[243]ざぶとん運びワン公


タイトル:ざぶとん運びワン公
掲載日:2023/01/16

著者:海道 遠
イラスト:鬼倉 みのり

内容:
 おいら、黒柴ワン公の座々丸は、高校生の杏太郎(あんたろう)の家の黒柴ワン公。ある日、杏太郎は、座福亭鎮座(ざふくていちんざ)という若手噺家(はなしか)の寄席を見に行き、「お座りやす」という題目に大うけ。
 鎮座に弟子入りすると言い出し、実行してしまった。杏太郎は「あん太」という名前をもらう。
 おいらはガールフレンドの和心(わこ)に預かってもらう。



本文

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第 一 章 演目「お座りやす」

 ある男が客となって、友達の家へ遊びに行くと、そこの家族は皆、居間で手枕して寝そべっていますがな。
友「これが俺んちのリラックスのやり方や」
客「お前、リラックスいうても、あんまりやろ。お客が来てるのに、おかんも、おとんも、祖父ちゃん祖母ちゃんまで手枕で寝ころんでるとは」
友「お茶が欲しかったら、そこのキッチンで自分で淹れてくれ」
客「いや、お茶がほしいわけやない。お前んちの家族の態度を言うてるねんや」
友「どうせいちゅうねん。リラックスしてるのに」
客「客の俺が来てるねんで。もうちょっとどうにかならへんか?」
友「どうにかて?」
客「皆、そろうて、正座して待ってるとか」
友「正座~~~~?」
客「そや。正座や。俺の家ではお客さんやいうたら、家族全員、玄関に正座して迎えるで」
友「それはまたご丁寧な」
客「日本人は正座や。日本独自の文化、正座を大切にせなあかん。それが日本国民の義務なんや!」
友「日本国民の義務て、お前、また、そんなたいそうな」
客「たいそうやあらへん。正座の正式な所作を教えてやるわ」
友「しょ、しょさ~~?」
客「さあ、お座敷行こう」
友「人の家のお座敷へ勝手に行くのかいな……ぶつぶつ」
客「これはまた、立派なお座敷やな。床の間の掛け軸から太い床柱から、違い棚の風流なこと! 欄間に、めでたい鶴と亀まで彫られてるのんちゃうか」
友「欄間のは、鶴と違うて鳳凰や。亀は普通の亀さんと違うて、中国のなんとかいう亀の神様や」
客「まあ、欄間はこの際、どうでもええねん。正座や。正座のお稽古させたろ」
友「させたろて……」
客「ええか、背すじは真っ直ぐにして立ちや」
友「ふむ。電信柱みたいに真っ直ぐ立ったで」
客「次に畳に膝を着く」
友「ふむ。着いたで」
客「そしたら、お尻の下に敷くねんや」
友「何をや」
客「お前さんのスカート」
友「ス、スカート?」
客「間違えた。お前さん、男やったな。ズボンでええわ」
友「男やったな、て……、何年付き合うてると思てるねん。トイレ行く時も、男の方へ一緒に行ってるやないかいな」
客「そうやった。わいが悪かった。それでな、かかとの上に座るのや」
友「ふむふむ」
客「お前の嫁はんみたいに、重いお尻をデレンと垂れささんようにな」
友「お前はん、うちの嫁のお尻、知ってるのんか」
客「知らんけどな、まあ、おそらくそんな感じやろな、思うて」
友「えらいひどいなあ。うちの嫁はんは、元、ミス町内やで」
客「ミス町内かいな。どうせやったら、ミスワールドとかになってえな」
友「もう、うるさいな。町内でもええやないか。で、何やった?」
客「正座や! ちゃんと順番通りに正座でけたか?」
友「はいな」
客「どれどれ?」
 扇子を口元に当てながら、友人の様子を見る。
客「おっ」
友「どうや」
 友達、えらいドヤ顔ですがな。
客「できてるがな。正座が」
友「当たり前やろ。今まで正座の所作を教えてもろててんから」
客「お前さんにしては、一回でできるのんは上出来や。ちゃんと正座も出来たことやし、碁でも一局打っていくか?」
 座敷の隅にあった碁盤を勝手に持ってくる。
友「久しぶりやな。負けへんで」
客「お前さん、強うなったんとちゃうか」
友「そうやろか」
客「ほれ、さっき正座のお稽古したせいで、碁盤の上で碁石が『星座』作ってるで!」
友「『正座』か『星座』どっちやて?」
客「ここ来て見てみい。椅子に座ったカタチの、カ、カシオペアとかいう夜空の星座や」
友「ほんまや。人が椅子に座ってるカタチのカシオペア座や」
客「あかんわ。椅子やのうて、この人に畳の上の正座のお稽古つけたって。どうぞ、お座りやす!」

 高座の噺家で演目をしゃべっていた鎮座は、深くお辞儀した。
「お後がよろしいようで」
 演目のお開きだ。

第 二 章 噺家になるって?

