[406]正座の語り部ふたり


タイトル:正座の語り部ふたり
掲載日:2026/03/24

著者:海道 遠
イラスト:よろ

あらすじ:
 ある地方ではひとつの国が西と東に別れ、長期間に渡り戦闘中だった。そんな中、女医の謳歌(おうか)は診療所で戦争の怪我人の手当に大忙しの日々だ。
 謳歌から「正座」という座り方を習った鷹羽根(たかばね)青年が、刻丸少年を連れて、正座の有意義さを語る旅をしていた。
 途中で、獅子吼(ししく)という男に会うが、鷹羽根の語る内容に真向から対立する。彼も謳歌から正座を習った男だ。



本文

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序章 謳歌(おうか)と刻(とき)

【女医、謳歌のつぶやき】
 刻(時)とは、貧富を問わず、誰にでも平等に与えられるものだという人がいるが、そうではない。
 ましてや十数年も戦乱が続く今の世では、半日先、一刻先の刻さえ失いかねない。そう――、刻とは「命」のことだ。
 刻を無駄にしているひまなどない。最大限に活用するためには頭の中を明確にすることだ。その方法として正座を学んだ。
 毎日、診療所に何十人もの怪我人が運びこまれる。野戦病院なみだ。薬が不足する中で、看護兵たちと我を忘れて手当に当たっている。
 少しの時間でも見つけて、患者のベッドの脇で正座する。
 正座の正しい所作――、身体を真っ直ぐにし、深呼吸して座り、心穏やかに調え(ととのえ)れば、刻はその倍も三倍も活かされる。
 そう信じて医療のかたわら、人々に正座の所作を教えている。

 謳歌は、窓の外に飛来するミサイルを遠くに見ながら、漆黒のひっつめ髪をキリリと結いなおし、怪我人の処置室に戻った。

第一章 鷹羽根(たかばね)

 長い冬が終わり、昼間は陽射しが温かく感じられる。
 少し芽吹いた葉が目立ち始めた山道を、二十代半ばの伸びやかな身体つきの金髪の青年と、ボサボサ頭の十歳くらいの男の子が歩いていた。
 ふたりとも、埃にまみれた服を着て、大きなリュックを背負っている。
 とても長閑(のどか)な情景だが、この地方は、国が東と西に別れ、十数年も戦いが続いている。いつ敵方の爆撃機が襲撃するか分からない。
 戦いのため農業従事者は激減し、食料や日用品は不足し、ライフラインも役に立たず。人々は川や泉の水で命をながらえ、摘み取った野草を焚き火で煮炊きし、空腹を満たして暖を取っていた。
 ――戦いの発端はいったい何だったのか。
 今では、国のお偉方がめったにメディアに姿を現さないので、誰が何をしたのが戦争の原因なのか、はっきり知る者がいない。
 支配者が行方不明になったという噂があるが、情報規制されているので民衆は知る由(よし)もない。
 人々は、そんなことより一日ずついかに生き延びるかばかりに負われている。

 峠を越えたところで男の子が指さした。
「鷹羽根、あの大きな樹の根元はどうかな?」
「ダメだよ、刻丸。あんなでかい樹は標的になっちまうじゃないか」
「そ、そうだった」
 刻丸は頭を掻いた。
「じゃ、この丘の裏手にしよう。おいらが街道に立って呼びこみするよ」
「お前の呼びこみより、俺が立っているだけで女の子や女将さんが群がってくるさ!」
 長い前髪をサラリと掻き上げ、鷹羽根は気取ってみせた。
「じゃあ、おいらは手伝わないからな!」
 刻丸はむくれて、丘の向こうへ行ってしまった。
 街道でリュックを下ろし、鷹羽根が叫び始める。
「そこのお姉さん、お母さん。寄っていってくださいな。『ためになる話』を皆さんにいたしますよ~~!」
 荷馬車を走らせてきた男が馬を止める。隣席の女将さんが叫んだからだ。
「ちょっと、あんた! 見たことないようなキレイなおにいさんが、『ためになる話』をしてくれるんだって!」
「よしな! マユツバもんだぜ。聞いた分、食料を分捕られるかもしれんぞ」
「あんな綺麗なおにいさんが騙したりしないよ」
 女将さんは馭者台(ぎょしゃだい)から飛び降りてきた。
「おお、ありがとう、女将さん。急いでいるところを悪いね」
 鷹羽根は輝く笑顔で挨拶してから、
「旦那さん! 旦那さんもどうぞ! 『ためになる話』を聞いてってください!」
「にいさんよ、話を聞いてる間に馬車の食料を相棒が根こそぎ持っていくとか、そんなの無しだぜ」
「そんなことしないさ。それに、馬車には食料なんか積んでないと見たぜ」
 馬車の幌(ほろ)部分から、若い女の子がたくさん飛び出してきた。
「なんて綺麗なおにいさんかしら。最近、若い男は、皆、戦に出はらっているから、おじさんしか見ないもんね!」
「行ってみましょう、何を話してくれるのかしら」
 山道を登ってきた年配の男性や、畑仕事の家族連れも寄ってきた。
「さ、丘の裏手へ行きましょう。もし、攻撃機が飛来してきても、すぐに繁みに飛びこめる場所を選びますから」
「わしゃ、馬車を繁みに隠してくるよ。すぐ戻るからな!」
 さっき馬車を留めた親父さんが馬車を隠しに行った。

