[340]座仙女・月兎路(つきとじ)
タイトル:座仙女・月兎路(つきとじ)
掲載日:2025/02/23
著者:海道 遠
あらすじ:
正座師匠、万古老の弟子の少年、流転(るてん)は、正座教室の経理を任されている。今日もそろばんをはじいて一日教室を始めるかどうか悩んでいた。
最近、都で貴族の屋敷に盗人(ぬすびと)が集団で押し入って、金品を奪ったり屋敷を焼き払うという事件が多発していた。
自在に馬を乗りこなし弓矢の腕も一流という。彼らは群盗(ぐんとう)と呼ばれるようになった。薫丸(くゆりまる)の九条家の屋敷も群盗に襲われた。沢山の高価な品が盗まれた。
本文
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序章 ソロバンの音
ぽっこり空いた岩の天井の穴から月光が差し込んでいる。
月光の有り難さを感じながら、今夜も正座弟子の(外見)少年、流転は青緑の長い髪をひっつめにして、大きな玉のソロバンを弾かせている。時折、ご破算(ごわさん)にして(ソロバンを元の状態に戻して)、ソロバンをオデコに打ち付け、机の上の帳面とにらめっこする。
「ひと月にこのくらいが精一杯だな」
手元には、仙人風の老爺がピカピカの光沢の純白の衣を着て、白い大理石の杖を持ってスラリと立った絵も広げてある。
「これが買えるまで、何年かかるかなぁ?」
大きなため息をついた。
そこへ銀色の長い髪の少女が顔を覗かせた。兄弟弟子の百世(ももせ)という女の子だ。
「この頃、遅くまで何やってんのさ、流転」
「家計簿……違うか、ボクたちの教室簿つけてるのさ」
「パチパチやってるのは何?」
「中国で使ってる計算器さ。この前、リ・チャンシーさんにお願いして買ってきてもらったんだ」
「へええ」
「正座教室は毎月、火の車なんで、この際思い切ってお月謝上げた方がいいと思う?」
「さあ? お前まかせだからさっぱり分かんないよ」
百世は視線を移し、
「これ、何? シニア服飾誌?」
「そうだよ。この前、薫丸くん家で見せてもらったのを模写してきたの」
「へぇ~、この爺ちゃんモデル、カッコいいね。うちの万古師匠もこんなんならいいのに……」
「夢のまた夢だな」
「伸ばしっぱなしのアゴひげに、履き慣れたモモヒキが手放せないもんな」
「風呂も入らず、滝行をひと月に一度やればいい方だもんな」
ふたりは顔を合わせて愛すべき正座師匠を思い浮かべて、苦笑した。
第一章 群盗
最近、都で貴族の屋敷に盗人(ぬすびと)が集団で押し入って、金品を奪ったり屋敷を焼き払うという事件が多発していた。
彼らは自在に馬を乗りこなし、弓矢の腕も一流という。
やがて、彼らは群盗(ぐんとう)と呼ばれるようになった。
薫丸(くゆりまる)の九条家の屋敷も群盗に襲われた。沢山の高価な品が盗まれ、屋敷の一部が放火された。
薫丸の正座師匠――とは言っても、見かけは11歳の子どもだが、実際は300歳の仙人である流転(るてん・男の子)と百世(ももせ・女の子)は、夜明けに急ぎ駆けつけた。
屋敷の三分の一は焼け、やっと火が治まったところだった。事情聴取の検非違使(けびいし・当時の役人)が数人と片付けの家来が働いている。
乳母と女房のひじきが格子戸の隙間から顔を覗かせて、泣きそうな声をかけてきた。
「百世さん! 流転くん!」
「おふたりとも、お怪我はありませんか!」
「は、はい。私たちは大丈夫です。それより、若君が! 若君の姿が見えないのです!」
「薫丸が?」
ふたりは顔を見合わせた。
