[86]正座の重ね


タイトル:正座の重ね
発売日:2020/04/01
シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:9

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:60
定価:200円+税

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容
映像研究部はできたばかりの個人活動のみの部活だった。
央太たちが入部した年に初めてアニメーション映像を制作し、翌年には四月から文化祭までの団体の活動を撮影して作品制作をすることになる。
央太は一年生に正座指導している茶道部を取材したいと考える。
人に知られない活動を伝えたいと始めた撮影の中で、文化祭で全ての団体を撮ろうと話が決まる。
しかし部員の人数から当日撮影が難しいのではないか、ということになり……。

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本文

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 易士央太は、某瑛高校の二年だ。
 某瑛高校は大学附属の女子高だったが、現在は共学になり、附属大学、短大への進学のほかに、他大学への現役合格を視野に入れたカリキュラム変更へと大きな舵切りを行った。
 しかし、現在でも女子高の頃の名残で某瑛高校ではお作法、お茶、お花の授業が行われており、平日の昼食は食堂で給食をいただく。
 このように正座をする授業と給食のある学校を選んで入学する男子は、現段階で某瑛高校の場合比較的大人しい傾向にあった。逆に女子はしっかりとしていて、自分の意見をはっきり言える生徒が多い。
 央太が某瑛高校を選んだのには、特別な理由はなかった。
 通学しやすい場所にあったのと、学校見学に来た際にこの学校の先生や先輩が親切だったこと、取り立てて「これは」と思うような央太にとって気がかりなことが何もなかった、というくらいだ。
 入学後、きびきびとした女子には若干気後れしたが、いろいろなことを任せられるのは央太にとっては助かったので、これも特に問題はなかった。また正座をする授業がある点についても、央太は特別得意ではなかったが、苦手でもなく、ほかの教科と同じような感覚で受けていた。周囲には、正座に苦戦している生徒もいたが、そんな中、央太と同じような感じだったのが同じクラスの比加俊成だった。
 ほかの男子に「易士くんと比加くんは正座大丈夫なの?」と訊かれ、「うん、まあ」と答え、顔を見合わせたのが話した最初だったと思う。
 足がしびれてなかなか教室を出ないほかの男子たちより先に教室を出て、なんとなく一緒に廊下を歩いていた時に、二人は部活をどうするかという話をし、そこでたまたま廊下に貼ってあった映像研究部のポスターを見て、「映像研究部にしようかな」と言ったのだった。もともと映像をやってみたい、という思いはあり、偶然にも俊成も央太と同じような思いだったらしいが、あの時二人一緒にいなければ、それを行動に起こしていたかはわからないと央太は昨年を振り返る。それくらい、央太も俊成も消極的な性格であった。
 だからその翌年、あんなにも奔走し、ひとつのものを作るのに情熱を注ぐ学校生活を送るようになるとは夢にも思わなかった……。

