[221]掘りごたつのヌシの正座



タイトル:掘りごたつのヌシの正座
発行日:2022/03/01

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:48
販売価格:200円

著者:海道 遠
イラスト:よろ

内容
 高校生の美久の家では、母親と美久が勝手にリビングに掘りごたつを作ったので、父親は「正座しなくなる」と不満だった。そのことで両親はしょっちゅうケンカをしていて、美久は嫌な思いをしていた。
 そんな時、掘りごたつから男の子と小柄なおじさんと長身の女性が飛び出してきた。掘りごたつのヌシ一族だと名乗る。
 
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本文

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第 一 章 飛び出してきた男の子

 美久が高校から帰ってジーンズのまま、こたつに下半身を突っこんだまま寝そべってスマホを見ていた。
「美久、お父さん、知らない? もうすぐご飯なのにいないのよ」
 母親が取りこんだ洗濯物の山を抱えたまま、こたつの側を通りながら言った。
「知らない。外に飲みに行ったんじゃない?」
「もう~~。お休みの日くらい私たちと一緒に夕飯食べればいいのに」
「父さんは、私たちがこたつを掘りごたつにしたことを怒ってるのよ」
 最近、美久の家では、リビングのこたつを掘りごたつにした。家具屋さんで購入して簡単に置けるタイプのものだ。
 美久と母親は、こたつに入っても足が楽ちんにぶらぶらできるので喜んでいたが、父親は「これでは正座ができん」と反対している。
 正座を重んじる古風な男なのだ。母親が勝手に掘りごたつにしてしまったので、ここのところ口論が絶えなかった。
 それで今日も、夕飯の時間だというのに外へ出かけてしまったらしい。
「困ったなあ」
 両親がケンカすると、美久も気分が落ち込む。スマホでゲームしてもマンガを読んでも面白くない。
 最近、ダイニングテーブルから移動して掘りごたつで食事しても、美久と母親が足ぶらぶらでリラックスし、父親は対抗するように正座して食べるので、なんとなく険悪な雰囲気が漂っていた。
 窓の外は夕焼けだ。住宅街の向こうに山々が見え、真っ赤な夕日が沈むところだった。
 美久が起き上がろうと、こたつに座り直した。その時である。掘りごたつの布団の中から何か大きなものが飛び出した!

「きゃっ、な、なに?」
 驚いた美久は掘りごたつから飛びはなれ、スマホを握りしめたまま、得体の知れないものに対して構えの体勢をとった。
 掘りごたつの中から飛び出したのは、二、三歳の男の子だ。
 それも、ぼろぼろの絣の着物を着て、頭はてっぺんに小さなマゲを結わえている。大きな瞳を見開いて、きょとんとしたままだ。
「誰? あんた? どこの子よ?」
 泣きはしないが、クリーム色の壁やシンプルな家具など周りの景色が珍しくて仕方なさそうだ。
 母親が走り寄ってきた。
「どこから来たのかしら。この辺では見かけない子ねえ」
「お母さん、こんな着物着てる子、めったにいないわよ」
 顔は薄汚れて鼻水を垂らしているし、身体も汚れて、着物もつぎはぎだらけだ。
 美久が、「おうちはどこ?」「お名前は?」「いくつ?」と聞いても答えない。
「いったいどこの子かしら。警察に連れて行きましょうか」
 母親が言い出す。
「なんだか可哀想な気がするけど」
「でも、この子のお母さんやお父さんだってきっと心配しているわ」
「そうでしょうね……。ボク、一緒におうちを探してくれるケイサツっていうおじちゃんとこ、行く?」
 男の子はぶんぶん首をふる。
「でも、ボクのおうちが分からないでしょう」
 男の子は口をつぐんだまま、自分が出てきた掘りごたつを指さした。
「え? ここがボクのおうちだってこと?」
 男の子はコックリとうなずく。
「そんなバカな。ケイサツってところへ行って、探してもらいましょう」
 男の子はいやいやをする。
 いつの間にか帰宅していた父親が後ろから、
「もう日暮れだ。今晩、泊めてやってはどうだ」
「お父さんたら! いつの間に帰ってきたのよ」
「いいじゃないか。このままではラチがあかん。な。ボク。おじさんとこでご飯食べて、おじさんとお風呂入ろう」
 男の子は父親の顔を見つめていたが、コックリした。
「あら、この子、お父さんを気に入ったんだわ」
「お父さんも、うちには男の子がいないから嬉しいんでしょう」
「うむ。この子に正座を教えてやる!」
 父親は力強く宣言した。

