[316]正座のボランティア体験
タイトル:正座のボランティア体験
掲載日:2024/10/31
シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:31
著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル
あらすじ:
山裾にある某栄富高校をユタカが選んだのは、通学電車が空いていること、現学力で入学できそうという二点だった。
だが、某栄富高校は広大な敷地を活かし、木工やアウトドアから和楽器までが揃った、活動範囲が広く、生徒数の少ないアットホームな学校だった。
ここでユタカは地域交流会で講師の先生の助手をするため、正座を学び、同じ係のルキにも正座を指導する。
地域猫や馬のいる自然に恵まれた学校でユタカが学ぶこととは……。
本文
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1
正座をする時には、姿勢をよくし、膝はつけるか握りこぶし一つ分開く程度、脇はしめるか、軽く開くくらい。手はハの字で膝と太もものつけ根の間に。足の親指同士が離れないように。スカートはお尻の下に敷いて。それだけのことだが、普段やりなれていないと、意外と難しい。
ユタカは校舎で最も日当たりよく、居心地のよいこの場所で、わが校に住み着いた地域猫のために用意された座布団に正座している。
不満げな顔でこちらを見る地域猫をなだめるように、猫の眉間をそっと撫でる。
猫は喉をごろごろ鳴らしながら、ユタカの正座している脇腹に尻尾を立ててすり寄る。
「まあ、すっかり仲良しになって」と、学校に定期的に来る獣医さんがやって来た。長靴を履いているところを見ると、馬術部の方へ行った後らしい。
「今、ちょっと正座の練習で、この子に場所借りて、付き合ってもらっているんです」とユタカは答えた。
「もうじき地域交流会だったね」と獣医さんは言いながら、地域猫に歩み寄り、「ちょっとごめんね、見せてね」と、猫の健康状態を軽く確認し、「いい子だったね」と言って離した。
「じゃあ、頑張って」と言って立ち去った獣医さんは、中庭を歩くアヒルの親子の健康状態を確認している。この後は、リクガメの番か……。
足がしびれて、ユタカは猫の座布団から立ち上り、上履きを履く。
まあ、初日よりはだいぶ慣れてきたか、と自身を励まし、午後の授業に向かった。
2
遡ること三か月前。
実土利(みどり)ユタカが、某栄富(えふ)高校を初めて訪れたのは、実は高校入試当日であった。大抵の受験生というものは、夏休みの学校見学会だとか、説明会に参加したり、そうでなくとも、合同説明会という、複数の高校がひとつの場所に集まり、それぞれ動画などを用いて学校について説明してくれる場に足を運んだり、秋の文化祭に行ったりする。
だが、ユタカはなんだかそういうことが億劫というか、そういえばそろそろ行かないとなあ、と思っているうちに夏休みの夏期講習なんかを受けて、休日は家でのんびり過ごし、秋には一応中間考査、期末考査の準備をし、それが済んだ休日はのんびり過ごし、としているうちに、志望校を決め、最終説明会の行われる冬に突入しても、うっかりとのんびり過ごしてその機会を逃し、とうとう願書提出を迎えた。この願書は提出日に学校へ持って行くケースもあるが、某栄富高校はネットで入試申し込みができ、願書は郵送での受付であった。この親切な制度のおかげで、ユタカはこの願書提出に至っても、志望校へは未だに行っていない状態だった。
だが、多くの場合、同じ志望校の生徒というのがいて、運がよければ、一緒に、すなわち、便乗するように付いて行けば、そのまま高校まで到着できる。その手を利用しようと、ユタカはのんびりと、ここでも考えていた。ユタカが受験を希望する某栄富高校は、ユタカの通う中学校から毎年、二人、三人ではあるが、志望校の中に含め、二月の初旬に試験を受けていた。通っている中学から下り電車で十分弱、そこからスクールバスとなれば、時間を合わせて一緒に行くことは、それほどネックにはならない。
