[384]お風呂で正座ダイエット
タイトル:お風呂で正座ダイエット
掲載日:2025/10/18
著者:海道 遠
イラスト:鬼倉 みのり
あらすじ:
美久里と蓮太は小六のラブラブカップル。
ふたりは中学進学を前に、蓮太は私立へ、美久里は地元の中学に別れることになった。蓮太の進むのは進学校で、美久里は猛勉強して高等部へ追いつくと誓う。三年後、美久里は蓮太の高校に合格するが、勉強のストレスから食べ過ぎてしまい、かなり太ってしまった。再会した蓮太は、驚きのあまり、「近づくな」と言う。
本文
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第一章 幼い誓い
美久里(みくり)は、小学六年生。
同級生でボーイフレンドの蓮太とは、皆がうらやむラブラブだ。ところが中学入学を控え、ふたりに問題が起こった。
美久里は地元の公立中学に入学するが、蓮太は有名私立中学へ入学するため、中学生活から別々の道へ行くことになったのだ。
美久里も、母親に土下座して頼んだが、
「うちは、あんな有名私立へ行かせてあげられるほど余裕はないの。第一、もっと成績が良くなくては無理ですよ」
成績のことを言われては、美久里は一言もなかった。勉強が苦手なのだ。とても、秀才で有名な蓮太と同じ中学受験は無理だ。
それを聞いた蓮太は、
「じゃあ、中学の三年間はお別れだけど、死に物狂いで勉強して、高等部へ入学してこいよ、美久里。そしたら、また一緒の学校になれるじゃないか」
「そうね! 中学の三年間、私、死に物狂いで勉強、頑張る!」
蓮太に励まされると、できるような気がしてきた。いや、絶対に高校で合流するんだ!
「おう、約束だぜ。同じ高校へ来いよ」
「うん!」
ふたりは両手を握って誓い合った。
それから美久里の厳しい中学生生活が始まった。
小学生時代と違い、美久里は自分から塾に行きたいと言い出し、大好きなピアノもやめた。学校から帰ると自分で作った時間割で最初は三時間、自主勉強を始めた。
「はい、おやつよ。美久里の好きなチーズケーキ」
「そこに置いておいて。後で食べるから」
おやつには見向きもせず、制服を脱ぐや、勉強机に向かっている。
両親は呆気にとられて見守っていた。
「勉強嫌いの美久里がねえ。よほど蓮太くんと同じ高校へ行きたいのね」
「しかし、あんな進学校に美久里が合格できるのかな」
両親の心配をよそに、美久里は三年間塾に通い、自宅の勉強も最後の一年間だけは、家庭教師をつけてもらい頑張った。友達からの遊びの誘いも断り、クラブ活動もしなかった。大好きなおやつには見向きもしないで――のはずだった。
――結果、三年後に蓮太と同じ高等部に合格した!
合格するまで蓮太には会わないと決めていたが、合格発表を見るなり、蓮太の家へ走っていった。
チャイムを鳴らす。
「蓮太、私よ、美久里! 高等部に合格したわよ!」
「ホントかっ?」
扉を開けた蓮太は、美久里を見るなり、笑顔から驚愕の顔に変わった。
「どうしたの、蓮太。約束通り合格したのよ! また同じ学校に通えるのよ」
「あの……君、美久里? 本当に美久里かい?」
「何、言ってるの! 近藤美久里よ、同じ小学校だった。どうしたのよ、蓮太!」
「どうしたって言いたいのは、こっちだよ! 君があの可愛い美久里? 信じられない!」
蓮太が恐怖に近い顔でドアを閉めようとしたのも無理はない。美久里は、小学校卒業当時の小柄な女の子ではなく、上背もあって、体重が80キロもある巨体の女の子になっていたのだ。
勉強していたうっぷんを晴らすため、食べ過ぎたせいだった。
第二章 発想転換
地面を掘ってまで落ち込みたい美久里だった。
(せっかく蓮太と同じ高校に合格できても、こんな体形じゃ嫌われる!)
