[390]正座勝負・七辻 対 三叉路


タイトル:正座勝負・七辻 対 三叉路
掲載日:2025/12/01

著者:海道 遠
イラスト:鬼倉 みのり

あらすじ:
 七歩は行儀教室に通う二十歳の女子大生。教室の師匠は、七座之助という青年である。
 ある日から七歩は、正座している場所がどこか違うような気がしていて夢に見る。師匠の七座之助もまったく同じ夢を見たという。どこか知らない町に七辻の交差点があり、中央に櫓がある。ふたりは七辻の交差点のメドをつけ、七歩の弟、小学生の七気も連れ、南へ旅立つ。



本文

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第一章 七歩(ななほ)

 ある町に七辻の交差点がある。
 それぞれの信号があり横断歩道がクモの巣のように張り巡らされて、初めて通りがかるドライバーは、どの信号を見ればいいのか戸惑うことしきりだ。
 七辻の真ん中には、木造の櫓(やぐら)が建っている。もちろん今は使われていない。

「はい、落ち着いてよくできました」
 行儀教室の師匠、七座之助がにっこりして褒めた。師匠は三十歳を少し過ぎたばかりの好青年だ。
 褒められた七歩(ななほ)は、二十歳の女子大生。
「ありがとうございます。師匠のご指導のおかげ様ですよ」
「七歩さんがお上手だからですよ。父の代から習いに来てくださっているお母様と同じで筋がよろしいのでしょうね。お母様の正座は、まるで鶴が羽根をたたむように優雅です」
 七歩は褒められて嬉しい。自慢の清楚で聡明な母親の所作まで褒められて、なお嬉しい。
 だが、何日か前から変な気持ちに襲われていた。どうも正座する場所に違和感を感じるのだ。
 師匠やお弟子さんたちと一緒にお座敷でお稽古をしているのだが、習い始めた時からこの場所だ。
(なのに、どうして場所に違和感がするんだろう?)
 疑問は日ごとに強くなっていく。
「姉ちゃん!」
 障子の外で可愛い声がした。七歩の年の離れた弟、小学四年生の七気(ななき)が目を輝かせて庭に立っていた。
「まあ、七気。こんなところから失礼よ」
「だって姉ちゃん、この頃、正座するのが変な感じがするって言ってたから、母さんが心配して様子見てこいって」
「あ、あら。母さんたら」
「七歩ちゃん、弟さんが言ったことは本当か。正座すると変な感じがするって?」
 盛之助師匠が心配そうな顔で尋ねる。
「大丈夫です。うちの母、ちょっと大げさなんです」
「でも、姉ちゃん、怖い夢見たって言ってただろ」
 弟の七気がまた言った。
「七歩ちゃん。気になるなあ。どうぞ話して下さい」
 師匠が言った。
「さあ、七気くんも。和菓子があるから上がっておいで」
「うん! ちょうど腹ぺこだったんだ!」
 七気はゲンキンにも顔を輝かせて、泥だらけのスニーカーをもどかしく脱いで縁側から上がってくる。
「こら。そんなところから泥だらけで。靴下を脱いで手を洗ってらっしゃい。食いしん坊なんだから」
「あっかんべえ」
 七気は洗面所に向かった。
「どうも申し訳ありません。これでもお行儀を教えてるのですが、あの始末で……じっと正座も出来なくて」
「子供らしくていいじゃないか」
 七歩は座敷の隣部屋で師匠に向かい合って座った。
「どう言えばいいのか、不快感ではないのですが、正座してると、私の正座している場所はここではないという気がしてくるのです」
「ふ~~む」
「七座之助師匠、私の正座を見ていて下さい」
 七歩は立ち上がり、師匠の前で正座の順序を、声を出して確かめた。
「まず、真っ直ぐ立つ。静かに膝を折り、かかとの上に座る。座る際、スカートはお尻の下に敷き、両手は膝の上に置く。これで間違ってませんよね?」
「うむ。完璧だよ、七歩ちゃん」
「いつも通りしているのに、違和感を感じるのはどうしてでしょう。……うまく言えませんが、正座するべき場所が他にあるような気がするのです」
 師匠は改めて真剣な顔になった。
「実は、私もしばらく前からそんな感じがするんだ。お行儀教室を始めて十年になるというのに初めての感覚だ」
「まあ、師匠もですか」
「ああ。自宅の座敷に正座していても、どこかに私の座るべき場所、本当の場所がある気がするんだ」
「姉ちゃんと一緒だね!」
 草餅にパクつきながら七気が口をはさむ。
「ある夜見た夢の中で――真っ暗な田んぼの中に、ひとつ明かりが灯っている櫓(やぐら)があって、その最上階に正座しているんですよ」
「なんだって。真っ暗な田んぼの中に明かりの灯った櫓?」
「え、ええ」
「七歩ちゃん、それは私の見た夢とまったく同じだよ」
「なんですって、先生」
「偶然? どうして同じ夢を見たんだろう」
 ふたりは、ぞっとする心地に襲われた。
「夢の中で櫓の上に正座していると『南に来るように』という声が頭に響いてくるんです」
「まったく同じだ!」