ところが今年は、都心方面に新たな高校が設立され、設備が充実しているとか、受験日がほかの高校に比べて分散されていて受験しやすいとか、そういう理由でそちらへと多くの受験生が流れ込み、その影響で某栄富高校を志望する学生は、ユタカの中学ではユタカ一人だった。
ユタカがなんでまた、一度も行ったことのない高校を志望したかというと、その理由は、ユタカの暮らす地域では上り方面の電車利用の通学は、車内がかなり混み合う。それがユタカは嫌だった。あと、大抵の受験生は現段階の学力よりも一段、或いは二段くらい学力の高いところを志望校に決め、そこを目指して勉強をする。場合によっては、当初設定していた高校より、更に学力の高い高校に結果的に合格できた、という高校受験成功体験談の例を塾の先生から聞いた。それで、我こそは、と多くの生徒は改めて勉強への熱意を上げるようなのだが、ユタカはそこでものんびりと聞いているだけで、へえ、そんな人がいるんだ、というくらいに受け止めていた。
「実土利くん、聞いているか? まだまだ伸びるんだから、頑張ろう」と、先生に言われ、「はい」と返事だけはしておいたが、ユタカは毎回の塾の宿題と、学校の授業、提出物に於いては怠らず、けれどそれ以上の努力はせずに中学の三年目を過ごした。つまり、学力で背伸びをせずに入れる、通学も楽な学校という条件で絞り込んで出した結論が、某栄富高校だった。
学校のホームページには、大層親切に、某栄富高校最寄り駅に向かう電車やバス、その時刻表が明記され、実際の駅の画像、手書きの地図までが掲載してあった。その親切な案内をもとに、ユタカは自宅最寄り駅から下り電車に揺られ、目的の駅で下車した。その間、車両には、朝の七時過ぎだというのに、乗客は五、六人で、七人掛けのシートは乗車時から下車までユタカの貸し切り状態で、大層快適だった。
そうして電車を降りると、駅構内には、地元限定の弁当や、お土産用の菓子類を扱う売店があり、清涼飲料水だけでなく、パンやお菓子の自販機が設置され、駅を出ると、有名なスーパーが二軒並んでいる。
大層冷え込みの厳しい日の朝で、スーパーの前を通り過ぎたところにある小さな公園には霜柱が見えた。朝の七時十五分だというのに閑散とした駅のロータリーの一番端に某栄富高校の通学バスの停留所が見えた。ロータリーを囲む建物はファストフード店やコンビニ、書店、パン屋、クリニックの総合ビルなどである。ロータリーの先にある横断歩道では、小学生の通学を見守る旗振りのご老人の姿が見えた。朝早くから登校する子どもに、ご老人が「今日も六年生を送る会の練習?」と、ユタカのいるところまで聞こえる声量で話しかけ、子どもがそれに答えて、「頑張ってね」と言いながら笛を吹き、停車した車のドライバーに会釈し、「気を付けて行ってらっしゃい」と、旗を横断歩道と並行にしながら笑顔で送りだしていた。ユタカはそれを眺め、なんとも懐かしい気持ちになった。ユタカの通っていた小学校でも、中学受験をする子どもはいて、塾通いで忙しそうだったことは知っている。だが、それでも小学校というのは、身体を動かす行事が多く、放課後も自由に遊べるように校庭を解放していたので、ユタカは毎日誰かしらと学校で四時とか五時まで遊び、家へ帰ったものだった。それが中学になり、ぼんやりしているうちに、勉強の得意な子が頭角を現し、一目置かれるようになった。うっかり気を抜いてテストを受ければ、それが明確な数字に反映され、成績の評価になる。それをなんとなくやり過ごしているうちに中学三年になり、これから高校受験をする。また同じような、否、義務教育でないのだから、それ以上に周囲をぼんやりと見ているうちに時間が過ぎるのだろう、と思った。無論、高校に行ける、というのは学力云々ではなく、ありがたいことだということも、ユタカなりには理解しているが、このように過ごす自分に対して家庭が負担してくれるお金とか、気遣いとか、そういうことに申し訳ないような思いがしてならない。
そんなことを俯いて考えていると、大型のバスが静かなバスターミナルに入り、ぐるりとその大きな車体で半円型の停留所を回り、端に停車する。
バスの後方の扉が開き、同時に「某栄富高校行きです」という声がした。
我に返ったユタカは、駆け足でバスに近づいた。
