[239]女・風神雷神を正座させよ!



タイトル:女・風神雷神を正座させよ!
発行日:2022/12/01

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:52
販売価格:200円

著者:海道 遠
イラスト:よろ

内容
 玻璃香(はりか)は、念願叶って高校卒業前の秋に、蒼雷(そうらい)神社に就職内定が決まった。BFの洸介(こうすけ)は宮司さまの息子で、ご神馬(しんめ)の森羅号(しんらごう)の世話係をしている。
 本殿の奥に掛軸には、珍しく女性の雷神が描かれている。
 宮司の夢に、轟き山の神から火山へ神社を移築するようご託宣が下り、一同は慌てる。

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本文

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第 一 章 神社を引っ越し!

「あれ? どこに行ったのかな?」
 玻璃香は、念願叶って高校卒業前の秋に、蒼雷神社に就職内定が決まった。地元の氏神ではあるが、千年の歴史を持つ由緒正しい神社だ。
 BFの洸介は宮司さまの息子で、ご神馬の森羅号の世話係をしている。
(だから、ここに就職希望したのだけど……)
 内定したことを直に報告しようと、おかっぱの髪をはずませて神社の中を探し回っているのだが、森羅号の馬舎にもいない。
「どうどう、いい子ね、森羅」
 森羅号は純白の美しいご神馬だ。しょっちゅう遊びに来る玻璃香にも慣れていて、たてがみを編んでもらったり、今日はニンジンをもらってご機嫌だ。
「また、あそこかな?」
 本殿の一番奥、立入り禁止になっている奥殿に探しにいく。宮司だけしか入ることを許されない場所だ。ご神体の鏡が金糸銀糸の刺繍の布の上に祀られている。
 かたわらには古い掛軸が飾られている。江戸時代に氏子さんから寄与されたものだという。
 その前に立っている洸介を見つけた。
「やっぱり、ここでサボっていたのね!」
「ああ、玻璃香。だって、この雷神さまを見ていたら飽きないんだもん」
 掛軸には「女性」の、細い布を巻きつけただけの雷神が描かれている。
 若鹿のように澄んだ瞳と顔立ち、しかも風邪薬のキャラみたいじゃなく、胸や腰回りは豊かだがスレンダーな美人だ。小さな角を生やし、艶やかな青く長い髪をなびかせて空から舞い降りてきた瞬間だ。両の手首、足首には翡翠の輪が揺れている。
 小さな小太鼓が輪になった連鼓を左手で引き、楔(バチの役目)を持ち、太鼓を打とうとしている。
「洸介くんたら、目尻が下がってるわよ!」
「こんなにスタイルいいんだもん、仕方ないじゃないか」
 洸介は肩をすくめた。
「でも不思議ねえ。前から思ってるけど、雷神は大抵、風神とセットになってるのに、どうして雷神ひとりだけなのかな」
「そういえばそうだな」
「あ、そうだ。大事なことを報告に来たのよ。私、ご神馬の世話係として採用されたの!」
「な、なに? 父さんから何も聞いてないぞ! 俺の役目はどうなるんだ」
「今晩、うちで就職内定祝いのパーティーするから、洸介くんも来てよね!」
 その夜は、玻璃香の家で両親がパーティー料理に腕をふるい、飲めや歌えやを楽しみ、万歳三唱までする始末だ。
「玻璃香、就職おめでとう! ばんざ~~い! ばんざ~い! ばんざ~~い!」
 洸介だけは複雑な表情で料理もノドを通らなかった。
(まさか、父さん、俺をお払い箱にする気じゃないだろうな)

