[301]お江戸正座10
タイトル:お江戸正座10
掲載日:2023/07/23
著者:虹海 美野
内容:
文二郎は茶葉を売る諏訪理田屋の次男である。
長男が所帯を持った後に、父から文二郎に暖簾分けをするのでどういう商いをしたいかと床の間で正座で向き合い、問われた。
文二郎は以前より考えていた陶器店と答えた。ほどなく、文二郎はおつぎという娘と見合いをした。
それほどおつぎが気に入ったわけではなかったが、辛抱強い娘ですというおつぎの父の言葉に、つい、自分と一緒になるなら辛抱強くなくていい、と言った文二郎は……。
本文
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1
陶器諏訪理田屋は、茶葉を売る諏訪理田屋から暖簾分けした、文二郎の店である。
文二郎は茶葉を売る諏訪理田屋の次男で、長男文太、次男の文二郎、三男の文三、四男の文史郎、五男の文五郎、六男の文六、七男の文左衛門の七人兄弟である。
諏訪理田屋は長男の文太が継ぎ、現在文三、文史朗、文五郎、文六の四人が手代、末の文左衛門は戯作者を志して師の元へ弟子入りし、今は独立したと聞く。
文二郎が暖簾分けをしてもらい、実家を出たのは、長男の文太が妻を迎え、店を継いだ翌年のことである。
父に暖簾分けをするのに、どういった商いがしたいかと訊かれ、それならば茶葉を売る店としてなじみ深い、茶器をはじめとした陶器を扱う店にしたいと思いますと答えた。
文太が祝言を挙げてすぐ、文二郎は父にそれとなく、自身で店を持つならどういった商いをしたいか考えておくようにと告げられていた。
半信半疑ではあったが、文二郎なりにいろいろとお商売について考えて出した答えだった。
床の間で父は正座をし、文二郎を見つめた。
背筋を伸ばし、膝は握りこぶしひとつ分開くくらい、脇は締め、着物を尻の下にきれいに敷き、足の親指同士をつけ、手は太もものつけ根と膝の間に指先が向かい合うように揃えられていた。
自然と文二郎も居住まいを正した。
背筋を伸ばし、着物がきれいに尻の下に敷いてあるのを確認し、膝をつけるように意識し、脇を締め、足の親指同士が離れぬようにする。足袋を履いていないから、足の親指同士が重なるのかよくわかったのを覚えている。太もものつけ根と膝の間で指先同士が向き合うように揃えた手から、着物の生地を通してその温かさが伝わる。
「そうか」と父は頷き、それならば、茶を仕入れているのと同じ地に窯元が多いから、その伝手がよかろう、まあ、ほかに方法もあるだろうし、店はお前のものだ、思う存分好きにやりなさいと言った。
文二郎は手をつき、「ありがとうございます」と述べた。
考えてみれば、これほど父と近しく、そして深い話をしたことがあったろうか。
それが、この家を出るための話をする時だとは思わなかった。
2
文二郎が生まれた時、すでに二つ上に兄の文太がいて、翌年には弟の文三がいた。
だから文二郎は自身が末の子であるとか、兄になったとかいうことを自覚する暇がなかったように思う。
自覚以前からの三人兄弟の次男。
そうしてその後も間を置かず、弟が四人誕生した。
なんとも賑やかな家である。
そうした中、先に生まれた三人が揃って行動することが多かった。
手習いに通うのより前の話だ。
文太は何かと長男だから、お兄ちゃんだからと大人たちから目をかけられていた。そうして文三は、ほんの一年か二年末っ子だっただけのはずなのに、なぜか自身が末の子であることを最大限に主張していた気がする。
だから、三人でちょっと店の前あたりで遊んでいる時なんか、いつも指揮を取るのは文太で、文太の言うことは絶対だった。そうして、それに全く臆することなく面倒を言い出すのは文三だった。その間で、大概文二郎の主張とか希望とかいうものは、後回しにされる。否、後回しならまだよい。忘れられる、黙殺されるというのが日常茶飯事であった。
