[148]第26話 三々九手挟式
発行日:2013/02/17
タイトル:第26話 三々九手挟式
シリーズ名:やさしい正座入門学
シリーズ番号:26
著者 :そうな
イラスト:あんやす
金澤暁夫
本文
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やさしい正座入門学
第26話 三々九手挟式
皆さまは、この写真のお方をご存じでしょうか?
著名な方なので、きっとご存じの方も多いはず。この方は、弓馬術礼法小笠原教場小笠原流礼法 三一世 小笠原清忠(きよただ)氏である。以前にも、礼法で触れさせていただいたが、今一度《小笠原流礼法》の歴史について簡単に紹介させてもらいたい。
小笠原家は、初代小笠原長清に始まる清和源氏の家系である。小笠原長清は26才のときに源頼朝の『糾方』(弓馬術礼法)師範となった。それが代々子孫に伝えられていき……七代目にもなると、それぞれ分家の兄弟が共に同じ後醍醐天皇に仕えるという出来事があった。そのときに武家の定まった方式として、『修身論』と『体用論』をというものをまとめた。これが、今日の小笠原弓馬術礼法の基本となっているそうだ。
そして今では、礼法・弓術(弓道)・弓馬術(流鏑馬)の三つの伝統を教授するという、大切な日本の文化を担っている。しかも、この流れが三十一代も続き、今では礼法の代名詞のようになっているのだから、これがどんなに立派なことなのかお分かりいただけるだろう。
(上記イメージが湧きやすいように礼法・弓術(弓道)・弓馬術(流鏑馬)の三つの伝統のイラスト)
そんな高貴な方に私が幸運にもお会いできたのは、2010年、7月のことだった。私は、近隣の神社に、初めて三々九手挟式(さんさんくてばさみしき)という儀式を見に行った。少し外を歩くだけで汗が流れ落ちるような、そんなとても暑い日だったが、この儀式に正座の資料となる出来事がある気がして、足を運んだのだ。
さて、ここで三々九手挟式という儀式の内容について、少し説明をさせていただきたい。以下、「小笠原流弓馬術礼法HP『三々九手挟式』」より、抜粋。
三々九手挟式(さんさんくてばさみしき)とは……「古来三々九手挟式(さんさんくてばさみしき)は、武家社会では正月4日の弓始式の時に限り行われた厳格な弓の儀式で、文武を統べる道として天下泰平を祝う射礼として行われていました。的の一辺の長さは前弓は八寸(陰の最大の数)、後弓は九寸(陽の最大の数)と規定され、これは、易学上でも理論づけられています。的は杉又は桧の板的を用い、前弓の板的の裏には十文字の切れ目が入り、後弓の板的の裏には三寸毎の井桁(いげた)の切れ目が入っています。この板的を串に挟んで立て射抜くことから、井桁の数より三々九の挟物といわれています。」
ここまでが式の説明であるが、色々と調べているうちに《三々(さんさん)》という言葉自体にも、次のような意味があることを知った。【三々】「吉数とされる三を重ねた、めでたい数」(デジタル大辞泉より)。
更にもう1つ。【三々九度】「祝儀の際の献杯の礼法。多く、日本風の結婚式のときに新郎新婦が三つ組の杯で、それぞれの杯を3回ずつ合計9回やり取りすること」(デジタル大辞泉より)
考えてみると、神事や冠婚葬祭といった行事でも拍手などに「三」が入ることが多い。神聖な行事内容であるので、この数字には上記の意味も含まれているように思えた。
さて、できるだけ涼しそうな場所を探し、しばらく三々九手挟式の開始を待っていると、広場に射手や日記役と呼ばれる記録審判が現れた。競技の説明をし、「三三九手挟式、はじめませぇ!」という声が響き渡ると、場はより一層ひきしまり、威厳に満ちた雰囲気の中で開始されたのだった。
写真は、射る前のお辞儀の場面。礼に始まり、礼に終わる、尊い精神。 この写真は正座ではないが、ゆっくりと水平に足を折り曲げる姿勢が、どこか高貴な日本の伝統を思わせたので、載せることにした。それと同時に、ベッタリとお尻をつくことこそないが、正座をするときの精神や真っすぐ伸びた背筋に似通ったものを感じた。
射手の列
資料集等に載っている武田信玄に似ていると感じたため、後ろの方もピックアップ!
