギサに会うことにした。キリムラの母親が開いている教室だ。
「私も姉さんほどじゃないけど、お作法はひと通り習ったわ。何かお二人の力になれることなら相談に乗るわよ」
 ナギサは快諾してくれた。
 ふたりはもじもじしている。
「どうしたの、何か相談したいことがあるのじゃないの?」
「……」
 美海もいざとなると話だしにくそうだ。
「お話しにくいのなら……。私の悩みを聞いてくれる?」
 思いがけず、ナギサから言われた言葉に心奈と美海は固くなった。
 ナギサのヨークシャーテリアが彼女の膝に登ってきた。
「実はね……。このポポロは、姉さんが命をかけて救った子じゃないの。あの事故の時に、引き取ったことは引き取ったんだけど、私が行き届かなくて病気で死なせてしまったの。それから、キリムラさんに会いに行こうと思ったんだけど、どうしても言い出せなくて半年前にこの子を飼ったの。なるべくポポロに似た子を」
 ナギサはポポロを抱きしめた。
「そうだったんですか……」
 心奈も美海もかける言葉を失った。
「このまま彼にウソをつき通していいのかしら? 彼、姉さんが命をかけて救った子まで虹の橋を渡ってしまったって聞いたら、悲しむわよね」
「そうですね……」
「でも、もし、本当のことを知ったら」
「そうなのよ! それが心配。彼がもし本当のことを知ったら、私、嫌われるわね。姉さんにも申し訳ないし、ポポロにも……」
「ナギサさん。ナギサさんの誠意はキリムラさんに伝わると思いますよ」
 心奈の口から自然と言葉が出た。

 襖の陰で、キリムラの母親がそっと聞いていた。

第六章 新装開店の日

 改装が終わったカフェバーは新装開店された。
 通りに面した大きな窓は、おしゃれにステンドグラスに縁どられ、カフェに街の様子が見られることになっている。
 その日は常連客や、心奈も美海もペットを連れてお祝いのパーティーをすることになっていた。
 見ものは、アゲハのさなぎが羽化するというので、アゲハを飼ってるおじさんを囲んで、皆で鑑賞しようということだった。
 おじさんが、今日は小さな馬車を引っぱってつないであるポニーを操って、白とピンクの屋根がついた可愛い馬車でチンパンジーを運んできた。
 チンパンジーもキリムラの常連で、ちゃんと正座できる。
 チンパンジーが正座して、アゲハのケースをテーブルに置いて、羽化が観れたら大成功だ。
 周りには、ミニブタのおばさん、セントバーナードの飼い主、カワウソを連れたおじさん、ハリネズミ飼ってるおねえさん、ウサギと女の子を連れてる初老の婦人、そして心奈と美海があん太とチドリを連れてテーブルを取り巻いて正座した。
 カウンターにはお祝いの料理やシャンパンが、どっさり用意してある。キリムラとナギサが用意したものだ。
 みんな顔を輝かせてワクワクしていた。
「いいかい? 羽化が始まったら、皆で拍手するんだよ」
 キリムラが言った。
「ねえねえ」
 美海がチドリを抱いたまま、心奈を人の輪から引っぱり出した。
「キリムラさんとナギサさんの話、どちらかに言った?」
「ううん、まさか。こじれるといけないから、何にも」
「キリムラさん、賭けしてるみたいよ。チンパンジーのビリーくんがちゃんと正座して、蝶々の羽化がうまくいったら、ナギサさんに告白するらしいわ」
「賭け? 本当? それ。ビリーくんの正座と蝶々の羽化と告白とどういう関係があるのよ」
「ペット同伴のカフェバーを始めるくらいだから、ふたりともよほど動物が好きなのね。うまくいきますように」
 ふたりは祈るしかなかった。

第七章 賭けの告白

 ポニーの歩く音がポクポクと近づいてきた。
 カフェバーの外では、商店街の人や通行人も見物している。
 花で飾った可愛い馬車を引っぱってきたのは、ポニーのドバコ。馭者(ぎょしゃ)(馬車を操る役目の者)は、チンパンジーのビリーだ。上下ジーンズスタイルでおしゃれしている。
 荷台にはプラスチックのケースを膝に乗せたおじさんが正座している。ケースにはアゲハ蝶のさなぎが入っている。
 やがて可愛い馬車は店の玄関に到着し、店の中で待っていたお客たちが出迎えた。

 ビリーはケースを抱えてお店に入り、テーブルの上に置いた。
 店のお客や、キリムラとナギサはホッとする。後はアゲハが羽化するのを待つだけだ。アゲハの飼い主のおじさんによると、後少しでさなぎが破れるらしい。
 一同はカフェで注文したコーヒーやジュースやスイーツを食べながら、時々ケースの様子を窺ったりして落ち着かない。

