[293]うさぎの瞳の中で2ショット!


タイトル:うさぎの瞳の中で2ショット!
掲載日:2024/06/08

著者:海道 遠

内容:
 飼い主の阿伊ちゃんが、おでこの前髪を持ち上げて、ある日、うさぎのボク(真風太)の瞳を見つめながら言ったの。
「真風太(まぶた)の瞳の中に、私が映ってる!」って。
 見つめ合ってると、ボクも阿伊ちゃんの瞳の中にお顔が写っていることに気がついた。我ながら、イケうさじゃないか。
「真風太の瞳の中に写っている私の写真が撮りたいわ!」
 阿伊ちゃんはとっさに思ったんだって!
 でも、これはすごく難しいらしい。さて?



本文

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第一章 ガチョウのガガちゃん

「きゃ―――! 阿伊ちゃん、助けて〜〜!」
 ボクが窓からぴょ〜〜んと飛び込むと、阿伊ちゃんは通学用の洋服に着替え中だった。
「どしたの、真風太(まぶた)!」
「ガガちゃんが〜〜〜!」
 お隣ん家のガチョウのガガちゃんが、水場からしぶきを上げて飛び出して追っかけてきた。窓から白く長い首を突っ込んで、グェッグェッと鳴いている。ボクを見かけると、いつも突きに来るんだよな。なんでかな?
 ボクは、真風太(マブタ)。グレーのミニうさぎの満1歳。
 阿伊ちゃんはボクの飼い主。大学1年生の18歳。いつもナデナデしてくれる。大しゅき!

 阿伊ちゃんが、ガガちゃんの首を窓の外へ押しやって、バタンと閉めた。
「ちょっと、何すんのよ、乱暴ね! ガガちゃんの首が窓にはさまれるじゃないよっ」
 怒鳴りながら駆けてきて窓を開けたのは、ガガちゃんの飼い主で、阿伊ちゃんと同い年の羽奈(はな)ちゃんだ!
 金髪のおかっぱ頭がガチョウのくちばしみたいに黄色い。
「あんたんちのガチョウが、うちの真風太くんを目の仇にして攻撃してくるからよ!」
 阿伊ちゃんは負けずに言い返した。
「あんたのうさぎが、ガガちゃんのご飯をつまみ食いするから、ガガちゃんが怒るのよ!」
「なんですって! 真風太はそんなお行儀の悪い子じゃないわ!」
「さあ、どうだか。私が見てたんだから、現行犯逮捕よ!」
「水草の不味いエサを、真風太くんが食べるわけないわ! 真風太くんのご飯は、香ばしい干し草や新鮮な野菜や果物だもん!」
 羽奈ちゃんの目がつり上がった。
「水草はガチョウの大好物なのよ! 私のソウルメイトの大切なガガちゃんに、不味いものを食べさせるわけないでしょう!」
「私のソウルメイトの真風太くんは、よそのご飯を食べたりしないわ! 目の中に入れても痛くないくらい可愛いんだから!」
「私のガガちゃんだって!」
 窓を挟んで中と外で、羽奈ちゃんと阿伊ちゃんはツバキを飛ばして言いあいした。
 グェッ、グェッ、グエ~~~ッ!
 ガガちゃんの怒りの鳴き声も止まらない。
「阿伊! いい加減になさい!」
 阿伊ちゃんのママが、台所の窓から叫んだ。
「遅刻するわよ! 羽奈ちゃんも!」
 ふたりはハッとして口げんかをやめて、一同、解散となった。

