[289]正座エステと妖怪あずき洗い


タイトル:正座エステと妖怪あずき洗い
掲載日:2024/05/21

著者:海道 遠
イラスト:鬼倉 みのり

内容:
 イケメンの青年エステティシャンの暖(だん)は、サロンで和風のエステで正座を取り入れようと考えていた。お得意様の迎香(げいごう)かおりという老婦人が、孫娘がニキビで困っていると相談し、正座教室も紹介する。教室の先生は百会(ももえ)先生という美人だ。
 暖がスタッフと迎香夫人の孫、一華を連れて行って正座の稽古をさせるが、反抗的でなかなか言うことをきかない。



本文

第一章 エステ店の新入り

「新しいマッサージクリームですよ」
 エステティシャン、暖(だん)の手が横になっているお客様の顔を、ツボの順番に押していく。暖は三十歳すぎ、腕がよく接客は紳士的、顔立ちも上品なので女性客が一年待ちくらいしている。
「いい香りだわ。それに暖先生、ずいぶん腕を上げましたわね」
「ありがとうございます」
 常連の迎香(げいごう)かおり夫人が横になったまま、うっとりしている。
 暖は彼女のエステをする時、いつも不思議に思う。
(カルテには七十歳と書いてあるが、肌は十八歳なみだし髪も真っ黒だ。いったい何歳なんだろう)
「そうそう、暖先生、聞きましたわよ。エステに和風を取り入れるんですって?」
「おや、ご存じでしたか」
「和風ってどんな?」
「それが、まだ何にも決まっていないんですよ。『正座』をしたお客様にエステをしようかな? くらいで」
「正座してエステをしていただくの?」
 思わず迎香夫人がベッドから起き上がりかけた。
「そういうアイデアがあるだけですが。しゃんと背すじを伸ばしてお肌のお手入れをすると、正座によって新陳代謝の良くなったお肌が、より美しくなるそうですので」
「それは、ぜひやっていただきたいわ。孫娘にエステの修行をさせようかと思っていたの。正座も習えるのなら一石二鳥だわ。習えるのよね?」
「は、はあ」
「正座をお習いするところがまだ決まってないなら、私の知り合いの行儀教室の先生をご紹介するわ」
「本当ですか。探さなきゃと思っていたところです」
「じゃあ、ちょうどよかったわ。百会(ももえ)先生を推薦します」
「百会先生?」
「ええ、とっても信頼できる先生、正座は一流よ」
 顔のツボからデコルテ(肩から鎖骨の下)のツボまで、マッサージが終わる頃には、迎香夫人はぐっすり眠りに入っていた。
 が、暖が部屋を出ていく時にパッチリ目覚め、
「孫娘のこと、宜しくお願いしますよっ」
 念を押した。

 二、三日して、まだ十代らしき女の子がサロンにやってきた。
「あのう、迎香一華(げいごういちか)です。祖母からここへ来るように言われてきたんですけど」
 受付の女子店員が暖を呼んだ。
(こ、この子が迎香夫人のお孫さん……?)
 思わず、受付の女の子に確かめた。迎香夫人はふっくらした体形ではあるものの、お肌の手入れを欠かさない、きちんとした女性だ。しかし、現れた若い女の子は髪が伸び放題でくしゃくしゃ、なんとなくセーラー服もだらしないし、顔といったら可哀想なくらいニキビだらけなのだ。それに仏頂面だ。
「この店の店長、暖です。初めまして。迎香夫人にはごひいきにしていただいています」
 一華は、不機嫌そうな目で暖を見た。
「まずニキビをきれいにしましょうか」
「このニキビ、治るの? 今までどこへ行ってもダメだったけど」
 ふてくされて自己紹介もしない。
「ニキビもだが、いろいろと直さなくちゃならないようだね」
「なにがエステよ。あちこちでいろんな施術されて、こんなひどい顔になっちゃったんだから」
 玄関の大きな鏡に向かって、一華はあっかんべえ、をした。自分にではなく後ろに映っている暖に向かってだ。

