[43]正座の友情


タイトル:正座の友情
発売日:2019/01/01
シリーズ名:須和理田家シリーズ
シリーズ番号:7

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:44
定価:200円+税

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容
須和理田サクラは正座や丁寧な言葉遣いが評価され、学校説明会の執行部に採用された。
生徒会長の多田師と顔を合わせる機会が増え、学校説明会で大喜利をやる生徒会の正座指導を依頼される。
サクラを嫌っている生徒会役員の生地目の正座を見たサクラは、姿勢の悪さが正座で足が痺れる原因だと気付き、改善策を伝授する。
そこで生地目の友達からサクラの兄の彼女は多田師の元カノという噂について尋ねられ、サクラは動揺するが……。

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本文

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 十月下旬より高校で受験生を対象にした説明会が行わる。近隣の中学校の中間テスト、期末テスト、そして高校のテスト期間の都合をうまくつけた土曜日の午前か午後、或いはその両方に一時間強の説明、その後校内見学や個別相談会が行われ、この時期はあちこちで中学生と保護者が列を作り、高校の門へと入ってゆく。
 須和理田サクラはこの秋に募集された学校の説明会などのPR活動を行う執行部員に応募し、生徒会、職員の判断により採用された。日頃こうした学校の主軸となる活動に縁のなかったサクラは、採用材料となる自己紹介では失敗したものの、指示がなくとも初めからきれいな正座をしていたことや言葉遣いの丁寧さから、採用と判断された。この判断基準については、採用が決まったことに疑問を感じたサクラに対し、生徒会役員の多田師浩介からの説明で知ったことだった。多田師は生徒会の三年生が引退した秋に生徒会長に立候補し、投票の結果、生徒会長としての活動を開始している。
 優等生であり、人間的にも大人である生徒会役員はサクラからすると近寄りがたい存在である上、その中でも生徒会長の多田師はより距離を感じる存在だ。
 中間テストが終わった水曜日の放課後、執行部に召集がかかり、次回の説明会での打ち合わせが行われた。
 執行部が発足された初回は、生徒会役員による挨拶や礼、それに正座やドアの開け閉めなどのマナー指導が行われた。改めてこんなことをやるのかという雰囲気が執行部の面々にはあったが、自分たちがこの学校に初めて来た時の印象を問われ、とても感じのよい挨拶で迎えられたことや、丁寧な案内をしてもらったことが挙げられ、そうした我が校の良き風習を引き継ぐための場だと改めて説明を受け、異議を唱える生徒はいなかった。今年この学校を知ろうと土曜日の時間を割いてやって来る中学生やその保護者に対し、精一杯のお迎えをするために必要な指導ですので協力をよろしくお願いしますと、生徒会役員は執行部の面々と目を合わせた。
 水曜日に活動のあるダンス部のサクラは、友達に執行部があるので行けないかも知れないということを先輩に伝えてもらっての参加だった。部活を休むことへの危惧はあったが、昨年執行部に入っていたという先輩が二人いて、事前に事情を話しに言った際には気持ち良く了承してくれた。それに執行部に部員がいると、新入生からの印象が良く、部員が集まりやすいのもメリットだとつけ加えられた。しかし、執行部は文化部の子がほとんどで、顔見知りの子もいたが、サクラは普段あまり話したこともない顔ぶれだった。執行部の打ち合わせが開始されるまで、集合場所の視聴覚室では和気あいあいとした雑談が交わされる中、サクラは一人で少し居心地の悪さを感じていた。