 かくして昨年央太は映像研究部に入部した。
 一緒に入部したのは、俊成と女子の架多利芯の二人だった。二年生になるまでの一年間、三人のほかに新入部員は現れなかったので、二年生の男子の先輩三人と、三年生の男子の先輩二人を入れての八人で活動をしてきていた。映像研究部はこの時の三年生の先輩たちが作った部活で、輝かしい実績を何年も重ねている部活と比較すると、かなり地味な活動ではあるが、それを不満に思う部員は誰一人いなかったらしい。むしろそれこそが好ましい、理想的な環境だ、という心の声すら、初めて部室を訪れた央太には聞こえてくるようだった。部活では放課後視聴覚室に集まり、各自が好きな活動を行っていたらしいが、それはただの時間つぶしに甘んじることがなかったことがうかがえ、この点は央太に一筋縄ではいかない人の粘り強さを感じ取らせたのだった。
 実はそういった地味に個々の活動を行う部が某瑛高校には一定数存在した。その理由のひとつに某瑛高校は部員人数や活動の実績に左右されない予算の組み方が行われていて、生徒の希望する活動がしやすい環境にあることが挙げられる。だから科学部では、全員でひとつのテーマに取り組むほかに、個人の希望の実験もよく行われていると聞く。そういう意味では、個別に興味のある分野を抱いているが、あまり大勢での活動が好きではない、という生徒にも参加しやすい環境であった。
 話を戻し、昨年の映像研究部の活動は、個人の活動から部員全員でひとつの作品を作り上げるという、大きな節目を迎えたのだった。きっかけは、架多利芯の一言だった。
『先輩、その力を発表しないのはもったいないですよ』
 あの時、不思議そうに芯を見た先輩の顔を央太はまだ覚えている。
 当時、先輩たちは自分たちの好きな映像、アニメから風景まで、さまざまな素材を作成、編集していた。
 アニメはデッサンからとてもきちんとしていて見やすく、風景は何気ないようで趣向を凝らしたアングルであることと絶妙な切り替えがされていて芸術的な仕上がりだった。それを先輩たちは誰に見せるわけでもなく、各々のこだわりと喜びのために日々作成していたという。
 しかも、入部した央太たちにそれを見せることもなく、部室にやってきた央太たちがたまたまパソコンをのぞき込み、その世界観を知ったという経緯だ。
 あの時、それぞれの先輩たちの作品を、央太たちは固唾を呑んで凝視した。ただ部活に入れば磨かれる技術でも感性でもない、これはどこまでも個人の力だ、と思った。
 そして芯は、この力をひとつの作品として、まず校内で発表できないかと提案した。
 提案された先輩たちは、その熱意にあっけにとられ、「はあ」と言うばかりだった。
 芯は一応行われた入部時の自己紹介で、将来は映像関係の学校に進学を希望している、と明言していた。
 まあ、そんな志でもなければ、こんな男子ばかりの部活に女子一人では入らないだろう、と央太はのんびり思ったのだった。
 芯は、文化祭や来年の新入生歓迎会のための映像を作れないかと今度は具体的な提案をする。
 先輩たちは、正直なところ乗り気ではなかったように央太は感じた。
 性格上、はっきりと「嫌だ」と言えない様子だが、「やる」とも言わない。そういうところは央太も同じなので、見ていてわかる。おそらく、俊成もわかっている。多分、芯だけがわかっていない。
 けれど芯は諦めず、「今しかできないことがあります」と言う。
「せっかく学校の設備があって、発表の場があって、何より十代の感性は今だけのものです」と続ける。
 芯の言葉が先輩たちにどこまで届いたかは定かではないが、意志の強そうなこの一年の女子を「やらない」と説得するよりは、何かひとつ制作して大人しくさせた方が得策だと、この場にいた芯以外の全員が思っていたのは間違いない。
 かくして、若干後ろ向きなままに部内での共同制作は開始された。
 しかし、である。
 そんなあまり上がらないやる気とは裏腹に、これまで発表の場、努力の見返りを求めずに己の趣向に突き進んだ先輩たちの底力は相当なものだった。
 まず風景を撮るのが好きな先輩が、アニメーションの背景を担当する。
 アニメが好きな先輩が人物を担当する。
 それにほかの先輩が構成を考える。
 そこに芯がストーリーやアイデアを出し、央太と俊成が希望する人物像や視点を話す。
 そうして出来上がった作品は、校門の脇の桜に焦点を当て、そこから見下ろす中学三年生が夏に学校見学へ、秋に学校説明会へやって来る展開で始まった。挨拶してくれる先生や先輩、廊下に飾ってある華道の発表、お作法の授業を行う広々とした和室、芝のきれいな中庭。そして再び桜へと焦点を戻し、冬の入試、そして春の入学式と時が移る。
 登場するのは、内気で大人しい人物だ。
 緊張や嬉しさを表にあまり出さない人物にしようと央太は言った。
 宣伝用の映像に出るのは、心の起伏が読み取りやすく、はつらつとした人物が多い。
 けれど、自分たち映像研究部の部員が作るのだから、人物像を自分たちで選びたい。そしてその人物は、クラスですぐに全員に覚えられるような存在ではなく、暫くしてから認識されるような存在がいい、と言った。
 もともと、発表の場も評価も求めない映像研究部の面々は誰も反対しなかった。
 せっかくの美しい背景、しっかりと描かれた人物といった技術を考えれば、ここは外さず、短時間でその性格が伝わりやすい人物に絞るべき、という思いは皆にあったはずだと央太自身も考えた。けれど、央太が一番反対するのではないかと思った芯が、央太の意見を尊重した。
 そうして完成度の高い作品の中、あまり感情を表に出さない人物を描いた、約九十秒の映像作品は完成した。
 この作品は、文化祭当日に昇降口を入ってすぐのラウンジの一角で発表された。一応時間ごとに当番制でプロジェクターの横に部員が待機はしていたが、基本的には機械操作以外は座っているだけの仕事だった。そして、この発表が意外なほどの多くの反応を得て、文化祭の一般投票では十位に入ったのだった。映像は、学校見学もかねてきた中学生や、在校生、先生と幅広い世代に見てもらえた。
 そしてその翌年、映像研究部には女子二名、男子一名が入部した。三人とも、文化祭の時の映像を見て入部を決めたと言っていた。また、今年も映像研究部の発表を楽しみにしている、という声を多くもらった。
 この年の文化祭にも前年に作ったような映像発表と、それに同時進行で新たに作った映像を発表しようと俊成、芯が言い、三年生の先輩も新入部員の一年生も賛成してくれた。