第二章 正座のお稽古

 暖はひとり立ちしてお店を開いて五年。
 そろそろお店の方針に新しい風を吹きこみたい頃だった。ちょうど、『正座』の効能を耳にしたので、その気になった。

 数日後、嫌がる一華の乱れた髪にどうにか櫛を入れ、一華を含むスタッフ五人を連れて町はずれの『お行儀教室』へやってきた。
「何、ここ? 暗くってボロッちくてカビくさいところねえ」
 一華がもらした通り、正座教室とは思えないほどかび臭くて暗く、ボロボロの建物だ。
 玄関の看板もはげて字が読めないし、ガラス戸もガタピシしている。ただ、掃除は行き届いている。
「ごめんください……」
 暖が二、三回呼ぶと、やっと出てきたのは、着物こそ普段用の絣(かすり)を着ているが、真珠のような肌のたおやかな女性だった。
 ひっつめた髪をしているが、黒目がちの大きな瞳、あでやかな顔立ちだ。
「エステの店をしている大崎暖と申します。こちらは店のスタッフたちです。この度は迎香夫人のご紹介で正座を教えていただくことになりました」
「ようこそおいでくださいました。『お行儀教室』を開いております、師範の百会(ももえ)と申します。ささ、どうぞお座敷へ」
 八畳ほどのお座敷へ、エステの一行は上がった。
 多少狭くて古いものの、床の間や違い棚は美しい水墨画や壺が飾られている。
「お若い方もおられるのですね」
 制服姿の一華を見て、百会先生は笑みを浮かべた。
「この子は迎香夫人のお孫さんで、特に美しい正座ができるように託された子です。どうぞ宜しくお願いします」
 暖の大きな手のひらが、一華の頭に添えて下げさせた。
「ご挨拶は?」
「迎香一華です。よろしく」
 ぶっきらぼうな挨拶を、百会先生はころころ笑って見ていた。

「では、正座の基本をお見せしましょう」
 百会先生は、立ち上がった。
「まず、背筋を伸ばしてまっすぐに立ちます。そして膝をつき、かかとの上にそっと座ります。その時に、お尻の下にスカートやお着物などを敷くこと。そして両手は膝の上に静かに置きます」
 暖と一華は、百会先生の美しい所作を食い入るように見つめていた。
「さ、今度は実際にやっていただきます」
 まずは、暖が指名された。
「まっすぐ立つ時、視線もまっすぐ前方へ」
「はい」
 後は注意されることなく、無事に正座できた。
「正座するのに、こんなに緊張したのは初めてですよ」
 百会先生はにっこり笑ってうなずき、
「すぐに身につきますよ。次は一華さんね」
 一華は先生の前に立ち、すぐに膝を折ってべったりと座った。スカートがむちゃくちゃだ。
「はい、もう一度立って。所作が早すぎます。落ち着いてね」
 注意を受け、一華は立ち上がった。
「はい、背筋を伸ばして。視線はまっすぐに。両手は足の真横につけて、アゴを引いて」
 一華は返事もせずにぶっきらぼうに立った。
 またあっという間に座ってしまい、再びスカートの裾が乱れた。
「ゆっくり座りましょうね。スカートが乱れてしまったわ」
「いいんです。こんなスカート、学校で穿き(はき)つぶして汚れ切ってるから」
 百会先生の眼がつり上がった。
「一華さん。こんなスカートとはなんです。学校へ行く時の大切な制服でしょう? 胸に着けてる校章と同じくらい大切なものです」
「……」
「洋服を乱してしまう正座など、やらない方がいいです。今日はお稽古はやめましょう」
「百会先生!」
 暖が慌てた。
「反省させますから。どうぞ、稽古をつけてやって下さい」
「いいえ、今のところ、習おうという気がなさそうです。次回までにじっくり考えてきて下さい」
 百会先生は奥へ入ってしまった。
 襖の陰から、白髪で長いぼろぼろの着物の裾を引いた姿の老人がそっと様子を伺っていた。