第二章 七辻の交差点

「南で、大きな櫓が建っている場所……」
 ネットで検索しまくり図書館に通いまくったが、はっきりしない。
 七座之助が分厚い地図帳を持って七歩の家へやってきた。
「ここじゃないかな?」
 場所は南へ百キロほど離れた小京都のような町だ。その名も七辻町という。七辻の真ん中に城の一部として櫓が建っていると記してある。
「すごく心惹かれるものを感じます」
「私もだ。地名が七辻町だ。そこへ行けば、何かが分かるかもしれない」
 七歩と七座之助は、旅支度を始めた。
「じゃ、明日、朝七時発の電車で。駅で待ってるから」
「姉ちゃん」
 耳ざとい七気が黙っているはずがない。
「姉ちゃんたち、どこか行くの? ボクも行く!」
「あんたは学校があるでしょ」
「お母さんたちは親戚の結婚式で留守だし。ボクはひとりでどうやってご飯食べたらいいんだよ!」
 一晩くらいカップラーメンで我慢しなさい。次の日には、お母さんたちが結婚式の引き出物のケーキをお土産に帰ってくるから」
「ボクはオムライスと焼肉食べたい!」
 恨めしく睨みつけてくる。
「……仕方ないわねえ。足手まといにならないでついてくるのよ」
「おし!」
 七気も喜んで、リュックにおやつを詰め込み始めた。