確か通学バスは入試のある今日は受験生のために、通常運行とは異なる時間帯の発車時刻と本数になっている。まだ時間に余裕はあるはずだが、それでも焦る思いが先走る。
バスの後方の扉から出て来た広報部の方と思われる職員の女性が、「慌てなくて大丈夫ですよ」と、とても穏やかで優しい声で言ってくれた。こんな言い方をしてしまうのもなんだが、幼稚園の頃、通園バスの乗車口から「おはようごさいます」と降りてくる先生を思い出させる。
「おはようございます」と、ユタカは頭を下げた。
「寒かったでしょう。車内、暖かいですからどうぞ」と、これまた温かい笑顔で促してくれる。車内はちょっとした観光バスさながらの居心地のよさそうなシートが並んでいる。ユタカが一番乗りで乗車したが、続いて十名近くの様々な中学校の制服を着た生徒が乗車した。空いている二人掛けのシートの窓側に座ると、寒さでこわばっていた体がほろり、と楽になる。この後、上り方面、つまりこちらの駅を更に奥へと下った方面から上り電車でやって来る受験生が来るのを待ち、出発すると職員の方は説明してくれた。某栄富高校までは、公共のバスも運行しており、万が一にもスクールバスを逃してしまっても、運賃を払えば、某栄富高校には行けるのだが、いつも時刻きっかり、というわけではなく、ぎりぎりでやって来る生徒がいれば待つし、そうした情報はもちろん学校に伝わるので、そのせいで遅刻扱いにならないので、その点も安心してください、と言う。更に学校のホームページでは、この季節は雪に見舞われることもあるため、受験日にはスクールバスの運行状況を掲載していると言う。
その後、上り電車でやって来た受験生や、自転車で駅の駐輪場まで来た受験生、親の車でロータリー手前の通りまで来た受験生などが続々と車内に乗り込み、バスは発車した。
本来なら試験のための勉強をすべき時間だが、個人店のケーキ屋や蕎麦屋などのある駅付近から、庭の広い日本家屋の続く住宅街を抜け、山の間の緩やかなカーブを進み、キャンプ場の案内の看板や、釣り堀の駐車場などが散見され、最後に某栄富高校入り口の看板の先は一本道になり、広い駐車場の端にバスが停車した。
広報部の職員の方は下車する前に、「みなさん、今日は落ち着いて、いつも通りに臨んでください。試験中でもお手洗いや筆記具の不具合なんかがありましたら、手を上げてくださいね。まだ時間はありますから、温かいものを飲んだり、お手洗い行くのも、余裕を持ってできますよ」と、大層な心遣いを添えて送り出してくださった。駐車場からすぐの校舎まではレンガの小道になっており、その両脇には植え込みや花壇が並んでいて、土には霜柱が見られ、ところどころは凍っていた。ユタカの住んでいる場所から下り方面の駅で、そこから更にバスで山奥へ向かった場所だからか、冷え込みが強い気がしたが、それにも増して空気が澄んでいて、思わず空を仰ぎ、ほっと息をついた。いいところだ、と思った。
校舎への案内矢印の下には、馬術部だとか、山道入り口だとか、木工、アウトドア、野鳥観察、農園の部の案内があちこちの方向を向いて示されている。
校舎に入ると、上履きを忘れた生徒のためのスリッパまで用意してあり、入ってすぐのところに大きな食堂があり、入り口に「今月の献立」という紙が貼ってあって、隣のビニールソファにテーブルの設置された部屋には小さな流し台、自販機にポット、お茶やコーヒーに、なんとクラス別のマグカップ棚まで設置されていた。
初めて来た場所なのに、とても懐かしい場所に来た気がした。
ああ、ここに来たい、とユタカは心から思った。
まあ、入試本番と考えれば、そんなふうに休憩室の棚なんかを眺めている場合ではないのだが、ユタカにはどうにもそういうところがある。
幸いにも、こうしたユタカの呑気なところは、この学校では咎められることはなかった。