第三章 暖の悩み

「こりゃ、とんでもないお転婆を引き受けちまったぞ~~~」
 暖は頭を抱えた。
(すんなり正座のお稽古ができると思っていたのに、迎香夫人は手のかかるお孫さんを押しつけてくれたもんだ)
 エステの店に連れて帰ってから、暖は一華とふたりきりになって話そうとした。
「どうしてそんなに反抗的なんだ」
「……」
「このみっともない顔で、やる気になれって言うの?」
 ニキビだらけの顔で暖を睨んだ。
「……そのためにも、正座エステをしようとしてるんだよ。分からないかい?」
「正座エステっていうのをしてもらえばニキビが消えるの? 確かに消えるっていうの?」
「そ、それは……」
 少女の気迫に暖はたじろいだ。しばらく気まずい空気が流れ――、
「やってみなくちゃ分からないじゃないか!」
「私の顔を実験台にする気?」
「あ、ああ、実験台だ! 可能性があるかないか、やってみなけりゃ分からない」
「実験台ですってええ! 堂々と!」
 わっ、と泣き出した。
「私がこのニキビのせいでどれだけ苦しんだか、あなたには分からないでしょう! ロクな腕でないエステティシャンのせいで雪福餅と言われてた私の顔は、こんな月面肌に……! おかげでクラスの笑いものにされるわ、先生は何も注意してくれないわ、話してくれる友達はいなくなるわ、塾でも同じよ、おはぎ投げつけられて『仲間!』って言われるし。どうして私がこんな目に……」
 悔し涙があふれた。
 暖は、一華の涙が少しおさまるのを待って口を開いた。
「一華くん、実は僕も高校生までひどいニキビだったんだよ」
「え?」
 一華は涙にまみれた顔を上げた。
「ほら」
 暖はケータイの写真を見せた。ニキビだらけの高校生だ。だが、面影があり、暖と判る。
「僕もこの顔のままじゃ悔しかったから美容の道を選んだんだ。それで死に物狂いで頑張って、エステティシャンになれた。その頃には、自然にニキビは治まってたってわけさ。君もきれいになって、いじめた子を見返してやりなさい」
「きれいになって?」
「そうだよ! だから、和風エステのために正座を頑張ろう!」
 しばらく考えていた一華は、こっくりした。

「では、お客様が横になった状態でのエステを教えることにする」
 翌日、暖は言い渡した。
 両手両足の指のマッサージから教え、顔のツボを教え、プッシュしながらマッサージ。頭皮も、そして顔から下の首筋からデコルテへと。
 一華は、なかなか手順が飲みこめず苦労したが、がんばって覚えようとする。

 ある日、一華がモデルになって暖からエステをしてもらった。
「エステしてもらうって、どんな感じなのか知るのも大切だからね。今日は新しいクリームを使う」
 暖は腕をならしてはりきってエステを施す。顔のツボを押さえながら、マッサージしていき、デコルテ(胸元)まで丹念に施した。
 しかし、一晩経つと、一華の顔面のニキビがもっとたくさん出来てしまった。一華は鏡を見て悲鳴を上げる。
「きゃああ、これは、これは何? よけいにニキビが……」
 大失敗だ。マッサージクリームが一華の肌質に合わなかったようだ。
「すまなかった! 僕の判断ミスだ! この通り許してほしい」
 暖の土下座を目の前にしても、一華の怒りの炎は燃え上がるばかりだ。
「私、家に帰りますっ」
 ついに帰ってしまった。
 暖は知り合いの医者を連れて検査してもらおうとするが、会おうとしない。

第四章 ご隠居の塗り薬

 そんな時、一華の家にひとりの客人があった。
「どなたかおいでかのう?」
「はい?」
 迎香夫人が出て、眼を飛び出させた。
 まるで「妖怪あずき洗い」のようだ。ぼろぼろの着物にももひき姿で、ざんばらに伸びた白髪すがただ。
「きゃあっ、化け物!」
「化け物とはなんじゃ。ご挨拶じゃのう。わしゃ、正座お稽古教室の隠居じゃ」
「ご隠居さま? 正座教室の?」
「そうじゃ。それに、わしに覚えがないのか? かおりさん」
「かおりって、どうして私の名前まで? あなたなんか知りませんよ!」
 老人はがっくり肩を落とした。
「ま、よいわ。顔面にできものができて、困っている娘御がおるじゃろう」
「は、はあ」
 ひび割れた陶器に入った軟膏を懐から取り出した。
「これならよく効く。使うがよい」
 迎香夫人はおっかなびっくりしながら、老人から抹茶色の陶器の入れ物を受け取った。そして、勇気を出して自分の顔に塗ってみた。
 顔全体がすっきり炭酸を味わった感じがした。その後、経験したことのないツルツル感になった。