 視聴覚室の扉が開き、生徒会役員が入って来た。その中に多田師がいて目が合うと、手を挙げて笑ってくれ、サクラはふっと心が軽くなる。
 生徒会役員の一年生の女子が打ち合わせの予定について書かれたプリントを配り始める。受け取ったサクラは「ありがとう」と言ったけれど、無視された。隣のクラスの生地目という女子だ。
 プリントには、説明会開始前に執行部の役員が校門から昇降口、説明会会場である体育館前などに立ち、挨拶と案内をする旨と、どこに誰が立つかの分担が記されていた。
 その後「何か質問や改善点などありますか」という生徒会役員の問いかけに、何人かが挙手し、中学生から何か質問されて判断に困った時は誰に聞いたらいいか、という質問や、遅れて来た中学生は座席まで案内した方がいいか、という質問が出た。ほかに意見として、空席が座席の真ん中であったり、何人かずつで来ている人と人との間の一席であるのをよく見かけ、後から来た人が立ち見になることがあるので、できるだけ詰めてくださいと指示した方がいいのでは、というものがあった。
 その後は、学校見学で校内を回る時に親切な執行部の先輩は面接で質問されることを教えてくれた、という話から、事前にどういうことを話すか決めた方が公平性が出るのではないか、という話にも発展した。
 そういうものかと聞いていたサクラだったが、ふいに「須和理田さんは何かありませんか」と名指しされ、慌てた。言ったのは生徒会の生地目だった。
「え、あ、自転車で来る中学生への案内は、入口に執行部が立つだけでなくて、書いてあると、いいかも、知れない、と思います」
「今、会場でのこと話してるんだけど」という生地目の独り言のような言葉に、あ、嫌われてる、とサクラは気付いた。
「そうだね、自転車で来た中学生の対応、どうしましょうか。先生」
 サクラの意見を継ぎ、多田師が生徒会顧問の先生に意見を求める。
「ああ、まあ、案内があった方がいいかもね。この学校自転車通学多いから」
「じゃあ、そうしましょう」
 多田師はサクラに目を合わせて笑ってくれた。


 執行部の集まりが終わり、帰ろうとすると「須和理田さん」とサクラは多田師に呼び止められた。
「はい。あの、さっきは間の悪い意見を言ったのに、フォローしてくださってありがとうございました」
「え、いえ。必要な意見でしたから」
「そうですか」
「あのですね、」
「はい」
「須和理田さん、部活なんかで忙しいと思うんですけど、お願いがあって」
「……何ですか」
「僕ら生徒会で、大喜利をやるんですよ」
「ああ、あの着物来て、正座して落語で学校説明するのですか」
「そうそう。それでですね、落語のネタは上々の仕上がりなんですけど、今年の役員さんの正座とか姿勢とか、そういう指導をお願いできませんか」
「私が、ですか?」
「はい。僕の友達でも頼めそうなのがいたんですけど、何か忙しいって言うんで」
「でも、できるでしょうか、私が」
「できるから、お願いしたいんですけど。あ、お礼は何かするんで」
「お礼はいらないですけど」
 そんなやり取りをしていると、「会長、先生が呼んでます」と声がかかり、「じゃあ、明日の昼休み、生徒会室にお願いします」と言い、多田師は走り去った。


 執行部に入ったものの、生徒会に個人的に指導に行くというのは気が重かった。会長はああ言っていたが、サクラでなくとも茶道部とか、書道部とか剣道部とか、適役はいくらでもいそうな気がしたし、そうした部に属している二年生の方が、生徒会役員も素直に指導を受け入れられるのではないかと思った。しかし、会長の多田師に頼まれた以上、行かないわけにもいかない。友達との楽しいお弁当の時間を早々に切り上げ、生徒会室に走った。
 生徒会室の扉を開けると、生徒会のメンバーが床に座布団を敷いて正座し、横に並んでいる。何もないが、一応高座ということらしい。
「須和理田です。会長に呼ばれて来ました」と挨拶した。
