[364]雄蝶雌蝶(おちょうめちょう)と正座うさぎたち
タイトル:雄蝶雌蝶(おちょうめちょう)と正座うさぎたち
掲載日:2025/06/25
著者:海道 遠
あらすじ:
うさぎの座タロウとパトは、つどいくんと妹のひよりちゃんの布団の中で温まって寝ていたところ、急にどこかへ吹き飛ばされる。
長い白髪のアゴヒゲのお爺さんから、香箱座り(うさぎの正座)のテストをされる。合格をもらった2ぴょんは「正座調査官」に任命すると言われ、気がつくと明治時代の楽鳴館の前にいた。
本文
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第一章 明治時代へ
「座タロウにいちゃ〜ん!」
「パトォ〜〜!」
正座パトロール係のうさぎ、パトと座タロウは温かい布団の中ですやすや眠っていると、夢の中で強大な風に飛ばされた。
白く長いアゴヒゲ、ぼろぼろの布と荒縄で縛り、木の杖を持ったお爺さんの足元に呼び出されて面接される。
「な、なんだ? 神様のような仙人のようなお爺さんは、誰なのさ?」
座タロウが身構えて尋ね、パトは背中に隠れている。
「ワシは正座師匠の万古老じゃ。うさぎの座タロウとパトじゃな」
「う、うん」
「そうだけど?」
「おぬしら、うさぎのお得意のお座りの香箱組みをやってみい」
2ぴょんは命令され、見事に前足と後ろ足をお腹の下に敷いて長四角に座り、合格した。
「よしっ、今日からおぬしらは、正座の潜入調査官じゃ」
「せ、潜入調査官? なんかカッコいい名前だな」
「何をするんだろうね、座タロウにいちゃん」
白いヒゲのお爺さんがこぶこぶの木の杖をひょいと振ると、ワケの分からないうちに、現代のつどいくんの布団の中から明治時代にあった楽鳴館に飛ばされた。
「わ〜〜ん、ひよりちゃ〜ん!」
「わ〜ん、つどい〜〜! 起きて~~!」
ふたりとも爆睡中で、起きる気配がない。
2ぴょんのうさぎが、たどり着いたところはなんとなく見慣れない町並みだ。四角い車じゃなく人が引っ張っている小さな車に乗ってるし、女の人はヘンテコなカタチの髪の毛に結っている。
純白っていうのかな。白い大きな建物が、で~~んと建っていた。
うさぎたちが、
「あ、お爺さんが青い髪になってる!」
万古老は若き日の藍万古の姿に変身して、2ぴょんを抱っこしてきた。
「うさぎたちよ、びっくりさせてすまなかったな。私は正座師匠の万古老という。お前たちの先祖を救った大国主大神(おおくにぬしのみこと)と同じくらいのトシだ。……多分」
白いヒゲの爺さんだった男が言う。
「明治の世の政府のお役人から頼まれて、楽鳴館という西洋の客人を迎える館で、レディたちに日本の正座を教えることになったんだ」
町の男の人をまねてか、フロックなんとかっていう長いコートなんか着て、シルクハットっていう帽子を被っている。
座タロウが言った。
「あの〜、万古老さん」
「青い髪に若返った時は『藍ちゃん』と呼んでもよいよ」
「藍ちゃん?」
「そうそう」
「じゃあ、藍ちゃん、その楽鳴館ていうのは、日本人が西洋の人と仲良くできるように建てられたんじゃないの?」
「そうだよ。よく知っているな、座タロウ」
「うしゃしゃ~~い! えへん! おいらの飼い主の妹のひよりちゃんが、ブツブツ言いながら歴史の勉強してたから……」
「その通り! ついでに西洋の方々にも日本の文化を知ってもらおうということになり、文化の取り換えっこをやるらしいのだ。一石二鳥だろう」
「いっせきにちょう? ふ〜ん」
第二章 楽鳴館にて
地獄耳の孔雀明王まゆらちゃんが人間の姿になり、孔雀柄の着物姿でやってきた。藍万古が西洋の淑女に浮気しないか、座タロウたちに見張るよう言いつける。
「うさぎたち、藍万古という紳士に近づく女がいれば、即座にストップするのよ」
同時に、藍万古が西洋の淑女にイチャイチャしないか、見張るよう言いつけた。