 鷹羽根が話を始める頃には、近隣の村からも人が集まってきて、ちょっとした人だかりができていた。
「さあ、皆さん。今日も命があって何よりだ。敵さんはこの西側の土地をやたらと攻めてきている。静かなうちに喋ってしまおう」
 一同、ごくんとツバを飲みこんだ。
「絨毯を敷いたから、その上で正座の稽古をする」
「正座の稽古だと? 正座って何だ?」
「話が頭によく入るきれいな座り方のことだよ。まず、背すじを真っ直ぐにして立つ。はい、女将さんやお姉さん方も、俺と一緒にやってみて」
「真っ直ぐに立つ……」
 一同、ぞろぞろと立ち上がってみた。
「そうそう。それから、床に膝をついて――。お姉さんたち女性はスカートをお尻の下に敷いて、かかとの上に静かに座る。両手は膝の上に置く」

第二章 鷹羽根の語り

 一同は正座し、鷹羽根に視線が集まった。
「こんな座り方でいいのかな? おにいさん」
「上出来だ!」
「早く話しておくれ。のんびりしていられない。いつ敵の襲撃があるか分からないからね」
「承知だよ!」
 鷹羽根はようやく話し出した。
「皆さんは生きていくのに、夢や目標を持っている方がいいと思うかな?」
 集まってきた中年の者たちは顔をゆがめた。
「夢や目標だとう?」
「この戦がいつから始まったと思ってるんだい? 夢や目標なんか、あるわけないだろ。いつどうなるか分からない中で、どうやって夢や目標なんか持てっていうんだよ?」
「そうさ。生まれた時から戦ばっかりで、生き残るのがやっと。そんな中で夢だの目標だの……」
「若い世代は平和な世界を知らないんだぜ。敵から逃げ回る生活しか知らないから、世の中にどんな職業や楽しみがあるか、分からないんだ」
 年配の男や女たちからも同じような声が上がった。
 鷹羽根は、うなずいてから、
「言いたいことはよく分かる。どこで語っても同じような反応だ。でも、さっきの正座で、少しばかり心が落ち着きやしないか? 馬車に揺られてイライラしている時や宿場でだらりと座っている時よりも」
「こんな山の中腹で、いつ敵から襲われるか分からないのに、落ち着けるかい」
「ごもっともだ。俺だって物心ついた時から戦の中だ。夢や目標なんて考えるゆとりは無かったよ。でも、正座の座り方をして、心を穏やかにすると小さな目標が頭に浮かんでくるんだ。大きな目標でなくていい。山を無事に越えられるようにとか。今日中にパン一個にでもありつけるようにとかさ」
「小さな願い事なら、いっぱいある」
 ひとりの農夫が答えた。
「敵機が飛んでこないようにとか、ガキどもに痩せた芋でも葉っぱでも食べさせてやれるようにとか」
「そういう願い事でいいんだよ! 静かに正座してると、願い事が浮かぶだろう?」
「た、確かにそうかもな」
「小さい願い事が次第に大きく膨らんでくる。『自分が、この戦を生き残って平和な世の中が来たら、やりたい事』が、思い浮かぶだろう」
「あ、ああ。ガキどもに腹いっぱい食わせてやって清潔な服を着せてやって、学校へ行かせてやって、自分も兵隊から逃げ回っていないで、やりたい仕事があるさ」
「わたしゃ、こんなボロボロの服は、もうごめんだよ。小ざっぱりしたドレスでも着て清潔でいたいねえ」
 ひとりの中年女が乾燥してガサガサの手をくねらして、踊ってみせた。鷹羽根は待ってましたとばかりにうなずく。
「そうだろう! 正座して瞑想すれば、思いの軸がブレなくなって、自分のやりたい事がはっきりするんだ」
「そうだそうだ!」
 刻丸が大きく合いの手を入れる。
 一同の顔がやや明るくなり、まるで明日にでも停戦になるかのような希望が湧いてきた様子が見てとれる。
「綺麗なおにいさん、皆、元気になったよ! いい事をしゃべってくれたねえ」
 女たちが鷹羽根を取り囲んだ時――、

