[335]うりずんの真の名前


タイトル:うりずんの真の名前
掲載日:2025/01/27

シリーズ名:うりずんシリーズ
シリーズ番号:6

著者:海道 遠

あらすじ:
 ヤマタノオロチの人身御供だったマグシ姫は、スサノオの尊と夫婦になって都の祇󠄀園社の祭神になり、正座をマスターして平和に暮らしていた。
 が、マグシ姫が、かつて虫歯を櫛で突いて撃退したオロチは、生き延びて「このままあきらめぬ」と怨みをつのらせていた。
 頭が九つの龍は最強だと言われている。
 ヤマタノオロチは、九つめの頭として復活する方法をマグシ姫の夢に出てきて尋ねるが、姫には分からないので、琉球の季節神うりずんに文を書く。



本文

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第一章 九頭竜(くずりゅう)

 朝廷の命令で、牛頭(ごず)天王とハリ采女(うねめ)が違う場所へ引っ越しが終わり、八坂神社の祭神がスサノオの尊(みこと)とマグシ姫だけになって、半年―――。

 京の都は新年を迎えて、八坂神社も初詣での人々が押し寄せていた。
 マグシ姫が、かつて虫歯を櫛で突いて人間への攻撃をあきらめさせたヤマタノオロチは、やる気を無くして萎れながらも、ひっそりと生き延びていた。
 しかも、「このまま、あきらめてなるものか!」と野望を抱いていた。
 頭が九つの龍は「九」が、永遠を表わす「久」に通じるので、最強だと言われている。ヤマタノオロチは頭が八つなので、ひとつ足りない。 
 どうすればもうひとつ頭を増やして、九頭竜として再生できるのか? と、もくろんでいた。マグシ姫の夢の中に出てきて毎夜尋ねるが、姫には分からないので、うりずんに文を書いた。

 寒さに弱く震えながら駆けつけたうりずんも、頭を抱える。
「それは困ったなあ。オロチといえばヘビだから、巳巳子さんに聞いてみたらどうかな?」
 さっそく、巳巳子さんを巻きつけた竜燈鬼を天橋立から呼び寄せた。巳巳子さんをマフラー代わりに首に巻きつけ、ふんどし一丁だけで竜灯鬼がやってきた。

「わらわが夢で困ってるのに、スサノオさまは全然かまってくださらないのよ」
 マグシ姫は唇を尖らせて、珍しく不満を洩らした。
「ちょっとくらい心配してくれたっていいのに、大イビキかいて眠りっぱなしなんだから!」
 竜燈鬼が耳に挟んで、
「スサノオの夫君は、そんなに放ったらかしなんですかい? 姫さまはこんなにお可愛いのに……ふんわり抱っこもしない?」
「甘ったるいことはイヤなんですって」
「硬い旦那様だね〜、 じゃあ、チューもせんのですか?」
「チューって何?」
 マグシ姫が目を丸くした。
「チューってば、チューですよ」
 竜燈鬼がふざけてタコのような口をして、姫に迫ってみせた。
「可愛いお口やホッペにチューしたり」
「?」
 マグシ姫は呆気に取られている。
「そんな甘ったるいこと、スサノオさまはなさらないわ」
「……1回も?」
「ええ。1回も」
 竜燈鬼は、うりずんに耳打ちして、
「もしかして、スサノオさまとマグシ姫はカタチだけの夫婦(めおと)で、まだ夫婦の契り(ちぎり)も交わされていないんじゃ……」
「あり得るな。マグシ姫が可愛すぎて鑑賞用に徹しておられるのだろう」
 うりずんは苦笑した。
「とにかくマグシ姫は、夢の中でヤマタノオロチから、もうひとつ頭をせがまれて困っている」
「うう〜ん、龍がアタマを9つにしたい? 九頭竜川ってのがあるらしいじゃないか。そこの神社の祭神か、長老か伝説研究家に聞けばいいんじゃないか️?」
 竜燈鬼が提案し、蛇の巳巳子さんが首をうんと伸ばして、
「それがいいわ!」と叫んだ。
 とたんに人型に変身して、美人の巳巳子さんが出現した。

