[113]正座先生と卒業式


タイトル:正座先生と卒業式
分類:電子書籍
発売日:2021/03/01
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:56
定価:200円+税

著者:眞宮 悠里
イラスト:鬼倉 みのり

内容
 高校3年生のサカイ リコは、正座の存在をきっかけに高校生活が大きく変わった、星が丘高校茶道部の元部長。
 そんなリコの『高校卒業後も茶道を続けたい』という思いは見事実を結び、茶道サークルのある国公立大学『星が丘大学』への進学が決まった。
 そして進路が決まったのは、仲間たちも同じ。
 あとは卒業式を迎えるだけとなったリコたち3年生は、揃ってこの一年を振り返りながら、改めて正座して見ることに……。
 すると、正座を通じて得たものは、それぞれに違っていたことがわかって?
 高校生活を通して『正座先生』となったリコが、卒業を控えて、これまでの日々を振り返る『正座先生』シリーズ第31弾です!

販売サイト
https://seiza.booth.pm/items/2787381



本文

当作品を発行所から承諾を得ずに、無断で複写、複製することは禁止しています。


 わたし『サカイ リコ』は、正座の存在をきっかけに高校生活が大きく変わった、日本の学校に通う高校三年生だ。
 わたしは秋まで、星が丘高校茶道部の部長を務めていた。
 だからもし『高校生活は何に打ち込みましたか?』と聞かれたなら、わたしは間違いなく『茶道部の活動と、正座の普及に打ち込みました』と答えるだろう。
 そのくらい、わたしは部活動熱心だった。
 たとえば周囲にも『茶道と正座を頑張っているサカイさん』として知られていたほどなのだ。
 ……と、書くと『そうか、サカイさんは、きっと、もともと茶道が大好きで、正座が得意だったのだろう。だから、その好みと技能を生かせる茶道部に入部し、楽しい高校生活を送ったのだ……』と思われてしまいそうだ。
 だけど、実際はそうではない。
 むしろ、逆なのだ。
 確かにわたしは、もともと茶道に強い関心を持っていた。
 だから『茶道が大好き』と言えるほど打ち込んでいたり、詳しかったりはしなかったけど……好きな気持ちは持っていた。
 だけどわたしは高校二年生の初夏まで、正座がまったくできなかった。
 得意どころか、強すぎる苦手意識を持ち『特に正座をする機会はないのだから、正座ができなくてもかまわない』と考えていたほどなのである。
 では、そんなわたしが、なぜ『茶道と正座を頑張っているサカイさん』になれたのか?
 それは、友人の『タカナシ ナナミ』の存在があったからだ。
 ナナミは特技が剣道であることから、剣道中に必要な正座も得意だった。
 だから、正座を教えてくれた。
 今から一年半ほど前『茶道をするために、茶道部に入りたい。でも、茶道に必要な正座が苦手である。どうしよう……』と、困っていたわたしを、助けてくれたのである。
 これがきっかけで、わたしは無事に正座への苦手意識を克服し、茶道を始められるようになった。
 晴れて、星が丘高校茶道部に入部できたのである。
 このときわたしは、ナナミにとても感謝した。
 同時に、わたしもいつか、ナナミのようになりたいと思うようになった。
 もし自分がナナミのように、人の『苦手なこと』に寄り添いながら、それを克服するお手伝いができる人になれたら……。
 それは、過去の自分のような人を助けることにもつながる。そう思ったのだ。
 この日からわたしは『星が丘高校の茶道部部員』としてスタートを切るとともに『正座先生』を目指すことを決意した。
 『正座先生』とは、つまりナナミのこと。
 正座が得意で、正座の知識を持っているだけでなく、それを優しく、丁寧に教える力がある人。
 そんな、ナナミのような人を目指し始めたのだ。
 これによって、わたしの高校生活は大きく変わったのである。
 そして、今は正座先生になった日から約一年半後。
 高校三年生の二月末となった。
 わたしは無事に高校を卒業できることが確定し、春からは新しい道を進んでいく。
 だから、ここで一度、振り返ってみたくなったのだ。
 卒業は終わりじゃないけど、一つの区切りである。
 だからこのときまでに、わたしはどんなことができたか。どんな日々を送ってきたか……。それを確かめてみようと思ったのである。
 その試みは、自分の成長度合いをチェックすることでもある。
 ゆえに、少し怖いことでもあるけれど……。
 これまでお世話になってきた人たちに、自分の成長を見せるチャンスであったり、一緒に頑張ってきた仲間たちと、これまでの思い出話をできたりするチャンスでもある。
 だから今回は……これをやってみようと思う!
 高校卒業まであと少し。
 今回は同級生との仲間たちとこれまでを振り返ります!