 翌日、蒼雷神社では社務所の会議室に皆が集められ、重大発表があった。
 玻璃香も呼ばれて出席している。
 宮司は、衣冠を正した礼装をして、神社勤務一同の前に立った。
「実はこの度、神社を移築することになりました」
 神官たちも巫女さんたちも、一同、水をうったように静かになり、ポカンと口を開けた。
「い、移築ですって? 神社を?」
 一番に声を上げたのは、権禰宜という神職さんだ。
「宮司。どういうわけですか? 神社の移築なぞあり得ませんぞ。この地を守るお役目をしているのですから。いったい何故?」
 宮司は、コホンと小さくひとつ咳をした。
「夢のお告げで、東の轟き山の神から蒼雷神社を火口に移すようにとご託宣(神からの命令)をいただいたのです」
「ご託宣……? 火山の神さまから?」
「轟き山とはまた……つい三年前、大噴火を起こした勇ましい山ではないですか」
「伝説によると、轟き山の神さまの母神のイザナミさまは、更に勇ましい女神だということだぞ」
 一同は大きくどよめいた。
「轟き山の神のご命に従わなければ、噴火を招いてしまいかねません。仕方なく移築する決断をしました」
 洸介が皆の前に飛び出してきた。
「夢の話を信じるのか、父さん!」
「ご神体の鏡にもお伺いを立てました。火山神の仰せの通りにせよとのことです」
 宮司は深く頭を下げた。
「父さん!」
「洸介。私も泣く泣くそうするのだ。火山神のご託宣とあれば、従うしかないではないか」
「火口の中なんかに移築したら……いや、移築する最中に溶岩の熱で燃えちまうよ!」
「それは、やってみなければ分からない。洸介、お前も全力で協力を頼むぞ」
 宮司は皆の後ろにいる玻璃香に目をやった。
「玻璃香ちゃん。あんたには重大任務があります。本殿の奥の掛軸に描かれている雷神と、風神も探し出してきて正座を教えてもらいたいのです」
「わ、私が風神雷神に正座を?」
「洸介から、あんたがお作法を習っていると聞きました。これも火山神のご託宣なのです。火口の淵に正座して挨拶させよと」
「それは……、神社の移築と関係があるのですか?」
「その点ははっきり分かりませんが、火山神は風神雷神の今の奔放な様子にご不満なのかもしれません」
 洸介が手を挙げた。
「父さん、つまり、風神雷神に正座を教える目的で玻璃香を神社に採用したってわけか?」
「まあ、そういうことになる。表向きの仕事はご神馬の世話係にしたが、本当に取り組んでもらいたい役目はそれなのだ」
 宮司は頭を掻いた。