 その日、阿伊ちゃんが大学から帰ってくると、ママが座敷で正座して阿伊ちゃんを待っていた。
「ちょっと正座しなさい」
「な、なぁに、改まって……」
 阿伊ちゃんはしぶしぶ、ママの前に正座した。
「今朝の羽奈ちゃんとのケンカはなんなの? もう何回めなの? 1年くらい前からしょっちゅうよね? 真風太が、ガガちゃんのエサを食べてるって本当なの?」
「そんなのデタラメよ。ガガちゃんは真風太くんを見ただけで、いつも追いかけてくるの。毛嫌いしてるのよ」
「それ、ガガちゃんに聞いてみたの?」
「き、聞いたわけじゃないけど……。目の中に入れても痛くない真風太くんをエサ泥棒扱いされて頭に来るじゃないの」
 ママはため息をついた。
「真風太が可愛いからでしょう」
「分かりきってることを聞かないでよ。目の中に入れても痛くないって……」
「羽奈ちゃんの心になって考えてみなさい。羽奈ちゃんだって、ガガちゃんを目の中に入れても痛くないから、ガガちゃんが怒ってるのを見て頭に来ちゃうのよ。それで、売り言葉に買い言葉になっちゃうのよ」
「それは、そうだけど……」
「原因は、あなたが真風太を自由に『庭んぽ』させてるからじゃないの? エサは盗んだりしなくても、お隣のお庭をホリホリしちゃうんじゃないの?」
 あ、ボク、時々、ホリホリしてる! しまった!
 阿伊ちゃんはそれ以上、何も言えずに唇を噛みしめた。

第二章 写真館のおじいちゃん

 阿伊ちゃんが、おでこの前髪を持ち上げて、ある日、ボク(真風太)の瞳を見つめながら言ったの。
「真風太の瞳の中に、私が映ってる!」って。
 見つめ合ってると、ボクも阿伊ちゃんの瞳の中にお顔が写っていることに気がついた。我ながら、イケうさじゃないか。
「真風太の瞳の中に写っている私の写真が撮りたいわ!」
 阿伊ちゃんはとっさに思ったんだって!
 でも、これはすごく難しいらしい。
 ボクの前にカメラやスマホを持ってくると、阿伊ちゃんの顔がボクの瞳に映らなくなっちゃう!
 阿伊ちゃんはスマホをボクの周りで構えながら、いっぱいあちこちから構えてみたが、上手くいかないみたいだ。
 ボクだって撮影してほしいよ! こんなに接近するっていうか、合体した2ショットは無いもんな。ボクたちの愛の深さが一目で分かるもんな!

「こりゃ、私には無理だ! 写真館で相談しよう!」
 阿伊ちゃんは急いでボクを抱っこして、写真館の洸助おじいちゃんのところに行って相談したの。
 おじいちゃんは、びっくりしながらも、
「おお、そのリクエストな、時々お客さんからもいただくから、ワシもどうしたらいいか、考えてたところだよ」
「お客様から?」
「阿伊ちゃんみたいにペットを溺愛している方からな」
「真風太はペットじゃないわ、家族よ」
 おじいちゃんは一瞬ポカンとして、
「ああ、こりゃ、ワシが悪かった! 真風太はあんたの恋人だったな」
 ムギュッ!
 おじいちゃんは、いつものアスコット・タイとかいうスカーフを襟元に巻いたまま、阿伊ちゃんとボクをグシャッと抱きしめた。

 洸助おじいちゃんは、孫の浪人生の鏡太郎くんと二人暮らしだ。アゴのラインに沿っておヒゲを生やして、いつ見てもアスコット・タイというのを首に巻いているダンディさんだ。
 愛用の一番小型のカメラを持って、ボクと里奈ちゃんの周りをぐるぐる角度を変えて歩きまわり、ついに寝転がってアングルを決めようとしたが、また立ち上がったりしゃがんだりして、なかなか写す位置が決まらない。