気乗りしない遊びでも、文太がその時の遊びを決めれば、それについて行くほかなく、それはそれで楽しく遊び始めても、文三が喉が渇いただ、家に戻りたいだ、と言い出せば、まだここで遊びたいと文二郎が言ったって、文三が優先される。
なんとも不条理だ、と今でも思う。
まあ、その後に生まれた文史郎は要領がよかったし、文五郎は見ていて気の毒になるほど優しく、お人好しである。文六は文三とはやや異なるが、やはり主義主張がはっきりとした性分で、よく文史郎や文三と喧嘩をしていたものだ。そうして末の弟の文左衛門は、父から猫かわいがりされて育ち、祖父の名まで継いだのに、お商売には向かず、戯作者になった。
兄弟について思い返す折、文二郎は、己はなんと特徴がないというか、目立たぬというか、冴えないのだろうと思う。
何かで兄弟より目立ちたいとは思わぬが、黙って兄弟のよいところを褒められるほどに心広くはなかった。
だが、父は暖簾分けをするのは文二郎だけだと言った。
後の兄弟はわからぬが、婿養子の先を探すことになるだろう、と。
この時、文二郎はその理由が訊けなかった。
訊いて、生まれた順番上、と言われるのを、どこかで恐れていたのかも知れぬ。
これまで散々、自分の生まれた順番は損だと思っていたが、いざ、暖簾分けをしてもらうというありがたい話が出た時に、その理由が生まれた順番というのは、どこかで受け止めたくないという思いがあった。
3
そうした文二郎の複雑な心境を知ってか、知らずか、父は早速見合いの話を持ってきた。
お相手は、飯屋の娘であった。名はおつぎと言い、おつぎの姉が店の板前と一緒になり、おつぎは嫁ぎ先を探しているとのことだった。飯屋なのだから、人の出入り多く、それこそご縁があるように思えたが、おつぎの親は、しっかりとしたお商売をしている家との縁談をと考えているのだと言う。この見合い話は、父の方で茶の仕入先に文二郎への暖簾分けの話をした折、同郷の板前が諏訪理田屋の近くで飯屋をやっており、娘のよい縁談を求めている、というところからであった。
まあ、会う前のことで、こちらとて、この先のお商売を考えての縁談であるが、暖簾分けをしてもらうのは、次男だから、そうして結婚するのは代々続いている店の息子だから、と、文二郎個人とはおよそ関係のないところで、文二郎の人生は決まってゆく。
一応見合い相手を、芝居の桟敷席で向かい側から見るとか、どこかの店にいるのをそれとなく通り過ぎて見る、といった方法もあるにはあるが、文二郎はそうしたことをせずに見合いすると決めた。
そのひとつに、兄の許嫁で、今は妻であるご新造さんは、まだ手習いに通っている頃に兄と顔を合わせ、そのまま一緒になった。兄の方でもご新造さんの方でも、特に不満ない様子で、一緒になってからは大層うまくいっている。
ただ、言ってみれば、兄のご新造さんはそこそこのお嬢さんであった。嫁入りする際のお道具も大層なものばかりで、着物もかなりの量を持参していた。
男兄弟の諏訪理田屋で、このご新造さんの存在は大きかった。
しとやかで優しくて、ちょっと廊下ですれ違う折にも角のところで待っていてくれ、どうしたものかと小さく会釈をすれば、おはようございますと、柔らかく微笑んでくれる。そして何事にも卒がない。家のことは母について教わり、そのうちに台所のことは女中頭に訊き、気づけば家の方全般を担っていてくれた。七人兄弟の着物の繕いものなども、それとなくやっておいてくれる。
そうして、長男の文太との仲も大層よろしい。
ああ、ご新造さんをお迎えするというのはいいものなのだな、と文二郎は思った。
家の中は明るくなり、以前より兄弟の諍いも減った。
もうじきこの家を出るのが惜しくなるほどに、家は快適になった。
だが、せっかくの父からの厚意、そうして後に控えた弟たちの縁談を思えば、さっさと自身は身を固めねばと考える。
