[219]バルコニーで正座して待ってて



タイトル:バルコニーで正座して待ってて
発行日:2022/02/01

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:48
販売価格:200円

著者:海道 遠
イラスト:よろ

内容
 ヒカルはマンション暮らしの安サラリーマン。マンションの大家さん根紅田家(ねくたけ)の娘、あかりに片思いしているが、言い出せない。最近、夢に出てくるダルマに勇気づけられて告白すると、あかりは「うちのバルコニーで正座して待ってて」と答える。
 当日、大家さん宅のバルコニーには、十人の男が長椅子に正座して待っていた。
 
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本文

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第 一 章 ヒカルの片思い

 最近、ヒカルの夢には真っ赤で巨大なダルマが出てくる。
 大きな目をギョロつかせて口はひん曲げている。
「男らしくさっさとコクってしまうがよい、若造よ」
「え?」
「お前の心の中なんぞ、トウの昔にお見通しだ。大家さんとこのあかりさんに思いを寄せておるのじゃろう。さっさとコクれ」
「し、しかし、あかりさんは僕を見かけても挨拶するだけで、何の取柄もない僕なんか、きっと振られるに決まってる……」
「振られてもよいではないか!」
 大轟音で怒鳴られる。
「七転び八起きじゃ! そのくらいの根性がなくてどうする? 体当たりしてみい!」
 今日の夢の怒鳴り声は、いつもより迫力があった。
(告白しろってか?)
 ネクタイは締めたものの、大きなため息が出た。
(美人で大家さんの娘さんのあかりさんが、なんて言うかな)
 マンションの玄関を出てすぐ前にあるお宅からひとりの女性が出てきた。ガーリー風とかいう花柄のワンピース姿。
 ヒカルの胸は、じ~~んと熱くなる。
 大家の根紅田さん家の娘さんのあかりさんだ。
(今日も黒髪がきれいだなあ。清純を絵に描いたような人だ。今まで何回打ち明けようと思ったことか)
 しかし……。
(僕なんて安サラリーマンで何の取柄もない男だ。あかりさんが気に入ってくれるわけないよな)
 諦めていた。
 根紅田家の裏庭にある大きな桃の木が、わさわさと風に揺れた。早咲きの桃の花のつぼみが開きかけている。もうすぐひな祭りだ。
 根紅田家では、何年かに一度、大規模なひな祭りを催すという噂がある。
(あの大きな桃の木があるせいかな? なんだか神様か妖怪でも棲んでいそうな古い大木だ)
 桃のつぼみを見ているうちに、今日は勇気が出そうな気がした。
「あ、あのう、根紅田さん」
 ヒカルが震える声をかけると、黒目がちな瞳をくりくりさせて、あかりは振り向いた。色白で丸顔、肩までの真っ直ぐな髪がひるがえる。
「あの……マンションに住んでるヒカルと言います。もしよかったら、僕とお付き合い……」
 ヒカルが最後まで言い終わる前に、あかりは、
「あ、それなら二月二十八日の午前十時にうちのバルコニーで待ってて。正座しておいてね」
 あかりは素気なく告げて、足早に行ってしまった。
「は? 正座して待ってる?」
 意味が分からなかったが、とにかく大きな一歩だ。
(待っていていいってことだな?)

 当日、ドキドキして行ってみると、玄関でしっかりしていそうな白髪の執事が、脇に置いてある長椅子を目で指図した。
「あれとラグを一枚持って、二階の裏側のバルコニーに行ってください」
 ヒカルは言われた通り、長椅子をかついで二階のバルコニーに昇った。誰もいない。枝を伸ばしてきている桃の大木が、花のつぼみと共にざわめいている。
 長椅子に直に座るのも痛いので、その上にラグを敷いて正座する。 
 すると、ひとり、またひとりとバルコニーに長椅子を持ってきて正座する男が現れる。結局、ヒカル含め十人の男が別々の長椅子に正座した。中学生から老人までいるが、すべてイケメンだ。ヒカルは自信を失くす。
(俺なんかイケメンの「イ」でもない。モテ期なんか来たことないもんな……)
 お互いの関係が分からなくて、気まずく咳ばらいする男たち。