「う〜ん、これは、マダム・マスカレードのお知恵を拝借するか……」
 おじいちゃんはチェックのベストから、スマホを取り出し電話しようした……が、やっぱりスマホを上着の内側にしまって、デスクの上のダイヤル式っていう黒電話の数字の盤を回した。ジーコジーコって回るの、面白い!
「おお、マダム! ワシです。 すまんのう、ちょっと助けてくださいませんか」
 マダム・マスカレードは、夕方におじゃまします、と答えたらしい。おじいちゃんはにっこりして親指を立てた。
 マダム・マスカレードって、綺麗そうな名前だな。どんな人だろう?
 阿伊ちゃんが言うには、マスカレードって仮面のことらしい。仮面でも被ってるのかな? 普通の奥さんじゃなさそうだ。ギミックの利いていそうな名前だもん。
 え? ギミック? ギミックっていうのは、からくりとか仕掛けのことなんだって~。阿伊ちゃんが言ってたよ。

第三章 鏡太郎の進路

 マダム・マスカレードがやってきた。
 仮面はつけていないけどまるで仮面のように卵型の整ったフェイスラインだ。腰がキュッとした細いスカートを履いて、靴の音をコツコツさせてきた。
 年齢は阿伊ちゃんのママくらいかな? いや、もっと若いかもしれない。長い黒髪に青い髪が混じっているせいか、よけいサラサラ髪に見える。美人だ!
「マダム、お忙しいところ、ありがとうございます。対面の瞳の中の写真を撮影したいというお客さんがありましてな」
 洸助おじいちゃんが挨拶した。
「阿伊と、ミニうさぎの真風太といいます。よろしくお願いします」
 阿伊ちゃんとボクもご挨拶した。
「まあ、可愛いお客様ね。よろしくね」
 マダムは万華鏡の研究をしているんだって。
 でも、やっぱり阿伊ちゃんがボクの瞳の中に写ってる時の撮影の仕方が分からないみたいだ。苦戦してる。

 洸助おじいちゃんが、懐から銀色の懐中時計を出して、
「そろそろ発表の時刻だ。阿伊ちゃん、鏡太郎の部屋へ行って起こしてやってくれんか? まだ寝ているだろうから」
「分かったわ。合格してるといいわね」
 鏡太郎くんは、阿伊ちゃんの幼なじみだ。
 阿伊ちゃんが鏡太郎くんの部屋に行くと、彼はびっくりして飛び起きた。
 そろそろ、大学の合格発表の時間が迫っていた。
「わ〜〜〜! びっくりした!」
 いっぱい汗をかいている。
「螺旋階段をずっとずっと、降りたり上がったりして、出口が分からない夢を見ていた!」
 肩を上下させている。
「布団も着ないで、ベッドでうたた寝してるからよ」
「はぁはぁ、怖かった……どこかへ行きたいのに目的の場所が分からないんだ」
「受験が終わって、発表待ちだから心配がたまってたのね」
「多分な……。自信ないもん、芸術大学の写真部なんて」
「そろそろ発表の時間ね」

 鏡太郎くんは、力ない歩みでトントンと階下に降りた。おじいちゃんはカメラを磨いていた。
「お祖父ちゃん……、またダメだったよ」
 報告した後、しょんぼりしている。
 おじいちゃんの写真館に影響されて芸術大学を目指して一浪していたのだが。二度目の敗戦だったらしい。
「鏡太郎、捨てる神あれば拾う神ありじゃ。人生、ゆっくりじっくり行くがいい」
 おじいちゃんはロッキングチェアに腰かけて、パイプに火をつけて微笑んでいる。

 まだマダム・マスカレードがいた。
「ちょっと、どこへ行ってたのよ、お嬢さんとうさぎさん! 被写体がいないとキメようがないじゃないの」
「あ、すみません。鏡太郎くんの合格発表をパソコンで見ていたんです」
「で、結果は?」
「……駄目でした」
「で、どうするの? もう1年がんばる?」
 鏡太郎くんは首を振った。
「マダムの経営しておられる万華鏡専門学校に進もうと思います。写真はおじいちゃんの跡を継ぐ義務で目指してましたが、ボクが本当にやりたいことは、万華鏡の仕組みや合わせ鏡の研究なんです」
「あらまあ、本気?」
 鏡太郎くんはコックリした。
「分かったわ。待ってるわよ!」
 マダムは鏡太郎くんの肩をグッと握った。