第二章 九頭竜について

 うりずんが、奥殿のひと部屋を借りて地図を広げる。日本各地に九頭竜神社はたくさんある。
 そこへ、万古老(ばんころう)正座師匠が曲がった杖をついて現れた。
「待て、うりずんも、マグシ姫も人が良すぎるわい。九頭竜なんぞうっかり蘇らせてしまったら、手が着けられんぞ」
「え?」
「ヤマタノオロチ時代に、マグシ姫から許してもらった恩も忘れて【毒龍】になり、また人身御供を要求するぞ」
「あなたはどなた? お爺ちゃん」
 マグシ姫に尋ねられて、万古老は照れながら、
「マグシ姫さんじゃな。ウワサにたがわぬ可愛いさじゃのう」
「【毒龍】になるだなんて! どうしてそんなことが分かるんですの?」
 マグシ姫は初対面の万古老に、決然と言い返す。
「九つにしてみなければ分からないではないですか」
「他の地方で前例があるからじゃ」
「今度もそうなるとは限りません。わらわとの約束を覚えているから、ヤマタノオロチは頼って夢に出てきたのですわ」
「う……」
 万古老は思わず声を飲んだ。
「た、確かに。姫のおっしゃることも一理ある。言い遅れたが、ワシは、うりずんにも教えた正座師匠の万古老じゃ」
「お爺ちゃんが万古老さん! わらわは、前にここにいらしたハリ采女さんと正座をして、わだかまりが溶けましたの。うりずんさんのおかげで、苦手だった正座ができるようになりました」
「それは良かったのう、小さな姫さん」
 万古老はにっこり笑った。
 巳巳子さんがポン! と手を打った。
「そうだ! 弁才天様におうかがいすれば、頭が九つの龍のこと、何か分かるかもしれませんよ!」
「弁才天様か。水神で蛇に関係する女神様だもんな」
 うりずんは相槌(あいづち)を打った。
 万古老師匠が大乗り気で、
「弁才天様の像は、アグラか立ったままのポーズが多いから、一度、正座をお教えしたかったんじゃ!」
「万古老師匠、申し訳ありませんが、今回は九頭竜についてお教えいただくために、弁才天様にお会いするのです」
 マグシ姫がきっぱり言ったので、万古老は、しゅんとなった。
「スサノオさまはついてきてくださるかしら」

第三章 スサノオ高熱

 その夜、閨(ねや)でスサノオに尋ねてみると、
「万古老師匠や他にもお連れがいらっしゃるんだろう? 私は留守番しているから、行っておいで」
 と、また素気ない返事だ。
「でも……」
 マグシ姫が腕に触れると火のように熱い。
「君さま、もしや、熱が?」
 スサノオは高熱を発していた。顔色は真っ青で唇を震わせている。
「君さま! もしかして、わらわに無関心なのもお具合が悪かったため?」
 巳巳子さんが、ふたりの様子に気づき、万古老とうりずんたちに知らせた。

