[255]正座の陶芸


タイトル:正座の陶芸
掲載日:2023/05/07

シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:26

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容:
 芸術大学に入学した陶治は、お互いの作品を通じて堂前と知り合う。
 堂前は華道でのお披露目の際の生け花の花器を陶治に依頼する。
 堂前に贈れる花器ができるまでには時間がかかったが、堂前は満足してくれ、お礼の支払いを申し出るが、陶治は遠慮する。
 それではと堂前は日本料亭で陶治にご馳走してくれると言う。
 気軽に応じた陶治だが、そこは老舗の店で、正座や作法を詳しく知らぬ陶治は後輩女子に正座指導を受けることになり……。



本文

当作品を発行所から承諾を得ずに、無断で複写、複製することは禁止しています。


 大学に入学して初めての学祭だった。
 一人の女子学生が、紺色の大きな花器の前で足を止めた。
 深い紺と淡い紺とが美しく混じり合う、心引かれる花器だった。
 女子学生は、お花や茶道、お作法を高校時代から授業で学んでいた。
 正座は背筋を伸ばし、膝はつけるか、握りこぶし一つ分開くくらい。脇はしめるか、軽く開く程度。手は太ももと膝との間にハの字で。スカートは広げずにお尻の下に敷いて。足の親指同士が離れないように。もうすっかり身に着いたこの座り方が、思わぬ縁を手繰り寄せるとは、まだこの時は思いもしなかった。
 ただ、この花器の下に書かれた三年善位陶治という学年と名前を記憶に留め、花器の売約済、ということわりに少しがっかりしたのだった。

 善位陶治は、某善位高校経営者一族の息子である。
 陶治は小中高一貫校に入学し、中学時代は海外留学やボランティア活動に力を入れ、そこから某善位高校に一般受験を通して入学した。
 某善位高校には工芸科があり、大きな窯のある陶芸棟が新しい校舎の横に建っていた。
 敷地が広く、たくさんの棟の建つ賑やかな高校だが、この陶芸棟は、陶芸の授業を終えた放課後はひっそりとしていた。
 陶治は慌ただしく、実り多い中学時代を経て、高校では静かに陶芸棟で過ごす日々を送った。
 生まれた環境から、将来は学校経営に携わる立場にあることは自分なりに理解していたが、進学先には芸術の大学を選んだ。
 両親からは、教員免許を取ることを条件に出された。
 好きな科で勉強し、必須科目を最低限取得して、後はゼミと自主制作に力を入れることを望んでいたが、こればかりは仕方のないことで、陶治は教員免許取得のための科目を取ったのだった。
 自然と陶治は学校にいる時間が長くなり、図書館やサークルのある館を回って歩いた。
 陶治は焼き物などの陶芸や、女子学生の多くはアクセサリーを学祭の時に出品する科にいたが、大学というのは広い場所で、ほかにも様々な学科がある。
 その中でも驚いたのが、室内にベニア板で仕切を作り、狭い一室をまるまる使ったアートが存在するということだった。
 使う素材はさまざまで、ガラスや薄い布などを用いた空間に立ち、陶治はなんとも不思議な感覚に陥った。
 そうした中、異才を放つ一室を見つけた。
 花や木がモチーフであったが、それらは精巧に作られたもので、一歩中に入ると一つの完成した世界がそこにあり、けれど、閉じ込められた、というような感覚はなく、寧ろさほど高くない天井が、ずっと高く感じるような開放感さえ抱かせた。
 生徒の名前を見ると、堂前葉尚と書いてあり、驚いたことに自分と同じ一年だった。
 陶芸に於いては、高校時代より自分なりに腕を磨いてきた自負はあったが、それはどこかで他の学生と比較して、自身の完成度に満足している面があった。しかし、この堂前という学生は、そうした甘さを一切感じさせない。妥協しない、というよりは、この大学という自由で温かな囲いの外を常に意識している、いわば、社会に通じるものを感じさせる仕上がりを見せていた。
 芸術の大学というのは、展示作品に於いても無許可での撮影が禁止されていることが多いため、陶治は手帳に、この堂前の名を記し、作品の特徴、自身の感想を簡潔に記した。この時は、記憶しておきたい作品との出会いから陶治はそうしたが、もともと幼い頃より陶治は覚えておくべきことを、教室以外の場でも記す習慣があった。
 陶治が小学校に入学したばかりの頃、お祝いに訪れた、一族関係者の名字を間違えてお礼を言ったことがあった。そのことで陶治は両親に叱られた。相手を認識しないことが失礼であり、相手を失望させ、いかに信用を得にくくなるかを説いた。子どもなりに言い返そうとしたが、その前に、覚えられないのではなく、覚えようとしていない、と両親は言った。やむを得ぬ事情があるならば、それは仕方のないこと。だが、努力により可能なことは、まず努力から始めなければなりません、と。学校経営をする一族の両親であったが、陶治はそれほど厳しいと感じる勉強を義務付けられた記憶もなく、受験する小学校を決める際にも、陶治が一番馴染みやすいと感じられた学校から希望の順を決めたらしい。そうした、まあ、比較的穏やかというか、肩に力を入れすぎない印象の両親が、その時ばかりは厳しかったことから、落ち着いて考えた陶治は、それなりの理由があるのだと納得した。その後、陶治はクラスの友達、先生、と一度に出会う多くの人を覚えていく努力をした。目の前で会った人のことを紙に書くのは抵抗があり、帰宅すると、その日に初めて会った人の名前、印象、場所といったことを記すようになった。最初の頃は連絡帳にそれを記入し、それに気づいた先生からは、とてもよいことです、ありがとう、せんせいもうれしいです、というような返事が書いてあったのを、大学生になってもなんとなく覚えていた。その後、連絡帳なるものを使用しなくなった後も、陶治は出会った人のことを記すことを習慣としていた。
 そうしてこの日、堂前なる人物には直接会わなかったが、会いたいと思う人物として、陶治は作品とその名を手帳に記したのだった。