塾や学校で勉強した通りの内容の三教科の試験を受け、面接でも学校や塾で練習したのと同じ内容のことをいくつか質問され、いつも通りに答えた。最後に何かあればどうぞ、というところで、「今お話ししたこと以上に、僕はこの学校で自分のやりたいことを見つけたいです。本当は先にやりたいことを見つけなければいけなったと反省していますが、入学できたら、精いっぱい頑張ります」と、この日一番の緊張で伝えた。それを聞いた先生は紙面から顔を上げ、「やりたいことを見つけるのは、いつだっていいんですよ。どうぞ、この学校でたくさん、楽しんで、考えて、いろんなことを発見してください。わが校はみんなで力を合わせることが好きな生徒も、一人で何かに打ち込むのが好きな生徒も、楽しく通っています。休み明けの月曜日なんかは、『ただいま』ってあいさつする生徒も多いんですよ」と穏やかに笑った。
次に学校を訪れ、個々に受け取った封を開くと、そこには合格の通知と入学手続きに関する書類が入っていて、大層のんびりと中学生活を送ったユタカだったが、幸運にも自身に合った学校への入学が決定したのだった。
3
こうして晴れて高校生になったユタカは、毎朝空いている電車に乗り、駅からはスクールバスでの通学で高校に通った。スクールバスのほかに、少し離れた停留所ではあるが、某栄富高校前のバス停で停車する公共のバスも出ているので、朝三本運行しているスクールバスに万が一間に合わない、という事態が起きても、慌てずに済むところもユタカの性に合った。
全く下調べをせずに入った高校で、入学して知ったのは、全校の人数は三百名ほど。つまり一学年百名ほどで、クラスは三クラス。芸術の選択は音楽、美術、書道があって、部活は一般の運動部、文化部に加え、和楽器の演奏とか、馬術とか有機農業とか、木工とか、野鳥観察とか、アウトドアクラブとか、天文とか、かなり多岐に渡っていて、野菜の栽培とか、馬の世話、木工などは、ご近所の方々が事前登録をして、指導してくださっているのだという。
早朝から放課後まで、あちこちで学校関係者の札を提げたユタカの親世代、祖父母世代の方とすれ違うのは、それだけ地域密着型の学校だからということらしかった。
そして、そうした地域の方のほかに、この学校では、リクガメだの、アヒルの親子だの、地域猫だのも見かけ、日当たりのいい場所には地域猫専用の毛布と座布団、そしてガラス扉の向こう、エアコンの風が届くところには猫用のベッドまでご丁寧に用意してあった。おまけに生物部からのお知らせで、ハムスターの子が生まれたので、里親を募集しています、条件は大切に育ててくれる人です、だとか、メダカの引き取り手を探しています、条件は淡水魚飼育経験者、だとかいうのを見かけ、一週間前後で、お陰様で、よいご縁に恵まれ、行先が決定しました、というような報告が出ていた。
ユタカは驚いたが不快に思うことは全くなく、五月にはすっかり地域猫を登下校の際に撫でに行くのが習慣になっていた。
このまま猫と仲良くして三年間過ごすのもいいか、と思っていた矢先、唐突にそのお知らせは来た。
地域交流会、という恐らく他校ではあまりないか、或いは一部の部活動内で行われるであろうその行事は、某栄富高校では学校挙げての一大イベントということらしかった。
日頃お世話になっている方はもちろん、この地域の方をお招きして更なる交流を深め、感謝の気持ちを伝えようという目的らしい。
三十数名のクラスで、いくつかのイベントごとに役割を分担するという。
ステージではダンス、ハンドベル、和楽器演奏、合唱が予定され、これは経験者が挙手した。日曜大工、工作、学校で栽培した野菜を使ったけんちん汁の提供も、木工好きや料理好きの生徒で決まった。そうして残るのは、校内の案内係、おもてなし係で、ユタカはそれに挙手した。多分、パンフレットを配ったり、校内の案内、ごみ拾いくらいだろうと考えていた。某栄富高校は生徒数は少ないが、敷地は広大である。学校とは無関係だと思っていた裏山も、その周囲の山林も、実は学校の敷地で、そこで野鳥の観察だの、アウトドア体験などを行っているらしい。前年秋は、進学校で有名な学校が、某栄富高校のすぐ近くの山にあるお寺までわざわざやって来て、天体観測を行ったというのだから、ご苦労なことだと思う。まあ、他校の事情はさておき、ユタカは当日まで練習や準備のない係になれてよかったと、呑気に構えていたのだった。
しかし、温厚な担任が、「実土利くんは、お作法はだいたいできるかな?」と尋ねた。