「そんな甘っちょろい希望を抱くから、叶えられなかった時に、もっとひどい打撃を食らうんだ!」
 太い声音の罵声(ばせい)が背後から飛んできて、人々は振り向いた。
 樹の根っこを踏みしめて、大柄な壮年の男が仁王立ちになっていた。

第三章 獅子吼(ししく)

 肩から腕の筋肉が隆々として、眼光がハンパなく鋭い。
「なんだと? 誰だ、お前はっ」
 刻丸が息巻いて言い返したが、男は答えず、
「いいか? 金髪の若造! ハンパな希望なんか持たない方がいい。持ってしまったら期待してしまうだろ。もし、戦が続いたら、メシやマシな服や学校へ行くことや、仕事するなんぞ永遠にできないぞ。――近いうちに戦が終わるなんて公算は無い。終わるとしても何年も先だろう。ご一同、現実を見るんだな」
 新しい語り部の出現に、人々はざわついた。
 鷹羽根は、ゆっくり立ち上がって男を見つめた。
「えらく悲観的だな。そんな考えで、よくこの戦乱の世を生きてきたな」
「自分だけはなんとかな。しかし、妻は数年前、敵兵にやられてしまった。南方で戦線に参加して、マシな生活をさせようと頑張っていたが、今や天涯孤独だ。西方の敵をやっつける! それだけが俺の目標だ!」
 男の眼が途方もなく荒んでいる。鷹羽根は一歩踏み出した。
「正座を教えてやろうか」
「正座? 正座なら謳歌先生の診療所で、朝昼晩、ずっとやっていた。たどりついた目標が敵を全滅させることだ!」
「謳歌先生だって?」
 刻丸も前へ出てきた。
「おじさん、もしかして、獅子吼っていうんじゃないか?」
「獅子吼だって?」
 鷹羽根が口をはさむ。
「ああ、謳歌先生がずっと前に、診療所で正座を教えていた獅子吼って、あんたのことだな」
「お前は? 若造」
「俺も謳歌先生の正座の弟子だ。一か月前に、診療所を出てきたばかりだから、あんたの方が先輩弟子だな。謳歌先生から話は聞いていたよ。獅子みたいに逞しい東の兵士がケガの手当を受けてから、正座の稽古をしていたって」
「そうか、お前は正座のおとうと弟子なのか、若造」
「なんとも情けない兄弟子だな、獅子吼さんとやら」
 鷹羽根は挑戦的に、
「お前さんは妻を失い希望を失った。だが、皆が皆、夢や目標を失ってしまうとは限らない。俺は赤ん坊の頃から戦災孤児だ。一緒に闘っていた仲間も全滅した。だが――。絶望してないぜ。夢や目標は何度でも持って突進していってやる。謳歌先生の元で正座修行して瞑想を繰り返し、強く誓いを立てたんだ。この戦争が終わるまで生き残るとな」
「ほほう」
 獅子吼の口元にシニカルな笑みが浮かんだ。
「謳歌先生にぞっこんと見たぞ、若造」
「先生のことは尊敬してるさ。命の恩人で正座の師だ」
 上空から低いエンジン音が響いてきた。悪魔の唸り声だ。
 敵機が三機、影を見せた。
「危ない、刻丸っ!」
 鷹羽根は刻丸の小さな体を抱き、横っ飛びに繁みの中へ飛びこんだ。
 集まっていた旅人や農民たちも、クモの子を散らすようにばらばらに逃げて、頭を抱えて繁みに飛びこんだ。機銃掃射が山肌に連発され、土煙が舞う。
 皆、息をひそめていた。
 敵機は上空をゆっくり旋回してから、不気味なエンジン音を響かせて遠ざかっていった。
 鷹羽根は抱きしめていた刻丸の体をやっと放した。
「大丈夫か、刻丸」
「うん。ヤバかったな、鷹羽根」