第四章 正座のお師匠

 正座の専門家から洸助おじいちゃんの写真館に電話が入る。
 洸助おじいちゃんより、もっとお爺さんみたいな声が、ダイヤル式電話の受話器から聞こえてきた。
『マダム・マスカレードから連絡がありましてな。お宅の写真館でペットの瞳の中のご主人の写真撮影をなさりたいとか……、ゴホゴホ、失礼』
 苦しそうな咳が聞こえた。

「じゃあ、場所はいつものスタジオじゃないの?」
 阿伊ちゃんが尋ねた。
「スタジオでも座敷でも、見ていただいてから決めてもらうことにするよ。それにしても、威厳のありそうな声だったなあ。お顔はどんな方だか存じあげないけれど、マダム・マスカレードのご紹介だから間違いはないお人だろう」
 ヘー、あの綺麗なマダムにお爺さんの正座のお師匠のお知り合いが?
 ボクも感心して聞いていた。
「あ、もしかして、このご老人かな」
 鏡太郎くんが、スマホの写真を差し出した。
 そこには、マダム・マスカレードの横に正座して、全く髪の毛の無い老人が白いヒゲを胸まで垂らして、にこやかに写真におさまっていた。垂れた目が優しそうなおじいさんだ。

 正座のお師匠さんが、撮影に来られる日がやってきた。ボクも、阿伊ちゃんに抱っこしてもらって写真館に駆けつけた。
 洸助おじいちゃんは、鏡太郎くんとふたりで頑張って掃除したんだって。お部屋はいつもよりピカピカだ。
 鏡太郎くんが、
「正座の所作を習うんだったら、お師匠さんと顔見知りになっておいた方がいいだろ?」
「正座の所作を習うですって? 待ってよ、そんな予定ないわよ」
「だって、真風太と同じアングルで写真撮ってもらうんだろ」
「写真と正座の所作とどう関係あるのよ?」
「美しい正座でなけりゃ、おじいちゃんは撮影しないんだよ」
「へええ」
 鏡太郎くんは何故だか自信満々だ。

 阿伊ちゃんが、お茶の用意をしている間に、エンジン音がしてきた。
「あ、お越しだ!」
 洸助おじいちゃんがアスコット・タイを直し、玄関を開けた時、
 ブルン、ブルン!
 いきなり大型バイクが現れた。つんざくような音にびっくりして、ボクは阿伊ちゃんにくっついた。
 大柄な黒いライダー・スーツの男が写真館の前で降り立った。

第五章 若い正座師匠

 ヘルメットを脱ぐと、肩までのサファイヤ色まじりの長髪がバサッと風になびいた。それも束の間、彼は黒いサングラスをはめた。
 なんて綺麗な横顔だ! なんてしなやかな髪の毛だ! なんて背が高いんだ!
「かっけえ……」
 ボウッと見惚れてしまった。
 阿伊ちゃんの瞳もハート型になってる! マズいぞ!
 彼はバイクを写真館の駐車スペースに置くと、近づいてきた。
「正座師匠の藍万古(あいばんこ)です。今日は宜しくお願いします」
「藍万古師匠! 貴方が? ず、ず、ずいぶんお若いですな……」
 洸助おじいちゃんが目を飛び出させた。
 この人が、写真を見せてもらった白いヒゲの正座のお師匠さん?
 ――?
 ンなわけないよな。きっと何かの間違いだろう。