 マグシ姫は何度も氷嚢(ひょうのう)の氷を取り替え、熱下しの薬を飲ませたが、一向に効き目がない。
 巳巳子さんが暗い顔をしている。
「なんだか【毒龍】の気配がするわ。スサノオさまのご病気は【毒龍】に寄るものかも?」
「巳巳子さん、【毒龍】って、何なのだ?」
 一同は巳巳子さんに注目した。
「【毒龍】とは自分が怨みを残している相手に危害を加える、龍の風上にも置けんヤツのことです。例えばヤマタノオロチは、かつてマグシ姫さまに痛い目にあわされました。その怨みが残っていて……」
「では、ヤマタノオロチの復讐かもしれんと?」
 万古老が聞いた。
「おお、怖っ。蛇の怨念(おんねん)は、やはり怖いのう……」
「万古老師匠、なんとかスサノオさまの熱を下げる方法はないのですか?」
 うりずんと竜燈鬼は声をそろえて叫んだ。万古老は腕組みをして、
「う~~む、よけいに早く、弁才天さまに良い方法を教えていただかなければならなくなりましたのう。ワシが看病していますから、マグシ姫さまは弁才天さまの元へ出立しなさい!」
「でも、スサノオさまが心配……」
 マグシ姫の瞳に大きな涙がふくらむ。
「スサノオさまのお命をお助けするためにまいるのですよ。さあ、出立の準備をいたしましょう」
 巳巳子さんが言って、すばやくマグシ姫の首に巻きついた。
「あら、冷たいと思っていたら、ヘビって温かいのね」
「そうなのかい? 時々、私にも貸してください」
 うりずんが言うと、マグシ姫は快くうなずいた。
「わ~~~ん、おいらの巳巳子さん襟巻きが無くなったよお!」
 竜頭鬼がわめいたが、巳巳子さんは戻る気がないようだ。

第四章 弁才天

 一行は、とりあえず九頭竜神社のひとつへ向かった。神社は芦ノ湖の畔に鎮座していて、ご祭神は弁才天だ。
「こちらの神社ですよ」
 巳巳子さんの案内した神社は山あいにあり、立派な鳥居を構えている。
 宮司さんは、マグシ姫を迎えて大歓迎した。
「スサノオの尊の奥方様、御自らおいでくださるとは!」
「夫の病の平癒祈願に寄せていただきました」
「スサノオ様がご病気ですと?」

 ここにも、昔、美女を人身御供に差し出させた【毒龍】九頭竜の話が伝わっていた。万巻(まんがん)上人という徳を積んだ上人が切々と龍に説き、ようやく諦めさせたとか。
「頭が九つになったからと言って、善龍にはなれないのね……」
 マグシ姫は少しがっかりした。
 宮司さんが、
「一刻も早くスサノオさまの病祓いをご祈祷しましょう」
 急いでお祓いの支度をさせた。巫女が何人も立ち働き、
 宮司は奥殿に向かい祝詞(のりと)を奏して、祭神の弁才天を召喚した。
 なんともたおやかな、琵琶を抱えた女人が現れた。甘い香りを漂わせ、薄衣の着物を纏っている。
「わらわが弁才天です――」
「弁才天さま!」
 マグシ姫はワラをもすがるように、女神の足元に正座した。
「スサノオの尊の妻、マグシと申します」
 ヤマタノオロチを自分が退治したこと、最近、オロチが九つめの頭を望んで夢に何回も出てくることなど、すべて話した。
「ふむ……」
 弁才天は静かに話を聞いて、
「どうやら夢の中に出てきて、九つめの頭をねだるオロチと、スサノオ様の病の話は繋がっているようですね」
「と、申しますと?」
「負けたヤマタノオロチが、しっぺ返しのつもりでスサノオさまを病にしているのです」
「や、やっぱりわらわのせいで、君さまは高熱に!」
 マグシ姫は更に顔色を無くした。
「マグシ姫よ、そなたのせいではない。自分勝手をしているのはヤマタノオロチです。それと……」
「他にも何か?」
 両手を揉み、弁才天の言葉を待つ。
「それと……姫さまは真夏にキュウリを売っていたでしょう? 八坂の社の社紋は、キュウリを輪切りにしたカタチと似ているのです。大祭事の間は、氏子さんたちはキュウリを食べるのを控えるとか。ヤマタノオロチは、そのことに引き寄せられて姫さま方の居所を勘づいたのかもしれぬ」
「社の社紋がキュウリ!」
 スサノオの高熱は、キュウリを売り歩いたマグシ姫の行動が、ヤマタノオロチの報復を招いてしまったのかもしれないと聞き、姫は自分を責めた。
「主祭神の妻でありながら、キュウリの社紋のことも知らなかったなんて! ど……どうしよう、君さまが回復しなかったら」
「きっと大丈夫。スサノオさまはお強い神様です」
 弁才天は、マグシ姫をなぐさめ、
「こうなった上は、大元帥(だいげん「すい」は発音ナシ)明王さまに、ヤマタノオロチを説教してもらいましょう」
 大元帥明王さまのおわされる、奈良の秋篠寺へ連れていくと言う。
「大元帥明王さま……?」
「そうです。とてもお偉い神様で、ヘビも眷属にしておられるし、ヤマタノオロチも素直になってくれるのではないでしょうか」
 巳巳子さんも、
「ワタシ、大元帥明王さまの身体に巻きつくバイトをしていたことがあるのよ!」
 張り切ってついてきた。