 繁みから這い出すと、獅子吼が地面に倒れているではないか!数人の男たちが寄ってたかって運んでいくところだった。
「獅子吼の旦那、しっかりしてください、旦那!」
 鷹羽根は膝についた泥をパンパンとはらい落した。
「へえ。あんなに根性がへなちょこな男にも弟子がいるんだな」

第四章 美虚(びこ)

 謳歌先生の診療所は、怪我人がどんどん運びこまれ、いつもよりごった返していた。謳歌先生の指図の声が飛び、患者のうめき声が満ちている。
 先ほど、山道に機銃掃射した敵機は、かなりな負傷者をもたらしたらしい。
 獅子吼もそのうちのひとりだ。
 血まみれで運びこまれた獅子吼を見て、謳歌先生は驚いた。
「獅子吼! 獅子吼じゃないの。用心深いあんたが、こんな深手を負うなんて」
 獅子吼の顔面から肩や横腹、太もも、スネにいたるまで鉄片が突き刺さっていた。かなり出血している。
 応急処置に顔面に巻かれた布から片目だけ覗かせて、獅子吼はうめいた。
「う……。そろそろ年貢の納め時かもしれんな」
「バカを言いなさんな! 正座の語り部が減ったら、きれいに正座する人がいなくなるわ」
 混乱する中を、ネズミのようにかいくぐって、刻丸が獅子吼の担架に飛びついた。
「そうだよ! 正座の語り部が、鷹羽根ひとりになっちゃうじゃないか」
「おや、刻丸! 先月、ここを出立したばかりなのに」
「途中で出会った獅子吼が敵に撃たれちまって、心配で戻ってきたんだよ、謳歌先生」
 刻丸は肩で息をしている。
「獅子吼はこれだけの体格だから大丈夫よ。それより鷹羽根はどうしたの?」
「俺ならここにいるぜ!」
 ふたりの背後から鷹羽根が応えた。
「噂に聞いていた獅子吼の旦那が気になったんで、俺も引き返してきた」
「良かった、鷹羽根。獅子吼をベッドに移すのに手を貸してちょうだい」
「ああ、いいともさ」
 さらに看護兵をふたり呼んで、「せーの」で、獅子吼の巨体をベッドに移した。
 痛みのためか、獅子吼は気を失った。
「あれ?」
 獅子吼の大きな右手に握られていた、紙切れのようなものが床に落ちた。目ざとい刻丸が気づいて拾う。
「これは?」
 鷹羽根がそれを素早くひったくった。
「美虚さんの写真だ」
「美虚さんて?」
 かなりぼろぼろになりかけた写真だった。ひとりの女性が写っている。黒髪がツヤツヤとして東地方の赤い刺繍が施された民族衣装を着て微笑んでいる。
 敵対している東地方の民の写真を持った漢が運びこまれたことが、西地方の民に気づかれたら面倒なことになる。
「ああ、それは獅子吼の奥さんだよ。美虚っていう優れた女性だ」
 謳歌先生が獅子吼の身体を触診しながら答えた。
「先生、獅子吼の奥さんまで知り合いなの? 獅子吼の話じゃ、ずいぶん前に死んじゃったって……」
 鷹羽根が素早く、刻丸の口を両手でふさいだ。
「さ、刻丸、怪我人さんたちの身体にさわる。俺たちはじゃまになるから奥に行こう」
「あ、ああ」
「獅子吼は大丈夫だって謳歌先生が言っただろ」
 ふたりの背後から、獣の雄叫びのような獅子吼の悲鳴が響いた。謳歌先生が傷口に酒を吹きかけたのだ。