「受かりました! 星が丘大学!」
「合格いたしました。月の谷大学」
「受かりましたよ。星が丘体育大学。
 ……って、これはとっくにご存知でしょうけど……」

 高校三年生の二月の終わりは、友人の『キリタニ アンズ』と『モリサキ ユリナ』の二人とともに星が丘神社へ行き、とある人に合格報告に行くところから始まった。
 その『とある人』とは……。

「おおお……三人とも見事じゃ。頑張った甲斐があったのう……!」

 この一年、本当にお世話になった茶道部の特別講師『ヤスミネ トウコ』先生のことである!

「あたしは推薦いただけたんで、リコとアンズに比べれば気楽なもんでしたけどね。
 それでも、無事に面接通れたのは茶道部のおかげっす。
 トウコ先生、本当にありがとうございました」
「いやいや、むしろユリナが推薦合格できるかが、わらわたちの一番の不安点じゃったぞ?
 ユリナが一番早い段階で進路を決められたとき、わらわたちはずいぶんホッとしたものじゃ。
 だって『本番に弱すぎる』でおなじみのユリナが、通常の受験、通常の筆記試験を受けることになりおったら……。
 ユリナ自身の試験が不安なのはもちろん、リコやアンズはユリナを心配になりすぎて、自分の勉強に手が付かなくなっていたかもしれん!
 なんなら、わらわは合格の知らせを聞いてしばらく経った今日も、ユリナのことを考えていたぞ?
 ユリナよ、おぬし、星が丘体育大学の入学式で挨拶の言葉を読むことになったんじゃろ?
 本番に弱いだけでなく、メンタルの弱いユリナに、果たしてそんな事が無事できるのか……。
 はぁあ……わらわは、気になって夜も眠れん……」
「もう! からかわないでくださいよ!
 茶道部のおかげで、あたしの弱いメンタルも、多少は強くなってるんですってば!」

 まず、今『星が丘大学に推薦合格した』と報告したのが、ユリナ。
 ユリナはこの通り、明るく気さくな性格で、高校生活中は、主に女子サッカー部の部長として、みんなに慕われていた。
 だけど、今トウコ先生に心配された通り、高校時代、本番に弱いことと、ちょっと精神的にもろいところが弱点だったのである。
 なので周囲のみんなは、ユリナのことが大好きだからこそ『ユリナは大学受験を無事に突破できるのだろうか?』『ユリナは素行優秀だから、第一志望の推薦試験を受けることができた。でも、作文と面接だけの推薦試験ならまだなんとかなるかもしれなくても、もしこれに失敗してしまったら……。ユリナはとても落ち込んでしまうのではないか。通常試験に気持ちを切り替えることができるのだろうか?』と、とても心配していたのだった。
 だが、そんなユリナは『茶道部のおかげで、メンタルが強くなれた』と思っているようだ。
 ユリナは、女子サッカー部所属であったにもかかわらず……である。
 その理由は……。

「私とユリナは茶道部部員ではございませんでしたが、リコと茶道部のみなさまから正座を教えていただいたことにより、精神的に大きく成長できました。
 本当にお世話になりました……!
 ということで、改めて一度、トウコ様にご挨拶させていただきたいと思っていたのです。
 本日はそれが叶い、とても嬉しく思います。
 お時間本当にありがとうございます」
「ホホホ。相変わらずアンズは真面目じゃのう。
 だがとんでもない。わらわは特に何にもしておらんよ。
 報告はとても嬉しく、会える時間がとれたのはわらわとしても大変ハッピーじゃが……。
 この一年間の成果は、すべておぬしら自身の努力のたまものであり、わらわはせいぜい神様らしく、見守っていただけに過ぎない気がするぞい」
「見守っていただけたことがありがたいのですよ。
 まさか自分の人生において、神様がすぐそばにいらっしゃって……それだけでなく、まるで『先生と生徒の関係』かのような雰囲気でお話ができるなんてことがあるとは思っておりませんでした。
 とてもありがたく、貴重な体験です」
「はっはっは。そう言ってくれるなら、わらわとしてもありがたい。
 とはいっても、わらわとアンズに関しては『先生と生徒のよう』と、かしこまる必要すらないな。
 『近所のお姉さんと女子高生』といったところじゃろう!」

