日本正座協会


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第24話 合理的な姿勢


執筆者:そうな


   ――椅子がない場合、最も合理的な座る姿勢は正座です――


 いったい、これまで正座をこのように評価した人はいただろうか。
少なくとも私の周りでは、正座は“シビレる”し“短足になる”からしない、と低評価を受けている。
 そのシビレの理由は分かるが、短足の理由は定かではない。
きっと、シビレることから敬遠したい気持ちが働き、こんな言いワケを考えだしてきたのだろうと思う。
(だって、正座をして短足になるのなら、お坊さんたちは今頃みんなミニサイズになっているはずだからだ)

 だが著者も述べているが、いくら正座が合理的とはいえ、やはりシビレは問題である。
今回著者は、そのシビレを引き起こしやすい正座について、医学的な方向からメスを入れている。

 もし、みんなで同時に正座を初めたにも関わらず、誰よりも早くシビレてしまい不思議だな……と思っていた方がいれば、この後に記すことが参考になるかもしれない。
ちなみに私も、いつも早くシビレてしまい「あぁ、きっとシビレやすい体質なんだ……」などと適当な理由で勝手にガッカリしていた方である。


 まず、著者は正座という姿勢について、以下のように述べている。
「正座という姿勢は、きわめて特殊な姿勢です。膝を180度曲げて座ることは人間にしかできない姿勢だからです。犬も猫も、馬も牛も、ライオンもトラも、カンガルーも、皆さんが膝と思っているところは、人間の足首に相当する部位です。その上の膝関節は曲げられてもせいぜい90度が限界です」
 どうやら、この正座という姿勢は、人間特有のものだということらしい。
「本当に?」
と、一瞬思ってしまったが、少し考えれば納得がいく。
正座は膝を折りたたみ体重をかける姿勢なので、人間でも瞬発的に動かなければいけない場合にはほとんどしない姿勢である。
ましてや、いつ襲われるか分からないような自然界に住む動物がするわけがない……。のんきにシビレている場合ではないのだ。


 次に著者は、ヒトがサルから進化したことによって生じたことについて、以下のように記している。
「ヒトがまっすぐ立つようになってから、下肢や腰に集中的に過度な負担がかかるようになりました。また、直立歩行を行うようになったため、ヒトはサルに比べ下肢が長くなり、股関節の角度と可動域も広がりました。その結果、ヒトは座ることが不得手になってしまった。そこでヒトが考え出したものが椅子(腰かけ)なのです」
 
 その理由のために椅子が出てきたというのも、面白いものである。
ということは、椅子は生活上での便利さ(食事時や上下関係など)から生み出されたのではなく、サルからヒトになったことにより必然的に生み出されたということなのだろうか。
 その椅子の必要性について、著者はこう記している。
「椅子に腰をかけることで、腰や膝への負担は最小限に抑えられます。その他あらゆる座り方は、程度の差こそあれ、腰椎や股関節、下肢の関節に負担がかかります。――いろいろな座り方や姿勢が工夫されたのも、ヒトが座ることを苦手にしているからなのです」
 ヒトが地に座ることを苦手に……という言葉に、私は初めてお目にかかった。
 しかし、言われてみればその通りである。
例えば、運動会の昼食時。ビニールシートでの座り方は様々であるが、どの姿勢をとっても体重のかけどころやバランスが難しく、お尻が痛んだ覚えがある。中にはコンパクトな椅子を持参している家庭も見られたが、ほとんどの人は「少しの間だから」と我慢していたのだろう。
他にも、ビニールシートにゴロンと横になるお父さんたちも多く見られたことから、やはり人は地に直に座るのは難しいのだろう。


 そして著者は、椅子がない場合にはこの姿勢が一番いいという。
「椅子がない場合、最も合理的な座る姿勢は正座です」
 意外や意外。
正座は気持ちこそ凛とするが、同時に体にもそれなりの負担がかかると思っていた。
そう思ってしまうのも、あのシビレのせいだろう……きっとあやつのせいじゃ。

 著者の話はまだ続く。
「正座は人の長い下肢を折り畳んで邪魔にならないように処理する座り方で、椅子座りの次に腰への負担が少ない座り方です。正座は非常に人間らしい座り方かつ姿勢であり、また行為でもあるといえるでしょう。ただし、正座の欠点は膝に負担がかかること。この問題は小さくありません」
 確かに、医学的に考えると、正座は人間にとってとても都合の良い姿勢のようだ。
人間に……といっても、主に日本人が行っているから、日本人にとって……だろうか。
というのも、外国人の方々はあまりしない姿勢だと聞くし、なにより下肢を折りたたんで邪魔にならないようにするというところが、布団や座布団といった生活上収納できるスタイルで生活する日本人にピッタリだと思ったからだ。