 昼間の攻撃の怪我人の手当は夜遅くまでかかったが、全員、命は助かった。
 夜中になって、謳歌先生はようやく休むことができた。怪我人部屋の隣に、小さな休憩室が設けてある。
「先生、お疲れ様でした」
「手当している間、敵の攻撃がなくて良かったね」
 鷹羽根と刻丸が小さな山菜の入ったスープを用意した。
 謳歌先生は、部屋の隅の布きれの上で順序通りに正座して、合掌してからスープに口をつけた。
「ああ、美味しい。お腹に沁み(しみ)わたるよ。ありがとうね」
 鷹羽根たちもスープだけの食事をとった。とたんに刻丸の日焼けした細い腕が鷹羽根の腕をつかんだ。
「さあ、鷹羽根。約束だよ。先生のお仕事が一段落したら、教えてくれるって言ったよな? なんでお前が、獅子吼の奥さんを知ってるのか」
「う~~ん、刻丸、お前もしぶといなあ」
「ふふふ」
 謳歌先生が濃いまつ毛の影を揺らせて笑った。
「獅子吼の奥さんの美虚とは幼なじみなの。獅子吼も私も東の出身なのよ」
「ええっ」
「彼女の家が西軍の攻撃を受けた時に、獅子吼は兵士として戦地に行っていたから、鷹羽根に連れて来てもらったの」
「獅子吼の奥さんは、死んだんじゃなかったの?」
 刻丸の眼玉が飛び出した。
「ええ。しばらくこの診療所でケガの治療をしてから、私が正座と怪我人の手当を教えたのよ。今は、別の診療所で看護助手として働いてもらってるのよ」
「だって、獅子吼は死んじゃったって……」
「しっ!」
 謳歌先生の人差し指が鋭く立てられた。
「彼にはナイショになってるの」
「どうしてサ?? 獅子吼は奥さんが生きてるって知ったら、喜ぶのに」
「ちょっとした事情でな」
 鷹羽根がウインクしてみせた。
「ケチ!」
 あかんべえをしてむくれていたが、刻丸も疲れたらしく、柱にもたれて寝てしまった。

第五章 幼い戸惑い

 翌朝、一番に目が覚めた刻丸は、鷹羽根の座っていた絨毯を見てびっくりする。床にどす黒い血がにじんでいるではないか。
「鷹羽根! ケガしてるじゃないかよ! 先生! 謳歌先生!」
 昨日の怪我人の診回りをしていた謳歌先生が、刻丸に呼ばれてやってきた。
「鷹羽根を診てやって! ケガしてるんだ」
 謳歌先生は鷹羽根が被っていた毛布を取りさり、腕をとって脈を診た。助手の男が鷹羽根の衣服を脱がせて胸に巻いていた白いサラシを取る。
 謳歌先生がすぐに聴診器を当てる。
「脇腹に銃弾が当たったのね」
「わあ、ひどくたくさん、血が出てるじゃないか!」
 叫ぶなり刻丸は黙ってしまった。
 聴診器を外した謳歌先生は、
「良かった。脈はしっかりしている。どうして昨日のうちに言わないのよ、バカねえ。輸血の準備!」
「輸血するのか、先生。そ、そりゃ良かったけどさ、けどさ……」
 指さしたまま、刻丸が口をパクパクしている。
「お、お、お前、女だったのか~~?」
 サラシを取った鷹羽根のふくよかな乳房が、眩しすぎる白さだ。
 薄目を開けた鷹羽根が苦笑いした。
「ずっと一緒に暮らしてきて気がつかなかったのかよ」
「だって、着替えしてるとこなんか見たことなかったもん!」
 真っ赤になっている。
「この子ったら。おませだねえ。赤くなっていないで鷹羽根におっぱい吸わせてもらいなさいな」
「謳歌先生までからかって! おいらは赤ん坊じゃないやいっ! さては前から知ってたんだなっ」
「はははは」
 謳歌先生は豪快に笑った。
「あんたに鷹羽根の介抱をお願いするから。好きなだけおっぱいに甘えるといいよ」
「先生ってば!」
 沸騰したやかんのようになった刻丸だ。

