[59]正座先生と夏休み


タイトル:正座先生と夏休み
分類:電子書籍
発売日:2019/07/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:76
定価:200円+税

著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり

内容
 茶道部部長のサカイ リコは、茶道と正座の普及のため活動する、高校3年生。
 高校生活最後の学校祭も終わり、いよいよリコも本格的な受験勉強を始めることになった。
 となると、当分の間は『正座先生』としての活動はおやすみかも……。
 と考えていたリコだったが、そんな彼女のもとに、東大受験を目指すナツカワたち『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』から、正座を教えてほしいとのオファーが舞い込んだ!
 当然OKするリコだったが、正座をすることで確実に成績がアップするかというと自信が持てず、指導中不安も感じてしまう。
 そんなリコに、ナツカワがかけた言葉とは?
 「正座先生」シリーズ第16弾は、いよいよ夏休み突入! 今回も正座の楽しさと良さをたっぷり伝えていきます!

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本文

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 わたし『サカイ リコ』は、現代日本に生まれ、ごく一般的な家庭で育った、どこにでもいる女子高校生である。
 そんなわたしの学力は人並みで、時に『やる気にむらがある』と注意はされつつも、決して勉強が嫌いというわけではなかった。
 なのでわたしは、高校を卒業したら、今度はそのまま、自分の学力に合った大学に進学するのだと思っていた。
 たとえば、高校受験のときのわたしは、頑張れば入学できるレベルの高校を選び、合格した。
 その結果、現在通っている、星が丘高校の生徒となったわけだ。
 だから、今回も同じように『周りもみんな進学するし』といった程度の気持ちで、自分もなんとなく大学生になるのだ……と、ばかり思っていたのである。
 しかし、このようなわたしのぬるーい人生設計は、高校在学中に少しずつ軌道修正され、高校三年生の夏現在、大幅に改めることになった。
 そのきっかけは、高校二年生の夏。
 わたしは、それまでずっと苦手だった正座を、友達の協力の元克服したことで、かねてから関心のあった茶道部に入部した。
 同時に、強い苦手意識のあった正座には、たくさん良いところがある!
 正座ができるようになることで、たとえばわたしにとっての茶道のような、チャレンジできる分野の幅が広がる! と気づいたのだ。
 なのでわたしは、茶道部で活動するうち、次第にこんなことを考えるようになった。
 かつての自分のような、正座に苦手意識を持っている人に。
 誰よりもその気持ちを理解できるわたしが『正座は、座り方次第では、簡単に続けることができるんだよ』『しかも、身体や、精神にも良い変化をもたらすものなんだよ』と伝える活動ができないだろうか? と。
 その活動をする人と、その活動そのものを、わたしはあるときから『正座先生』と名付けた。
 そうして自分なりに『正座先生』活動を続けた結果。
 現在わたしは

・高校卒業後も、どこかの団体に所属して茶道を続けたい
・もちろん『正座先生』としての活動も続けたい

 この二つの目的を叶えるため。
 茶道サークルがある国公立大学・星が丘大学への進学を決意したのである。
 しかしここで、成績の問題が立ちはだかってくるわけだ。
 高校入学当時におけるわたしの成績は、実はなんとトップであった。
 新入生の代表として、入学式で挨拶までしたくらいなのである。
 けれどそれも、今となっては過去の栄光。
 わたしの成績は、その後ガックリとダウンし……。
 高校三年生進級時の成績はいまいち。
 いや、非常に残念なもので……時に追試を受けることになるほど芳しくなかった。
 現在は、なんとかそこから盛り返して『星が丘高校の生徒の中では、まあまあかな?』程度の成績に落ち着いている。
 つまりわたしは『やる気にむらがある』という指摘の通り、実に安定しない成績のまま、今日に至るのである。
 果たしてこんなわたしが、今から国公立大学に進学することができるのだろうか。
 ああ、せめて、入学時のトップ成績を、なんとか維持していれば。
 トップ成績とは言わずとも、そこそこの学力をキープできていれば……。
 と、まさに『後悔先に立たず』なことを考えてしまうこともあるけれど。
 そんなことを言っても始まらないので……。
 ついに始まった高校生活最後の夏休み、わたしは塾に通わせてもらい、高校で講習も受けながら、勉強漬けの毎日を送っているというわけだ。
 当然、夏休みの間は、大好きな部活動もお休みだ。
 せいぜい、家で正座して勉強をするくらいである。
 わたしは茶道部入学後、一年以上、毎日部活のことばかり考えて生活していた。
 そんなわたしにとって、現在の暮らしは、正直なところ、結構つらいものがある。
 だけどそれは、将来長期的に大好きなことを続けるためにしていることだ。
 つまりわたしは一生『正座先生』でいるために、今『正座先生』であることをお休みしているのである。
 また、お休みにしているのは『正座先生』活動だけではない。
 夏休みに入ってからは、友達とも、ちっとも会っていない。
 仲の良い友達は、みんなわたしの現在の目標を知っている。
 また、それが、かなり努力をしないと成就困難な目標であることも理解してくれている。
 だから塾や講習で会って、一緒に勉強をしたり、ご飯を食べることはあっても。たとえば『塾が終わったら、ちょっと遊びに行こうよ!』と誘われることはほとんどない。
 それはおそらく夏休みが明けるまで、いや、下手をすると受験勉強が終わるまで続く。
 つまり、当面は、友達と一緒に過ごす機会はかなり減るのだろう……。
 ……と、思っていたのだけれど。
 高校三年生の夏休み。部活動は一か月間ほど、完全にお休みのこの時期。
 わたしは意外な形で『正座先生』活動をすることになるのだった。