 今年度の制作活動において、テーマをどうしようか、というところから議題に入った。
 それぞれの専門分野を持つ先輩たちはもじもじとしていたが、本当のところは自分の好きなテーマで思いきり制作したいのがうかがえる。しかし、この某瑛高校という部活の団体、そして今いるメンバーだからこそ作れるものを、という大きな目標が前提なのも承知している。
「この前の映像がとても評判がよかったのは、身近な素材をテーマにしたことと、共感できる人物像の二点が大きかったと思います」と芯が言った。確かにその通りで、その場にいた皆が頷く。
「易士くんがあの映像の主人公をクラスですぐに名前を覚えてもらえないような人物にしようって言った時、私はとてもいい案だと思いました。それは奇をてらって、そういう人物にしようとしたのではなくて、無理のない、とても身近な人物、もっと言ってしまえば等身大の自身として描いたからこそ、そこに共感してくれる人が多かったのだと思います。それに、こういってはなんですが、もともと映像研究部は大きな成果を求めている部ではないので、そういうプレッシャーもないので、万が一、受けなかったとしても、それでどうこうってことがないのも、今のこの部にとっての強みです」
 芯の言葉の後半には、先輩たちは若干傷ついた顔をしてはいたが、「うん、まあ」とか、「そうだね」とかいうふうに同意を示した。
 新しく入った一年生からも「見ていて、自分のことみたいに思えました」とか、「あの映像はそれこそすぐに名前を覚えられるような人から見ても、共感できる仕上がりだったと思います」という意見が出た。
「じゃあ、某瑛高校をテーマに、人物はまた無理のない等身大で。それで具体的にはどうする?」と三年生の部長がまとめる。
 ここで部員たちは黙りこむ。
「それじゃあ、次の活動までにそれを考えて来て。それから特に担当を割り振るわけではないけど、やりたいこととか、得意なことも少し個人で整理してきてもらえると、制作の時に動きやすいから」
 副部長がそう付け足す。
 次に期間を含めた上での制作内容、スケジュールを整理していった。
 今回制作内容の幅が広がったことと、昨年のアニメーションをまた制作したいという意見から、今回は昨年と同じようなアニメーションの短い動画制作を文化祭に発表、そしてアニメーションの短い動画とは別に、もう一作品を自主制作しようということになった。自主制作の作品は現段階では発表する場は未定で、作成期間は現時点から文化祭までの五カ月間の取材をし、その後編集に入る予定だ。つまり、現時点から文化祭発表を目的としたアニメーション動画の制作と同時進行で発表の場は未定の自主制作の作品の取材、編集を行うことになる。
 少し大変かもしれない、という思いは皆にあったが文化祭は多くのクラスや部活の参加する一大行事なので、ここで取材しない手はない、ということで、異論はなかった。
 そうして文化祭に向け、映像研究部での新たな挑戦が決定し、この日の部活は終了した。
 ほかの部はまだ活動中だったので、央太は校内を見て回ることにした。職員室前の部の活動日程が記されたボードを見ると、ほとんどの運動部は活動中で、文化部は合唱部と華道部が本日休みであるほかは活動しているようだった。
 校庭では女子ソフトボール部が活動している。女子ソフトボール部は某瑛高校でも長い歴史を持ち、毎年都大会でもそこそこの好成績を修めているらしい。きびきびとした練習と、それぞれの真剣な表情はそのまま作品にできそうだった。
 この部で決まりかな、と央太は思い、昇降口へ向かった。
 すると廊下から、校舎の中央に造られているガラスで囲まれた小さな中庭を挟んで向かいの一階下にある和室で、正座の練習をしている女子を見かけた。某瑛高校は授業でも正座をする学校であることから、こうした正座風景はそれほど珍しくはなかった。和室以外の絨毯を敷いた部屋でも某瑛高校の生徒は自然と正座をしている。その正座がまた、授業の賜物でとてもきれいなのも某瑛高校ならではだと央太は思ったものだった。
 正座の練習をしているのは、華道部が休みであることを考えると茶道部であるらしく、新入部員を上級生が指導しているらしい。
 一年生らしき新入部員の女子は、遠目に見ても、もともと正座をするような環境に慣れている品のようなものが感じ取られたが、茶道部という部活柄、それだけでは褒めてもらえないらしい。もっと上を目指す、ということなのだろう。
 この日は春のさわやかな風が吹いている日で、和室の窓は開け放たれていた。中庭に面した廊下の窓を開けると、通った声が和室から聞こえてくる。
「背筋を伸ばして」
「膝はつけるか、握りこぶしひとつ分開くくらいで」
「肘は垂直におろして」
「手は膝と太ももの間にハの字で」
「足の親指が離れないように」
「スカートは広げないでお尻の下に敷いて」 
 そんな指示を央太と同じ学年だと思われる二年生が出していて、それを一年生らしき新入部員が聞いて正座を直している。
 央太は昨年の文化祭は自分の部活とクラスの担当以外は喫茶店に行くくらいで、文化部の発表を見ていなかったが、茶道部というのはおっとりと穏やかな部活であると思っていた。まあ、実際おっとりと穏やかではあるのだろうが、そこはやはり日本の文化を学ぶ部活ということで、ああした基礎的なことはしっかり仕込まれるようだった。
 茶道部の様子を眺めていた央太は、こんな部活の基礎的な指導から、文化祭までの経緯を撮ったらいいのではないか、という気がしてきた。ついさっき女子ソフトボール部を見てもいいと思ったのだが、こんなふうに放課後たまたま見なければ知らなかった文化部の活動こそを記録し、人に伝えられるのが央太たちのいる映像研究部ではないかと思った。

 次に集まった時、自主制作で撮りたい取材対象として挙がったのは科学部、吹奏楽部、生徒会、一年生の一クラス、そして央太の挙げた茶道部だった。理由はそれぞれ、科学部は部室の中だけで活動しているようで研究対象を探しに出かけたりしているところも面白いと思った、吹奏楽部は初心者が金管楽器のマウスピースを鳴らせるようになる過程からを紹介したい、生徒会は学校の運営を一手に引き受けているが大会も表彰もない活動だからこそここで撮りたい、一年生のクラスは初めて出会った人間が文化祭までの期間を通してどう変化し団結していくかを撮りたい、という理由が述べられ、それに茶道部の央太が放課後に見た風景とそこで感じたことが伝えられた。
「どうしようか。決を採る?」と部長が言う。
「でも、どれもそれぞれに撮ったらいい作品になりそうですよ」と芯が言う。
「部長、これ全部撮りませんか?」と俊成が言う。
「大丈夫かな……」
 尻込みする部長に「大丈夫ですよ、人数も増えたんだし、撮影はそれぞれでして、編集とか技術的なことを先輩たち中心に教わりながらするってやり方はどうですか」と一年生が頷き合いながら言う。
 そうして、挙げられた団体の活動を追うことが決定した。


