[304]シビレ察知うさぎ、パトと座タロウ


タイトル:シビレ察知うさぎ、パトと座タロウ
掲載日:2024/08/13

著者:海道 遠

内容:
 おいらは恋美兎神社の近所に住むうさぎの座タロウ。飼い主は大学生のつどい。妹のひよりちゃんは中学生。
 ご近所で子ウサギが生まれて、ひよりちゃんは、欲しくてたまらない。鎮守の森で出会った謎の美人から、赤ちゃんうさぎをもらった。パトと名づけておいらの弟分になった。
 おいらたちは、神社の華道教室でシビレに困るお弟子さんたちを助けるべく、シビレ察知うさぎとして活動することに。



本文

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序章

 恋美兎(こいびと)神社の古~~い宝物庫から、何かすごい物が見つかったんだって。おいら(うさぎの座タロウ)がつどいに抱っこされて見に行くと、テレビ局やネットの取材の人がいっぱい来て、マイク持ってしゃべったり、カメラを回したり写真に撮ったりしていた。
 宝物庫って言っても、今にも傾きそうなボロ小屋なんだけど、何が見つかったんだろう?
 大切なものは神社の奥座敷に運ばれたと聞いて、おいらたちはそっと覗きに行った。
 古びてラクダ色になった巻物や、埃まみれでカタチの区別がつかないものばかりだ。おじさんたちが白い手袋をはめて眺めまわしている。
 クシュン、クシュン! 埃が鼻の中に入って、いっぱいクシャミが出た。

第一章 孔雀柄の着物

「ああ〜〜、なんて可愛いのかしら、うさぎの赤ちゃんたち!」
 桃月(ももづき)さん家の生まれたばかりの赤ちゃんうさぎを見せてもらった帰り道、ひよりちゃんは、あまりの可愛さを思い出して身をよじった。
 町中で身もだえしたポーズしていたら、通行人の目を惹いて変人扱いされるかもしれないけど、鎮守の森の中は背の高い杉に囲まれて誰もいない。
 ひよりちゃんは、おいら、うさぎの座タロウの飼い主、大学生のつどいの妹だ。
 ひよりちゃんたら! おいらだって赤ん坊の時、可愛かったでしょ?
「あんな可愛い赤ちゃんうさぎ、初めてだわ。特にグレー色で鼻先だけが黒い子!」
 おいらだって、グレー1色で鼻先が黒くて可愛いって言ってくれてたじゃないよ! ようするにその子はおいらそっくりじゃないか。
「可愛い上に、お利口で勘が良さそう!」
 まだ目も開いてないのに、オツムの出来まで判断つくのか?
 急にひよりちゃんの足が止まった。
 杉の木陰から静かに現れたのは、なんて綺麗な人だろう! つどいとひよりちゃんのお母さんよりずっと若いけど、神秘的で落ち着いた女性の魅力というか……。
 着物に描かれている青緑の――孔雀っていう鳥がキラキラしてとても眩しい。髪には孔雀の羽根の飾りも着けている。
「お嬢さん」
 ひよりちゃんに声をかけてきた。
「私は孔雀原(くじゃくばら)まゆ子と申します。時々、恋美兎神社でお見かけするので……」
「はぁ? そうなんですか。私はひよりと言います」
「あなた、こんな子が欲しいんじゃなくて?」
 ふところからマジックみたいに取り出したのは、グレーの赤ちゃんうさぎだ!
「ああ、可愛い! おねえさん、どうして分かるの?」
 女性は長いまつ毛の眼を細めた。
「あなたがさっきから、この子のことばかり考えていたから」
 ズバリンコン当てられて、ひよりちゃんは大きな瞳をシロクロさせた。
「明日もここで待っててあげるから、ご家族に言ってらっしゃいな」
「本当? 約束よ、おねえさん! きっとね!」
 ひよりちゃんは一目散に駆け出した。

