[85]ウサギ伝説の正座


タイトル:ウサギ伝説の正座
分類:電子書籍
発売日:2020/03/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:48
定価:200円+税

著者:海道 遠
イラスト:keiko.

内容
 ウサギ伝説のある山の中の村に人間の正座に負けないウサギの正座した銅像がある。
 大学生の美卯(みう)は、跳び石神事に参加しようとやってきた。放し飼いのウサギとたわむれていて、飼育係のトビーという青年や、近所の小学生の女の子あんず、神社の巫女で正座の先生、徳子と知り合う。
 跳び石神事は、男衆五人が谷川の中の石に跳び乗り、神様に合掌。そこへ、たくさんの女性が跳び乗り、同じ石に跳び乗れた男女がカップルになれる婚活なのだ。その直前、ウサギどろぼうがやってきてあんずもウサギのコタロウもさらわれてしまう―――。あんずとウサギの運命は?

販売サイト
https://seiza.booth.pm/items/1875307



本文

当作品を発行所から承諾を得ずに、無断で複写、複製することは禁止しています。

第 一 章 ウサギの里

 山々の連なる中、村の入り口には大きなウサギの石像がある。きちんと座った姿。ウサギの正座と呼んでよさそうだ。
 美卯は石像を見上げた。
 ウサギの里に来るのは一年ぶりだ。昨年は大学仲間とのハイキングで立ち寄ったのだが、そのまま通り過ぎた。
『谷川の平たい石の上で正座できる若い男女、募集!』の看板が立っている。
 これはネット上でも募集されていた。
 祭りでは、跳び石座りの神事が行われるそうだ。
 その昔、村に火事が起こり、谷川に五つ連なる石の上をぴょんぴょん渡って村人に逃げ道を教えたウサギの伝説が残っている。
 ウサギを祀る里だけあって、神社の境内の草むらには沢山のウサギが放し飼いにされている。ウサギに触れたい観光客が増え、最近にぎやかなのだそうだ。

 祭りの神事は、村の若い男衆五人が、ふんどしの上に真っ白な法被一枚の姿で森の中の清流の五つの平たい石の上にぴょんと跳び乗り、正座する。
 石の上でしっかり正座して一年のお礼を言い、これから一年の無病息災を祈るのだ。それから……。

 美卯は自分も跳び石神事に参加したいと思ってやってきた。
 緑がいっぱいの神社の境内でウサギに餌をやっていると、飼育係というプレートを胸につけた若い男性が話しかけてきた。
「ウサギ、好きですか?」
「こうして触るのは初めてですけど、毛がふわふわで仕草が可愛いですね。ここには何羽くらいのウサギがいるんですか?」
「百羽くらいかな。時々、野ウサギも混じってしまいますけど」
「百羽もですか。あなたは?」
「飼育係の兎道と言います」
「私は谷川美卯です。お祭りに参加に来ました」
 美卯は腕の中のオレンジのウサギを撫でながら、
「この子、きれいですね。毛並みも瞳も」
「ロップイヤー(耳が垂れている品種)のマーガレットです。ここのトップアイドルレディです。皆さんから大人気ですよ」
「トップアイドルですか。マーガレットちゃん、すごいわね」
 美卯が向きを変えようとすると、膝からぴょんと飛び降り、行ってしまった。
「ウサギって気位が高いんですよ」
 青年が笑って言った。
「こっちはネザーランドのトビー。僕と同じ名前です」
「え?」
「僕、父がアメリカ人で」
 そう言われれば、青年の瞳は、はしばみ色で髪の毛は柔らかいブラウンだ。
「私の名前の美卯の卯は、卯年の『卯』です」
「じゃ、ここに来たのは偶然じゃないかもしれませんね。僕もウサギに魅せられて、都会からここに住み着きました」
「ウサギに魅せられて?」
「さっきのマーガレットの姿を見て下さい。お行儀よく前足をそろえて、まるで正座しているようでしょう」
 なるほど、マーガレットの座る姿は気高いほど美しい。人間の正座のようだ。