 厳格そうな和装の中年女性が来た。眉が無く、お歯黒で歯を染めている。似たような感じのふたりの共の女性を連れている。
 続いてドッと集団でやってきたのは、小学生の男の子五人。口々に騒いでいる。
「や~い、お前、太鼓の練習サボっただろう」
「サボってないやい、お前こそ下手くそ!」
「そこの五人囃子! お静かに!」
 中年女性が小学生たちに叱りつける。ヒカルたちに向き直り、
「さて、あなたがた十人がこの一年間にあかり様に思いを打ち明けた殿方たちです」
「そうだったのか!」
 ヒカルは男たちを眺める。
(顔でも、多分収入でも男らしさでも自信がない。ダメだ……僕なんか……)
 中年女性が口を開く。
「あなたがたの中であかり様に相応しいと決まった方に、根紅田家の人間雛壇で男雛役――お内裏様の役をつとめていただきます」
「人間雛壇?」
 男たちは呆気にとられた。
「根紅田家は女系家族です。代々、女だけしか生まれません。人間雛壇は代々の重要な習わしなのです。娘が十七歳を迎えたら結婚相手を決めて人間雛を飾って、世間様に夫婦としてお披露目するという――」
「夫婦として?」
(交際ゼロ日婚とはこのことだ!)
「そうです。私は三人官女のひとり、マツと申します。五人囃子の坊主、いえ男の子たちは親戚から選ばれた子たちですが、男雛様だけは、戦って勝ち抜いて決めることになっているのです」
「ええ? 戦うんですか? どうやって勝負するんですか?」
「正座です」
「正座?」
「いかに美しい所作で雛壇の上に座り、長く正座するか」
(じゃあ、僕にも勝てるかもしれない!)
 ヒカルは厳格な家で育てられ、行儀作法にだけは自信があるのだ。
(ありがとう~~、祖父ちゃん、祖母ちゃん。僕にお行儀だけはきっちり教えてくれて)
 少し希望が出てきた。

第 二 章 正座試験の面談

 マツがひとりずつ集まった男たちに面談をする。
「正しい正座の所作をお教えしておきます。背筋を真っ直ぐにして立ち、膝をつき着物はお尻の下に敷き、かかとの上に座る。両手は膝の上にそろえます」
 まず、三十歳の会社経営者がマツに呼ばれた。身なりもきっちりしていていかにもやり手だ。しかし、マツの前で正座すると三十秒もしないうちに転んでしまった。
「あれ? そんなはずは……」
 若手の会社経営者は首をかしげながら立ち去った。
「はい、次!」
 次は中学三年生の少年だ。野球部のキャプテンだという。
「野球部なら下半身も鍛えてますね。はい、正座して下さい」
 少年ははりきって正座した。が、かかとの上に座ろうとした時に足をねじって転がってしまった。
「え~~? ウソだろ~~?」
「はい、次の人!」
 次は六十代の初老の男性だ。
「わしは日本舞踊を二十年してきておる。正座なんぞ基本中の基本だ」
 しかし、いざとなると足首が震えてまっすぐ立つことさえできなかった。
「残念ながら失格ですね。はい、次の人!」
「ウッス! 体育大学の学生でラグビー部主将をやっています!」
 筋肉だるまだ。彼ならしっかり正座できそうだ。
 しかし……だるま体形だけに腰を下ろしてからふらふらして転んでしまった。
「大変、残念ですが失格ですね。次の人、どうぞ」
 ため息をつきながらマツが呼んだのは、最後に残ったヒカルだ。
(よおし!)
 自信満々、臨んだヒカルだったが、かかとの上に座ろうとすると何故かうまくいかない。すってんころりん、転んでしまった。
(あれ? 変だな……)
「やれやれ、どの殿方も……。バルコニーで待ってる間は正座ができていたというのに、どうしてかしら?」
 マツがため息をついた時、
「いい加減にしてよ! こんな決め方……」
 黙って見守っていたあかりが叫んだ。
「いったい、正座が夫になる人の人格とどういう関係があるの?」
 今日のために着たひすい色の晴れ着の袖をぶんぶん振り回した。
「あかりお嬢様!」
 マツが間髪を入れず叫んだ。
「また、駄々をこねられて。マツは、お嬢様のお世話係として困りますよ。旦那様、奥様からすべてを任されてるのですから。正座できるということは、深い意味があるのですよ。おいおい分かります」
「だって……。私が正座できないのに、正座が上手にできるお婿さんなんて、肩身がせまいわ。絶対にイヤだわ」
 あかりは泣き出した。
 マツが肩を引き寄せた。
「お嬢様がよちよち歩きを始められてから、毎日のように正座のお稽古をおさせしたというのに、なぜ、できないのでしょうねえ」
 雛壇では両足は緋色の袴の中だから、平安時代のように少々緩く座ってもいいのだが、厳しいマツは許さない。
 ヒカルは驚いた。
(あかりさんが正座できないなんて! 人間雛壇を催す家柄のお嬢さんなのに……)