第二章 赤ちゃんうさぎパト

 冬休みが終わって、今日から学校なんだって。
「起きろ――! つどい! 朝ご飯に遅れるぞ!」
 おいらはつどいの布団の中にモグって、思いきり暴れてやった。ほっぺを蹴ったりホッペをペロペロしたり。
「うーん、もう。起きるってば。うう、寒い~~!」
 やっと着替えてダイニングへ下りると、パパもママも席に着いていた。
 廊下からパタパタと足音がして、妹のひよりちゃんがセーラー服で駆け込んできた。
「ママ! 私、うさぎ飼いたい!」
 つどいはじめ、パパもママもおいらもぎょっとした。
「うちには座タロウがいるじゃないの。こんなに朝早くからどこへ行ってたの?」
 ママがお茶碗にご飯をよそいながら言った。
(そうだ、そうだ! 何言ってるんだ、ひよりちゃん)
「だってこの頃、物価高だからって、ママ、全然お小遣い上げてくれないし、お正月の親戚のお年玉も少なかったんだもん」
 つどいが、お茶碗を受け取ってひと口目を頬ばりながら、
「それとうさぎを飼うことと何か関係あるのか? もう一羽増えたら、エサ代や身体のメンテナンス代が必要なんだぞ」
「分かってるわよ、そんなこと。桃月さん家のうさぎに赤ちゃんが生まれて見せてもらったの! 可愛いったら、千回可愛いって言っても足りないわ」
「でも、お前に世話できるのか?」
「お兄ちゃん! 誰が毎日、座タロウの世話してると思ってるのよ」
「そ、そうだった……」
 いつも、おいらの世話をひよりちゃんに頼りきってるつどいは、タジタジとなるしかない。
「とにかくお小遣い上がらない代わりの憂さ晴らしに、子うさぎもらってくるからね!」
 言い出したら聞かないひよりちゃんは、さっそく、子うさぎを一羽もらってきた。おいらも段ボール箱の中を覗いてみた。
「可愛い――――!」
 つどいとママは、もうメロメロだ。男の子か女の子かまだ判らない。
 あれ? この子うさぎ、本当に桃月さん家のかな? 違う女の人の匂いがするような?

第三章 華道教室

 数年前から、恋美兎神社では奥座敷で華道教室が開かれている。
 ご新造さん(宮司の奥さん)がお師匠だ。ニワトリのシャモのように細い首の宮司さんとは対照的に、ご新造さんは正座すると、卵を抱いているメンドリのようにふっくらしている。 
 お華を生ける弟子の人たちは、正座してお稽古している。
 だんだん、シビレを感じて困ってくる。
 耳のいいおいらたちが皆さんの膝元をうろうろして、足の血の流れを聞く。
 シビレを起こしている血流が聞こえたら、そっと、つどいかひよりちゃんに伝えに行って四角いので連絡してもらい、ご新造さんから身体の位置を変えるか用事を言ってもらう。するとシビレかけていたお弟子さんは座りなおすか立つことができて、シビレから少しの間でも解放されるって寸法だい。
 これは、ひよりちゃんのアイデアだ。ひよりちゃんは看護師さんになるのが夢なんだって。
 このメンバーに新顔のパトも入ってもらった。おいらとパトの活躍で、シビレに悩む生徒さんはずいぶん減った。
 もちろん、おいらとつどいの苦労の上に成り立ったことだが――。エヘン。

 2月、まだ世間じゃ梅がちらほらするくらいで、花が待ち遠しい季節だ。
 でも、華道教室にはいろんな花が届けられる。ご新造さんも張り切っている。
「ひよりちゃんがパトくんと一緒に、シビレのパトロールに回るようになってから、皆さんもシビレがお楽になったようですね」
 福々しい顔でニコニコ笑っている。
 長年の経験から、シビレ知らずなのだろう。ご新造さんがシビレで唸ってる顔なんて見たことない。
 おまけに最近は、パトがご新造さんにすっかり懐いて、膝の上から下りようとしない。
「ドロボウさんみたいに鼻の周りだけ黒い毛のパトちゃん、可愛いわね」
 お弟子さんの間でも、おいらの次に人気者だ。あくまでおいらの次にだ。
 パトは男の子だった。おいらは女の子希望で、パトリシアとかの名前の方が良かったのに……。