 翌朝、ふたりは七座之助と駅で落ち合い、一緒に七辻町へ向かった。
 ローカル線を乗り継いで、駅前から一日五本ほどのバスを二時間待ってやっと乗る。
 駅前には商店街が少しあるが、やがて田んぼばかりの景色になった。稲穂が黄色く実って刈られるのを待つばかりになっている。
 七座之助が、バスの運転手に話しかける。
「運転手さん、この町には七辻の交差点があるでしょ?」
「ああ、『七つはん』ですね」
「『七つはん』て呼ばれるほど親しまれてるんだわ」
「親しまれてるっちゅうか、歴史から外せないほど有名な場所ですからな」
 初老の運転手はしみじみ言った。
「ほら、見えてきましたよ」
 いつの間にか田んぼを過ぎ、交通量の激しい街中へ来ていた。
「このややこしい交差点の真ん中に建っているのが、『七つはん』ですよ」
 バスはしばらく信号を待ってから、やっと七辻の中央にさしかかった。
「これが櫓ですよ。中に階段があって三階建てになっている」
「ふうん、木造で古めかしいけどしっかりした櫓だね。物見櫓(ものみやぐら)らしい」
「城の見張りを担ってたんですからな」
「運転手さん、この町の由緒ある旧家をご存じでしたら教えていただけますか?」
 七座之助が頼んだ。
「それなら、大蔵七蔵さんだろうな。城のご家老の血筋の」
 長く町長を務めていたという大蔵七蔵なる人物の名前が浮かんできた。バスを降りてから、大蔵宅を人に尋ねるとすぐに判った。
 玄関に行きつくと屋敷のような門があった。
 大きな黒い木戸は締まっており、横の勝手口を叩いてみた。
「もし、もうし、大蔵さん! ごめんください!」
 七座之助が叫ぶ。
「こんなに突然うかがってお気を悪くしないかしら?」
「仕方ないよ」
「姉ちゃん、お腹すいたよう。もうお昼回ってるよう。ぼく、お寿司食べたい!」
 七気がぐずり出した時、木戸が開いて中年の男が出てきた。
「すみません。藤木七座之助と申しますが、大蔵さんはご在宅でしょうか?」
「旦那様のお客様だね。ほんじゃ、こっち来て」
 中年の男は何もかも心得ていたように、さっさと三人を広い土間へ通した。
 小堀遠州みたいな豪華な庭を横に見ながら長い廊下をくねくねと案内されて、ようやく奥の部屋へ行きついた。
「旦那様、お見えなさいました」
「ふむ」
 奥から重い声がした。
 奥には青々とした簾(すだれ)が垂れている。
「大蔵です」
 簾の向こうに殿様のように正座している人影がしゃべった。
「私は行儀教室を営んでいる七座之助と申します。こちらは弟子の七歩さんと弟の七気くん」
「ふむ。ま、ま、こちらへ」
 三人は二十畳くらいの座敷に招かれ、中年男が座布団を運んできた。
「あんたたちを待っていたぞ」
「えっ?」
「わしは大蔵七蔵。この辺一帯を治めていた大名に仕えた家老の末裔(まつえい)だ」
「ご家老さま?」
「そうじゃ。あんたたちの目当ての櫓は、七辻村を治める城主の城の一角にあたる」
「私たちが、七辻交差点の櫓に来たことをご存じなんですか!」
「知っておるとも。我らは正座を重んじる『七辻の一族』じゃ。あの櫓に正座していたら、お告げがあった」

第三章 三叉路(さんさろ)の一族

 大蔵は続けた。
「あんたたちは、行方の知れなくなった三人娘を探し出してくれると」
「三人の娘さんが行方不明に?」
「そうとも。それも『三叉路の一族』の仕業であることは、分かっておる」
 七歩が七座之助の服を裾をちょいちょい、と引っぱった。
「師匠、『三叉路の一族』って?」
「さあ、私にもさっぱり?」
「お姉ちゃん、お腹すいたよう!」
 七気が叫んだ時、簾の中の人物が立ち上がり、まくりあげて出てきた。
「これは、七気之丞(ななきのじょう)様!」
 恰幅(かっぷく)のよい大蔵が、七気を見て驚いている。
「ななきのじょう? 俺はななきだよ?」
「はは――っ」
 大蔵は七気の前に平伏した。見事な正座での頭の下げ方だ。
「あなた様は、世が世なら七辻城の若殿でございます。いつの日か、きっと七辻村に帰ってきてくださると信じておりました」
 七気はキョトンとした。
「あの……うちの弟が若殿とはどういうことですか?」
 七歩が尋ねる。
「七気之丞様は、『三叉路の一族』に赤子の時にさらわれてしまったのです。どんなにご両親様は心配なされたことか」
「七気が若殿?」
 七歩たちは三人で顔を見合わせた。
「七気は、間違いなくうちの子よ。お母さんが実家に帰って病院で生まれてから、うちに帰ってきたんだもの」
 否定したものの、七歩はハタと考えた。
(七気は病院で生まれたんだっけ? お見舞いに行った帰国があいまいで、自信がなくなってきた)