神聖な儀式が終了し、ここで小笠原清忠宗家に直接お話しを伺えることになった。有名な雑誌などでしかお目にかかることがない方に、一見物人の申し出を快くお受けいただけるとは、私はなんて運が良かったのだろう。同時に、日本正座協会でこの記事を書ける事をとても嬉しく感じた。
儀式終了から約30分後、私は宗家のおられる休憩室に通された。そこでお話になられた内容は、正座のお話しも含め、どれも興味深いことばかりだった。
例えば、ふすまの開け立ての仕方だ。現在、茶道で広く知られているこの作法は、武士の作法から遠くかけ離れてしまったという事について。それから、武士が両手で袴を持って歩く事について。このTVでよく見かける光景のどちらもが、武家の正式な礼法ではないという事だった。
説明を受けてみると、確かに納得のいくものだった。特に袴の話である。下剋上や謀反が現実にあった戦国時代に、あえて袴を長くすることによって、機敏に動いたりすぐに抜刀すること等を防いだりしていたというのだ。
そう聞くと、確かに袴の裾を持って歩くことが当たり前として描かれつつある昨今の時代劇等の番組には、少し不思議な気持ちを覚える。もしかしたら、西洋のドレス文化のドレスの前部分を掴み上げて歩くイメージが重なってしまったのかもしれない……なんて想像してみた。番組の制作者側も、よく調べなかったのだろう。
とはいえ、武士の格好といえばカッコイイ服装であり、当時の庶民の憧れであるだろうため、現代っ子ならば、まさか機敏な動きに対する防止策が施されているとは、つゆにも思わないだろう。きっと、番組制作者もそれを知ったら驚いたに違いない。(だが、あえて知っていたと考えてみると、時代劇を扱ったコメディ番組では、わざと裾を掴んで笑いを誘っていたのかもしれない!?)
《茶の湯》についても、かなり現代版にアレンジされているというお話しもあり、興味深いものだった。これについては、日本正座協会《やさしい正座入門学》の『第17回 正座の歴史は浅い?』を読んでいただいた方は、「なるほどね!」と思われるだろう。そう、つまり、昔の茶の湯は、ある意味《命がけ》だったのだ。そう考えると、現代の「精神が清まる・正される」といった、どこかほのぼのとした茶道が、どんなに形を変えてきたかご理解いただけるだろう。小笠原清忠宗家はこう語ってくださった。
「戦乱の世でなくなったため、人に沿って、また時代に沿って変わっていった。」
歴史の重みを感じられる、心に響くお言葉である。改めて鑑みても、現代の茶道の形は、ただ伝統として残っているわけではなく、その時代の人々が必死に現代に引き継ごうと考えた結果の形なのだ。それはまるで、廃刀令を出された後の武士の生き方のようだ。
学生時代の歴史の授業で、このような小話をしてもらったら、きっと楽しかったことだろうなぁ……。
さて、ここで小笠原流の座り方をご紹介したい。これからご紹介させていただく座り方は、私たちのよく知る《現代の正座》ではないのだが、以前《正座の定義》について何回か記したことがあるので、読まれた方にはすんなりご理解いただけるだろう。
以前、16回目の記事で、《正座》として扱われてきた種類に、「安座」、「楽座」、果ては「立て膝」があると記した。正座は、元から現代のような形で存在していたのではなく、「その時代の着る物に合った正式な座り方」のことなのだ。つまり、現代の正座は、例によって痺れと闘う姿勢という認識で良いのだが、これからご紹介させていただく小笠原流の正座は、「現代まで受けつがれてきた伝統」、すなわち昔の正座なので、形が全然違うのだ。
さぁ、またも運良く、実際にお弟子さん(なんと流鏑馬(やぶさめ)をされる方)に正座をしていただけたので、写真を目一杯使わせていただき、細かく説明させていただくことにする。こんな機会は滅多にないので、ぜひぜひここで堪能していただきたい。(控室にて撮影させていただいたので、背景に儀式を終えて帰り支度をしている方々がいらっしゃいます。この取材を快く受け入れてくださり、時おり背景の方々に笑顔が見られます。取材の様子と正座を披露してくださっている方にアドバイスや応援をいただいたりと、とても感じの良い方々でした。その節は、お邪魔しました~!)