 3月には神社の拝殿で華道の展覧会が催されることが発表され、ご新造さんも生徒さん達もやる気いっぱいだ。弟子でもあるつどいの憧れの麗歩さんもやってきて、正座のお稽古のおさらいが行われた。

第四章 正座師匠の麗歩さん

「麗歩さん! お久しぶりですうぅ~~」
 つどいは思わず上ずった声で叫んだ。あの慌てようは、まだコクってないのかな?
 麗歩さんはにっこり笑ってから、正座して丁寧に頭を下げた。
 中くれない色の梅の柄の着物だ。いつもきれいだな~~。
「華道教室の皆様、お稽古にお励みのようで何よりです。今日は、皆様と正座の所作のおさらいをしようと思います。宜しくお願いいたします」

 麗歩さんはすっくと立ち上がり、背筋を伸ばした。
「背筋を真っ直ぐに立ち上がり――、正面に両膝を着きます。そして、着物に手を添えてお尻の下に敷き、かかとの上に座ります。両手は静かに膝の上に置いて」
 生徒さんたちも麗歩さんと同時に動き、静かに正座ができた。
「さすがは華道教室の皆様、美しいご所作でした」
「麗歩先生、ありがとうございました」
 皆さんも頭を下げた。
 ひよりちゃんが、パトを膝に乗せたまま頭を下げた。
「あら、ひよりちゃんも華道をはじめたのね! お膝のうさぎさんは?」
「パトと言う男の子です」
「まあ、グレーで鼻先だけ黒い子! 可愛い子ね!」
「ありがとうございます」
 麗歩さんはふと、つどいを振り返り、
「つどいさんも、華道をお始めになったの?」
「へっ?」
 つどいは正座したまま、宙に浮きそうになった。
「ち、違いますよ~~。皆さんが正座でシビレないか、座タロウと見張ってるんですヨ」
「まあ! てっきりお華をお習いなのかと……」
「残念ながらボクは桜とチューリップくらいしか区別つかなくて……」
 麗歩さんは口元を押さえて吹き出し、生徒さんたちから笑い声が洩れた。

第五章 パトの足ダン☆

 今日は白い水仙の花の活け方だ。甘い香りが部屋中に満ちている。
「いい香りですね」
「甘くて爽やかな香りですねえ」
 ご新造さんも生徒さんたちも、うっとりしている。
 でも、おいらたちうさぎには水仙は毒になっちゃうから絶対、食べちゃダメなんだ。
「分かったか?」
 パトにしっかり言い聞かせた。何せ、まだ中学生くらいだからな。育ち盛りでうっかり食べちゃ大変だ。パトは、
「うん、座タロウにいちゃん!」
 しっかり返事した。
「根元の白い部分をハカマと言います。指先で優しく揉むようにして取り去ります。ハカマはまた後で使いますから、残しておいてくださいね」
 生徒さんたちは真剣にハカマを揉みはじめた。
「あっ、破れちゃった!」
「私はほら、全部きれいに取れたわよ」
 様々な声が聞こえる。

「先生、ここはどう活ければよろしいのですか?」
 水仙とハサミを持ったまま、ひとりの生徒さんが尋ねた。
「ああ、その活け方はね……」
 ご新造さんは「よいしょ」と立ち上がり、パトをナデナデしながら畳に下ろして、お弟子さんたちの方へ近づこうとした。
 大人しくしていたパトが、急に足ダンッ☆をはじめた。うさぎの不快な時の動作だ。
「パトちゃん、どうしたの? お利口だから、ちょっと待っててね」