部屋に閉じこもり切りになっていた。
クラスメートのホトリがやってきた。
「美久里、志望校、合格おめでとう! お母さんに聞いたわよ。これで蓮太くんと同じ高校に通えるわね。バラ色の高校生活ね!」
部屋の扉が少し開けられた。
「ホトリ、それが……」
部屋の中は真っ暗闇、そっと覗いた美久里の顔は幽霊のように真っ青で髪もざんばらだ。
「どうしたのよ、美久里! 合格したんでしょう?」
「したわよ、したけど……」
わっと泣き出した。
ホトリは美久里の部屋でゆっくり話を聞いた。
「そうだったの。でも、そんなに太った? 毎日見ていると気づかなかったけど」
美久里は小学校の卒業写真をそっと見せた。
小柄でやせっぽっちの女の子が写っている。
「うわっ、こんなにガリガリだったっけ?」
「うん……勉強を頑張ってやるあまりに、うっぷん晴らしが食べる方向へ向いてることに気がつかなかったの。スイーツ、食事もカロリーの高いものを食べ放題にして、勉強する気持ちを奮い立たせていたわ」
「そうか、本当に気づかなかったわ。でも、勉強したおかげで蓮太くんと同じ高校へ」
「それはそうなんだけど……蓮太くんには、三年間会わなかったでしょ。びっくりさせてしまって」
「蓮太くんて、外見で好きな子を決める人だったの?」
「そうじゃないけど、私があんまりでかくなったんで、ショックなんですって」
美久里はまた、あふれてきた涙をぬぐい、ハナをじ~んとかんだ。
「そっか。確かに背も伸びたし、身体の体積増えたもんね」
「~~~」
「あ、ごめん、ごめん。でも、蓮太くんは美久里の中身を嫌いになったわけじゃない。むしろ同じ高校に猛勉強して、ヤケ食いまでして勉強してくれて、胸いっぱいになってるはずよ!」
「でも、このままじゃ嫌われる可能性あるわ……」
「美久里! こうなったら、死に物狂いでダイエットするのよ!」
ホトリは目を輝かせて言った。
「ダイエット……」
美久里は呆然となるばかりだ。
『死に物狂い』の目標が、高校合格からいきなりダイエットに変わったのだ。気持ちの整理がつかない。
「蓮太くんと離れたくない、その一念だったでしょ? ダイエットして、蓮太くんに嫌われないスタイルになるのよ!」
「ダイエットなんてしたことないわ」
「私がいろいろ方法を探してあげるわよ」
ホトリはとりあえず、スマホで検索しまくった。
「十代の若い人のダイエットは、なるだけお金をかけないように努力や根性だけで痩せる方法が多い」
夜ご飯を食べない。
毎日五キロ走る。
朝ご飯を抜く。
野菜しか食べない。
白ご飯を食べずにお菓子を少しだけ食べる。
「などなど専門家からの眼からすると、ちょっと……というやり方をしてしまっているのです。ですって!」
「専門家のちゃんとした指導のやり方で痩せなきゃダメってことよね?」
「そうね。美久里、今晩、うちのお姉ちゃんに相談してみるから待っててくれる?」
「お姉さんに? う、うん。分かったわ」
明るいホトリのおかげで、美久里は少し元気になれた。そして、次の日、彼女の家に訪問することになった。
第三章 ホトリの姉、チサト
ホトリの家へは何度もおじゃましているが、姉のチサトに会うのは初めてだった。
「美久里ちゃん、初めまして。○○高校合格おめでとう。ホトリの姉です。美容健康とお行儀の講師をしております。いつも妹がお世話になりまして」
ホトリと同じく明るいお姉さんは二十歳くらいだろうか。とても感じのよい女性だ。
「こちらこそお世話になってます。受験勉強の間、ホトリさんのお誘いをお断りしてしまって申し訳ないと思ってます」
「あら、お勉強のじゃまするホトリがいけないのよ。そんなこと気にしないでね。で、ダイエットしたいんですって?」
「は、はい。勉強どころか食欲に夢中になって、こんなに太ってしまいまして」
「そりゃ、お勉強ばかりじゃ息が詰まりますもんね」
「元の私もガリガリで健康的じゃなかったです。お姉さんみたいにパーフェクトなスタイルになれるでしょうか」
「なれるわよ! ちょっとこっちへいらしゃいな」
チサトは手招きして、リビングの隣の和室に案内した。