4
そうして、見合いの日がやってきた。
当初は諏訪理田屋に来てもらう予定であったが、丁度、見合い相手、おつぎの父の兄が江戸へ出て来ているという。せっかくの機会だから、文二郎のこの先の陶器店に向け、仕入先をいくつか紹介してもらおうということになった。まあ、文二郎が陶器店を開きたいと思った当初、自身の足で店を回り、仕入れ先を開拓する心づもりではあった。だから、何から何まで、このおつぎの家に頼ろうとまでは思ってはいない。だが、これもありがたいご縁。そうして何より選択肢は多いに越したことはない。
見合いと商談、一度に二つの大きなことに文二郎は向かおうとしていた。
隠居生活に入った両親とともに、文二郎は見合い相手の店を訪れた。
考えてみれば、両親と文二郎の三人で出かける、というのもこれが初めてではないか。どこか慣れずに戸惑う心持ちと、何やら足取りが軽くなる子どものような嬉しさとが相まって、文二郎はそわそわとした。
見合い相手、おつぎの家は、大きな店ではないが、引き戸や格子戸の白木も新しく、『本日休業』と張ってある入り口で「ごめんください」と声をかけて、引き戸を開ければ、ちりひとつない下足棚とたたき、そうして広々とした座敷、その奥に住居用の座敷、しっかりとした階段、入って左手にある板場と、全てが整然とし、一輪挿しの花器には、淡い色の花が活けてあった。
几帳面に、そして丁寧に暮らすこの家の人たちの様子が伝わってきた。
「本日はようこそおいでくださいました。よろしくお願いします」と、実直そうな父と思われる初老の男の人が出て来て、それに続き、男の人より十ほど若そうな母と思われる女の人とともに、絹の着物で娘が現れた。
顔立ちは整っているが、しっかりした眉や鼻筋から、文二郎が勝手に抱いた女性の華やかな雰囲気は感じ取れなかった。
「こちらへお上がりください」と、通されたのは、二階の部屋だった。
二階には奥の障子の閉められた部屋と、二間続きの部屋とがあった。
姉夫婦がこの店を継いだと聞いているが、静かな様子だと思っていると、それを察したように、今日は大事な日ですから、娘夫婦とその子たちには、店が休みだからと遊びに行ってもらっておりますと言う。お気を遣わせてしまって、と母が言うと、いえいえ、思わぬ休みで思い切り羽根を伸ばしているでしょうと応じる。よい人だ、と文二郎は思った。
二間続きの部屋は床の間で、格子窓からは柔らかな光と、心地よい風が入る。
父、母が進められ、座布団に正座する。
背筋を伸ばし、足の親指同士をつけ、太もものつけ根と膝の間で指先が向かい合うように揃え、着物を尻の下に敷き、膝も脇も締めている。凜とした佇まいは、これまでの両親の過ごしてきた日を感じさせた。それとともに、僅かの間ではあるが、文二郎は正座する両親を見下ろし、大きく見えた父が老齢であること、何があったとて全て受け入れ安心させてくれる母が文二郎よりずっと小さいと気づく。
「早く座りなさい」と母に小声で促され、文二郎も正座する。
作法の教室に通ったほか、お商売をする家の子だからというのもあってか、正座や箸の上げ下ろしに厳しい家であったなあ、と文二郎は思う。
『今は何かとうるさく言われて窮屈だろうけれど、いつか自分でやっていく時に、今叱られたことは決して無駄にはなりません』と母はよく言った。
向かいに座った見合い相手のご両親は「立派な息子さんで」と言い、「勿体ないお言葉です。ただ、手前味噌にはなりますが、この子は小さい頃よりしっかりとしていました。ああ、この子には、いつか自分でお商売をさせたいと考えておりました。まだ自身でのお商売は始めておりませんが、決していい加減な商いはしないと、お約束いたします」と父が述べた。
……そんなことを思っていたのか。
否、見合いの席だから、適当によく言ったのか?