第 三 章 妖怪ピーチクパーチク

「桃の節句の三月三日まで後、少ししかありません」
 マツはあかりをどうにか鎮めてから、仕方なく先のことを進めた。
「あなた! ヒカルさんとやら」
「え、僕ですか」
「とりあえず、男雛がいなくては練習のしようもありません。仮にでいいから男雛の役をやってちょうだい」
 マツは、三人官女役のタケとウメに手伝わせて、あかりとヒカルを正座させようとする。しかし、何度やってみてもふたりともうまく正座できない。 
 ヒカルは不思議でしかたない。    
(普段どおりの正座ができないなんて)
 桃の大木が風に揺れて、ゴウゴウ音を響かせている。
 雛壇のうちのひとり、随身役の左大臣の老人が、いきなり持っていた弓矢を構えてヒカルに向けた。
「ひぇっ、なんですか、急に! 僕が何かしましたか?」
 慌てたヒカルは、あかりの持っていた檜扇で身をかばおうとする。
「あかりお嬢様から下がれ! 下がらぬか!」
「ひぇ~~! やめて下さい!」
 ヒカルは逃げ出すが、ホウキを持った仕丁(身分は庶民の召使い)装束の若い男が立ちはだかって大声で泣き出した。
「わ~~~ん、わ~~~ん、あかり様はおいらのものじゃ」
 その泣き声と言ったら、バルコニーから辺り全体に響き渡るほどでかい。ヒカルは両耳をふさぎながら逃げまどった。
 しばらくして、泣き声がぴたりと止むと、今度は笑い声が響いた。
 塵取りを持った仕丁姿の男が、大笑いしながら、追いかけて来る。
「わははははは、あかり様はわしのものじゃ。塵取りですくってくれるわ、若造。わはははは、覚悟せい! わははははは!」
(巨大な塵取りにすくわれちゃかなわん!)

「妖怪! 分身して皆に憑りついたわね」
 マツが厳しい声で叫んだ。
 ヒカルはバルコニーから庭へ飛び降りて、やっと逃げ切ったと思ったら、今度は怒りで真っ赤な顔になった仕丁が熊手を振り上げて襲ってくる。
「こらあ! あかり様を貴様のようなへなちょこ男にくれてたまるものか! 熊手でひっかいてやるから、そこへなおれ!」
「うわあ~~! やめっ、やめて下さい! なんで僕がこんな目に!」
 ヒカルは心臓がやぶれるくらい屋敷や庭の中を逃げまわり、三人官女役のマツ。タケ、ウメも、左大臣右大臣も、仕丁の三人も走り回ってヒカルを追いかけた。
 婿の候補者の男たちも、恐ろしさにつられて逃げまどった。

