[13]正座が僕にもたらしてくれたもの


タイトル:正座が僕にもたらしてくれたもの
分類:電子書籍
発売日:2016/09/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:40
定価:200円+税

著者:岡本 理
イラスト:鬼倉 みの

内容
従妹のモトちゃんの葬式に出席した僕だったが、いい歳になって正座が出来ていないのは自分だけだったことにショックを受け、それ以来正座をするようにこころがけると、精神的成長を齎した。
“正座は確かに精神的成長を齎してくれる”
だが、ある光景をテレビで見た時、正座は精神的成長よりももっと大きな価値と意味を僕に突き付けた。その光景とは……?

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本文

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「モトちゃんが亡くなった」
父親からの電話はめったにない。電話がある時は冠婚葬祭の時だけだ。親戚の誰々が結婚するというグッドニュースならいいが、誰々が亡くなったというバッドニュースなら暗くなってしまう。
 今回はバッドニュースの方だった。
 まぁ、大概そうなのだが。
 モトちゃんが亡くなったと聞いても驚愕はしなかった。半年前実家に戻ると母親から
「モトちゃんが乳がんらしいねん。危ないかも」
 と聞いていたからだ。
 大人になれば生きている事が奇跡だと思うようになる。子供の頃はたとえ飛行機墜落事故があっても自分だけが生き残るという根拠のない自信があったが、知人や有名人等、思いもよらない人が思いもよらない死に方で亡くなることを何度も経験すると、生命なんていつどうなるか分からない、自分が今こうして生きている事でさえ奇跡だと感じるようになる。
 歳を重ねれば歳を重ねるほど。
 それをはっきり教えてくれたのは言うまでもなく二度の大震災だ。

 モトちゃんは僕の父方の従妹の女性だ。女性の平均年齢が九十歳になろうとし、百歳のおばあちゃんがたくさんいても決して不思議ではないこの時代に五十二歳で天国に逝ってしまったこの事実を「若すぎる死」というありきたりの表現を使う事以外、何があるだろうか。


「やっぱりダメだったのね」
「うん」
 妻が言うと、僕はクールに答えた。
「有休取って葬式に出るわ」
 いつもなら有休取るのに一苦労だが、今回は従妹の死という事でスムーズに取得出来た。
 当たり前のことだが。


 二人の子供を妻の妹夫婦に預け、僕と妻は僕の両親と一緒に葬式に出席した。
 僕は大阪に住んでおり、葬式は神戸で行われたので、日帰りで十分だった、これが妻の実家の東京ならもっと大変だな、とふと思った。
 僕は久々に親戚らと顔を合わした。モトちゃん以外の従妹二人に会うと、その昔、お正月にモトちゃんも合わせた仲良し従妹四人組でトランプの大富豪をして、僕が負けてその罰ゲームで、恥ずかしながら西城秀樹の「ヤングマン」を踊り付きで歌った事を思い出した。
〝そう言えばCが逆だっていつも笑われたな〟
 もう遠い昔だ。ロングロングアゴーとかいうヤツだ。
 その仲良し従妹四人組も僕の父方の祖父母が亡くなると集まる機会が極端に減っていった。
 ましてや皆、結婚し、子を持つと更に会う機会が減った。
「仕事は?」「子供は?」「身体は?」というお約束事の一連の話題をすると、葬式が始まった。


 モトちゃんの遺影が僕の目に映った。
〝阪神大震災の時は上手く逃れたのにな〟
 と僕は呟いた。
 しかし、何だろう。なぜか全く涙が出なった。ここ数年は全く会っていないにせよ、一応四親等の従妹である。親・兄弟ではないにせよ、親戚である。昔、よく遊んだ仲間である。
 それでも全く涙が出なかった。もらい泣きもなかった。
 もちろん悲しいのである。当然だ。
 棺を霊柩車に入れる前、最後のお別れという事で顔を見た時、さすがにグッと来たが、それでも涙は出なかった。
 潜在的に妻に見られたくないと思っているかもしれないが。
 なぜだろう。
 そう、先ほど言ったように年齢がそうさせている。
 いずれそう近くはない時に訪れる両親の死、将来的には妻、そして自分の死、歳を取れば取るほど時の進むスピードは速くなる、信じられないくらいに。それは誰も止められない、何をしても止められない、どうやっても止められない。
 古今東西未来永劫変わることのない、歳を重ねれば重ねる程時間は早く進むという、普遍的なこの真理。それについて異論を挿む者はいないだろう。
 もう周りの人の死が非日常ではなく、日常となりつつある。
 そんな年齢に差し掛かっている。
 とは言え、さすがに子供の死は覚悟出来ないが。
 そんなドライな思考回路が僕の涙腺を抑制している。