 今『神様』というとんでもない単語が飛び出したけれど、その説明は後回しにして。
 このように、二番目にトウコ先生にご挨拶をしたのが『月の谷大学に合格した』アンズ。
 アンズはとても真面目で落ち着いた性格で、引退するまでは、アーチェリー部の『裏顧問』と呼ばれる存在だった。
 自分から目立とうとすることはないけれど、周囲からはその実力を認められていて、とても頼られている。
 また、教えるのがとてもうまい。
 結果、生徒なのに、顧問の先生のような風格がある……。
 そういう意味で『裏顧問』扱いされていたのだ。
 そんなアンズは、周囲には、すでに精神的に大きく成長しきった存在だと思われていた。
 だけど今アンズ自身が口にした通り、アンズもまた、正座を通してさらに心のレベルがアップした人物である。
 ……大学受験勉強中、アンズにも、迷う瞬間があり、そのときにアンズは正座を活用したのだ。

「アンズが成績伸び悩んじまって、精神的に滅入っちまった時はどうしようかと思ったよな。
 あのときも、正座がきっかけで立ち直ったんだよな」
「さようでございます、ユリナ。
 あえて一度勉強から離れ、正座を使って精神集中する機会を得たことで、気持ちをリセットできたんです。
 あのときから、迷ったときは正座をして気持ちを落ち着ける習慣がつきました。
 それまでは、正座は主に勉強するときのものでしたから」
「あのときは、この星が丘神社で正座をしたな。
 昨日のことのように思い出せるのに、もうずいぶん前のことなんじゃなぁ。
 正座をすることで気持ちを静め、精神状態をリセットする。
 あれもまた、一つの『正座勉強法』といえるな」
「そうだ! 『正座勉強法』といえば……」

 『正座勉強法』の話になったところで、わたしは気づく。
 実は今日の星が丘神社訪問の人数は、実は三人ではなく、四人なのだ。
 そして、その四人目とは『正座勉強法』を何よりも活用した……。

「おーい! みなさまー! ナツカワ殿が到着なされたでござるぞー!」
「遅れて申し訳ない! トウコ先生!
 僕、ナツカワは、無事に東京大学に合格いたしました!」

 わたしたちの友達で、元数学部部長の『ナツカワ シュウ』君のことである!
 ナツカワ君は、『ヤスミネ マフユ』さんに連れられて現れると、開口一番、大きな声で合格を叫んだ。
 ちなみにマフユさんはトウコ先生と一緒に暮らすトウコ先生の従者であり、星が丘高校の学生で、茶道部の一員でもある。
 つまり、マフユさんもまた、わたしたちの大切な仲間なのだった。
 そう! 苦しい受験勉強の甲斐あり、わたしたち仲良しグループ四人は、全員が第一志望に合格できた。そしてこれを、先生と仲間に伝えることができたのだ!

「おおおっ……おおおお……とっ、とっ。と……。
 すごい……すさまじいぞ……。
 わらわは……わらわはもう……。ううっ……ううっ……」
「うわっ!? トウコ先生がきちんとお話しできないくらい感動しちゃった!?」
「あーリコ殿、拙者が通訳するでござるよ。
 トウコ様は『東京大学に現役合格するとは、すごい努力がもたらした、すさまじい成果じゃ。わらわはもう感激して、うまく話すことも出来ん』と伝えたいのでござる」
「なるほど……!」

 確かに、トウコ先生が感激するのも無理はない。
 ナツカワ君はアンズとユリナ同様、茶道部の部員ではなく、引退まで数学部の部長を務めていた。
 さらに、ご家庭があまり裕福でないという事情から、アルバイトもしていたのである。
 そんな多忙すぎる環境にあったナツカワ君が受験勉強をしっかり行い、現役合格を果たしたという事実は、まさに『すごい努力がもたらした、すさまじい成果』といえる。
 そう、ナツカワ君は、そんなにも多忙だからこそ『正座勉強法』を有効活用して勉強する道を選択したのである。