 その堂前から声をかけられたのは、彼の作品を書き留めてから間もなくのことだった。
 必須の外国語の授業の時、初めに全員の点呼を行う教授の講義で、陶治は堂前という名を聞いた。
 端の席に座っていたが、やたらと姿勢がよく、なんというか、品性を感じさせる人物であった。
 その堂前が、講義の後、すぐに陶治の元へ来た。
 そして、名前と在籍している科を名乗り、丁寧にお辞儀をし、教室で陶治の作品を見たと話した。
 陶治も、堂前の作品をつい先日見たことを伝えた。
 堂前は、時間があったら少し話したい、と言い、夕方から教育学科の授業のある陶治は、夕方まで時間があって学校にいる、と伝えると、堂前は学食に行こうと提案した。
 学食は、どこでも同じようだと思うが、大概が五百円以下で、食券を自動販売機で買い、トレイを持って注文し、それを受け取って水や箸を必要に応じて自分で取り、席に持って行く。雑多な雰囲気も大学ならではと陶治は思っていたが、この堂前という人は、とにかく口調、所作、何もかもが丁寧というか、だからといって時間がかかるというのとも違い、無駄はないが品を感じさせる。それは財布の出し方から始まり、箸や水を取る時、そしてトレイを置き、椅子を引き、座るに至るまでである。
 財政的に余裕があり、多くの人に囲まれ、きちんとした教育を受けてきたと、自慢ではなく、事実として常日頃から感じていた陶治であったが、この堂前という人物は、その陶治が無意識に圧倒されるような品位を感じさせた。
 内心恐れおののいている陶治に、向かい側に座り、割り箸を実に優雅に使い、二百五十円のたぬきうどんをすする堂前は、陶治に作品を見たことを再度伝え、その上で、華道の花器を作ってはもらえないだろうか、と切り出した。
 これまでも、陶治は器や湯のみ、花器でも花瓶などを手掛けてきたが、華道の花器は初めてだった。
 そのことを正直に伝えると、急がなくていい、と堂前は言う。
 つまり、陶治への花器の依頼を取り下げる気はない、ということだった。
 かたち、色、と淡く優しげでありながら、しっかりとした存在感を放つ陶治の作品で、是非、花を活けたい、と言う。
 この大学のことだから、華道サークルでもあるのだろう、と陶治は思った。
 陶治自身はテニス同好会と国際交流部に入ってはいるが、たまたま科が一緒だった誰かしらに誘われて、何回か顔を出した程度に過ぎなかった。
 堂前も、陶治と同様の捉え方であるならば、まあ、いずれ花器にも挑戦するのもいいだろうと思い、陶治は了承した。