「トビーおにいちゃ~~ん!」
 長い髪を二つに結んだ小学三年生くらいの女の子が走ってきた。
「今日もウサギたち、元気? コタロウは?」
「みんな元気だよ」
 女の子は草むらにしゃがんでウサギたちを撫でた後、グレーのミニウサギ、コタロウの傍に行き膝の上に乗せておでこにキスしている。コタロウも眼をピカピカ光らせて女の子を見上げる。
「おはよう、みんな。よく眠れた?」
 あんずはトビーの傍らにいた美卯に目を向けた。
「お祭り見物に来たおねえさんだよ」
「ふうん、わたし、あんず」
「あんずちゃん、ウサギたち大好きなのね。美卯といいます。よろしくね」
「僕の隣の家の子なんだ。朝と学校が終わるといつもここに来る。特にミニウサギのコタロウがお気に入りなんだ。な、あんずちゃん」
「うん」

第 二 章 正座の師匠、徳子さん

 そこへ、おかっぱ頭、だるまのような体形の緋色の袴を着けた大柄な女性が駆け足でやってきた。ふうふう言っている。
「あっ、徳子巫女さま。こんにちは」
 トビーの挨拶は無視して、徳子という女性は美卯に飛びついた。
「祭りに参加したいっていう観光客の女性はあんたかね!」
「そ、そうですが?」
 美卯がびっくりして答えると、だるま巫女の女性は、
「この村の神社の巫女で代々、正座を教えている、雄恩寺徳子と申す。祭りに参加したいのなら、正式な正座をマスターしてもらわねばならん。こっちへいらっしゃい!」
 むんずと美卯の手を掴んで、ぐいぐい引っ張っていく。
「どこへ行くんですか?」
「神社の奥座敷で正座の講座を受けてもらう。祭りの参加者必須だ」
「ええ? そうなんですか?」
 どんどん神社に近づいていく。立派な鳥居をくぐると、狛ウサギの石像が建っている。
 本殿らしい大きな建物に到着した。徳子は声高に、
「飛び石神事に参加するかぎりは、美しい正座ができなくてはならん。さ、本殿で練習開始だ」
 美卯は百畳ほどもある本殿の座敷に上がるよう言われ、さっそく練習が開始された。
「ああ、荷物はそこらへんに置いて。とりあえず、今日はそのジーンズ姿でいいから」
 急かされて、美卯はできるだけ心を落ち着けて、正座するところまでやってみた。
「はい、膝は静かに曲げてかかとの上に静かにお尻を乗せる。両手は膝の上に置く。スカートの時は、膝の内側に折りこんでお尻の下に敷くんだぞ」
「はい、それは分かっております」
 美卯はにっこりして答えた。
「初めてにしては、まあまあの出来だな。明日からの集中練習には着物を着てやってもらう。旅館の中居さんに言って、貸してもらってくれ」
「あのう、ひとつ聞いてよろしいですか?」
「何だね」
「飛び石神事って、主に男性が谷川の平たい石に座って祈るんじゃないんですか? どうして女が練習しなくちゃならないんですか」
 徳子は詰まり、えへんと咳ばらいをした。
「そ、それは、おいおい分かることだ」

 神社から出てきた美卯は、トビーにも同じ質問をした。
「『跳び石祭り』は、女性から求婚する神事なんですよ」
「女性から?」
「五つの石の上に正座した男の中から誰かひとり選んで、女性がたくさん跳び乗るんです」
「それじゃ、まるで婚活じゃないの」
「しかしですね……、五人の男は五つの石の上をどんどん移動するから、女性は相手を狙っていても、どの男性と同じ石に跳び乗れるんだか分からないんです」
「まるでルーレットじゃないですか」
 照れ臭そうに頭をかいて、トビーはため息をつき、
「そうでもしなけりゃ、こんな山奥に嫁さんは来ないんですよ。でも、こんな行事ができるのも、ウサギ伝説のおかげかな」