「僕たちを『正座先生』にしてくれないか」
「えーっ!?」

 高校三年生の夏休み中盤のある日は、お友達の『ナツカワ シュウ』君の、こんな一言で始まった。

「突然のお願いで申し訳ない。だけど、今の僕たちにはサカイ君が必要なんだ。
 この通りだ。どうか検討してくれないだろうか」
「いやいや、ナツカワ君。土下座なんてしないでー!」

 ナツカワ君は我がサカイ家に訪問するなり、スッ……と座り込み、なんと土下座をしようとする。
 当然わたしは慌ててそれを止めると、ナツカワ君を、ひとまずリビングへ案内することにした。
 それから、お母さんの『今日はリコ、何の用事もなくてよかったね。ゆっくりしていってもらいなさい』という言葉を受けながら『なぜ、わたしと同じように受験勉強で忙しいはずのナツカワ君が、急にこんなお願いをしに来たのか?』ということについて、たずねることにした。
 というか、ナツカワ君はすでに……。

「急にどうしたの?
 それに正座だったら、以前ナツカワ君に教えたことがあったよね?」

 ナツカワ君は、高校三年生の期末テストがきっかけで親しくなった男の子だ。
 わたしは三年二組の所属で、部活は前述の通り、茶道部。
 ナツカワ君は三年五組の所属で、部活は数学部に入っている。
 わたしたちが過去同じクラスになった経験は一度もなく、近所に住んでいるとか、親や兄弟同士が親しいといったこともなかった。
 実は、共通の友達ならいたのだけれど……。それすらもわたしはまったく知らずに、高校三年生の七月を迎えたわけだ。
 そんな遠い関係にあったわたしたちが親しくなったのは、わたしの成績が、期末テストで急上昇したことにあった。
 正確には、成績が急上昇したのはわたしだけではない。
 わたしをはじめとする、茶道部に所属する部員全員の成績が目覚ましくアップしたので、それまで接点のなかったナツカワ君の目にまで留まったのである。
 目に留まったきっかけは、期末テストにおいて行われた『部活対抗・期末テストグランプリ』というイベントにあった。
 これは『期末テストで良い成績を収めた団体、あるいは個人に……部費、あるいは学校祭で金券として使用できるチケットをプレゼントする!』というものであった。
 つまり、部活に入っている生徒は、いい成績を収めれば部費が獲得でき、より良い環境で部活することができる。
 逆に、部活に入っていない帰宅部の生徒は、いい成績を収めれば金券をゲットでき、学校祭でたくさん飲み食いができるというわけだったのだ。
 なので当然、星が丘高校の生徒はみんな大張り切り。
 誰もが必死で勉強して、星が丘高校全体の偏差値まで上げてしまったほど、みな良い成績を収めた。
 そしてこれは、部活に入っている生徒は、各部の部員全員を一つのチームとして、チーム全員の成績の平均値を、部の成績として計算。
 部活に入っていない帰宅部の生徒は個人で参加し、自分の成績でそのまま競争することができた。
 つまり『部活対抗・期末テストグランプリ』で上位に入るということは、学校全体でもかなり賢い人間が所属する団体、あるいはかなり賢い生徒である証明となった。
 茶道部は良い成績を収めた結果『茶道部はどうやら、みんな成績がいい団体らしい』ということが知られ、ナツカワ君や、星が丘高校のみんなに注目されたのである。
 さらにわたしたちの好成績の秘訣は、なんと、常日頃行っている正座にあった。
 なのでナツカワ君は正座に関心を持ち、期末テスト直後のある日、わたしに声をかけてくれたというわけなのである。
 すっかり説明が長くなってしまった。
 つまり、このエピソードにおいて何が言いたいかと言うと、わたしはそのときナツカワ君に、正座のイロハをすべて教え込んだのだ。
 だから、今更ナツカワ君がわたしに学ぶことはないような気がするのだけど……。

「よくぞ聞いてくれたねサカイ君。
 確かに僕は先日、君に正座の仕方を学んだ。
 その後も継続して正座を続け、難なく正座できるようになっている。
 だからまあ『正座先生』とまではいかなくとも……。
 『正座先生見習い』くらいは名乗っていいレベルには達しているかもしれない。
 でもね。『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』は、今回『正座先生見習い』ではなく、本物の『正座先生』であるサカイ君に師事したいとご所望なんだよ」
「『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』?」

 なんだろう、それは。
 いや、詳しくたずねなくても、どんな団体なのか、なんとなくわかる感じはするけれど……。

「僕たちは期末テストの結果がきっかけで出会い、その後、僕たちがそれぞれ所属する茶道部と数学部は、学園祭で一緒に出し物をするほど良い関係になれたね。
 その際サカイ君は、僕をはじめとする数学部の人間に、正座を教えてくれた。
 だけど来年に受験を控える星が丘高校生は、当然、数学部以外にもいるわけだろう?」

 あ、話が見えてきた。

「つまり今回は、数学部以外のナツカワ君のお友達に……」
「その通りさ!
 成績アップ、精神の安定、さらにたるんだ肉体の矯正にもつながる正座を!
 今回は僕の他の友人に伝授していただきたい。
 具体的には『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』はこれから一週間ほど毎日集まって勉強会を開く。
 なのでサカイ君はそこに参加できる範囲で参加してもらって、勉強しながら参加者に正座を教えてほしいわけだ。
 ちなみに、僕たちの共通の友人であるキリタニ君も参加者の一人だよ。
 勉強会会場も提供してくれている。
 だから『誘われてきてみたけど、女性一人で、なんだか居づらい……』『これまで会ったことのない男子生徒のおうちに行くのは気が引けるなあ……』ということはないので安心してくれたまえ」
「それはそれは……」