第 二 章 対話

 大変なことになった。神社の移築のことも、自分の重大任務のことも。
 玻璃香は、その夜、眠れないまま夜明けを待ち、いただいた巫女さんの着物に着替えて神社本殿の奥に行ってみた。
 まだ明けきらない薄明かりの中の雷神は、いつもより色っぽく見える。
 掛軸の前に習った正座の所作で座る。
 背すじを真っ直ぐに立ち、膝をつく。着物をお尻の下に敷いて、かかとの上に座る。両手は静かに膝の上に置いて膝の前にずらし、頭を下げた。
 再び、掛軸に視線を当てる。
「初めまして。玻璃香と申します。以前からお姿を拝見していましたが、お声をおかけするのは初めてです。他の屏風や襖絵では、雷神さまはいつも、風神さまと対になっていらっしゃるのに、どうしてこの掛軸では雷神さまだけなのですか?」
 掛軸の雷神はいつもの通り、空から舞い降りてきたポーズでじっとしている。
「……答えてくださるわけないわよね」
 あきらめて立ち上がった時に、背後から声がした。
「そこのおなご。玻璃香と申したか?」
 振り向くと、雷神が掛軸から抜け出て連鼓の輪を左手でつかんだまま、本殿の床にスラリと立っていた。
「ら……雷神さま!」
 腰が抜けそうになった。
「おなご。お前の前髪を上げてみせよ」
「前髪ですか?」
 玻璃香がおかっぱの前髪をそっと持ち上げると、雷神はまじまじと眺め、うなずいて視線を元に戻した。
(私のおでこがどうかしたのかな?)
「もうよい、おなご。わらわの横に風神の姿が無いと申したな。描かれていないだけで、いつもわらわの側におるのだぞ。そら」
 雷神の手が呼び寄せるしぐさをすると、かたわらに風神が現れた。深緑色の長い髪をして切れ長の瞳。大きな白い布を引きずっている。雷神と同じく俊敏そうな姿だ。
 ――とまで観察するほど、玻璃香は冷静に見たわけではない。驚きのあまり目を見張るばかりだ。
「わらわは風神のアウラと申す。デンボ、しばらくだったな」
 雷神が眉を吊り上げた。
「デンボと呼ぶでない! オデキと間違われるではないか! せめて『デンモ』(電母)と呼べ」
 風神は負けじと、
「では、わらわのことは『アウラ』とお呼び。西洋風の呼び方だが、軽やかな趣きがわらわに相応しいだろう」
「アウラ……? どうもそなたのイメージではないぞ。軽やかに翔ける風にしては、お腹の脂肪が……」
「なんですって、このデンボ!」
 風神が雷神につかみかかろうとした。
「や、やめてください! 雷神さま、風神さま!」
 玻璃香は慌てて土下座した。
 風神がやっと玻璃香を見て、
「そなたは?」
「お願いです、ケンカなさらないでください! 雷神さまと風神さまは、おふたりでひとつの仲の良い存在。そうではないのですか?」
 必死な玻璃香の眼に涙があふれていた。
「おなご、泣かずともよい」
 雷神が風神の持つ風袋の端っこを引っぱって、玻璃香の涙をぬぐった。
「これでも我らは仲が良いと思っている。過去、未来永劫、ずっと二人組なのだから」
「そうですよ」
 雷神と風神は、小さい子のご機嫌をとるように接し、玻璃香は胸を撫で下ろした。
「この度、轟き山の神さまから宮司さまに夢のお告げがあり、この神社が轟き山の火口に引っ越すことになったことは、ご存知でしょうか」
「引っ越しですって? トドロキさまが、そうご命じになったの?」
 風神、雷神ふたりそろって詰め寄った。玻璃香は思わず小さくなって、
「そ、そうらしいです」
「ふ~~ん、デンボ、これはなんだか怪しいわね」
「デンボと呼ばないでって言ってるでしょう、風神!」
「アウラとお呼びと言ってるのに!」
 またもや賑やかなケンカが始まりそうなので、玻璃香はそっと本殿を抜け出してきた。
「どうやら、おふたりにも今度の移築の件は、青天の霹靂だったようね」
(とても、正座の所作を身に着けて、火口で正座してくださいとは言い出せなかった……)

第 三 章 玻璃香のおでこ

 元の蒼雷神社の代わりの仮殿が建てられている間に、玻璃香と洸介は、轟き山へ偵察に向かった。引っ越し先の火山がどんなところか気になって、いてもたってもいられないからだ。
 ご神馬の森羅号も引き連れていく。