第六章 ご新造さんの急変

 その時――、
「あたた……!」
 ご新造さんが顔をしかめて膝をついた。胸元を押さえている。
「ご新造さん! どうしましたか?」
 つどいがいち早く気づいた。おいらもご新造さんの足元にピョンピョン跳んでいった。膝に乗って、耳をすませてみてびっくりした!
 ご新造さんの胸とヒラメ筋の血流が、悲鳴をあげている!
 グワーッ! と洪水のような音がヒラメ筋から聞こえている。
「つどい! こりゃ、普通のシビレじゃないぞ!」
 おいらは叫んだ。
 パトが狂ったように飛び跳ねている。
「お兄ちゃん! ご新造さんのシビレは普通の正座のシビレじゃないわ!」
 ひよりちゃんが叫んだ

「ちょっと診させて下さい!」
 ものすごい勢いでひよりちゃんが、ご新造さんの身体を抱きとめて畳の上に寝かせて脈を取り、足に触ってみた。
 パトも心配そうにオドオドしている。
「そう言えば、ご新造さん、高血圧のお薬を飲んでいらしたわ!」
 麗歩さんが震える声でつぶやいた。
「脈も呼吸も弱いわ。お兄ちゃん! 救急車を呼んで!」
 ひよりちゃんが叫んだ。
「つどい! 救急車だって! 救急車!」
 おいらも思わず、ドタドタしながら繰り返した。

 つどいがいつもの四角いのを取り出し、救急車の人に電話した。
 ひよりちゃんが四角いのをつどいの手から引ったくった。
「意識? ありません! 呼吸が苦しそうです」
 生徒さんたちも心配そうに、ご新造さんを見守っている。
「救急車が来るまで、なんとか頑張って下さい、ご新造さん」
「肝心のご新造さんの足の血流の異常に気づかなかったとは!」
 つどいは髪の毛を掻きむしった。
「脈が弱い――! 心臓マッサージするわ!」
 ひよりちゃんが、着物の裾をめくり上げて、ご新造さんの身体にまたがった。
「ええっ? ひより、お前できるのか!」
 ご新造さんの衿元を緩めてから、左手を胸の上に広げて乗せ、その上に右手のひらを重ねた。
「いきます! いっち、に! いっち、に! いっち、に!」
 ひよりちゃんが、しっんけんな表情で、力いっぱい胸を押し始めた。何回か押しては、ご新造さんの口元に耳を当てる。まだ意識は戻らない。
「ご新造さん! しっかりして!」

 けたたましいサイレンを鳴らして救急車が到着した。
 ひよりちゃんは心臓マッサージを救急隊員の人と交代した。ご新造さんは呼吸を吹き返し、ストレッチャーに乗せられて乗車した。つどいとひよりちゃんも一緒に乗り込む。
「宮司さんに連絡は着いたか?」
「ううん、まだ。宮司さんケータイ持ってないもん」
 ひよりの返事に、つどいは唇を噛んだ。
「ご新造さん、しっかり……!」
「つどいくん、ウサちゃんたちは私が預かるわ」
 麗歩さんがおいらたちを抱っこして叫んだ。
 生徒さんたちが真っ青になって見送る中、救急車は出発した。