第 二 章 男の子の両親

 朝ご飯の支度に母親が台所で忙しくしている。
 洗面所から出てきた美久は、
「やけに甘い匂いね」
 と、思ったところだった。
 リビングの掘りごたつから、また、ふたりの人間がふとんをめくって出てきたので、心臓が止まりそうになった。
「きゃあああ、誰!」
 背の低い頭髪のあまりない老人かな? 頭がでかくてカタチがでこぼこで目と目が離れていて、まるで「妖怪子泣き爺」みたいなおじさんが出てきた。
 もうひとりは儚げな美人で、背が高く見返り美人か雪女の風情だ。ふと消えてしまいそうに細くて、竹久夢二の描く美人とでも言おうか。
「ここはどこじゃ?」
 おじさんが言った。
「私の家よ!」
 美久が怒りながら答える。
「何なのよ、昨日から、うちの掘りごたつから人間がどんどん出てくるなんて!」
「おお、そうじゃ。うちの小さいのが、昨日、掘りごたつに足を突っこんでいて、すっぽりと中へはまってしまったんじゃ。この温帯夫人と潜りこんで探したが見つからん。神隠しに合ったのかなあと思い、今朝も念のため探してみようとこたつに潜ってみたら、ここへ出てきたんじゃ」
「そ、それじゃ、おじさんは、昨日、掘りごたつから飛び出してきた男の子の親御さんなの?」
「親じゃない。仲間なのじゃ」
 その時、廊下の奥から幼い声がした。
「こたつヌシ、温帯ふじん!」
 父親と一緒に起きてきた昨日の男の子が叫んで走ってきた。美久の小さな時のピンクの花柄のパジャマを着せてもらっている。
「おお、こた坊!」
 女性が男の子を抱きしめた。おじさんもふたりを抱きしめる。
「両親なのか? それとも仲間?」
 歯ブラシをくわえたまま、父親が呆然とした。

 正方形のこたつだが、美久一家とこたつから出てきた男の子と両親の六人が、ぎゅうぎゅう詰めになってこたつに座った。
 美久の父親だけは、正座している。
 男の子の前には美久の母親が焼いたホットケーキが置かれ、男の子はむしゃむしゃ食べて、なんとも甘い匂いが漂っている。
「いったい、どこから現れたの?」
 美久が尋ねる。
「江戸時代からタイムスリップでもしてきたの?」
「おなごさん、その『たいむすりっぷ』ってのは分からんが、わしらは江戸時代の者ではない。室町時代の者じゃ」
 小柄な男が答えた。
「室町時代ですって! !」
「室町時代に囲炉裏の火力を落とした灰の上に低い台を置き、衣服をかぶせたのがこたつの始まりじゃ。それからいろいろと変遷があって……」
「へええええ」
 美久一家は三人そろってうめいた。
「まあ、でも時代は関係ないのじゃ。わしらは人間ではなく『こたつのヌシ一族』じゃからな。室町の世に発生して今まで存在しているのじゃ」
「こたつのヌシ一族―――?」
「そうです。掘りごたつの歴史を見守っていくのが、私どもの務めなのです」
 女性が初めて口を開いた。なんとも鈴のような、水琴窟の音のような、耳がとろけそうな凛凛した声だ。
 口をあんぐり開けて聞いている父親を、母親がジロリと見た。
「昨日は時間軸が狂っていたのかもしれんな。こたつに座っていて、こた坊がすっぽりといなくなってしまうなんて、今までなかったことじゃからのう」
「とにかくこた坊が無事で良かった」
 女性がこた坊を後ろから抱きしめ、ハチミツでべちょべちょになった口元を拭いてやった。