「分かってらい!」
安請け合いするパト。
「真面目に見張れば、大好きな果物やチモシー(ワラ)たっぷりお持ち帰りさせてあげるからね」
「ほんと?」
座タロウはイチゴがお腹いっぱい食べられる! と喜ぶ。
まゆらちゃんが何者かは知らないが、
(いつだったか、糺(ただす)の森で出会った孔雀柄の着物の女性と雰囲気が似ているなぁ……)
と思うパト。
藍万古の説明によると、パトと座タロウの任務は西洋のふんわりしたドレスの中で、正座がちゃんとできているかのチェックのためだ。
「シビレパトロールではなく、ドレスの中で潜入調査官だ。しっかり頼むぞ、2ぴょんとも」
「うしゃしゃいっ!」
2ぴょんは元気よく返事した。
楽鳴館には国際交流のため、西洋のダンスパーティーができる洋風の大広間の他にも、日本の畳敷きの大部屋が設けられている。令夫人や令嬢の正座の稽古のための部屋だ。
二十人くらいなら、宿泊施設もついている。
大広間には、すでに令夫人らが大勢集まっていた。
藍万古に抱っこされて、パトと座タロウも連れて来られた。正座の所作の稽古があることが発表される。
藍万古が女性を連れてきた。
「師範は、孔雀原まゆ子先生です」
(あ、やっぱり、糺の森で出会った先生だ!)
パトが目を輝かせた。
「うさぎたち、私の言うことを聞くのよ!」
厳しいゴニョゴニョ声で、座タロウとパトに命令した。
いよいよ正座の所作の説明が始まった。
孔雀原まゆ子さんの講師で、第一回正座の所作のお稽古の会が開かれる。生徒は全員、欧米からの政府関係者の夫人か令嬢だ。風船みたいに膨らんだスカート姿の格好で出席してもらった。
座タロウとパトも「おいらたちの出番だ!」と、フライングしそうなくらい息巻いている。
「待って、待って。調査員の出番は生徒さんたちが正座してからだよ」
百世と流転は、2ぴょんをじっとさせておくのに苦労した。
「〜〜はい、かかとの上にスカートをお尻の下に敷きながら、座ってください」
まゆ子先生が言ったとたん、2ぴょんは婦人方の中にまぎれこむ。
「うしゃしゃ~~い!」
「皆さん、胸を張って背筋を伸ばして立ってください。そして床に両膝をついて、お尻の下にドレスを敷いて、他の方のじゃまにならないように、はい、そうですね。それからかかとの上に座って――」
まゆ子先生が、うさぎたちに目くばせして生徒の女性たちがちゃんと正座できているかどうかチェックするよう、スカートの中へもぐりこませた。
「あらっ、スカートの中に何かいる!」
正座チェックの任務中、座タロウは、金髪青い目のお姉さんに見つかってハグされる。
「ふわふわだわねえ、うさぎって。可愛いったらありゃしないわ」
「へへへ、そうでも……」
照れる座タロウとパト。
別の女性は、
「きゃああ~~っ! スカートの中に入り込んだ動物がいるわ!」
「ええっ? どこどこ?」
「ネ、ネズミかしらっ」
「きゃああ~~~! ネズミ?」
悲鳴に女性たちは立ち上がり、正座の稽古は中断された。
座タロウとパトは、正座の稽古を反対する洋風染太郎(ようふうそめたろう)の部下に捕まってしまった。
「うさぎを使って、ご婦人方に痴漢行為を働いたのは誰だね?」
洋風染太郎が声高に言った。
「痴漢行為だって? 誰がそんなことをするか!」
即座に藍万古が言い返した。
第三章 賛成VS反対派
それは日本の正座に反対派の策略だった。
日本政府役人の反対派、洋風染太郎の企み(たくらみ)である。いきなり、楽鳴館の玄関に部下数人と押しかけた。黒々としたカイゼルヒゲの中年男だ。
「このまま日本の風習から抜けられないのはまずい。欧米諸国から大きく遅れてしまう。せっかく日本政府が楽鳴館を建てて、欧米のダンスその他を学ぼうとしているのに、正座の稽古なんぞ阻止せねば」
うさぎを婦人方のスカートに潜り込ませて、痴漢行為をしようとしたとして、正座の稽古の主催者を逮捕するつもりだ。