 別室に尾かしらつきの鯛のご馳走が出されて、食事になった。
 鯛の骨を取るのに四苦八苦しながらも、七気はご馳走にむしゃぶりついている。
 大蔵は先ほどの話を続けて、
「七気之丞様は、櫓でわしが聞いたお告げ通り無事に戻ってこられて、そちたちが現れた」
「三人の姫様はいつ、いなくなられたのですか?」
 七座之助が尋ねた。
「七舞(ななまい)七歌(ななか)七音(ななね)は、三つ子で生まれた時から美しい赤子でした。十四歳になったばかり。それぞれ舞と歌と篠笛(しのぶえ)が上手く、城内の者や、城下の民にも評判でした。なのに――半年ほど前、寝室からかどわかされてしまい、行方知れずなのです。これも『三叉路の一族』の仕業です」
「大蔵さん、『三叉路の一族』というのは?」
「戦国時代の昔から、七辻の宿敵です。正座を重んじる『七辻の一族』と対立し、片膝立ての座り方をする粗暴な一族で、武士とは呼べぬならず者と言ってよい。近隣の村を襲って生活を成り立たせている輩でな。昔から七辻のわしらと争いが絶えない」
「ならず者といってよい一族?」
「三人の娘は無事でいるのだろうか。戻ってきてほしい……」
 大蔵七蔵の目頭に涙が光った。
「もしかすると大蔵さんの娘さんを思う心が、私たちに、正座する場所の違和感を感じさせたかもしれませんよ、七座之助師匠」
 七歩が言い、師匠は頷いた。
「おそらくそうだろう」

第四章 姫たちを探そう!

 夜になり、七歩たちは、七辻の交差点の櫓で正座することになった。
 折しも秋の名月の日で、一同が交差点に行くと、すっかり交通量は減り、大きな金色の月が人間の町を見下ろしていた。
 櫓の瓦(かわら)は月の光を受けて濡れているように輝いている。
 一同は、横断歩道の上を歩いて行き、中央の櫓に向かった。
 古い扉の錠前を開け、真っ暗な中、急な階段を懐中電灯だけを頼りに登った。最上階は屋根つきの板張りになっていて、手すり越しに月がよく見える。
「お月様がきれいだわ」
「さ、皆さん、ご一緒に正座しましょう」
「え、こんなところに? ズボンが汚れちゃう」
 頓狂な声を出したのは七気だ。
「大丈夫よ。どうして、あんたはそう聞かん坊なのよ」
 姉にたしなめられ、七気はしぶしぶ、皆と一緒に正座する気になった。
「いい? 背筋をまっすぐして、かかとの上に座るのよ。あんたの靴下、汚いわねえ」
「うるさいな、姉ちゃん」
「両手は膝の上に自然に置く。そうそう。それでいいの」
 一台、二台と車が走り去るだけの静かな夜だ。虫の啼く音色さえ聞こえる。夜風が頬に心地好い。
 正座する七歩の脳裏にいろんなことが思い浮かんでいた。ここまで来て、初めて聞いた、弟の七気の出生の疑惑。七気が知らない町の城主の血を引く男の子だという。
(そんな馬鹿な。七気は、お父さんとお母さんの子供よ。私の大切な弟よ)
 何度も頭では打ち消しながら、
(今度、家に帰ったら真っ先にお母さんにきこう!)
 七歩は思う。

 一同、月を見上げながら、雲の上を滑りゆく聞こえぬ音を聞いていた。
 七座之助が隣に座る七歩に言う。
「どうだろう。大蔵さんにはお世話になったことだし、三つ子の娘さんたちを探してあげないか」
「そうですね、師匠」
 小耳にはさんだ大蔵が、
「七座之助くん、気持ちは嬉しいが、我が手下も警察も手を尽くしたが、行方は忽然と知れんのだ。それに、あんた方に危険なことはさせられん。ましてや七気之丞様にまで」
 大蔵は首を横に振ったが、七歩に感じるところがあった。
「大蔵さん。一旦、家に帰ろうと思います。両親が何か知っているかもしれませんし、そこからお嬢さんたちの行方が分かるかもしれません」
 七歩は力強く言った。