「もう家を出ないと仕事に間に合わない。続きは今夜にでも」
 美久の父親はネクタイを締めながら立ち上がった。
「そうだ。美久の家庭教師の先生、民俗学専攻だろう? 来ていただきなさい」
「あ、こういうことこそ、千歳先生を呼ばなきゃね!」

第 三 章 千歳先生

 その夜、美久の家庭教師、千歳先生がやってきた。
 千歳先生は大学で民俗学を専攻していて、昔の風俗や妖怪などについて研究している。四年も留年しているので二十六歳だが、探求心の炎はまだまだ消えることはない。いつもトレーナーとジーンズのハキハキした先生だ。
 掘りごたつのヌシたちとも対面して、感激しきりだ。
「すごいわ、民俗学科の中でも本物の妖怪と会ったなんて、私が初めてでしょうね、きっと」
 瞳を輝かせて、ヌシ一族の三人と握手した。
「千歳先生のご趣味は変わってるけど、お役に立てて嬉しいわ」
 美久が夕飯の食器を下げながら苦笑いした。
 千歳先生もにこにこして、
「お母さま、お夕食ご馳走様でした。掘りごたつ一族の皆さんも、とんかつとお味噌汁、ボリュームサラダ、美味しそうに食べてらっしゃいましたね」
「良かったわ。皆さんのお口にあって」

 まだ帰らない父親以外が、みんな掘りごたつに集まった。
 ヌシの小柄な男が、
「そういえば、ここしばらく掘りごたつの中から、こっちの声がもれて聞こえてきておったのじゃ。奥さんと旦那さんのケンカの声じゃったと思うが」
 美久には心当たりがあった。新しい掘りごたつにしたことを、父親が反対して両親の口ゲンカが絶えなかったからだ。
(カッコ悪いわね、時代のちがう世界にまで聞こえてたなんて)
 父親が帰ってきて、大股で玄関からリビングにやってきた。
「だから、掘りごたつにするのは反対だったんだ。足をぶらんとしてしまっては、日本人の誇りである正座から遠ざかってしまうだろう」
「あなた、帰るなりいきなりなんですか。誰も、正座をしないなんて言ってませんでしょ」
 母親が急いで台所に立ちながら、言い合いを始める。
「そのことは、昔、問題になったことがありましたぞ」
 ヌシが言う。
「一般家庭に掘りごたつが作られたのは明治時代になってからじゃが。イギリス人陶芸家のバーナードなんとかと言う男が作ったと言われておる。日本民芸館の設立にあたって尽力するなどしていたが、どうしても正座が苦手だったので、腰掛けるタイプのこたつを提案したのだそうじゃ」
「それみろ。やっぱり正座が苦手なふぬけ西洋人が掘りごたつを作ったんだ」
 父親は鬼の首を取ったように言い、千歳先生に話しかける。
「千歳先生、日本人であれば正座ができなければならないですよね。正座から遠ざける掘りごたつなんてものは、とんでもないですよね!」
「う~~ん、正座と掘りごたつは相反するものでありながら、両方とも日本独自の文化ですね。これは大いに論じられるべき議題ですわ」
 千歳先生は真剣な顔で言った。
 スマホでササッと検索して、明治時代の陶芸家バーナードの画像を見た。
「根性の良くなさそうなガイジンじゃないの。好きじゃないわ、こういうタイプ。私はもっと童顔の……」

 母親が悲鳴を上げた。
「あっ、ほら、とんかつが焦げ焦げになっちゃった! お父さんが頑固な正座論を言ってるからですよ」
「お前がぼうっとしていたんだろ。正座論には関係ない」
「中途半端な時間に帰ってくるから、後からあなたの分だけトンカツを揚げてるんじゃないですか!」
 美久は千歳先生と掘りごたつのヌシに肩をすくめてみせた。