 藍万古師匠は奥座敷へ通されて、阿伊ちゃんが急いで紅茶から緑茶に変えて持ってきたのを静かに一口飲んだ。
「ふう、ごちそうさまです。君が阿伊ちゃんと真風太くんだね」
 阿伊ちゃんの隣で、クシクシ身繕いしていたボクにも声をかけてくれたけど、気安くさわるなよな。阿伊ちゃんにもさわったらただじゃおかないぞ!
「真風太くんの瞳の中に映る2ショットを撮りたいんだってね。鏡太郎くんから聞いたよ」
 にっこり笑った。
「こここ……この度はお世話になります」
 阿伊ちゃんはシドモド挨拶した。きっと心臓が口から飛び出しそうになってるにちがいないぞ。ヤバい!
 背後から洸助おじいちゃんが、膝をいざって出てきた。
「改めまして、写真館主人でございます。いやぁ、さすがの正座ですな。皮のパンツでもピシッとされておられますね」
「いやぁ〜、お褒めいただきありがとうございます」
 藍万古師匠は頭をかいた。
「それにしても、師匠、お若いですな。息子さん……ではありませんよね?」
「お祖父ちゃん、失礼だろっ」
 鏡太郎が注意した。
「最近、ネットで20代にしか見えない50代のイケメンなんて方が取り沙汰されていましたが、そんなの、とっくに凌駕しておられる……」
 洸助おじいちゃんは、うっとりして瞳が潤んでいる。
「阿伊ちゃん、正座の基本の所作をやってみるかい?」
 藍万古師匠が声をかけた。
「は、はい! お願いします」

「では、背筋を真っ直ぐにして立ちます」
 藍万古師匠は座布団の傍らに立ってみせた。阿伊ちゃんも慌てて立った。
「膝が少し曲がっていますよ」
 膝をポンポンとされ、阿伊ちゃんは思わず「キャッ」ともらした。こいつぅ、セクハラでうったえるぞ! 足ダンッ☆してやった。うさぎが不機嫌な時の行動だ。
「床に静かに両膝を着き、手を添えながらスカートをお尻の下に敷いて、かかとの上に座ります。両手は静かに膝の上に置いて。はい、それで結構ですよ」
 いつの間にか阿伊ちゃんはお行儀の良い正座をしていた。ボクもつられて阿伊ちゃんの隣にかしこまって香箱座りした。

第六章 座律

 ―――しばらく、誰もが黙り込み、庭から吹いてくる爽やかな風に吹かれていた。
 正座したまま―――。
「いかがですか? 正座しているご気分は」
「は、はい。なんだかとても……心が落ち着いて自分が少しマシな人間になれたような……」 
「正座の浄化気分を味わわれたようですね」
「あ、ワシも! 清々しい世界へ行っていたよ」
「ボクも! この前まで合格発表が気になってイライラしてたのがウソみたい! 落ちたことも残念に思わないや」
 いつの間にか、並んで正座していた洸助おじいちゃんと、鏡太郎くんもうなずきながら言った。
「皆さん、『座律(ざりつ)』にかなったお言葉です」
 藍万古師匠がずっしりと心に響く言葉を言った。
「『座律』――?」
 阿伊ちゃんは不思議そうに繰り返した。難しそうな言葉だ。もちろんボクにはさっぱり分かんない!
「『座律』とは【正座の意味】のことです。また後日、マダム・マスカレードから教えていただくといいですよ」
 藍万古師匠が穏やかに言った。
 鏡太郎くんが丸い目をくりくりさせて、
「マダム・マスカレードから……。へえ〜〜。じゃあ、ボクもマダムが経営されてる専門学校に入学したら、『座律』について勉強するってこと?」
 藍万古師匠は、鏡太郎くんに優しくうなずいてから、
「正座と万華鏡は不思議なつながりがありますからね」
「ふう~~ん」
「そうそう、今日は阿伊ちゃんとうさぎさんを一緒に撮影するために伺ったのでした。もうすぐ特注の椅子が届くと思うのですが」
「特注の椅子?」
 言ってる側から、ピンポンとチャイムが鳴った。
 鏡太郎くんが急いで玄関に駆けていき、配達員の方とやり取りしてから、叫び声が聞こえた。
「特注の椅子が届いたみたいですよ! お祖父ちゃん、運ぶの手伝って〜〜〜!」
「あ、私が行きます」
 藍万古師匠が立ち上がって玄関に向かった。