「あ、わざわざありがとう。じゃあ、始めから」
 会長も端に座り、副会長の藁里賢が「台本はみんな覚えたね」と確認する。
 ちょっと驚くような大きく、通りのいい声で藁里が大喜利を開始した。
 藁里の進行で、生徒会役員の簡単な紹介から入るようだ。会長の多田師は「我らが生徒会長、多田師くん。一年生の頃からより生徒会を盛り上げようと勤める努力の人。この大喜利も多田師くんがいなければ実現しませんでしたね」というふうに紹介され、ほかの生徒会役員に関しての紹介はそれよりもやや短く、役職と長所や所属している部活などが主だった。
 そこから噺に入り、つい面白さに聞き入っていたサクラだったが、生徒会役員の正座の様子を見ることにした。
 今日、サクラが呼ばれたということは、正座の様子についての改善措置が取られると生徒会役員にも伝わっているはずだが、まだ生徒会役員の一年生は慣れない落語の台本を間違えずに追っていくので精一杯のようだった。台本通り、「はい、」と手を挙げる生徒会役員に「はい、では~くん」と藁里は軽快な口調で促す。
 見ると、生地目が耳を赤くし、時折俯いている。
 横並びの生徒会役員は気付かないかも知れないが、生地目は足が痺れて辛そうだ。正座は確かに足が痺れることがある。毎日自宅で正座をして食事をしているサクラでさえ、正座で全く足が痺れないということはない。けれど、重心のかけかたや姿勢などを少し改善するだけで、足の痺れは解消されることもある。
 生徒会の大喜利はアドリブらしきものも加わり、高座の面々も自然と笑いが漏れる、かなり完成度の高いものだった。
 終わって「どうでした」と多田師に尋ねられ、サクラは「面白かったです」と答えた後、「正座の方は、もう少し楽に座れるようになるといいかも知れません」と答えた。
 生地目の強い視線を感じたサクラは、「一応、楽に座れるというか、正座の仕方というのがあって」と前置きした。
「ええと、当日は着物だから関係ないですけど、スカートは広げて座らないでお尻に敷くようにします。それから、膝はつけるか握りこぶしひとつ分くらい開く感じで。手は大喜利でいろいろ動作をすると思うんですけど、動作がない時は脇を閉じるか、軽く開く程度で、手は腿の付け根と膝の間に添えるようにします」
 サクラが言った内容を追い、生徒会役員は正座を改める。
「あ、後背筋は伸ばした方が……」
 そう言いながら生徒会役員を見ると、生地目の姿勢がとても前かがみであることにサクラは気付いた。これが正座で足が痺れる要因になっているのかも知れない。ただ生地目の昨日の自分への対応から、ここで名指しで注意するのは躊躇われ、サクラはほかの生徒会役員が背筋を伸ばすのを確認するに留めた。
「そんな感じで」とまとめたサクラに、多田師は「どうもありがとう」とお礼を言った。
「いえ」と言うサクラに多田師は「お兄さんの須和理田くんに頼もうと思ったんだけど、今、部活やなんかで忙しいらしくて、ちょうど執行部に入ってくれた須和理田さんにお願いしたんだけど、とても助かりました」と続けた。
「兄を、知っているんですか」
「はい。中学の時に塾が一緒で。実は去年藁里と生徒会で大喜利をやろうって話が出て、僕もやる気十分だったんですけど、正座が苦手だって時に、須和理田くんが、家に呼んでくれたんです。須和理田くんの家、いつも和室で過ごすって言うんで」
「え、うちに、来たことあるんですか」
 動揺したサクラに、多田師は満面の笑みで、「その節はお邪魔しました」と言った。


 サクラは呆然と昼休みが終わろうとしている廊下を歩いていた。