第 四 章 こた坊たち消える

 父親は正座を推し、母親と娘は掘りごたつを推す。
 これが原因でひとつの家庭が揉めている。
 ヌシは現代の美久の両親の話を聞いていて不仲を知って、温帯夫人と、
「わしらのように仲良くなればよいのにのう」
 と、むつまじく話していた。むつまじくというより、いちゃいちゃしている感じだ。
 美久の父親は、それを見て面白くないようだ。
(こんな子泣き爺みたいな爺さんのどこがいいんだ。俺の方がよほどダンディなはずだ)
 ヌシが、
「ここのおとっつぁんの言うように、掘りごたつだと正座しなくなるというのは分かる話だが、中に落ちると(特に昔のこたつは木炭で温めているので)危ないから、穴のふちに正座すればよい」
「電気になった今だって低温やけどするかもしれん」
 父親はなかなか頑固だ。美久がため息をついた。
「正座なら私が教えてさしあげますわ。日本史の授業で正式なやり方を教わりましたから」
 千歳先生が言い出し、皆で正座の稽古が始まる。

 皆がそれぞれ、こたつの周りに立った。
「皆さん、背筋をまっすぐに立ってください。床の、こたつの周りぎりぎりのところに膝をついて。スカートや着物はお尻の下に敷いて、かかとの上に静かに座ってください。両手は膝の上に静かに置きます」
「こ、こうかしら」
「これでいいのじゃろうか」
「はい、結構ですよ」
 小さなこた坊も一生懸命、順番通りに正座してきちんと座れた。
「ボク、上手にできたわねえ」
 千歳先生が頭を撫でたとたん―――、こた坊の小さい身体が掘りごたつの中に吸い込まれるようにして見えなくなった!
「こた坊!」
 父親がすぐに布団をめくって覗いたが、こた坊の姿はどこにもない。
「あれ? こた坊?」
「今、座ったばかりじゃない」
 母親が布団をめくりあげて覗いてみるが、こた坊は掘りごたつの中にはいない。
「こた坊、どこ行ったの?」
 ヌシと温帯夫人が掘りごたつの中に潜って見てみたが、気配はない」
「あら、美久もいないわ」
 母親が気がついた。
「美久、どこ行った、美久!」
 父親がこたつの中はもちろん、居間の中を走り回り、ベランダのガラス戸まで開けて叫んだが、娘はどこにもいない。
「あら、千歳先生もいらっしゃらないわ。千歳先生!」
 千歳先生の姿が消えていた。
「まさか……まさか……三人とも時間軸が歪んでどこかの時代に行ってしまったんではなかろうか」
 ヌシの青ざめた顔に、皆は愕然となった。

第 五 章 バーナードさん

 父親と母親も顔を見合わせた。
「あなたが掘りごたつにしたことを怒ってばかりいるから、罰が当たったのよ!」
「何を言ってるんだ。『正座しなさい』と言ってる俺の言うことをきかないから、いつも口論になるんだ」
「美久は、こんな私たちに嫌気がさして消えてしまったんだわ!」
 母親はしゃがみこんで泣き出した。