 麓まで、ふたりは森羅号の背中に乗り、火口までの岩原を森羅号の綱を引いて登っていった。
 火口からは煙が立ち昇っている。
「こんな活火山の中に神社を移築することができるの?」
 ますます心細くなっていく。
 ようやく広い火口の淵に立った。見下ろすと、遥か下には真っ赤な溶岩が見える。
「いつ爆発するともしれない火口の中に神社を……」
 洸介も途方にくれた。
「どうやったら轟き山の神様にお会いできるのかしら」
 夕暮れを待った。逢魔が時になると人間でない存在と通じ合えるのではないかと、ふたりは思ったのだ。
 やがて、火口から神々しい男の声が響いてきた。
「お前は母上の愛馬の森羅号ではないか。生まれ変わりだな」
 森羅号が前足を踏みならせて「ヒヒンッ」といなないた。
「森羅号を連れてきたお前たちは?」
 火山からの声が尋ねた。
「蒼雷神社の宮司の息子、洸介です」
「私は森羅号の世話をすることになった玻璃香です」
 ふたりは恐る恐る答えた。
「むむ? 娘、そなた、額に白毫が見えるな」
「びゃくごう?」
「額に白毫を持つ娘が森羅号を連れて来てくれたか。良い兆しかもしれぬな」
 とたんに、ふたりの前に神話の世界でよく目にする埴輪のような白い装束に髪をみずらに結った、体格のよい男が現れた。
「……!」
「……トドロキさまですか?」
「いかにも。蒼雷神社の者だとか。神社を移築する件、さぞ驚いたであろうな」
 ひとつの岩の上に、やれやれと腰かける。
「そなたたちも、その辺の岩に腰かけるがよい。それ、森羅号よ、火山の欠片をやろう」
 森羅号は、トドロキのところまで歩いていき、小さな欠片をもらってモグモグした。
「世間でも知れ渡っているように、我の母神は、大和の国を作ったイザナギ、イザナミの夫婦のイザナミだ。母神は、我の兄弟のカグツチを生んだ時の火傷が元で、黄泉の国へ行ってしまったが、妻に逢いたさに後を追った父のイザナギに、醜くなった顔を見られて怒り、亡者の群れを差し向け、夫婦で口論したあげく、黄泉の国の女神になってしまった」
「じゃ、母神さまは、山の神と黄泉の国の神を兼任ってことですか!」
 洸介の問いに、轟きは頷いた。
「ことあるごとに、母神から『早くたくさんの妻を娶り、子どもを作りなさい』と言われて辟易している」
「……」
「おまけにここ何千年もまとわりついてくる『女の』風神と雷神がかなりなお転婆だ。もし、どちらかを妻にしたとしても母神のように気が強いまんまだと想像できる」
「はあ」
 玻璃香は、納得した。
「あのふたりをおとなしくしておくには、火山の中に住まわせ、自分の眼の行き届くところに置くのが一番良いと思うたのだ」
「なるほど……」
「思いついたのが、蒼雷神社を火口に移し、風神と雷神にお作法、特に心を鎮められる『正座の所作』を身につけさせることだ。移築と申しても、ご神体の鏡を移すだけのことだがな」
「ご神体を移すだけ? そうなんですか?」
「火口の中に神社を新しく建てるんだと思ってた!」
「引っ越しする間の仮殿まで建てかけてるのに!」
「ははは、そんな無理を人間たちに言ったりせぬ」
 トドロキは白い歯を見せて笑い、玻璃香と洸介は、力が抜けるようにホッとした。
「その上で、どちらを妻にするか決める所存だ。それゆえ今回、宮司に託宣を下したというわけだ」
「そうだったのですか……」
 玻璃香がおずおずと、
「実は、未熟ながら、少し大和の作法を習っているというだけで、風神雷神さま方に『正座の所作』をお教えするように宮司さまから言われています。私のような小娘が大役をお受けしてよろしいのでしょうか?」
 ずっと胸にあった不安を、玻璃香は尋ねてみた。
 トドロキは、改めて玻璃香を見つめた。
「大和座りの作法は古代の中国でも目にした。近代になって大和でも定着したようだな。娘、作法通りに正座してみよ」
「は、はい」
 玻璃香は平たい岩を選び、その上に立った。
「背すじを真っ直ぐにして立ちます。地面に膝をつき、衣をお尻の下に敷き、かかとの上にそっと座ります。両手は静かに膝の上に置きます。――一通りの所作はこれですが」
「ははははは!」
 トドロキは、急に笑い出した。
「あのお転婆ふたりが、こうして正座した時の姿を早く見たいものだ!」
「では、私がこのお役目をさせていただいても?」
「もちろんよいとも。あのふたり、そなたの白毫の前に、指一本動かせぬことになるであろう。楽しみだ!」
「白毫……?」
(私のおでこに何かあるみたいだけど、そんなに力があるの?)
 首をかしげながら、玻璃香は岩から降りた。