第七章 霧の中の女性

 ご新造さんは、霧の中を彷徨っていた。
「ここはどこなのかしら……? 歩けど歩けど、辺りは暗い上に霧が立ち込めて……。胸がだんだん苦しくなってくるわ」
『ご新造さん!』
「誰かの声が聞こえるけど……お弟子さんかしら」
 向こうからヒタヒタと草履の音がした。
 しばらく待っていると、白銀の着物すがたの妙齢の女性が霧の中から現れた。
 着物に孔雀の柄が描かれていて、女性もまつ毛が長く、鼻や口先がツンとして、どことなく孔雀に似ている。
 そして、腕には青や緑色中心の花をたくさん抱きしめている。
「あなたは……?」
「お華のお師匠さん、いつもお世話になっております」
「……?」
「いつも、丁寧にお華をお教えになっている姿、お見受けしておりますよ」
「……私は、あなたのことを知らないけど……」
「私のことはよろしいのです。それより、最近のお師匠さんは、かなりお身体の調子が良くなかったようですね」
 女性の鋭い視線が、ご新造さんの真正面から突き刺さった。
「ず、図星ですわ。最近、いろいろと不調で」
「それで、お稽古中にお倒れになったのですよ」
「私が倒れた?」
「ええ。お師匠さんのお身体は救急車で運ばれて、今、病院に」
「な、なんですって!」
「お弟子さんたちが皆、心配されて病院に駆けつけていらっしゃるところです。ほら」

『ご新造さん、しっかりなさってください』
『ご新造さん、気がつかれますように』

「あ、あれはひよりちゃんやつどいくんの声だわ」
「心は仙界にあって、今、私とお話しているのです」

第八章 緊急手術

 病院に、ようやく宮司さんが白い着物に袴姿のまま、自転車で駆けつけたところだった。
 廊下をバタバタ走ってきて、
「う、うちのご新造は……」
「宮司さん! ご新造さんは心不全だそうです! 今、集中治療室で治療を受けておられます」
 つどいが答えた。
「心不全……?」
「はい。ボクたち、皆さんの正座のシビレ防止のために、皆さんの下半身の血流をうさぎに察知させていたのです。そしたら、ご新造さんの膝にいたパトが騒ぎ出して」
「うさぎが心不全に気づいたのかね?」
「はい。正座のシビレが心不全につながったわけではありませんが」
 ひよりちゃんが付け足した。
「たまたま、血流を聞いていて、ふくらはぎの血流の異常に気づいたのです」
「ああ、うちのは前から高血圧でな、気をつけるように言っていたのだ……」

 治療室の扉が開いて、医師が出てきた。
「これから緊急手術をいたします」
「手術!」

 夜になっても、つどいとひよりちゃんは戻ってこない。
 麗歩さんの言うには、ご新造さんは心不全で手術することになったんだって。
 シンフゼン……? シュジュツ……? 何のことだろう?

第九章 霧の中で生け花

 ご新造さんは霧の世界の中で、謎の白銀の着物の女性と向きあって正座し、女性の持っていた緑と青の花を活けることになった。
「孔雀原まゆ子と申します」
 緑の毛氈を広げた上に正座して女性は名乗った。
「お姿に似合った優雅なお名前でございますこと」
「ありがとうございます。お師匠さんこそ、宮司さんの奥様としてお優しさがにじみ出ていらっしゃいます。今の正座姿もふんわり奥ゆかしくて」
 ご新造さんは「ほほほ」と笑った。
「ふっくら体型ですから、弟子たちがメンドリって呼んでいることは知っていますわ」
「まあ、本当に母鶏の優しさに満ちておいでです」
「私どもに子どもがいましたら、つどいくんやひよりちゃんのように可愛がることでしょう」
 いつの間にか、ふたりの前に花器がいくつか用意されているではないか。
「どうぞ、お好きな花器をお使いください」
「では、鉄のこれを」
 ご新造さんが選んだのは、南部鉄でできた黒い花器だった。真っ黒で重い印象だが、花たちが映えそうだ。
「南部鉄のをお選びになるとは、さすがです」
「黄緑のポンポン菊、濃い緑のハランの葉、黄緑のグラジオラス、黄緑のテッセン、青い薔薇(ばら)に、よくよく映えそうだと思ってね」
「お身体は、大丈夫ですか」
「ええ、ありがとう。さっきはあんなに胸が苦しかったのに、不思議にラクチンですの」
 花を持って、組み合わせてみるご新造さんはいきいきしている。
「では、私は青と紫をメインにして、菖蒲(あやめ)を使わせていただきます」
 孔雀原まゆ子と名乗った女性も、花を睨んで一心に活け花に打ち込み初めた。