 入学当初から暫く、サクラは派手な感じでお母さんも華やかな友達の中、自宅は昭和の雰囲気が漂う和室仕様、母のバイト経験、パートは市内の和菓子店のみ、食事は野菜中心の和食、お弁当と一緒に飲むのは水筒に入った緑茶という地味な家庭環境の自分を恥じていた。家族も好きだし、執行部に入れることになった正座をする習慣をしつけてくれた家庭環境にも感謝はするようになってはいたが、校内で見かける近寄りがたい、大人な感じで憧れつつある生徒会長が、まさかあの自宅の居間に来たことがあったとは……。サクラと違い、家庭環境への不満、疑問を一切持たずに淡々と過ごしている兄は、何の見栄もなく、あのローテーブルに座布団が配置された、シンプルというか、質素というか、素朴というか、つまりお客さんをお迎えするにはサクラとしてはやや抵抗のあるあの居間に普通に多田師を通したのだろう。
 ショックの後に腹が立ち、二年生の校舎がある廊下を進んだ。
 ちょうど廊下の窓側にいる兄の姿を見つけ、サクラは走り寄った。
「緑、」と兄の名前を呼び捨てにし、「どうして生徒会長、うちに連れて来たの」と掴みかかる勢いで訊いた。
 ちょっと驚いた顔をした兄は軽く目を見開いた後で、「え、いつのことだっけ」と考え、「正座の練習したそうだったから」と答えた。
「それ、家じゃなきゃいけなかった?」
「どうしたの?」
 後ろから鋭い声がした。
 大きな猫目に力を込めた美人が走り寄って来る。
 あ、確か緑と一緒にいるのを見た、多分、付き合っている人だ、とサクラが思った時、兄が「これ、妹」と短く答えた。
「え、」と緊張を解いた美人は、「始めまして」と態度を改め、「緑が何かされたのかと思って」とつけ加えた。
「はあ……」
 確かにぼんやりしていると感じる兄ではあったが、女子に護衛をしてもらうほどだったとは、と考えを巡らせた後に、兄を見上げるこの美人の視線がとても優しく温かいのに気付き、ああ、兄は大切にされているんだと思い至った。
「兄がお世話になっています」とサクラが言うと、美人は赤面し「こちらこそ」と言った。
「なんか、前に浩介を家に呼んだこと、怒っててさあ」と兄がずいぶんと適当な説明をする。
「多田師?」と兄を見上げて訊き返した美人はサクラに視線を合わせ、「一応清潔にはしていると思うし、逆に全然気を遣うような人でもないよ」と笑った。
 美人となれば、男子に気を遣う必要もないのだろう。サクラが言いたいのは、そういうことではない。
 遠くから憧れていた多田師先輩とは、それほど接点はないが、だからこそ、できる限り自分のいい面だけを知ってもらいたいと思っていた。それが多田師先輩と出会う以前に、あの、決してVIPご招待仕様ではない居間に招き入れていたという事実は、どう考えてもサクラにとってマイナスであり、ダメージだった。
「どうも、お邪魔しました」とサクラは言い、怒りは鎮まったものの落ち込みは消えないままに教室へ戻った。


 教室では次の英語の単語テストの勉強を皆が始めていた。一応今日の昼休みがつぶれることを考慮して夜と朝勉強しておいたが、最後の仕上げに見ておこうと机の中を探った。
「あれ、」
 単語のテキストとノートは出てきたが、教科書がない。
「サクラ、どうした?」
 勉強している友達が振り返って訊く。
「教科書、忘れた」
「え、ちょっと誰かに借りてこないと」
「うん、間に合うかな」
 サクラは少し泣きそうになった。時間があれば友達の友達のつてで、教科書くらい借りられるが、もう時間がない。
「隣のクラス、英語あったよ」
「どうしよう。友達、隣のクラスにいないよ」
「ええ、誰かに頼んでみたら?」
「うん」
 サクラは焦って隣のクラスを覗きに行った。
「あ、」と目が合ったのは、通路側前の席で教科書を開いて授業のセッティングをしている生地目だった。生地目は座ったまま「どうしたの」とサクラに訊いた。
「英語の教科書忘れちゃって」
 生地目が自分を快く思っていない様子から、『貸して』と続けられなかったが、生地目は椅子をずらし、机から英語の教科書を出すとサクラの前まで歩いて来た。
「勉強したいから、放課後までには返して」
「……ありがとう」
 そこでチャイムが鳴り、サクラは慌てて教室に戻った。