「おっとっと。マフユよ、助かった。
 わらわが伝えたかったことは、マフユが通訳してくれた通りじゃぞ。
 あっ! じゃがもちろん、感動した理由は『偏差値が高い大学に合格したから』というだけではないぞ。
 ナツカワが、決して楽とは言えない己の環境に屈せず、ベストを尽くしたことが、まずすごい。
 さらにその努力が、第一志望大学合格と結びついたことがすさまじく、素晴らしいのじゃ」
「トウコ先生、ありがたいお言葉、とても嬉しいです。
 僕は茶道部の部員ではありませんでしたが、学校祭で、数学部として茶道部とコラボレーションをさせていただいて以来、まるで兼部部員のような気持ちで、茶道部と深くかかわりながら活動させていただきました。
 その過程で、今日ここにいるサカイ君、キリタニ君、モリサキ君とも、友人として親交を深めることができ、高校生活が豊かになったと感じております。
 僕からもお礼を言わせてください。
 星が丘高校茶道部の特別講師になってくださり、本当にありがとうございました。
 トウコ先生がいらっしゃったからこそ茶道部は昨年度よりも充実した活動ができ、それが『正座勉強法』を生み出したと聞いています」
「なんじゃなんじゃ、さっきからわらわにはもったいない言葉ばかりじゃのう……。
 茶道部が『正座勉強法』を生み出したのは、あくまでリコたちが知恵を絞ったからじゃよ。
 して、その『正座勉強法』とは、どのようなものじゃったっけ? リコ?」
「よーし! じゃあみんな、せっかくこの星が丘神社のトウコ先生のお宅にいることだし、正座しながらそれを振り返っちゃおうよ!」
「いいでござるのう! 拙者たちもやるでござるよ。ねっ、トウコ様?」
「もちろんじゃ!」

 今日わたしたちがお邪魔させていただいているトウコ先生のお宅は星が丘神社の中にあり、それは立派な日本家屋だ。
 だから家じゅうどこでもわたしたちは正座することができるのである。
 では、トウコ先生がなぜ星が丘神社の中にお住まいかというと……。
 それが、先ほどのアンズの言葉につながる。
 トウコ先生は星が丘神社の神様であり、星が丘神社とは、わたしたちのような部活動に励む学生を応援する神社だからである!

「では、せっかくだから、僕たちもまたしっかり正座を習得したことを、トウコ先生にも見ていただこう。
 サカイ君。まずは僕が正座のフォームをおさらいさせていただいてもいいかな?」
「もちろんだよ! では、全員で立った状態から正座するところから始めてくれる?」
「では、みなさんお立ちになりましょうか」

 アンズの掛け声により、その場にいる六人全員が、一度立ち上がる。
 ここにいるのは全員わたしの大切な人たちだけれど、たった一年前までは、全員が仲良くなって、全員が同じ場所に集まるなんて、考えられもしないことだった。
 アンズとユリナは、茶道部に入る前からのわたしの友達だったから、三人でなら集まることはできただろう。
 でも、たとえば、わたしが昨年の春星が丘神社を訪れて、トウコ先生と出会わなければ、トウコ先生は特別講師にはなってくれなかったし、マフユさんとも出会えなかった。
 トウコ先生が特別講師になってくれたことで部活動の幅が広がらなければ、わたしたちの活動に、ナツカワ君が関心を持ってくれることもなかったのである。
 つまりは、この中では、ナツカワ君と親しくなれたことが、もっとも奇跡的だということだろうか。
 そんなナツカワ君が、自分から進んで正座の話をしてくれる。
 本当に、奇跡みたいなことである。