 しかし、この堂前との約束は簡単には果たせなかった。
 もともと学祭で展示、販売ができるとばかり思っていた陶治だが、たくさんの学生がいるこの大学、その大多数が何かしらを創造している。
 だから、学祭に出展できる人数は限られ、全員の作品が展示されるわけではなかった。
 それに加え、入学時はそれほど陶器に精通していなかった学生も、やはり陶器に興味を持ち、芸術大学の試験を突破するにあたり、さまざまな専門の勉強を積み、尚且つ、何かしらの光るものを持っていた。つまりは、陶治の入学前の経験値は最初の授業の頃は発揮されても、秋に入れば周囲との差というものはほぼ感じられなくなった。もっと言ってしまえば、個性と鍛錬がものをいう世界で、一見地味に見えてもはっとさせられる作品や、独特の個性を発揮した作品が周囲には並んでおり、そうした中で、陶治の作は悪くはないが、これといって人目を引く要素があるように思えなかった。
 どうしたら、堂前の望む花器に辿りつけるのか、と随分と考えた。
 過去の大学での受賞作もずいぶん見て研究した。花器と一口にいっても、本当にモダンで、こんな芸術があったのかとただただ驚き、自身の作品とを比較し、途方に暮れることもあった。そうした時、ふと心に浮かぶのは、意外なことに過去に書き留めた多くの人の名とその印象の記憶だった。この人のこんなところがいいとか、こうした特技があるとか、そうしたことはただその人を記憶するだけではなく、自身とどこか照らし合わせ、そうした中で自身にしかないものとは何かということを自然と意識させるようになっていた。そして、もしかしたら堂前という、他の同年代の人間よりも少し完成の早いあの人物は、陶治自身も見いだせていない未来の作を僅かでも感じ取ってくれたのではないか、という気がした。
 そうしてようやく三年になり、陶治は自身で納得いく花器を作り上げ、その年、展示にこぎつけた。
 深い紺に少し色むらが出るようにした、広口の、ごくごく一般的な作ではあったが、学祭の日、堂前に花器を見せると、「ありがとう。……素晴らしい」と堂前はため息をつき、「今度のお披露目に使わせてほしい。どうか、この花器を売ってほしい」と言った。
 売る、という言葉に、陶治はかすかに反応した。
 大学では、作品の販売を行う学生は多い。すでに学生でありながら、作成依頼を受ける者もいる。
 陶治の作った花器も、大学内でのおおよその相場はわかるのだが、陶治はどうにもそれに抵抗があった。
 ここまで頑張らせてくれた堂前に、こちらから何かお礼をしたいという思いすらあった。
「……いいよ。大切にしてくれるって約束できるなら」と陶治は答えた。
 陶治の想中を察したのか、堂前は「わかった。じゃあ、花器の完成のお祝に、学祭の後にご馳走させてほしい」と言った。
「ありがとう」と陶治は軽く了承した。
 陶治は、行きつけのラーメン屋か、駅ビルに入っているレストラン街でランチでも奢ってくれるのだろうと思っていた。
 しかし、堂前から伝えられた店は、大学からは少し離れた駅にある、老舗の日本料亭であった。
 陶治自身、海外留学も経験しているし、家族の誕生日を祝うのに都心のホテルでシャンパンを開けて、コース料理という食事にも慣れている。ついでに言えば、入学式にはオーダーメイドのスーツを新調し、入学祝いにと、腕時計も贈られた。免許を取ると、新車も買ってもらった。いわば、経済的に余裕のある家庭で育ち、食事の場などで、マナーに困るとか、そういったことはこれまでになかった。
 しかし、日本料亭というのは、想定外であった。
 最後に行ったのは、陶治の七五三のお祝いだったろか。
 当然陶治は日本食のいただき方も、正座もしていなかった。
 慣れない羽織袴に疲れ、周囲は陶治の写真を撮るのに忙しく、落ち着いて食事、というよりは宴会といった雰囲気であった。
 大学に入ってから三年目の付き合いだが、堂前とはいつも一緒にいるわけではなく、たまに同じ講義の時に少し言葉を交わす程度で、親しい仲間ではなかった。夏休みに行われる同好会や部の合宿で同室になったり、宴会の時に隣の席にいた人と親しくなり、そうした友達の家に集まったりすることが多かった。
 陶治は、友達のつてを頼りに、堂前のことを訊いてみた。
 すると、堂前は有名な華道の家元の息子だということがわかった。
 どれくらい有名か、といったことはわからない。
 ただ、華道の家元という、とんでもなく遠い世界に感じていた日本文化を継承する人物であるということに驚いていた。
 ということは、陶治の花器を使うというお披露目とやらは、それなりに格式あるものではないのか。
 それこそ、有名どころの花器を使用するものではないのか。
 どうしたものか、と陶治は思案した。
 日本食は言うまでもなく、生まれた時から親しんで来た一番近しい料理であるし、箸も使える。
 同好会や部の仲間となら、なんだかすごいところに来た、とはしゃぎながら食事するだけで、何の身構えもしない。
 だが、相手は華道の家元の堂前である。
 取り立てて相手に厳しく接したり、それ相応の姿勢を求める、といった感じはなかったが、わざわざ未熟な相手が納得する作品を完成させるまで、二年も待つある種のこだわりを持つ性格からすると、何も言わずとも相手を見定める点は否めないだろう。
 要するに、陶治は堂前を落胆させたくなかった。
 見栄といってしまえばそれまでだが、日本料亭を予約してくれた堂前に、それだけの誠意として、作法を身に着けておきたかった。
 まず、その指導先に浮かんだのは、身内の経営する学校であった。某善位高校は陶治が在学していた頃より、スポーツ推薦などに力を入れている学校であったが、そこからまた更に進学コースを細分化し、その他の学科も設備の充実を図っている。それに伴い、職員の人数も、教える学科も増え続けており、その中には、作法や正座に長けた人物の一人や二人、いることは承知していた。だが、もう某善位高校の生徒でない自分が、経営者の息子である立場を利用する、というところに陶治は抵抗があった。それならば、今在籍しているこの大学の中で、どうにか学ぼうと考えた。
 そうして陶治が白羽の矢を立てたのが、国際交流部の部員だった。
 陶治は昨年の合宿以降、部に顔を出していなかった手前、やや頼みにくい思いはあったが、終電後に帰れなくなった部員を陶治が車で送ったことが何度かあり、また留学生との交流会の店を予約したりと、多少の貢献はしてきたので、まあ冷たくあしらわれることはないだろうと踏んだ。
 予想通りというか、もともと規律ある部ではなかったので、久しぶりに顔を出した陶治に対しても、まるで二日ぶりに来たように応じてくれた。
 そこで陶治は、作法や正座に精通している人はいないかと尋ねた。
 すぐに挙手してくれた部員がいた。
 部員は一年生の女の子で、学祭で見た陶治の作品を覚えていた。
 陶治の要望に快く応えてくれ、部室の端にあるござを敷いてちゃぶ台を置いた一角に促す。
「背筋を伸ばしてください。膝はつけるか、握りこぶし一つ分離れるくらいで。脇は締めるか、軽く開く程度ですね。手は太ももと膝の間で、ハの字に。スカートの場合は広げずにお尻に敷くように。足の親指同士は離れないようにしてください」
 言われた通りに膝や手に意識を集中し、背筋を伸ばす。
「すごくいいです」と、部員は褒めてくれた。
「こういうお作法って、どこで学んだの?」と陶治は尋ねた。
「私は女子校だったので、お花やお茶、お作法は一通り習いましたし、それが長じて、お稽古にもつい最近まで通っていました」
「……そうなんだ。お嬢さんなんだね」と感心すると、「善位先輩とはレベルが違いますよ。ただ、習い事として通っていただけですから」とその後輩は言った。今まで会ったことのない、奥ゆかしい女の子だ、と陶治は思った。
「ああ、正座ですけど、その姿勢を維持できるように、なるべく慣れるようにしてくださいね」
 笑顔でさらりとそう言い、女子部員は「これからお琴のお稽古があるので失礼します」と部室を出て行った。