 おいらは座々丸。黒柴のワン公だ。
 和心ちゃん家の母ちゃんワン公から生まれて、和心ちゃんのボーイフレンドの杏太郎の家へもらわれてきた。
 座々丸って変な名前やて? 高座っていう、座って面白い話をしてくれるところが、杏太郎のお祖父ちゃんが大好きやさかい、高座と座るところをくっつけて、『座々丸』って名前をつけたんやとか。
 座々丸って忍者みたいでカッコええやろ?

 ご主人の杏太郎と和心ちゃんが高校二年生の時に、名付け親のお祖父ちゃんが亡くなった。
 お祖父ちゃん子だった杏太郎は、すっかりしょげてしまって大好きなパソコン部も休むくらいや。ずいぶん痩せてしもた。和心ちゃんも心配している。
 ある日、和心ちゃんは、気晴らしにお祖父ちゃんの好きやった落語を聞きに行ったら? と杏太郎に勧めた。
 お題は「お座りやす」。高座に上がったんは、座福亭鎮座ていう、まだ三十歳くらいの噺家や。「鎮座まします、鎮座です」で売っているんやて。
「お座りやす」を夢中で聞いた杏太郎は大笑いした。寄席の会館を出ても、まだ笑っているくらいやったそうや。
 和心ちゃんが、おいらを連れて寄席まで迎えに行った。
 杏太郎は照れくさそうに、
「俺、お祖父ちゃんが亡くなってから、初めて笑ろたわ」
「そう……。少しでも笑ってもらえて良かった」
 帰りに寄ったカフェで、カフェオレをひと口飲んでから、和心ちゃんがにっこり笑った。ペット同伴のカフェやから、おいらもミルクを頼んでもらった。ラッキー!
「俺、決めたで」
 杏太郎が目を輝かせて叫んだ。
「高校を卒業したら、あの噺家に弟子入りする!」
「IT関係の大学か専門学校行くって言うてたのに?」
「気が変わった。落語の方が面白そうや」
 杏太郎は、こーふんしていたけど本気みたいや。さっそく次の日に、座福亭鎮座さんのところへ出かけた。
 鎮座さんもまだ駆け出しで、大師匠の弟子の身なんやそうやけど、土下座を何回もして、安アパートで生活をシェアするんならっていうことで、許してもらった。
 おいらのことは、和心ちゃんが預かってくれることになった。
 ちょっと寂しいけど、和心ちゃんとこやったら、母ちゃんワン公も兄弟犬もいるから、賑やかに過ごせそうや。

 春になって、杏太郎が弟子生活を始めてから、初めて和心ちゃんがおいらを連れて様子を見に行った。
 杏太郎は、六畳と四畳半と台所のアパートのベランダで洗濯物を干しているところやった。
「お、座々丸!」
 おいらを見ると、さっそく頭や背中をナデナデしてくれた。う~~ん、サイコーや。気持ちええ。
 土間でおとなしく待っていることにしてやった。
「おりこうにしとけよ」
「座々丸はおりこうさんよ。まかしといてね。それより杏太郎くんの方は?」
「師匠の鎮座は留守や。今日も寄席やそうや」
 和心ちゃんは、ぺたんこのざぶとんを勧められて座った。
「まだ、弟子入りしたばかりやから、大師匠から名前をもらっただけや。『座福亭あん太』っていうんや。これからは『あん太くん』って呼んでな」
「あん太くん? いきなり変えられへんわよ。杏太郎くんは杏太郎くんよ」
「そのうち慣れるって」
(そっか。心の中で「あん太」って呼んでやろう)
 おいらは思った。