第 三 章 事件起こる

 翌朝、旅館の一室で目を覚ました美卯は、なんだか外が騒がしいのに気がついた。窓からパトカーが何台か見える。
 急いで身支度をしてロビーに降りると、中居さんたちも心配そうに外をうかがっている。
「おはようございます。何があったんですか」
「ウサギが何匹か盗まれてしまったようなんですよ」
「ええっ!」
 美卯は急いでウサギの群れていた神社の境内へ走った。
 パトカーが数台来て警官がウサギ小屋を調べており、トビーの姿もあった。
「トビーさん! 本当ですか! ウサギが盗まれたっていうのは!」
 トビーはしょんぼりと頷き、
「小屋で休むウサギたちは、全部入れて鍵をかけておいたのに。いなくなったのは、マーガレットとトビーとコタロウだ」
「あんずちゃんが可愛がってる、ミニウサのコタロウも?」
 村人も集まって心配そうな顔をしている。
「いったい、誰がこんなことを……」
「祭りには、ウサギにも法被を着せようと思っていたのに」
 その時、村人たちの人だかりを分けて、中年の女性が慌ててやってきた。
「あ、あんずちゃんのお母さん」
「今、小学校から電話があって、うちの子が登校していないと」
「なんですって?」
 そういえば、毎朝学校へ登校する前にウサギたちを見に来る、あんずちゃんが来ていない。トビーは顔面を硬直させた。
 美卯は、何やら思い出そうとこめかみに手をやった。しばらくして、警官に走り寄った。
「そういえば昨日、ここへ到着した時に、鳥居の脇に怪しいふたり連れの男を見かけたんです。村の方にも見えなかったし、観光客にしては怖い目をして何かこそこそ話していた……」
「どんなふたり連れですか?」
 警官が尋ねた。
「三十代前半くらい。ジャンパー姿で……」
「この男たちでしたか?」
 警官の見せたタブレットには、人相が良いとはいえないふたりの男の顔があった。
「あ、そうです。この人たちです」
 美卯が答え、トビーも駆け寄った。
「全国であちこちからウサギを盗んでいる指名手配犯です。ウサギの毛皮は高く売れますから」
「……!」
 村の男が走ってきて叫んだ。
「おい! ウサギどろぼうはウサギだけでなく、子どもまでさらっていったらしいぞ」
「ええっ」
 そこへ歯のないおばあちゃんが、えっちらおっちらとやってきて、
「わしゃ、見とったんじゃ。ふがふが。あんずちゃんが、男たちに無理やり大きな袋に入れて連れていかれるのをな」
「なんですと、おうめ婆さん。それは本当か!」
 駆けつけた自治会長も、真っ青になった。
「じゃあ、あんずはウサギたちと一緒に?」
 あんずの母が、ふらりと倒れそうになった。
 美卯も震えていた。
「あの男たちが、ウサギたちとあんずちゃんを……!」
 トビーが昨日とまったく違う険しい顔をして拳を握りしめた。
「ウサギどろぼうですって!」
 徳子がドスドスと大きな足音を立ててやってきた。
「どうなってるんですか、おまわりさん!」
「あわわ、あなたは?」
「この村の神社の巫女で代々、正座を教えている、雄恩寺徳子です。ウサギが盗まれたというのは本当ですかっ!」
「本当です」
 トビーが代わりに答えた。
「しかも、あんずちゃんまで一緒に連れ去りました」
「なんだと、我々の正座のお手本のウサギとあんずちゃんまで連れ去るとは!」
 徳子は、おかっぱ頭が逆立ちそうなほど怒り狂っている。