第 四 章 噴火と雷

 蒼雷神社のご神体である鏡と、風神雷神の掛け軸を轟き山の火口の中に移動する儀式が厳かに行われた。
 宮司が祝詞を上げ、巫女たちが火口に並んで鈴を振り、雅やかに舞い踊った。
 皆が引き揚げて静かになると、玻璃香の出番だ。
 風神の自称アウラと雷神の自称デンモに火口に現れてもらった。
「この前の小娘ね。何なのよ、呼び出して」
「白毫があるからって、大きな顔しないでよね」
 火山に引っ越したばかりで、少々、不機嫌な様子だ。
 現実にふたりを見た洸介は、今にも逃げ出しそうだが必死で堪えている。
 玻璃香は平たい石を見つけた。
「アウラさま、デンモさま、こちらの岩の上にお上がりになってください」
「こんなゴツゴツした岩の上で何を?」
「正座のお稽古をしていただきます」
「正座?」
「大和座りの仏像がいらっしゃいますが、あれに似た座り方です」
「あんな窮屈な座り方を? どうしてわらわたちが、しなくちゃならないのよ」
「そうよ。ふだんは楽ちんなあぐらか片膝立てしてるのに」
 そろって駄々をこねる。
「これは、トドロキさまのおふたりさまへの、たってのお願いなのです」
「トドロキさまの?」
 ふたりの顔色が変わった。
「天界でも、一、二を争う美神であるおふたりさまに、いっそう優雅な所作を身に着けていただくためです。その上で優れた正座ができた方を妻になさるということです」
「なんですって――! トドロキさまの奥方さまになれるの?」
「なんでそれを早く言わないのよ、小娘!」
 ふたりの態度は豹変した。急いで岩の上に飛び乗り、
「さ、教えなさい」
 玻璃香はうなずいた。
「はい。では――」
 正座の所作を説明し、自分もふたりと同時にその場に正座した。
「なんだか不安定ねえ」
 言われるままに座った雷神がもらしたが、
「しっかり背すじを伸ばせば大丈夫です。平ではない場所にちゃんと正座できておられます」
「そ、そう? 早くトドロキさまに報告しなさい!」
 風神雷神は声をそろえて言った。
 ところへ――、いきなり地響きが一同を襲った。

 次の瞬間、一同の背後の火口から噴煙が吹き上げ――、真っ赤な溶岩の柱が立った。山が噴火したのだ。
 森羅号が駆けてきて、玻璃香と洸介に背中に乗るように促した。口には蒼雷神社のご神体の鏡をくわえている。
「森羅! よくやったぞ!」
 洸介が鏡を受け取り、鞍に飛び乗って、玻璃香を引きずり上げた。
 風神のアウラと雷神のデンモは、素早く空へ舞い上がる。
「洸介くん、どうしていきなり噴火したの? トドロキさまのお気に障ることをしてしまったのかしら?」
「母神のイザナギさまがお怒りになって噴火させたと、トドロキさまから思念が届いた」
「イザナギさまが!」
 溶岩の火柱の熱が迫ってくる中、森羅号は必死で山を駈け下りた。すぐ背後から恐ろしい速さで溶岩流は迫ってくる。
 吹き上げる溶岩と同時に稲光が走り、雷鳴が鳴り響いた。火山雷だ。
「ええ? デンモさま、まさか!」
 空に連鼓を打つ雷神の姿が見えた。
「ごめんよ! イザナミさまのご命令で、鳴らさなくちゃいけないんだよ!」
「森羅! 頑張ってくれ!」
 玻璃香は森羅号のたてがみにつかまりながら、祈り続けた。
(無事に山を下りられますように!)