「はい、そこで正座してみて」
「正座ですか」
美久里は何も考えずに気軽に座った。
「う~~ん、もう一度立って」
「え? はい」
チサトは立ち上がった美久里の横に立って、もう一度、正座するように言った。
「真っ直ぐに立って。ゆっくり座って。かかとの上にね。そう。その時、スカートは手を添えてお尻の下に敷くのを忘れないで。くしゃくしゃのままじゃみっともないでしょ?」
「は、はい」
「そして両手は、静かに両膝の上に置いて。ほら、美しい正座ができたわ」
美久里の隣では、ホトリが同じように正座をしていた。
「びっくりした? お姉ちゃん、お行儀教室を開いてるのよ」
「道理で、所作がキマッてるわけだ! で、お行儀とダイエットと何かつながりがあるんですか?」
「はい! いい質問ですね! お風呂の湯舟の中で正座をして下腹に力を入れると痩せてくるのよ。個人差はあるけどね」
「湯舟の中で正座してみるんですか?」
美久里は突然の言葉にきょとんとした。
「そうよ。まず陸の上で正しい正座ができなければダメだから、やってもらったの。今晩からお風呂の時に湯舟で正座してみてね」
「はい……」
半信半疑のまま、美久里は返事を返した。
「もちろん、食事制限や生活も私がお役にたてる限りご助言しますから」
にっこり笑ったチサトは、中堅女優のような美しさだ。
第四章 高校にて。
ダイエットを始めた美久里だが、なかなか思うような成果は出てこない。
蓮太とはクラスが別なので、なかなか顔を合わすことがないが、ある日、渡り廊下で友達、数人と歩く蓮太を見かけて、つい声をかけた。
「蓮太くん、元気? 頑張ってる?」
蓮太の友人たちは、振り返って巨体の女の子に驚いたようだ。蓮太はバツの悪そうな顔になった。聞こえないふりをして行ってしまった。
後からメールが来る。
『美久里。僕に声をかけないでくれるかな? 君が僕の彼女だとか思われたらマズいじゃないか』
美久里はそこまで読んで凍りついた。
「小学校時代は少し可愛いかなと思ってたけど、どうかしてたんだよ。僕を追いかけて、シャカリキになって同じ高校にまで追いかけてくるなんて。今の君の姿を見てみろ。誰だって嫌気がさすぜ。だからもう、話しかけないでくれ」
スマホを握りしめたまま、しばらく立ちすくむしかなかった。
我慢できず、ホトリの家に走り込み、チサトとふたりにそのことを打ち明けて泣きじゃくった。
「蓮太くんて、そんな人だったの!」
ホトリは一緒に泣いて怒り、チサトは静かに聞いていた。ふたりが泣き止んでから、聞いた。
「美久里ちゃんは、どうして蓮太くんのことを好きになったの?」
「それは、あのね……私ね、花が好きなの。小学三年の時に理科の教科書でお花が載ってるところ大好きだから、見ながら歩いていたら、足をすべらせて用水路に教科書を落としちゃって。手も届かないし、足はどろどろになるし、どうしようと思っていたら、蓮太くんがやってきて、足が汚れるのも構わず用水路に入って教科書を拾ってくれたの」
「まあ」
「でも、教科書は緑の藻がついてびしょびしょだし、授業中は隣の席だった蓮太くんが見せてくれたの。それが最初」
「そりゃ、大人でも胸に来ちゃうわ」
チサトは、ほうっとため息をついた。
「それで蓮太くんのことをすっかり好きになっちゃったのね」
「はい。蓮太くんはとってもいい人。絶対に約束は守る、人に迷惑はかけない。困った人には親切にする。弱いもの――野良猫とかは保護してセンターに持っていく。とかかな?」
「そう。蓮太くんてとてもいい人なのね」
「ええ」
「いい人だけど、いい人ぶってるのかな? 陰口や愚痴とかは言う?」
「少しはあるわ」
ホトリが口をはさみ、
「美久里、何がいい人なのよ。男らしくないじゃないの」
「でも、いい人よ。本当にいい人。演技じゃないわ。お母さんや先生の言いつけは守るし」
「美久里、そういう人を『器の小さい人間』っていうのよ。表面はいい子ぶっておいて、気の小さな人」
「ホトリ、そんな言い方って……。欠点は誰にでもあるでしょ」
「だって、今回のこと許せる? 美久里が太ってしまったから、近づくなって言うんでしょう」