「杏太郎くん、せっかくのいいお天気やから、久しぶりに座々丸と三人で、フリスビーやらへん? アパートの向こうに河川敷が見えたで」
 和心ちゃんが言い出した。
 三人でフリスビーを投げたりキャッチしたりした。楽しい! おいら、フリスビー投げ、大好きや!
 あん太と和心ちゃんも、笑いながら駆け回った。
 土手から「お~~い」という声がした。男の人が叫んで手を振っている。
「あ、鎮座師匠だ!」
 あん太が急いで土手を登っていき、おいらと和心ちゃんもついていった。
「あん太、俺、テレビ番組で座布団係に抜擢されたぞ!」
「ええっ? それはおめでとうございます!」

第 三 章 正座の稽古

「こちらは?」
 鎮座師匠は、和心ちゃんを見て注目した。
「初めまして。杏太郎くんの友達の和心と言います。短大の一年生です」
「あん太、こんな可愛い彼女がいたのか」
「彼女って……」
「彼女とちがうのん? ほんなら、俺がアタックしてもええわけやな」
 鎮座がからかってるような、少し本気のような顔で言った。
「で、こっちが話に聞いてた愛犬の座々丸やな。黒柴やな。賢そうな顔してるで。ええ男やな、座々丸!」
 おいらは、いっぺんに鎮座師匠のファンになった。

 鎮座師匠は、ゴムマリのように跳ねて、アパートへ帰ってレジャーシートを持ってきた。
「ここで、正座のお稽古をする」
「わざわざ、こんな河川敷で?」
「ええお天気やねんもん。もったいないやないか」
 手早くレジャーシートを広げる。
「皆、この上に背すじを真っ直ぐにして立って」
「はい」
「はい」
「ワン!」
 あん太と和心ちゃんと一緒に、おいらも『正座』とかのお稽古をすることになった。
「シートの上に膝をついて。そして、着ているものをお尻の下に敷く。座々丸は何も穿いてへんから、そのままで。人間たちは、かかとの上に静かに座る。そうそう、ええ感じや」
「師匠、このお作法は?」
「俺が弟子入りした時、大師匠から習った正式な正座の所作や。いっぺん習うたら、一生の得やで。噺家は正座してしゃべるのが仕事や。繰り返し稽古してしっかり身につけや」
「はい」
「お前には、番組の時、俺の付き人をやってもらうさかい」
「ええっ?」
「弟子はお前ひとりやもん。頼んだで!」
「は、は、はいっ」
 あん太は神妙に返事した。
「お、座々丸も、立派な『おすわり』ができたな。おりこう、おりこう」

 アパートに帰ってから、和心ちゃんが戸棚をごそごそ探して、マグカップを洗い、インスタントコーヒーを淹れた。
 鎮座師匠が、
「実はな、あん太。大師匠のお宅に住みこみになることになったんや。で、俺もお前がいなくちゃ困るんで、一緒に住みこみさせてもらえるように頼んでおいたぞ」
「大師匠のお宅に!」
 大師匠は真打の立派な噺家なんやって。真打って何だか分からへんけど。お宅には住みこみのお弟子が十人くらいいるって話や。
「あのう、鎮座師匠。厚かましいお話ですが、大師匠のお宅へ、この座々丸も連れて行ってはダメですか?」
「は? 座々丸? この犬か?」
 鎮座師匠は改めて、おいらを見つめた。
「犬まで住みこみなんか、あかんあかん! あかんに決まってるやろう」
「やっぱり、そうですよね……」
 あん太はがっくり肩を落とした。
「どうしたの、座々丸なら、私が預かってるから大丈夫よ」
 和心ちゃんが優しく言ってくれたが、あん太は元気がない。せっかく鎮座師匠がざぶとん係になれて、付き人になれたのに。甘えん坊なんやから、もう。