わからぬまま、文二郎は手元を見つめていた。
堂々と文二郎を褒めた父に、母が少し恥ずかしそうにして、隣り合った肘で父にそのへんに、と訴えている様が文二郎にも伝わる。
「うちのおつぎは、大人しい娘ですが、書も算術も得意で、しっかりとしております。辛抱強い性格ですので、多少のことでくじけません」
おつぎの父が言う。
謙虚な姿勢で娘を褒めたのはわかる。
だが、文二郎にはその褒め方がやや引っかかった。
「お嬢さんを、おつぎさんを大切に思っておられるのでしょう」と、ふいに文二郎は切り出した。
両の両親、そしておつぎが目を上げ、文二郎を見る。
「ですが、もし、私と一緒になるのでしたら、辛抱なさらなくていいです。くじけていいです。私は七人兄弟の次男で育ちました。大切に育ててもらい、感謝しておりますが、もともとあまりわがままを言わないところがあったと思います。それが嫌だったとか、そういうことではないのです。ですが、私は、私のためにこの先添う人、一人、思うように暮らせないような生活をするつもりはございません。ご両親とご本人の努力で立派に成長されたおつぎさんを、私は、私なりの考えで大切にいたしたい所存です」
何を言っているんだ……。
特にこのおつぎという娘が気に入ったわけではなし、向こうからの返事ももらっておらぬ。それなのに、何を言い出すのやら……。
「ああ、出過ぎたことを」と、文二郎は慌てる。
だが、こちらを見つめるおつぎと目が合った時、驚くほどにその瞳が澄んできれいなことに気づいた。
5
両家が顔を合わせた後、折を見計らったようで、おつぎの父の兄が同席した。後から思えば、このおつぎの父の兄は、襖越しに見合いのやり取りの様子をうかがい、話がまとまりそうであれば出て来る心づもりであったように思われた。江戸からの発注を受けている地元の窯元の名と、卸先の店を連ねた紙をくれた。陶器職人に、姪が一緒になる予定の夫が近々江戸で店を出すということ、店の名は陶器諏訪理田屋だということも追って伝えてくれると言う。
なんともありがたい話だ。
今回は初の顔合わせで見合いであったが、もうすでに話はほぼまとり、文二郎は早速これらの店を回る心づもりであった。
店の入り口で丁寧にあいさつを交わし、今後ともよろしくお願いしますと何度もいい合った後、母が「少し早いけれど、せっかくだから、どこかで昼食をいただきましょう」と言い、やや心揺らいだが、文二郎は「お父ちゃん、お母ちゃん、今日はありがとうございました。これから陶器店を回ります」と固辞した。「困ったことがあれば、すぐに言いなさい。まだまだ頼りにしていいのだから」と、父が頷く。
さあ、行くか、と思った時、「あの」と声がした。
おつぎであった。
戸惑いながら会釈をすると、「私もご一緒してよろしいでしょうか」と言う。
「すみません、私はこれから昼食ではなく、店を回って歩くつもりなのです」
「ええ、ですから、ご一緒させていただけませんか。足手まといにならぬようにしますから」
おつぎは整った顔立ちをして大人びて見えるが小柄で、こうして見るとまだどこか幼さを感じさせる。
文二郎が今年二十五、確かおつぎは十七と先ほど聞いた。
お商売をしている家では、丁稚から手代と修業期間が長く、所帯を持てるのは大概二十半ば、番頭までを務めてからとなれば四十を過ぎてからというのも珍しくはない。だから、大概お商売をしている家の夫婦は年の差がある。
文二郎の両親もそうであったし、兄夫婦も文二郎とおつぎくらいの年齢差だ。
当然、兄のご新造さんは文二郎、文三より若く、文史郎と同じか文史郎より下であったはずだ。だが、嫁いできた時から、長男のご新造さんは年若いのは一目瞭然であるが、華やかさだけでなく、肚の据わったお人でもあった。浮ついたところなく、品があった。だから自然と敬えた。