 その後、刻丸は診療所の隅っこか物置にばかりにいて、鷹羽根が寝かされている部屋には近寄らなかった。
 数日して、物陰からひょっこり顔を覗かせた。
「刻丸?」
 鷹羽根は上半身を起こそうとしたが、痛みに襲われて倒れこむと、刻丸が慌てて入ってきた。
「ダメだよ、まだ無理しちゃ!」
 弾丸が内臓にこそ届いていないものの、思ったより重傷だった。
「あ、ああ。大人しくしとくよ」
「うん」
「どうしていた? 刻丸。しばらく顔を見なかったが」
「どうもしやしないよ。ずっと謳歌先生の側にいた」
 きまりが悪そうに鷹羽根から顔を背けた。
「どうした。今までと同じ話し方でいいんだぞ」
「うん、でも……。もう一緒に泳いだり、風呂に入ったりできないよな?」
「どうして?」
「だって、お前に失礼というか……」
 鷹羽根は吹き出した。
「気持ち悪いな。お前が気を遣うなんて」
「だってさ。おいらは母ちゃんのこと知らないから。謳歌先生だけしか周りに女の人いなかったもん」
「俺たちは今のままでいいさ」
 看護兵が鷹羽根の包帯を取り替えに来た。鷹羽根は助けを受けてベッドの上に座る。
 刻丸は慌てて後ろを向く。
 ドキドキしながらも甘酸っぱい、今まで味わったことの無い感情に浸ってしまう。
 年齢の差も気にせず、男同士のつもりで肩を組める気安さで連れ立ってたのに、出来なくなった。
「男も女も関係ない。刻丸は俺の大切なダチだ」
「お、『俺』! 本当は『俺』じゃないだろ」
「今さら『私』なんて言えるかよ、戦の中で男同然に生きてきたのにさ」
(でも、身体はしっかり女だよ。それもとびっきりマブい!)
 刻丸は心の中でわめいた。
 部屋を出て行こうとした看護兵が顔を覗きこむ。
「坊や、赤い顔して熱でもあるんじゃないかい?」
「バ、バカヤロ――!」
 今度は声に出して叫んだ。
「そうそう、その調子だ」
 鷹羽根がからかった。
「……どうして男のふりしてたのさ?」
 しばらくして、もじもじしながら刻丸が尋ねた。
「それは……」
 鷹羽根は言葉に詰まり、眉を寄せて顔を背けた。
「刻丸!」
 元気よくやってきたのは謳歌先生だ。
「レディには質問しちゃいけない場合があるのよ、刻丸」

第六章 美虚との再会

「刻丸、正座のお稽古しようか」
 謳歌先生が言い出し、刻丸はおとなしく彼女の休憩室に入った。
「背すじを真っ直ぐに床に膝をついて。衣服はお尻の下に敷いて、かかとの上に静かに座る。両手は膝の上に。深呼吸して心を鎮める……。周りの音と過ぎ行く時間を感じてみて」
 刻丸は言われる通りにした。
「戦時下、いつ消えるともしれない命だからこそ、心を穏やかに、時間を大切にしなさい。だから、赤ん坊の時に戦で両親を亡くしてしまったあなたに『刻丸』という名前を付けたのよ」
 刻丸はボサボサ頭をこっくりさせた。

 二ヶ月後、傷が治った鷹羽根は、謳歌先生から獅子吼の妻を迎えに行くよう頼まれた。刻丸もお供する。
 獅子吼はまだ、謳歌先生の診療所に入ったままなのだ。
 ひと山向こうにある診療所は、謳歌先生のところよりも国境から離れており、収容されている怪我人も完治が近い患者ばかりだ。
 しかし、東軍が強硬に弾道弾ミサイルを撃ちこめば、一瞬にして消失するだろう。