「はい。検非違使たちが到着した頃までは、確かにいらしたんですが、群盗が急いで逃げた辺りから姿が見えなくなって」
「おい、流転」
百世が流転を引っ張って乳母から離れた。
「もしかして、群盗にさらわれたのかも」
「え? あんな大きな手こずり坊やをさらって、どうするんだよ」
「薫丸は馬にも乗れるし、弓矢も半夏(はんげ)さんに習ったからできる。仲間にするのにもってこいじゃないか」
「ま、まさか! 九条家の若君を群盗の仲間にひっぱりこんだり」
流転は真っ青になり、
「検非違使に事情を聞いてくる!」
と、走っていった。
そこへ、万古老師匠がこぶこぶした木のツエにすがりつくようによろよろして歩きながら、駆けつけた。
「なに? 若君の姿が見えんとな?」
白髪の眉を寄せた。
本格的に薫丸の捜索が行われたが、行方は杳(よう)として知れなかった。百世と流転もできるかぎり走り回って捜索したが、全く行方知れずだ。
断腸の思いで、しばらく待つことにした。
流転は万古老師匠の正座稽古の利益が芳しくないと、そろばんを弾いて心配していた矢先だった。
こんな事件が起こってしまったからには、お世話になっている九条屋敷の被害の分まで稼ごうと思いたった。
兼ねてから「正座一日教室」を本気で開くことも考えていたので思いきって行動に移すことにする。
きっかけは、九条屋敷で見た、ピカピカ光る絹の衣装をつけた仙人の素晴らしい肖像画を見て―――、万古老師匠にもこんな着物を着せてあげたいな、と思ったからだ。大理石でできた気品ある杖も持たせてあげたい。
百世に話しても、
「師匠はいつもの着古した着物がいいんだよ。どうせ」
と、相談相手にもならない。
「師匠の気持ちより、この際、台所が火の車だと分かってもらわないと! 九条家も大ピンチだよ。財宝を盗まれて、屋敷の三分の一が焼けてしまって」
「ケガ人は出なかったの?」
「不幸中の幸いで、群盗にケガさせられた人はいない。火事で煙を吸ってしまった人が少しいるらしい」
「そうか……」
【群盗被害の救済活動のための、正座一日教室】
流転は木材にでかでかと太い文字で書いて、九条家の門に立てかけた。
「流転さん、何ですか、これは」
乳母が飛んできた。
「もちろん、此度の群盗に盗まれた財宝分と放火されて焼けた屋敷を修復するための資金を稼ぐんですよ! あ、九条の殿様にはお許しいただきましたからね」
「まあ! なんて機転のきく頼もしい流転さん。有難いことだわ。感謝いたします」
乳母は涙ぐんで言った。
「若君は、いったいいずこに……。どうかどうか、無事にお帰りくださいますように」
第二章 囚われの身
頭になまりの大きな玉を乗せられたようにズシ〜ンと重くて、耳がわんわんと鳴った。
(火矢から炎があんなに広がって! 本殿に燃え移らないよう、早く消せ!)
気を失う前の物音や人の声が甦ってきて――。
薫丸はやっと意識を取り戻した。
記憶に鮮明なのは蔀戸(しとみど)からはみ出る朱々とした炎だ。炎が燃え移った几帳や簾(すだれ)が、めらめらと溶けてゆく。
「う……、頭が痛い。おいらは……、ここはいったいどこだ……」
薄暗い中に太い木の格子が見えた。硬い床に転がされている。
「ここは……牢……? なんだってこんなところに?」
後頭部に手をやると、髪の束がスルリと緩んで落ちた。
(あっ、お気に入りの下げみずらが解けてしまっている! おいらのオトコマエが台無しだあ~~)
持ち上げた袖に目をやると、真っ黒に焦げて焼けているではないか。
(おいらの水色の水干が!)