第 五 章 森羅号の声

 翌日――、轟き山は溶岩の噴出を止めたが、噴煙が空高く舞い上がっている。
 油断ならない状態だが、麓の町や村、牧場は幸いにも被害には至っていない。
 麓の宿に避難した玻璃香と洸介の元に、トドロキが姿を現した。
 装束はところどころ高熱で焼け落ち、みずら髪も乱れて心が痛む有り様だ。
「トドロキさま! この噴火はいったい――」
「申し訳ない。断りなく雷神と風神のどちらかを妻にしようとしたことで母神の怒りを招いてしまった」
「イザナミさまは、風神雷神さまをお気に召さないのですか?」
「いや、どちらかを妻にしようとしたことが、母神の意向と食い違ってしまったのだ。できるだけ多くの妻を持ち、たくさんの子をもうけよというのが母神の考えなのだ」
「はあ?」
 一夫多妻制度に慣れていない玻璃香は、呆気に取られた。
「さっさとハレムを作って子孫を増やしなさいと激怒している。余は、だれでもかれでも妻にするような節操のないタイプではない。困った困った。いつまた母神の癇癪玉が爆発するか……」
 トドロキは、しゃがみこんでしまった。
「洸介くん、とりあえず、トドロキさまに蒼雷神社に来ていただきましょう」
「そうだな。神社で落ち着いて考えよう」

 神社に帰ると、ふたりは倉庫に眠っている膨大な文献を漁り、イザナミのことを調べ始めた。
 宮司も呆れるほど、ふたりは寝る間も食事する間も惜しんで調べ続けた。
 しかし――、今まで神話で知ったことしか得られない。
「玻璃香。もしかすると、文献より森羅が詳しいかもしれないぞ」
「森羅号が? イザナミさまの愛馬の生まれ変わりだもんね」
「今、どうしてる?」
「馬屋でお休みのトドロキさまを看病しているわ」
「馬屋でお休み? 本殿の裏にある俺ん家で休んでもらってるじゃないのか?」
「トドロキさまが、馬屋の方が落ち着くとおっしゃったので」
「分かった。森羅のところへ行こう」

 玻璃香は馬屋にいる森羅号のかたわらに立った。
 筋肉の発達した首筋に手を当て、ヴェルベットの毛並みに耳を着けて、一心に尋ねてみる。
「森羅、教えて。イザナミさまは何を苦しんでいらっしゃるの? お救いできるものなら、それを取りのぞいて差し上げたいの。今のままでは火山が噴火を繰り返して人々も苦しむわ」
 森羅の心の声が、玻璃香の耳に響いてきた。
『イザナミさまは喜怒哀楽が激しく、そんなご自分に疲れておいでなのだ』
「……」
『その昔、黄泉の国まで追ってきた夫だったイザナギさまに、醜くなったお顔を見られて屈辱を味わわれたこと、黄泉の者どもに夫の後を追わせたこと、激しい口論の末に決裂して黄泉の国の神になったこと、すべて心ならずもそうなってしまったことばかりで、心の奥にシコリとなって残っていると……』
 森羅から聞いた言葉を、玻璃香は洸介に伝えた。
「おいたわしいことだな」
 洸介が洩らした。
「あ、待って。森羅はまだ言いたいことがありそう」
 玻璃香はご神馬の首筋に、もう一度耳を当てた。
「イザナミさま所縁の西国にある神社に存在する『馬蹄石』の上で心穏やかに瞑想したいご意向だそうよ」
 玻璃香は立ち上がった。
「それなら、君が風神雷神にお教えした正座で瞑想していただけば、もっといいのじゃないかな」
 洸介が提案した。
「いい考えね! イザナミさまにお会いに行きましょう」
 洸介と共に森羅号に乗って、再び轟き山に向かった。
 森羅号が向かうままに山を登っていくと、あちこちから湯気を吹く岩原に、やせ細った女性が岩にもたれかかっていた。
 顔には薄い布が巻かれている。
「イザナミさまですね」
 女性は弱々しく頷いた。
 森羅号の背中にお乗せして、所縁の西国の神社に向かう。久しぶりに主人のイザナミを乗せることができて、森羅号の足取りは軽い。目指すは『馬蹄石』である。