第十章 孔雀羽根と花

 南部鉄の花器に、ご新造さんの作品は紫のあやめ、ポンポンマム(菊)の組み合わせ、孔雀柄の着物の女性は緑のグラジオラスに色とりどりの薔薇の作品を活け終わった。
 互いの作品を交換して眺めている。
 孔雀原まゆ子さんが口を開いた。
「あやめを中心として、可愛らしいポンポン菊を散りばめた作品、逞しい母親が小さな子どもに囲まれているようで、ご新造さんのイメージそのもの。力強くて癒やされる作品ですね」
 一方、ご新造さんは孔雀原まゆ子さんの作品を見て、
「緑のグラジオラスを大胆に配置して、孔雀の尾羽根まで取り合わせてありますね! 真っ赤な薔薇と青い薔薇をふんだんに使った華やかな作品ですこと。まるで孔雀原さんのように!」
 手放しで褒めた。互いに心から褒めあった。
「ところで、ご新造さん、ご気分はいかがですか? 膝のシビレは?」
「あら、夢中になって活けているうちに、胸の痛みがすっかり取れているわ。シビレも大丈夫だわ」
「それは良かった。現実の世界のご新造さんも、きっとご回復されていることでしょう」

 ご新造さんがふと目を覚ませると、ベッドに上半身を伏せて、宮司さんがイビキをかいていた。
(あなた……、心配かけましたね。もう大丈夫ですよ)
 ご新造さんは、霧の中での孔雀原まゆ子さんの活け花の、孔雀の尾羽根と真っ赤な薔薇から生命力をもらったような気がした。――後で、おいらが聞いたんだけど。

第十一章 宮司さんの代理

 ご新造さんの手術は無事に終わったが、まだしばらく退院できないので、宮司さんは付き添いしなければならない。
『あなた……神社のお務めをちゃんとできますように……』
「お前、分かったとも。信頼できる人、ワシには心当たりがあるから、まかせなさい」
 ご新造さんのうわ言から、急遽、つどいとひよりが神社の神事を頼まれる。

「任せてください、宮司さん! 俺たち、神社の祝詞(のりと)を子守唄に聞いて育ったようなもんです! ふたりで代わりを務めます!」
 つどいはスマホの電話を切った。
「つどい、そんなに軽く請け合って大丈夫なの? 失敗したら、恋美兎神社の顔に泥を塗ることになるのよ」
 お母さんが心配するが、
「母さん、大丈夫、大丈夫。巫女さんたちもいてくれるし、ひよりはしっかり祝詞を覚えてるから」

 お宮参りや厄祓い、いろんな人が拝殿でのご参拝にきた。
 つどいは初めて宮司さんの正装を着て、ひよりちゃんは巫女さんの袴姿の上に千早(ちはや)という白い薄衣を着て、神社の務めに張り切って臨んだ。
 つどいは宮司さんの正装――狩衣(かりぎぬ)という時代劇で見る格好をしている。狩衣はなんとか着たが、靴(沓くつ)が履きなれないので、ボコボコして歩いている有り様だ。
 お祓いの時に参拝のお客さんの頭の上で、バサッバサッと振る「幣(へい)」というのを振って練習したりした。
 おいらとパトも頑張って、お祓いに来た人たちが拝殿で正座する時にシビレを起こさないか、耳を立てて察知モードに入る。
「パト、この前、ご新造さんが大変だった時に、いち早く気づいてくれただろ。あの時の意気込みで頑張ろう!」
「分かった! 座タロウにいちゃん!」
 パトはクリクリお目々で返事した。

第十二章 華道展示会

 五月になり、予定の三月より遅れてしまったけど、華道部の展覧会が神社で開催されることになった。
 展示するお花を生けようとすると、ひよりちゃんはびっくりしたんだって。いつものように花器に生けるものと思っていたら、籐で編んだ骨組みが並んでいて、それがみんな孔雀のカタチになっていて、そこにお花を挿していくんだって。
 急遽、そういうことになったんで、華道教室のお弟子さんたちは四苦八苦していきなりぶっつけ本番の作品に取り組んだんだって。正座の時間も長くなり、正座パトロールのおいらたちも、夜遅くまでお稽古に参加した。エッヘン!