 美久は暗闇で目が覚めた。
 なんだか灰の匂い、くすぶった匂いが立ち込めている。すごい暑さで息が詰まりそうだ。
「苦しいっ」
 布団をめくって飛び出すと、明るい中で集まっていた人たちがびっくりして立ち上がった。どうやら美久は掘りごたつの中にいたらしい。千歳先生と小さなこた坊も一緒に掘りごたつから這い出した。
「千歳先生、ここはどこかしら」
「古い木の看板に『公民館』って書いてあるわね」
「じゃ公民館なのね。道理で広い部屋だわ。それにしても、皆さん着物姿ね」
 美久と千歳先生をじろじろ見ている年配のおじさんたちは、黒い羽織袴がほとんどで、ひとりだけ外国人が背広の洋装をしている。
「あんたたちは誰だ? どこから来たんだ?」
 チャップリンみたいなチョビひげのおじさんが恐る恐る、声をかけてきた。
 自宅の掘りごたつ事件の経験がある美久は、事情が分かっていた。
「怪しい者ではありません。炭の掃除に来て、温まってるうちにこたつの中でうたた寝してしまいましたの」
 苦しい言い訳をした。
「さては、民芸館の計画を盗み聞きしてたんだな」
「民芸館の計画?」
「そうだ。今、ちょうど掘りごたつの発案者のバーナードさんと会議していたんだ」
 美久と千歳先生は、外国人を見た。
(この人が掘りごたつを発明した人か……)
「あなたですか。正座で足がしびれるのがイヤで掘りごたつを発明したっていうのは」
 千歳先生が遠慮なく前へ出て言った。
「そ、そうだが?」
 バーナードは咳をひとつして千歳先生と向かい合った。美久たちが想像していたより、とても若くて美しい。金髪がまばゆくて人形のようだ。
「こんなにお若い人が発案者だったなんて。二十歳くらいでらっしゃいますか」
「私は四十五歳です。そんなに若く見えますか。貫禄がないんですね」
 バーナードはむっつりして答えた。
「まあまあ、バーナードさん。お茶でも淹れなおしますから、ご機嫌を直して、会議の続きをしましょう。珍客は放っておいて」
 チョビひげのおじさんがその場をなだめた。
「会議の盗み聞きなんてしてませんから、ご安心ください」
 美久が言い添えた。

「それにしてもバーナードさんが考案された、この掘りごたつは足が楽でよろしいですなあ」
 チョビひげや大隈重信ひげや伊藤博文ひげのおじさんたちが、口をそろえて褒める。
 バーナードさんは鼻高々に、
「そうでしょう、そうでしょう。今までは掘りごたつでなかったので、正座していては足が痛くて痛くて。これだととっても楽ですから、家だけでなく公民館にも作らせてもらいました」
 千歳先生がそれを聞いて我慢ならなくなった。
「日本民芸館の設立をしようって人が、日本独自の正座を嫌がるとは何事ですか!」
「ち、千歳先生、それはちょっと言い過ぎでは……」
 美久が止めた。
「そうだわ、バーナードさんにも正座のお稽古をしていただいたらどうかしら、千歳先生? そしたら正座の良さをお分かりいただけるんじゃないかしら」
「どうして正座の稽古なんぞ受けなきゃならないんだ?」
 バーナードさんも意地っ張りだが、千歳先生も負けていない。
「立場を知りなさいよ、あなた、陶芸家なんでしょう? 茶道のお茶碗だって作るわよね? 茶道は正座抜きにはできませんよね」
「お茶碗作るからって、茶道の正座とこたつで正座するのと関係ないでしょう」
「いえいえ、正座に変わりはありません。日本人の誇りである正座を、民芸館を作ってくださるバーナードさんが正座が苦しいからって、掘りごたつをを作るなんて矛盾しています」
 千歳先生の口調がますます激しくなったので、美久が口をはさむ。
「そんなこと言っても、足が痛いのは耐えられませんよね。掘りごたつはすごい発明品ですわ。日本人の生活に定着していくでしょう」
「美久ちゃん、掘りごたつが気に入ってるからって、ダメよ、欠点にも目を向けなきゃ」
「欠点?」
 美久が、話をやめて急にきょろきょろと部屋の中を見回した。
「こた坊はどこへ行ったのかしら。昨日、うちの掘りごたつから飛び出してきた男の子。さっきから姿が見えないんだけど」
「えっ、あの子も一緒にここへ来たの? 知らなかったわ!」
 今頃になって千歳先生も気がついた。

第 六 章 こた坊はどこへ

 美久が真っ青になって、
「私と一緒に掘りごたつから這い出したと思ったんだけど」
「子どもの連れがいたのか?」
「はい。三歳くらいで、ピンクの、いえ桃色のトレーナーを着ています」
「トレーナーとは何だ?」
 バーナードが尋ねた。
「厚手のシャツとでもいいましょうか」
 最初は美久と千歳先生だけで探していたが、会議に出席していた人たちも協力して探してくれることになった。