「では、基礎の基礎から。
 正座とは、膝から下、足の甲までを床につけ、膝を曲げてかかとの上にお尻を乗せる座り方だ。
 正座は奈良時代に中国から伝わった座り方とされている。
 だが、中国では正座の文化は消えてしまったようで、現在では主に日本人だけができる座り方とされているね。
 ヨガにも『バジュラ・アーサナ』という正座に似た座り方があるが、これは似た座り方ではあるものの、正座ではないからね。
 そんな日本人の間では、江戸時代、日本の民家で畳が普及したことにより広まった。
 それが、明治時代、政府によって正座が『行儀作法における、正式な座り方』と認定されたことにより、かしこまった場面、まじめな場面では正座が推奨されるようになったというわけだ」
「さすがナツカワ、正座の歴史についてもばっちりじゃな。
 ではなぜ、現代の日本では、正座が苦手な人も多くおるのじゃろう?」
「それは、現代日本では正座をする場面は限られており、人々は正座から縁遠くなりがちなことに、大きな要因があると言えるでしょう。
 また『正座をすると足が痺れる』という先入観をお持ちであったり『正座をすると足が短くなってしまう』という間違った知識をお持ちであったりした結果、正座から遠ざかってしまう人も多い。
 でも、剣道や茶道のように正座が必要な日本の文化はあります。
 また、正座をすることで腰痛防止といった健康に関する恩恵を受けられるし、集中力アップなど、勉強にも生かせる側面もある。
 それを理解した上で、場面に応じて、自分が適切だと思う座り方を選択していく。
 たとえば、正座の良い面を理解して、正座の正しい知識を持ち、日常生活に生かす。
 ときにはその知識を使って、正座に苦手意識のある人を助ける。
 ただし、正座がどれだけ良いものだと知っているからと言って、他人に強要はしない。
 『正座をしない暮らし』もあると理解し、尊重する。
 それが正座をしていくにおいて大切な姿勢であると、僕は考えています」
「完璧な回答じゃな!」

 うーん、トウコ先生のおっしゃる通り。
 これでは『茶道部の元部長であり、現在正座先生と呼ばれているのは、このナツカワ君です』と嘘をついても、みんな信じる気がする。
 いや、半分は嘘じゃない……!
 ナツカワ君はすでに、正座先生と言っていいくらいの知識と心構えを持っていると考えて間違いないだろう。

「すごいな、ナツカワ。あたしも負けてらんねぇぜ!
 正座の説明、ここからはあたしが引き継いでもいいか?」
「もちろんさ。今はみんなで、これまで続けてきた正座について振り返る時間だからね。
 ぜひ、続きを頼む」

 ここでナツカワ君が小さく手のひらをユリナに向かって広げ、ユリナがそれを、自分の手でパチンと叩く。
 元気なユリナらしい叩き方だ。
 正座の説明、バトンタッチの瞬間である。

「じゃあ。あたしは正座の具体的な仕方を説明するぜ。
 まず、正座は今ナツカワが言った通り、膝から足の甲までを床につけて、膝を曲げてかかとの上にお尻を乗せる座り方だ。
 この形をより自然に、より無理なく続けられるように……っていうのを目指して、座っていくぞ。
 んじゃあ、みんな、あたしに合わせて一緒に正座をしてくれ。
 まず、座るとき、背筋は伸ばす。いい姿勢でいることが、何よりの基本だからな。
 次に、肘は垂直におろす。
 手は、膝と膝のあいだにできる、まっすぐな隙間に対して、斜めになるようにおいてみてくれ。カタカナの『ハ』の字を意識するといいな。こうするだけで自然と背筋が伸びるし、楽に座れるぜ。
 それから、足の裏は楽にしていい。
 具体的には、足の親指同士は、次の三つから選ぶのがいい。
 『親指同士が触れる程度、軽く重なり合っている程度、深く重なり合っている程度』の三つだ。
 さっきナツカワが、ヨガの座り方『バジュラ・アーサナ』について触れてくれたけど……。
 あれは親指同士は重ねない座り方なんだ。
 『正座に似てるけど、正座ではない』というのは、この辺が理由だな。
 そして、この足の親指についてもう一つ。もう片方のかかとよりも、外側には向けないようにしてくれ。
 手同士はカタカナの『ハ』の字に近づけるけど、足同士はそうしちゃだめだってことだな。
 ふう……こんなところかな?」
「あら、ユリナ。おひとつ何かをお忘れではありませんか?」
「あ! そうだった。いけないいけない。大切なことを忘れてたぜ。
 スカートをはいて正座するときは、スカートは必ずお尻の下にひくようにしてくれ。
 足全体が隠れるように、スカートを広げた状態で正座するのは、礼儀正しい格好とは言えないし……。
 広がっているスカートのすそは、うっかり踏んじまうことがある。
 つまり、事故の可能性も上がっちゃうんだ。
 気を付けてくれよ。
 あたしは制服以外でスカートをはくことがないから、つい忘れがちになっちゃうんだよな。ごめんごめん。
 今後は改めていかないとな。
 ルールとして周知していきたいから、説明する相手が男性だけのときも、この話はしていかねぇと」 
「そうだね。僕のような男性だって、誰がいつ、スカートのすばらしさに目覚めて、スカートをはくことになるかわからないからね。
 たとえば、外国の民族衣装では、男性もスカートを履くことがあるわけだし」
「そうだよなぁ。あたしが知らない、知り合いにいないっていうだけで、男性がスカートをはくのが当たり前の暮らしの国があったり、個人的にスカートをはくのが好きな男性がいたりしても不自然じゃないからな。
 説明する側になるときは、できるだけ自分の固定観念を捨てていかないと」
「良い心がけじゃな。ユリナ!」