まず、これが、小笠原流の座り方だ。(この流鏑馬の服装に合った座り方なので、正座と呼んで良いでしょう。)少しアグラに近いと思われる。アグラよりも軽く座っているのは、すぐに立って行動する必要があるからだろうか。手も足の後ろ側に置いている。現代のよく知るアグラと比べてみても、どこか違う、隙のなさを感じる。
そして、これがお辞儀の仕方だ。お辞儀をするときの手が特徴的だと感じた。ベッタリと床に手をつけるわけでもなく、膝の上に置いているわけでもない。手は握りこぶしになっている。また、頭の角度も重要だ。頭を垂れすぎず、45度程度になっている。これだけ見ても、決して楽な姿勢ではないことが見て取れる。やはり「正座」となると、身体的にも精神的にも正す必要があり、いわゆる「楽」とは縁遠くなるのだろう。
次に、この正座の行い方だ。どうやって座るのだろうか? 「ただこの姿勢をすれば正座」というわけではなく、小笠原流の正座には、座り方もあったのだ。【座るところから作法は始まっている】のだという。実際に、座り方もレクチャーしていただいた。
まずは立った姿勢から始まる。このように手を腰の位置にあてて立つ。※敷物を座布団に見立てています。(この写真のみ、首から上がなく申し訳ない。顔を出していいものか迷いながら撮った写真でした。中途半端な配慮をするとこうなる……と勉強になった一枚です。(苦笑))
足は揃えてまっすぐに立つ。
そして、手は腰に添えたまま、一度後ろを向き、一歩を踏み出し、
座布団に足を乗せる。
その場でターンをするのだが、このときの足に注目していただきたい。足がクロスしているのがお分かりだろうか。足をクロスしながら座るという座り方は、なかなかお目にかからないものである。ちなみに、手はこのときも腰に添えたままだ。
更に、そのクロスした姿勢から、垂直に腰を下ろす。手はこのときも、腰に添えたままだ。
クロスしたまま座ると……、それがそのままアグラのようなあの姿勢になるのだ。合理的であり、隙が少なく、衣服の乱れも最小限に抑えられそうだ。
最後に手を前に持って来れば、最初の正座のできあがりだ。これがサラリとできれば、とても華麗な座り方である。
そして、この後の立ち上がり方は、私たちが気軽にしているように、「それではドッコイショ!」……とはいかない。この後の立ち上がり方も小笠原流の正座の作法にはあるのだ。
立ち上がるときは、手を膝奥に置き……
やはり垂直に立ち上がる。足をクロスさせたままゆっくりと立ち上がり、膝を伸ばしていき……
最初の姿勢へと戻るのだ。決して、足を雑に開いたり、袖を大きくふるったりして、衣服を乱してはいないことがお分かりになるだろう。優雅にして合理的、これが、小笠原流の正座なのだ。
現代の正座は、現在の着物に適している座り方だといわれている(着物は古くから存在しており、今の着物とは形が異なった)。となると、海外の文化が流れ込み、伸縮性の少ない生地で出来たズボン等(主にデニム)を穿くことが日常となっている昨今の正座は、これからも変わっていくのかもしれない。現に、場所によっては、ズボン等で正座をしにくいことから、椅子が用意されている所もちらほら見かける。「正座って痺れるよね」と言われる現代の正座も、また、時代に沿ってやり易いよう、ゆるやかに形を変え始めている最中なのかもしれない。
最後に、小笠原流礼法が何十代も続いている理由を語らせてもらいたい。これは小笠原清忠宗家がお話しくださった内容で、私がとても感動した話しである。