冷水を浴びせられたように、はっきり現実に帰った。しかし、両足を頑強に縛られていて動けない。
「そうだ! 群盗が屋敷を襲ってきて、あっという間に火の海に! おもうさま、おたあさま、乳母やひじきは無事だろうか?」
格子の向こうに蝋燭が立てられ、ぼんやりと数人が座っている人影が見えた。
「やいっ、群盗め! おいらをここから出せ!」
男たちがこちらを向く気配がした。
「ああ? なんだ、うるさいと思ったら小童(こわっぱ)、気がついたな」
「小童とはなんだ、おいらは上達部(かんだちめ=政をする上位の公家)九条家の嫡男、九条薫丸……」
「分かった、分かった。小童の家は偉いお公家さまだよな。だから、お宝を頂戴しに群盗がおじゃましたんだよ」
蝋燭(ろうそく)にぼんやり浮かんだ男の横顔に、薫丸は見覚えがあった。
「お前は、群盗を捕まえるためにやってきた検非違使の長じゃないか―――! ど、どうして、お前が?」
他の何人かも検非違使の冠を着けている。
「お前たち、群盗じゃなくて検非違使なのか! どうして、おいらを縛り付けるんだ?」
「うるさいぞ。じきに、月兎路さまがいらっしゃるから静かにしてな! やかましい小童」
「月兎路さま……?」
しばらくすると、薄暗い中に珊瑚のような赤いものが柱の陰からチラリと見えた。
「つ……月兎路さま!」
ガシャリと鎧がぶつかる音がして、緋色の縅(おどし)を身につけて朱い仮面を顔半分に着けた人物がやってきた。威厳たっぷりに床几に腰かけた。
「順番に連れ出せい」
男とも女ともつかぬ声で命令した。
薫丸の隣の牢屋がざわめいた。気づかなかったが沢山の少年が閉じ込められていたのだ。
ひとり目の少年が、座った人物の前に引き出された。ひょろひょろした胸板の薄い少年だ。
床几に座った者が短く口を開いた。
「楚楚美(そそび)級!」
手下が、すぐに少年をどこかへ連れていった後、次の少年が引き立てられてきた。
先ほどの少年とは比べものにならない体格だ。大人の男よりも背が高く肩や腕が発達している。
「実戦美級!」
床几の者が言うと、少年は両のこぶしを顔面でぶつけて、牛のように獰猛な息を吐いた。
「おお、実戦! やってやるぜ!」
「お前はこっちへこい」
先ほどの少年とは逆の方向へ連れて行かれた。
「次!」
緋縅(ひおどし)の人物から声がかかると、カチャカチャと廊の鍵が開ける音がして、薫丸の足首の縄が解かれた。
「お前、来い!」
首根っこを押さえられて、床几の者の顔に近づけられた。赤い縅の色が映った赤い瞳が間近に迫った。先夜、屋敷を焼いた紅蓮の炎の色だった。
薫丸は歯を食いしばった。
「ふぬぬ……これは……なんとも高貴でもあり、山猿のようでもある……それでいて……う〜む、身が震えるような麗しさだ。戦慄美!」
「せ、戦慄美級ですか、このわんぱくそうなのが」
彼? が頭をそびやかすと、漆黒の長い髪が宙に舞い、薫丸の鼻孔に甘い匂いが届いた。
(緋縅をまとったこやつ、女なのか……)
薫丸は思わず呟いた。
第三章 半夏と流転
筋肉逞しい体格の男が荷車に野菜をいっぱい積んで、汗を拭きふき、やっとこさ洞窟のある峠に登ってきた。
「お〜い、流転! 百世! 隣村から野菜をもらってきたぞ!」
ふと見ると、洞窟の入口に白いアゴヒゲの老人が身体を大の字に伸ばして寝転んでいるではないか。
「師匠、万古老お師匠、どうしなさったんで?」
「ん? おお、半夏どの。大丈夫じゃ、都まで往復したら、ヘトヘトになっただけじゃ。トシには勝てんのう」
「そんなに急いで都へ行かれるとは、何かありましたか?」
万古老師匠はガバと起きた。