 いつものことながら、ナツカワ君は気を遣う人である。
 今名前が出たキリタニ君というのは、わたしの友達で、同じクラスに所属する『キリタニ アンズ』のことだ。
 ナツカワ君とアンズは、中学時代から仲が良い。
 だから、いつも一緒にいる……ということはないけど、どちらかが困っているときには声をかけ、助け合う関係なのだという。
 ナツカワ君は以前も正座を学ぶ際、わたしを気遣ってアンズを呼んでくれたことがあった。
 今回も、数学部以外のナツカワ君のお友達に指導すると聞いて不安も感じていたけれど、アンズもいるなら安心だ。

「ありがとう……! そういうことなら……」
「検討してくれるのかい?」

 だけど、今回お受けするにあたって、気になる点はまだある。
 確かに正座は良い。
 正座して勉強することが、結果的に成績アップにつながるのは『部活対抗・期末テストグランプリ』で証明済みだ。
 そもそも良い姿勢で勉強するのは、非常に良い。これは正座に限ったことではなく、椅子に座っている場合も、あまりないかとは思うけれど、立っている場合も。人間、姿勢がいい方がいいに決まっている。
 背中や首が曲がった状態では身体への負担が大きいし、負担を強いたままでは、長時間の勉強は難しい。そのまま無理をして勉強し続けても集中力ダウンにつながりやすく、結果、思うような学習時間を過ごせないこともある。
 だけど、良い姿勢で勉強すれば、姿勢が悪いときとは真逆の、たくさんの恩恵を受けられるのである。
 しかし、これが直接成績アップに関係しているかというと、そうではない。
 たとえば『正座をして勉強をすれば、数学の成績は確実に十パーセントアップするよ!』といったことは、お約束できないからだ。
 だからもし、ナツカワ君のお友達がそういったことを期待しているのなら、わたしは『応えられません』というほかないのである。

「そうだなぁ……。
 一人で勉強するのも淋しくなってきたし、わたしの正座がお役に立てるなら参加したいなあって思うよ。
 でも『部活対抗・期末テストグランプリ』での結果がおかしな風に伝わってて。
 たとえば正座を、魔法とか、おまじないみたいな存在として捉えてるとか。
 『茶道部の部長は不思議な力を持っている。彼女に従って正座すれば、絶対に成績が上がる』とかって風に、もし思われてるなら、参加はできないかなぁ」

 しかしナツカワ君は、これをあっさりと否定した。

「ああ、それは違うよ。
 『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』は、かなり本気の集団だからね。
 魔法やおまじないを否定するつもりはないが……。
 僕たちは、これまで試したことのないことや、不確定要素だけに頼るほど他力本願じゃあない。
 僕たちは勉強に全力を尽くし、やれることをすべてやった上で、サカイ君に正座を学びたいと思っているんだ。
 実績のあるサカイ君に、近年大きく見直されている姿勢である正座を学べば、単純に姿勢が良くなるというだけでなく、精神的にも鍛え上げられるのではないか。
 それが、さらなる好成績につながるのではないか? と思っているんだ。
 だから当然、たとえ受験がうまくいかなかったからといって、正座のせいにしたりもしない。
 逆に、受験が成功しても『これはすべて正座のお陰だ!』と考えることもない。
 これまでの学習方法を補助したり、強化する方法として、正座を学びたいと考えている」
「そうだったんだ……。
 ていうか、そうだよね! ナツカワ君とアンズのお友達だったら、みんな真面目で頭のいい人たちに決まってるもん。
 会ったこともないわたしに全面的に頼るなんて、するわけないよね」
「いや、頼ってはいるよ?
 『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』は、毎日真面目に、自分なりにベストを尽くして勉強しているが、それでも成績が伸び悩み始めたメンバーが多いんだ。
 だからこそ、勉強をするときの体勢であったり、精神的な部分であったりを見直すことで、この状況を打破できないかと思っている。
 だが、サカイ君の指摘通り『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』は、国公立大学や難関私立大学を志望する成績の良いメンバーばかりなのも確かだ。
 また、無償で人に何かを教えてもらおうとするような、身勝手な集団でもない。
 つまりは、僕たちは正座を教えてもらう代わりに、サカイ君が勉強面でつまづいている箇所があるなら、全力でサポートしたいと考えている。
 君だって、国公立大学志望で、かつ絶対現役合格したいと思っている生徒なんだ。『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』に入会する資格はもちろんある。
 一人で勉強しているのがつらくなってきたなら、なおのこと……気分転換をするくらいの気持ちで、来てみないか?」
「ナツカワ君……」

 ナツカワ君の丁寧な説明は、わたしの心の不安を、すべて解決してくれた。
 それなら、きっと大丈夫。
 スケジュール次第にはなってしまうかもだけれど、ぜひ協力したい。

「わかった!
 それでは、わたしでよければぜひ『正座先生』として参加させていただきましょう!
 具体的にはいつか……」
「やったー! では、早速行こうではないか!」
「え!?」

 しかし『具体的にはいつから?』と聞く間もなく、ナツカワ君はピョンと立ち上がり、わたしの手を取った。

「今から!?」
「そうさ! 君という『正座先生』を、早くメンバーのみんなに紹介したいからね。
 サカイ君のお母様も先ほど『今日は何の予定もない日で良かったね』とおっしゃっていたではないか!
 善は急げだよサカイ君!」
「確かにそうだけど。そうだけどーっ!」

 忘れていた。
 ナツカワ君とは、とても気を遣う人であるのと同時に、思い立ったら即行動の人なのであった。と……!
 ちなみに周囲のみなさん曰く、そんなナツカワ君と、わたしはよく似ているらしい。
 であれば……。
 その両方と仲良くできるアンズって、かなり心が広い人なのかもしれなかった。