「七歩と七座之助と七気は、翌朝、列車とバスで元来た道を引き返した。
 家に帰ると、母親が不思議そうな顔で迎えた。普段は穏やかで冷静な母親が、かなり取り乱している。
「どこへ行ってたのよ、あなたたち。今朝は学校へも行かないで」
「学校より大事なことを調べに行ってたの」
 七歩は荷物を解く前に、母親を応接間に呼び出した。
「母ちゃ~ん、お腹すいたよ~~! 姉ちゃんたら、お昼食べさせてくれないんだから」
 七気の叫びが聞こえたが、
「テーブルの上に朝食があるそうよ。配膳はひとりでできるでしょ。母さん、ちょっとこっち来て。七気を入れちゃだめよ」
「どうしたの、七歩、怖い顔して」
「座って。七気のことで聞きたいことがあるの」
 七歩は呼吸を整えて畳に正座し、母親にも勧めた。
「七気は本当にうちの子なの?」
 母親は息が止まりそうな顔をした。
「何を言うの、いきなり」
「もしかして七気は他の家の子なんじゃないの? 私、七気が生まれた前後のことを少し覚えてるの。母さん、半年ほど大事をとって実家に帰っていたわね。私は学校があるからこの家に残ったわ」
「ええ」
「母さん、本当に実家で七気を出産したの?」
「七歩、何を言うの。当たり前じゃないの」
 娘をじっと見つめる母親の瞳が、異様な色を帯び始めた。
「本当のことを言って、母さん。七気にとっても家族みんなにとっても大切なことなの」

 その時、応接間の襖(ふすま)が三方から開けられ、着物を着た十五、六歳の女の子が入ってきた。それぞれ着物の柄は違うが、おかっぱにした美しい少女たちだ。
「七舞(ななまい)です」
「七歌(ななか)と申す」
「七音(ななね)です」
 三つ子の娘が並んで立膝座りをした。

第五章 三叉路一族の陰謀

「あなたたちはっ」
 七歩が思わず立ち上がった。
 三つ子のひとり、七舞が、
「そう。あなたの思っている通り、大蔵の三つ子の娘たちよ」
「……どうして私の家にいるの?」
「目的がありまして」
 悪びれない様子で七歌も七音もうなずく。
 母親が立ち上がり、三つ子の横に立膝座りをした。
「お母さん、その子たちは七辻城の姫たちよ。行方知れずになったって聞いたから探すつもりだったの」
「その必要はありません」
 母親の瞳の色は、いつもの穏やかな色ではなく、妖しいものを湛えている。
「探す必要は無くてよ、七歩。三人の姫はここにおいでです」
「どうして、私の家に」
「七気を『三叉路の一族』に迎えたいと思って。三人の姫は侍女にさせるつもりです」
「―――!」
 七歩の顔から血の気が引いた。
「お母さん……?」
「驚いた? 七歩。私は『三叉路の一族』なの」
「お母さんが『三叉路の一族』?」
「すべて言いましょう。母さんは『三叉路の一族』を束ねる女族長よ。あなたが言った通り、実家に帰ると言っておいて七気をさらってきたの。七辻城の跡継ぎの七気之丞さまをね」
「ええっ、じゃあ、私は?」
「あなたは私の産んだ娘。ゆくゆくは『三叉路の一族』を束ねていってもらねばならぬ身です」
 母親の瞳が燃えている。
「まさか! お母さんが『三叉路の一族』の長だったなんて。『三叉路の一族』はならず者同然で、さんざん七辻村を襲撃して困らせてきたそうじゃないの」
「七歩。すっかり七辻族の者に洗脳されてしまったのね。戦国時代からどれだけ、生きていくために苦労したか。米をたくさん持っている『七辻の一族』からもらってくるのは、道理に叶ったことよ」
「略奪じゃないの」
「そう、略奪者。その略奪者の血をあなたも継いでいるのよ」
 一族を束ねる者の目だ。
「お母さん……」
 よろよろとなった七歩は、後ろの襖にもたれかかった。
 何が何だか分からない。
(いつも優しくて上品な母が、『三叉路の一族』の長で、赤ん坊だった七気をさらってきて育てていた? 七辻城の三つ子の娘までさらってきて洗脳している!)
「お父さんはどうしたの?」
「あの人も私の手下。長年に渡って『三叉路の一族』として忠実に動いてくれてるわ。なのに……」
 母親の瞳がきつい光を帯びた。
「あなたって人は、正座教室の若造にたぶらかされ、七辻の櫓に行ってしまうとは。まあ。お互いにこれで隠し事なしになってスッキリしたけれどね」
 口元に手をあてて高笑いした。
 三つ子の娘が立膝座りのまま、平伏した。
「私ども三姉妹、七気之丞さまをお迎えするために参じました」
 七歩が必死の表情で、
「七歌さん、七舞さん、七音さん。お父様がたいそう心配しておいでです。あなたがたの故郷は七辻の町です」
「はははは」
 七歌が急に笑い出し、七舞と七音も連鎖するように笑った。
「七辻の城や町がなんだというの。戦国時代から、いばり散らし近隣の村からたくさんの年貢を奪い取っておいて。私たち、そんな者を祖先に持って恥と思っているわ。『三叉路の一族』に引き取られて、やっと目が覚めました」
「それは違うわ、姫様たち!」
「お黙り!」
 七舞が合図すると、ふたりの姉妹が七歩を畳の上にねじ伏せた。そして、茶わんを口元へ持っていき、何かの薬湯を飲ませようとする。
「何をするの、ごふっ」
「少し眠っていてもらうのさ」
「なんですって……」
 甘苦い液体が喉に流れてきて、七歩は飲みこんでしまった。ほどなく、薄ら笑いを浮かべる母親と三つ子の顔がぼんやり歪んで七歩の視界から消えた。

