[420]七夕★番狂わせ
タイトル:七夕★番狂わせ
掲載日:2026/07/04
著者:海道 遠
あらすじ:
今年も七夕祭が迫ってきた。
七月と旧暦の八月七日は天の川を渡って、織姫と彦星が一年に一度逢える日だ。
今年も天帝さまのところから審査係がやってきた。この一年、真面目に働いたかどうか審査されるのだ。初めて赴任した審査武官は美しいみずらを結った青年だ。見惚れた織姫は、彼がうさぎアレルギーだと聞き、舟こぎ係のコタまろに「クビ」を言いつけた。
コタまろは胸に氷のクサビを打ち込まれたほどショック。

本文
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序章
昔、どこかの山奥にキツネの母子が住んでいた。
子ギツネはまだ小さかったが、大きな夢を持っていた。
「母ちゃん、おいら、大人になったら1000歳を超える『天狐』になって、龍神さまと同じくらい偉くなるよ!」
子ギツネは言い残して山を下りていった。
第一章 七夕が近づく
コタまろは、天の川の織姫さま専属の舟漕ぎ係の灰色うさぎ。
六月になると張り切りはじめた。
七夕直前には織姫と彦星が会える資格があるかどうか、天帝の命令で審査武官が織姫の元にやってきて、織物の進み具合を見る。
今年、初めて仕事をする新米の審査武官がやってきた。
「初にお目にかかります、織姫さま。審査武官の美面(みづら)と申します」
耳の横に美しい角髪(みずら)を結い、優雅な正座の所作で座った若者を目にした時から、織姫は電撃でも浴びたかのごとく動けなくなってしまった。そればかりか熱まで出して倒れてしまった。
美面武官は天の川の舟こぎ係がうさぎであることを知らなかったが、ふと振り向いてギョッとした。
「お、お前はうさぎではないか!」
「そうだけど、何か?」
コタまろはわざとふてぶてしく反応した。
「私はうさぎアレルギーなのだ! うさぎ、よく聞け。私の名前は美しい面(つら)と書いて『みづら』と言うのだ! お前、かなうか?」
手鏡に顔を映しながら、自分の容貌を自慢して言った。
「なんだ、こいつ、のっけからイケメン自慢かよ。嫌みなやつ……」
こたまろが睨みつけた。
美面は、
「いくらイケメンでもうさぎアレルギーなので、うさぎの姿を少しでも見ると身体のあちこちにかゆみが出てきてダメ! 耳長い姿を見ても発疹が出てきてダメ!うう、負けるもんか……」
わめいている。
悲鳴をあげて逃げ出しそうになるのをこらえて、コタまろに代わって織姫を看病する。
「姫さまの看病は全て、余がするゆえ、お前は近づくな、うさぎ」
お姫さま抱っこで天の川の中州にある褥(しとね)へ運び、そっと寝かせた。
まだ熱があるのに、真っ赤な顔でむっくり起き上がった織姫は、
「コタまろ、本当に悪いんだけど、今日であんたはクビよ! 美面さまがうさぎアレルギーだそうなんで、一緒に働くのは無理でしょ!」
ポンと言い渡し、また気を失ってしまった。
「えええっ! おいらがクビ!」
コタまろは心臓に氷のクサビを打ち込まれた気分になった。