 とにかく、二、三日してから、あん太と鎮座師匠は大師匠のお宅へ引っ越したらしい。

第 四 章 座々丸の稽古

(あん太は、きっと今頃、大師匠や兄弟子たちにこき使われてるんやろうな)
 なんて、のんきにちょっと心配してやってたら、あん太がやってきた。和心ちゃん家に来て、おいらに「おすわり」とざぶとんの運び方を教えるとか言い出した。
「和心ちゃん。古いざぶとん、一枚だけ貸してくれないか? カビ臭くてもいいんだ」
「カビ臭いざぶとん? そんなのあるかな?」
 和心ちゃんは、物置小屋に走っていって、ドタバタ音を出して格闘していると思ったら、色ハゲしたざぶとんを持ってきた。肩で息をしている。
「はい、探してきたで」
「座々丸、これ、くわえてみてみ」
 ざぶとんの隅っこを口でくわえて持つ。お、重い。ひきずると歩けない。それにカビのにおいが鼻をツーンとする。あかん。鼻が痛い。仕方なく落とす。
「おすわり」は、お手のもんやけど、ざぶとんは分厚いし、カビくさいし、かなり難関やぞ。
 あん太ってば、何のつもりで稽古させるんだろう。ざぶとん運びになったのは自分なのに。
「座々丸、ほい、頑張れ! ちゃんとざぶとんをくわえて運んでいくんだ」
(頑張れ、言われてもなあ)
「ちょっとぉ、杏太郎くん。座々丸には無理やのんと違う? 第一、どうして座々丸にざぶとん運びの練習をさせるのや? これは鎮座師匠の仕事でしょう」
 見守っていた和心ちゃんも、口をはさむ。
「鎮座師匠と同じ稽古気分を味わうためや。座々丸がやってくれると俺も心強いさかい……」
 俺は首をかしげた。あん太が根性ナシの甘えん坊だっていうのは分かってる。一緒にやらないと心細いのんや。
「座々丸は賢いから、なんとかコツを覚えてくれるよ。な、座々丸。うまくできるようになったら、大好物のワンコフード好きなだけ買ってやるからな」
(そりゃ、本当か~~?)
 底ぢから出して頑張った。おいらって美味しいものには弱いもんなぁ。
 あん太は帰り際に、おいらの首すじをワシャワシャ撫でて、
「俺も頑張ってるからな。ざぶとん運びと『おすわり』ちゃんと稽古しとくんだぞ」
 ケータイの写真を見せて、
「この犬もざぶとん運びできるのやって。大師匠んとこの秋田犬の梵天って言う犬」
(秋田犬!)
 おいらより、かなりデカい! こいつならざぶとん運びくらい軽々とやるだろう。
(う~~ん、負けへんで!)
 おいらのライバル心に火がついた。

第 五 章 テレビ見る

 あん太が付き人をやっている鎮座師匠が、ざぶとん運びやってる番組が始まった。
「座々丸、みんな、いらっしゃい。始まるでぇ」
 和心ちゃんがテレビの部屋に呼んでくれた。おいらと母ちゃん犬と兄弟犬三匹もおすわりする。
 テレビでは、おじさんが横にずらりと並んでいて、何かしゃべっている。
『何々とかけて、何々と説きます。その心は?』
 おじさんのひとりがしゃべった。これが落語なんやろうか? 心って何やろう?
「一番、はしっこに座ってるのが、杏太郎くんの大師匠やで、座々丸」
 へえ。わりと優しそうなおじさんやないか。
 並んだおじさんのうちのひとりが何か答えてしゃべると、笑い声がいっぱい聞こえて大師匠が何か言う。すると、いたいた。
 あん太の師匠、鎮座さんが!
 ざぶとんを一枚、持って行って、しゃべったおじさんのところへポイと渡してあげる。
(あれが、ざぶとん運びか~~)
 次のおじさんは、もう二枚もざぶとん敷いている。もっと敷くのかな? と思っていたら、三枚目も持っていく鎮座師匠。
 ざぶとんをどんどん増やしていくおじさんたち。たまに、一枚持っていかれるおじさんもいる。
 最初、ワケがわからへんかったけど、和心ちゃんがロクガというのをしてくれて、繰り返し見ているうちに分かってきたで。
 大師匠が褒めて命令した時だけ、ざぶとんを持っていけばええんや! ざぶとんをたくさんゲットしたおじさんが喜んでいる!
 思わずテレビに向かって吠えた。
「ワンワンワン!」
「あれ? 座々丸、杏太郎くんは映ってないのに、何か感じたのかな?」
 にっこりして和心ちゃんが眺めている。もう一度、ロクガ映して!