「そうじゃ! 半夏どの、よいところへ来てくれた! そなた、以前は検非違使の一員じゃったな?」
「そ、そうですが」
「九条家の薫丸どのの屋敷に盗賊が押しいった!」
「何ですと?」
「かなりなお宝が強奪され、屋敷には火矢が放たれて三分の一ほど燃えてしまったのじゃ」
「そ、それで薫丸や乳母どの、ひじきどのは!」
「乳母さんたちはご無事じゃ。しかし―――薫丸どのの姿が見えんのじゃ。賊にかどわかされた恐れもある」
荷車の取っ手が、半夏の手からガシャンと落ちた。
「押し入った盗賊の名は?」
「盗賊の名? 確かかどうか分からんが、最近、都の屋敷に押し入っているのは『月兎路』一味とか言うらしいぞ」
「月兎路!」
半夏の顔色が変わった。
「知っているのか!」
「そりゃあもう、厄介なヤツだ。ただの盗賊じゃない!」
「ええっ! そ、そんなに厄介なのか!」
「厄介も厄介。ヤツの企んでいる計画が、手におえんとの世間の噂だ」
「な~んじゃ、噂か。ではアテにならんな」
「薫丸って特に美少年じゃないけど、そこは公家の血筋のせいか、そこいらにはいない気品と可愛さがあるでしょう?」
「ふむ。未だに下げみずらなんぞ結ってるからな」
「そういう稚さ(おさなさ)も顔に出ているでしょう? 月兎路の獲物にド真ん中です!」
「半夏どの、月兎路の隠れ処(かくれが)はご存知か?」
「大体は。しかし彼らはしょっちゅう解散したり移動したり、一定の場所にいないのです」
「百世と流転に探させます!」
万古老は洞窟に駆け込むなり、都の地図を持ってきて広げた。
「俺が検非違使をやっていた頃の隠れ処(かくれが)は、北山のこの辺りです」
「ううむ、かなり山深いところじゃな」
「流転が戻ってきたので一緒に捜索に出かけます」
半夏は付近の村人から馬を借りてきた。
「助け手が要るなら、流転の思念を使って呼ぶのじゃぞ」
「はい!」
ふたりは馬に乗るなり、出発した。
第四章 隠れ処はどこだ
都の町を通りすぎて北の山並みに入っていく。天を衝くような高い杉の木が立ち連なり、昼なお薄暗い道が続く。
やがて、峠に着くと視界が開けた。
「わ……あ!」
流転が思わず叫んだ。
一面、花々が咲き乱れているのだ。色とりどり、見たことのない花もある。
「触っちゃいかんぞ! 皆、毒を持つ植物だ!」
半夏が鋭く叫び、流転は慌てて手を引っ込める。
「ここの花が、みんな毒草?」
「そうだ。ここは群盗、月兎路の土地で毒草ばかり栽培しているのだ」
「ええ! 何の囲いも無く?」
「大げさな囲いをしては、返って農家から怪しまれるから自然の草原に見せかけているのだ」
「どうして毒草なんか育てているの?」
「闇取引で、いい値で売れるんだろうさ」
「許せん!」
流転は唇を噛みしめた。
「谷に取り込んだ薬草を乾かせる小屋がある。そこに薫丸どのが閉じ込められていると、俺は見た」
「う〜む、この前の火事の夜、他にも庶民の男の子が連れ去られたんだって」
「流転、お前も気をつけろ」
「やだなあ、半夏さん。ボクは用心深いから大丈夫ですよ」
ふたりは熊ザサの繁る谷へ降りていった。
藁葺き屋根の、小屋というには大きい建物が建っていた。周りは清潔に掃除が行き届いている。
井戸は先ほどまで使った形跡があるし、人の気配がする。
流転はそっと壁に忍び寄り、小窓の隙間から覗いてみた。
「うわ……」
声をもらしかけて、慌てて口を押さえる。
外観から想像できないような豪華な大広間が見えた。茶釜まで沸かす仕切りがある!
クイクイと指を立てて、半夏を呼ぶ。彼もまた目を見開いた。
(少年が閉じ込められている牢屋があるとばかり思っていたのに、何だ、この御殿は!)