 一華の部屋に行った。
「正座教室のご隠居さまがお持ち下さった塗り薬よ。お祖母ちゃんが先に試してみたの。今まで味わったことのないツルツルしたお肌になったわ。ほら、ほら、見て! お祖母ちゃんのお肌を! 最後のチャンスかもしれない。塗ってみたら?」
 何回もドアをノックすると、一華が落ち込んだ顔のまま、ドアを少し開けた。
「……お祖母ちゃんは、元からお肌すべすべなんだから、効き目が分かんないじゃない」
「そんなことないわ。まるで赤ちゃんのもち肌よ。さわってみて!」
 触れてみるとまるで大福もちだ。一華の眼が輝いた。
 勇気を出して顔に塗ってみた。
 半時間ほどすると、ニキビは目に見えて退いていき、消えていくのがわかる。
 やがて――、
「わあ! お祖母ちゃん、きれいになったわ。ニキビがひとつもない! 信じられない!」
「良かった、一華!」
 一華と迎香夫人は歓声をあげて抱き合った。
 ご隠居さまは玄関で待っていた。
「これはガマの油から作られた薬じゃ。ワシもその昔、肌荒れやできものに効く薬を作っておってな、それを渡したのじゃ。どうじゃった、お嬢さん」
「びっくりするほど早く治りました。ご恩は一生忘れません」
「よいよい。稽古に来るのを楽しみにしておるぞ」

 一華はさっそくエステサロンに帰った。
 すっかり素直になっている。
「長年ニキビで悩む私を救ってくださったなんて、エステと正座に何かを感じます」
「ま、君が帰ってきてくれて何よりだ。先日は肌に合わない品を使ってしまって申し訳なかった。この通りだ」
 暖はサロンの床にもう一度、土下座した。
「暖先生、もういいんです」

第五章 正座の効力

 百会先生が、暖と一華を待ちかねていた。
「ようこそ。今度こそやる気になったのね」
「おかげさまで、お宅のご隠居さまには大変お世話になりまして」
「ご隠居さま?」
「はい。ご隠居さまと名乗られる方が、一華の家にいらして摩訶不思議(まかふしぎ)なガマの塗り薬を分けて下さり、一華のお肌はこの通り真珠の肌に」
 百会先生は一華の輝くばかりの肌と姿を見て、眼を見開いた。
「まあ! あなた一華さん?」
「はい。ご隠居さまにすっかりお世話になり、この通りです」
「ちょっと待って。さっきからご隠居さまって、私にはなんのことだか? うちには隠居などおりませんよ」
「え?」
 一華は、呆然とした。
「だって、古い着物を着たおじいさんが軟膏を持ってきて、お祖母ちゃんと私が塗ってみたら、お肌すべすべになったんですよ」
「まあ、いったい誰かしら」
 百会先生は首をかしげるばかりだ。いくら考えても心あたりがない。

「なんだか気味が悪いわ。そのことは、今は置いておきましょ」
 正座の猛特訓が始まった。今度は施術者が正座してエステを施すのだ。
「背筋をまっすぐ。一華さん、少し曲がってますよ。はい、それでよろしい。座る時の視線は斜め四十五度の前方を見つめて」
「はい」
「スカートはきっちり膝の内側に添えて、手を添えてお尻の下へ。そうそう。そうしたら前みたいにぐちゃぐちゃにならないでしょう」
「本当だわ……はい!」
「よくできました。次は正座のお肌への効能をお話しましょう」
 暖と一華は座り直した。
「正座は人の心を静かに――『無』にします。それがお肌の活性化につながり、ニキビ予防や退治、アンチエイジング効果ももたらします。血流を良くし、内臓をも健康にします。正座して背すじをまっすぐすると、たいていの日常のわずらわしいことは気にならなくなりますよ。心さえ平静に保てば、心の健康にも身体の健康にもつながっていきます」
「なるほど……」
 暖と一華は、百会先生の話に感動した。