 生地目の教科書には付箋がいくつも貼り付けてあり、教科書内には三色で色分けされたメモが整然と、そしてびっしりと書かれていた。
 これだけ勉強していれば、自然と前かがみになり、姿勢が悪くなるのも頷ける。
 生地目の教科書の書き込みのおかげで、この日の英語の授業はサクラにとってとても有意義であり、楽なものになった。
 次の時間は体育で、生地目とは合同の授業だった。
 移動教室の前に教科書を返しに行き、更衣室で顔を合わせた時に「教科書、本当にありがとう。わかりやすくて助かりました」とお礼を改めて伝えた。
 大人しく、きちんとした子のグループの生地目と、派手に騒ぐのが好きなサクラのグループは女子同士でも交流がなく、生地目にサクラが話しかける様子をほかの女子は遠巻きに見ているのがわかった。
 生地目は言葉少なに「いいえ」と答えただけだったが、サクラは「あの、余計なお世話だと思うけど、姿勢、もう少し真っ直ぐにすると、正座の時もよくなるよ」と話した。生地目は俯いて赤くなり、サクラは恥をかかせてしまったと感じて慌て「だからさ、勉強の合間にストレッチとか、少しするといいと思う。肩こりの解消にもなるよ」とつけ加えた。
「そうなんだ」と言う生地目に、「ダンス部だから、私。体育の前に軽くストレッチ教えてあげる」と持ちかけると「うん、ありがとう」と生地目は素直に受け入れてくれた。
 体育の授業の始まるまでの間、サクラは生地目の体をほぐした。まずやはり肩が凝っている。両手や肩のストレッチや、足を大きく開いた状態で肩を内側へぐっと向ける方法を教えた。生地目が「んー、利く」とか「あいたた」と声をあげ、サクラが笑っていると、生地目と仲のいい女子が二人寄って来た。
「須和理田さんて、須和理田先輩の妹さん?」と訊かれ、サクラは生地目のストレッチに手を貸しながら「うん」と頷いた。
「ねえ、部活の先輩に聞いたんだけど、生徒会長の彼女だった人が、須和理田さんのお兄さんを好きになって、生徒会長と別れて須和理田さんのお兄さんと付き合うようになったって本当?」
 生地目が顔を上げ、「それ、須和理田さんは関係ない話じゃない?」と口を挟んだが、「去年の部活見学で会長と須和理田先輩の彼女さんのツーショットを見たって先輩がたくさんいるんだって」と話は続行された。
 サクラは「そうなんだ、知らない」と言うに留めた。
 体育の教師が体育館に入って来て、授業が始まった。
 表情を失っているサクラを心配そうに見やりながら、生地目は集合場所へ走って行った。後ろから来たサクラの友達が、「何か言われたの? 大丈夫?」と生地目の友達を睨みながら訊く。生地目の友達はサクラの友達の鋭い視線に少し怯えた様子だったものの、「本当のことじゃん」と言い合っているのが聞こえ、更にサクラを落ち込ませた。


 翌日の昼休み、生地目がサクラの元へ来た。
「正座の練習、付き合ってほしいんだけど」
「あ、うん、いいよ」
 生地目にサクラはついて行き、生地目は職員室で生徒会室の鍵をもらうと、そのままサクラを促して生徒会室へ向かった。
 静かな生徒会室の電気を点け、高座として確保されているスペースに正座する。
「どうかな。昨日ストレッチして、結構体が楽で、背筋も伸びた気がするんだけど」
「うん、すごくいいと思う。顎、もう少し引いてみて。そうそう」
 もとが真面目な性格だけあり、生地目は前日のサクラの注意を受け入れ、改善点をしっかりと活かせていた。
「あのさ、昨日のことなんだけど、気にしてる? 多田師先輩がお兄さんの彼女さんの元カレかも知れないって話」と生地目は目を合わせずにサクラに訊いた。
「え、まあ。緑に訊いてもいいけど、それも違う気がするから、まだあの子たちの話が本当かはわからないんだよね。もし本当だったら、生徒会長は、自分の彼女とったかたちになった友達の妹の私と話すの、嫌じゃないのかなとも思うし」