背後から、いきなり声がした。
「ようこそ、お客人」
振り向くと長い髪をひとつにまとめて垂らした、男装の女性が手下らしき男ふたりを従えて立っていた。
「ようこそ、正座教室へ」
「正座教室?」
女性がコンコンと叩いたところには木の看板が貼り付けてあった。
「烈火流(れっかりゅう)正座教室」と。
「こ、これは?」
流転が看板と女性の顔を交互に見比べた。
「正座の所作を身につけてもらうための教室よ。どう? おチビさんと身体の立派なおにいさん。覗きに来たついでに稽古していく?」
「え?」
流転は戸惑った。女性が悪い人に見えなかったからだ。毒草を育てて闇取引なんかする人に見えない。
「面白そうだ! では、稽古させてもらう」
半夏が答えた。
第五章 運びこまれた男
ふたりが大きな部屋に入ると、商人風のあずき色の萎烏帽子(なええぼし)を被った男が正座していた。異様に眼光鋭い痩せ型の初老の男だ。口を「へ」の字に曲げ、気難しさがにじみ出ている。
「そこな小童(こわっぱ)、立ち上がってこちらへ」
少年が立ち上がって、歩いていくところだった。
それは薫丸だった。
(く……薫丸!)
思わず口走りかけた流転は、声を飲みこんだ。
(どうして薫丸がこんなところに?)
(しかも水色の水干は焦げてぼろぼろ、髪だって垂らしたままだ)
薫丸は男の前に立ち止まって膝をついた。衣に手を添えて、お尻の下に敷き、かかとの上に座る。
いつも通りの完璧な正座だ。
萎え烏帽子の男が、
「小童、その所作をどこで習った?」
「どこだっていいだろ」
薫丸は唇を突き出した。
ふと、視界の隅に流転と半夏を認めたが、顔には出さずにいた。
そこへ、急に慌ただしく下男たち数人がやってきた。
「花畑の側で、倒れている男がいたので運んで来ました!」
板戸に寝かされているのは、藍色の髪をした藍万古(あいばんこ=万古老の若い姿)ではないか。
流転は仰天した。
「師匠ってば、俺たちを追いかけてきたのかな?」
「可愛い弟子のことが心配だったんでしょう」
半夏が言った。
藍万古は、顔まで真っ青になって気を失っている。
あずき色の萎烏帽子の男が、面倒そうに立ち上がって。
「やれやれ、騒がしい日だな」
近寄って藍万古を見た男は、顔を引きつらせた。
「こ……こ……この美しさは、神業夢眩美(かみわざむげんび)級だ―――!」
一同はシンと押し黙った。
流転と半夏の後ろから覗いた、男装の月兎路も言葉を失った。
「確かに、こりゃあ、弥勒菩薩と阿修羅像と水月神を足してもまだ足りん美貌だ」
「確かに美しいな。これが本当はアタマピカピカで、白ヒゲの万古老だって、誰が信じる?」
流転が小声でもらして舌を出した。
途端に、藍万古がぱっちり目を開けた。
「ここは……」
頭を振ってから、流転と半夏を見つけ、上半身を起こした。
「おお、お前たち、無事だったか!」
「ついてこなくて大丈夫だって言ったのに……」
「頼りなくて任せておけるか、薫丸どのの捜索だぞ」
大広間に正座する薫丸を見て、
「薫丸さま! ご無事で!」
駆け寄ろうとしたが、またふらふらと膝をついてしまった。どうやら花畑の香りの強い毒草にやられているらしい。
第六章 兄弟弟子の再会
「やい、万古!」
小豆色の頭巾の男がドスの利いた声で呼びかけた。
「む? どうして私が万古と知っている?」
「この烈火さまを忘れたのか、万古!」
「烈火……おお、烈火か。同じ山で正座修行した烈火ではないか」
「お前だけ、お師匠さまに若返る術(じゅつ)を教えてもらった卑怯な万古め」
「バカを言え。お前が習得できなかっただけではないか。私なんか、ほら、何千年経っても美青年の姿になれるぞ」
「……おのれ……!」