 やがて――目に見えない憑りついた妖怪も、ついに疲れ果てたらしく気配が弱くなった。皆がヒカルを追いかけるのをやめ、肩で息をして座りこんだ。
 マツがこの隙を逃さず怒鳴った。
「いい加減に正体を現しなさい!」
 激しかった風がピタリと止まり、妖怪はぼんやりと姿を現した。
 桃そっくりのピンクの大きな頭に、銀みどり色の長いボサボサ髪を垂らしてふたつに分け、胸のところで両手で握っている。足には大きな桃の葉っぱの草履を履いている。
 着物はつぎはぎでズタボロだ。
「お前は何者だ!」
「おいらは、桃の妖怪ピーチパーチクじゃ。あかり姫が好きで好きでたまらん。……お~ん、お~ん。一緒になってくれなければ一生泣きやまないぞ」
「泣き上戸になってるわね。桃酒を飲んだのでしょう」
 マツがとげとげしく言った。
 ヒカルが、
「おい、妖怪ピーチクパーチクとやら。あかりさんと結婚するには正座ができなければならないんだぞ」
「正座?」
 ピーチクパーチクのピンクの顔が真っ青になった。
「正座は―――できない……。この通り丸い桃だから、正座しようとしても転がってしまうのだ」
「では、あかりさんのことは諦めろ。彼女も正座ができないが、僕はあかりさんに正座を教える!」
 ヒカルは宣言した。
(こんな変な妖怪に、あかりさんを取られてたまるか)
 益荒男(逞しい男)さながらの勇気がむくむくと湧いてきた。
(今日は夢に出てくる赤いダルマの言うことをきいてよかった!)

第 四 章 あかりの正座特訓

 根紅田家の座敷である。
 家は洋館と和式の建物に別れている。大正時代に流行った形式の建築物だ。
 障子越しに日差しが入ってくる座敷で、ゆかりが着物を着たまま、緊張した面持ちでぺったり座っている。
「あかりさん。……というわけで、僕が正座を指導することになったヒカルと言います。宜しくお願いします」
「……」
「そう固くならないで下さい。穏やかにお教えしますから」
 あかりはコクンと頷き、肩を過ぎた辺りで切りそろえられた黒髪が簾のようにパラパラと揺れて、ヒカルはドキンとした。
(なんて清楚で愛らしい人だろう。きっと正座をできるようにしてあげよう)
 ヒカルは立ち上がった。
「まず、背筋を真っ直ぐにして立ちます。そして、前の床に膝をつく。あかりさんは膝の内側に着物の裾を挟みこみ、それからかかとの上に座って下さい」
 あかりも立ち上がり、ヒカルの見守る中で正座の所作をしていった。正座できた!
 と、思ったとたん転がってしまった。
 あかりは恥ずかしさのあまり、真っ赤になって両手で顔を隠した。
 何回も指導してみたが、同じ失敗の繰り返しだ。
「不思議だなあ、どうしてできないんだろう」
 突然、笑い声が響いた。
「わっはっは、大きな口をたたいても、現実はこれか」
 妖怪ピーチクパーチクだ。
 桃酒のとっくりを持って、ちびりちびりとやりながら笑って涙を流している。酒が入ると泣き上戸なのだ。
「うわ~~ん、あかりさんが知らないヤツに正座を教えてもらってる……。悔しい、悔しい」
「うるさいぞ! ピーチクパーチク!」
 でかい頭そのままに畳の上で転がって駄々をこねている子供のようだ。ヒカルはイライラした。
「知らないヤツとはなんだ! 俺はあかりさんとこのマンションに住まわせてもらって三年も経つんだぞ」
「俺はあかりさんちの桃の木に棲んで、三百年だ! うわ~~ん、三百年も、根紅田家の娘に惚れ続けているのに、正座ができないために、婿になれたことがない……。うわ~~ん」
 表面の皮がふやけるほど、涙を流している。
「三百年だと? では、お前こそ三百年分の愛で、正座してみせろ」
「なに? 正座してみせろだと?」
 ピーチクパーチクこそ、何故だかうまく座れない。ヒカルの目の前でやってみたがやはり転んでしまう。
 ヤケ酒をガバッと飲んで、よけいに泣き出した。その泣き声の大きいこと。