第 四 章 ウサギどろぼう

「まったくなんだって人間の女の子まで混じってるんだ」
 男がハンドルを握りながら、文句を言い続ける。三人連れの目つきの怪しい男たちが山道を急いでいた。
「アニキ、すまん。朝早くウサギ小屋に忍びこんだら、女の子とばったり鉢合わせしちまったんだよぉ。叫び声あげられそうだったから、口元ふさいでウサギと一緒に袋に入れちまった」
 やや小柄でやせ型の男が後部座席で白い袋を押さえながら言い訳する。
 袋が派手にうごめいて、中から叫び声がする。
「こんな狭いとこ、イヤよ! ウサギたちも嫌がってる! どこへ連れてく気よ!」
「おい、なんとか黙らせろ!」
 運転席の男が怒鳴り、袋の入り口から腕が伸びてきたと思ったら、あんずは口にべったりテープを張られた。
「肝心のウサギが三羽しか収穫なかったじゃねえか」
「仕方なかったんだよ。あのまま、叫び声あげられてたら、俺たちは捕まっちまうとこだ」
「どうするんだ、その女の子」
 運転席と助手席の男は、何かごにょごにょ相談し、
「山を下りる前にテキトーなところで子どもだけ放り出すぞ!」
 後部座席の男が驚いて、
「こんな深い山、誰も通りやしない。舗装道路だってないんだから。集落も周りには全然ないぞ。こんなとこへ小さい女の子、ひとり放っておいたら……」
「やかましいっ! 俺たちの知ったことか!」
 前の席のふたりが怒鳴ったので、後部座席の男は黙るしかなかった。朝にウサギの里から逃げ出してから、日中ずっと警察を避けるために山道を走り続け、夕暮れになった。
 車が止まった。
「この辺で落としていけ」
「こ、ここで? もうすぐ日が暮れますぜ」
「つべこべ言うなっ」
 後部座席の男が白い大きな袋を下ろした。袋の中で女の子とウサギたちが、あばれまくっている。
 あんずは山道に乱暴に転がされたとたん、口元のテープをはがし、叫んだ。
「おじさん、ウサギたちにご飯とお水、あげて!」
「わかってるよ。俺たちゃ、ウサギの扱いは」
「本当? 本当ね」
「悪いけど、お前さんを連れてると足手まといなんだ。ここで降りてもらう」
 言うが早いか、男は車に戻って発車してしまった。エンジン音が遠ざかるとシーンとした世界だ。
(ここ、どこかな……)
 沈む夕日が山に挟まれて見えた。
 足元に何かうごめいている。
「コタロウ!」
 あんずは急いで抱き上げた。ミニウサのコタロウも一緒に袋から転げ出たのだ。
「コタロウ、大丈夫? あっ」
 あんずはたすき掛けにしていた水筒に気づき、フタに水を入れて飲ませた。怪我はないようだ。
「良かった、お水飲んだ。いい子ね。コタロウ」
 いくら山の中育ちでも、まったく知らない場所だ。あんずは途方に暮れた。ポケットに少しのビスケットがあったが、粉々になっていた。
 初夏といっても冷えてくる。杉の木の根元でコタロウを抱きしめて座りこんだ。コタロウの身体だけが、心にしみるようにぬくたい。
「コタロウ、あんずが守ってあげるからね。きっとトビーおにいちゃんが助けに来てくれる。だから待っていようね」

第 五 章 ウサギどろぼうを捜せ

 村では、午前中にあんずの父親が山の畑から帰ってきた。
「あんずが誰かに連れ去られただと?」
「そうなの。お父さん。ウサギどろぼうが……」
 母親は疲れきって、父親の肩に寄りかかって泣き出した。
「しっかりしろ。あんずはきっと無事で帰ってくる」
 そう言いながら、父親も悲痛な顔を隠せない。
 警察の捜査は続いていたが、ウサギどろぼうは電波の届かない山に分け入ったらしく、行方が分からない。
 美卯もトビーと共に境内に残っていた。
 徳子が、大柄な身体を揺らせて白衣と赤い袴の巫女姿で歩いてきた。トビーたちと男衆に、
「あんたたち、ウサギの里から子供がさらわれたんだよ。警察だけに任せておいて、それでもウサギの里の男かね?」
 ひそひそ話して右往左往していた男たちの空気がピリリと張りつめる。
 トビーが心痛な面持ちで、
「あんずちゃんはウサギが大好きです。もしものことがあったら、僕はなんて言ってご両親に謝ればいいか……。ウサギたちにも申し訳ない」
「そうとも」
 徳子はしっかり頷いた。
「ウサギ伝説の里に泥を塗るわけにはいかない。跳び乗り神事でウサギの里の男たちは、みんなヘタレと言われて嫁さん候補が来ないぞ」
 男たちは、ギクッとした。
「この辺の山は、警察より俺たちの方が詳しいもんな」
「そうだぞ、俺たちもウサギどろぼうを捜そう!」
 それぞれ捜索の用意のために散った。
 トビーも、
「僕も行きます!」
「よし、心して行け。この辺の山は深い。あんたもまだ山に来て日が浅いからな。ケータイは磁場が狂っていて使えないぞ」
「はい、分かってます」
 徳子はどっしり構えて、
「私は神社でお祓いをしていよう。ウサギとあんずちゃんの帰りを祈って」
 徳子はそう言うと神社へ戻りかけたが、美卯を振り向き、
「あんた、美卯さんというたな」
「私ですか?」
「手伝ってほしい。男たちが捜索している間、ウサギの世話を頼むぞ」
「僕からもお願いします」
「わ、わかりました。トビーさん」
 徳子が本殿へ向かい、トビーも支度にかかると、美卯は慌てた。
(ウ、ウサギの世話! できるかな)
 勇気を出して、ウサギ小屋へ向かった。