 新たな自主制作の第一歩は、取材交渉から始まった。
 言い出したこともあり、茶道部に交渉に行くのは央太に決まり、俊成もついて来てくれることになった。俊成がいてくれることは心強かったが、なにせ女子だけの部活である。芯とは部活が一緒なので普段から話す機会もあるが、央太にとってはそれはそれとして、初対面の女子に取材交渉をするのはなかなかに構えるものがあった。
 事前に放課後部活のことで話がある、と言えばいいのか、とそこから悩み、それを俊成ではなく芯に相談すると、「どっちでもいいんじゃない?」という、さして央太の悩みに重きを置かない返答だった。「まあ、それはそうなんだけど」と央太は口ごもり、だから困っているのに、という言葉を呑みこんだ。それまで央太が緊張して何かを連絡したのは、二年前の夏休みに学校見学の予約の電話を入れたことくらいだった。あの時も緊張し、事前に紙に言うことを順番に書き、それをほぼそのまま言い、どうにか切り抜けた。しかし、今回はそもそもそうした事前予約やら話し方の手順云々の決まりごとがない。それが困る。鬱々としながら、一番困るのはこの自分の性格と、それに伴った場数の少なさだと自覚し、更にがっくりとした。
 そんな自信喪失の状態で央太は俊成とともに、茶道部へ向かった。
 茶道室の引き戸をノックし、中から「はい」と返事がして、三年生が出てくる。茶道部だけあって、黒髪に細身の清楚な女子生徒だった。品とともに威厳もあって、央太は気後れしそうになるのをどうにか踏ん張る。
「あの、僕たち映像研究部なんですけど」
「はい」と女子生徒は頷く。顔色ひとつ変えない。
 まず名乗るところまでできた。次は用件だ。央太は事前に考えていた通りに伝える。
「作品の新たな自主制作で文化祭までの期間、いくつかの部活や生徒会やクラスを取材したいと思っていまして、それで茶道部を取材させてもらえませんか」
「っていうことは、文化祭までずっとですか?」
 女子生徒がやや怪訝な顔をする。
「はい」と央太は頷いた。
「一応私たちも文化祭が大きな発表の場なので、一年生の指導もあって、あんまり部外者に出入りされると集中できなくなるので……」
 あ、断られる、と思った時だった。
「そういう時は、出て行きますから」と俊成が言った。そして央太に目配せして、続きを促す。
 続きは、考えていなかった。
 断られそうなこの状況で、どうにか自分たちの思いを理解してもらいたかった。
 事前に考えていない、漠然と心にあったことをそのまま央太は話し始める。
「あの、この前たまたま茶道部の正座の練習をしている活動を少し見ました。僕は去年の文化祭では本当に茶道部の活動もほとんど知らなくて、お客さんにお茶を出しているってことくらいしか認識はなかったのですが、それは多分、校内のほとんどの人が同じだと思います。けれど、先日のように一年生に正座の指導から始めて、文化祭の日には初対面のお客さんにお茶を出すってところまでするんですよね? だから、その時初めて来る人に伝わらないところを伝えたい、それができるのが僕たち映像研究部ではないかと思いました。そして、その作品にぜひ茶道部も出てもらいたいと思っています。邪魔はしません。僕らが撮りたいのは、発表までの人に知られない過程です」
 女子生徒は瞬きし、央太を見上げていた。
 そしてそれから「顧問の先生と部員に相談してから決めてもいいですか」と言った。
 央太は「はい」と頷いた。
 翌日にはあの時の女子生徒が央太を教室まで訪ねて来てくれ、了解の旨を伝えて行った。
 大人しい央太にきれいな三年の女子生徒が訪ねて来たことは、クラス内を少しざわつかせ、そして映像研究部の活動についても少しだけ周囲に広めたのだった。
 この日偶然央太のクラスはお作法の授業があった。
 後ろの方に座る央太は顔を上げ、和室で正座をするクラスメイトを見る。
 一年生の時を考えると、その成長ぶりが感じられた。
 背筋を伸ばすようにするとか、手をハの字に膝と太ももの間に置くとか、そういうことを自然とできるようになっている。
 そして、ふと茶道部が和室で正座の練習をしていた様子や、昨日茶室を訪れた際に少し見えた部員のきれいな正座を思い出す。
 慣れたものだと思っていたが、央太は少し姿勢を直す。
 ふいに先生が「易士くん、きれいな正座ですね」と言い、周囲が央太を見る。
 重ねられていく努力を見た央太の些細な意識が、央太とそのクラスを少しだけ前進させてくれたと央太は思った。