第 五 章 ダルマ同席

 その夜、自分の部屋に帰ったヒカルは、寝床に入ってから、ダルマに打ち明けた。
「ダメだ……。全然、うまくいかない。ダルマ。あんたの言った通り、七転び八起の精神で告白した後、さんざん手間取っている……」
 疲れが出たのか、ヒツジが二匹くらいでヒカルは眠りに入った。夢にいつものダルマが出てきた。
「若造、ずいぶん苦労しているようじゃのう」
「のんきな言い方をしてくれるな。あかりさんに正座を教えることになったが、全然うまくいかない」
「明日はわしも根紅田家へ同伴しよう」
「夢から出てくるのか?」
 ヒカルはびっくりして飛び起きた。もう夜明けだった。

 次の日の午後、ヒカルが正座の稽古の時間に根紅田家にうかがうと、座敷に妙な三人が待っていた。
 巨大なダルマは中央に居座っている。大きい。天井に頭がつかえそうだ。
 あかりも浮かない顔で床柱にもたれて立っている。
 ピーチクパーチクは、すでに出来上がっている。床の間にデンと座り、とっくりを持って泣きながら桃酒を飲んでいる。
「ピーチクパーチク。お前は根紅田家のひな祭りを憎んでいるな? そのためにあかりさんは正座ができないんじゃないか?」
「俺が根紅田家のひな祭りを憎んでいる?」
 とっくりから杯に桃酒をそそぐ手を止めて、ピーチクパーチクは目を見開いた。
「そんなバカなことがあるはずないだろ。おいらは根紅田家の大きな桃の木に住まわせてもらってるんだぞ。―――でも……、そうだな、ひな祭りはイヤだな。三百年間、家の娘がひな祭りで婿を決めて継いでいく姿を見るのはイヤだったな……。おいらは根紅田家の娘の婿になることを夢見ているのに、いつも、他の男に娘は奪われる。悔しくて悔しくて……」
 ピーチクパーチクの鼻が赤くなってきたと思うと新たな涙がどっとあふれた。
「悔しくて悔しくて、ひな祭りなんぞめちゃくちゃにしてやりたい!」
「それじゃ! お前のその憎しみのせいで、あかりさんは正座ができなくなっているのじゃ!」
 巨大ダルマが嵐のような声で叫んだ。
「娘さんだけでなく、己の身にも跳ね返ってきているのじゃ! このままではお前は永遠に正座ができんぞ!」
 ピーチクパーチクは雷に打たれたように立ち上がった。顔は蒼白になり、手から桃酒のとっくりと杯が落ちた。
「お……お……おいらは、どうすればいい?」
 ダルマは肩にかけていた衣をかけ直し、ぎょろつく目玉でピーチクパーチクを見下ろした。
「己の憎しみを捨て、根紅田家に感謝するのじゃ」
「感謝する?」
「そうじゃ。お前が今まで生きてこれたのも、根紅田家の桃の木が健康に茂っていたからじゃ。大らかな心を持て、ピーチなんとやら。自分の思い通りにならないからと言って、憎んだりしてはならぬ。それが心の七転び八起きということじゃ」
「心の七転び八起き……」
 聞いていたヒカルも繰り返した。
「心の七転び八起き……」
 しばらく考えこんでいたピーチクパーチクは、再び叫び始めた。
「イヤじゃ! なんと言われようと、ひな祭りでお嬢様の婿が決められるのはイヤなんじゃ!」
 黙っていたあかりが一歩前に出てきた。
「私も正座ができないことより、ひな祭りのついでみたいに夫を決められること、それがイヤなのよ! あんた、話が分かるじゃない、ピーチの妖怪!」
 あかりは駆け寄ってピーチクパーチクの手を握りしめた。
「あんた、スマホ持ってる? 連絡先交換して! あ、持ってるわけないか。三百年前からその格好だもんね」
「持ってるさ! バカにするでないよ、お嬢さん! 不老不死なんだから、時代の波に乗っていかなければ生きていけんだろ」
 髪の毛を握る手をふところに入れて、スマホを出してきた。
 ヒカルとダルマは、呆気に取られていたが、我に返ったヒカルが、
「ダメだ、ダメだ! 何をバカなことを。根紅田家のお嬢さんは正座ができるようになって、人間雛壇を実現する義務があるんですよ」
「もう~~~~、人間雛壇、正座、正座ってうるさいったらないのよ!」
 あかりがバクハツした。