 次は暖のサロンでエステの特訓だ。
 マネキンを使って顔のツボをすべて覚える。中国から伝わったツボの名前をすべてだ。顔面だけで何十か所もツボがある。後は耳、頭、デコルテ(胸元)だ。
「これ、全部ですか。漢字ばっかりで難しい~~」
「押す順序が決まっている。その順番も覚えてもらわなくちゃ」
「えええ」
 一華はそっとマネキンでマッサージを始めた。
「ひとつのツボを押さえたら、次のツボへ行くのに自然な流れで。
 押さえる動作をひとつひとつにしないこと。こういう風に」
 暖がマネキンでお手本を示す。なるほど、ツボを押す動作が流れるようだ。暖の長い腕だと、よけい動作が美しく見える。
「繰り返し練習あるのみだ。頑張れ」
「はい……」
 暖は他のスタッフにも、正座したままエステをする練習を始めた。
「正座は、お顔の健康だけでなく、心の健康、内臓の健康をも呼んでくれる。みんなも頑張って習得するように。サロンでこの施術を始めるのは、一か月後とする」
「一か月後」と聞いて、スタッフたちから焦るため息がもれた。
「頑張ろう!」
 暖がこぶしを高々と上げた。

第六章 新しい正座サロン

 一か月は飛ぶように過ぎ、一華はエステの手順を一生懸命繰り返し、横になったお客様のエステをどうにかこなせるようになった。
 問題は正座した状態のお客様に施術できるかどうかだった。
 これはサロンのスタッフ全員の課題だったが、皆の努力の甲斐あって、連日の練習の末、できるようになった。
 また希望されるお客様だけにするにせよ、正座体勢でのエステの利点も説明した上、それも承りますよ、というお知らせも大々的に繰り広げた。

 正座エステに使う化粧品選びは難航した。
 イメージ一新のため、今まで使っていたブランドとは違う品を使いたかったからだ。
「暖先生、私が謎のご老人からもらって、ニキビが治った軟膏を使ってはいかがでしょう」
「ガマの塗り薬とかいう、あれをかい?」
「はい」
「しかし……サロンで使うには専門の機関で検査してもらわなくてはなるまい。それにその老人にもう一度会えるかどうか」
「それが、実はあの日から、うちの玄関に、毎日あのご隠居からと思われる軟膏が届けられているのです」
 それは事実だった。一華が使った軟膏は、あれ以来ずっと一華の元に届けられていた。さっそく暖が科学研究所に検査を依頼した。
 結果は『ガマの油に間違いない』ということで、お客様にもちいて大丈夫、という成分判定だった。
 これで軟膏を元にした化粧品がサロンで使えることになった。

 いよいよ新しくなったサロンで新しい化粧品を使える日がやってきた。まずは今まで通り、寝台に横になってもらってエステを施した。新しいサロンにはお客がどっと詰めかけ、暖とスタッフは嬉しい悲鳴をあげた。
 一華も一生懸命、手伝った。
 ある日、血相変えてサロンに飛びこんできた迎香夫人の顔を見て、一同、ぎょっとなった。顔一面にでこぼこした吹き出ものが出ているではないか。
「皆さん、早く、私がお薦めしてしまったガマの油化粧品を使うのを止めてください!」
「どうしたの、お祖母ちゃん、その顔は……」
「おお、一華! あの爺さんは私を恨んでいるわ。ようやく思い出したのよ」
「あの爺さん?」
「『あずき洗い』のことよ。すっかり騙されてしまったわ。本当に大丈夫?」
「私の顔? なんだかほっぺが熱いような気もするけど、あのご隠居さんがどうかしたの?」
 迎香夫人は孫娘の顔をさわって確かめた。
「ふ~~む、吹き出ものの気配があるわね」
「……?」
「実は、あの老人は何千年も生きているの。長いあいだ、私のストーカーをしていたのよ。一華のニキビを治したように見せかけ、今度は逆に吹き出ものができる軟膏を届け続けたのよ」
「何千年? どうしてそんなことを?」
「昔に私にふられたからなのよ。復讐するつもりなんだわ」
「まあっ!」
「昔は暖先生のような美青年だった男が、『あずき洗い』そっくりなご隠居になってしまったとは気づかなかったわ」