 ほかの取材団体も、それぞれに了解が得られた。
 さっそく映像研究部での自主制作の取材活動が開始された。
 土曜日は急ぎの取材がなければ全員で一週間撮った映像を見る日に決めた。
 それまで学食での給食以外、校内での昼食をほぼ摂らなかった央太は、ここに来て初めて学校の周囲にあるパン屋さんなどで昼食を買い、ラウンジや中庭、屋上で昼食を摂るようになった。
 周囲を見回すと、部活前に中庭でバドミントンをしたり、クラスや学年を越えて輪になって昼食を摂っていたりする光景が広がっている。特に取材の必要はないが、その風景がとても尊く感じられ、自然と録画をし、後で主旨を伝えて許可を取った。
 昼食後、取材対象の映像を見た後に、央太は昼に撮った映像も皆に見せた。
「あ、この人文化祭実行委員だ」
「この子合唱部に入ったって聞いた」
「ねえ、女子ソフトの子たち、こんなに練習しているのに文化祭では屋台もやるんだって」
 そんなふうに昼の風景を見ながら、色々な話題が出る。
「そうやって見ると、どこの活動も撮っておきたくなるね。今から文化祭の発表をゴールにさ」
 部長が映像を見ながら言った。
 央太はそんな部長を見る。
 昨年、芯に言われて渋々作品の制作を開始した時から、部長の何かが変わったと央太は思った。それは部長だけではなく、部内の先輩たち皆に言えることのようだった。正直なところ、内の殻にこもった人たちが制作する作品だからこそのこだわりや個性があり、それは周囲に目を向ければかすんでしまうのではないか、と央太は少し不安に思っていた。けれど、芯が言うところの『十代』という年齢だからだろうか、映像研究部の三年生の感受性は衰え知らずで、どんどんと伸びている気がする。
「部長、やりましょう」
 芯が言う。
「え、でも文化祭の参加団体って、そもそもどれだけある?」
「……三学年全クラス含めて五十前後です」
 そこで諦めの雰囲気が漂ったが、「自主制作は今、うちの部員が九名で、クラスが全部で十八、それに参加団体を合わせて五十だとして、一人五か六撮影すればいいってことになる。現時点から撮影する団体はこの前決めたところに留めて、それ以外の団体も当日の発表とか、文化祭一週間前くらいの活動から撮り始めて、全ての参加団体を撮った作品にしたらどうかな」と部長が言った。
 全員が大きく頷く。
「あ、でも……」と俊成が小さく言った。
「先輩たち三年生は一学期で引退ですよね。そうすると、六名で、八から九団体取材することになりますけど」
 一同があっと、三年生を見る。
「それなら、三年生は一学期までの取材や編集を通常の活動でやって、後は文化祭当日の取材を引き受けるっていうのでいいんじゃない」と部長が言った。
「ありがとうございます」と一年生、二年生は自然と礼をした。
「それから、さっきの易士くんの映像なんだけど、文化祭で流す映像に使えないかな」
 部長の提案に皆が不思議そうな顔をした。
「去年作った説明会から入試、入学式の映像を今年も流して、次に今年二年生になった易士くんたちの視点で撮った某瑛高校二年目っていうテーマもいいと思う。だからって一年生の出番がないってことではなくて、一年生から見たこの部の二年生を捉えていくっていうのを一つの案としたいと思うんだけど」
 そう話す部長の中にはすでに新しい作品が芽吹いているようだった。そしてそれは部員全員に広がる。
「だったら、僕らから見た三年生の先輩たちもぜひ描かないと」
「身近な方が共感してもらえるから、無理に卒業式なんかは入れないで、今みたいにぎりぎりまで部に尽力してくれるっていうところとか、入れるといいと思う」と俊成と芯も頷いた。


 文化祭を軸にした作品制作はかなり大掛かりな企画になったので、映像研究部は顧問の先生に相談し、校内で映像に映されたくない生徒に事前に申し出てくれるようお願いのお知らせを配布してもらった。学校としてのこうした事前確認は入学時に行われているが、部活としてはやはり別に許可を取った方がいい、ということになった。この期間、映像研究部はやや不安を抱いていたが、出演不可の申し出はなかった。それでも一応、撮影前には声かけ、或いは撮影後の許可を必ず取るよう徹底することを決めた。
 次に央太が茶道部の取材に訪れた時も、同じように和室で正座の指導があった。今回は一年生から三年生までの全員で、茶道部の顧問の先生のほかに、お作法で来てくださっている先生が加わり、全員の正座を確認し、所作を見て回っていた。
 その様子を央太は撮影する。
 前回にも増して緊張している様子の一年生だが、日ごろの成果が出ていて、とてもきれいな居住まいだった。
 そして央太は、二年生、三年生が、一年生の正座や所作がきちんとしていることに対して一定の緊張を抱き、安堵していることに気づいた。それは撮影をしている中で自然と気づいたことだった。ああ、僕はこの人たちと同じようにこの学校に入学し、学んでいるけれど、どれだけ人に教えられ、それを返せているのだろう、と思った。一瞬、カメラを構えている手が揺らぐような自信の不安定さを抱く。そして思い直す。自分は自分のやりたいことをこの学校で見つけられたんだ、と。今、ここで撮るのは自分のためだけれど、自分のために撮ることがひとつのかたちとなり、作品へと仕上げられていく過程を示せるだけでも、大きいことなのではないか、と。
 ああ、と央太は深く思う。
 映像研究部が撮るのは身近な人であり、出来事であり、風景であるけれど、本当に捉えているのはカメラを構え、映像を作成する、映像の中に入らない自分たちだったのだ、と。カメラを持ち、パソコンで今ある限りの技術を結集している映像研究部の人間が確かに作品の中に存在し、それが伝わるから、見てもらえる……。
 央太は正座をしている茶道部員を優しく見下すお作法の先生に焦点を当てる。今、央太が撮っているのは、お作法の先生の表情を通して感じ取れる、一年生を指導してきた三年生、二年生の努力だ。そして三年生、二年生へと焦点を変え、そこで今日までついてきた一年生のひたむきさを撮りたいと思う。
 茶道部の取材はなかなかの出来になっている、と央太は満足した。