「星が丘高校、三年二組のサカイ リコです!
 本日はお招きいただき、ありがとうございます!」

 かくして。
 わたしは、一週間ほどナツカワ君たち『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』と一緒に勉強し、その間『正座先生』として指導することになった。

「わたしは今日から一週間、みなさんと一緒に勉強しながら。
 時に『正座先生』として、みなさんに正座の仕方をお教えしたいと思っています!
 よろしくお願いいたします!」
「よろしくお願いしまーす!」

 『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』は、その名の通り、星が丘高校の三年生であり、かつ、大学受験で絶対に志望校に受かりたいと考えている生徒のみで構成されているチームだ。
 だけど、星が丘高校三学年の生徒は約四百人もおり、さらにそれが十クラスにも分けられているわけで。
 いくらナツカワ君とアンズのお友達と言えど、当然、今回初めて会う人もいる。
 なので少し緊張していたけれど……。
 たった今返ってきた、明るく良い雰囲気の声に、わたしはホッとする。
 よかった。これなら、本当に意欲的に取り組んでもらえそうだ!
 さらにナツカワ君はここでも、大変な気遣い屋さんなのであった。

「サカイ君のことは、すでにみんな知っていると思う。
 『部活対抗・期末テストグランプリ』では素晴らしい成績を上げていたし、僕とキリタニ君の友人でもあるからな。
 彼女は星が丘大学を志望されており、今回は一緒に勉強をしながら『正座先生』として僕らに、正座をしながら勉強することで学習効率を上げる勉強法『正座勉強法』を教えていただけることになった。
 だけど今日は僕が無理を言って来ていただいただけなので、本格的な参加は明日以降となる。
 なので今日は正座の指導はせず、挨拶程度の感じで……」
「ううん。いけるよ!」

 ナツカワ君はどうやら、あらかじめきちんと話し合い、約束して決めた日程でわたしが参加を始め『今日から、しっかり正座を教えます!』という展開にするよりも、今日、とりあえず挨拶だけ先にしておいた方が、あとあと指導しやすいのではと考えてくれたようだ。
 その気持ちが、本当にありがたい。
 だからこそ、わたしはますますやる気が湧いてくる。
 ナツカワ君に、アンズに、そして今日初めて会ったみなさんに『大丈夫だよ! これでも指導はし慣れてるんです!』とアピールしたくなってしまうのだった。

「わたし、今日ここに来ているみなさんが正座に関心を持ってくれていることを、とても嬉しく思っています!
 確かに今ナツカワ君がおっしゃった通り、今日は挨拶をするくらいのつもりで来ていました。
 だけど、もしすでに正座に関する疑問などがあれば、ぜひお答えしたいです!
 なんでも聞いてください!」
「えっ!? じゃあ、早速なんだけど……」

 わたしがよほどやる気満々に見えたのだろう。
 なんと早速手が上がり、わたしはとても嬉しい気分になる。
 だけど、そこでふとナツカワ君の方を見ると『本当に大丈夫かい?』と言っているような、心配そうな視線が送られてくる。
 わたしが自分で言い出していることとはいえ、事前準備なしで指導ができるのか、案じてくれているのだろう。
 わたしはそれに『大丈夫!』と目配せをすると、一度大きく息を吸って答えた。

「はい! 大丈夫ですよ。どうぞ!」
「質問内容は、これから勉強中に正座を取り入れる上で、最初に確認しておきたいことなんですが……」

 質問をしてくれたのは、一年生の時同じクラスだった『ハルノ』君だ。
 小柄で中性的な雰囲気の、話しやすい感じの男の子である。
 確か彼は、とても成績が良かった。『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』にいるのも納得である。

「実は僕、身長が低いことを気にしてるんですが」
「うん?」

 しかし彼の質問は、意外なところからやってきた。
 一体、これはどういったタイプの質問だろうか?
 不思議に思っていると、話はさらに意外な方向へ転がって行く。

「都市伝説みたいな話なんですが、正座をすると、身長が伸びにくくなると聞きました。
 ほら、欧米の人達は正座をする習慣がないから、今も昔も、背の高い人が多い。
 だけど日本人。特に昔の日本人は、いつも正座をしていたから、足が短い人が多かった。
 でも、正座をやめた今は、足の長い人も増えた……。
 つまりこれは正座をやめたことで、身長が伸び、結果的に足も長くなったんじゃないか? なんて言われているじゃないですか。
 僕、勉強も大切ですが、身長を伸ばすことも諦めてないんですよ。
 だから、サカイさんの口から、このうわさは単なるデマであると直接否定してもらうことで、安心したいです」
「なるほど」

 どうしてかはわからないけど、正座と言うものは、今のハルノ君の質問のように、なぜか誤解されてしまうことが多い。
 『正座をしていると、足が短くなる』
 このうわさは、確かにわたしも聞いたことがある。
 だけど、一体誰が最初に言い出したんだろう……。

「では、お答えします。
 結論から言うと、それはハルノくんの言う通り、デマです。
 昔の日本人は確かに今の日本人よりも小柄だったけれど、それは、正座に原因があるわけではないの。
 原因は主に、食生活なんですよ。
 今の日本人が欧米の人みたいに足が長く、高身長になってきたのは、正座をやめたからではなくて、彼らの食生活をまねるようになったからなの。
 食生活が変わったことで、得られる栄養も増えたし、骨格そのものも変わったんだね。
 だからまず、正座をすると足が短くなるというのは完全に無根拠です。
 次に、正座をしたからと言ってすぐに身長が伸びる、ということはないけど……。
 せめて少しでも身長を高く見せたいと思っているなら、正座はとてもお勧めだよ」
「えっ!? どういうこと?」