「そうだよね」と生地目は頷き、「正しいかわかんないけど、私は基本的にわからないことはあれこれ憶測するより、知りたいなら本人に確認するのが一番いいと思うんだよね」と言った。
「会長に訊くってこと?」
 生地目は真面目な顔で頷いた。
「……無理だよ。生地目さんが訊いてくれるっていうのは?」
「できないことじゃないけど、これを乗り越えないと、須和理田さんが次に進めないと思う」
「まだ、進むも何も、無理だよ」
「そうだね。無理は良くないよね」と生地目は頷き、「でも、誰の言葉を信じるべきかは、ハッキリさせた方がいいよ」と助言した。
 サクラが黙っていると「何? 言い方きつかった?」と生地目が訊いた。「ううん、そういう考え方の根底がしっかりしているっていいことだと思って」とサクラは答えた。
 サクラの友達は基本的に物をハッキリ言うし、クラスでの発言力も大きい。けれど、こうした悩みに直面すると打開策を見つけられない。友達同士で悩みを打ち明け合って、それをなだめたり、受け流したりして、やり過ごす。正面突破を考える友達も、それを勧める友達もいなかった。
「須和理田さんたちはさ、きっと色々恵まれてるっていうか、女子も、男子も自然と周りに来て、自分から頑張って何か言ったり、そういう勇気を出す前に、察してもらえてきたと思う。でも私は、自分の力で頑張らないとどうにもならないことだって自覚があるから」
「そうかな。私からすると、生地目さんたちって、きちんとしている分、友達同士の約束も守りそうだから、そういうところで自然と信用されやすくなる気がする」
 サクラの友達は、明るくて素直でいい子が多い。けれど、楽しいことが多い分だろうか、もともとの性格もあるのだろうか、明日までにダンスの振りを覚えてグループ内で練習しようとか、歴史の授業の発表を皆でするという時にやってきていないということが時々ある。そのたびに慌てたり、腹が立つのは、いつもサクラだけという気がしている。そんな時、万全の態勢、チームワークで準備をする生地目たちのような女子の手堅さは、サクラにとって羨ましいものがあった。
「私たちっていうか、私は、新学期から男の子たちのグループとお昼を一緒したり、休みの日に遊びに行ったりって、まずないよ。そういうの、憧れるけど、絶対に無理だと思う」
 そう言った生地目は、多分昼休みの教室で男子と騒いでいたり、休日前に「明日~で」と大声で約束して帰るサクラたちを目にしていたのだろう。
「いや、それ、別にそれほど楽しいものでもないよ?」とサクラは言ったが、「それはそういうことができるから言えることで、私らが言ったらただの負け惜しみ」と生地目は返した。
「執行部の集まりの時、感じ悪くしたの、後悔しているよ。ごめんね」と続けた。
「うん、まあ、嫌われてるのかな、とは思った」とサクラは笑って言った。
 サクラの態度に気が楽になったのか、生地目も笑い、「私は中学の時から、何かしら面倒な係っていうか、委員会を引きうけてきて、今回そういう経験を活かして生徒会に入ったと思っている。でも、そういう苦労を何もしないで、何か会長のお気に入りって感じで執行部に入った須和理田さんを見たら、すごく腹が立った。何か、人生のいいとこ取りっていうのかな。昨日、体育の時間に寄って来た私の友達も、似たようなひがみがあると思う」と打ち明けた。
「話してくれて、ありがとう。会長に訊くかどうかは、もう少し考える」と受け止めたサクラはそこで生地目を見た。
「ねえ、結構長い間こうしているけど、正座、きれいにできてるし、足も痺れてなさそうだね」
「あ、本当だ」
 生地目は嬉しそうに笑い、「付き合ってくれて、ありがとう」と言った。


 土曜の説明会は忙しかった。
 午前中の学校公開の後、二時から学校説明会が行われる。
 そのため、授業の後に昼食を済ませ、執行部と生徒会は視聴覚室に一時に集合予定だ。
 この日ダンス部が休みだったサクラは生地目を誘い、一緒に昼食を摂った。