 翌日も陶治は授業の空き時間に部室に顔を出した。
 一応差し入れも持参した。
 そうして正座をしつつ、近く控えた教育実習のための準備をしつつ、昨日顔を合わせた部員と少し話した。
「急に連日押しかけて悪いね」と、陶治が言うと、「全然」と彼は言った。
「そう言ってもらえると助かる」と言う陶治に、「こっちこそ、助かるよ。善位は人望があるから、新しく入った部員も留学生も善位が来るって言えば、集まりにも出てくれたよ。教育実習もうまくいくと思う」と応じた。
 持参した差し入れを勧め、「そこまで言ってくれなくていいよ」と陶治が苦笑いするが、「本当だって」と尚言う。
「気づいてなかった? 全員平等に話題を振れるの、善位だけだから」
 首を傾げつつ、ああ、と思い至ることがあった。
 自己紹介や初対面のあいさつの内容を全て陶治は無意識に覚えるようになっていた。個々で話す時などに、そうしたことを挙げて話すと会話が続いた。そして、相手も少なからず、陶治に関心を持ってくれるようになった。
 そこへ昨日正座の指導をしてくれた女の子がやって来た。
 陶治が正座をしたまま、その子の名字にさんを付けて呼び、「昨日はありがとう。これ、学校のそばのコンビニで買ってきたから、よかったら」と声をかけた。
「善位先輩、ありがとうございます」と、女の子の方も名字を覚えていて名前とともにお礼を言ってくれた。そうして「それから、背筋曲がってますから、伸ばした方がいいですよ」と、チクリ、とくるありがたい助言を加えてくれたのだった。そして、陶治の前に正座し、「今度の留学生交流会、善位先輩も出席ですよね」と、笑顔で有無を言わせぬ問いかけをする。
 正座をし、表情を硬くしたまま「ぜひ、参加させていただきます」と陶治は答えた。
「善位先輩が入学されて最初の交流会で、留学生と肉じゃがを作ったっていう企画、今年また復活させたいと思っているんです」と、正座しても全く自然体の彼女は続けた。それは、陶治が中学生時代に留学した際、お世話になったお礼にと、一緒に留学した仲間と作った日本料理だった。といっても、これは現地で陶治が思いついたのではなく、留学前に、学校の調理実習で、留学した時に作れるように、と予習し、尚且つ、同行した教員が材料を揃えやすい店舗も事前に教えておいてくれたのだが。それでも、初めて行った、暖かく、湿気の少ない、そして道も店も、ステーキもドリンクも何もかもが大きな土地で、仲間とともに作った料理というのは思い出深いものであった。
「わかった。買い出しの時、車出すよ」と陶治は言った。
「そんなご迷惑は……」と、相変わらずの、姿勢正しい正座の彼女は慌てたが、陶治は「今まで顔も出さずにいて急に来て、こうやって面倒見てもらえるのも、前にそうやって貢献したからだしさ」と、陶治は曖昧に笑った。すると、「だから、違うよ」と、その場にいたさっきの同学年の学生が声を上げた。
 陶治と彼女が同時にそちらを見ると、陶治の買って来た菓子の袋を開けていた彼は、「貢献とか、そういうことでやってる集まりじゃないでしょ、ここ。善位が温かく迎えられるのは、善位の人望でしょう。貢献ていうより、一回、二回顔を合わせた人でも名前を全員覚えていて、この人は酒飲んで大丈夫かとか、苦手なものがあるかとか、どの科でどういう作品を出したとか、どういうゲームが好きか、とか、自分のことを話そうとしないで、まず相手を優先するんだから。誰でもできることじゃないからね」と、自身で頷き、個包装のチョコレートの中から好きな味だけを選びだし、手元に置いた。