 さて、いくら正座が良い姿勢だといっても、膝にくる負担、主にシビレはかなり問題である。
現在進行形で多くの人がそれに困っていることだろう。私もそうだ。
 そのシビレを防ぐコツを、神経のメカニズムとともに、著者はこう教えてくれる。
「下肢がビリビリするのは『感覚神経の過敏』、下肢が動かせなくなるのは『血行不良』と『運動神経の麻痺』、感覚が鈍ったり感じなくなったりしてしまうのは『感覚神経の麻痺』によるものです。これらは、下肢の血管の一部が圧迫されたことによって、筋肉や神経に循環する血流が悪くなったことが原因とされています。あくまで一過性の麻痺なので、血流が回復すれば元に戻ります」
 なるほど、さすがお医者さんである。
とても分かりやすいので、医学的な知識のない私にも理解することができた。

 それにしても、血行不良で下肢が動かせなくなるメカニズムには驚いた。
いつもグングン流れている血液の流れが少し悪くなるだけで、このように肉体に影響が出るのか。
「血行不良を引き起こす姿勢」と聞いてみれば、やってはいけない姿勢のような、少しゾッとする感覚が出てくるから、やはり言葉の影響力はすごいと思った。
……なんていいつつも、しょっちゅう正座をしては、
「シビレたー」
と、笑いながら足を揉んでいる自分を思い返してみると、やはりそこまで怖がらなくてもいいかと思うのだった。


 さて、どう工夫をしたところで、シビレるものはシビレる。
それを我慢したところで、残るのは苦痛だけだろう。(一部の方は、「それでもやり通した!」という達成感があるかもしれないが)
そんな人こそ必見!
著者が、《足のしびれをできるだけ防ぐコツ》を教えてくれるのだ。

 まず、足がしびれやすい人のタイプだ。
著者は、こう記している。
「すぐに足がしびれる人は、足の甲をべったりと床につけて座り、足背動脈を圧迫しています。このため、下肢の血行が悪くなり、足がしびれるのです」

 なんということだ……これは……まるっきり私ではないか……。
私は、正座をするときには、どうしても足の甲を床につけたくなるのだ。こう、まっすぐに……床に平行になるようにピタッと。
なぜかと聞かれれば特に理由はないのだが、べったりと並行になるようにくっつけると、「ふぅ……」
と、満足するのだ。
居心地がいいのだ。多分、それが私の性格なのだろう。
 そして、これで自分が人よりシビレやすいという謎が説けてしまった。
別に特殊な体質なのではなく、フォームの問題だったのだな……と。
安心したと同時に、自分の中の七不思議がアッサリと1つ消えたような、何とも言えない気持ちになった……。

 「これに対し、足がしびれにくい人は足首を上手に床から浮かせて、足背動脈の圧迫を避けています」
 なるほど、こうすればシビレにくくなるのか。
「でも、足首を床から浮かせるって、いったいそれはどんな姿勢なんだい?」
という疑問が出る。
 だいたい、正座のまま足を浮かせろなんて、足のシビレより腹筋の方が気になる。
……などと難しく考えていた人がいたとしたら、もう心配ご無用。この足の浮かせ方には、
ちゃんとやり方があるのだそうだ。
 著者はこう記している。
「まず足の親指同士を少し重ねて座り、かかとを開いて、お尻をかかとに直接乗せないように、外側に足を倒してその上に座ります。重ねた親指はときどき左右を入れ替えます。足に体の重心をかけずに少し前に重心をかけ、正座をしている間中、微妙に前後左右に重心を移動させます。膝はくっつけずに、少しあいだを開け、ときどき両足のつま先を立てます」
 言葉にすると長いが、実際に行ってみると、結構単純ではある。
そして、私のように独特な正座をしていた人は、この姿勢に少し違和感を覚えるかもしれないが、そこは慣れるまでのなんとやらである。
 まぁ、好きな姿勢は好きな姿勢で置いておいて、外出時や冠婚葬祭で正座が必要になったときは、いつもの姿勢を少し変えてシビレ軽減に努めてみるのもいいだろう。