「うさぎたち! 反対派の策略にハマってはいけない! 早くこっちへ来なさい。このうさぎたちは私のペットである。速やかに返したまえ」
藍万古が言い返した。
「いつ、ワシらがあんたたちを策略にハメようとした?」
洋風染太郎は、こちらに目を向けた時に、ぎょっとして、まゆ子先生に目を止めた。
「な、な、なんだ? そこの和装のおなごは!」
まゆ子先生に震える声をかけた。怒りで震えているのではなさそうだ。
「わたくしは正座の師匠です。あなたがたこそ何ですの? 先ほどからかまびすしいですわよ」
「楽鳴館で正座の稽古だと〜~? 日本政府が何のために楽鳴館を建てたか、分かっていないのか」
藍万古が答える。
「分かっているとも。その上で欧米と日本が分かりあえばいいのではないか」
「西洋文化を軸に交流すればよい。下々の者は分かりあえなくてよいのだ。楽鳴館に来られる欧米の客に釣り合わない日本人は、とっとと帰るがいい」
言いながら、染太郎は粘りつくような視線を、しつこくまゆ子に送ってきたが――。
いくらなんでも、うさぎから自供は取れない。
「ふん、そのうち証拠をつかんでやるからな」
洋風染太郎はとりあえず諦めて、うさぎたちを解放して部下を連れ、引き上げていった。
「反対派がいたとは!」
藍万古は驚く。欧米各国は正座の稽古に大賛成だったからだ。
「反対派がいようと構いません! こちらは許可証を取ってある。孔雀原まゆ子師範! お稽古をお願いしますぞ」
第四章 雄蝶雌蝶(おちょうめちょう)
藍万古は町にビラを配りはじめた。
「平民の方も、日本の正座の所作をお稽古できます! その上で欧米各国のご婦人方と交流できます。そして今回にかぎり! 合格者には花嫁正座介添え人のお免状も差し上げます」
「花嫁正座介添え人だって? 何だ? そりゃ」
通行人がビラを受け取りながら、質問する。
「花嫁の正座を手伝う者の免状です。お子さま方には雄蝶雌蝶の所作指導もさせていただきます」
「雄蝶雌蝶の正座を稽古するんだって?」
上空に現れて、道路に着地したのは、万古老の長年の弟子である百世と流転だ。
「振袖を着て、花嫁にお酒を注ぐ役、やってみたかったのよね!」
百世は目をキラキラさせているが、流転は無理矢理、連れて来られた感じだ。
藍万古は、着古した布切れに荒縄を巻いた格好のふたりをジロジロ見て、
「少しばかりでかいな」
とつぶやき、スティックの先をちょいと動かして、見た目が11歳くらいのふたりを6歳くらいに変身させた。そして、ふたりに紙切れを渡した。
「何だ、これ?」
「雄蝶雌蝶の役目は両親が揃ってなけりゃできない決まりなんだ。証拠の戸籍謄本の写しだ」
「ええ? 僕たちは神仙の者だから人間の親はいないよ?」
「分かってる。しかし、正座の稽古反対派が厳しい検閲をしているから、テキトーなのを作ったんだ」
「つまり偽造したの? さすが万古師匠! コンビニより早いじゃないか! どれどれ」
流転と百世は紙切れを覗きこむ。
「流転――座々本(ざざもと)藍太郎とまゆ子の長男、百世――山寺太郎右衛門、美々湖の長女」
まゆらちゃんもやってきて、
「ま〜〜っ! 藍ちゃんったら、私と夫婦のところにばっちり書きこんで、流転くんの両親にしたのね!」
まんざらでもない悲鳴をあげている。百世が、
「ちょっとちょっと、私の親になってる山寺太郎右衛門と美々湖って誰よ?」
「山寺のご住職と、湖国におられる周宝観音の名をお借りしたんだ」
藍万古が咳ばらいして言った。
「まあ、勝手にそんな謄本作って、周宝観音さまにしかられない?」
「大丈夫だ。手紙にリ・チャン・シー先生特製の蓮の饅頭を添えて送っておいたから」
「蓮のお饅頭は周宝観音の大好物よ。藍ちゃんたら、抜け目がないんだから!」
反対派のせいで怒って楽鳴館を出ていく婦人たち。正座のお稽古第一回は失敗に終わった。