 その頃、ウサギどろぼうの男三人は、すでに真っ暗な山中に車を留めて、言い合いをしていた。
「なに、あのトップアイドルのマーガレットってウサギと、ネザーランドのトビー王子を、別のウサギと間違えて持ってきただと?」
 男が怒鳴っている。
「だってよ、アニキ。仕方ないじゃないか。女の子がいたから、とにかく慌てて……」
「それに、さっき山道に降ろした時にグレーのコタロウも落としてしまっただと?」
 アニキは、こめかみの血管が切れそうなくらい怒りまくっている。
「引き返せ! このまま帰れるか! 帰ったら仲間から八つ裂きにされるぞ!」
「で、でも、アニキ、山のあちこちに警官の姿が見えますぜ。きっと俺たちを捜してるんですよ」
「引き返せと言ったら引き返せ! 目的の三羽だけは、絶対もらっていく!」
 車は乱暴にユーターンして、脇道からウサギの里に戻り始めた。

第 六 章 あんずとコタロウ

 夕暮れの山の中に放り出された、あんずとコタロウは杉の根元で、じっとしていた。
 すぐに山に暗闇が立ちこめ、どこかでふくろうが「ホウホウ」と啼いている。あんずは森の中に奇怪な影を見たように思い、身体をぶるっと震わせて、膝の上のコタロウをギュっと抱きしめる。
 コタロウはびっくりして、膝からジャンプして杉から離れてしまった。
「コタロウ、コタロウ、どこ行ったの? あんず、ひとりじゃ怖いわ」
 そのうち、あんずは心細くて涙があふれ出した。
「お母さん、お父さん、今頃、あんずがどこにいるか探してくれてるの? あんずは深い森の中にいるよ。真っ暗だよ。コタロウがどこか行っちゃった、ひとりぼっちだよ」
 しゃくりあげても、森は静まり返っているだけだ。そのうち、泣き疲れ、寝てしまったらしい。

 目をこすりながら起きると、辺りは薄明るくなっていた。
 杉林の木立の間からだんだん朝日が射しこんでくる。
「あっ」
 そこで、あんずが見たのは、大きな切り株の上に、まるで神社の狛ウサギのように美しく正座したコタロウの姿だ。
 こんな神様みたいなコタロウのお座りは見たことがない。あんずはしばらく眺めていて、身体の内側から元気が湧いてくるのを感じた。

「コタロウ!」
 呼ぶと、真っ黒なピカピカの瞳とくるりと回る耳を見つめて、抱きしめた。
「コタロウがいてくれれば、怖くないわ。さっきの正座みたいにきれいなポーズ、あんず忘れないからね!」
 コタロウはあんずの腕の中で少女を見上げた。
「お腹すいた? 草食べてたのね?」
 言ったとたんに、あんずのお腹が鳴った。
「村はどっちだろう。森が茂って何も見えないよ」
 すると、コタロウが耳をピクッと立てて、地面に降りて小さく跳ねて歩き始めた。
「コタロウ、コタ! どこ行くの?」
 あんずが必死で斜面を降りてついていくと、水のせせらぎが聞こえてきた。
「水だ!」
 コタロウが先に細い流れにたどりついて水を飲んでいた。あんずも両手にすくって、何時間かぶりに水を飲んだ。
「ああ、美味しい。コタロウのおかげでお水が飲めたわ」