 葬式が始まり、暫くすると僕は足を崩した。
 しかし、僕以外の人間はほぼ正座のままだった。
 ほぼと言うからには、全員ではない。一部正座ではない人は足腰が弱い高齢の人と葬式のしきたりは知らないがワンピースとツムツムの事なら誰よりも知っている、誰かの子供の小中高生の子だけだ。
 そう、いわゆるいい大人で正座をしていなかったのは僕だけだった。
「俺だけやな、足崩してるのは」
 お経中、僕は妻に小さな声で言ったが、妻は別にいいじゃないと気に留めない様子だった。
 元々、そういう事に対して妻は無頓着である。
 まぁ、僕が正座をしていなくても葬式が中断するわけでも罰金を取られるわけでもないので問題はないのだけど、僕は少し気になった。
 よくよく見るとあのアグリも正座している。
「あれ? アグリも正座してるやん」
 思わず僕が呟くと妻が本当ね、アグリ君、慶応入ったそうよ、と言った。
「えっ? 慶応?」
 あの、アグリが、だ。

 アグリとは僕の従甥だ。数年前、お彼岸に祖父母の墓参りに行くとたまたま従妹の家族も来ていて、その時久々高校生になったばかりのアグリに会った。
 その時のアグリと言ったらどうしようもなかった。茶髪にピアスをし、メンズノンノの読者モデルにもなりそうな、おしゃれな恰好で、
「ウィース! 涼吾さん、ご無沙汰してまーす」
 なんて言っていた。
 誰がどっから見てもチャラい、不良風の高校生だった。
「茶髪なんて学校は許可してくれるん?」
「大丈夫ですよ」
 と悪びれた様子もなく言っていた。
「ヤンチャなんですよね」
 従妹の妻の美佳さんが冗談交じりに僕に言った。
「高校時代にヤンチャなのは健康の証ですよ」
 なんて適当に返したが、心の中では結構手を焼いているなぁと同情していた。
「将来は漫才師になって一発当てます」
 なんて調子のイイことを言っていた。
 身内の事を卑下するのは気が引けるが、とても勉強が出来る風には見えず、遊び人のような感じのアグリが、泣く子も黙る天下の慶応に入ったのである。
 ちなみにアグリという名前は車好きな従妹がF1レーサーの鈴木亜久里から名前を取ったらしい。
 今時のキラキラネームらしく、風貌や容姿も今風の高校生だった。
 そのチャラいアグリが立派になって慶応に入り、エンジニアを目指しているという。慶応なら当然名の通った企業に入るだろう、僕とは違って、なんて思った。

 しかし、今日会うと数年前のチャラいイメージはすっかり影を潜め、一人前の大人に成長したと感じだ。
「お久しぶりです。涼吾おじさん」
 帰り際、礼服が妙に決まっていたアグリは丁寧に僕に挨拶した。
 学歴だけではなく、雰囲気からするとヒューマンスキルでも負けた感じがした。


 葬式の夜、僕は反省した。と言うより、モトちゃんに申し訳なかった。
 本来は小さい頃大富豪で遊んでくれてありがとう、天国でゆっくり休んで下さいと言うべきだったのではないか。そんな言葉もかけられずに正座が出来ていない事を只管考えていたなんて。一体何て大人だろう。
 ちゃんと正座してモトちゃんに感謝と御礼とお悔やみの言葉をかけるべきだったのではないだろうか。
 そんな事が頭を駆け巡った。

〝どうして俺は正座が出来ないのだろう?〟
 元来僕の両親は挨拶や礼儀には厳しくなかった。そんな事よりいい大学、一部上場企業に就職、結婚と口やかましく言うだけで、挨拶や礼儀や、姿勢の正し方、箸の持ち方、ましてや正座の仕方など二の次、三の次で、法事等の参加しても
「涼吾、しんどかったら足崩しとき」
 と母親から言われながら育った。
 家族で正座の話をした事など今迄一度もなかった。
 だから僕が正座出来ないのは両親のしつけのせいだ、と結論付けようとしたが、今の状況を環境のせいにするなんてとても四十歳過ぎた男のセリフではないと思った。
  