せっかく正座を習いに来た婦人たちを集めた、藍万古や百世と流転はがっかりした。
第五章 米軍大佐の花嫁
米国陸軍中佐ブラウンが、婚約者のリディア嬢を連れて楽鳴館に来ていた。
リディアは、たまたま町中で日本の花嫁を見て、衣装の豪華さ、所作の美しさを見てうっとり。
アメリカから連れてきていた婆やに、さっそく告げる。
「ねぇ、婆や。日本の花嫁衣裳って美しいでしょう?」
おまけに雄蝶雌蝶という三三九度の酒を注ぐ男女の子どもがいると知り、その着物姿にもうっとりする。
彼らには知り合いの子どもがいなかったが、リディアは、
「決めました。私、日本に滞在しているうちに大佐と式を挙げます!」
リディアが言い出し、ブラウンも婆やもびっくりする。
だが、雄蝶雌蝶を務める子どもがいない。
「どなたか年頃のお子さんをお持ちの方はいないかしら」
リディア嬢の悩みを聞きつけた百世と流転が、挙式係のおじさんに聞きに行った。
「ボクたちを挙式に使っていただくことはできませんか」
挙式係のおじさんは、
「ブラウン中佐のお式にねぇ。中佐と婚約者さんさえ承知してくださるなら、よろしいですよ」
藍万古と百世と流転は、ハイタッチした。
「やったぁ! ボク、ブラウンさんに知らせてくるよ」
しばらくして、リディアさんがブラウン中佐の手を引いてやってきた。
「私たちの式で、雄蝶雌蝶の役をしてくださるのは、あなたがた?」
「うん。そうだよ。正座師匠の藍万古さんの知り合いなんだ」
流転と百世はすまして答えた。
「不思議な顔立ちの子たちね。でも有り難いわ。雄蝶雌蝶の役目、よろしくお願いね」
百世と流転は、さっそく楽鳴館の一室でまゆらちゃんに教えてもらいながら、挙式の際に着ける銚子飾りの雄蝶と雌蝶の折り紙を用意した。
日本の子どもの振袖と羽織袴を借りてきたまゆ子は、百世と流転に着付けをしてみた。
「嬉しいな。日本の晴れ着だわ。驚いた。まゆらちゃんて、なんでもできるんだなぁ」
流転と百世が感心していると、まゆ子はしっかりと、
「驚いていないで。この格好で正座の所作をしてもらうから、しっかりね!」
第六章 雄蝶雌蝶の資格
藍万古にはひとつの考えが浮かんでいた。
日本の祝言で雄蝶雌蝶の役目をする子どもは、両親が揃っていなくてはならないと決まっている。
今回は神仙の所属である百世と流転の戸籍謄本の偽物を作ったものの、実際、明治の初めには薩長対江戸幕府の戦争が多く勃発した上に日清戦争が起こり、父親が戦死した子どもも少なくないに違いない。
つまり、雄蝶雌蝶をやりたくともできない子どもも、多かったに違いないと考えたのだ。
親戚や知り合いの祝いの席で、正座を含む所作を覚える機会が、両親の揃った子どもにしか与えられないのは問題であると、楽鳴館の婚礼施設に対して異議を唱えたのだった。
これは当時の新聞で報道され、賛同する者が多かった。
ブラウン大佐も藍万古の発言でこれを知り、人々に賛同を呼びかけた。後日、アメリカ大使館にまで訴えた。
そして、藍万古は正座の所作を広く西洋の方々にも教えていきたいと訴えた。
「正座は心を落ち着かせ、身体の姿勢を良くするためにも役立つのです」
座タロウは孔雀原まゆ子師匠が優しいので、ドキドキしてきた。それも洋風染太郎と同時に。
正座のお稽古の時にカッコいい香箱座りをキメて見せる。
染太郎はカイゼルヒゲなど生やしているが、案外と若い。座タロウがまゆ子にナデナデされているのを見て、ジェラシーを感じていた。
正座の稽古を受けるためにお稽古会に申しこんできた。
「あのカイゼルヒゲが正座のお稽古だと――!」
たまげる藍万古。
大昔に恋人時代だった時の思いを呼び覚まされ、
「まゆらを取られてたまるか」
と闘志を燃やす。しかし同時にライバルが出現と知り、気持ちが萎えて風船から空気が抜けるように老人の姿に戻ってしまった。