第六章 三叉路一族の地へ

 目が覚めると板ばりの床に転がされていた。物置の中らしい。森と土の匂いがした。
 暗闇の中、木戸が開けられ母親が入ってきた。
「お母さん、ここはどこ?」
「『三叉路の一族』の本拠地。深い山の中の砦だよ」
「七気も連れてきたのね」
「ええ。暴れまくって苦労したけどね。ハンバーグ毎日食べられると言ったら、すんなりついてきたわ」
「あいつったら」
 七歩は母親に向き直り、
「七気をどうする気なの?」
「『三叉路の一族』の長になってもらいます。私はあなたを生んだ後、子供が産めない身体になってしまったから一石二鳥です」
 母親の顔が一瞬、ひきつった。
「そうはさせないわ。七気は七辻城の跡取りよ」
「ひとりで何ができるというの? この砦には『三叉路の一族』が五千人住んでいるのよ」
「お母さん、こんなひどい人だったなんて」
 七歩が衝撃を受けている間に、外では、お披露目のお祝いの準備が進んでいく気配がする。
 夜になり、物置の窓から七座之助師匠が覗いた。
「師匠、よくここの場所がわかりましたね」
「なんとか忍び込めた。待っていなさい、助けてあげます」
『地獄に仏!』とばかりに七歩は喜び、七座之助は鍵をこじ開け、物置を脱出した。
 ふたりで七気を探し回る。

 新しい長、襲名の祝いの支度がされている。大きな屋敷の廊下を、膳を持った女が走り回っている。
「お祝いの宴が開かれる様子です。七気はどこかで支度されているのでしょう」
 七座之助が下見したという屋敷の奥に入り込み、奥の間に七五三みたいに着飾らされている七気を見つけた。
「あ、姉ちゃん、先生」
「しっ、黙って。七気」
「俺、こんなキンキラした着物、恥ずかしくてイヤだ」
「ちょっと辛抱しなさい。来客が到着して玄関が騒がしい。今なら見張りは手薄だわ。逃げだすわよ」

 途中で三つ子の姫たちと出くわしてしまった。
「しまった、三つ子の姉妹だわ」
 七歩は弟を背中に隠し、その前に七座之助が立った。
「逃さないわよ、七辻城の若殿」
「若殿から手をお放し!」
 姫たちはあくまで妨げる気だ。
「姫さまたち、姫さまたちのお父様も、ご心配されていましたよ。私にとってもこの子は大切な大切な弟なの。血はつながっていなくても」
「父上が心配していた? 父上こそ『七辻の一族』に洗脳されているのよ。庶民の味方である『三叉路の一族』のことを敵視するようになってしまって」
「嘘は言ってません。この座り方をしたら嘘など言えません」
 七歩は、一歩踏み出し廊下の真ん中で息を整えて、ゆっくり正座した。姿勢を正して、スカートの裾はお尻の下に敷きながらかかとの上に座り、両手は膝の上に置く。
 廊下に棒立ちになっていた三人の娘は、その凛とした迫力に、思わず目を奪われた。
「庶民のものを奪って生きていたのは『三叉路の一族』の方です。目を覚まして下さい、あなた方は『七辻の一族』の姫なのですよ!」
「ボクも正座する!」
 七気も、七座之助も一緒に正座する。
 七気の正座姿は三つ子の姫の心をとらえた。
「見よ、七気様の正座するお姿を。片膝立て座りとは品格が違う!」
「た、確かに」
「父上の言っておられた正座とは、こんなに気高いものなのか」
「私たちの立て膝座りの、なんと粗暴なことよ……」
「七舞、七音、何を弱気なことを!」
 勝気な七歌が、妹ふたりを叱り飛ばすが、いつしか三人の正座姿に視線を吸い寄せられる。
 隙ができた。