その頃、何回も織姫の「すまほ」に電話がかかっていたが、コタまろはそれどころじゃないので、放っておいた。
織姫の婆やさんが、
「姫さまのすまほというもんが鳴っておるようじゃぞ、コタまろ」
うさぎはチラと見て、
「ああ、カササギのキャプテンだろう。いいんだ。今年はじゃんけんで、おいらの舟が天の川を渡ることに決まってるから」
まったくやる気を出さないので、婆やさんも諦めた。
第二章 彦星のところへ
途方に暮れたコタまろは、ひとりでギコギコ舟を漕ぎ、天の川を渡って彦星さんのところを訪ねた。
しょんぼりしまくっているコタまろを見て、筋肉ムキムキの彦星さんは、牛のギュウ吉を軽々と担ぎながら、
「どうした、コタまろ。元気無いな」
コタまろは、
「うえ~~ん」と泣き出し、
「おいらを雇ってくだしゃ~~い!」
彦星に泣きついた。
「なに? 織姫が新米審査武官に一目惚れ? それでお前をクビにしただと?」
彦星さんも飛び上がった。
「長年、舟を漕いでもらっているコタまろにひどいことを! 俺も怒ったぞ! 今年は天の川渡りは中止だ!」
「そ、それは……! 彦星しゃんたちの天の川デートとおいらのクビは別のことでしゅ! 考え直してくだしゃい」
コタまろは健気に、天の川デート中止に反対する。
「織姫しゃまは、高いお熱で伏せってらっしゃいます。せめて、熱が下がるまで待って差し上げてくだしゃい」
コタまろの瞳には涙がウルウルしている。
そして――。
コタまろのところに、織姫さまが目を覚まされたらしいぞ! というウワサが流れてきたのは、なんと100年後のことだった。
しかも、職探しに行ったコタまろは、舟を流されて海底の竜宮城の方向へ消えたという。
第三章 100年経って
織姫はガバッと起き上がって、傍らに仕える婆やに聞いた。
「わらわが眠っている間に100年経ったですって? 天の川渡りが中止に? コタまろが職を求めて海底へ? そんなことが!」
自分の目で確かめなければ気のすまない織姫は、
「婆や! 海ガメを一匹捕まえてきて! 私が乗れるくらい大きいのを!」
「海ガメでございますか?」
海岸の漁り夫(いさりお)に海ガメを捕まえてきてもらい、海の底へ向かった。
深い深い海の底……昆布の森を通りすぎると、赤く丸い屋根の建物が見えてきた。
入り口に、かっぷくの良すぎる姫が珊瑚やヒトデや真珠を髪に飾って、デ~~ンと待ち受けていた。
「わらわはこの城の主の乙姫よ! あんたは誰?」
「反物織りの織姫と申します……」
「機織り娘が何の用なの?」
「わらわの舟漕ぎ係をしていた、うさぎのコタまろをご存知ありませんか? それと……牛飼いの彦星さまも」
織姫が恐る恐る尋ねると、乙姫は、
「そういえばずいぶん昔、彦星という、薄茶色の牛を連れた青年とうさぎが流れてきたな。今ではうさぎも、青年も、この竜宮城で大の人気者じゃ!」
「まあっ!」
乙姫が立ち上がって竜宮城の看板を指さした。
そこには、電飾キラキラした縁取りで飾った「イケメン竜宮城」という看板があった。
(な、なあに、これ……、まるでホストクラブじゃない!)