第七章 振られる染太郎
洋風染太郎が所作を間違った時にも、まゆらちゃんが優しく接する。
「まゆ子先生、どうしてそんなにお優しいんですか?」
「私の元カレが正座のお師匠なんですけど、どんなに間違えても疲労しても優しく教えてくれましたから」
「元カレ?」
「万古師匠ですわ」
「えっ? あの老人になってしまった?」
「ハイ!」
「そんな、元気よく『ハイ』って……」
「少々老けてもお爺さんになってしまっても、中身は藍ちゃんですから一生愛していきますわ。ですから見習って、生徒さんがどんなにひどい間違いをしても、私は叱りませんの」
グリーンのアイシャドウもあでやかに、にっこり笑う。
「万古師匠を見習って?」
「はい!」
カイゼルヒゲの染太郎の瞳の中に、どす黒い光が灯った。
「まゆ子先生、白髪の爺さんになってしまった師匠など放っておいて、私の妻になりませんか」
熱く語りながら、まゆ子の手を握った。
「はあ? 藍ちゃんを一生愛していきますと言ったのが、聞こえませんでしたか?」
「私の妻になれば、楽鳴館で正座の稽古をすることに賛成して政府の役人にも働きかけましょう」
「けっこうですわ!」
まゆ子師匠は、プイとして立ち上がった。
(なんて汚い男なのかしら。染太郎って男! こちらの弱みに付け込んで、結婚を申し込んでくるなんて!)
まゆ子の話を聞いていた座タロウは、返って張り切り始めた。
「そっか……藍ちゃん師匠は、そんなに尊敬できる師匠なんだ!」
しかし、藍ちゃん師匠は、ひとつだけ厳しいことがあるという。それは、うさぎと行う正座(うさぎは香箱座り)の稽古の時だ。
人間もうさぎも、美しい完璧な正座が出来なければ合格にはしない。絶対にだ。
第八章 婚礼
やがて、ブラウン中佐と婚約者リディア嬢の婚礼は、和式で無事に行われ、百世と流転も雄蝶雌蝶の役目を果たした。
新婦のリディアさんは、金髪を見事な文金高島田に結ってもらい、黒地に金糸銀糸の刺繍の入った打掛すがただ。
「まあ、日本の花嫁衣裳って、なんて重厚なのかしら」
「あの模様は、すべて刺繍なんですってよ」
「三々九度という儀式の時に、お酒を注いでいた子どもたちも可愛いわねえ」
「三々九度というお酒をいただく時の盃(さかずき)は、日本伝統の『塗り』という品だそうですよ。重厚な美しさですね」
祝客から褒めそやされた。
楽鳴館の出資者も居並んで祝詞を述べた。
アクビの出そうな祝詞の間、うさぎたちもカンペキな香箱座りでおとなしくしていた。
そこで――ひとつ意外なことが起こった。
披露宴のお開きも近くなった時、天井からぶら下げられていた、大玉のスイカを上回る大きさのキラキラのくす玉が開かれた瞬間、垂れたリボン飾りが落ちて、三々九度のお銚子や盃の上に派手にひっくり返った。
「あっ、座タロウ! パトも!」
パトが走り回って、周りの人間に何かを告げようとした。
「あ〜〜! 座タロウが大盃(おおさかずき)に!」
流転が叫んで直径20寸くらい(60センチ)の大きな杯に落ちたタロウを助け上げた。毛が濡れて情けない格好だ。
少し間違うと隣に開いた大きな酒樽があり、ハマるところだったので、流転たちは真っ青になった。
百世が布で座タロウをくるみながら、ゴシゴシ拭いた。
「座タロウ! 大丈夫?」
座タロウは酒の匂いをプンプンさせていたが、水をもらって、ぷるるんと首を振ると両耳をピコンと立てた。
「座タロウったら! 心配するじゃないの!」
うさぎ2ぴょんはよけい元気を出して、三三九度の杯をひっくり返して走り回った。
「あらあら、まさか酔っぱらってないでしょうね」
リディア嬢が大のうさぎ好きで、座タロウを拭いてやろうとして逃げられたところへ、新郎のブラウン中佐のシビレた膝の上へ倒れて乗っかってしまった。
「うお〜〜〜っっ! 脚が、膝が~~!」
ブラウン中佐がすごい声で吠え、リディア嬢もしばらく、シビレがじい〜〜んとして倒れたままだった。