 車の音が響いてきて、谷川から上の道を登っていくのが見えた。
 自分たちを袋に入れた男たちの車だ! あんずには分かった。思わず草むらに身を隠してやり過ごす。車は気がつかずに登っていった。
「あのどろぼうたち、また登っていったわ」
 流れにそって違う方向へ歩いていき、村があるらしい上へ登り始めた時、
「あんずちゃ~~~ん」
「やい、ウサギどろぼう、どこにいる~~」
 声が聞こえた。あんずには反射的に村の男衆だと判った。祭りの時の白い法被を着ていたからだ。
「ここよ、わたしはここ! あんずもコタロウもここよ」
 必死で叫んだ。小枝でひっかけたり転んだ時にできた傷だらけになっていたが、追いかけながら呼んだ。
「あんずちゃん!」
 最初に斜面を駆け下りてきたのは、トビーだ!
「トビーおにいちゃん!」
 トビーは、コタロウを抱いたあんずを見つけるや、満面の笑みで走り寄り、ウサギごと少女を抱きしめた。
「あんずちゃん! よく無事でいてくれた! コタロウも一緒だな」
「怖かったよ、無理やり袋に押しこまれて……。夜は真っ暗で」
「真っ暗? じゃ、夜にどろぼうのところから逃げ出したのかい?」
「ううん、夜になる前にコタロウと一緒に袋から放り出されたの。でもね、夜明けにコタロウが切り株の上で素晴らしい正座を見せてくれたの。そしたら怖くなくなったのよ」
「お~~~い! あんずちゃんが見つかったぞ!」
 男衆が数人、白い法被姿で駆けつけてきた。そしてあんずを毛布でくるんだ。
 トビーが、コタロウごとおんぶする。
「トビーおにいちゃん、どろぼうたち、また村へ登っていったよ!」
 男衆たちに緊張が走った。
「あいつら、まだあきらめずに!」
「早く村へ戻れ!」
 トビーたちと男衆は三台の車に便乗し、村へ引き返した。
 村が近づくと、あんずの腕の中のコタロウが『キッ』と叫んで、あんずとトビーもびっくりした。

第 七 章 コタロウの危険信号

 その頃、ウサギ小屋の中で、数十羽のウサギに餌を与えてホッとしていた美卯だったが、急に小屋じゅうのウサギが、静止したと思うと、次の瞬間、全速力でぐるぐる駆け始めた。
 美卯は足元に寄ってこられて、尻もちをついた。
「な、何ごとなの? さっきまでおとなしくしていたのに……」
 呆気に取られているうちに、後ろから口元に布を当てられた。
「もごもご」
 美卯の目に映ったのは、裏の金網を切ってウサギ小屋に入ってきた男ふたり。逃げ惑うウサギをかたっぱしからつまみあげている。
「……違うな、これも違うな。アイドルのマーガレットとトビー王子はどれだ?」
「これだけぐるぐるされると、俺にもわからねえよ」
 男ふたりは、美卯を柱にくくりつけておいてウサギを物色しているが、困っている。
 どんどんどん!
 急に木造の壁に体当たりする感じがあり、白い法被の男衆がなだれこんできた。
「ウサギどろぼうめ! 捕まえてやる!」
「わわっ」
 どろぼうたちが逃げ出そうとした時、木戸が大きく開かれた。
 白衣と赤い袴のだるまのような巫女、徳子だ。
「このバチ当たりめ! 神聖なウサギをどうするつもりだ! 私が来たからには好きにはさせん!」
 お相撲とりが子供をつまみ上げるように、徳子はどろぼうどもの首根っこをつまみ上げた。
「ひいッ! すみません、ごめんなさい、俺たちが悪かった、もうウサギを盗んだりしません」
 どろぼう一味は、半泣きの声でぎゃふんと言った。