「うさぎと彦星は、今や我が城の双璧を成す大スターじゃ! 稼ぎ頭じゃ!」
「なんですって、稼ぎ頭?」
第四章 ふたりの出番
あちこちの昆布の林や岩陰から半人半魚の女の子がわいてきて、
「うさぎのコタまろさまは~~?」
「腕力バツグンの彦星さまは~~?」
「コタまろさ~~~ん!」
琴をかき鳴らすのも、龍笛を吹くのも、全て半人半魚のイケメン。歌を歌うのも漢服をまとったイケメンたちだ。
海の磯姫(いそひめ)たちが、きゃあきゃあ騒いでいる。
一羽のグレーのうさぎがステージに上がって踊りはじめた。
「あれは、コタまろ!」
織姫は、遠くから見つけた。
コタまろは、磯姫たちにボールのようにあちこち転がされて遊ばれている。
「コタまろく〜〜ん!」
「可愛い毛玉くんね! どこから来たのかしら?」
「あら? あなた知らないの? ずいぶん昔に、天の川の向こうから、泣きながら小舟を漕いでやってきたのよ」
「天の川の向こうといえば、機織り女の織姫さまのとこから?」
「多分ね」
たちまち、ほっぺや髪にヒトデの飾りを張り付けたり、ピンクの珊瑚を飾ったりしたお化粧のケバケバしいお姉さんたちに抱っこされたコタまろは、顔じゅうにチューされたりしてモテモテだ。
大照れしながらも、悪い気はしてなさそうだ。
第五章 正座とお辞儀
織姫は暗い顔になって、乙姫さまに向かいあった。
「うさぎのコタまろは、100年前、天の川審査武官の美面さんがうさぎアレルギーだったから、クビにしてしまったのです。コタまろは何も悪くないのに……」
「おや、それはうさぎに気の毒なことをしてしまったのう」
乙姫さまもうなずいた。
「そうなのです。わらわはコタまろに心から深く深く、謝らなければならないのです」
「では、織姫……そなた、正座とお辞儀のお稽古をしてみるかね?」
「正座とお辞儀のお稽古? そ、それは是非、お願いします!」
「うむ! 着替えて庭へ参れ」
乙姫さまは、織姫にトレーニングウエアに着替えるように言った。
「わあ、なに、この着物! 身体の線がぴちぴちに出ちゃうわっ」
戸惑っているうちに、コタまろがやってきた。
「織姫しゃま、何をしゅるんでしゅか!」
「正座とお辞儀のお稽古よ」
乙姫さまがふたりの前にやってきた。ホイッスルをくわえている。
「さあ、正座の所作をお稽古しましょう」
乙姫さまがストップウォッチまで持っているので、コタまろはボードを用意して待った。スピードは関係ないと、そっと思いながら……。
「まず、背筋をまっすぐにして立ちます」
「はい」
乙姫さまは織姫の背後に回って背中の姿勢を見るために、手のひらをあてたりした。
「立ち方はそれで真っ直ぐ立てていますよ。次に、その場に膝をついてください」
乙姫さまの侍女が、手早く緋色の敷物を用意した。
織姫は、その上に膝をついた。
「着物を着ている時は、手を添えてお尻の下に敷いて、かかとの上に座ります。今日はトレーニングウエアですから、そのままでけっこうです」
言われた通り、織姫がかかとの上に座ると、コタまろも同じようにして姫の隣にちょこんと座った。
「着物や下半身に長い衣を着けている時には、くれぐれもお尻の下にきっちりと敷くことを忘れないように」
「はい」
「はいっ!」
「両手は軽く握って膝の上に置くように。そうそう、それでけっこうですよ。正座の所作ができました」
「わ~~~いっ、正座ができた!」
コタまろがはしゃいだ。
「あのう、乙姫さま、姫さまはどうして正座の所作についてお詳しいのですか?」
「以前に、『水中正座』をやらねばならない時があって、正座師匠の万古老さまにお教えいただいたのです」
「まあ、あの有名な正座のお師匠さまの万古老さまに……」
「さあ、姫、彦星どのがあなたに対面できるのを、首を長くしてお待ちですよ。お会いなさいませ!」