 想像以上の食いつきだ。
 これは、きちんと説明できれば、ハルノ君は間違いなく正座を始めてくれるだろう。
 わたしは、一年前わたしに正座を教えてくれた『元祖・正座先生』ともいえる友達の顔を頭に思い浮かべながら、続きを話した。

「わたしのお友達に、剣道をやっていて、子どもの頃から日常的に正座をしている子がいるんだけど。
 とにかく姿勢が良くて、正座して座っているときはもちろん、立って歩いているときも、背筋がスラッとしていて、すごくスタイルが良く見えるんだ。
 でも、逆にこれが姿勢の悪い状態。
 たとえば猫背になっていると、そうはいかないよね。
 背中が曲がっている分、実際よりも、小柄に見えてしまう。
 しかも猫背は、心臓や肺、消化器官が圧迫されてしまって、その働きが悪くなってしまうの。
 同時に、血流も悪くなっちゃう。
 さらに、身体の歪みもひどくなってしまうんだ。
 結果的に、成長……具体的には、身長の伸びにも影響してしまうと言われているよ。
 だから、正座を日常生活に取り入れると、姿勢を良くなり、身長を高く見せられる。
 逆に、背中が曲がったままでは、将来的に身長の伸びに影響が出てくるということをお伝えしておきます!
 身長を高く見せたいのなら、どっちを選ぶとより効果的かは、もう明白だよねっ?」
「まったくだ!
 ……僕、今日から正座を始めるよ。
 それにしても、こんなにスラスラ答えてくれるなんて『正座先生』の名は伊達じゃないね。
 こういう質問、され慣れてるんでしょう?」
「ウフフ……。まあその通りかな」

 ハルノ君の言葉が嬉しくて、思わずニヤニヤしてしまう。
 すると……。

「あのぉ……」

 『こういう質問、され慣れているんでしょう』というハルノ君のお褒めの言葉が、次の質問につながったらしい。
 今度は別のところから、そーっと手が上がった。

「私も質問して良いかなぁ……」

 えーっと、この方は……?

「こちらは私の中学時代からの友人の『フユモリ』さんよ。
 リコと会うのは今日が初めてでしたね。
 フユモリさんは大変優秀な方よ。
 『部活対抗・期末テストグランプリ』でも、個人部門で三位。
 総合成績でも十位に入っているの」
「あ、アンズ、ありがとう!
 フユモリさん、初めまして。質問どうぞ!」

 わからなくて困っていると、アンズが助け舟を出してくれた。
 つまり彼女・フユモリさんは、ナツカワ君と同じ『同じ高校に通っていて、さらに共通の友達がいるのに、今まで出会わなかった人』ということか。

「私も、体型のことなんですけどぉ……」
「はい! どうぞ!」

 質問。
 それは、たとえ『お気軽に何でも聞いてください』と言われても、最初の質問者になるのは結構勇気のいるものだ。
 だけど、さっきのハルノくんみたいに、一人目の質問者になってくれる人が現れれば、二人目以降の人も、質問しやすくなるものだ。
 ありがとう、ハルノ君……。
 わたしは先陣を切ってくれたハルノ君に感謝しつつ、フユモリさんの次の言葉を待った。

「私、見ての通り、太めで……。
 単純に、他の人より、身体についている肉が多いからぁ……。
 正座をしてみたい気持ちはあるんですが。
 ……正座をしたら、私の腰や膝は、大丈夫なのかなぁ? 
 この重たい上半身を支えるなんて、すごく負担がかかってしまうんじゃないかなあ?
 ……って、不安なんですよぉ。
 太っているのはもちろん、私の責任ですけどぉ。
 もし私の不安が的中して、無理に正座をし続けることで怪我をしてしまったら。
 受験にも響いちゃうかもですよねぇ?
 なので、ハルノ君みたいに……。
 正座を始める前に……その不安を払拭しておきたいんですよぉ」
「なるほどぉ。つまり、自分の膝や腰が心配であるとぉ……?」
「そうなのよぉ」

 思わず、フユモリさんのゆっくりした口調が移ってしまった。
 だけどこれも、わたしはサラリと解決できる。
 なぜならこういう質問も、普段からされ慣れているからね!

「大丈夫です。フユモリさんの心配は杞憂です。
 いいえ……断言しましょう。
 正座をすると、身体への負担が減るどころか、痩せます!」
「なんですってぇぇー……!」

 フユモリさんは、驚いても口調はゆっくりのままであった。
 だけどやはり食いついてくれている。
 なぜなら、座り方が明らかに前のめりになったからである。

「まず、姿勢と体重には、深い関係があります。
 先ほどハルノ君にもお伝えした通り……。
 姿勢が悪いと、心臓や肺、消化器官が圧迫されてしまうので、内臓の働きが鈍ってしまうからです。
 これが、くせものです。
 内臓の機能が弱っていると、内臓脂肪がつきやすくなっちゃうんですよ。
 確かにフユモリさんが今おっしゃった通り、正座をすると、下半身に体重がかかる形になります。
 なので、体重が重めの人は、軽めの人よりも早く苦痛を感じる傾向は確かにあります。
 太ももの脂肪が多いと、足をうまく折り曲げられないということもあるかと思います」
「そうなのぉ。しかも、正座だけじゃないのよね。
 他の座り方をしていても、すぐ足が痺れちゃって。
 じゃあ『もう、私は床には座れない。ずっと椅子に座ってるしかないのかな?』って思うことがあるのぅ」
「そうなんですね。だけど、心配いりません。
 正座をすると背筋が伸びるので、骨盤内の内臓も、本来の位置に収まるからです。
 さらに、背筋が曲がっているときや、正座以外の座り方をしているときよりも、血流は悪くなりにくくなります。
 最初は慣れなくて、つらいかもしれませんが……。
 やがて『正座している方が体調がいい!』『長時間座り続けやすくなる!』と、効果を実感するはずです。
 しかも、背筋をピンと伸ばし続けていると、ほんのわずかですが、カロリーを消費するので……。正座ダイエット、なんていうのもあるんですよ。
 骨盤矯正効果も抜群、インナーマッスルも鍛えられます!
 それでも不安なら、まずはお風呂で正座を始めてみるとグッドです!
 お風呂の中では血流が良くなるので、痺れにくくなるんです!」
「な、なるほどぉ……!
 なんだか途中からセールストークっぽくなってきたけれど……。
 せっかくだから、試してみたいわぁ……!
 じゃあさっそく! もう他に質問がないならぁ、いい正座の仕方を教えてもらおうかしら……」
「もちろん! では……」