「私がいけなかったのよ。勉強にストレス感じて食べてばっかりいたんだもの。それに、蓮太くんのことはいい面ばかり好きなんじゃないの。蓮太くんの欠点も丸ごと好きなの! だから、今回のことを聞いてもらって、許すというより気持ちが落ち着いてきたわ」
「欠点も丸ごと好き! 大人にもなかなか言えない言葉だわ」
ホトリもチサトも目を丸くした。
「ホトリ、チサトさん。ごめんなさい。愚痴を聞いてもらって。私、なんとか痩せて健康的な身体になります。蓮太くんに言われたからじゃないの。このままじゃ自分の身体にも良くないでしょ」
「えらい! 美久里ちゃん。尊敬しちゃうわ。なんとしてでも痩せましょう! まずは、湯舟の中で正座するのよ」
「そうでした。湯舟で正座! 頑張ります!」
チサトの力強い励ましに、美久里の涙はやっと乾いた。
第五章 正座を体験
目指した高校は進学校だけあってレベルが高い。入学したものの美久里はその後の方が授業についていくのに必死だった。それは蓮太も同様らしく、学年テストの順位が張り出された時、蓮太も美久里も中間くらいに名前を連ねていた。いまいちな成績である。
時々は遠くから蓮太を見かけたが、友人と歩いていてもあまり楽しそうではなく、いつも不機嫌そうな顔をしている。
美久里は心配になってきた。
(蓮太くん、勉強について悩んでるんじゃないかしら)
やがて夏の長期休暇に入った。とは言っても、進学講座はしょっちゅうある。しかし、コースが違うのでふたりは顔を合わせることがなかった。
やがて休暇が終わり、学校が始まって、ふと蓮太を見かけた美久里は驚いた。あのがっしりと筋肉質だった蓮太がお腹が出て太っているのである。視線が合いそうになって蓮太は慌てて目を背けた。
(まさか――)
衝動が抑えきれず、美久里は駆け寄った。
「蓮太くん!」
「な、なんだよ。俺に近づくなって言ってあるだろ」
「分かってる。けど、それどころじゃないわ。ちょっと来て」
蓮太の腕をがっしりつかみ、ひきずるようにして、ホトリの家へ連れてきた。
「蓮華流、行儀教室? なんだ、ここは」
「日本のお行儀、主に正座を教える教室よ。ホトリのお姉さんが先生しているの」
「なんだって俺が行儀教室へ来なきゃならないんだよ」
玄関で蓮太は美久里の腕を振りほどいた。
「あら、いらっしゃい。美久里ちゃん。今日は早いのね。そちらは?」
「蓮太くんです。正座の基本から教えてやって下さい」
「それはいいけど……、どうして?」
「蓮太くんの目を見てやって下さい。目の奥、目の感じをよおく」
和装美人のチサトにまじまじと目を見られて、蓮太は赤くなって顔を背けた。
「どうして、俺を実験の標本みたいに」
「ふ~~~ん、なるほどね」
チサトが腕組みして考え込んだ。
「蓮太くん。ここまで来たことだし、やってみましょうか」
あっという間に座敷に引っ張られた蓮太は、チサトから正座の指導を受けることになった。
「まっすぐに立って。ゆっくり正座してみて」
蓮太は言われるままに正座してみた。心もとない座り方で身体の軸が歪んでいる。
「上半身が揺れているわ。もう一度立って。いい? 体幹を身体の中心に持ってきて真っ直ぐに立つ。真っ直ぐよ。ゆっくりかかとの上に座って視線は真っ直ぐ前に。両手は膝の上に静かに置く」
「こうかな」
「黙って。三分間、黙ってそのまま真っ直ぐ視線を動かさないで」
蓮太は言われる通りにした。美久里も見守りながら横に正座した。三分間が経ち、チサトが口を開いた。
「蓮太くん。少し心が疲れているようね。そのせいで身体の不調も出てきているんじゃない?」
「どうして、それを」
「あなたの正座を見て分かったの。美久里ちゃんはその前から分かってた。勉強疲れかな? 気分がよくなさそうよ」
「ああ、少しばかりね。俺の目を見て分かった?」
「分かるわよ。かなり疲れてる。どう? 正座してみて、少しは気分がよくなった?」
「よく分からないけど、一瞬、シャキッとしたような」
美久里が微笑んだ。
「そうでしょ。正座って気持ちいいでしょ。三分間でも心を無にできたら、すっきり気分になるでしょ」