 ユリナの説明に沿って正座をすると、全員がとても自然に、とてもよい姿勢で正座することができた。
 今のは、わたしが一年半前、ナナミから受けた説明だ。
 そしてわたしがユリナに伝え、そのユリナは、今後誰かに説明をすることを考えながら、今日お話ししてくれた。
 こうして正座の輪が広がっていくんだ……。と思うと、なんだか感慨深い。

「あらあら。正座が完成してしまいましたね。
 それでは私アンズは、正座がもたらす効力についてお話ししましょう」
「おっ! いよいよ『正座勉強法』に触れるわけじゃな!」
「さようでございます。では、ユリナ?」
「もちろんだぜ!」

 その言葉とともに、ユリナが小さく手を上げ、それにアンズの手が、そっと、ポン、と触れる。
 おしとやかなアンズらしい、丁寧な所作である。

「正座勉強法とは、主に精神的に集中しやすくなる場面を作ることを主眼にしております。
 たとえば、テスト勉強、受験勉強とは、常に時間がないものです。
 食後であっても、勉強しなくてはならない場面が多くあるかと思います。
 しかし食後は、食べたものを消化するために、胃腸に優先的に血液が運ばれます。
 これが、眠くなってしまう原因なのですね。
 これを防ぐのに、正座が有効です。
 正座をして、膝から下を曲げる。こうすることにより、脳に血液が運ばれていきます。
 結果、目が覚めるというわけです。食後の勉強には、ぜひ短時間であっても、正座をしてから行うのがいいでしょう。
 また、正座はナツカワ君がおっしゃられた通り、集中力アップにも有効です。
 今、正座することで脳に血液が運ばれると申し上げましたが……。これによって脳は目が覚めるだけでなく、活性化するのです。
 これが、集中力アップにつながるというわけですね」
「アンズも完璧じゃな! 正座に苦手意識がある人でも、こういった正座のメリットを伝えることで『正座をしてみるのもいいかな』と思うことができるじゃろう」
「ふふ……ありがとうございます。トウコ先生」

 こうして三人の説明が終わり、わたしたち全員は、この部屋に正座する形になった。
 それを誰も『ちょっと大変だ』とか『足がしびれてしまいそう』と思わない。あるいは、思ってはいなさそうに見えるのは、まさにこの一年の成果と言えるだろう。
 部屋全体に、落ち着いた、のんびりとした空気が流れる……。
 と、思っていると。

「ここで、全員が安定して正座の説明ができたところで……。
 打ち明けてもいいかい?」

 ナツカワ君が、こんな風に切り出した。

「もちろんいいけど……どうしたの?」
「おお、ありがとう。では告白させていただくよ。
 僕はこの約一年間、正座への理解を深め、正座を好きになった。
 だから、それを前提に聞いてほしいのだが……。
 でも、実は正座が得意になったかというとそうでもない!
 多分、この中で長時間正座をするのは一番苦手だと思っている!」
「な、なんですってー!?」

 爆弾発言である。
 でも、ナツカワ君はとにかく一生懸命で、自分への理想が高い人である。
 もしかすると『得意』と言っていいレベルが高すぎるだけなのかもしれない。
 と、思っていると、さらにユリナとアンズまでが口を開いた。