 ある日、いつものようにざぶとんのテレビを見ていると、ざぶとん係やってるのは、あん太やないか! あん太や!
 大師匠が、
「マゴ弟子の座福亭あん太でございます。今日はざぶとん係はあん太が努めます」
 と、紹介した。
「杏太郎くん、初出演やね、頑張ってや!」
 和心ちゃんもこーふんしてる!
 あん太は、ちゃんと大師匠の言うことを聞いて、いつもの鎮座師匠と同じことをやっている。間違えないでやっている。
 番組が終わると、すぐに和心ちゃんとこに電話がかかってきた。
「どうやった、和心ちゃん。見てくれたか?」
「良かったでぇ、杏太郎くん。ちゃんと出来たやん!」
 和心ちゃんも嬉しそうや。
「なんで、今日は鎮座師匠と違うて杏太郎くんやったん?」
 電話が終わってから、和心ちゃんは、
「座々丸、鎮座師匠が練習に出てみって言うてくれたんやて」
 そっか、あの人、おいらのこと、賢そう、ええ男って言うてくれたもんな。ええ人や! すごいええ人や!

第 六 章 ピンチにアイデア

 それから、半年。
 ある日、鎮座師匠は、ざぶとん番組で落語家と並んで座り、
「〇〇とかけまして……その心は?」
 こんなのに答えることになった。ベテランおじさんがお休みして、その代わりなんやて。
 繰り上がり式に、あん太がきゅうきょ、ざぶとん係をやることになったらしい。和心ちゃんがそう言った。
「あん太くん、ざぶとん運び、頑張って! ざぶとんを落としませんように!」
 テレビの前で手に汗にぎって、見守ってる和心ちゃん。
 頼りないあん太でも、大好きみたいやな。おいらと同じくらいに。

 なんと、鎮座師匠は「心は?」に名回答を続けて、ざぶとんが十枚目になってしもた。
 七枚目の時に崩れて、限界かと思うたけど、また昇りついて頑張った。あん太も崩れるざぶとんをもう一度積み直したり、支えたり、鎮座師匠に手を貸したりして大忙しや!
 あっ! また名回答!
 そやけど、さすがに十一枚目は無理やった。ざぶとんの山から、ドドドと雪崩を起こして、鎮座師匠は真正面に落っこちた。舞台装置のマイクで顔面を打ってしまった!
 ざぶとん番組は、一応、終了したが、あん太から和心ちゃんに電話がかかってきた。
「和心ちゃん、大変や! 鎮座師匠が!」
「見てたよ! 鎮座師匠、顔にケガしたんやないの?」
「マイクをオデコにぶつけて、デカいたんこぶができてしもた!」
「ええっ?」
「鎮座師匠、これから寄席で一席、出演させてもらうことになってるねん。しかし、お岩さんみたいな、たんこぶをこさえたまんまで高座には上がれへん」
 スマホから聞こえるあん太の声は、半泣きや。
「和心ちゃん、今から、〇〇会館にあん太を連れて来てほしい。一生のお願いや」 
「どうすんのや。そんな繁華街へ座々丸を連れていって」
「鎮座師匠の代わりに俺とあん太が高座に上がる」
「杏太郎くん、落語ができるの?」
「あれからいっぱい稽古はした。でも、落語やない。とにかく座々丸を連れてきてくれ。お願いや」
 半泣きながらも、あん太の必死な決意があるようや。
 おいらは和心ちゃんに連れられて、〇〇会館に向かった。

 〇〇会館の裏口で、和服姿のあん太が待っていた。
「ありがとう、和心ちゃん! 恩に着るで。座々丸、よう来たな」
 おいらの頭をワシャワシャ撫でてから、リードを和心ちゃんから受け取った。
 そのうち、出前のおにいさんがやってきた。
「ああ、僕がさっき、ニシン蕎麦を頼んだもんや。代金はこれでいいかな。ご苦労さんでした」
「熱いから気をつけてくださいね。毎度!」
 出前のおにいさんは帰っていく。ニシン蕎麦? たしか、ニシンて、魚の名前やったはずや。おいらドッグフードばかり食べてるさかい、どんなカタチしてるのか知らんけど。
「杏太郎くん、落語どうするのよ?」
「落語やないって。余興に、座々丸と一緒に『二人羽織』するのんや」
「二人羽織? まさか、さっきのお蕎麦を座々丸に食べさせるとか?」
「そうや!」
「ちょっと、大丈夫?」
「こうなったらやるしかない! やってみるだけや!」
 おいらは、何がなんだか分からへんけど、あん太についていった。