第五章 マグシ姫、気絶

 巳巳子さんと三人で奈良の秋篠寺の本殿に到着し、
「こちらが、大元帥明王さまです」
 弁才天が古びた木の扉をギギギ~~と開けて紹介した―――とたんに、
「きゃあああ〜〜〜っ!」
 大元帥明王の、牙をむいて怒髪天をついた形相を目の当たりにして、マグシ姫は気を失ってしまった。

 急いで飛び出していき、受けとめたうりずんがお姫様抱っこして秋篠寺を後にする。
 後を追ってきた弁才天が謝り、
「軽率でした! そりゃあ、いきなりあんな恐ろしいお顔を見たら、ショックで気絶なさるのもご無理ありません。何せ最強の明王さまなので……でも、頼り甲斐のあるお方なんですよ」
 うりずんは、マグシ姫を抱いたままシティーホテルに走りこんだ。心配そうに弁才天がついてくる。
「何だ、何だ? コスプレイベントでもあるのか?」
「ふわふわベージュ髪のイケメンを見てよ!」
 ふたりの奈良時代風の恰好を見て、ロビーにいる人々の視線が集まる。
 部屋に入ってマグシ姫をベッドに寝かせた。巳巳子さんがヘビに戻り、水に浸したタオルを身体に巻きつけて全身で絞り、マグシ姫の額に乗せる。
 弁才天は床で正座して頭を下げた。
「本当に申し訳ないことをしました。マグシ姫は繊細でしょうに」
 うりずんは、きっぱりと、
「いえ、私にも責任はあります。注意が足りませんでした」
「ところで貴方はどなた? マグシ姫のお付きの方?」
 弁才天は、ベージュ色の髪に緑の瞳のうりずんを不思議そうに見つめた。
「大変、申し遅れました。私は南国の季節神、うりずんと申します」
「季節神……」
「南国では2月頃、寒さが去り、いちばん過ごしやすい季節になります。その季節をうりずんと呼びます」
「まあ、季節の神様には初めてお会いしました。まるで若葉の化身みたいな神様ね。爽やかで穏やかな……」
「『うりずん』は通称で、本名は梵(そよぎ)と申します」
「梵! そちらの方が素敵ですわ。わらわの夫は同じ文字の梵天と申します」
「存じています。高名な神様ですね」
 マグシ姫は顔をしかめたまま眠っている。
「しばらく、姫を南国に連れていき養生していただきます。その後、大元帥明王さまにお会いしますから、そうお伝え願えますか」
「分かりましたわ」
 弁才天が返事し、うりずんとマグシ姫の姿は、ふっと消えた。

 弁才天は秋篠寺に戻り、巳巳子さんと一緒に大元帥明王に事情を話した。
「話は分かった。ヤマタノオロチに言い聞かせればよいのだな」
 大元帥明王は、ギョロついた眼で下アゴの長い牙をガチガチさせながら返事した。
「驚かせるつもりはなかったのだが、そんなにワシの顔は怖いかな?」
 鏡を持ってションボリしている。巳巳子さんが、
「都の祇󠄀園社には、正座師匠の万古老さまもお待ちです。場合に寄ってはお力を貸してくださいます」
「なに、万古老正座師匠が? ワシも昔、正座を習ったものだ」