 思い起こせば人生でちゃんと正座をしたのは結婚する時に嫁の両親に挨拶した時くらいだ。
 その時はさすがの僕もイギリスの有名なブランドであるポール・スミスのタイとネイビーのスーツでビシッと決め、
「由紀さんと結婚したいと考えてます。宜しくお願いします」
 と緊張しながら菅原文太のような強面な義理の父親に凛とした口調で言った。

 思い返せばその時が僕の人生のピークだったように思える。
その後、僕の体型はブクブク増えてメタボ、糖尿病予備軍になり、誰かが言っていた、崖の上のポニョならぬ腹の上のポニョになった。頭もバーコードとは言わないがだいぶ生え際が後退し、老眼でたまに眼鏡をかけ、とてもロマンスグレーとは言えない趣味の悪い白髪になり、風呂上がりはポンポンお腹を叩き、
「そんなの、いくら叩いても引っ込まないわよ」
 と妻から一言、わかっちゃいるけどやめられないのである。
 風呂上がりはバスタオルを肩にかけパンツ一丁でパンツのゴム部分をポリポリと掻きながら缶ビール片手に枝豆を食べてタイガース戦を見るという、キング・オブ・おっさんスタイル。
 仕事も特に出世するわけでもなく、課長程度をウロチョロし、給与も並程度。
 みるみるうちに僕は老け、中身も風貌も容姿も誰がどこからどのように見てもおっさんになった。
 情けない話である。
 しかし、だ。
 僕の出世、体型、それは仕方ないにせよ、せめて葬式の時くらいは正座をしようよ、そんな声がどこからともなく僕にふりかかってきた。
〝風貌は仕方ないが正座くらいはしようよ〟
 確かに。

 というわけで僕は正座に取り組むようになった。
 しかし正座をする場面などは殆どなかった。年一回集まる家族、親戚の新年会とたまに会社の経費で行く北新地の座敷での懐石料理くらいだった。だからとにかく、ソファー以外に座る時は正座をするように心がけた。
「正座なんかしてどうしたんですか?」
 部下からの質問にも僕は返す事が出来なかった。

 正座について、世界のホームラン王として有名なあの巨人軍の王貞治の娘さんが言っていた、あるエピソードをふと思い出した。
「お父様の試合をテレビで見る時は正座で見ていたんです」
 なるほど、それはそうだろう、世界のホームラン王である父親がホームランを打つ為に一生懸命頑張っているのに、その娘がゲームや漫画、ポテトチップスやカールを食べながらテレビを見ているなんて、第三者から見れば一体どういう教育をしているのだろうと思われ、印象はかなり悪い。
 正座して見ているとさすが国民栄誉賞第一号の家庭だな、となるだろう。
 僕はそれに倣い、せめてワールドカップとオリンピックを応援している時くらいは正座しようと思った。一つのプレイを成功させる為に〇・〇一秒縮める為に一日二十四時間×三百六十五日×四年間、全身全霊を懸けて練習をした選手に対して、ソファーで寝ころびながらじゃ、さすがに選手に申し訳ない、せめてそんな時くらいは正座をしようと思った。
 
 そんな風にして正座をする習慣を付けていると、なぜか生活習慣や食生活なども改善されてきた。正座だけではなく普段の姿勢、箸の持ち方、言葉使い、挨拶、礼儀、作法迄。
 しかもなぜか痩せた。あれほど何度もダイエットを試みて成功しなかったのに。
 不思議な事に。
 一事が万事とはよく言ったものだ。
 正座をすると色々な部分で改善や成長を齎してくれて、プラスにはなった。

 だから僕の二人の子供にもせめて法事や何かの時くらいは正座するように教育した。
「正座をしなさい」
 と。
「そんなん、日本国憲法第何条に書いてあるん?」
 と長男のヒロキが口をとんがらせて言った。
 口だけが達者な年頃である。