意図がわからずにいるユタカに、「おもてなし係には、当日お茶やお花なんかの先生が来た時の助手というか、まあ、お手伝いをしてもらうからね。和室を使って、先生の隣に座ってもらうから、正座なんかも一応はできていないと……」と説明する。
「え、すみません。どうしよう。そこまで考えていませんでした」とユタカは困り果てて、担任を見た。今からでもほかの係に入れてもらおうか、と思っていると、「まだ少し時間はあるから」と担任は言う。つまり、おもてなし係は続行ということらしい。優しい笑顔であるが、決めたことはやりましょう、という意図が見て取れて、ああ、甘くはないな、とユタカは力なく思う。
「私もね、去年この学校に来て、お作法は軽く習ったんだけど、この学校に何年もいる先生はキャンプだとか火起こしだとか、日曜大工だとか、本当に手際がいいんですよ。実土利くんもこの学校にいる間に勉強だけでなく、たくさんの人生を楽しむ要素を習得できると思いますよ」
「……はあ」
「まず、ちょっとやってみましょうか」
担任はそう言うと、一般の教室の向かいにある絨毯の敷かれた多目的室へとユタカを促した。入り口の棚に上履きを入れ、中に入る。
担任と向き合って正座する。
「まず姿勢よく。そうそう。膝はつけるか握りこぶし一つ分開くくらいね。手は膝と太もものつけ根の間にハの字に置いて。脇はしめるか、軽く開く程度。ああ、足の親指同士は離れないように」と説明し、担任は自身の正座を見ながら、「そうそう、スカートはお尻の下に敷くようにするの」と付け加える。
「はあ……」
「無理しないで、足が痛くなったら、正座を崩して」と言い、「これも習慣だから、根詰めないで、ただ当日困らないくらいに心に留めて」と言い、「じゃあ、行きましょうか」と、次の授業のため、多目的教室を出た。
時間にして、ほんの数分ではあったが、とても大きな学びを得たとユタカは思った。
4
某栄富高校は事前予約制で給食が食堂で出る。
弁当持参の生徒は隣のビニールソファのある部屋で昼食を摂る。中には朝駅でパンやファストフードを買ってくる生徒もいるが、職員の先生を含め、多くが給食を利用している。給食は近所で採れた野菜がふんだんに使われ、すぐ近くの川で獲れる川魚の塩焼きや、山菜のごはん、手作りのケーキやゼリーも出る。このメニューにも驚いたが、隣のソファのある部屋のポットの隣には、時折、~さんからのいただきものですなどと書かれた紙とともに、柚子やみかんがカゴに入っていて、生徒が自由にもらえるようになっていることだった。最近では、毎日のようにたくさんのタケノコがカゴに入っていて、給食にもタケノコの煮物やタケノコご飯が頻繁に登場している。
この日もユタカは正座の練習のため、猫の座布団を拝借すべく、早々に席を立った。
「あの、実土利くん」と、ソファの部屋から声をかけられ、振り返ると、同じクラスの登里(のぼり)ルキがいた。ルキは「私もおもてなし係なんだけど、一緒に正座の練習してもいいかな」と言った。
「先生に言ったら、実土利くんに教えてもらうといいですよって」
「あ、そうなんだ」とユタカは頷いた。
この学校はこういうところで生徒同士での協力を促すことが多い。
何もかも担任直行連絡ではなく、知っていることは、知っている仲間に訊く、というのが根付いているらしい。考えてみれば、先生方も学校に登録している地域の方にいろいろと教わっているらしいし、それをまた別の先生や生徒に教えているのだから、ここでは決まった先生に、というより、知識の共有が多いようだ。
まさかその立場に自分がなると思っていなかったユタカはやや緊張したけれど、「あの、いつも僕は猫のところでやっているんだけど、それでもよければ」と答えた。
「いいね、最高の練習場所だね」とルキは言い、早速ついて来た。
この日は幸いにというか、猫は専用の座布団ではなく、ベンチに座る生徒の膝の上で撫でてもらい、大層気持ちよさそうに目を閉じていた。これなら座布団を拝借しても大丈夫だろう。
ユタカは「これ、猫の座布団だけど、いつも借りていて」と言って、ルキに座布団を譲った。