 マグシ姫は木陰の寝台で、だんだん意識を取り戻した。
 小鳥のさえずりが聞こえ、緑色の葉陰で横になっているのが分かる。微風が吹きぬけ、繰り返す潮騒も聞こえる。
(雪深い季節に旅をしていたのに、ここはどこ……?)
 ふと間近に懐かしい体臭を感じた。
(スサノオの君さま……?)
「目が覚めたかな?」
(そのお声は……)
 そっと瞼を開けると、手枕をしたうりずんが添い寝している。
「うりずんさん……、スサノオさまに似た香りがする」
「おっと、いけない。ご夫君からお目玉くらうところだった」
 うりずんは身を起こして、マグシ姫のオデコやホッペをピタピタした。
「気分はいかがかな?」
「ここはどこですか? いっぺんに春になったのですか?」
「姫が大元帥明王に会ったとたんに気を失ったんでね、しばらく私の故郷、南国で休んでもらっていたんだよ。ここは樹の上に作った私の家です。さあ、これを飲んでください」
 ビイドロの入れ物に黄色い液体が入っている。
「南国の果物から作った飲みものです」
 マグシ姫は両手で器を持ち、ひと口飲んでから、後はごくごくとお美味そうに飲み干した。
「柑橘類の味が身体に沁みるわぁ」
「元気になる元がいっぱい入っている。スサノオ様を看病する姫さまが、体力をつけなきゃね」
「そら、おおきに」

第六章 オロチの糾弾(きゅうだん)

 その頃、奈良では、大元帥明王がヤマタノオロチを呼び出して、ヘビの巳巳子さんと共に話を聞いていた。
「あんの小娘め、生意気に虫歯を櫛で突きおって! どんなに、どんなに痛かったか! アゴが砕けるくらい痛かったぞ! このままじゃ俺の腹が収まらない! それで旦那のスサノオを弱らせてやったんだ!」
 ヤマタノオロチのひとつの頭が、スサノオ夫婦の悪態をついていた。
「黙れ、根性悪のオロチが!」
 大元帥の雷が落ちた。オロチは震え上がって黙った。
「勝手に、何も悪いことをしていない8人姉妹をひとりずつ喰らいおって!」
 巳巳子さんも大元帥の胸に登りつきながら、
「そうよそうよ! あんたのせいで、ヘビとオロチの面子(メンツ)が丸つぶれだわ!」
「こっちはヤマタノオロチの威厳が丸つぶれじゃ!」
 オロチが口答えしたのを聞いた大元帥明王は、
「オロチよ、お前たちの威厳とは何じゃ」
「それは……」
「無力な人間の娘を食うことが威厳か」
「そ、そうです。昔からの村人との習わしでしたから」
「この、すっとこどっこいが! そんなことを言える資格があるかどうか、今から試験を行う!」
「し、試験?」
「ヤマタノオロチの8番めの頭! 本体から独立してしばらく人間になるがよい」
「え?」
「人間になって人の正座と、ヘビの姿で正しく美しくトグロ巻きをしてもらう。この試験に合格すれば、スサノオ様を病にした罪は咎めずにおいてやろう」
「に……人間の正座……」
 オロチは不安そうに、真っ赤な舌をチロつかせながら、細身の人間の男に変身した。
「見なさい。人間の正座の所作だ。背筋を真っ直ぐにして立つ。その場に膝を着く。衣は尻の下に敷きながら、かかとの上に座る。両手を膝の上に乗せる。どうじゃ、できたか?」
「ど……ど……どうにか」
「ダメじゃ! ユラユラしておる! やり直し!」