「は、はい、ありがとうございます」
眩しい黄金色の川の向こう岸から、青年が手を振っている。
「彦星さま~~~~っ!」
「織姫!」
織姫は黄金の天の川に、ジャブジャブと足を入れて走り寄り、彼の胸に飛びこんだ。
「彦星さま、お逢いしたかった……」
「私もだよ、織姫……。コタまろをクビにしたって聞いた時は慌ててしまったけど」
「ごめんなさい、彦星さまにまでご心配をおかけして……」
天の川の真ん中の浅瀬で足首まで水に浸ったまま、100年ぶりに抱きしめあった。
第六章 岩山へ
織姫は、熱い希望で正座師匠の万古老に会うため、旅に出ることにした。
織姫と彦星は、牛のギュウ吉の背中に乗って天の川の畔をずっと歩いていった。ふところにはコタまろを抱いている。
「彦星さま、天の川をずっとさかのぼっていくと万古老師匠のところに着けますの?」
「うん。万古老師匠は高い岩山の洞窟に住んでおられるらしい。多分、ギュウ吉くんの勘に頼って間違いないだろう」
彦星はギュウ吉くんの手綱を操りながら、織姫の肩を抱き寄せた。
「頼んだわよ、ギュウ吉さん!」
薄茶色の牛は、
「まかせとけ!」
と言わんばかりに「ンモー!」と鳴いた。
「ギュウ吉くんは上流地方の出身だから、道をよく知っている。任せよう」
そのうち、ギュウ吉くんは川の中にずぶずぶと入っていき、水中を泳ぎはじめた。
「きゃあ〜、また水の中!」
竜宮城を出たばかりなのに、びしょびしょになってしまった。
泳ぎが得意なギュウ吉くんは、どんどん川をさかのぼって、上流についてしまった。
陸地は峻険な山が林立している。ひとつの岩山に大きな洞穴が開いている。ギュウ吉くんが岸辺に上がった。
織姫は川の水で、ぐっしょり濡れてしまった衣をぬいで絞った。
「あれ? 羽織った衣だけしか絞らないの?」
「当たり前だよ、何を期待してるんだ、コタまろ」
彦星が「めっ」と、いさめた。
洞穴の中に入ると、奥からなんとも涼しい風が吹いてきて、織姫の衣はアッという間に乾いてしまった。
仄かに明るい奥の空間に近づいてきた。
第七章 万古老正座師匠
「これはこれは。いらっしゃい」
小柄な老人が岩の上に正座して迎えた。
「あなたさまは、万古老正座師匠さまでしょうか」
「いかにも。織姫と彦星どのじゃな。乙姫さまから前ぶれの使者が来たから、待っておりましたよ」
ニコニコしている老人は、白いヒゲが立派に胸の辺りまで伸びている。
「はい。お初にお目もじいたします。織姫です」
「いいなずけの彦星と申します」
「そのうさぎは?」
「この子は、天の川の渡し舟の漕ぎ係のコタまろと申します」
「えっへん、コタまろだい!」
「ウホホホ。ずいぶん威張っとるのう」
「織姫の用心棒のつもりでいますから」
彦星が苦笑いした。
「その用心棒のおいらが、100年も織姫さまの元を離れなければいけなかったんでしゅ!」
コタまろは、万古老の庵にあるお茶の間に上がらせてもらってもプンスカしている。
「ほほう、それはまた、どうしてじゃ?」
「みずらを結ったアイツめが来たからでしゅ!」
「みずらを結ったアイツ?」
織姫が後を引き継いだ。
「100年前に新しく赴任された、美面さまという審査武官の方がいらしたのです。お恥ずかしいことに、わらわはそのお方の美貌に気持ちが揺らいで、熱を出して寝込んでしまいまして……うさぎアレルギーだという美面さまのために、思わずコタまろを解雇してしまったのです」
「それは……コタまろには寂しい思いをさせてしもうたのう」
万古老はコタまろに、白い眉を下げて顔を向けた。
「でも、織姫しゃまが、正座の所作を竜宮城の乙姫しゃまから習って、丁寧に丁寧に謝ってくだしゃいまちた」
「本当にコタまろに心から頭を下げることができたのか?」
万古老は織姫に尋ねた。
「はい」