そうしてみると、おつぎはやや幼く、頼りなくも見える。
町娘というのは往々にしてこのような感じなのか……。
一概には言えぬ。そもそも兄のご新造さんだって、うちに来る前は町娘であったではないか。
それを言えば、お商売をしている家の息子というのは、という話になり、朗らかであるとか、身ぎれいであるとか、頭の回転が速いとか、いろいろと挙げられるし、文二郎がそれらにどれほど当てはまっているかと考えれば、ほとほと自信がない。
それによくよく見れば、淡い桃色の振袖を着ているが、顔立ちの整ったおつぎの雰囲気とは少し違う。
そんなことを一人考えていると、「あの、駄目でしょうか」と問われる。
「いや、ただ結構歩くので、疲れたらすぐに言ってください。せっかくの振袖も汚すようなことがあったらいけませんし」
文二郎が頷くと、「はい」とおつぎはすぐに後について来た。
「この振袖、似合っていませんよね。母、姉が着たもので、大切な時に着るようにと、染め直したりせずに、とっておいたのです」
振り返れば、俯いておつぎが言う。
まさか、顔に出たか、と焦ったが、「そんなことはありません。おつぎさんにその振袖も合っておりますが、これから新たなお召し物に出会って、そちらを気に入るということもあるでしょう」と返した。
「優しい方ですね」とおつぎは言う。
優しい?
文二郎ははたと考え込む。
「うちの兄弟で、五男が大層優しいですが、私は駄目ですよ」
「そうでしょうか? 文二郎さんの弟さんを存じませんが、私は文二郎さんを優しいと思いました」
「それは、……どうも」
どうにも調子が狂う。
こうして、陶器店を文二郎はおつぎとともに回った。
おいてある品を吟味する。
茶葉を売る店とあって、茶器には文二郎は詳しい。
おつぎは花器に興味があるようで、それぞれの店で、さまざまな陶器を見て回った。
そうした中、古く小さいが、大層趣き深い器を扱う店があった。
この店では主に茶碗や皿を扱っており、値段は手ごろなものから、贈り物にも良さそうなものまで揃っている。
「夫婦茶碗をお探しですか」と声を掛けられ、「いえ、あの、まだ」と、文二郎は曖昧に答えた。
老齢の店主は、ずいぶんと洒落た装いをしていた。
生地を織るところから注文する着物であろう。
恐らく、この店は生活のためというより、この店主の趣味で開いているのではなかろうか。
文二郎は、これから茶器を主とした陶器店を開きたいと考えていること、品を卸してくれる陶器職人、或いは問屋を探していると答えた。おつぎが、父の郷がこちらに品卸をしている窯元で、今も郷に住んでいる伯父から紹介を受けていること、追って、文二郎が店を出すことを伯父が話に来る旨を伝える。
「そうでしたか、ちょうど懇意にしている陶器職人が今月江戸へ来る予定ですので、その時にお声をかけましょう」
「ありがとうございます」と、文二郎は深々と頭を下げた。
気分が高揚して、首筋が熱くなる。
後ろで一緒に頭を下げたおつぎを振り返ると、茶碗を眺めている。
「少し早いが買うか」と文二郎が訊くと、弾かれたように、「いえいえ」と顔の前で手を振る。
「ここまで付き合わせた。気に入ったものを見繕ってくれ。値段は気にしなくていい。好きなものを選べ」
おつぎの視線の先を文二郎は追った。
布の敷かれた台に置かれた夫婦茶碗。
そこから目を逸らし、籠の中に積まれた茶碗へと視線を移す。
文二郎は「俺はこれがいいが、おつぎはどうだ?」と、台に置かれた茶碗に目をやる。
「あ、はい。とても素敵です」と、おつぎが笑った。
整った顔なので、表情が硬いと思っていたが、たいそう可愛らしかった。
「いかがいたしますか」と店主がやんわりと尋ねる。
「これを頼みます」
「ありがとうございます」と、店主は桐の箱に茶碗を入れてくれた。
6