「足がシビレるって、こういうことなの~~? 動けないわ~~!」
第九章 耳の中に
ふと、耳の中に変な感じがしたので、座タロウは後ろ足でカリカリした。
「耳の中から紙がくるめられたようなカタマリが出てきた!」
紙切れを広げても座タロウには読めない。
「さっきから、座タロウにいちゃんの耳の中に何かあるって、人間に知らせようとしてたんだけど……」
「なんだ、つまんないの。ビリビリにしちゃおう!」
「この方が楽しいね、座タロウにいちゃん!」
座タロウはパトと一緒にビリビリにかじってしまった。
「なんとか、藍万古の姿にならんとなあ」
万古老師匠は大きなため息をつきながら、白いアゴヒゲをいじっていた。百世と流転が近寄ってきた。
「どうしたのさ、いつもあっという間に藍万古になっちゃうのに」
「それがのう……。最近、もの忘れがひどいから、藍万古に変身するポイントをメモしておいたんだ。ところが、そのメモをどこに置いたか忘れてしまって……」
「お師匠は洞窟の家にタンスなんか無いだろう? 洞窟に帰っても探す場所がないよ。他に物入になるところは……」
「杖の中とかは?」
百世が言ったが、
「仕込み杖じゃないんだから、あんな筒みたいなところに何にも入らないよ」
「あっ、そうじゃ!」
万古老がやにわに立ち上がった。
「ワシが『ここなら忘れまい』と、座タロウの耳の中に入れたんじゃった!」
「なんですって、座タロウの耳の中に?」
百世と流転も立ち上がった。
※良い子の飼い主さんは決して真似しないでください。
「あ〜あ、これ、なぁに?」
百世がこの世の終わりのような声を出した。
座タロウはたくさんの紙切れを前に、耳を垂らしてしょげた。
「ごめんね。藍ちゃんのメモだなんて知らなくて」
「あんたの耳をポケット代わりにした、万古師匠もいけないんだけどね〜〜」
「おいら、こういうの並べるの好きだよ!」
叫んだのはパトだ。
「パズルみたいに並べればいいんでしょ?」
「できる?」
「うん!」
万古老がやってきた。
「やってくれたなぁ、うさぎたちよ」
パトが1枚ずつの紙片を並べている。
万古老の書いた文字がだんだん甦る。3分の1は並べられただろうか。
「若かりし頃の姿に戻るには……読めてきたぞ!」
第十章 大人の雄蝶雌蝶?
「愛する女との絆を確認すること! そうだった!」
「藍ちゃんの愛する女ってまゆ子先生でしょう」
座タロウが目をくりくりさせて聞いた。
「絆を確認することって?」
パトが一生懸命に紙片を並べた。
「婚礼で雄蝶雌蝶をやることって書いてあるよ」
「雄蝶雌蝶をやることだと〜? ワシはそんなことを書いた覚えは……」
「よく思い出して、藍ちゃん!」
「あ〜〜、あ〜〜、そうだ! これは最後の手段だから、記憶の奥に閉じ込めていたんだった」
「じゃあ、やっぱり本当に?」
「藍万古とまゆ子さんが、雄蝶雌蝶をやるなら……えらく大人の雄蝶雌蝶だが、カップルは誰がいる?」
百世が首をかしげた。
「さっき、ブラウン夫妻は足がシビレているところへ重なって倒れて『重なる』というのは祝い事には忌み言葉だから、気になっていたんだ。もう一度、やり直してもらおう!」
「『もう一度』も、『やり直すも』忌み言葉じゃないのか?」
流転が苦笑いした。
「……本当に、私と万古老が雄蝶雌蝶をやるの? こんなに大きくていいのかしら」
まゆ子が恐る恐る言う。
(想像しただけで、世間に申し訳ないわ)
「ワシは嬉しいがのう」
しょげていた万古老はニコニコしている。
「しっかり正座の稽古をふたりでやらないといかんのう」
第十一章 よみがえった藍万古
そして、ブラウン夫妻の2度目(禁句だが)の婚礼の日。
今度はブラウン中佐は軍服姿で、リディアさんは元々の予定だった白いレースがいっぱいのウェディンドレスで式に臨んだ。婆やさんが嬉し泣きして止まらない。