「そうかのう? 織姫、そなたは乙姫に上辺の所作のみを教わっただけではないのか?」
「はい。お教えいただきました。コタまろにも正座して謝りました。その他に何が……?」
万古老は「コホン」と咳をひとつした。
「所作など習えば誰でもできる。しかし、真に心の底から詫びる心にならねば、所作には気持ちが込められてはいないぞよ」
「あっ……」
織姫は青ざめて押し黙った。
「おっしゃる通りです。魂ごと、コタまろに謝ります」
「真に心の底からの思いを伴ってこその、正座とお辞儀。それこそが本物の『正座』じゃ」
織姫はコタまろの前に正座した。
「コタまろ。わらわが悪かったわ。許してください」
「もういいよ、姫しゃま。これからは絶対に離れないからね!」
第八章 真っ赤なウソ
万古老師匠の目元が急にピリッと厳しくなった。
「うぬっ! 貴様……何者?」
冷たい風が一同を取り巻いた。妖しの匂いを含んだゾっとする風だ。
「何者か!」
万古老師匠が珍しく声を荒げて立ち上がり、杖を前にして身構えた。
めったにない、勇ましい万古老の姿だ。
洞穴の奥に植わっている紫の桜、紫雲木(しうんぼく=ジャカランダ)が満開になっている樹の根元に、座っている青年の姿がある。異様なことに目が爛々(らんらん)と不気味な金色に輝いている。
「あ、あなたはっ」
織姫が叫び、
「お前はッ」
コタまろも叫んだ。
座っていた男は、あの美面(みずら)だったのだ。
「ふふふ、気づいたか。私の本当の名前は、美面闇心(みずらあんしん)という」
異様な黄色い瞳に、背後には黒いふさふさとした尻尾が
花ひらくように何本も生えている。
「貴様、妖狐の仲間か!」
彦星が怒鳴った。
「『紫雲のキツネ』ともいう私の欲望は、平和で穏やかな世界を破壊すること。例えば――何千年も続いている習わしを壊すことじゃ」
「それで、織姫しゃまと彦星どのを会えなくしたのか!」
ピョンと飛び上がりながら、コタまろが叫んだ。
「いかにも。うさぎアレルギーなどというのは真っ赤なウソじゃ」
「なっに~~! ウソだったってぇ~~~?」
コタまろの顔が真っ赤になった。
「見事に、毎年の天の川デートは中止になっただろう。織姫と彦星は逢えなくなり、コタまろとの主従関係にはヒビが入った……」
第九章 若返り
「性根の腐ったキツネめが!」
万古老の容貌は、みるみる間に青い長髪の若返り、美面が繰り出してきた短刀をがっしりと杖で受け止めた。
「翁(おきな)、藍万古の顔カタチになって、我と勝負しようと?」
コタまろが尋ねる。
「藍万古って誰?」
「万古老師匠さまのお若い時のお名前だ。師匠は自由に若い姿に変われるのだ」
「彦星さま、よくご存知ねえ」
織姫がもらした。
「そりゃあ、何千年も前から、俺といいイケメン勝負しているからね」
「ま、しょってるわね!」
藍万古が藍色の髪をなびかせて、杖で美面の短刀を跳ね飛ばした。
美面ギツネは地面に伏してから悔しそうに、
「ふん、翁! 正座道では『闘うこと』は禁止なのではなかったか?」
「これは防御だ。お前に攻撃などせぬ。卑怯(ひきょう)な妖狐め、いずれは龍神になろうとでも強欲なことを考えておるのか、天帝から罰を下されるがよい!」
美面ギツネの短刀は、何十回も何百回も藍万古をかすめたが、藍万古を傷つけることができない。
そのうち美面の激しい息遣いがますます荒くなり、膝を折った。
「美面ギツネとやら。正座してみぬか」
杖を持ったまま、藍万古が声をかけた。
美面が紫雲のキツネらしい視線でキッと見返す。
「静かに、何も考えず背筋をまっすぐにして座るのだ。心は澄んだ泉のようになり、雑音が出ていく……。その時、お前にも正座の心と意味が分かるようになり、多分、生まれて初めて穏やかな気持ちに包まれるはず」
「うるさい、翁!」
美面ギツネは矢庭に短刀を地面に転がし、膝を着いた。