夫婦茶碗を買った店からはおつぎの店が近く、陶器職人が来る際の知らせは、おつぎの店の方に頼んだ。知らせが来次第、おつぎが文二郎を呼びに来てくれると言う。
早々に買った夫婦茶碗は、兄弟たちの諍いなどのとばっちりで割れてはいけぬと、大事にしまっておいた。
そうして、やや落ち着かぬ思いで店に立っていると、おつぎがやって来た。
店を手伝っていた時のようで、木綿の着物である。小豆色の細い縦縞の着物は、おつぎによく似合っていた。
文二郎は長男に事前に今回のことを話していたので、すぐに店を抜けられた。店を抜ける際、長男に「今日も足袋は履いていけ」と言われ、そうだった、と一度戻り、足袋を履く。前回足袋を履いたのは、おつぎの家を訪れた見合いの日だった。
店に立っていた文三が、飯で奥の間にいる文史郎をしつこく呼ぶ声がした。
自然足早になり、この前夫婦茶碗を買った、小さな陶器店を訪れた。
通されたのは、奥の茶室だった。
磨かれた廊下に面した手入れの行き届いた庭があり、茶室の床の間には掛け軸と生け花が飾ってある。
店の主は茶を点てようとしているところだった。
器は、素朴でありながら、趣深く、優しい味わいを感じさせる。
足袋を履いていてよかった、と文二郎は思った。おつぎも足袋を履いており、商い中であっても、大切な商談と、足袋は欠かさなかったのだろう。
そして、ふと、白い足袋の右足の親指と人差し指の間が赤くなっているのに気づいた。
しまった……。
急いで、つい、おつぎの歩幅を考えなかった。
この前あちこち店を回った時は、どうだったろうか……。
だが、おつぎは全く足の痛みを見せず、勧められた茶室で文二郎の隣に正座した。
背筋を伸ばし、脇を締め、膝をつけ、着物を尻の下に敷き、手は指先同士が向かい合うように太もものつけ根と膝の間に揃えて正座している。
茶菓子を出された折にも、懐紙をきちんと用意していた。
この、ぬかりないしっかりとした十七の娘を隣で見て、文二郎は、二人でいられるようになったら、何かをうっかり忘れるような暮らしをしたいと思った。どこかへ行く時には文二郎が懐紙も足袋も用意して、忘れたら忘れたで、どうにかすればいい。忘れたらどうしよう、と思うような、気の抜けない生活から、おつぎは少し離れた方がよいのかも知れぬ。
とにかく、文二郎も背筋を伸ばして膝は握りこぶし一つ分開く程度、脇は軽く開け、着物を尻の下に敷き、足の親指同士が離れぬようにし、手は太もものつけ根と膝の間で両の手の指が向き合うように揃え、正座する。そうして、ほんの僅かの隙に、おつぎの足を見た。親指同士が離れぬようにつけてある足の裏までは血は染みていない。
よかった。
後で手当てをしよう……。
茶をいただいた後、話は本題に入った。
突然茶の席で少々焦りはしたが、店主が初めて会う者同士の距離を縮めるよう、配慮してくれたのだと文二郎は思い至り、心の中で深く頭を下げた。
「昔からの付き合いの方から、ぜひ話だけでもと頼まれましたがね……」
職人のそんな切り出し方で、あまり話し合いはうまく行かぬと文二郎は予測した。
だからこそ、店主は茶の席を設けてくれたのか……。
「若いお二人が店を出すと言う。それは大いに結構。ですが、大切な作を扱われるとなると、手放しに了承はできないのですよ。……言いたいことはわかりますか」
文二郎は素直に頷いた。
そうして、茶葉を扱う店の次男である自分は、茶器を扱う店を持ちたいと述べた。
だが、相手は黙ったままだ。
まだ説得できてはおらぬ。
その時、そっと、文二郎の手におつぎの手が重なり、離れた。