第七章 マグシ姫、再起

「いかがでしたか? 南国での休養は」
 うりずんはマグシ姫の手を取り、樹の上の家から螺旋(らせん)状の階段を下りた。
「翡翠ウリみたいな綺麗な海の景色も、樹の上のお家も大好きやわ! おかげで、大元帥明王の怖いお顔をずいぶん忘れられたわ。風も爽やかやし、あなたの真の名前の【梵】そのものやわ」
「それならよいのですが、勝負はこれからですよ。大元帥明王がヤマタノオロチのひとつに、人間の正座とヘビ式のトグロ巻正座をさせるとか。その出来次第で、ヤマタノオロチの処分を決めると」
「わらわが櫛でオロチを突いたことが、いけなかったのですやろうか?」
「いや、姫は機転を利かせて身を守っただけで、何も悪くはないですよ。未だに逆恨みしているヤマタノオロチが悪いのです」
 階段を降りきってから、うりずんは、ポンと姫の肩に手を置いた。
「さあ、秋篠寺のある大和の国に帰らなければなりません。寒さと大元帥のお顔の覚悟をしてください」

 山の上の洞窟では、天狗と雪遊びしていた万古老の弟子の流転(るてん)が叫んだ。
「百世(ももせ)〜〜! 万古老師匠から都へ来るように命令が来たぞ〜!」
「都へですって? 何の用かな?」
 ふたりとも見かけは11歳の子どもだが、実際は300歳の仙界の者だ。
「とにかく来い、だって!」
「お小遣いはずんでもらわなきゃ!」

 ヤマタノオロチの【正座】の審査に、奈良の大元帥明王の元に万古老が樹の杖を突きながらやってきた。
「万古老師匠! ではスサノオの君さまは……」
 マグシ姫が顔を合わせるや、尋ねた。
「ワシの弟子ふたりがついているから、ご心配のありませんよう。正座判定と聞いて、いてもたってもいられなくなりましてな」
 ヤマタノオロチの正座の審査は人型、ヘビ型と2種類で行なわれる。
「いかん、また不合格じゃ!」
 万古老は絶対に合格を出さない。
 大元帥明王が口をはさむ。
「万古老師匠、何ゆえ合格を出さぬのじゃ。オロチの正座はよくできているとワシは思うが」
「いや、まったくできておらぬ」
 大元帥明王とケンカしはじめる始末だ。
「あんたも正座してみなさい!」
 万古老が言い出す。
 頭に来た大元帥は立派な正座をするが、やはり万古老はひと言、
「不合格!」と言うばかりだ。
「どうしてだ?」
 マグシ姫、うりずん、巳巳子さんが見守る。
 万古老はついに叫ぶ。
「どうして合格にならぬか分からないのかの? ……ヤマタノオロチも大元帥明王も、笑顔を忘れているからじゃ!」
 一同、声をなくす。

第八章 うりずんの効能

「正座は不機嫌な顔でやるものと決まっとらん。なのにヤマタノオロチは青ざめた顔で、大元帥明王は頭から湯気をたてるような怒りの顔で、正座しようとする」
「あっ……」
 大元帥は、しまった! という顔になった。
「うりずんよ、こちらへ」
 万古老が呼んだ。
 お堂の入口が開き、風が吹き抜けた。心地好いそよ風だ。
 天井の窓も開いて陽が射し込み、樹々の葉擦れの音がひびく。皆の心に沁み入る穏やかさだ。
 自然に、オロチや大元帥も食いしばっていた口元を緩めて笑みが浮かんだ。
「皆の衆、その顔のまま正座しませい」
 万古老の声が響き、皆は正座した。
 人間たちや女神は元より、恐ろしい形相だった大元帥までが正座したまま、ほっこりと気をゆるめた顔をした。

「うりずんは早春の神。爽やかな光、風、湿り気を運んでくる神じゃ。彼の真の名前は【梵そよぎ】という」
「はあ……」
「ヤマタノオロチ、娘に負けたことをいつまでも怨むでない。報復なぞとんでもない。残虐な習わしに縛りつけられていたのは、おぬしの方じゃな。自らの非を思い知るがよい」
「わ、分かりました……」
 オロチは頭を垂れ、万古師匠は大元帥の方を向いた。
「大元帥明王も職務に忠実なのはよいが、怒りの顔ばかりでは、うまくいかぬこともある」
「はあ……」
「正座する時は、うりずんの本名を思い出してほしい。口を【へ】の字に曲げるために正座は存在するのではない。皆で和む時のためにするのだと覚えていてほしい。無論、真剣な話し合いの時は別じゃがな」
「なるほど……」
 ヤマタノオロチは8つの頭をそろえて下げ、大元帥さえ、
「万古老師匠、こりゃーまいり申した!」
 正座したまま頭を下げた。

第九章 これがチュー?