「そうそう、膝を着いたら、かかとの上に静かに座るがよい」
黙々と言われた通りにした。
藍万古はしばらく美面を正座させておいた。何日か経って様子を見にいくと、変わらず正座していた。
「何ゆえ、織姫とうさぎを離して困らそうとしたのだ?」
「何ゆえも何もない。ただ、当然のように1年に1度、恋人に会えるのが当然と思っておるふたりと、嬉しそうに舟漕ぎをしておるうさぎを見ていて腹が立ったのだ」
「そなたの望みは?」
「俺の望み? ――そうだな……。いつの日にか、天に昇る龍神になって、故郷で待つおっかさんを幸せにしてやることじゃ」
「ほほう、キツネが龍になってとは。なんたる壮大な望みじゃ」
「茶化すとただではおかんぞ、藍万古!」
美面がキバをむいたので、藍万古は杖で押さえつけた。
「茶化してなどおらぬ。人を騙したり不幸に陥れたりしては、よけいに龍神になる道から遠ざかってしまうぞ」
「……それは、ここ何日か正座していて感じた……」
小さい声で、美面はつぶやいた。
「ほほう?」
藍万古は背後から、人間に化けた老女の銀ギツネを呼んだ。キツネは、
「この子は息子に間違いありません。森で行方知れずになった末っ子ですが……人さまにご迷惑をかける子になっていたとは……なんと情けない……」
場違いなことに、老女の銀ギツネの正座は素晴らしい所作ではないか。
「母に恥じる行為をして龍神になれると思うてか?」
「うぬぬ……」
美面ギツネはうなだれた。
「素晴らしい正座ができる母に免じて、此度(こたび)は許してしんぜよう」
藍万古は杖を美面の前から放した。
「美面。100年も織姫と彦星を逢わせまいとした罪は大きいが、老母の美しい正座に免じて天帝さまに口添えしてやろう。母と共に森に帰ってよいぞ」
「ほ、本当に? よろしいのでございますか?」
親子のキツネは、そろって藍万古の顔を見つめ――、その場に正座し、深く頭を下げた。
そして森の奥深くへ跳ねて姿を消した。
藍万古は、白いヒゲの老人の姿に戻った。
「これで、美面の親子キツネも悪さはしないであろう」
「万古老さま、ありがとうございました」
織姫と彦星も正座をして頭を下げた。
織姫は万古老の白いヒゲを眺めて、
「藍万古さま、藍色の髪と若いお姿が凛々しかったのに、今度、拝見できるのはいつかしら……」
「織姫っ!」
「織姫しゃまっ」
彦星とコタまろが、そろって織姫を叱ったので織姫はぺろりと舌を出した。
第十章 カササギども
その頃、何度も「すまほ」で織姫に電話している青年がいた。
紺色と白のさっぱりした漢服を着て、頭に青い鳥の羽根を飾っている。電話しながら、イラついていた。
『織姫は眠り中、織姫は眠り中、織姫は眠り中』
それしか「すまほ」から応答はない。
「三日ほど前に七夕は過ぎてしまったのに、織姫は寝ているのか?」
ここ100年、毎年6月になると電話しているのに、誰も出ない。
カササギの青年の眉間に深いシワが刻まれた。
ある日、ひょっこりとうさぎのコタまろが現れた。
「カササギのキャプテン、100年前のジャンケン、忘れたの?」
と聞かれて、カササギ青年は思い出した。
「ああっ!」
「カササギの橋とおいらの舟、代わりばんこで天の川渡ししようって約束したでしょ。今年はおいらの番だよ」
「わ、忘れていた! 今年はコタまろの番だった!」
空を飛んでいたカササギたちが地面に降りてきた。
「申し訳なかった、織姫とコタまろ」
正座して頭を下げたが、織姫はにっこり笑い、請け合った。
「いいわよ、そんなこと。それより正座の所作を教えてあげます」
小耳にはさんだ彦星が、織姫のところへやってきた。
「な、織姫。ウワキは禁止だぞ」
「え?」
「カササギキャプテンも爽やかイケメンだからな。君は惚れっぽいから、クギを刺しに来たのさ」
「彦星さまったら」