第七章 吹き出ものさわぎ

「じゃ、じゃあお祖母ちゃんと、あのご隠居さまは」
 一華がおそるおそる聞いた。
「何千年も生きている妖し(あやかし)の者どうしなのよ」
「ええ、じゃあ、私はその血をひいてるの?」
 青ざめた一華の顔に、祖母と同じような吹き出ものが出てきた。
 一華は顔を両手で押し包んだ。
「きゃあ、これは何? ひどいできものが!」
 サロンの電話もジャンジャン鳴り始めた。
 吹き出ものが出てきたことの苦情の電話だ。

 暖は、対処に負われた。
 片っぱしから電話の相手に謝って、後ほど原因究明して改めてお詫びにうかがうから、と答えた。
 正座教室の百会先生が駆けつけてきた。
「暖先生、いったい?」
「どうやら、ご隠居と名乗った男のしわざらしいです。迎香夫人も、孫の一華ちゃんも、軟膏を塗ってしまったお客様方も、ひどい顔になっています」
 百会先生は、一華を呼び寄せ、吹き出ものだらけになってしまった顔を押し包んだ。
「これは……醜い気持ちの表れだわ。ご隠居という老人はお祖母様に強い怨みを抱いている。待ってらっしゃい!」
「先生!」
「暖先生、着付け用の和室をお借りしますよ。そして被害を受けられたお客様をこちらにお呼びして。車でもお迎えに行ってください」
「こちらへ来ていただく?」
 暖が驚いて聞き直した。
「そうよ、正座の清らかさで邪気を取りのぞきます!」
 百会先生は目尻をきりりと上げ、着物をたすき掛けにした。

第八章 邪気祓いの正座

 サロンにやってきた吹き出もの被害のお客様は、着付け用の和室に通された。
 その数二十人。皆、吹き出物だらけの顔をして、頭から湯気が出そうなほど怒っている。
「暖先生、どうしていただけるんですか、この顔」
「先生を全面的に信用してましたのに、こんな顔になってしまって」
 暖は和室で落ち着いて正座して、
「皆さま、申し訳ございません。すべての責任は私の未熟さです。ただいまから、正座担当の百会先生から正座のお稽古をしていただきます」
「また、お稽古? それに正座と、吹き出ものと何の関係あるというんですの?」
 ひとりのマダムが大声で言った。
 百会先生が、ひと息ついてから話し始める。
「正座は正しく座ると書きます。字の通り、正しさには清らかさが宿ります。正しく座れば邪気を帯びたものは退散します。正座にはそういう力があるのです」
「なんですって、吹き出ものは邪気のせいなんですか」
「きゃあ、なんてこと、怖いわ、いったい何の邪気なの?」
 お客が騒ぐ。
「邪気は、人間全員が持っています。よこしまな心が無い人間など、いません」
「……」
「今回のは人間もその他のものも持っている邪気でしょう」
「そ、その他のものって……」
「皆さまに美しい正座をしていただき、邪気を追いはらいます。私を信じて正座をお願いします」
 正座して頭を下げる百会先生の姿が、純白の百合のようだったので、静かになった。

 いつものお稽古より真剣に、百会先生の指導が始まった。
「では、深呼吸してください、心静かに、できるだけ静かに」
 ざわめきは止み、お客たちは言われる通りにする。
「背筋をまっすぐに。身体の芯が直線であることを自覚していただき、膝を畳に着けてお洋服をお尻の下に敷いて、かかとに座ってください。はい、そして両手は膝の上に置いて……」
 お客の二十人とも、美しく正座できた。
「皆さま、大変よくできました。この後は暖先生におまかせします」
 暖が、水色のガラス瓶に入った透明な液体を持ってきた。
「これは、あずきの茹で汁です。こちらのお客様でもある迎香さまに教えていただきました」
「あずきの茹で汁? また吹き出物がひどくなるんじゃないでしょうねっ」
「信じられないわ」
 お客から不服の声がもれた。百会先生が、
「疑うことは邪念です。信じてくださらなければ効き目はありませんよ」
 不満の声は鎮まり、暖が瓶から青木の枝に水を垂らして、ひとりひとりにしずくを飛ばせた。
 皆、我慢して目をつむって冷たい水が顔にかかるのを耐えた。
 暖が全員に水をほどこし終えた。