 公民館じゅうに、「こた坊~~、こた坊、どこ行った~~」という声が響き渡る。
「裏山へ迷い込んだんじゃないだろうな」
 バーナードが言い出す。
「裏山には熊が出る。急いで探さないと!」
「警察と消防団と村の青年団に連絡しましょう」
 大騒ぎになるところへ、会議場の和室から、かすかなうめき声が聞こえてきた。
「こた坊なの? どこにいるの?」
 うめき声は、こたつの中から聞こえてるではないか。美久は急いで布団を取り去った。
 こた坊が掘りごたつの床で横たわっていた!
 抱き上げると顔色が真っ白だ。皆が寄ってきた。
「木炭を吸ったんだな。診療所へ運ぶぞ」
 バーナードが抱き上げ、急いで診療所へ担ぎ込んだ。

 お医者と、大きな白い帽子を被った看護婦さんが、酸素吸入してくれた。右腕にやけどをしていたが、軽くで済んだ。
「危ないところでしたが、これで大丈夫です。この頃、掘りごたつが増えたせいで、こういう患者さんが多いんです。特に小さなお子さんやご老人には気をつけてあげてください」
 医者は、しっかり伝えると病室を出て行った。
「こた坊、ごめんね。おねえさんが目を離したせいで苦しい目にあわせてしまって」
 美久は泣きながら、こた坊の小さな手を握った。
「温帯おかか、会いたい、温帯おかか、会いたい……」
 美人の掘りごたつ仲間の名を呼んでいる。母親代わりなのだろう。
「こた坊、どうにかしておねえさんが、元の世界へ連れて帰ってあげるからね」
 美久とこた坊は、小指をからませて約束げんまんをした。
「はい、指きった!」
「うん、美久ねえたん」
 弟のいない美久は、こた坊が可愛くなってきた。
「美久ちゃん、そんな安請け合いして大丈夫なの? どうやってタイムスリップするか方法は分かっているの?」
 千歳先生がため息まじりに言った。
「わからないけど――、なんだか勘でね、こた坊が上手に正座していたから、叶いそうな気がするの」
「そういえば、皆でお稽古した時、こた坊は小さいのにちゃんと正座ができていたわね」

 病院の板張りの廊下では、バーナード先生とチャップリンチョビひげのおじさんが待っていてくれた。
 こた坊が元気になって帰っていいことを告げると、ほっとしたようだ。
「バーナードさん、掘りごたつの欠点はこれです」
 千歳が、バーナードの背中に負ぶわれるこた坊の背中を押さえながら言った。
「掘りごたつは正座しないですみますし、足は楽ですが、木炭中毒になる危険が大いにあるのです。火元も近いですし火傷の恐れも」
「それは、改良に改良を重ねて今のカタチになったのだが、やはりまだ危険なのか……」
「ですから、掘りごたつを使用するしないはご自由ですが、できるだけ普通のこたつで正座するにかぎると思いますわ」
「なるほどなあ」
 バーナードは素直に自分の非を認めた。
「痛くならない方法をお教えしますから、この子と一緒にお稽古なさいませんか?」
「この子と一緒にですか?」
 バーナードの青い眼が真ん丸になった。
「ええ。この子、わりと正座のすじがよろしいんですのよ」