「私から、少しお話することをお許しください。私は飯屋の娘です。おっしゃるように、器を、作を、特別に扱う店に生まれておりません。ですが、常に器とともに育ちました。父も母も、お商売の中で、器を大切にしております。私の名はつぎ、と申します。二番目に生まれた子だからとよく間違われますが、私の名は金継ぎからきております。割れたり、欠けた器を漆でつなぎ、より味わい深く、そして大切に使う、そうしたところから、くじけない、困難をも味方につける子になるように、と名づけられました。陶器を生み出す方からすれば、他愛のないことでございましょうが、これが、今、私にお伝えできる全てでございます。そうして、この文二郎さんは、ものごとを否定せず、よいところを見て受け入れる、大層優れたお人です。決して大切な作をいい加減に扱うことはございません」
そう言い、おつぎは手をついた。
「このお嬢さんには、勝てませんな」
初老の店主はそう言って笑った。
「いいじゃあないですか。若くとも、このお二人はお商売を真剣に考えてなさる。ものに対する敬意がおありだ。このお二人は、前回あなたが逸品だと言ってこちらに持ってこられた夫婦茶碗を選ばれた。初めはご新造さん、否、まだ違いますが、おつぎさんと言いましたね。おつぎさんがこの茶碗を気に入った様子でしたが、こちらのご主人に買っていいと言われ、値を気にして別の茶碗を選ぼうとしたのです。そこでご主人は、自分が気に入ったと言って、おつぎさんが所望する茶碗を買いやすくしなすった。なんとも優しく、粋な計らいですよ。そこまで私たちはこの頃、気が回りましたかね。そこまで許嫁を大事にできていましたかね。それにね、茶碗を受け取る際の丁寧な物腰から、どういった方か、商いをしている私ならわかります。長い付き合いの私の言うことも、少しは決め手になりませんか。そちらで買った十二支の茶碗、もう二度づつ使いましたが、まだまだ大切に使わせてもらいますよ(新年のお茶の席でその年の干支の器を使用。使われるのは十二年に一度)」と続ける。
「わかりました」と、陶器職人は首を縦に振った。
「とびきりの作を、お店に出せるよう尽力いたしましょう。末永く、よろしくお願いします」
「ありがとうございます」
文二郎は手をついて礼を述べた。
そして、礼を述べるべきは誰かということもわかっていた。
7
陶器職人との約束を取り付けた後、店を辞すると、文二郎はおつぎの前に背を向けてかがんだ。
「文二郎さん?」と、おつぎが不思議そうに尋ねる。
「いつから我慢していた? さぞかし痛かったろうに」
ここでおつぎは足袋に血がにじんでいるのに気づいたようだった。
「申し訳ありません。このような大切な場に汚れた足袋で参ってしまいました」
振り返り、文二郎は言う。
「責めていない。責めるとすれば、おつぎの足の痛みに気づけなかった私だ」
「そんな……。すみません。今日、下駄の鼻緒を切らせて転びまして、その後すぐお店の方へ向かうことになり、慌てて支度したもので……」
「謝らなくていい。痛かったろう。まずはうちで手当てをして、それから飯にしよう」
初めは躊躇ったが、おつぎはおずおずと文二郎の背に乗った。
思ったよりもずっと軽かった。
文史郎だか文五郎だかを昔背負った時には、もっとずっしりとした重みがあったのを思い出す。
まあ、重かったが、「あんちゃん、ありがとう」と言った弟は、やはりかわいかった……。
心ほころぶ思い出がよみがえり、自然と声も優しくなる。
「店では好きなものをいくらでも頼め。それから、一緒になったら、好きな着物を買おう。おつぎのための、おつぎだけが着ることを考えた着物にしよう」
「そんな、勿体ないこと……」
「誰にでも、そんなふうに言うわけではない。私も二番目の子どもだった。大概は兄のお下がりだ。不満はなかった。弟たちもそうしていたし、折を見て新しい着物も作ってもらった。だが、どこかで、自分は損な立場であるような、両親に目をかけてもらえていないような思いで今日まできた。それは誰かに対してというより、何より自分に対して失礼なことだったと思う。否、おつぎが私と同じだというのではない。それぞれに家は違うし、うちは男七人だが、おつぎは二人の姉妹だ。ただ、どうか、過去の私の分も、おつぎには、自分が一番だと、好きなものを気にせず選べると、思ってほしい。何もかもとはいかぬだろうが、そうできるよう、努力する」