「でかいダンボール箱だよ!」
 鏡太郎の言葉に、藍万古師匠はニヤリと笑って髪をハーフアップに結んだ。梱包をビリビリ開けながら、
「これ? これは座面角度自在の正座椅子っていうんだ」
「座面角度自在の正座椅子?」
「そう。座面の角度や位置をいろいろ動かしながら、しっかり正座できる椅子。高く椅子にしたり座椅子にしたりもできるよ」
 師匠は組み立てて、椅子の角度や高さを変えてみせた。
 阿伊ちゃんは、師匠の側へ行って椅子を眺めて、
「これが、写真撮影に使われるんですか?」
「そうだよ! これがなくちゃ、君のオーダー、うさぎさんの瞳の中の2ショットを撮影するのは不可能だからね」
「まあ! こんな大きな椅子が必要なのね」
「ずいぶんいろんなテストしてみたんだ。そして、もうひとつ……」
 そこへ、聞き覚えのある靴音がしてきた。
「あら、藍万古さん! さっそく、椅子を組み立ててくださったんですね」
 今日のマダムも、艷やかな髪を背に流して優雅&やる気満々で瞳を輝かせている。
「椅子と同じくらい、カメラと同じくらい、マダム・マスカレードの万華鏡がなくてはならない。この度は宜しくお願いします」
 藍万古師匠とマダムは握手した。
 ボク――真風太が感じたところ、マダムと藍万古師匠は古くからの知り合いみたいだ。
「とりあえず、写真館のカメラに合いそうなサイズの万華鏡をお持ちしましたわ」
 楽器を収納するような黒いケースを持参したマダムは、写真館のテーブルの上に置いた。
 そして、カギを外して蓋を開けた。
 中には、サックスみたいにピカピカで金属の円筒形の物が入っていた。太さはお茶を入れるポットくらいはある。
「これは、万華鏡ですか?」
 阿伊ちゃんが尋ねた。
「そうよ。覗いてご覧なさい」
 阿伊ちゃんが、覗き穴に目をあてた。
「わあ、綺麗~~~!」
 鏡太郎くんも寄ってきた。
「万華鏡の模様が! ああ、カラフルで綺麗だな~~」
「え? もう一度、私にも! あ、本当だ、綺麗!」
 阿伊ちゃんと鏡太郎くんで、代わりばんこに見てる! ボクも見たいよ~~!
「真風太、あんたには何も美味しくないものよ。おやつあげるから、ちょっと待ってね」
 阿伊ちゃんがポシェットから乾燥果物を出して食べさせてくれた。美味しい~~、阿伊ちゃん、優しい~~。だから好きなんだよな。
 その日は、藍万古師匠とマダム・マスカレードと写真館のおじいちゃんとで、ずっと話し合いや、器具をカチャカチャ触る音がしていた。

第七章 万華鏡専門学校

 鏡太郎くんが、マダム・マスカレードの万華鏡専門学校へ体験入学する日がやってきた。阿伊ちゃんと、ボクもリュックに隠れてついていった。
 ホールでマダム・マスカレードから説明があった。100人くらいの人が出席している。
「本校の体験入学へお越しの皆さま、ようこそおいでくださいました」
 高いところでマイクを握っているマダムもカッコええ……。
 鏡太郎くんも鼻の下を伸ばしている。
「今日の予定の第一、万華鏡を作っていただきます。それによって万華鏡の構造を知っていただき、万華鏡を作るプロになるか、万華鏡を使った芸術コースに入って、作品を創造していくかのコースを選んでいただくことになります。これは、来年の予定ですから急なことではございません。そして……」
 マダムの瞳がキラリと光った。
「第二に、我が校では『座律』について学んでいただきます。むしろ、万華鏡の作り方よりも、我が校の目的、本分は『座律』です。そのご説明をいたします」
「出たっ! 座律!」
 鏡太郎くんが口走った。
「座律とは、ざっくり申しまして『正座が教えてくれる意味』のことです。今、我が校では各教授と共同で『座律』について研究中です。万華鏡を作る作業の時にも正座していただき、万華鏡を使った実験の時にも正座していただきます」
 ボクはそっと、阿伊ちゃんにつぶやいた。
「ボクたちの写真撮影にも正座と万華鏡が使われるんだよね」
「そうよ。特注した座面の角度が変えられる椅子に正座して」
 その後、参加者全員が教室に移動して万華鏡作りをした。万華鏡の中には鏡が三枚入っている。
「小学校の理科でも作ったことがあるから懐かしいわ」
 阿伊ちゃんがもらした。