「美久里ちゃんは、しょっちゅう正座してるのよ。ある目的でお風呂の湯舟でも正座してるの。あなたもよかったら、正座しにくればいいわ。お月謝なんか取らないから」
「ここに通う? それは勘弁して下さい。なんだって、いきなり連れてこられて行儀作法なんか習わなくちゃならないんだ! 勉強しなくちゃ、時間がもったいない!」
怒り出した蓮太は立ち上がり、出て行ってしまった。
「あ~~あ、怒らせちゃった……」
いつの間にか柱の向こうから覗いていたホトリが漏らした。
「大丈夫よ。また来ることになるわ。彼、相当疲れているもの。すがれるものを探しているはず」
チサトが、ウィンクしてみせた。美久里は、彼をここに連れてきてよかったと思っていた。
蓮太は勉強についていこうと相当無理している。すがる場所がある方がいい。
第六章 疑惑
やがて、期末テストが迫ってきた。
一学期間の成績があまり良くなかった美久里だが、自分の勉強のことより蓮太の体調の方が心配である。
そんな時、ただならぬ噂を耳にした。
クラスで何にでも情報の早い男子生徒がいる。「耳んが」というあだ名で呼ばれている。その「耳んが」によると、教員の間で一大事件が起こっているそうだ。
期末試験の問題を入れたUSBが盗まれたらしいという。
その容疑者は蓮太なのだという。少なくとも教師たちやクラスの皆はもちろん、学年全体に噂は広がった。
「どうして蓮太くんが疑われてるのよっ」
廊下を曲がったところで、だるまのような女子に捕まえられた「耳んが」は、目を飛び出させた。
「な、なんだよっ」
「だから、どうして蓮太くんが疑われてるのよ!」
「俺だって見たわけじゃない。ただ、教師たちの立ち話が聞こえたんだよ。職員のパソコン付近で阿部蓮太の姿を見た教師がいるって。最近、成績が落ちまくりだった阿部蓮太が問題を知ろうとしてUSBを盗んだんだろうって」
「じゃ、証拠はないのね」
炎を燃え滾らせた目で、美久里は「耳んが」を睨みつけた。どうも怪しい。直感で感じたのだ。それを蓮太に告げると、彼は、
「証拠もないのに、彼を疑うなんてよしてほしい。美久里らしくないぞ」
引き下がるしかなかった。
美久里のスマホに、チサトから連絡が来た。
『できたわよ。いらっしゃい』
正座教室に行ってみると、庭に立派な浴場が出来上がっていた。
美久里の「ダイエットしたい」研究から、「湯舟で正座をして下腹に力を入れると、効果があるかもしれない」という情報に賭けたチサトは、思い切って正座教室の延長で大浴場を作ったのだった。
「温泉を引くことまでできなかったけどね」
「いいえ、チサトさん、ありがとうございます。こんなに大きなお風呂なら旅館みたいだし、気分もリフレッシュできますね!」
美久里は昼風呂しながらダイエットに励み始めた。正座教室の生徒さんも喜んで入浴している。男湯、女湯にまで分かれている。
『蓮太くんも、お風呂で正座に来て下さいな。テスト前だとよけい、頭がすっきりするかもしれませんよ』
何度かチサトから誘いかけると、蓮太は「耳んが」と一緒にやってきた。
「何だい、ここ。町なかで温泉に入れるって、蓮太が言ったからついてきたら、正座教室?」
「お風呂の中で正座するんだ。俺も今日、初めてだ」
「へええ」
ふたりは男湯に入った。
湯舟の中の正座は、なかなか難しい。浮力があるから下腹に力を入れても浮き上がってきてしまう。
「正座はうまくいかないけど、明るいうちから風呂は、気持ちいいな」
「耳んが」はご機嫌だ。蓮太も頷いて、湯舟で正座をしてみた。が、すぐに浮き上がってきてしまう。
「案外、湯舟で正座するのは難しいな」
チサトから聞いたが、美久里は痩せたい一心で毎日、ここにきているそうだ。
蓮太と「耳んが」はたっぷり風呂を味わい、ふたりとものぼせる寸前までリラックスした。脱衣場でふたりは「大」の字になって寝ころんだ。
「実はな……」
やがて「耳んが」が、真顔で天井を見つめたままつぶやいた。
「先生のパソコンから期末問題のUSBを盗んだの、俺なんだ」
「えっ、」と、蓮太は顔を向ける。