 孔雀の作品が勢ぞろいした。
 お弟子さん25人の生けた孔雀のカタチの活け花が並んで、それぞれ色とりどりで見事だ。
 孔雀の尾羽根の部分に長い丈のお花を挿し、下に流すと尾羽根をだらりとさせているように作れたり、羽根を広げたように作ると見事に半円形ポーズに作れたりしている。
 ひよりちゃんの作品は、尾羽根を広げているところで、本物の尾羽根と丈の長めの青いグラジオラスとの組み合わせが見事で、裾の方には打ち掛けを垂れるように小さな花々をあしらってある。頭頂の冠(かんむり)羽根には濃い紫の花がピンと立ててある。

 つどいが顔を出した。
「へえ〜〜、きれいだね。花で作った孔雀か」
「普通の花器に活けると思ってたのに、いきなり孔雀のカタチって言われて慌てたわ!」
 ひよりちゃんが額に汗していた。
「お兄ちゃんは仕事は?」
「今日の予定のお祓いは終わりだ。皆さん、活け花、ご苦労さまでした。この中から特別賞を選びます」
「えっ、聞いてないわよ、そんなこと」
「これも急に決まったんだよ」
「誰が審査するの?」
 ひよりちゃんが首をかしげた。
「もちろん、この方だ。発表もしていただく」
 つどいは、後ろ手に持っていたマイクを取り出し、
「審査の批評と発表をいたします! あ、活けている時の正座の批評ももちろん。―――ご新造さん! どうぞ!」
 弟子の皆がつどいの方を向いた。
 会場にご新造さんが姿を表した。ふっくら体型で、きちんと色無地の着物を着て立っている。
「お師匠!」
「ご新造さん!」
 お弟子さんたちは、びっくりしてから駆け寄り、周りを取り巻いた。
「ご新造さん。お身体の具合はよろしいのですか?」
「ご新造さんたら、どんなに心配しましたか……」
 泣き出すお弟子さんもいる。
 ひよりちゃんも泣き出した。
「まだ、ご退院は無理だとばかり……」
 ご新造さんは、ひよりちゃんの頭をポンポンとして、
「泣かないの。おめでとうって言って。あなたが救ってくれた命よ。どうしても展示会を見たくて、少し早めに退院させていただいたのよ。この通り大丈夫」
「〜〜〜」
「ご新造さ〜〜ん、良かった〜〜」
 しばらくお弟子さんたちの嗚咽(おえつ)が会場に響いた。
「ありがとう、ありがとうね」
 ご新造さんの頬にも光るものが溢れた。
 つどいも泣いていたし、おいらもパトと麗歩さんと一緒に嬉し泣きした。

第十三章 賞の発表

「さあ! 皆さんの作品と正座の所作、とくと拝見しましたよ!」
 ご新造さんが、じぃ~んと鼻をかんでから、顔を上げた。
「皆さん、抜き打ちに孔雀の骨組みに生けることになったのに、素晴らしい出来栄えです。特に……」
 ご新造さんは純白の孔雀の前へ歩いていった。
「この白い胡蝶蘭と白百合で生けた麗歩さんの作品は、さすがです」
「あ、ありがとうございます……」
 麗歩さんも、胸を詰まらせて言った。
「やっぱり、特別賞は麗歩さんかしら」
 お弟子さんたちがざわついた。
「ローズ色の花ばかりの作品も、クリーム色のモッコウ薔薇だけの作品も素晴らしいのだけど―――今年の特別賞は―――、ひよりちゃんの青紫の孔雀です」
「おっ、ひより!」
 つどいが叫んだ。
「本物の孔雀の羽根と長いグラジオラスを交互にデザインした尾羽根が貫禄を出して、とても良いと思いました」
「え? え? 私のですか?」
 ひよりはタスキ掛けを取るのも忘れて、キョトンとしていた。
「おめでとう! ひよりちゃん!」
 麗歩さんが、ひよりをハグしてお弟子さんたちが寄ってきた。
「ありがとうございます。皆様のおかげ様です」