「それを言ったら、あたしも同じ気持ちだぜ。
 もちろん、あたしだって正座を真剣にやってきた。
 主にメンタルを強化したかったしな。
 何より、みんなで正座をするのが楽しかった。
 あたしは女子サッカー部だからさ、普段は体育会系なんだ。ずっと走り回ってるのが自然な生活をしてる。
 でも、正座はそうじゃないだろ? ものすごくわかりやすく言えば、正座は文化系、正座しながら走るなんてできないからな。
 みんなと一緒に正座について学んで、一緒に正座するとき、あたしは、普段は見ない世界を見られた気がしたんだよ。同時に、精神鍛錬もできたしな。
 でも、だからこそ、この中で、自分だけ違うスタンスで正座をしてたんじゃないかって、心配なんだ。
 こんな自分が『正座好き』を名乗ってもいいのかなって」
「私も同意見です。それはやはり、ユリナの言う通り、普段の生活が体育会系で『正座と関連する文化をしっかり学んでいない』というのを負い目に感じているからでしょうか。
 でも、ユリナ同様、私も正座で得るものがたくさんありました。
 たとえば……本当は私は……集団行動が苦手です。
 誰かと一緒にいるときも、どこか精神的な距離は遠いような気がして、淋しい気持ちでいることが多くありました。
 ですが、みなさんと正座をするようになって、心持ちが変わったように思います。
 たとえば、正座をしながら、単純にみなさまとより親しくなり、一人ひとりの心に触れる機会が増えました。
 それから、一人で勉強をしているときも……。
 今は離れているけれど、ひとりぼっちで勉強をしているけれど。
 みんな同じように、一緒に学んだ正座を用いて勉強を頑張っている。
 精神的に、誰かとつながっている。
 そう思えるようになったんです」
「それは僕も同じだよ、キリタニ君。
 茶道部に声をかけるまでは、僕は自分の知っている狭い世界で、少ない仲間だけとともに、未来を目指すのが正しいと思っていた。
 『これだ』と思ったこと、一つだけを深めるのがいい……。ってね。
 でも、学校祭で茶道部とコラボレーションしたとき、様々な人の意見を聞きながら、それを織り交ぜて、新しいものを作ることのすばらしさを理解した。
 これは、狭い世界にあえて閉じこもっている状態では、決してみられなかった景色だと思うんだ。
 これによって、僕も、他者との精神的つながりを広げられることができた。
 だから今は、そこで学んだ正座の良さをもっと他の人に伝えていくのもいいし、たとえ正座とは直接関係なくても、正座することで培った能力を発揮していきたいと思っている。
 ……まぁ、問題は、その正座を『すごく得意』とは言えないせいで、サカイ君のような『正座先生』には程遠いことなんだが……」
「……だ、そうじゃ。どう思う、リコ」
「どう思うでござるー? リコ殿」
「へっ!? わたし!?」

 そうか、三人は、そんな風に正座と向き合って来たんだ……。
 と感激していると、そこで話が突然わたしのところに飛んできた。

「三人は、自分が今後『正座好き』を名乗っていいか迷っているようじゃ。
 現在の『正座先生』として、リコはどう思う?」
「それを、わたしが答えてもよろしいのでしょうか?」
「もちろんだよ、サカイ君。第三者として、意見を聞かせてくれ」
「そうだよ。あたしもリコの意見を聞いてみたいぜ」
「忌憚のないご意見をお聞かせください。
 たとえば今『正座好き』を名乗れないレベルだとしても、それはそれでよいのです。
 これから成長していけばいいのですから。
 だから私たちに、自分たちのレベルが現在どの程度のものなのか、リコの目から判断していただきたいのです」
「わかった。でも、今の三人なら、むしろ『正座好き』どころか……」

 『正座先生だ』。と、わたしは思った。
 なぜならわたしが『正座先生』として掲げてきたのは、ナツカワ君が考えるような、正座を長時間、完璧にできる人ではない。
 ユリナとアンズが考えるような、いつも正座と関連する何かにかかわっている人でもない。
 正座が好きで、正座に対する知識を持っている。でも、それ以上に、それを丁寧に、人に優しく教えられる力を持つ人。
 それをわたしは目指してきた結果『正座先生』と呼ばれるようになったし、仮にわたしが誰かを『正座先生』と認定していい立場になれたなら、わたしは、この三人に対して、絶対にこう言うだろう。

「……全員が『正座先生』だと思う!」
「えーっ!?」

 わたしの言葉を聞いて、三人は驚いていたけど、トウコ先生とマフユさんは驚いていなかった。
 それは、トウコ先生とマフユさんは、わたしがどんな人を『正座先生』だと思っているか、よく理解してくれているからだと思う。