 それにしてもこの正座の仕方……どこかで聞いたことがあるような……。
そうだ、思い出した。その昔、私の通っていた空手道場だ。
そこでこの座り方を教わっていたのだ。
 武道は礼に始まり礼に終わる。
ある日、師範は練習の終わりに、
「改めて正しい正座のやり方を教える。正しい姿勢をすると、体に負担がかかりにくくなる」
と、正しい正座のやり方を教えてくれた。
 私は、正座のやり方を教えるなんて珍しいな……と思いながら真似をしてみた。
だが、いざその方法で座ってみると、なんとも足の甲が床に当たって痛い……。
幼い私は心の中で、
「なんて面倒な座り方を教えるのだろう、武道ってやつは……。やはり形が大事なのだろうか」
とかなんとか思っていたと思う。

 だが、今考えればその道場は板間なので、どんな座り方をしていようが、座ればどこかしらが痛くなるのだ。ただ体育座りをしていても痛いのだから、正座をしても痛いに決まっている。
 しかし、その当時の私は、正座をあまりしたことがなかったせいか、師範に教えてもらった正座が痛いパターンなのだと思い込んでしまったらしい。
しかも、私は何かやり方を間違えていたのだろう。なぜなら、親指が潰れそうだった感覚を覚えているからだ。
こうして今一度行ってみても、親指は潰れない。あの時なぜ親指が被害をこうむったのか……今、新たな七不思議が増えた。

 とまぁ、これらのシビレにくくする工夫は、膝や腰、足関節を痛めない工夫でもあるそうだ。
姿勢が綺麗になり負担も軽減されるのなら、少々の違和感はさておき、この正座の形を取り入れてみてもいい気がする。
美しい形とはただの格好ではなく、合理的に洗練されて極められたものなのだな、と思える事がらであった。


 さて、シビレにくい姿勢も分かったところで、次にいこうと思う。
著者いわく、正座や直立歩行という姿勢は、交感神経の緊張を高め、集中力を増すのだそうだ。
 その神経について、著者はこう述べている。
「自律神経のうち、交感神経は体のエネルギーを蓄積させる方向へ働きます。交感神経は戦いや獲物をとるときに高まる自律神経系で、リラックスとはまったく逆の状態です。アグラなら居眠りもできるでしょうが、正座したまま居眠りはできません」
 なるほどである。
だから、正座をすると凛とした気分になるのか。
……しかし、その神経の効用も長くは続かないのだろうか……。
 思い起こせば、学生時代の礼法の時間……あまりに授業がつまらなすぎて、正座をしたまま舟をこいでしまったことがある。
授業がつまらなくて寝てしまう……というのは問題であるが、これには理由がある。
何しろその先生の授業は、わずかな実習以外は教科書を棒読みするだけだったのだ。
たまに生徒に朗読させるが、その抑揚のない口調では単なるBGMである。
気が付けば、前の人が頭を下げている。
隣の人も頭を下げ、斜めの人は考え込むポーズをしている。
神妙に聞き入っているのだろう……なんて美談にしてもいいが、ここは真実を。
いわずもがな、彼女らは眠っているのである。
優等生とうたわれていた子ですら、正座をしたままコックリとしているのだから、ビックリしたものだ。
 今や、学校の先生の苦労は計り知れないと感服するが、抑揚のない声で朗読する授業(?)だけは、どうかひねりを入れて欲しいところだ。


 とまぁ、正座で交感神経の緊張が高まるということだが、それについてはほとんどの方が実感していることだろう。
私も集中したい時などは、ほど良く緊張できる正座が好きだ。
 だが、こうした学生時の体験を思い出すと、正座にはまだ何か……緊張以外の何かが含まれている気がするのだ。
例えば、環境によって脳内で感じるものが、神経の緊張以上に強いとか……、長時間のシビレによって脳の一部が錯覚を起こすとか……、正座を自己流にすると神経の緊張が減るとか……、何かもっと未知なものとか……。
 何にせよ、あの緊張の糸の切れっぱなしの正座風景……ぜひもう一度、客観的に見てみたいものだ。

 さて、著者いわく、そんな神経をいい意味で活性化させてくれる正座は、このように応用できるというのだ。
「朝、目覚めの悪い人は、起きてまず正座をすると、すっきり覚醒できます」
 おぉ、まさに寝覚めの悪い私にピッタリである。
 思い起こせば、その昔、寝起きの悪すぎた私は、目覚ましを3つほどかけていた。
1つ目の目覚ましはMDコンポ。前日にセットした曲が定刻に流れるというもので、とりあえず意識を目覚めさせることにしていた。
そして、その10分後にベッド付近にある普通の目覚ましが鳴り、更に10分後、はた迷惑でとても心臓に悪いジリジリ目覚ましが鳴る。
最後の目覚ましは、背の高いタンスの上に仕掛けてあるので、否が応でも立ち上がることになる。
 私は、ベッドの反動を利用して、寝ぼけながらジャンプをし、目覚ましを止め、そして、ベッドの上に目を閉じたまま正座をして、静かに自分の覚醒を待った。
 ……が、何かの物音でふと気が付き目を開ける。
母親がドアの隙間から顔を出している。
……いったい何が……と思い自分を見ると、足だけ正座をして、上半身は前にベッタリとうつぶしている私がいた……。
「……もう、遅刻よ?」
どうやら、私はその姿勢のまま30分くらい寝てしまっていたらしい。