第八章 撮影本番

 次の日、いよいよボクの瞳の中に映る阿伊ちゃんの写真撮影の日だ。
 装置や道具は一切、写真館のスタジオに集結していた。
 ボクと阿伊ちゃんが駆けつけた時、洸助おじいちゃんが藍万古師匠から椅子の説明を受けていた。
 角度が変わる椅子の上で正座を保ちながら、カメラを構えてボクたちを撮影するんだから大変だよな。
 阿伊ちゃんが不安そうな顔をしている。
「ここまで来たら、洸助おじいちゃんの腕を信じようよ!」
「う……うん、そうね。真風太」
「おじいちゃんのカメラには、万華鏡がくっつけられてるよ! ほら」
「本当だわ。目ざといわね、真風太くん」
 阿伊ちゃんは、カメラのファインダーにくっつけられてる万華鏡を見た。
「この前のよりずっと細いわね」
 後ろからマダム・マスカレードが来て言った。
「撮影にはファインダーに接続できるように細いのでなくちゃね」
「でも、マダム。一向に撮影風景が想像できないんですけど……」
 阿伊ちゃんの心細そうな声を、マダムの笑いが吹き飛ばした。
「まあ、見ていたら分かりますよ。百聞は一見にしかず」

「洸助カメラマン、ご用意はよろしいですか?」
 藍万古師匠が声をかけ、洸助おじいちゃんが、角度が自由に変えられるっていう特注の椅子に上って正座した。おじいちゃんの正座はバッチリキマってる(と思う)。ずり落ちないように、膝のベルトを締めた。
 手には万華鏡がくっついてる愛用のカメラが握られている。
「さ、君たちはモデルの位置に正座して」
 藍万古師匠がテキパキと指図して、ボクたちは写真館の応接間の床に正座した。あ、ボクは香箱座りね。
「真風太くん、阿伊ちゃん、接近して向き合って」
 ボクは阿伊ちゃんに抱っこされて、顔の前で向き合った。
「真風太くん。あんたの瞳の中に私が映っているわ」
「阿伊ちゃんの瞳にはボクが!」
(照れちゃうよな〜〜、この近さ。息がかかるんだもん)
「はい、ふたりとも。じっとしていて」
 洸助おじいちゃんが、しきりに正座椅子の座面とやらの角度を変えて、ファインダーの中を慎重に覗いている。
「はい、いい感じだ。真風太くんの瞳の中にちゃんと阿伊ちゃんが映っているよ!」
「本当? 洸助おじいちゃん! びっくりだわ」
「ははは、万華鏡の中は三面鏡になっているから、お茶の子さいさいさ!」
「お茶の子さいさい?」
 おじいちゃんがシャッターを押す寸前、
「もう少しだけ、ほんの3度ほど首をこっちに向けてくれるかい、真風太くん」
 マダムがおじいちゃんの傍らから、
「真風太くん!」
 万華鏡みたいなカラフルな声で呼んだ。瞬間、目の前にきれいな色が差しこんだ。ボクはびっくりしてマダムの方を向いた。
「うん、それでいい。万華鏡の中の鏡が斜めになってるから、お前たちの姿がよく見える。じゃ、そろそろいくよ!」
 洸助おじいちゃんは、パシャパシャとシャッターを切っていった。
「ハイ! 撮影終了! 真風太の瞳の中の阿伊ちゃん、可愛く撮れたよ!」
「もう撮影出来たの?」
「ほら、ごらん」
 洸助おじいちゃんのカメラを覗くと、バッチリ阿伊ちゃんの理想通りの写真が撮影できたんだって!
「プリントして見せてあげるからな、ふたりとも待ってるんだぞ」
「ハイ!」
 ボクも、おじいちゃんの膝の上に両手を乗せて、「ありがとう」を伝えた。
「よしよし、真風太くん、いい子だな」
 プリントされた写真は、カンペキにボクの瞳の中の阿伊ちゃんを写していた。これで、永遠に阿伊ちゃんはボクの瞳に閉じこめておける! ちょっとキマリすぎだったかな?
 藍万古師匠も、上機嫌で、
「立派な写真が撮影できましたね! さすが、ご主人だ!」
「いやいや、特注の正座椅子を手配してくださった藍万古師匠のおかげさまです」
 ふたりは肩をたたきあって喜んだ。
「すごいわ、洸助おじいちゃん!」
「やった~~~! さすがうちのお祖父ちゃんだ!」
 鏡太郎くんは「バンザイ」した。
「鏡太郎!」
 洸助おじいちゃんは、鏡太郎くんの腕をつかんで引き寄せた
「な、なに? 痛いよ、お祖父ちゃん」
「お前はおしゃべりだからな。いいか、相手の瞳の中に映った自分の写真撮影に成功したことは絶対、ナイショだぞ!」
「なぜ、そんなに……」
「なぜでもだ! いいか、絶対に秘密だぞ!」
「わ、分かったよ……」