第十四章 宝物展での再会

 活け花の隣の会場には、昨年発見された神社の宝物庫の作品が展示されていた。
「こっちはまだボクも見ていないのですが、ご覧になられますか?」
 つどいが尋ねると、ご新造さんは元気に返事をした。
「ええ。こちらの品も鑑定師さんから戻るのを楽しみに待っていたのよ。さ、華道教室の皆さん、もう見物のお客様がいらっしゃるわ。大急ぎで葉っぱを掃除してください」

 華やかな孔雀の活け花とうって変わって、宝物庫の陳列品は一様に古ぼけた色をしていた。何百年も経った書画の巻物や壺などである。
 順に観ていくと、
「これは……」
 ご新造さんが駆け寄った日本画のお軸があった。
 色褪せてはいるが、孔雀明王のすがたが伸びやかに描かれている。
 孔雀明王は、明王様の中で唯一、穏やかなお顔をされているらしい。4本の腕を持ち、果物や仏具を持って両翼を広げた孔雀の上に乗っている。
「おや?」
 ご新造さんが、ひとり言をつぶやき、
「孔雀明王様は孔雀の上にあぐらでお座りのはずなのに、正座してらっしゃるわ! それに……霧の中で活け花した、あの女性にどことなく似ておられるような……」
「どうされました?」
 つどいが聞くと、
「いえ、なんでもないのよ」
 口をつぐんでしまった。
「パト、座タロウ、この掛軸は、お前たちの大好きな『紙で四角いもの』だけど、いくら好きでも近よっちゃダメだぞ」
「わかってらい!」
 おいらは強気で返事した。
 うさぎは紙製の四角いものを見ると、アゴを押し付けてナワバリをつけたくなるのだ。
 パトまで生意気に、
「ボクもわかってらい! ひよりちゃんが『重文』だとか言ってたもん!」
「パト、お前『重文』の意味が分かるのか?」
「あったりまえだい! ブンタンジュースのことだろ」
 つどいとひよりちゃんが、思わず吹き出した。
「でかいミカンジュース。ボク、あれ大しゅきさ!」
「ええ〜〜? おいら、そんなの飲んだことないよ〜〜!」
 おいらは本当に飲んだことない。ズッコいぞ~! つどい!
「分かった分かった。お前たちも正座パトロールの仕事を頑張ったから、今度、飲ませてやるよ」
 つどいは肩をすくめた。
「今度? おいら、ノド乾いたよ〜〜!」
「ボクも〜〜!」
 聞いていたご新造さんが、
「つどいくん、この度のことでは座タロウくんとパトくんが功労賞なんだから、ジュースをご馳走させてちょうだい」
 おいらとパトは、
「やった~~~!」
 思わずはしゃいだ。
 つどいたちやお弟子さんたちが、宝物庫展の会場を出て行こうとしたが、ご新造さんは孔雀明王様の掛け軸を眺めていた。
「なぜ、神社の宝物庫に密教系の孔雀明王の肖像画が?」
「数代前の宮司さまが、仏教美術に興味をお持ちになっておられたとかで……」
 巫女長が答えたが、やがて正面に正座して合掌すると、小さな声でつぶやいた。
「この命、長らえさせて下さり誠にありがとうございました。大切に使わせていただきます」
 展示の柔らかい光を浴びて、孔雀明王様は穏やかに微笑んでいた。


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