「あ、さなぎにヒビが入った!」
 ケースを見ていた美海が叫んだ。
 みんな、我先にとケースに集まった。トゲトゲの枝にくっついてるさなぎにわずかに裂け目が入っている。
「よし、もうじきだな」
 キリムラとアゲハのおじさんは頷きあった。
 みんなが見守る中、割れ目から成虫がさなぎの皮を破ってだんだん出てきた。やがて成虫は美しい羽根を出し、広げていく。アゲハの美しい紋が無事にさなぎの外に出て、この世に生まれて最初に広げられた。なんとも美しい模様が初めて外界の光を浴びて輝いている。
 一同は思わず拍手した。
「やった―――! きれいねえ」
 正座から膝を立てて眺めた。

「アゲハのおじさん、こんなに美しい瞬間を見せてくれてありがとうございます」
 キリムラが丁寧に礼を言った。
「実は、羽化が成功したら、僕もやろうと思っていたことがあるんです。―――ナギサちゃん」
 唐突に呼ばれたナギサは、キリムラに導かれるままに手を取られ、立ち上がって、そろって正座した。
「ナギサちゃん。決めていたんだ。蝶の羽化がうまくいったら、君に結婚を申し込もうと」
「え……キリムラさん。キリムラさんは永遠に姉さんのものじゃなくて?」
 ナギサの手は引っ込められた。
「それに、私、お話してなかったけど、キリムラさんと姉さんにとても申し訳ないことをしてるの。実は――、このポポロは、姉さんが守った子じゃないの……」
 ナギサはヨークシャーテリアを抱きしめて、声をもみしぼるように言った。
「姉さんが命をかけて守った子は、私の手が行き届かず死なせてしまったの。この子はまったく別の子なの。なんとかキリムラさんの目をごまかそうとした私なんか、プロポーズしてもらう資格はないわ」
 ナギサの目から涙があふれ、様子を窺っていた心奈と美海の瞳にも光るものがあふれた。
「キリムラさん、ナギサさんのお気持ちを分かってあげてください!」
「決して欺こう(あざむこう)としたわけじゃないんです。キリムラさんをこれ以上悲しませたくなくて……」
 ふたりも必死で言い添えた。
 ドアベルが鳴り、和装の初老女性が入ってきた。気品の備わった顔立ちと高級な着物だ。
「母さん……」
「慎介。あなたには黙っていたけど、ナギサさんはこの半年、母さんのお作法教室で一生懸命、正座のお稽古をしたわ。あなたと正座カフェバーをやるためだって」
 キリムラの母親の眼にも涙が光っている。
 ナギサはヨークシャーテリアを抱く手に力をこめて、背中に顔をうずめた。
「ごめんなさい、姉さん、キリムラさん。ポポロ……」
 キリムラはそっとその肩を抱き寄せた。
「ナギサちゃん、もう泣き止んで。ポポロが昔のポポロじゃないことは知ってたよ。だから、ね」
「本当ですか、それは……」
「姉さんと一緒にいたポポロは、共に虹の橋を渡りたかったんだろう。だから、僕は何も気にしてはいないよ。……どうか、僕の心を受け止めてもらえると嬉しい。僕と一緒に新しい『動物カフェバー・キリムラ』をやっていこう」
「シンスケさん……はい……はい……」
 ナギサはポポロと共にキリムラの腕の中へ飛び込んだ。
 周りの皆がもらい泣きしながら、静かに拍手した。
 いつもイグアナを抱っこしているおじさんが、羽根を広げたアゲハを、そっとナギサの頭の上に乗せた。
「これがアゲハ蝶の正座だよ」
 艶やかな羽根で蝶が祝福してるようだった。
 心奈と美海も、愛犬と愛猫を挟んで抱き合った。

 心奈がしばらくしてから、告げた。
「いかがでしょう、ここにおいでの皆さま。新装開店のお祝いとは別に、キリムラさんとナギサさんのご婚約お祝いということで、改めて正座で乾杯いたしませんか?」
 美海も言い足した。
「アゲハが無事に羽化したお祝いも忘れずに」
 皆に、異存はあるはずもない。
「さんせ~~い!」
 次々に手を挙げた。
 心奈と美海は、手分けして飲み物を用意し、畳の上で正座の所作を確かめた。
「背すじを真っ直ぐ伸ばし、膝をついて、女性はお召し物をお尻の下に敷いてください。そして、かかとの上にゆっくり座ります」
 常連の皆は、心得ていてちゃんとした所作で座った。
 心奈と美海がグラスをかざし、
「キリムラさんとナギサさん、おめでとうございます。アゲハちゃんもきれいな大人になっておめでとうございます。皆さんのお幸せを祝って、かんぱ~~い!」
「乾杯!」
「かんぱ~~い!」
 ぶつかるグラスの音を、おとなしく聞いているペットたちも、嬉しそうに見えた。


あわせて読みたい