第 六 章 馬蹄石

 西国の神社は大きな規模で、地元の信仰を集めていた。その日も参拝の人々が絶えない。
 巨大な石造りの鳥居をくぐり、本殿に参拝してから、山道へ入っていくと、脇に『馬蹄石』と書かれた木札があった。
 馬蹄のカタチそっくりな蹄の形をしている。
 森羅号から下馬したイザナミは、顔の薄布を少しめくり上げて眼だけ出した。戸惑いを隠せない様子だ。
 洸介は父の宮司からのメールを確認した。
「おい、玻璃香。轟き山が再び噴火を起こして溶岩流が麓の村に達しそうだってよ」
「イザナミさまの緊張の気持ちが山と連動しているのかしら。急がないといけないわね」
 玻璃香はイザナミを馬蹄石に導いて、柔らかな皮を敷いた。
「こちらへ。私の肩におつかまりください」
 イザナミはガクガク震える足に力を入れ、石の上に登った。玻璃香が石の側に立ち、正座の指導を始める。
 石の上に立ち上がろうとしたイザナミは、膝がくずおれてしまった。
「ダメだ。わらわには無理じゃ」
 力なくしゃがみこんでしまう。
「どうすればいいかな、洸介くん。すっかり自信を失くされているわ」
 途方に暮れていると、空から聞き覚えのある声が降ってきた。
「イザナミさま、お元気をお出しくださいまし!」
「正座なんて、やってみれば軽い軽いですわよ!」
 風神と雷神のお転婆コンビがふわふわ飛んで見守りながら、励ましている。
「そなたたち……」
 イザナミの顔色が赤みを帯びた。
 玻璃香は千人力を得た思いがした。
「ありがとう、風神さま、雷神さま!」
 もう一度、馬蹄石の傍らに立って、イザナミが立つのを手助けした。
「よろしいですか、背すじを真っ直ぐなさって、そうです。次は石の上に膝をついてください。衣はお尻の下に敷き、かかとの上にお座りください。最後に、両手はふんわりと膝の上に置いて……」
 玻璃香の言葉に素直に従い、イザナミは正座した。
「深呼吸なさって。遠い昔の辛いお記憶や傷ついた言葉など全てお忘れになって、お心を無になさってください」
 馬蹄石は高台にあり、山々の間から小さく水平線が見えた。爽やかな風がイザナミの頬に吹き抜ける。風神のアウラが、白い風袋から微風を送っているのだった。

 どのくらいの時が過ぎたことか――。
「心地よいこと……。こんな清々しい気持ちはとても久しい。長い間、わらわは燃えたぎる醜い感情に侵されていたのだな……」
「とても穏やかなお顔をされています」
 玻璃香は、イザナミの手を両手で押し包んだ。
 海からの風が玻璃香の顔にも吹きつけ、眉間の渦があらわになる。
 洸介は、ハッとした。眉間の辺りから水晶がきらめくような白い光が発せられているではないか。
 イザナミも光に視線を向けた。
「そなた、眉間に貴重な白毫を持って……」

 無事に正座できたイザナミは、見違えるように生き生きとした。森羅号の背にしがみついていた往路と違い、復路は自ら手綱を握って、後ろに玻璃香を乗せることができた。
 森羅号の轡(馬の口に着ける馬具)を洸介が持って歩く。