第九章 人だかり

 2日後―――、
 阿伊ちゃんに抱っこされてボクと一緒に、洸助おじいちゃんの写真館の前を通りかかると、ものすごい人だかりだ。
「あれ? 何かしら?」
 後ろから「グェッ、グェッ」ってイヤな声がして振り向くと、羽奈ちゃんがガガちゃんの長い首にロープをつけて、小走りにやってきた。
「あらっ、阿伊ちゃん、聞いた? 駅前の写真館のおじいちゃんが、画期的な撮影の成功したんだって!」
「え?」
「向き合ってる人の瞳の中に映る自分の顔を撮影するのに成功したらしいの! さっそくガガちゃんと撮影してもらいに行ってくるわ!」
 ボクたちはポカ~~ンと見送ってから、ふたりの後を追いかけた。
「羽奈ちゃん、それ、いったい、どこで聞いたの?」
「写真館の孫息子、鏡太郎くんが行きつけのカフェで得意げにしゃべってたのよ! さっそく動画にして公開したらしいわ」
「あら、大変!」

 写真館は入りきらない人の山だ。阿伊ちゃんは外から声を張り上げた。
「洸助おじいちゃ~~ん! 大丈夫ですか?」
「おお、阿伊ちゃん! なんとかな! おしゃべりなあいつのせいだよ! うわあ、そんなに押さないでください。番号札を用意しますから!」
 おじいちゃんは人の波に没していった。
「あ~あ、こうなっちゃうから、おじいちゃんは鏡太郎くんに口止めしていたのね」
 ボクと阿伊ちゃんは顔を見合わせてため息をついた。

結びの章

 藍万古の座律とは。
【正座とは、自分が他人に及ぼす影響を考える機会】
 人は誰しも静かに正座して、日頃、他人にどういう影響を及ぼすかを考え、心にきちんと止めておく必要がある。
 どうすれば最高の自分になれるのか考え、他人から学べるということを考える。それを引き出すのが【正座】という座り方である。
 阿伊ちゃんは庭にボクを自由に放して、波奈ちゃんとこのガガちゃんに迷惑をかけていたことを反省した。ボクもちょっぴり反省。
 しかし、鏡太郎くんは自分のやったことを全然反省してない。
 洸助おじいちゃんが、
「藍万古師匠に預けて正座の修行をさせようかな」
 な~~んて、ボソリと言った。


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