藍万古とあずき色の萎烏帽子(なええぼし)の男は、その昔、兄弟弟子だったのだ。ふたりは睨みあった。火花が散って仲が良くなさそうだ。
「意外なところで再会したな。烈火、お前、まだ正座の道を極められずに、こんな山中で教室を開いているとは!」
「何を申す! 烈火流正座所作を極めて門下の者を増やしておるわ」
「門下の者とは、さらってきて毒草で洗脳した少年たちのことか?」
「な、何を言う……。むぐぐ」
藍万古が言った衝撃の言葉に、烈火は言葉を詰まらせた。
「どうして、それを!」
「そんなことぐらい察しがつく。九条家を襲った群盗の中には、年端もゆかない少年たちがたくさん混じっておった。お前がここで毒草を用いて洗脳した者たちだろう」
「ふふん、お見通しか。小童を群盗か検非違使かどちらにでも売れば、金になる。あちらさんも、人手が無くて困っているところへ補給してやれば助かるだろうが」
「万古、貴様、ここのところ、都やこの山を偵察に嗅ぎまわっていたのは、お前だったのだな」
「やっと分かったか。白ヒゲの爺さんになったり、藍色の髪の絶世の美青年になったりして、忙しかったぞ! わっはっは」
「おのれ……」
「もっとも、藍万古の姿でいると遊び女のお姐さんたちに足止めくらって、なかなか動けなかったがのう~~。『神業夢幻美』級だもんな~~!」
藍万古は自慢たらしく藍色の髪を撫でて、烈火に向かって「あかんべえ」をした。
第七章 朱い仮面の女
「烈火師匠……」
朱色の仮面と縅を身につけた女がやってきた。
「男同士、口ゲンカではなくご自分の信じる一番の方法で勝負をつけられてはいかがか?」
「月兎路、それはつまり、正座の所作で勝負せよということか?」
烈火が鋭い目を向けた。
「そうです。烈火師匠が勝てば、このまま烈火流正座教室を続けてください。藍万古師匠が勝てば私はここを出ていきます。もう少年をさらって盗賊に引き渡したり、陰で検非違使に売ったりするのはごめんだ」
「月兎路! 冷たいおなごじゃのう」
「冷たくても、私はこれ以上、あんたの命令で動くのは、まっぴらごめんなのさ」
烈火が眉をつり上げた。
「では、正座の所作で勝負してみるか」
藍万古が言った。
場所は敷地の花畑で、敷物を敷いて実施する。
(うう、毒を含んだ花粉を吸わないようにしなければ……)
藍万古と烈火は、厳重に布を顔に巻いた。
「いいとも。美しく長く座っていた方が勝ちだ」
「もうひとつ! 一番、大切なことだ。いかに情熱を持って正座に取組んでいるかどうかだ。判定は私がする」
月兎路が厳しく言い添えた。
ふたりは正座の所作をはじめた。
藍万古は花粉に敏感すぎる。歩きはじめてから、すぐに目や鼻に痛みを訴え、咳が止まらなくなり、
涙を流しながら「たんま〜〜!」と叫んで勝負から下りた。
「この弱虫め! そんな様子では花畑の中で正座の所作を教えるのは無理だ。失格!」
月兎路は迷いなく失格にした。
烈火は花粉が散る花を片っぱしから踏みつけ、ちぎり、短刀で切り落としたが、返って花粉が飛び散ると判り、遂には火を放った。
「育てている薬草を燃やすとは! こんな無茶をする正座の師匠が認められるというのか! 烈火、師匠免状を剥奪する!」
月兎路が叫んだ。
「は、剥奪ぅ~? 師匠免状を? 何だってお前にそんなことを決める権利があるのだ、さっきから急に偉そうな口を聞きおって、いったい何様だと……」
烈火は言い返した。
「烈火、師匠の顔を忘れたのか」
月兎路が苦々しく笑いながら仮面を取り去った。
「あ、お、お前は……」
「あんたは……」
藍万古も烈火も口をあんぐり開けた。
「わらわが誰だか思い出せないか……。では教えてやろう。わらわは何千年も昔から人々の正座を見守ってきて、ふたりの正座師匠を務めていた座仙女(ざせんにょ)だ」