「ありがとう」とルキは言い、ユタカは「そうだ。正座する時、スカートは広げずにお尻の下に敷くようにね」と思い出して言い、それから「背筋を伸ばして、膝はつけるか握りこぶし一つ分開く程度で、脇はしめるか、軽く開くくらい。手は太もものつけ根と膝の間でハの字で。足の親指同士が離れないように」と、指導した。
そうして自分は座布団の隣に直に正座した。
痛いかと思ったが、毎日の正座で慣れたせいか、あまりそう思わなかった。
「どうもありがとう。せっかくのいい場所、邪魔するみたいでごめんね」とルキは言う。
「全然そんなことないよ」と慌ててユタカは返した。
「そういえば、登里さんと朝バス一緒になったことないけど、親に送ってもらったりしているの?」と、適当に話を振った。
「ううん。うち、この先だから、山の周りぐるっと自転車で走って来てるの」
「え、そうなの?」
正直、この学校より奥からの通学という発想がユタカにはなかった。
「まあ、雨の日なんかは朝親に送ってもらうし、帰りもバスになるけど。スクールバスじゃなくて、公共のバスだから」
そんな話をしていると、「こんにちは」と元気なあいさつが頭上からして、ユタカとルキは顔を上げた。よく顔を合わせる初老のご婦人、伊佐背(いざせ)さんだった。頻繁に自家栽培の野菜や果物をおすそ分けに来てくださる方のうちの一人だ。いつも動きやすそうなスウェットで、とても気さくな雰囲気だ。
「こんにちは」と正座のまま会釈すると、「交流会のために、正座をならしているんですってね」と言い、「ご苦労様。これ、レモンのはちみつ漬け。よかったらどうぞ」と言い、手提げに入っていたタッパーを開け、個包装の楊枝をユタカとルキに渡した。
「いいんですか?」
「いただきます」
それぞれに楊枝を開封して、はちみつに漬かった輪切りレモンを一切れいただく。
ユタカとルキは目を合わせた。
「……おいしい……」
「ふふ。ありがとう。これでよかったら、また持ってくるわね」と伊佐背さんは言い、校舎に入って行った。
某栄富高校に入って、ユタカは買い食いをあまりしなくなった。
今のレモンのはちみつ漬けのほかにも、おはぎとか、クッキーとか、ご婦人のお手製のお菓子をいただく機会が増え、それは単に空腹を満たすのではなく、素材を活かした素朴な味が心とおなかを満足させてくれているようだった。大抵のお菓子はその日、その場でいただくので、保存料は使用されておらず、必要以上の糖分、塩分が含まれていない。
「なんで、この学校の差し入れってこんなに体にしみこんでくるんだろう」とルキが言い、「同じこと思った」とユタカが思わず膝を叩き、暫し二人は正座のまま、この前いただいた誰々さんのお菓子は食べた? と話し込んだ。
5
ユタカとルキが、正座のほかに、お茶やお花のお作法は学ばなくていいのか、と担任の先生に確認したところ、お客さんの案内などが先生一人では大変なので、その助手が役目だから、和室で正座して先生に頼まれたことと、お客さんの誘導ができればいいということだった。
正直、あまりこの学校に個々の活躍する生徒がいるとは考えていなかったユタカだが、和楽器やハンドベル、合唱やダンス、木工や料理の腕前や知識、それぞれにとても初心者では太刀打ちできぬ、特技ある生徒が多く集まっていることを知った。
地域交流会は、市のお祭り規模の賑わいだった。
近隣の小学校の学童の子たちや、幼稚園の子が希望者参加の行事の一環として、園長先生や保護者らとやって来た。この子たちは木工やアウトドア体験が目的で、事前に団体での年齢に合った講習を学校の方で用意しているという。ユタカはまだ行ったことはないが、木の枝に設置したロープのブランコや、柔らかな土の斜面を使ったそり遊びもあるのだという。そこで先輩とともに、インストラクターさながらの役割を担う同級生がいることに、ユタカは心から敬服したのだった。
そうして受付やら、ステージの椅子を並べる手伝いなどをしているうちに、お茶の先生が和室に到着したと先生から知らせを受け、ユタカはルキと急いで和室へと向かった。
和室には、季節に応じた掛け軸にお花が飾られ、湯の準備も整っていて、準備万端といったところだった。
「今日はよろしくお願いします」と、和服の、髪をきれいにセットしたご婦人に声をかけると、「ああ、今日はご苦労さま。よろしくね」と微笑まれ、それがつい先日レモンのはちみつ漬けをくれた伊佐背さんであると気づくのに、数秒かかった。