第 七 章 轟き山へ

 一行が轟き山へ戻ると、噴火は収まり、煙も最初の噴火に比べると通常通りの量に戻っていた。
 山の麓の草原に、母神を迎えるトドロキの姿が見えた。
 森羅号にまたがる母神の側に駆け寄り、ひざまずく。
「母上、神の依り代と言われる馬蹄石に、無事に触れて来られましたか?」
「うむ。蒼雷神社の玻璃香と若い跡継ぎが助力してくれたおかげで、このとおり元気を取り戻した」
 薄布を脱ぎ、息子から差しのべられた手を借りて森羅号から下りた。かつての醜い相は消え、白く麗しい顔の母親の相に還っている。
「お美しいです。このように凜となさった母上は初めて拝見します」
 トドロキは、誇らしげに言った。
「玻璃香が正座の所作を稽古させてくれ、穏やかな心を教えてくれたゆえじゃ。わらわは心乱れて、下界の者にかなり迷惑をかけてしもうた。償いをしなければ」
「正座……、大和座りのことですね。あれはよろしい。心穏やかになれます」
「わらわに正座を教えてくれる、勇気あるおなごなど滅多におらぬ。何より――」
 イザナミは、玻璃香の眉間の白い渦を見つめ、
「これは白毫と申す貴重な印。高貴で優れた者だけが持つ、仏教の如来さまの化身の証し。そなた、この娘を正妻に迎えるがよい」
「な……」
 トドロキ、玻璃香をはじめ、一同は驚きのあまり声を失くした。
「玻璃香なら、丈夫な子をたくさん産んでくれるであろう!」
「イザナミさま?」
「母上、それは……」
 玻璃香の身を抱き寄せたのは洸介だ。
「いくらイザナミさまのご命令でも、お聞きするわけにはいきません! 玻璃香は俺の妻になるのです!」
 一同、またもや仰天し、上空で見守っていた雷神のデンモと風神のアウラも地上に降りてきた。
「洸介くん、私は高校を卒業して神社に就職が決まったばかりなのよ!」
 洸介は、
「すぐにじゃないよ。何を今さら。お前は神社でずっと側にいるんだ。な、森羅?」
 森羅号は、首を上下していなないた。
「洸介くんたら……」
「いつ天変地異が起こっても、俺がお前を守る」
(気持ちは嬉しいけど、なにもこんな騒ぎの時に!)
 ――しばらく重い沈黙が訪れた。

 命令に真向から盾ついた洸介の発言に、イザナミが再び癇癪を起さないかと皆はびくびくしていた。
 雷神のデンモが進み出て、
「イザナミさまが、トドロキさまに多くの妻を持つようお望みなのは、多くの子孫を作りたいとお望みだからと伺いました。確か、一年に十二人を目標にと」
「それなら、トドロキさまは毎年クリアされておられますよ」
 風神のアウラが言い添えた。
「なんと! それは誠か、風神、雷神!」
 イザナミの眼が見開かれた。
「誠でございます。わらわたちは、まだハレムに入れていただけない身ですが」
 トドロキは、バツが悪そうに頭を掻いている。
「トドロキ。そなた、ハレム……後宮などに興味はないと申していたはず」
「後宮も正妻も持つつもりはありません。自由でいたいのです。しかし、愛でたおなごたちが毎年、子を産んでくれます」
 玻璃香がナイショ声で洸介に耳うちする。
「誰彼なしに妻にするようなタイプではないと豪語なさっていたのは、どなたかしら?」
 イザナミの顔をチラリと見ると、むっつりしたままだ。
「玻璃香。退散した方がよさそうだぞ。神社へ帰ろう」
 洸介が言った。
「その前に、イザナミさまにお礼を」
 玻璃香は草原に正座して、イザナミに深々と頭を下げた。
「馬蹄石にて、改めて正座の尊さを教えていただき、ありがとうございました」
 イザナミの愁眉は開かれ、微笑んだ。
「わらわからも礼を申す。蒼雷神社の跡取りと末永く幸せにな」
 トドロキを後に従え、イザナミは山へ戻っていく。
 風神と雷神が空から後へ続く。
「トドロキさま、どうか、わらわをハレムに!」
「お子を産んでみせますから!」
 どうやら騒動はまだまだ続きそうだ。


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