 と、わたしが早速正座をしようとすると。

「ま、待って! ワタシも!」
「いいや、俺にも一つ質問させてくれ!」

 と。なんと、メンバーのみなさんから、次々と手が上がるではないか。
 これはいける……いけるぞ……。
 というか、かつてわたしの『正座先生』活動の中で、ここまでモテモテだったことがあるだろうか。いや、ない。
 こんなに興味を持ってくれてることなんて、初めてかもしれない!
 勉強優先の日々ではあるけれど、この調子なら、『正座先生』としても、バッチリ活動できそう!

「慌てないで、みなさん。
 質問にはすべて、バッチリ答えさせていただきますから……」

 わたしは余裕のあるふりをしながら、内心ガッツポーズをした。


「そろそろ休憩にいたしましょうか。みんな、お疲れ様です」

 そして、午後五時ごろ。
 アンズのそんな一言で『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』は、一度勉強を休憩することになった。
 あの後わたしはたっぷり質問をいただき、それに答えてから勉強を始めたので、少しクタクタだった。
 なので、アンズの提案は非常に嬉しい。
 しかも、わたしは今日午後からの参加だったけれど、わたし以外のみなさんは、朝からキリタニ家に集まって勉強をしていたらしい。
 だからみなさんは『休憩』の一言にようやく気分がほぐれたような雰囲気で『うーん』と伸びをしたり、スマートフォンを開いたり。思い思いの行動をし始めた。
 じゃあ、わたしもアンズたちとおしゃべりでもしようかな……。
 でも、ちょっと外にも出たい。
 だけど一人で勝手に外へ出ていくのはなぁ……。
 と思っていると。そこで、ナツカワ君が立ち上がった。

「では、僕は散歩がてら、お菓子でも買いに行こうかな。
 みんなにアイスを買ってくるよ」

 ナツカワ君、ナイスアイディアである。
 わたしも外の空気を吸いたい気分だったし、ここはぜひ同行させてもらおう。

「あ! わたしも行くよ!」
「おや。では、お付き合い願おうかな」

 こうしてわたしたちは、アンズの家からすぐのコンビニまで、散歩へ行くことになった。
 夏の四時は、夕方とは思えないほど明るく、太陽がジリジリと照りつける。
 そんな中をわたしたちは、テクテクと進んでいく。

「『正座先生』の質疑応答、大盛況だったね。
 あれでみんな不安要素もなくなり、安心して正座ができそうだ」
「うん! びっくりしてる。こんなに手ごたえがあるなんて、思ってなかったよ。
 ……でも、メンバーがすごすぎてびっくりしちゃった。
 ハルノ君が勉強得意なのは知っていたけど、今日初めて出会ったフユモリさんたちも、超優秀だもんね。
 そんな人たちに『先生』って呼ばれるのは不思議な気分だったよ」
「アハハ。不思議な気分だったのは、僕も同じだよ。
 ハルノ君たちとは以前から親しくさせてもらっているんだが、昔馴染みばかりなので。
 そこに今回、新しくメンバーが増えるというのは、新鮮だった。
 さらに、それが最近仲良くなったばかりのサカイ君であるというのは、なんだか感慨深いものがあったよ」
「わたしも同感!
 ハルノ君たちとわたしって、いわばお互い、ナツカワ君とアンズを通じて知り合った『友達の友達』ってやつじゃない。
 紹介してもらえて、嬉しかったよ」

 そうなのだ。
 今日のこの縁は、ナツカワ君の存在がなければ成立しなかった。
 さらに言えば『部活対抗・期末テストグランプリ』で頑張ろうと思わなければ、ナツカワ君と出会うこともなかった。
 だから、おそらく『部活対抗・期末テストグランプリ』が実施される前……つまり、二か月くらい前のわたしに『数学部の部長のナツカワ君と友達になったよ』と言っても『数学部の部長? それって、だぁれ?』と言われてしまうと思う。
 そう思うと、人生はつくづく不思議だ。
 こんな数か月程度の、ほんの少し未来だって予想もつかないことばかり。
 だから、たとえば来年の自分達がどうなっているのかなんて、いよいよ見当もつかない。
 もっと言えば、今目の前に見えてきたコンビニさえ……。
 数時間前には、今日来店することになるとはまったく思っていなかった場所なのだ。

「うわぁ、品ぞろえがすごくいいね! 何にしよう?」
「僕はバニラ味にする。サカイ君は?」
「わたしはストロベリー味! アンズは……」
「キリタニ君はラムレーズン味が好きだよな。これにしよう。
 ハルノ君はチョコレート味がお気に入りなんだ」
「ダイエット中って言ってたフユモリさんはどうしよう?」
「カロリー控えめの氷菓なら安心だろう」