第 七 章 明治時代に正座の稽古

 さっそく、千歳先生の正座の稽古が始まった。
 生徒はバーナードさんとこた坊だ。
 こた坊が掘りごたつの中でぐったりしていた事件は、バーナードさんを相当打ちのめしたらしい。すっかりおとなしくなり、千歳から正座の稽古を受けている。
「私の考案した掘りごたつは、足が楽で重宝したが、木炭で気分の悪くなる恐れあり、炭火を使うので火事にも気をつけなければならない――か。千歳さんの言う通りだな」
「はい、正座のことだけ考えて下さい。手順をもう一度行きますよ。背筋をまっすぐにして立って下さい」
 長身のバーナードさんとこた坊が並んで立つ。
「では、膝をついて。スカートや着物はお尻の下に敷いて、ゆっくりとかかとの上に座り、両手は膝の上に乗せる」
 ふたりともしっかりできた。
 バーナードは晴れ晴れとした表情で、
「ありがとうございます。正座してこたつの席に着く方が気持ちがしっかりします。足をぶらぶらさせていては、気持ちがだらけます。掘りごたつは家だけにした方がいいですね」
「バーナードさん。お仕事場で掘りごたつも、いいんですけどね。足がしびれないようにする方法は、足の親指を重ねて座り、それを上下交互に取り換えるのです。少しはましになりますよ」
「ありがとう。でも、しびれ止めとか、どうでもいいんです」
「はあ? どうでもいいって」
「千歳先生。私はあなたのその気の強い態度がすっかり気に入ってしまった! 私の妻になって下さい」
「えええっ」
 バーナードは千歳の両手を包みこんだ。青い眼は真剣だ。
 千歳は面食らった。
「ご結婚しておられなかったんですか。私は二十六歳ですよ。あなたとはかなり歳の差が……」
「歳の差がなんだ、私はあなたのきっぱりした態度に魅せられたんだ」
 バーナードは千歳の肩を抱こうとする。
「む、無理です。私、明治時代に生きるなんて……」
 ふたりの押し問答を、美久は呆気に取られて見ていた。
「どんな時代であろうが、あなたの強い情熱の側で、私は生きていきたい!」
「バ、バーナードさん……」
 バーナードの言葉こそ、情熱に燃えている。千歳の頬がほんのり紅く染まった。

 現代の美久の自宅では、両親と掘りごたつのヌシと温帯夫人がそわそわしていた。
「こた坊はどうしているかしら。ひとりだけでどこかへ行くことないのに、きっと寂しがって泣いているわね」
「時間軸はわしらの能力ではどうすることもできんからのう」
 ヌシが下がり目をいっそう下げてため息と共に言った時、掘りごたつの布団がもぞもぞと動き、こた坊の可愛いマゲの頭が出てきて、それから美久も出てきた。
「こた坊!」
 こた坊は、ヌシと温帯夫人に抱きしめられ、美久は両親に抱きしめられた。
「ちょ、ちょっとやめてよ、カッコ悪いから」
「美久、よく帰ってきてくれたわねえ」
「俺らが悪かった。もう夫婦喧嘩はしないよ」
 両親はうなだれた。
「千歳先生は? 一緒じゃなかったの?」
「千歳先生は、飛ばされていった明治時代で掘りごたつを発明したバーナードさんにプロポーズされて、お受けすることになったの」
「なんですって!」
 美久の両親は驚きのあまり凍結した。
「あのね、千歳先生は元々、民俗学を勉強してらしたでしょう。それで掘りごたつを発案されたバーナードさんと、最初は仲が良くなかったんだけど、結局、ふたりで正座のお稽古をして、もっと上達しますって掘りごたつにお祈りしたら、気が合っちゃったみたいなの」
「まあ~~!」
「こた坊も一緒にお稽古して、特急合格の正座ができたと思ったとたん、こっちの時代に帰れたのよ」

「時空を超えて、千歳先生は運命の人と巡り会えたのねえ」
 母親がしみじみと言った。
「美久、あなたはそんなのダメよ。もう会えなくなっちゃうなんて、母さん、許しませんからね」
「俺も許さん!」
 父親が言い、
「気が合いましたね、お父さん」
 ふたりは笑いあった。

 それから何日かして春めいてきた日に、掘りごたつのヌシたちは、靄が消えるように気配を消した。
 美久は、思う。
(あのこたつのヌシたちは、父さんと母さんを仲直りさせてくれようとして自然にやってきたんだわ)
(それと、千歳先生に運命の相手と出会わせるために)

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