 どの団体の活動も、それぞれの努力や葛藤が見る側に伝わる出来栄えになっていた。一年生のまだ慣れない撮影での、ざわめいた一年生の教室内の雰囲気や、勇気を出して発言する様子も、二年生の央太からしても、もうどこか懐かしさを呼び起こさせる。
 そうして取材した団体については編集を重ね、当日の発表を撮るばかりのところまで完成させた。
 それと同時進行で、昨年の続きとなる九十秒アニメーションも着実に制作が進められた。今度は昨年文化祭で作品を発表したラウンジのプロジェクターに焦点を当て、前作品の終わりに、プロジェクターから飛び出した登場人物が戸惑いながら、人との交流を始め、土曜日にパン屋へ行き、中庭で周囲の活発な生徒を見遣りながら昼食を摂り、ほかの学年やほかの部活の生徒とのやり取りをしていく。映像研究部での活動の様子も実際になかった大げさな討論ややり取りは入れず、現実に自分たちがしてきた淡々としながら、心の中ではさまざまなことを考え、これまで外に出さなかった思いや案を出していく様子を描く。そして文化祭当日は、やはり現実に沿って地味にプロジェクターの後方に控える。けれどその表情は、これまで作ったものを発表できる時を迎え、控えめではあるが明るい、という結末になっている。プロジェクターを自己の内側に見立て、部活を通して自己の内側から外の世界へと歩み出す、という映像研究部の部員の進歩を軸にした作品だ。
 かなり忙しい期間だったが、どうにか乗り越えることができた。
 そして、問題はここからだった。
 まだタイムテーブルが正式に発表されていないため、文化祭当日取材で誰がいつ、どこの担当になるのかの最終決定ができないでいた。
 一学期で引退、と言いながら、結局塾や学校の夏期講習の合間に部室へ立ち寄ってくれた三年生は「こればっかりは待たないとな」と言っていたが、芯が実行委員にわかるところまで教えてもらいに行った方がいい、と言った。三年生が引退し、一応名前だけは央太が部長ということになった。芯が引き受けてくれるものだとばかり思っていたが、「消極的に見えて部を一番引っ張っているのは易士くん」だと言われ、俊成が「まあ、本人あんまり乗り気じゃないからじゃんけんにしよう」と提案してくれ、大いに感謝したものの、結局じゃんけんで負けたのは央太だった。
 央太は渋々実行委員会室へ向かった。
 実行委員会室は生徒会室隣だ。
 扉をノックし、出て来たのは央太と同じ二年生の女子だった。
 央太が訳を話そうとすると、「まあ、どうぞ」と中へ入れてくれる。
 中は会議用の机が長方形に並べられ、そこに資料が山積みになっている。奥には生徒会役員もいて、何かの調整をしているらしく、実行委員と話し合っている。
 央太が入って来ると、「映像研究部さん?」と生徒会役員が声をかけてくれる。
 映像研究部は生徒会の仕事も撮影していたので、比較的親しくはなっていた。映像研究部と違い、生徒会では白熱した議論が頻繁に繰り返され、時には「カメラ意識しない! ちゃんと意見を言う!」と一年生の生徒会役員を叱責するやり取りもあり、直接撮影に行ったわけでもない央太はその映像を見るだけで震えあがりそうになる。ちなみにこの白熱した映像を動じずに撮ったのは芯である。
 央太の用件を聞いた実行委員が「ねえ、全部の団体撮りたいから、早めにタイムテーブル知りたいって」と皆に伝える。
「そういうの、平等じゃなくなるから基本的には禁止なんですよ」とほかの実行委員に言われ、央太は「あ、そうなんですか」と俯く。
 早々に引き上げようとする央太をよそに、「映像研究部の部員だけで全部の団体を撮るって大変だよね」と生徒会役員同士で話し出す。央太は部屋を出て行く機会を逃し、なんとなくそこに立っていた。
「ねえ、実行委員て入り口で待機しているよね?」と生徒会が訊く。
「まあ、受付とか、案内とか」
「それ、四人くらいで分担するでしょう?」
「まあ」
「それじゃあ、中庭の発表と屋台、代わりに撮影してあげたら? 発表全部を撮らなくても、見せ場のあたりを撮ればいいだけらしいし、実行委員なら前もって内容を知っているから、どういう場面があるのかもだいたいわかっているよね?」
「まあ、撮るだけなら」
「いいって、よかったね」
 生徒会はそう言って央太を振り返る。
「中庭はダンス部と吹奏楽部の発表、女子ソフトボール部の屋台、それに三年のクラスの屋台三つの六団体だから、それだけ実行委員で引き受ければ、少しは負担も減るでしょ?」
「あと、二年のうちのクラスと、それと一組、五組は生徒会メンバーが撮るから」
 生徒会がそう言うと、「じゃあ、うちのクラス私撮っておきます」とか、「私も協力します」という声が上がった。
 一応校内行事を撮影するので、撮影者には短時間の撮影時であっても撮影用の腕章をつけてもらうこと、撮影の前か後に許可を取ること、言うまでもなく本来の仕事最優先という決まりがその場にいた実行委員の顧問の先生のもとしっかりと確認された。
「これで少しは協力できたかな」と笑顔で言った生徒会、そして実行委員の面々に、央太はただただ驚きながら、「本当に、本当にありがとうございます」と頭を下げた。下げながら、声が震えて涙が出た。