 ナツカワ君は『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』のみなさんと、本当に仲がいいようだ。
 こんな感じで、あっという間に各々の好みのアイスを選び、買い物は終了してしまった。
 だからこのまま、特に何事もなくアンズの家に戻るのかと思っていたのだけど……。
 帰り道、ナツカワ君は、こんな質問をしてきた。

「サカイ君。
 君は勉強する時『自分は絶対合格できる!』と信じながら勉強しているかい?」
「えっ?」

 思わず、ドキッとする。
 なぜならばそれは、自信を持って『イエス』と言える質問ではなかったからだ。
 前述の通り、成績にむらのある高校生活を送ってきたわたしである。
 絶対に合格したいという気持ちはあるけど、絶対に合格できるレベルの成績を維持できているわけではない。
 だから……『ノー』の方が、自分の気持ちとしては近い。
 だけどわたしはこう答える。
 同じ目的に向かう集団の中で、一人沈んでいる人がいると、それが周りに伝染してしまうことがあるからだ。
 カラ元気でも、少し無理をしていても。明るく、明るく! が大切なのである。

「も! もちろん『イエス』! 急にどうしたの?」
「そうだよね。僕も当然、絶対合格したいと思って毎日勉強しているよ。
 でも、不合格だったときのことも考える」
「そうなんだ……?」
「うん。
 ……まあ、こんなことみんなの前では言えないけどね。
 いつも場を仕切りがちな、僕みたいなハリキリ屋は、あまりネガティブなことを言ってはならない」

 でも、やっぱりわたしたちは似た者同士である。
 ナツカワ君は、わたしと同じ意見で、だからこそ今こっそり不安な気持ちを打ち明けてくれたようだ。
 であればわたしも……正直になってもいいかもしれない。

「その気持ち、わかるよ。
 部長とか、リーダーをやる人は、いつもできるだけ落ち着いて、明るい雰囲気を作れる人でなくちゃならないもんね。
 ……でも、不合格だったときのことをまったく考えない人なんていないと思う。
 ごめん。さっきの『イエス』って言うのは嘘。
 めちゃめちゃ『ノー』なの。本当は、かなり不安」
「そうだよね。だったら、ここだけの話ってことで、聞いてくれるかい?」
「もちろん!」

 わたしは頷き、わたしたちの歩くペースは、気持ち、ゆっくりになる。
 気づくと辺りは少し暗くなり始めていて、向こうの公園で遊ぶ子どもたちは、帰り支度を始めていた。
 ナツカワ君はそんな夏の風景を歩きながら、ポツポツと語り始める。

「……時々、僕はこんなことを考えるんだ。
 もし、僕が不合格になった場合。
 うちは家計が厳しいので、僕は浪人することになるだろう。
 浪人生活は未経験だから想像するしかないが、それはおそらく、とてもつらい時間になるだろうって。
 何せ、一年という期間は、長いからね。
 不合格になった直後は『来年こそは!』という気持ちで勉強に力が入るだろうが……。
 数か月後は、どうなってしまうだろう。
 成績がうまく伸びない。
 無事合格した友人達が、楽しそうに過ごしている。
 たとえばそういった事態に直面して悲しくなったり、自分に腹を立てたりして、勉強への意欲をそがれてしまうことが起きるだろうと思う。
 つまりだ。僕は現役合格を目指しながら、同時にもし浪人生として過ごすことになった場合のことも想定して生活した方がいいわけだ。
 具体的には一年間、精神的に腐らず、できるだけ高いモチベーションを維持する方法を発見する必要がある。
 特効薬的なものを見つけるのは難しいかもしれないが、たとえば落ち込んだとき精神を落ち着ける手段や、集中力を長く維持する方法は、ぜひ欲しいと思っている。
 ……周囲には『落ちたときのことなんて考えている暇があったら勉強しろ!』と言う人もいるけど。
 真剣に取り組んでるからこそ、僕はうまく行かなかったときの可能性を考慮してしまう。
 サカイ君はどうだい?」
「わたしもだよ。
 わたしはみんなみたいにずっと成績がいいわけでもないし、志望校も、最近決めたくらいだから。
 不合格になるって未来も、全然考えられる話だもん」
「やっぱり、サカイ君も考えるんだね。
 逆に、無事合格できた場合も、心配は尽きないよな。
 安心して、自堕落な大学生活を始めてしまうかもしれない」
「わかる! 大きな目標を達成した後って、次に何をしたらいいかわからなくなっちゃうもんね」

 ナツカワ君の今の言葉で思い出したけど、わたしは以前、いわゆる燃え尽き症候群になったことがある。
 高校三年生になった直後、わたしは茶道部に入部してからずっと目標にしていた『廃部寸前の茶道部を存続させる』という大きな目標をとうとう果たした。
 なので『これからはいったい、何を目標に頑張ったらいいんだろう?』とポッカリ心に穴が開いてしまい、漫然と過ごした時期があったのである。
 大きな目標を持って充実した生活を送り、目無事に果たせたからこそ、達成した後に感じる不安は大きい。
 たとえば『わたしを主役にした小説があるのなら、それは茶道部を無事存続させられた時点で完結するものなのだ!』と思っていたわたしが、その先の未来を描けず、しばらく燃え尽きてしまったように。
 そんなわたしがなんとか意欲を取り戻せたのは、自分が茶道部の部長となったことにあった。
 茶道部の部員は、みな初心者ばかりなので、唯一の三年生であるわたしには、育成の義務が残っていた。
 だからわたしは、今度はそちらを頑張らなくてはならなくなったからである。
 そうして育成に力を入れているうちに、わたしは『高校卒業で茶道をやめてしまうのはいやだ。続けるにはどうしたらいいだろうか』と考えるようになった。
 そして今の『星が丘大学に入学して、茶道を続けたい』という新たな目標が生まれたのだ。
 ところで……今の話で、なぜナツカワ君が今回わたしに『正座先生』になってほしいとお願いしたのか、少しわかってきた気がする。
 ナツカワ君は、おそらく……。