第七章 母親と七歩の対決

 三人の娘の妨げをすり抜けた七歩と七気と七座之助は、はだしになって屋敷の庭を進んだ。
 宴会が始まる寸前の来客たちの談笑が背後に聞こえる。
 外へ通じる門までやってきた。
「外へ出れば、やぶの中に車が隠してあるからな」
 七座之助が施錠を外し、三人は身を寄せ合って外に出た。
 そこには、赤々と燃える松明を持った男衆と、真ん中に立つ母親の姿があった。七歩たちを待ち構えていたのだ。
「七気は渡さないわ」
 母親が合図すると、男衆は三人を囲みこんだ。
「お母さん! お母さんこそ、三叉路の野蛮な一族でありながら、素晴らしい正座ができるじゃないの。目を覚まして!」
「七気に近づくためだけの上辺の正座よ」
「お母さん、私と正座勝負して」
「なんですって」
「正座をして、どちらが正しいのか、お母さんの部下に選んでもらいましょう」
「……」
「お母さんが勝てば七気はそちらに渡すわ。でも、私が勝てば七辻町に連れて帰るわ」
 七歩の瞳は一歩も譲らない。
「わかったわ……。私に勝てるものならね」
 松明に照らされた黄金の明かりの中、筵(むしろ)が敷かれてふたりの女が向かい合って正座した。
 松明の炎の爆ぜる(はぜる)音が響く。男衆と七気と七座之助は固唾(かたず)を飲んで見守った。

 フクロウやタヌキなど森の獣たちも見守っていそうな勝負である。
 母親はやがて正座から片膝立てに座りなおした。
 七歩は、正座を続けている。
 ふたりの額に汗がしたたり落ちた。
「七気は私の大切な弟、『七辻の一族』の跡継ぎよ」
「七気は、私が赤ん坊の頃から育てたのよ」
 ふたりの燃えるような視線は一瞬も外れない。
 一同が、ふたりの気迫に押されて今にも平伏しようとした時、七気がすっくとふたりの前に進み出た。
「母ちゃん、姉ちゃん、ボク、自分で決める」
「えっ」
「七気!」
 七歩も母親もどっきりして振り向いた。
「ボクはどこへも行かない。いつもの家に帰る。中学を卒業したら、鯛料理が作れるように修行する。この前、七辻町で食べた鯛料理がすっごく美味かったから! どっちの一族にもならない。料理人の修行する!」
 窮屈な金銀の刺繍入りの着物をバサッと脱ぎ捨てた。
「ボクの完璧な正座は、さっき見たでしょ。もう座り方はマスターしてしまったから、今度は料理に興味を持っちまったんだ!」
 七歩と母親は、呆気にとられていた。
「わはははははは!」
 大声で笑ったのは、七座之助だった。
「こりゃあ、ふたりの烈女(れつじょ)たちも一本とられましたな。今さら、七辻も三叉路も、若い彼にはどうでもいいことなんですよ」
 七歩と母親は気が抜けてしまって、立ち尽くした。
「さあ、家へ帰るよ、お母さん、姉ちゃん。ボク、お腹減っちゃったから、お母さんの肉じゃが食べたいな」
 七気はすたすたと歩き出した。松明を持った男衆が両側に割れた。


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