第 七 章 ワン公と二人羽織

 狭い通路の前で待たされた。
 楽屋とかいう部屋へ入ったきり、あん太は出てこない。時々、向こうの方から大勢の人の笑い声がする。
「さて、本日出演予定だった座福亭鎮座は、都合により、大変申し訳ございませんが、お休みさせていただきます」
 アナウンスが流れた。
「代打の、座福亭あん太でございます」
 あん太が、急いでおいらを連れに来て、板の上においらを座らせた。テーブルの上には、さっきのいい匂いのお蕎麦が置いてある。ニシン蕎麦だ。お魚のにおいがする。美味そう!
「座々丸、おあずけや! ちょっと待ってや」
 幕が開いた。
「座福亭あん太と申します。愛犬の座々丸と二人羽織の芸をさせていただきます」
 あん太が大急ぎでおいらの後ろに座って、黒い羽織を着た。おいらの背中にくっついて座る。
 大勢の人間がいっぱい、ごくんとツバを飲んで見つめている。
 あん太が袖から手を出し、テーブルの上の割りばしを手探りでつかんで割った。そして、どうにか蕎麦をつかみ、おいらの顔の前に持ってきた。
「座々丸、もう食べてええで」
 わ~~い。ニシン蕎麦だ! 
「熱いから気をつけて食べろよ」
 もう冷めてるって。おいらは必死で口を開き、お蕎麦をとらえようとした。できた。うんまい!
 お客さんたちが、ドッとわく。
「おお、ワン公、じょうず、じょうず!」 
 二回目は、おいらが急いだために、ニシンがテーブルの上に落ちてしまった。そのままかぶりつく。ニシンを食べるのは初めてやけど、まあまあ美味い!
 それでもお客さんたちは、おいらを見て、また大笑い。
 今度は、あん太は、お蕎麦と反対側に置いてあった湯呑に手をのばす。え? おいら、お茶なんて飲みたくないよ。ミルクがいい!
 次は、赤くて三日月みたいな形したものが出てきた。でかい。見たことあるぞ。
「座々丸、お前の大好物のスイカだぞ」
 スイカだ! おいらの大好物!
 羽織の袖から出た腕で差し出されて、かぶりついた。テーブルの上や、あん太の羽織はスイカで真っ赤になっちまった。
 お客さんたちは、皆、手を叩いて喜んでくれた。
 寄席で見ていた和心ちゃんも、楽屋に駆けつけてきた。
「良かった、面白かったで、杏太郎くん、座々丸!」
「ありがとう、和心ちゃん!」
「ワンワン!」
 鎮座の代打として、あん太と寄席の高座ってとこに上がったおいらは、いちやく人気犬となった! と、思った。
 だが、そうあまくはなかった……。

「鎮座! 弟子に、ワン公と二人羽織をやらせるとは、何ごとや!」
 大師匠が激オコになってしまったんやて? 大変や!
 鎮座師匠も激オコや! 
「あん太! お前なんか破門や!」
 はもんって意味がわからへんけど、あん太のスマホから鎮座師匠の怒鳴り声が聞こえた。
 あん太はどん底に落ちる。せっかく落語家に弟子入りしたのに。そんなに悪いことしたのか? って。