首元で、すん、と湿った息がした。
「ありがとうございます。ありがとうございます」
いい人と巡り会えた、文二郎は心から思った。
8
そうして陶器諏訪理田屋は店を開いた。
ご近所へのあいさつにと、兄が茶葉を用意してくれた。陶器諏訪理田屋の名を白抜きにした紺染めの手拭と一緒に配り、喜ばれた。
品を卸してもらう窯元は、先述の陶器職人のほか、卸問屋からの買い付けもできることになり、茶器のほかに、花器なども揃えた。
おつぎと二人の店で忙しいが、おつぎは飯屋の娘とあって客への接し方も、勘定も卒なく、大層頼りになった。そうして、少し生活に余裕のある時には、二人で評判の甘味処へ行ったり、着物を新調するのに、互いに見立てて生地を買った。
相変わらずおつぎは遠慮気味ではあるが、それでも、共に笑い、頑張り、楽しい夫婦生活を送った。
そうしてある時、おつぎが子を授かった。
おつぎが子を授かり、三月目くらいの頃に食が細り、しんどそうな時期があった。その間、無理をさせてはいけぬだろうと、文二郎は大丈夫だというおつぎを『とにかく今は』と、奥の間で寝ているように勧めた。人を雇っていない文二郎の家はもとより、おつぎを心配し、文二郎の母がおかずを詰めて届けに来ては、おつぎの食べられそうな粥を炊いたり、買ってきた水菓子(果物)を切ってくれた。
それほど話すこともないが、世話を焼いてくれる母とこうして一緒に過ごす日が、文二郎には心地よかった。母が少ない会話の中で言っていたのは、昔文太が文二郎、文三の面倒を見ている時期に、文三が厠に行きたいと言い出した折に、文三が廊下で障子を張り替える糊(のり)に足を突っ込み、文太はそんな文三を抱えて厠へ連れて行き、文二郎は文二郎でもっと遊びたかったとしきりに訴え、饅頭を出してなだめたことがあった。母が着替えをさせている文三と饅頭を食べている文二郎の横で、気づけば文太が文三がこぼした糊を拭いていて、あれはかわいそうなことをした、一人ひとりなるべく手をかけて育てようと思ったけれど、全てが思うようにいかなくてということだった。
文二郎は全く覚えていない、と答えた。
なんとなく、自分の意見が通らず、文三を優先して、寂しいような心持になった記憶はあるが、そうした折の兄のことや、弟のことを覚えてはいなかった。
ああ、でも、「文二郎、いらっしゃい」と、呼んでくれた母の声を、おぼろげながら文二郎は思い出す。
母は子を七人授かったが、着物をきれいに着て、背筋を伸ばし、着物をきれいに尻の下に敷き、親指同士をつけ、膝をつけて、脇を締めて正座し、大層美しい佇まいでいた。
その母に駆け寄った文二郎は幾つだったか。
恐らく、文二郎だけでなく、文太、文三、文史朗、文五郎、文六、文左衛門と、全ての兄弟を、折を見て自身のあの細い膝に呼んだのではなかろうか……。
「ありがとう」と文二郎は小さく言った。
「明日は、菜のものと、文二郎が好きだったお饅頭も持ってこようかしらね。おつぎさんも少しでも食べられるといいけれど。今日はお粥に香のものも食べられたから、何か食べやすいものも詰めましょう」
柔らかく微笑む母を、文二郎は夕刻、店まで送る。
そうして、子が生まれた後は、おつぎの母が面倒を見に来てくれた。
お店の方はもう姉夫婦に任せてあるし、父もいるから大丈夫だと微笑む。
文二郎はなるべく店に居り、奥のおつぎと子、そしておつぎの母がいる部屋は遠慮した。
時たま聞こえる、「お母ちゃん」という、幼い子のようなおつぎ声が、文二郎の心を熱くさせた。