「スサノオさま〜〜あ!」
 娘が南から、全速力で走ってきた。
 奈良時代風のひらひらした美々しい紐を、冷たい風になびかせて、祇󠄀園の八坂さんの社を目指して走ってきた。
 通行人や、境内の参詣客が一斉に振り向く。
「姫さま! 姫さまぁ!」
 迎えに出た巳巳子さんが、我慢できずに人間に変身して追いかける。
「もそっとゆっくり歩かないと、都じゅうの噂になりますよ!」
「だって、少しでも早くスサノオさまに会いたいんだもの!」
「ああもう、仕方ないな〜、さあ姫、背中にどうぞ」
 ふたりを抜かして、ひょいと背中を向けたのは、うりずんだ。
 マグシ姫は飛び乗り、同時に巳巳子さんがヘビに戻って、うりずんの首に巻きついた。
「うりずんさん、おおきにえ」
 うりずんは本殿まで姫をおんぶして、スピードを増した。奥殿に上がるや、ふたりの神様方の寝所に急いだ。
 百世と流転がやってきた。
「あ、うりずん兄ちゃん!」
「南国から帰ったんだね!」
「ああ、百世に流転! ご苦労だったな、スサノオさまは?」
 寝所に着いた。
 マグシ姫はうりずんの背中から飛び降りて、障子を開けた。
「スサノオさま!」
 スサノオの尊は、見違えるように元気になって、なんと畳の上に正座して待っていた。
「妻よ、ご苦労であった」
「うん、ヤマタノオロチ全部にトグロ巻かせてやりました! 君さまに悪さして熱を出させたからですよ」
 スサノオは、マグシ姫の小柄な肩を抱き寄せた。
「おかげで熱が下がった」
「万古老師匠のおかげやわ……。それと正座の時は笑顔を忘れずにって。笑顔を作るためには、うりずんさんの周りのような心地好い自然空間を―――」
 話している途中に、スサノオの尊の手が姫の頬を包んだ。次の瞬間、姫の唇は夫の唇に重ねられた。
(――これは? ふわりとして温かい……何故か甘い……とろけそう……)
「砂糖菓子みたいに溶けて消えそうゆえ、今まで触れなかったが……、姫の唇のなんと甘く熱いことよ」
「スサノオ様……これがチュー?」
 頬にも瞼にもチューされて、姫はきょとんとした。

第十章 百世と流転

 竜燈鬼は巳巳子さんの帰りを心待ちにしていたが、帰ってきても、うりずんの首に巻き付きっぱなしで離れない。
「イヤよ。竜燈鬼の首には帰らない! うりずん様の首は春の甘い香りがするもの」
「そんな〜、帰ってきておくれよ〜! 巳巳子さんは、おいらと一心同体だろう?」
 竜燈鬼が説得しても戻ろうとしない。
「よし!」
 竜燈鬼はすがりつくのを止めて、見よう見真似の所作でふんどし一丁で冷たい廊下に正座した。
「おいらも、毘沙門天さまから灯りを預かる身だ。ひとりでも一晩中、天橋立に立ってみよう!」
 振り返った巳巳子さんは人間型になり、
「おお? リュウちゃん、その気になりゃあ、凜凜しいじゃないか!」
 竜燈鬼の首すじに抱きつこうとしたが、ふと、巳巳子さんは動きを止めた。
「お待ち、オロチに見入られた子どもたち」
 すれ違った百世と流転が、廊下に立ち止まる。その瞳はドロリとして、いつもの輝きがまるで無い。
「うりずんさん、大急ぎで秋篠寺の大元帥明王さまを呼んで!」
「ええっ? 帰ってきたばかりなのに?」
「いいから、早く! 百世ちゃんと流転ちゃんの魂がオロチに巻きつかれてる!」
 百世と流転は寝所に押し入り、夫にチューされてぼんやりしていたマグシ姫を押さえつける。
「く、苦しい……」
 百世が、どんよりした目つきで、
「先にスサノオを締め付けといて正解ね。高天原のヤンチャも大したことないわ」