「ナツカワ君は、合格できた場合も、不合格だった場合も。
 いずれにせよ、モチベーションが下がってしまったり、次の目標を見つけられなくなってしまったりする可能性はあるから……。
 そのときの打開策として、たとえば落ち込んだとき精神を落ち着ける手段や、集中力を長く維持する方法として、正座を活用できないかなって思ったんだね?
 健康法としても、集中法としても優秀な正座を、受験勉強を通じて習得した。だから、勉強がうまく行かないときも、正座を使って自分をよい方向へ持って行けた。っていう経験をつくることで……。
 今後困ったときも、気分転換の手段にできる。って!」
「よくわかるね。その通りだよ。
 僕は、先日サカイ君に正座を教えてもらったことで、正座は、精神の安定にとてもいいスキルだと気づいた。
 先ほどハルノ君たちに説明していた通り、背筋が伸びて、身体に負担のかからない体勢になるのが、精神的にも良い方向に作用するんだろうね。
 だから、正座をみんなで学べば『ものすごく大きくて、良い変化!』とまではいかなくとも。『確実に、少し良い方向に変化できる方法』として活用できるんじゃないかと思ったんだ」

 そうか、正座を、ナツカワ君はそんな風に捉えていてくれたんだ……。
 わたしは嬉しくなり、アイスの入った袋を持って思わずジャンプしてしまう。
 『正座先生』として活動し続けてきて、よかった。
 正座を人に教え続けることで、わたしは、正座を単なる座り方の一つではなく、もっと他の可能性を持っているものだと気づいてくれる人と出会えたのだ。

「そうだったんだね。
 だったら、わたし……『正座先生』として、今回新しくやりたいことができたかも」
「うん? 一体、なんだろう?」

 おかげでわたしはまた、小さな目標を発見したのだった。
 それを叶えるためにはまず、このアイスをみんなに届けるところから始めなきゃ!

「フフフ、まだ秘密。勉強会の最終日。楽しみにしていてね!
 よーし! アンズの家までダッシュだよナツカワ君!」
「ま、待ってくれー!」

 こうして今後は、昼間の光景とは逆に。ナツカワ君がわたしに引っ張られるような形で、わたしたちはアンズの家に戻ったのだった。


 そして一週間の勉強会は終わり、今回のわたしの『正座先生』活動も、あともう少しで終わりとなった。
 なのでわたしは解散直前に、少しお時間をいただいて『星が丘高校・志望校絶対合格チーム』のみなさんに、とあるものを配ることにした。
 それは……。

「賞状?」
「はい! みなさんが『正座先生』による講義を受講し終え、将来の『正座先生』として一歩踏み出した証の賞状です!
 みなさんは、この勉強会で、勉強と並行して、正座の仕方を学ばれました。
 これは、つい勉強のことにばかり意識が向きがちで、精神的にピリピリしがちなこの時期において、本当にすごいことだと思います。
 なので、この時期、しかも一週間という短い期間に正座を習得できたというのは、みなさんに気持ちの余裕がある証であり、高い能力を有している証拠になります。
 だから、自信をつけていただきたくて、この賞状を作ってみました!
 これから、受験勉強はますます大変になって、つらい時期も訪れますが……。
 そのときは良かったらこれを見て……。
 『ちょっと疲れてきたけど、わたし、受験勉強しながら正座を習得するほど努力家なのだから、もう一息頑張れるはず!』
 ですとか。
 『そうだ、熱中するあまり姿勢が悪くなっていたけど、正座の姿勢に戻して、深呼吸しよう!』
 と、姿勢を整えて。
 自分を鼓舞していただきたいんです!
 ……いかが、でしょうか?」

 勢いでここまで言い終えて、ドキドキしていると……最初に口を開いたのはやはり、ハルノ君であった。

「……ねえ。この賞状があれば、僕身長伸びそうじゃない……?
 辛くなったときも、この賞状を見て背筋を伸ばして……。
 いつか百八十センチ越えの長身美男子になってみせるよ」

 次に言葉を発したのは、フユモリさんである。

「なら、私もダイエットに成功できるかもぉ……!
 そうよねぇ。
 この一週間で、わたし、本当は苦手だった正座がすっかり得意になったし。
 それって、不得意を克服できた証よねぇ……。
 だから、同じように『ダイエットも勉強も無理かも……』って思ったときにこの賞状を見たら『いや、そんなことはない。正座はできるようになったんだから』って励みになりそう!
 私、正座をきっかけに変われそう!
 ねえ、賞状。ぜひくださいな!」

 こうして、今回の『正座先生』活動で得た新しい友達の言葉に嬉しくなっていると、今度は、そのきっかけをくれた人たちが微笑む。

「その賞状。当然僕もいただけるよね?
 そうだ。額を買ってこなければな!
 何事も形が大切だ」
「リコ、これは手作りなのよね?
 内容だけではなく、デザインもとても素敵です。
 私の部屋にも、ぜひ飾らせていただきたいわ」
「ナツカワ君、アンズ……!」

 わたし、正座先生をやって来て、本当に良かったなあ。
 正座を通じて変われたわたしが、今度は、正座を教えることで、交友関係を広げたり、誰かの変化をお手伝いすることができるようになっていたんだなあ。
 思わず泣きそうになってしまうけれど、そこはグッとこらえて。
 わたしは心からの『イエス』をみんなに伝える。
 こんな風にこれからも『正座先生』として活動していけるように!

「喜んで! もちろん全員分、あるんだからね!」


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