さすがは座仙女、当時と若々しさは変わっていない。
捕獲した子供たちに囲まれて、子沢山の母うさぎのようだ。
子供たちが彼女の命令を聞き、畑の火を消したり畑を調えたりした。花々は毒草とはいえ、薬草にもなる種類が多く植わっていた。
第八章【月兎路の教え】
天帝から授かった名は「月兎路」だ。
うさぎの特徴を参考にした香箱座りの落ち着きを元に正座を大切に教え続けてきた。
うさぎは、子沢山、増える、母性愛の象徴。商売繁盛、飛躍。
行動が早い、俊敏に任務を遂行。得意分野で成功する。人の癒しの役目をする。
わらわは子どもや後輩、弟子を守るため、赤い眼でどこかに欲望や陰謀が潜んでいないか警戒してきた。
言い争いを嫌い、正座で弟子に諭してきた。
「なのに烈火! お前の行いは何だ! 検非違使と結託して身寄りのない子どもを捕まえ、引き渡し儲ける稼業をしているなどと! それで正座の師匠など名乗るとは、言語道断!」
烈火は返す言葉なく、うつむくばかりだ。
「また、万古! 先ほどのような意気地の無さで、正座師匠を名乗るとは、せせら可笑しい。わらわの顔にドロを塗ることにもなる。しばらく『藍万古』の姿は禁止する!」
たちまち、超弩級の褒め方をされた美貌は消え失せ、痩せて腰の曲がった白いヒゲの老人の姿に返った。
「月兎路仙女さま〜〜! そんな殺生な……」
「泣きついても何ともならん。その弱々しさが、師匠らしくないというに! そんな様では威厳ある正座ができぬぞ」
(か、勝てない……。この月兎路仙女には昔から……)
万古は、ぼろ雑巾のような手ぬぐいを噛みしめるばかりだ。
「それから、烈火、お前の身柄はしっかり検非違使庁に引き渡す。半永久に世間に出られぬよう、私から長官に言いつける。流転と申したか、万古の弟子!」
「は、はい!」
急に呼ばれて、流転はぴしりと立った。
「烈火を厳重に縛りつけて、検非違使庁へ連れていくように」
「ボ、ボクがですか!」
「うむ。お前は見どころがある。百世と共に任務を遂行せよ」
「わ、分かりました」
「おいらも一緒に行くよ!」
薫丸が言い出した。
「おいらの屋敷に火を放って、ドロボウしていったヤツだから、検非違使の使用人になんかならせずに、ちゃんと罪に服するよう、長官に直接言ってくる」
「うむ。よくぞ言った。そなたはまともな九条家の跡継ぎになれそうだな」
座仙女の月兎路が、うなずきながら言った。
「安心して。おいら、無事に宮仕えになったら、検非違使の長官になって都を平和にするから!」
「おのこに二言(にごん)は無いぞ!」
「まかせとけってんだ!」
烈火は検非違使庁に引き渡され、最も恐ろしい群盗は一応、いなくなった。都にしばらく平和な日々が戻ってきた。
九条家の修理が進み、一角を借りて流転が「一日正座教室」を始めた。
乳母やひじきは、仕事の合間に覗きに来ては正座の所作を稽古していく。負けじと、屋敷の女房たちも入れ替わり立ち代わり押し寄せた。
(教えている流転ていう子、後三年もすれば、眼福の美少年になるわよね!)
(確実よね。もう出来上がってるじゃない?)
(残念ながら……あの子は人間じゃなくて仙界の人だから、これ以上は成長しないそうよ?)
(ええ~~? ショック~~!)
(確実じゃないんでしょ。わらわが成長させてあげるわ!)
(まあ、色好み内侍(ないし)さま、何をおっしゃるかと思えば……)
流転の【一日正座教室】は大盛況だ。
半夏たち傀儡子の一座仲間もにぎやかしに顔を出した。
その様子を、路の向こう側から見ていた万古老師匠は、
(早く、藍万古になってもよい許しが出ぬかのう、遊び女が寂しがっておるわいのう。『神業夢眩美』級が勿体ないことよ……)
指をくわえて泣き言を垂れるしかないのだった。