第十一章 マグシ姫の櫛

 うりずんが、ようやくふたりの異変に気づいた。
「百世、流転! どうした、その眼は!」
 ふたりとも青白い顔をして無言のままだ。
「……オロチめ……!」
 うりずんは、奈良の方角を向き、
(大元帥明王よ、我に力を貸し給え!)
 そのまま、庭に出て玉砂利の上に正座した。
 間もなく全身を何重にも巻かれる圧力を受けて、締めつけられていく。
 ヤマタノオロチが8匹そろって姿を現した。うりずんの全身をぐるぐる巻きにしていく。顔面も頭も見えなくなる。

「うりずんさ〜〜ん!」
 巳巳子さんと竜燈鬼は、縁側から見ているだけで足がすくんで動けない。
「うりずんさ〜〜ん!」
 竜燈鬼たちの叫びに、マグシ姫が我に返った。
「うりずん!」
 マグシ姫の手には、かつてオロチを刺した真っ赤な櫛が握られている。オロチに締めつけられているうりずんの元へ駆けつけた。
 真上に鎌首をもたげているオロチが、
「若造を締めた後は、小娘、今度こそお前の番だ!」
「そうはさせないわ!」
 マグシ姫の櫛を投げたが、それが届く前に、ヤマタノオロチは砕け散った。
「きゃああ〜〜っ!」

 静けさが横たわり―――、
 巳巳子さんと竜燈鬼がふさいでいた目を開けると……。

 大元帥明王が肩で息をして大剣を持ったまま、倒れたうりずんの前に立っていた。
「間に合ったか? うりずんよ……」
 砂利の上に失神していた青年神の眼がゆっくり開いた。
「大元帥明王さま……。守るに徹することでしか戦えない私を……、救ってくださったのですね……」
 息も絶え絶えに正座し直し、頭を下げた。
「青年神よ、よくぞ正座したまま耐え抜いた。しぶとい蟒蛇(うわばみ)めが……」
 大元帥は幅広い剣を屋敷の柱ほど太い腕で、ブンッと一振りして、オロチの血のりをはらった。
「覚えておくがよい。闇にうごめくモノどもよ! 浅ましい欲にまみれた魔物どもよ! うりずんの『梵』という名は、『戦』(そよぎ)の文字ともつながっているのじゃ。優しさを欠いた時は彼も怒り、戦うことを忘れるな!」
 剣を鞘に収めて呼吸を鎮めた。
「我は帰る。マグシ姫、後は頼むぞ」
 大元帥明王の巨体が、ふっと消えた。

終章

 翌日、八坂社を南へ遠く離れた淀川の河原に、うりずんとマグシ姫の姿があった。
 幅広くなって流れる淀川は、大阪に向かって流れている。
「姫さん、その櫛はオロチの血を吸ってしまっているから、未だに呼び寄せてしまうのだろう。オロチの塚を作って一緒に葬った方がいい」
「うりずんさん、光の溢れる南国の海に流すのはどうでしょうか。暗い山中に住んでいたヤマタノオロチの心を浄化してもらえる気がするのだけど……」
「うむ。それも良いだろう」

 後日、南国を訪れたマグシ姫とスサノオの尊は、白砂の浜辺から真っ赤な櫛をそっと流した。赤い櫛は波間に浮かんでいたが、やがて波に飲まれていく――。
 浜辺に正座したマグシ姫は手を合わせて、いつまでも翡翠色の波を見つめていた。


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