 しかし正座とは一体なんだろう。僕の頭の中はその問いが四六時中、支配した。
 確かに正座は僕に肉体的・精神的改善、成長を齎したが、そんな事で片づけていいのだろうか。
 正座にはもっと何か奥深いものがあるように直観的に感じた。
 だから僕は積極的に正座の話を周りにふってみた。しかし、そんな高尚の話に付き合ってくれる人なんて僕の周りには誰もおらず、大半は明日のタイガース戦や、競馬のG1レースや流行りの芸能人の結婚、離婚の話題をするヤツらばっかりだった。
 残念ながら。
 妻でさえ正座の話をふっても
「そうそう、あれって健康にいいらしいわよ、足つぼマッサージみたいに。ヨガの先生が言ってた」
 なんて言う。
 僕はそんな事を聞いていないのだ。 
 正座とは一体何なんだ、という話をしたいのである。
 
 そう言えば正座って欧米人はしないよな、仏教から伝わって来たのか、罰としての正座もあるなとか色々考えた。
 まぁ僕のような脳みその少ない、ハードディスクの容量が少ない頭で考えていても仕方ないので、昔広辞苑、今ウィキペディアという事で調べてみたが、参勤交代の時、江戸時代に広まった、かしこまった座り方というありきたりの事しか書いてなかった。
 当然、納得のいく答えではなかった。


 そんな時、僕は佐藤ポンと鰻丼並を食べに行った。
 佐藤ポンは本名佐藤綾香と言って、クリッとした瞳と口元靨がトレードマークの僕の可愛い部下である。
 僕は佐藤ポンと親しいので大した意味もなく、社外では佐藤君ではなく佐藤ポンと呼んでいる。
 佐藤ポンはやけに姿勢がよく字もきれいでバイオリンも習っていて、絶滅品種のいいとこのお嬢さんというような子だった。
 男性勝りの女子が多い中、社風には似つかわしくない稀有なOLである。
 その佐藤ポンと土用の丑の日に座敷で鰻丼並を食べていたある時、姿勢がいい佐藤ポンならひょっとして正座について何か知っているかと思い、正座の話をふってみた。
「佐藤ポンって、本当にいつも姿勢がええなぁ」
「いえいえ。とんでもないです」
「関心するわ。両親、厳しかったん?」
「いえ、特に厳しくなかったです」
「じゃあ、何で?」
「実は祖父が僧侶だったんです」
「へぇーそうなんや。それで姿勢なんかうるさかったの?」
「そうですね」
「正座も本当に綺麗やもんな」
「いえいえ。まぁよくやらされましたけど……」
「正座って……何か意味があるん?」
 僕がそう聞くと佐藤ポンは少し怪訝そうな顔をした。
「いや、ちょっと聞いて見ただけ。別に深い意味はないんで……」
 僕は苦笑しながら答えた。
「それは分かりませんが、何かその手の話は色々聞かされました」
「どんな話?」
「何か小難しい話だったと思うんですけど……」
「それでもええよ」
「うる覚えなんですけどいいですか?」
「ええよ」
「何か、頭を本当の空っぽにするみたいな話を聞いた事があります」
「本当の空っぽ?」
「ハイ」
「無にするの?」
「いや、無ではなくて……」
「無ではなくて……?」
「無もない状態にするみたいです」
「無もない状態?」
「ハイ」
「どういう事?」
「どう言えばいいのか分からないですが、ONが有でOFFが無ならOFFの状態が当然無なんですが、本当の無はそのOFFのスイッチさえないみたいなんです」
「分かったような、分からないような……」
「本当の無は無さえないみたいなんです」
 僕は少し考えた。
「つまり無とは無という物がある、という時点で有なんやね」
「ハイ」
「何だか、哲学者みたいやな。以前、背伸びしてアインシュタインの相対性理論を理解しようとした事があってんけど、その時に時間と空間はワンセットというような話を読んだことがある。ずっと昔々、宇宙さえ誕生してなかった時、いわゆるビッグバンが起こる前は何があったんだろう、と思ってんけど、空間が発生していない時は時間も発生してなかったらしい。そのような事とよく似てるんかな? つまり有と無は対じゃなくてワンセット。時間と空間も対ではなくてワンセット」
「うーん、余りよく分からないですけど……」
「ハハハ、そりゃ、そうやな。俺も分からんくらいやから。つまり本当の無というのは無さえ存在しないものだと……」
「ハイ。何かそういう事を聞いた覚えがあります。お坊さんはお経を読む時、正座をしながらそういう境地でお経を読むみたいですよ。座禅もそんな感じじゃないですか、邪念を振り払うという意味で……」
「そのような気持ちで死者を弔うねんな……なるほど……」
 僕は感心した。
「いや、そんな真剣に捉えないで下さいよ。うる覚えなこと、言ってるだけですので。私、僧侶でも何でもないんで……ひょっとしたら間違いかもしれませんし……」
 佐藤ポンはそう言ったが、この佐藤ポンの説明は妙に僕の頭に残った。
〝本当の無とは無さえ存在しない〟
 そのような境地で死者を弔う。
 確かに死者を前にすれば自然に正座になるだろう。無を脱した境地で。
 そんな高尚な気持ちで僧侶はお経を読んでいるのに、僕としてみたら。
 そんな話を聞くと僕は猛省した。
〝一体本当の無とは何だろうか?〟
 何の飾り気や嘘のない自然な姿とは何か。
 女性の本当の美しさは自然な姿だ、という事を聞いた事があったが、それと一緒かなとも思った。