「背筋を伸ばすこと。手は太ももと膝の間でハの字で。脇はしめるか、軽く開く程度。足の親指同士は離さないで。膝はつけるか、握りこぶし一つ分開くくらい。大丈夫ですね」と、女子部員は前日まで陶治の正座の面倒を見てくれた。そして、和食のマナーに関する細かな決まりを手書きでまとめ、渡してくれた。まるで大切な商談に臨む社員のような力の入れようだと陶治は思ったが、いずれ、自分はそれに似た場に身を置くことになることを思い出した。「どうもありがとう」とお礼を言った陶治に、「これ、よかったらどうぞ」と、白いハンカチまで持たせてくれた。
 襟付きのジャケット着用で、堂前と駅前で落ち合った。
 堂前はカラーつきのシャツに黒の薄手のジャケットを羽織っていた。よく見ると、陶治が頻繁に行く服屋の新作だった。
 堂前について歩いて行くと、大通りから一歩中へ入った閑静な住宅街の一角に、広い敷地の日本料亭があった。
 堂前が慣れた様子で中へ入って行く。
 陶治もそれに続いた。
 いらっしゃいませ、と和服の女性が丁寧に出迎えてくれた。
「予約した堂前です」と堂前が言うと、「いつもありがとうございます」との返事で、ここが堂前の行きつけの店だとわかった。奥の広い個室の座敷に通される。違い棚には花が活けられ、その隣の床の間には掛け軸が飾られている。ずいぶんと格式高い店である。
 すっかり周囲に気を取られたが、堂前に促されて座る際、ああ、いけない、と陶治は正座を思い出す。
 背筋を伸ばし、膝はつけるか、握りこぶし一つ分開くくらい。脇はしめるか、軽く開く程度。手は膝と太ももの間でハの字に。足の親指同士が離れないように。
 多少、もぞもぞとはしたが、まずまずの滑り出しだと思う。
 堂前がおしながきを見せて、「どうする?」と訊く。
「ああ、任せる」と、陶治は答えた。
 堂前は海老や白身魚の天ぷらは大丈夫か、と確認し、日本酒や白ワインは頼むかどうかと訊き、本日のおすすめコースというのを頼んでくれた。
「ちょっと、堅苦しいかとも思ったけど、ここ、花器や掛け軸、屏風なんかが、年代物で、建物や庭も趣があるから、善位が喜んでくれるかな、と。もちろん、ここのお料理はすごくいいよ」と、堂前は寛いだ様子で言った。
「こういうところ、初めてだけど、いいお店だね」と、陶治は正直に答えた。
 緊張はするが、確かに趣あり、細部に至るまで心尽くされている店であることがわかる。
「僕が大人になって、そこそこ小金を持てるようになったら、和装一式でも贈りたかったんだけどね。週三でバイト入れて今月末まで頑張って、花器を買わせてもらえるだけの予算はどうにか貯めたんだけど。だけど、ここは親に何度も連れて来てもらって、本当にいい店だから、心からお礼をしたいっていう誠意は本物だよ」
 堂前はそういうと、屈託なく笑った。
 華道の家元のご子息ともなれば、親からカードを渡され、支払いに困ることはなく、今回の食事もそうした小遣いから出るのだとばかり陶治は思っていた。それだけに、堂前のバイトという話は意外だった。陶治は教員免許取得のため、多くの講義を取ったが、その勢いというか、ついでというか、必須科目と卒業に必要な単位とはすでに取り終えていた。学祭も終わった今は、かなり自由な時間がある。
「バイトって何したの?」と訊くと、花屋の配達、と答える。
 陶治は「俺、学校の先生になる予定だから、塾とか教育関係のバイト探そうと思う。それで俺もバイトして、給料貯まったら、堂前のお披露目のお祝いにご馳走するよ。ホテルでシャンパンを開けよう」と提案し、そうして今日帰ったらバイトを探して、堂前にご馳走する資金を貯めようと決意した。
「やっぱり坊ちゃんて噂、本当だったんだな」と堂前が言い、「それはお互いさまでしょう」と陶治は返した。