「伊佐背さんが先生だったんですか?」と驚いているユタカの隣で、ルキも、「もう、早く言ってくださいよ」と言う。
「今言ったからいいじゃないの」と伊佐背さんは笑っている。
「正座の練習しているところまで知られてて、恥ずかしい」とルキはうなだれる。
「どうして? 毎日のように会う仲じゃないの」
「……伊佐背さん、すごく着物も似合いますね」とルキは改めて伊佐背さんを見て言った。
「ありがとう。でもいつものスウェットもいいでしょう? 何セットかあって、その日の気分で決めているんだけど」
そんな雑談をしていると、「いいですか?」と、お茶の講習に来た中学生や保護者を連れた先生が声をかける。
「ああ、どうぞ、どうぞ、始めましょう。人数は五名ね。ちょうどいいわね」
伊佐背さんは、気さくなまま、『先生』の顔になる。
ユタカとルキも、気を引き締めた。
「みなさん、今日はお茶の講習にようこそ。お茶は初めて、という方は?」と伊佐背さんが言うと、一人の保護者を除いて四人が挙手し、ユタカも挙手したのをルキが、「私たちには聞いてないんじゃない?」と小声で指摘し、「あ、そうか」と手を下げようとしたが、なんだか引っ込みがつかない。
「こちらのお手伝いに来てくださったユタカくんとルキちゃんもね、今日のために座り方から練習してくれていてね。本当にまじめでいい生徒さんなんですよ」と、伊佐背さんはユタカとルキを気遣い、声をかけてくれる。
「せっかくですし、皆さん、まだ少し緊張されてますから、二人に正座の指導をしてもらいましょうか」
そう言って、伊佐背は二人に笑いかける。
場の雰囲気を和ませ、二人にも花を添えてくださるこの気配りの達人に、ユタカは敬服した。
「あ、じゃあ、僕は登里さんに教えたので、ここでは登里さんが」と、ユタカはルキに目配せする。
ルキは「では」と言い、畳の端に正座する。
「スカートの方は、広げずにお尻の下に敷くようにしてください。……これは私も教わるまで知らなかったことです。それから背筋を伸ばして、姿勢をよくしてください。こうすると、正座をする時以外も姿勢を正そうという心がけになって、私の場合は授業中の肩こりも前に比べてなくなりました。脇は締めるか、軽く開くくらいで。膝もつけるか、握りこぶし一つ分開くくらいに。手は膝と太もものつけ根の間でハの字に。足の親指同士が離れないようにしてください」と、自身の正座を見ながら、ゆっくりと説明していった。
「みなさん、良さそうですね」と伊佐背さんが室内の雰囲気と正座を確かめ、穏やかに微笑むと、茶道が開始された。
6
伊佐背さんのお茶の教室が終わり、最後の片づけまでやると言う伊佐背さんに「僕らの仕事ですから」とどうにか納得してもらった後に、受付のテーブルを畳んで運んだり、和室の掃除をしたりした後、ユタカとルキが食堂の前を通ると、そこで伊佐背さんが「お疲れ様」と言い、いつも校内でお見掛けする面々とけんちん汁やおはぎを囲んで休憩していた。
「二人もどうぞ」と呼ばれ、ユタカとルキは隣の休憩室の棚から各自の湯呑を出し、備え付けのほうじ茶を入れると、伊佐背さんたちの輪に加わった。
「今日はありがとうね。その前から正座のことまで。よほど『気にしないでいいのよ』と言おうかと思ったんだけど、その気持ちが嬉しくて、当日まで実は黙っていたの」と伊佐背さんは言う。
「こちらこそ、お役に立てたかどうか」とルキが言い、ユタカも頷く。
「この通り、この人こんなに喜んでいるんだから」と、伊佐背さんの隣にいたご婦人がユタカとルキの前にけんちん汁をよそい、箸とともに手渡してくれる。
ユタカとルキは、「ありがとうございます」と言い、温かなけんちん汁をすする。
もう初夏の近づく頃だったが、山の中にあるこの学校はまだ冷える。
根菜類の甘さの溶け込んだけんちん汁がしみこむのがわかる。
そこへ、和楽器などのステージ班がやって来た。
一気に賑やかなになった食堂で、ユタカは彼らの活動を聞き、ルキとともにお茶会のことを話した。
某栄富高校でのユタカの学校生活はまだ一か月ほどだが、これからとても密度の高い時間が待っていてくれる、という予感がしたのだった。