 生徒会の計らいのおかげで、二年生のクラスの撮影は全て任せることができた。映像研究部の三年の先輩たちには、三年生のクラスの発表をお願いすることになり、三年生のうち三クラスは中庭の屋台で実行委員に頼めるので、三年生の先輩たちの分担は残りの三クラスを各一クラスずつと、だいぶ軽減された。一年生もクラス発表は一年生の方で引き受けることになった。そうすると、各学年六クラス、計十八団体の撮影分担が決まり、中庭の部活三団体も実行委員が引き受けてくれることになるので、残り約二十九団体である。それを事実上二年生と一年生の六人で分担するのだが、一年生は学年の分担もあるので、その分多く二年の央太たちが分担することになる。そこで央太たちが一人六団体、一年生が一人三団体から四団体を分担することで決まった。なるべく移動時間を使わなくていいように、場所やフロアを決めての分担にした。そして央太は一年生に「一応分担は決めたけど、一年生で最初の文化祭だから、何かあったら僕が代わるので」と付け加えた。そこへ俊成が「あとさ、俺たち映像研究部のプロジェクターの方の当番も決めないと」と言い、「忘れていた!」と央太は頭を抱えたのだが、こちらは一年生、二年生の担当時間を短縮し、残りは三年生が担ってくれることになった。
 当日になってみると、事前に分担をしっかり決めていたことが功を奏し、比較的早い時間にそれぞれの撮影は済んだ。後は個人的にいいなと思う団体を自由に撮影するのもよし、楽しむのもよし、ということになった。
 無理かもしれないと思っていた昼食も、意外とあっさりと摂ることができた。
 央太は屋台で買ったものを手に、ラウンジに入る。
 奥では映像研究部の作品が発表されている。撮影の済んだ俊成が、三年生と交代している。
 それを央太は遠くから見ていた。
「去年、今年と引き続いたストーリーになっていていいね」
 その声に顔を上げると、同じように昼食を買ってきた芯がいた。
 芯は央太の向かいに座り、部の様子を見る。
「ただね、少し心残りがあるんだ」
「何?」
「これまでの活動って全体でひとつの作品を仕上げてきたけど、先輩たちの個別の作品を発表する機会がなかったなって」
「……そうだね」と央太は頷く。芯は自分の意見をはっきり言うし、優先もさせるところがあるけれど、冷静に周囲を見てはいる。
「一人一作品っていうのは、結構いろいろ大変かもしれないけど、まず大きなテーマをひとつ決めた上で、三人ずつくらいの班を作って自由な発想で制作していくっていうくらいのことは来年はやりたいなと思う」
「いい考えだね。それを文化祭とか、新入生歓迎会の部活紹介なんかで発表できたらいいね」
「うん」
 文化祭が終われば、多忙な編集作業が待っている。その出来がよければコンテストに出してもいいのではないか、と顧問の先生と央太は話していた。初めての参加になるので、賞のことは考えず、まずはひとつの目標に向けて仕上げていく、ということから始めたい、と皆には文化祭の後で話すつもりだ。そして、それと同時に、現時点での反省とともに来年を見越している友達がいる……。
 それは、央太がこの映像研究部に入ろうか、と考えた時には想像もつかないほどに自身を成長させてくれた。
「ありがとう」と央太は言った。
「ただの個人の思いつきだけどね」と芯は言った。央太が次回の制作に対する意見にお礼を言ったのだと思っているらしかったが、芯の存在やその行動に感謝していることだとは央太は告げなかった。
「もうちょっと、撮影してくる」
 央太は昼食を急いで済ませ、ラウンジを後にした。