 それからの歳月、陶治と堂前はいくつかの岐路に立ちつつ、前進を続け、その友情は六十を過ぎた今も続いている。
 陶治はその後某善位高校で美術教師になり、やがて学部長になった。私生活では、正座を指導してくれたお嬢さんと交流を続け、お嬢さんが企業のデザイン部門に就職し、数年経った後に結婚した。妻となったお嬢さんはフリーランスに転向した後、出産し、育児は陶治と力を合わせ、勉強を続けてデザイン会社を起業し、三人の社員とともに新たな挑戦を続けている。
 一方の堂前も無事家元になり、多くのお弟子さんを抱えている。
 それでも某善位高校の文化祭には顔を出し、かつて学んだ大学の学祭にも足を運ぶ。若い人のエネルギーに圧倒されながらも、ひたむきに創作に励む学生の作品に時に目を細め、時に感動のため目を潤ませ、満ち足りた時を共に過ごす。
 そして驚いたことに、本年度、某善位高校の学生の作ったぬれ縁を堂前は大層気に入り、その学生を自宅の勉強会とその後の食事会に招待し、和装一式を古い馴染みの呉服店に依頼して贈ったのだった。
 後日見せてもらった写真では、大学生の頃に陶治の作った花器に花を活ける堂前の姿や、ぬれ縁に和装の高校生とともに写る堂前とその妻の姿があった。
 会議が終わった後、廊下で数人の生徒と言葉を交わした後、陶治は陶芸棟に向かった。


あわせて読みたい