 学校の校舎を利用して診療所は設けられていた。
「あのう、こちらに美虚さんという方はおられますか」
 入口からひとつめの部屋で、鷹羽根が看護師に声をかけた。
「美虚さんなら、あ、ちょうどこちらへ歩いて来られたわ」
 鷹羽根と刻丸が廊下へ視線を向けた。
 鷹羽根より少し年上だろうか。ブラウンの髪をして優しそうな面立ちだ。「あ、」という顔をして駆けてきた。
「美虚さん! 元気そうで何より!」
「鷹羽根! 謳歌先生から早文(はやぶみ)をいただいたわ。怪我したんですって?」
「ああ。でも、謳歌先生にバッチリ治してもらったから、この通り」
 鷹羽根はその場で音を立てないように跳ねてみせた。
「良かったわ」
 美虚の目は鷹羽根の隣に固くなっている刻丸に向いた。
「あなたの助手?」
「ああ、弟分の刻丸だ」
「刻丸くんか! 大きくなったわね! 私のことは覚えてないのね。謳歌先生のところにいた時には、まだ二歳くらいだったもんね」
 美虚の白い手が刻丸の頭を撫でた。鷹羽根には感じない甘い香りがする。
「地下の休憩室に行きましょう」
 休憩室では看護師や看護兵が束の間の安らぎを得ていた。
 三人は、丸太を半分に割ったテーブルに着き、人の頭よりひと周りも大きい歪んだやかんから、ブリキのコップに水を注いだ。
「谷川の水だけど、どうぞ」
 刻丸は飛びつくや、ごくごく喉を鳴らせて飲んだ。
「あ~~、うめぇ! 最近、診療所の井戸の水が濁って飲めないから、よけいうまい!」
「そう? 良かった」

 美虚はふたりに向き直った。
「で、獅子吼の容態はどうなの?」
「……まだ診療所を出られない。攻撃を受けて片足の神経を破損しちまったんだ。ひとりじゃ歩けないし、日常生活にも困るだろう。退所しても住むところも家族もいない。それで謳歌先生が、美虚さんに戻ってもらうようにって」
「そう……」
 美虚の面持ちは暗い。
「軍人時代、あんなに強かった人がねえ。なんだか哀れだわ」
 彼女の言い方は、どこか冷たい。
「獅子吼は軍人だったのか?」
「ええ。東軍の中枢部で――、軍隊を罵声で鼓舞して命令を下していたわ。敵を全滅させる目標を見失うな! って」
「信じられないな。目標なんか持つから叶わなかった時に、挫折するから目標なんか持つことはムダだって、語り部をしていたぞ」
「語り部?」
 聞き慣れない言葉に、美虚は目を丸くした。
「正座して、各地の民に自分の考えを話すのさ」
「彼が正座して人様に話す? 信じられない。頭から命令して牛耳る(ぎゅうじる)人だったのに」
「ケガする前まではね。今も態度がでかいのはでかいけど、足が不自由になっちまったからなあ」
「正座はできるの? 謳歌先生から教えてもらった心穏やかになれる座り方」
「それが……出来ないんだ」
 鷹羽根は、肩を落として答えた。
「そう……」
 絶望が肩に乗りかかった美虚は、うつむいたまま、
「鷹羽根、せっかく迎えに来てくれて申し訳ないけど、私、戻らないわ。獅子吼の生活を手伝うつもりはないの」
「ど、どうして? 美虚さんが生きてると分かったら、獅子吼はきっと喜んで元気になるぜ! 昔のようにふたりで暮らせるじゃないか」
「昔のように……。無理だわ、無理なの」
 美虚は赤ぎれた両手で顔を覆った。
「昔の通りには戻らないわ! あの日、家に押し入ってきた西軍の兵士たちに、私は……」
 嗚咽(おえつ)がせり上がってくる。
「おい、刻丸。やかんの水が少ない。谷川で汲んできてくれ」
 鷹羽根がだしぬけに言いつけたので、刻丸は反抗する。
「え~~、まだ、たくさん入ってるぜ」
「いいから!」
「……ちぇっ、仕方ねえな」
 少年は振り返りながら、やかんを持って部屋を出て行った。

第七章 今しかない

「鷹羽根……。初めて打ち明けるよ。あの春の平和だった日に、獅子吼の帰りを待って料理していたところへ、いきなり乱暴そうな兵士が五人も押し入ってきて……。台所から火酒(かしゅ)(強い酒)を持ち出して、ラッパ飲みしながら……」
 美虚の声は、だんだん小さくなっていく。
 鷹羽根は細い肩を抱きしめた。
「美虚さん、それ以上は話さなくていい!」
「帰ってきた獅子吼が、私を汚らわしい眼で見て……。愛していたのに……、出ていけって……」
「分かった。謳歌先生に早文を書いて配達してもらうから。美虚さんはここにいて」
 鷹羽根は、手早く紙片にペンを走らせ、診療所の者に託してから地下の休憩室に戻ってきた。
「今、早文の手配をしてきた。電力があれば、モバイルが使えるんだけどな」
「鷹羽根。せっかく迎えに来てくれたのに、ごめんね」
 涙ぐみながら美虚は謝った。
「いいんだよ。実は、こんな男装してるのは、私も同じような目にあったことがあるからだ」
「鷹羽根!」
 美虚は眼を見開いて絶句した。
「誰が悪いのでもない。西軍と東軍のお偉方は何を考えているのか分からない。獅子吼が悪いんじゃない。戦が悪いんだ」
 ふたりの女はしばらく溶け合うように抱きしめて、お互いに流れる涙をそのままにしていた。
 水汲みから戻ってきた刻丸は、わけが分からず突っ立っていた。