 そんな風にして時が経ち、年が明け、桜の開花の足音が聞こえるようになった。
 そして二〇一六年三月十一日を迎えた。言うまでもなく東日本大震災からちょうど五年が経った、節目の日である。

 僕は天皇皇后両陛下が東北に行った時に避難所の体育館にいる避難民が天皇陛下がご入館するや否や、一斉に正座し始めた光景をテレビでたまたま見た。
〝なんて、素晴らしいことだろう〟
 その光景を見るや否や、僕はなぜか震え、感動し、涙が出てしまった。
 僕の追い求めていた事はこのような事かもしれない。
 他人から見れば感動する場面ではないかもしれないが、僕からしてみればそんな事はなかった。
 天皇陛下が来られたので自然と正座をする、これこそ有無の状態を脱した本当の自然な行為であるまいか。
 そう、僕が人生で一度だけ行った、結婚の許可を取るために正座をした瞬間、それもまさに無意識の無の域を脱した、自然な行為をしたような気がする。
 この有無を超えた境地こそ、本当の正座ではなかろうか。
 それらの行為は決して義務的、強制的に行われたものではない。極めて自然に普通に行われた行為である。
〝人間が何の飾りもなく自然に振る舞う姿は何て美しいんだろうか!〟

10

 僕は今、普通に働き、愛する妻とかけがえのない子供がいる。ブクブク太って糖尿病予備軍と言われるが、一応健康である。
 傍から見れば平凡な幸せを過ごしていると見えるだろう。
 しかし、この平凡な幸せがいつ崩れるか分からない、そう人間なんていつ死ぬか分からない。
 モトちゃんしかり、阪神大震災や東日本大震災で亡くなった方しかり。
 このような平凡な幸せは亡くなった方や遺族から見れば、決して平凡ではなく、非凡であり、とてつもなく大きな夢であり奇跡である。
 よく平凡な幸せと言うがとんでもない、両親が普通に働いて子供がいて、みんな健康、これは間違いなく非凡な幸せだ。
「なあ、由紀。今度の夏休み東北にでも行けへんか?」
「東北? 別にいいけど……いきなり何で?」
「いや、別に……」
 そう言えばいい大人になって僕は東日本大震災の被災者に募金一つしていなかったなと思った。もちろんテレビを見てたくさん悲しんだが、それ以上の行為は何もしなかった。
 けど、テレビやインターネットを見ていれば多くの人が何かしらのことをしている。
 なぜそのような行為が正座と同じように無意識に、いや無意識を超えた気持ちで行えなかったのだろうか。
 正座同様、このような行為が自然に行えない自分に苛立ちを覚えた。

11

 モトちゃんの葬式以来、僕は正座とは何かを考えるようになり、出来るだけ正座をするように試みた。正座をすることで精神的成長、肉体的改善が出来たが、正座が齎してくれたものはそれだけではなかった。
 正座はもっと大きな高尚で崇高なテーマを僕に突き付け、今、僕が生きているという本当の意義、価値を考えさせられる迄に至った。
 そう、僕はこの歳になって改めて人生に対し、真摯な姿勢で取り組むようになった。

〝今度、モトちゃんの墓参りする時は心の底から感謝と御礼を言えるだろう〟


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