 お客さんの使った後のスリッパを箱にきれいに入れ直している実行委員や、腕章をつけて見回りを行っている生徒会、最終公演を前に全員で円陣を組む合唱部、完売に向けて教室から廊下へと売り出しに出るクラス、時間の都合で劇の序盤までしか撮れなかったクラス劇のエンディング場面を撮影した後、央太は茶道部へ向かった。
 茶道室の前には午後のお茶の時間が記されていて、今は休憩時間らしい。
 控室の並んだ教室の方を見ると、控室から浴衣姿の茶道部員が出てくるところだった。
 央太は撮影の準備をし、近づく。
 撮影の許可を取るため声をかけようとした央太に、目の合った二年の茶道部員が無言で小さく頷き、許可を伝えた。
 二年生に向き合っている一年生らしき部員は央太に気づいていない。
 央太は会釈し、撮影を開始する。
「午前の部、まずはお疲れさまでした。浴衣の着付けと準備で忙しかったので、後回しになりましたが今日を迎えての部長から一年生へのお話があります」
 先ほど央太と目が合った副部長らしき二年生がそう切り出し、隣にいた二年生が前へ進み出る。
「一年生、本当に今日までの練習を頑張ったと思う。正座の指導から始まって、私たちのほかに、お茶の先生、お作法の先生にみていただいた練習、緊張したよね? 大変だったよね?」
 優しい二年生の声に、二年生の方を見ている一年生は「はい」と頷く。
「文化祭までに茶道の細かい決まりを覚えたくて焦っているのに、正座に時間をかけて不安だったと思う。でも、それを言わないで、ちゃんとついて来てくれてありがとう。あれから茶道のことも本当に頑張って、できるようになったよね」
「……はい」
 表情は撮影できないが、一年生が感極まっているのは声で伝わった。
「それだけ頑張ったから、今日の発表は自信を持って。それから、これは大切なことだけど、来るお客さんは一年間活動してきた二年生とか、四月から活動を始めたばかりの一年生とか、そういうことを考えていないから。全員、同じ茶道部員です。だからもし、この後お茶のことを訊かれたり、正座のことで何か心配していたりするお客さんがいたら、きちんと、そして自信をもってお答えしてください」
「はい」と一年生が揃って返事をする。
「それでは午後の準備に入ります。梗ちゃん、百合江ちゃん、藤子ちゃんは午後二回目の出番なので、午後の一回目が開始されたら次回のお客さんのご案内の方、お願いします」
「はい」という揃った声とともに、茶道部員は茶道室へ入って行った。
 央太はその全員のしっかりとした表情を撮影し、茶道室の引き戸が閉められるところまでを撮影した。
 そこでふと時計を見ると、中庭で吹奏楽部の発表がすでに開始されているのに気づいた。
 今年は中庭での発表の団体が少なかったことが幸いし、午前、午後の二部制だったので、実行委員にお願いしての中庭発表の団体についても一通りの撮影は午前中に済んではいた。ただ、マウスピースで音を出す練習をしていた部員が今日の最終公演を終えた後、どんな表情でエンディングを迎えるかを撮っておきたいと思っていた。央太は慌てて中庭へと走ったが、昇降口で「最高だったね」と先輩に声をかけられて満面の笑みで「ありがとうございます」と頷く一年生を見かけ、ああ、間に合わなかった、と肩を落とした。もともと一人につき担当がいくつか重なっていたし、撮影自体は済んでいるので問題ないが、作品を制作する上ではやはり加えたい場面ではあった。
「易士くん、撮っておいたよ」
「え?」
 振り返ると、実行委員が笑顔で駆け寄って来た。
「今日、午後から雨の予報が出ていたから、発表の時間が二十分ずつ繰り上げになったんだ。一応放送したけど、忙しくて聞き逃した?」
「あ、合唱とか劇の方の撮影に入っていたりしたから……」
「そうか。それで前に吹奏楽部一年生の初心者の部員に焦点を当てているって聞いたから、この発表の映像もいるかなと思って」
「いるよ、いる! ありがとう」
「よかった。じゃあ、また文化祭の後で」
 実行委員はそう言うと、忙しそうに校舎へ戻って行った。
 ……あんなに忙しそうなのに、撮ってくれたんだ。
 央太は実行委員の後ろ姿をしばらく見ていた。
 入れ違いに俊成がやって来て、「科学部の発表、撮れたよ」と嬉しそうに言う。
「映像研究部の当番、先輩と代わったんじゃなかったの?」
「途中から一年生が来て代わってくれて、その後また先輩たち戻って来てくれたって」
「そうか。一応担当決めたけど、結構協力できたんだね」
「うん、易士がまだあちこち走り回って撮影しているって知って、せめてこっちは手伝おうと思ったって、一年生も先輩も言っていたよ」
「そうだったんだ……。いいものができそうだね」
「うん」
「さっきさ、忙しいのに実行委員が吹奏楽部の最終公演を撮ってくれたんだ。そんなに親しくないのに、そこまでしてもらって……」
 そう央太が言うと、「伝わったんじゃないかな」と俊成が言った。
「え?」
「央太が一所懸命にいいものを作りたいっていうのが伝わったと思う。実行委員の人たちも、個々の思い出に残る、そして来た人に喜んでもらえる文化祭にしようって、場所の割り振りから、文化祭のパンフレット作りまで、本当に毎日議論して遅くまで残って頑張っていたから、そういうのをわかってくれていたんだと思う」
「そう、か」
 入学して一年目の初めて制作した作品の主人公は、暫く名前をクラスメイトに覚えてもらえない人物を選んだ。
 それは自己投影が強くて、本当のことを言えば学校の中心的存在の文化祭実行委員になるような人とは縁がないと思っていた。実行委員のもとへタイムテーブルを先に教えてもらいたいと頼みに行った時、本当のことを言えば断られるのは初めからわかっていたし、それほど期待してもいなかった。央太は実行委員とはわかり合える自信がなかったし、もともと無理だという諦めに似た思いもあった。
 けれど、ひたすらに文化祭に向けて動き、少しでもこの学校で頑張る人の姿を皆に伝えたいという思いは、知らず知らずのうちに、遠い存在だと感じていた実行委員にも届いていたのだった。
「この作品、できたら昼休みに校内放送できないかって、一年生とも言っていたけど、どうかな」
 コンテストのことばかりを考えていた央太は、その提案に大きく頷く。
「いいね。この学校のことを撮って、この学校の人に知ってもらいたいと思ったことを作品にするんだから、皆に見てもらいたいね」
 俊成と央太は編集を終えた作品が、校内で放送されることを考え、軽く飛び上がる。
「それとさ、まだ正式にどうなるかはわからないらしいけど、顧問の先生が映像研究部が今回文化祭で撮った自主制作の映像を短く編集した作品をできれば十月からの学校説明会で使いたいって学校からオファーを受けたって言ってたよ」
「すごい! 本当?」
 大変そうだ、という心配は、今回の文化祭を終え、新たなことをできる楽しみへと変わっていることに央太は気づいた。
「本当のこと言うと、部長としてやっていくの、自信なかったけど、頑張れそうだよ」
「うん、応援しているよ」と俊成は頷く。
 そしてその翌年の春、最初の部活でグループごとの制作を発表したとたん、央太はそれについて気の強そうな早田くんという一年生に意見され、たじたじになるとは、まだ想像すらしていなかったのだった。


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