第九章 逆恨みを撃退

 迎香夫人の自宅――。
 一華は走りこんで叫んだ。
「お祖母ちゃ~ん、お祖母ちゃ~ん」
 暖にあずきの茹で汁の情報を伝えてから、祖母の姿はどこにも見えず、以前、お祖父ちゃんと暮らしていた離れへ行ってみた。お祖父ちゃんはもう亡くなっていない。
「お祖母ちゃん!」
 祖母はやはり離れにいた。隅にうずくまって泣いている。
「おお、一華。お祖母ちゃんは、お祖母ちゃんは……」
「どうしたの、気丈なお祖母ちゃんが泣くなんて」
「皆さんのお顔をあんなにしてしまって、どう謝ればいいのか。一華、あんたにもよ」
「何言ってるの、いけないのは『あずき洗い』老人でしょ。お祖母ちゃんにふられたことをネに持ってひどいことを」
「そうは言ってもねえ」
「だから、連れてきたわ!」
「ひぇっ!」
 迎香夫人は目を飛び出させた。
 そこには、暖を彷彿とさせるような美男子がいたのだ。
「『あずき洗い』の爺さんよ! 昔、お祖母ちゃんにふられたっていう」
「どうして昔の姿に?」
「皆さんが吹き出ものだらけの顔になった分、自分はその美しさを吸い取ってきれいになったらしいわ」
「『あずき洗い』! それは本当なの?」
 美しくなった「あずき洗い」の青年はこくんと頷いた。
「……今度こそきれいになって、かおりさんに気に入ってもらいたかったんじゃ」
「皆さんや孫の一華まで吹き出ものだらけにして、あんたは自分さえよければいいのですか? あずき洗い」
 迎香夫人は立ち上がった。
「その性根(しょうね)が、昔から好きになれないのです。言っておきますが、私はメンクイではありません。心が大らかで美しい人が好きなのです」
「あ~~~、また嫌われてしもうた~~~」
「あずき洗い」の青年? は大声で泣き伏した。
 一華のスマホに電話がかかってきた。
「お祖母ちゃん、暖先生から、正座とあずきの茹で汁が効果あって、皆さんのお顔が元どおりになったそうよ。さすが、お祖母ちゃんの知恵ね」
「おお、それは良かった!」
 あずき洗いも、
「それは良かった!」
 迎香夫人は「あずき洗い」に向きなおり、
「あなたの言ったあずきの茹で汁の情報が役に立ったようね。でも、元はというと、持ってきた軟膏のせいよ」
「……はい」
「二度と私の前に現れないでちょうだい。分かったわね!」
「……はい」
「あずき洗い」の青年は、ぼろの着物を引きずって、壁の向こうへ姿を消した。
「お祖母ちゃん、あずきの茹で汁の効能は、お爺さんの知恵だったのね。――いくらなんでもあの言い方は」
「大丈夫、大丈夫。あやつはこのくらいでは、へこれないから」
「そうなの?」
「さあ、一華、私たちも暖先生と百会先生にお顔をきれいにしてもらわなければね。サロンへ行きましょう」
「ええ!」

 こうして一華も夫人も正座して、あずきの茹で汁で温めたタオルをを顔に置いてもらい、元通りの顔にかえった。
「お祖母ちゃんがすごく長生きの妖しだったってことはショックだったけど、あの『あずき洗い』みたいな老人、憎めなかったな」
「今度は一華ちゃんにアプローチしてくるかもしれないから、せいぜい気をつけなさい」
 暖が含み笑いしながら言った。その面影が、美形になった「あずき洗い」と重なった。
(今度は暖先生に憑りついたとか……まさかね)
 一華は頭をぶんぶん振った。

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