 そこへ飛びこんできたのは、奥女中のマツだ。
「お嬢様、お願いでございます! 長く続く根紅田家の習わしをお嬢様の代で終わらせることはできません。このままでは、マツは責任をとって罪をつぐなわなければなりません。どうかどうか、正座のお稽古をなすってくださいませっ! このマツを助けると思って……」
 たもとを目にあて、マツはしくしく泣きだした。
 あかりはさすがにおろおろしたが、しばらくしてから小さな声で答えた。
「……マツ。考えさせて」

第 六 章 正座できた!

 その夜、遅くまで座敷で待っていたヒカルだった。
 ダルマはいつのまにか消えてしまった。「手に負えん」と思ったのかもしれない。
 ピーチクパーチクもいなくなった。
 やがて、ヒカルのお腹が耐えきれずに、ぎゅるるる~~と鳴ったのと同時に襖が開いて、あかりが戻ってきた。
「ヒカルさん。さっきはすみませんでした。正座のお稽古、もう一度宜しくお願いします」
 神妙にベタ座りして頭を下げた。
「分かってくれたんだね、あかりさん!」
(――てことは、僕との結婚もいいってことだな?)
 ヒカルは内心、バンザイした。

 ふたりは気持ちを改めて、正座の所作をおさらいした。
「はい、そこで着物を膝の内側に折りこんでかかとの上にそっと座って……」
(ここで転びませんように。転びませんように)
 ヒカルが祈る中、あかりは―――ついに正座に成功した!
「やった――――!」
 襖の隙間から様子を窺っていたマツも飛び出してきて、バンザイ三唱した。
「おめでとうございます、あかりお嬢様! ご立派な正座ができましたね! ありがとうございます、ヒカルさん。これで明日のお雛祭りが開催できますわ!」
「はい、ありがとうございます!」
 ヒカルはあかりの白い手を取った。
「よくがんばりましたね。雛壇に座る、あかりさんの十二単姿が楽しみです」
「雛壇は、バルコニーに組まれます。ヒカルさんも正座して待ってて下さいね」
「あはっ、この言葉言われるの、二度目ですね」
「そうですね」
 あかりも微笑んだ。―――弱弱しく。

 翌日、根紅田家では洋館のバルコニー付近で賑やかなことが始まった。
 人間用雛壇の組み立てである。まず、ものすごい広さの緋毛氈が召使いによって最上段まで持ち上げられ、垂らされた。
 七段飾りなので、かなりな高さだ。
 一段目はお内裏様とお雛様。二段目は三人官女。
 人間以外にも屏風や橘や桜の飾り、五人囃子の少年たちが持つ楽器、随身の左近右近の持つ道具などいろいろと、配置せねばならない。
 三人官女のうちのマツがヘイコラしながら、指図する。
 その間に、先にお内裏様(男雛)の装束をまとったヒカルが、あかりの両親に挨拶した。
 ふたりは紋付袴羽織と紋付の留袖姿だ。
「あかりと、根紅田家をよろしく頼むよ、ヒカルくん」
「はい!」
「故郷のご両親様はこちらに向かってらっしゃるのですか?」
「はい。向かっている途中です」
 でかい菱餅が宅配のトラックの荷台に乗って届いたと思ったら、差出人は「ダルマ」と書いてあった。
 ヒカルは涙ぐんでダルマにお礼をつぶやいた。
「ありがとう、ダルマさん。みんなあなたのおかげです」