ここまでのご紹介で、小笠原流礼法には、隙や崩れがないことに気づかれただろうか。宗家の言動は、とても伝統を重んじ、その存在は威厳を放っておられる。これは、一見普通のことのように見えて、実はそうではない。
この時代、幾多の世襲を引き継いでいくものが、どんどん変化していっているのを度々目にする。悲しいことだが、身近な場所でも目にすることがある。私の知るところでも、僧侶のモラルが低下していると思うことが度々ある。例えば、参列者の近くまでベンツに乗って登場し、その閉まっている車のドアからは大音量のラップが流れ……。その僧侶は、その翌年には交通違反で補導されたそうだ。他にも、街を歩いていたら「どこのキャバクラにするか」を話し合っていたり、バーでケンカを始めたりと話しは尽きない。
だが、それは何も住職関係に限ったことではなく、医者や政治家等もそうだ。これについては、挙げ出したらキリがない。(もちろん、このような行いをする人間が目立つだけで、大半は立派にお勤めされている方々が多いことを承知で、例に挙げさせてもらっている。)
ここで考える。理由の一つに、親の跡継ぎで仕方なく……という不満もあるかもしれないが、そのみんながみんな最初からそのような気持ちではなかったはずだ。どうして、代々長く続いているようなものは、このように変化してしまうのだろうか? 欲に負けてしまうのだろうか、本質が変わってしまうのだろうか……?
そんな私の心の底にあった疑問は、小笠原清忠宗家の一言で解決した。
「小笠原流礼法が何十代も続いている大きな理由の一つは、商業にしないという信念があるからですよ。」
この言葉に、ハッとされた方も多いと思う。宗家やお弟子さんたちは、小笠原流礼法や弓馬術のみで生計を立てているのではなく、その他の全く関係ない仕事に勤務しているのだという。この《信念》は全員に適用されているそうで、今でもずっと小笠原流礼法の《信念》として守られているそうだ。(気になられた方は、小笠原流礼法のHPに《信念》として掲載されているので、ぜひ一度ご訪問なさってください。)
上記のような職業が、本来の姿とは大きく変わり、本質からずれていく様が手に取るように分かる現代……そんな中、「(本質的に)職業・商業にしないこと」を規律として守ることで本質を忘れないよう心掛ける小笠原流礼法。そうすることで、プライドや責任を持てるからこそ、今日も姿勢が一貫しており、伝統を守り、今でも廃れることなく人々から支持されていられるのだろう。
手段や目前の欲に惑わされず、確固たる意志で《信念》をもって生きる。《なんのための仕事という役割》であったか、《なんのために生まれた役職》であったか……忘れて道に迷うことのないように、今一度、確かめておきたいと思わせられる規律であった。
そしてどこか、企業で働きながらもサッカーで世界一を目指すことを目的とした、女子サッカーの「なでしこジャパン」にも似たようなものを感じたのであった。(こう書くと、女子サッカーとしては本意ではないかもしれないが、職業にしていないという点で、絶対にサッカーをしたい人以外集まらないことになる。そこが、彼女たちの意欲等が高い理由の一つであると思う。)
初心は忘れやすい……だからこそ、《信念》を胸に秘め、忘れそうになったら思い出せるようにしておきたい……そんな貴重な教えを受けた、人生の勉強になった対談であった。
小笠原清忠宗家、奥様を始め、ご協力いただきました小笠原流の皆さま、本当にありがとうございました。
弓馬術礼法小笠原教場小笠原流礼法HP
http://www.ogasawara-ryu.gr.jp/index.html