第 八 章 大師匠来る

 実家に帰って、しゅんとしているあん太。
 二階の部屋に籠もりきりになっている。庭から吠えて呼んでも返事はない。フリスビーをくわえて見せても返事はない。

 そんなある日、なんと、大師匠が訪ねてきた。
「し、師匠、大師匠! お母ちゃん、落語の大師匠の先生や!」
 たまげる家族とあん太。
「大師匠は礼儀、特に正座に厳しい人なんや!」
 あん太がわめいて、母ちゃんはコチコチになって玄関に正座して頭を下げた。
「息子がマゴ弟子としてお世話になっております」
 母ちゃんは震え声で挨拶して、恐る恐る座敷へ通して、お茶を持って行った。
 戻ってきたら、すっかりキンチョーが溶けてるやんか。
「大師匠はん、お座敷でお待たせしてるで。ラフな洋服着てはるさかい、落語の大家に見えへんわ。そんなに怒ってはるのやろか。温和に挨拶してくれはったで」
「温和に挨拶?」
 あん太は首をかしげながら、お座敷へ行った。
「あん太。師匠思いのために愛犬と二人羽織とは、よく考えたもんだ。愛犬もよく頑張ったな!」
「え?」
 縁側から覗いていると、きょとんとしたあん太の顔が見えた。
「怒ったのは、世間体やがな。一応そうしとかんと、お偉い方々がうるさいからな。鎮座も鎮座や。一人前に破門やなんて言いおって。いつのまに人を破門できる身分になったんやろなぁ」
 大師匠は、苦笑いしている。
「は、はあ?」
「しかし、ワン公を高座に上げるのは、前例があらへんさかいなぁ……」
「愛犬の正座を見てくださいましたか?」
「正座?」
「おすわりのことです。座々丸は、おすわりをプロレベルで教えてあります」
「プロレベルやて?」
「座々丸、おいで」
 座敷から廊下に出て、おいらを呼んだ。
「おすわり!」
 あん太が言った。
 おいらは、できるだけ胸を張っておすわりした。
「なるほど、なるほど。いいおすわりだ」
 あん太も、廊下に真っ直ぐ立ち上がり、正式な所作で正座した。
「ほほう、こりゃ行儀良い正座だな。うちの秋田犬にも教えなきゃいかんな。ワシも無類の犬好きでな」
 そうやった。大師匠のところには、でかいワン公がいるのやった。
「座々丸やったな。おいでおいで」
 大師匠が呼んでくれたので行ってみると、ナデナデしてくれて、ホネのおやつまでお土産をくれた。なんて、ええ人や!

第 九 章 和心のアイデア

 様子を見に来た和心ちゃん。
 スマホを触っていたが、急に言い出す。
「杏太郎くん、いっそのこと、座々丸との二人羽織を、動画配信してみたらどうやろか?」
「動画で?」
「そうや。高座があかんのやったら動画でやってみたら? 臨場感はないけど、動画やったら自由にUPできるやん」
「そ、そやかて」
「私が撮影してあげるわ。弟子入りも何もかも、いったん置いておいて、動画を配信することを頑張ってみたら?」
 あん太は、鎮座師匠と大師匠に相談してみた。
 鎮座師匠は、
「あん太。この前は、カアッとなって破門なんて言うてしもて、ごめん。帰ってきてくれるか?」
「鎮座師匠……」
 ふたりで大師匠に許可をもらいに行くことになって、おいらも一緒に行くことになった。
 なんて大きい家やろう。長い生垣を歩いていくと、やっと玄関にたどり着いた。庭にデカい木がたくさんある。さすが、大師匠のおうちや。
 あの秋田犬が走ってきた。で、でかい。でも負けるもんか。
「おいら、座々丸ってんだ。よろしくな」
「あら、可愛い。黒柴が来るって聞いてたけど」
 で、でかい! でも、おいら負けへんで!
「ウ〜〜ッ!」
 背を低くして威嚇してみる。
 ところが、もふもふのでかい右手でコロンとひっくり返された。
「あ〜ら、小ぃちゃい。ほんまに可愛いねぇ」
「え?」
「私は秋田犬の『弁天姫』っていうのんよ」
「『弁天姫』? 『梵天』やないのか? 女やったんか」
「梵天と間違えるやなんて。ふつうの女と違うで。弁天って女神様やで。今日のおやつのジャーキー、半分あげるわ!」
 女神さまみたいかどうか分からへんけど、優しいやんか。
 二人羽織のことは、大師匠は、
「動画配信? そら、ええ考えやないか。やったらええ」
 と、許してくれた。

 思いきって、座々丸との二人羽織の芸を、動画配信を始めたあん太。
 ドウガハイシンって、あまり美味しくなさそうな名前や。何のことか分からへんけど。たちまち再生回数はウナギのぼりになったんやそうや。ウ、ウナギ……食べたことないけど、たしか魚の名前やったな。
 芸が終わると、食べさせた散らかったものなど、ちゃんと片付けてから、ふたりそろってちゃんと正座し(座々丸は、おすわり)礼儀正しくお辞儀するのがウケたらしい。
 大師匠は、座々丸も一緒に住みこみしてもええで、と言ってくれた。
 これで、おいらはあん太と一緒に暮らせる!

 今度こそ、おいらとあん太は人気者になった。
 犬の正座「おすわり」を、大師匠からきっちり教えこまれた。あん太も、鎮座師匠のよりも美しい「正座の所作」をおさらいした。
 落語はそれからのことやそうや。
 がんばれ、あん太!
 天国から、お祖父ちゃんもきっと、応援してるで!
 和心ちゃんも、お母ちゃんも、もちろんや!
 おいらも、ウナギ食べられるのを楽しみにがんばるで!


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