「ここんとこ、成績が落ちてきてさ……。このまま期末テストなんてありえないとこまできてさ……、思わずやっちまったんだ」
「『耳んが』……」
「その上、罪をお前になすりつけちまった。ごめん!」
「耳んが」は脱衣場の床にぴょんと起き上がって正座し、蓮太に頭を下げた。蓮太は優しくため息をついて、
「君の悩みはよく分かるよ。俺もさんざん味わってきたからね」
「許してくれるのか」
蓮太は頷いた。
「ありがとう。それにしても正座ってこんなにいいものだと思わなかった。汚れきった根性を洗い流してもらえるよ」
チサトが冷えた牛乳をふたりに持ってきた。
「ふたりとも、正座の良さを分かってもらえて嬉しいわ。美久里ちゃんもお風呂で正座ダイエット頑張ってるのよ」
「あいつが?」
「そう。あなたに嫌われたくない一心でね」
そこへ美久里とホトリが女場で話している声が響いてきた。
「ホトリ、私、間違ってたわ」
「何を?」
「いつか言ってたでしょ。蓮太くんは、いい人だけど心が小さいって。それでも丸ごと好きだって」
「う、うん」
「そんな必要なかったわ。蓮太くんはとても心が大きい人だわ。今回のUSB盗難事件でよく分かった。人のために罪をかぶろうとしたんだから。私、間違ってた」
それを聞いた「耳んが」は、改めて蓮太に目を向けた。蓮太も顔を真っ赤にしてしまった。
美久里たちが風呂から上がってきた時、座敷で正座している蓮太たちに出くわした。
「れ、蓮太くん!」
「お上がり。お風呂、どうだった」
「最高だったわよ。なかなか痩せないけど。蓮太くんも入っていけば?」
「さっき、もう入ったよ」
美久里たちがおしゃべりしながら向こうへ行くと、「耳んが」が耳元にすり寄ってきた。
「あの太った子、ものすごい剣幕でUSB事件をふりまいた俺に怒ってきたんだぜ。よほど蓮太のこと思ってるんだな」
「え……」
蓮太は改めて、庭をはさんだ棟(むね)に見える座敷で正座している美久里に目をやった。
第七章 正座の効果
期末テストは無事に終わった。USBは教師にちゃんとお詫びして「耳んが」が返しに行ったのだ。
湯舟での正座に加えて、美久里は食事をカロリー制限して食べ、運動やジョギングも頑張った。ホトリがつきあってくれたおかげで続けられたのだ。
半年で五キロ痩せることができた。でも、見た目はそんなに変わらない。
「まだまだ頑張って痩せるわ」
「もう十分よ、美久里ちゃん。ふくよかな方が女の子らしくて私は好き」
チサトが優しく助言した。
「健康法に正座を続けてくれるのは大歓迎だけどね。正座の効果は十分、分かってくれたと思いますよ」
「正座の効果?」
「所作が美しくなったり、湯舟の中に座ってダイエットできたりとかより、もっと大切なこと―――」
「もっと大切なこと?」
「美久里ちゃん。私が正座に惚れこんで教室まで開いているのはね、正座ってお行儀のかたちだけじゃなく、なんていうか心の正座ができるんじゃないかって思うからよ」
「心の正座――」
「イライラしたり腹が立ったりしても、正座すれば鎮まるわよね。前に三分間、正座してもらった時にも、あなたは落ち着きましたって言ってくれた」
「はい、覚えています。本当に気持ちが落ち着きました」
正座を語るチサトの表情こそ、表現のしようがないほど穏やかだ。
「それは人に優しくなれる気持ちになれることだと思うの。……さあ、後ろの庭の垣根をご覧なさい」
チサトの言う通り後ろを振り返ると、そこには蓮太が立っていた。
「蓮太、お風呂へ入りに来たの?」
「今日は違うよ」
「違うの?」
「あの……その……」
もじもじしている。やっと決心がついたのか、垣根の内側に入ってきた。
「どうしたの?」
「あのう、俺、お前にずいぶんなこと言ったよな。謝りたい。ごめんよ、ひどいこと言って」
「蓮太……」
「俺と同じ高校目指して一生懸命、頑張ったんだろ。勉強しすぎてストレスのせいで食べ過ぎちゃったドジなところも、全部丸ころ好きなんだ! これからも一緒に歩いて行こうな」
「蓮太……」
美久里の大きな瞳からぽろぽろと涙が落ちた。秋の雨のしずくのように輝きながら。