 陽が傾いてきた。突然、美虚が丸太の椅子から立ち上がった。
「鷹羽根、私、やっぱり――、戻るわ!」
「えっ」
 言うなり、美虚は裏の農家から馬を借りてきた。診療所の前に連れてきて飛び乗る。
「鷹羽根、あなたも一緒に来て!」
「あ、ああ」
 鷹羽根は馬にまたがりながら、急いで刻丸を呼んだ。
「すぐ戻るから、お前はここで待たせてもらいな。看護兵から食料をもらって」
「あ、ああ。分かったよ」
 ふたりの女を乗せた青鹿毛の馬は、夕暮れ迫る山道を走り出した。

 薄紫の暮色が濃くなる中、向こうからふたつの光が近づいてくる。ジープのライトだ。ジープは馬の前で止まり、運転席から謳歌先生が飛び降りた。
「鷹羽根! 美虚さん!」
「謳歌先生、どうして……」
「あんたからの早文は、途中で受け取ったよ。そんなことだろうと思い、こっちから獅子吼も乗せてきた!」
 謳歌先生は獅子吼を助手席から下ろそうとした。
 馬から飛び降りた美虚も、駆け寄って獅子吼の大柄な身体を支えた。
「あなた――。ずいぶん痩せたわね」
「美虚、お前も」
 それでも支えきれずに、ふたりとも地面に座りこんだ。獅子吼は片脚を伸ばしたままだ。
「ケガはどう? まだ痛む?」
「ずいぶん楽になった。――療養中、何度も何度も考えた。人間、やはり目標があるから生きていけるんだと分かった。そして、俺の目標はお前に謝ることだと分かったんだ。今、謝らなきゃ、戦局がどうなるか、分かったもんじゃない」
「獅子吼……」
「辛い思いをさせたな、美虚。お前は何も悪くないのに、ひどいことを言った」
「獅子吼――。もういいの、いいのよ」
 ふたりは固く、固く、二度と離れまいと誓うように抱きしめ合った。
 謳歌先生と鷹羽根は、顔を見合わせて安堵(あんど)の吐息をもらした。

 鷹羽根は思い立ったように、ひとりで馬に飛び乗り、刻丸の待つ診療所へ急いだ。すでに真っ暗になっていたが、刻丸は入口で灯りを持って待っていた。
「刻丸!」
 鞍から飛び降りるなり、鷹羽根は少年の細い肩を抱きしめた。
「な、なんだよ、鷹羽根。痛いよ」
「お前とはずっと一緒だぞ。私はお前を生んだ母さんだ。ずっと離れない!」
「――私?? 母さん? 痛いってば!」
 じたばたする刻丸の鼻腔に、鷹羽根の甘い肌の匂いがあふれた。

終章

 数日後、国が分裂する前の首脳がメディアに現れた。分裂前とは別の名前を名乗った。
 見ることができたのは、数少ない端末を持っている者だけだが。
 首脳は東軍と西軍に命令を下した。
 武器を置き、畑を耕し、畜産をし、海産物を獲るように。
 どうやら双方の軍の食料が尽きかけているらしい。
「今までなんのために戦ってきたんだ」
「武器を置けと言われても、急にできないぞ」
 人々は新しい不安の渦に包まれたが、「首相の言う通り、食料を作ろう!」と言う者も現れ、だんだん増えてきた。

 謳歌は、端末の画面で見た首脳に見覚えがあった。若い頃、正座の修行を共にしていた中にいた男だ。
『正座で瞑想をしていても、腐敗するか善き方に熟成するかは、心の持ちようなんだわ。しっかり生きていかなければ……』
 心の奥で強く強く誓った。


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