第 七 章 心の七転び八起き

 マツ以外の三人官女が二段目の位置につき、五人囃子の少年たちも位置についた。随身の左大臣、右大臣も位置につき、仕丁の三人もそれぞれ道具を持って位置についた。
 下男や女中が、雪洞やお道具類を運んで、最後に執事の老人が桃の枝を飾るために参上した。
 あかりの両親がその様子を見守り、見物のご近所の方々が地上から見物に押し寄せた。
「何十年ぶりかの根紅田家のご婚礼の雛飾りですって」
「あかりさんのお母さまもひとり娘さんだから、二十年ぶりかしらね」
「めったに見られないお祭りみたいね」
 ご近所の方々もワクワクして待っていた。

 ヒカルの両親が故郷から駆けつけてきた。父親は、すでに紋付袴羽織姿、母親は留袖姿だ。
「間に合ったようだな」
「もう、ヒカルったら、お雛祭りに、急に結婚式だなんて言うからびっくりしたじゃないの!」
 両親は驚くやら喜ぶやら。
「ん?」
 ヒカルが気づいた。
「あかりさん、遅いなあ。十二単の着付けに手間取っているのかな」
「そういえば、遅いわね」
 マツがあかりの着付け係の召使いに問い合わせた。
「ヒカルさん、あかりお嬢様のお支度は、もうお済みのようです」
「そうですか」
 ヒカルは冠の緒をひっぱって解いたり結んだり、手に持つ笏という平たい棒状のものを振り回したりして落ち着かない。
「いつの世も、男は待たせられるもののようだな」
 根紅田家のあかりの父親が苦笑いした。
「それにしても遅いなあ」
 ―――その時、住宅街の坂の上からドラム缶でも転がってくるような大きな気配がした。
 一同、呆気にとられていると、雛壇の前に巨大なダルマが出現していた。
「若造! 若造はどこだ!」
「ここですが、ダルマさん、何か?」
 ヒカルが慌てて返事する。
「大変だ! 」
 ダルマは衣の中から短い腕を出すと、スマホを差し出した。
「ダルマさんまで持っていたんですか!」
「そんなことはどうでもいい! 若造、気を確かに持て! あかりさんとピーチクパーチクが駆け落ちしたぞ!」
「――――」
 一同、かたまった。
 何十秒間か、ヒカルの意識が飛んでいた。
 ダルマはスマホをヒカルに見せた。
「お父様、お母様、ごめんなさい。あかりは自分の選んだ人と結婚します。自分自身を『無防備』でいさせてくれる人、そんな人と結婚したいと思っていました。その人の前では自分を飾らなくていいのです」
「……!」
 ヒカルは口をパクパクさせている。
 ダルマが、
「どうやら、先日の夜、ピーチクパーチクがあかりさんと一緒に正座の練習をしたらしい。その時、あかりさんが着物の裾を踏んづけて、真正面から床に顔面をぶつけたとか。それでも、ありのままの自分を見せて一緒に稽古して、ふたりとも正座ができるようになったんだと」
「じゃあ、僕が稽古をつけた時には、もう正座をマスターしてたんだな! な……な……よりによって、あのピーチクパーチクと――!」
 後ろへ倒れかけたヒカルをマツが支えた。
「それじゃ、ピーチクパーチクと晴れて雛壇に乗れるじゃないか!」
「あかりさんは、長い年月の習わしを背負っている家がイヤになったそうじゃ。お前に詫びていたぞ」
 ダルマは複雑な顔で付け加えた。

 四月になり、根紅田家の裏庭にある桃の大木は例年より多く咲き誇り、そして散っていった。次は桜の季節に移っていく。
 ヒカルは新入社員の研修を迎える季節を感じながら、通い慣れた通勤の道を歩いていた。
 どこかから、不思議な笑い声のような泣き声のようなピーチクパーチクの桃酒に酔った声が聞こえる気がした。
(やっと三百年来の夢が叶った~~! 嬉しい~~! うわ~~ん!)
「あかりさんが正座できるようになったのは、お前のおかげだよな。ピーチクパーチク。『心の七転び八起き』か……。俺も転んだままでいないで起き上がるからな」
 五人囃子の装束をつけていたような年頃の男の子たちが、騒ぎながらヒカルを追い越していった。

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