 トビーがウサギ小屋に駆けつけた。
「徳子先生、あんずちゃんとコタロウを無事に連れ帰りました!」
 あんずとコタロウが背中から覗いていた。
「おう、良かった、良かった! コタロウ、ウサギの危険信号を送ってくれたな。それでウサギたちも、私にもどろぼうが来たことが判ったんだよ」
 徳子は、にっこり笑ってコタロウを受け取った。
 美卯とトビーが驚いて、
「徳子先生には、コタロウの危険信号が聞こえたんですか」
「まあな。ウサギの里の神社で巫女を長年やってると、正座の神髄を極めた者どうし、分かるさ。コタロウ、よくやった!」
 コタロウを抱いて、がっはっはと笑った。
 美卯も、あんずとコタロウをおぶって戻ったトビーの姿に、胸がじいんと熱くなった。
(トビーさんて、なんて逞しくて優しいひと……)
 あんずも両親の腕の中へ帰った。
 どろぼうたちは警察に突き出され、間違って持っていかれたウサギ二羽も戻された。連行されていく彼らを見送るように緑の草地から、コタロウがしっかり座って見つめていた。
「皆、ごらん。あれが、ウサギの正座だよ。ぴしりとして美しいだろう。我らも見習おう。何が起こっても騒がない凛々しい姿だ」
 正座するコタロウは、徳子の言うとおり、美しいシルエットになっていた。
第 八 章 飛び石祭り
 初夏の新しい緑あふれる日、うさぎの里では、跳び石祭りのメインイベントが行われようとしていた。
 白い法被に、白いふんどし姿の男衆が、谷川の岸辺に集まってきた。
 同じく、女性も白衣に下は赤い短いトレパンで、岸辺に十数人集まった。
 跳び石の神事。せせらぎに並ぶ石の上に男衆が跳び、正座をする。神様に合掌してから石の上を跳び回る。女性たちは意中の人目がけて飛ぶのだ。男性と同じ石に乗れたらカップル成立だ。
 男衆の中には、トビーの姿もあった。
 ウサギたちも祭り用のカラフルな法被を着せてもらっている。
 あんずもピンクの法被を着て、青の法被を着せてもらったコタロウを抱っこして岸辺で見物だ。
 美卯は、神事に参加することにしたが、神事が婚活だと知って、あまり気乗りしない。トビーが参加することもショックだ。
(お嫁さん、誰でもいいの? トビーさん……)
「トビーおにいちゃん、頑張って!」
 あんずが叫ぶと、男衆の中からトビーが手を振って笑った。
「まかしとけ!」
 美卯がいよいよ法被に着替えて準備していると、ピンクの法被姿の徳子に、がしっと腕をつかまれた。
「待った! 美卯さんは、まだ私の正座のお稽古を一回しか受けていない。そんな未熟もんを祭りに参加させるわけにはいかん」
「あのう……」
 美卯が小さな小さな声で言った。
「私、美兎流行儀作法の師範免状を持ってるんですが」
 チラリと行儀作法の免状カードを懐から取り出して見せた。ウサギが座ってる紋章が金糸で燦然と光っている。
「そ、それは、日本でも有名な美兎流の! ……それはお見それしました」
 徳子の血色の良いはずの顔が真っ青になった。
 村の長老たちが通りがかり、
「おう、正座の先生も参加ですかい」
「今日はいつもと違ってピンクの法被姿ですな!」
 徳子が冷やかされた。
「私も一応、女。神事くらい女として参加しないとな! がっはっは!」
 参加の男衆、五人の顔色が青くなった。

 男衆が神様へ正座して合掌し終わると、大騒ぎになった。
 石の上を跳び回る男たちめがけ、女性たちが跳ぶ。徳子がでかい身体で岸辺から跳んだ時には、男衆は四方八方に素早く逃げた。
 見物人が大笑いしている。
「あ、コタロウ」
 あんずの腕から抜け出したコタロウが、谷川にころげ落ち、
「コタロウ!」
「コタロウ!」
 助けようとしたトビーと美卯は、大きな平たい石の上にすんでのところで飛び移り、正座してコタロウを受け止め、おでこをぶつけた。
 見物人から歓声が上がったと同時に、徳子の太い声が響いた。
「飼育係のトビーくんが、一目惚れした美卯さんをゲットしましたよ~~!」
 美卯とトビーは顔を見合わせ、真っ赤になった。
 ふたりの腕の中では、コタロウが黒い瞳をピカピカさせて、きょとんと見ていた。


あわせて読みたい