 とまぁ、そんな楽しい思い出がある私は、幸せ者である。(?)
 ただ、今思えば、当時の私は相当無茶な目覚め方をしていたと思う。
3つ目の目覚ましなんざ、驚いて飛び起きた後に、動悸がしばらく止まらないほどであったのだから、いつ何が起きても不思議ではなかった。
もし、これに似た目覚めの方法を取っている方がいたら、絶対に、絶対にお止めください……と、書いてみる。

 上記の私の場合は残念な例であるが、基本的に寝起きの正座は有効だと思う。
最初は、少し眠気が飛んだ感じがしてシャンとする気がするのだ。……その後の睡魔に負けなければであるが。


 そんなこんなで、正座には交感神経を緊張させるという効能があることが分かった。
上記のような医学的効能があるからこそ、著者は、正座をしながらお抹茶をいただく茶道には、アグラか椅子が適すると考えている。
「お茶に含まれるカフェインには、強力な交感神経刺激作用があります。『正座をしてお茶を飲む』ということは、二重に交感神経を高ぶらせてしまうことになります。茶道においてもてなしの心を大切にするのであれば、アグラか椅子が最も適していると、医学的には断言できます」
 茶道のしきたりにのっとりお茶を飲むということは、「静」とは反対といっていいほどの神経の高ぶる行為であったのか。
今後、茶道に立ち会うことがあれば、注意深く見てみようと思った興味深い医学的解説である。

 神経の高ぶり以外にも、正座の効能はあるようだ。
 著者は、「正座で呼吸が楽になる」と記している。
 「正座は、呼吸による体の揺れや体重の重心変動が最も少ない座り方です。――正座と立っているときとでは、呼吸を行う胸郭と横隔膜の働きはほとんど同じです。しかも正座では、下半身が安定するため、呼吸が自然で楽になります」
 これは初めて聞く情報だ。
一見して呼吸と正座とは、あまり関係が無いように思えるが、立っているときと正座をしているときの上半身の姿を考えると、とても似ている。
変に体を曲げた姿勢よりも、正座で安定を保つ方が良いというのは、共感できるものがある。


 こうした著者の説を踏まえて考えると、確かに正座は、座る姿勢の中で一番合理的かもしれない。
いや、むしろ健康的な姿勢なのかもしれない。
適度に緊張して精神は研ぎ澄まされるし、呼吸も楽になるし……。
 問題は、正座からくる膝への負担だ。
シビレ軽減の方法は、どこにあるのだろうか。
世の中に簡単で楽で体に良い姿勢なんてものは存在するワケないと思うが、それでも何かないかと探してしまう。

 だが、完全にシビレのない正座というのもどうだろうか……。
なければないで、少し寂しくもあり物足りなくもある。
正座をすることが少なくなってきた今では、多少のシビレは正座の醍醐味だと思えてくるから不思議だ。
……そもそも、シビレなければ血行の悪化にも気付けず、長時間していた場合は手遅れになることは必至なのだが……。(体質や鍛錬により長時間できる人がいると聞いたこともあるが、今はそれは例外として考えたい)

 結局は、程良い加減を自分で見極めることが必要だということである。
特に冠婚葬祭などの改まった場面でシビレが出た場合は、ギブアップを言い出すことができないことが多い。
 だが、自分のことは自分が一番分かるから、苦痛になってきた時は自身のためにギブアップをしてあげるのが良いかもしれない。
ギブアップといっても膝を崩したりあぐらにしたりする程度なら、問題のない範囲だろう。

 正座をするのが苦手な人は、まずは正しい正座の姿勢でシビレを軽減するように努めることをお勧めする。
そして、少しずつ少しずつコツを掴んでいって、いつもよりちょっとだけ長くできるようになると良いと思う。無理をせずに自分に合った歩幅で行ってほしい。
 そうして正座と上手く付き合っていくことができれば、きっとそれが心身ともに一番良い姿勢なのではないかと思うのであった。



 次回は、「正座の応用」とともに、正座をみていきたい。