「わたしは『正座好き』と『正座先生』を『正座が得意な人』『いつも正座している人』だとは思っていないんだ。
 わたしは『正座先生』を、まず正座のことが好きで、正座についてのちょっと以上の知識を持っている人だと思ってる。
 それから何より、正座に苦手意識がある人に寄り添えたり、正座について優しく人に教えたいと思ったりしている人こそが『正座先生』だと思うんだ。
 三人はそれに該当すると思う。
 だから、三人とも『正座先生』だよ!」
「…………」

 三人がそろって黙ってしまう。
 でも、たとえ三人に反対されても、わたしは意見を覆すつもりはなかった。
 『正座先生』は完璧な存在じゃなくていいし、何人いたっていい。
 それは間違いないと、わたしは思っているからだ。

「……てことは、リコが一番『正座先生』と名乗るに適していることになるから、正しいのか」
「そうですね。ここにいる全員が、リコに正座を学んだわけですから」
「そうだ! 僕たちもこれで胸を張って『正座先生』を名乗れるな」
「みんな……!
 そうだよ。わたしだけでも、三人だけでもない。
 トウコ先生とマフユさんも……。
 ここにいるみんなが『正座先生』になれるんだよ!
 今の三人なら、それぞれに、正座が得意になるまでの経緯、正座をこんなことに役立てたっていうエピソードも含めて、人に教えられると思う。
 だから、自信を持ってほしいな!」
「よし! 今日からあたしも『正座先生』を名乗っていくぜ!」
「私も、誰かが精神面で困っているときは、さりげなく、でも、自信をもって、正座を一つの選択肢として提示していこうと思います」
「僕もだ! そして、これからも自分自身でも、正座し続けていくよ!」
「三人とも、やったでござるな! やったー! そして拙者も、本日から免許皆伝でござるな!」
「……おいおい。マフユは今回なんの説明も、伝授もしておらんじゃろ。
 おぬしが『正座先生』になるのはこれからじゃ!」
「ちぇーっ……でござる。でも、これからも頑張るでござるよぉ!」
「そうだよ、マフユさん!
 わたしとしては、茶道部で一年間活動してきたマフユさんも十分『正座先生』と言える気もするけれど……。
 来年はもっとみんなに色々なことを教える立場になるから、どんどんレベルを上げていってほしい。
 そして、自分自身で、今わたしが伝えた基準を満たせたと思ったら……『正座先生』を名乗ってほしいな!」
「わかったでござるー!」
「ホッホッホ。その日が楽しみじゃな!」

 うん。わたしも、自分の、みんなの明日が楽しみだと思う。
 だって、今日、自分の今日までの成長がよく分かった。
 苦手だった正座を克服して、茶道部に入れたこと。
 茶道部で、部長で真剣に活動するうちに、たくさんの『茶道仲間』『正座仲間』を手に入れたこと。
 そして、もっと茶道と正座を続けていくうちに、これからもその二つを続けられる、星が丘大学に合格ができたこと。
 そして、周囲から『正座先生』として認められ、また、誰かを新しい『正座先生』に認定できる立場になったこと!
 これがわたしの、高校生活における成長だったのだ。
 わたしはこれを指導者であるトウコ先生に見せたかったし、自分自身にも見せたかった。
 それは、成長の実感を得て、もっと先へ進むということだ。
 明日はもっと素敵な自分に会うために、自信をつけていくということだ!

「ほいじゃこのまま、正座しながら思い出話でもしようかのう。
 わらわ的には……やはり、一時期やつれてしまい、ボロボロでこの星が丘神社にやってきたアンズの思い出がお気に入りじゃが……」
「もう! トウコ先生ったら、本当に意地悪です!」
「はっはっは! あたしたちはもう卒業だけど、ここにはまた、いつでも集まれるんだ。
 これからもこんな風に、みんなで正座していこうぜ!」
「さんせーい!」

 全員が楽しく声を上げて、おしゃべりは続いてく。
 卒業は一つの区切りだけど、その先にはみんなと一緒に居続けられる未来があり続ける。
 そんな明るい希望をもって、わたしたちは思い出話に花を咲かせるのだった。

あわせて読みたい