「お嬢様ぁ、どちらの花嫁姿もよくお似合いで~~。婆やはどこまでもついてまいりますよ~~」
万古師匠は紋付き袴羽織。まゆ子は緑色の鮮やかな振り袖姿で三三九度がはじめられた。
花婿のブラウンさんが、盃を持つ。
――と、ブラウンさんは万古師匠の持つ雄蝶の飾りのついた銚子と盃をスルリと取り替えた。
「え、え? ワシがいただいてよいのかのう」
万古師匠はすんなり盃を受けとり、雰囲気に流されて3回に分けて酒を飲んだ。
みるみる間に師匠の頭に青い髪が生え、背が伸びて肩の筋肉が盛り上がった。
「やったよ、藍ちゃん! 藍色の髪だ! うしゃしゃい!」
座タロウが藍万古の周りをぴょんぴょんした。
パトも釣られてぴょんぴょんする。
「じゃ、私も……」
まゆ子がリディアさんに酒を注がれて、盃に口をつけようとした時、手をすべらせた。
盃は落ち、パトの頭にひっくり返った。
「あらあら!」
リディアさんが急いでナプキンでパトを拭く。
「あなたたち、この前からアンラッキーねえ」
「おかげでワシは、いや、私はこうして美丈夫の藍万古に戻れたよ!」
藍万古は意気揚々と力こぶるポーズをした。
「私たちはまだ、夫婦になるには早いってことかもしれませんね」
珍しくしおらしい、まゆ子だ。
「まだって、何千年も待たしてしまって申し訳ない」
第十二章 染太郎の負け
楽鳴館で正座教室が開かれてから、半月が経った。
にわかに楽鳴館の玄関が騒がしくなった。
洋風染太郎が日本の警察官を連れて乗り込んできたのだ。
「おまわりさん、この男です! 正座の稽古と称して、ご婦人方の嫌がることをしたのは!」
警察官が、
「ご婦人方の嫌がることを? それは罪になるかもしれん! で、いったいどんなことを?」
ブラウン中佐が彼らの前に立ちふさがった。
「正座の稽古に、うさぎを使うことが何かの罪になるのかね?」
「うさぎ? うさぎですか? いえ、とんでもない」
警察官たちは、染太郎をにらんで出て行った。
「警察は暇じゃないんでね。くだらんことで煩わせては罪になるぞ」
染太郎は歯がみして引き下がった。
ブラウン大佐が、
「いいかげん、あの男も懲りただろう。私たちは母国に帰りますが、またお会いしましょう」
「はい、ぜひ」
藍万古師匠とがっしり握手を交わした。
楽鳴館の庭を、百世と流転がうさぎ2ぴょんを抱っこして眺めていた。蝶々が二羽、麗らかな日差しの中を踊るように飛んでいる。
「いいもんだね、雄蝶雌蝶って」
「うん。あたいは可愛い着物を着られたからね」
百世と流転は役目を済ませ、ほっこりと満足していた。
そこへ「キィ~~~」という声が貫いた。植え込みから飛び出てきたのは孔雀だ。
「ピーちゃん?」
まゆ子が駆けつけた。
「なんだよ、みんなして長いこと留守にして! あの打掛の図柄、気に入らないな。鶴と亀じゃないか。どうして孔雀じゃないんだよ!」
「わかった、わかった。ピーちゃんはインドでは十分きれいよ! 一件落着したから帰ろうね」
「インドで雄蝶雌蝶しなくちゃ、帰らないぞ!」
ピーちゃんの駄々こねの叫びは止まりそうにない。
「私と山寺に帰らなくてもいいのなら、ずっと明治時代の楽鳴館にいなさい」
「いや、帰るよ! 待って! まゆらちゃん!」
ピーちゃんは慌ててついてきた。
「座タロウ、パトちゃん、よく任務の正座調査官をやり通したわね。これで、正座が美しくできるようになった日本の女性がたくさんいらっしゃるわよ」
「ご苦労だったな、座タロウ、パト」
白髪のヒゲに戻った万古老がにっこりした。
別れ際に、座タロウとパトはまゆ子さんに、う~~~~んといっぱいナデナデしてもらった。
「うしゃしゃ~~~い♡」
そして……、2ぴょんはいつの間にか、つどいとひよりちゃんの布団の中に戻っていたのだった。
「あれ?」
翌朝、つどいの家の庭に美味しいワラが大盛りに積んであった。