 野菜中心の食生活と緑茶持参を昔友達に笑い話にされたことがあったが、生地目も似たような弁当に、温かいお茶を持参していた。サクラは言葉にしなかったが、居心地の良さを噛みしめた。途中で生地目の友達が来て、昼食を一緒に摂ることになった。「いい?」と訊いた友達は、この前生徒会長と緑の兄、その彼女の三角関係を匂わせたうちの一人で、少し気まずそうにしていたが、サクラは敢えて笑顔で「一緒に食べよう」と迎えた。生地目の友達が安心した顔をして手を洗いに行く間に、生地目は「そこ、見習う」と言って、二人で笑った。三人での昼食は、気まずくならないよう、三人共通の話題が中心となり、その中で生地目の友達が執行部の分担で、サクラと同じ昇降口だとわかった。
 昇降口奥の受付テーブルに控えるのは執行部の委員長と副委員長、並びに二年生の三名で、その他の一年生、二年生は校門から昇降口、説明会会場の体育館前、体育館内の持ち場に立つ。
 昇降口で生地目の友達と合わせて「こんにちは」とお辞儀をして、中学生を迎える。この時期の中学生は中間テストを控えていて、まだ内申が出ていない。学校と塾、模試と忙しく、その合間を縫って学校説明会に来る、とても緊迫した時期を迎えている。その緊張を少しでも和らげようと、サクラは思う。
「あの、」と一人の女子中学生がサクラに声をかけた。
「はい」
「すみません、上履きを忘れてしまいました」
 サクラは昇降口横にあるスリッパを取り、中学生が履ける向きに揃え「どうぞ」と示した。生地目の友達が靴を入れるビニール袋を差し出す。
「ありがとうございます」と安心に涙ぐみそうな顔の中学生は深々と頭を下げ、小走りに中へと入って行った。生地目の友達と目が合い、どちらともなく、微笑する。
 その後、説明会が開始されたところで「すみません、塾が終わって来て、遅れてしまいました」と駆けこんできた中学生を迎え、生地目の友達は奥の受付を教え、サクラは体育館担当の執行部のところへ座席案内を頼みに走った。
 執行部員は手際よく暗くなった体育館の通路から中学生を案内してくれた。持ち場に戻ろうとしたサクラを、体育館にいた執行部員が呼び止めた。
「副会長から伝言。『大喜利、見てください』って」
「はあ」とサクラは頷いた。
 持ち場に残っている生地目の友達が気にかかったが、大喜利の時間はそれほど長くはない。戻ったら謝ろうと思った。
 ちょうど幕が上がり、高座に並んだ生徒会役員がスポットライトを浴びている。執行部員と一緒にサクラは拍手した。
 進行役の藁里が、台本通りの挨拶をする。
 生地目は姿勢も改善されており、ほかの生徒会役員もきれいな正座ができている。サクラはほっとし、生地目に心の中でエールを送る。
「では、生徒会役員の紹介をいたします。まず、生徒会長の多田師くん。多田師くんは真面目で、生徒会一熱心です。特に学校生活が気持ち良く送れるよう、挨拶や所作に気を遣い、理想の女子は所作の美しいこと。入学当時は理想の女子を探すために、中学時代の同級生の女子を巻き添えにして文化部の見学もしたという一面もあります」
 台本と違う、とサクラは藁里を見た。体育館のあちこちから笑いが起こり、聞いている人の大半はこれもネタだと思っているようだった。
「しかし、まあ、そんな多田師くんの理想を追う姿勢が昇華し、今日このような発表ができるようになった所存でございます。挨拶や正座などの所作にも気を配る我が校の一端を、こちらの生徒会役員からご覧いただければ幸いです」と藁里は結んだ。
 ここからは台本通りの進行だったが、サクラの中では藁里の言葉が大きく繰り返されていた。中学時代の同級生の女子を巻き添えにして部活の見学をした、ということは、付き合っていたわけではない、ということらしい……。
 良かった、という思いは、まず兄の彼女さんが生徒会長の元カノでなくて良かった、ということ、そして生徒会長に事実確認をしに行った際に『どうして?』と質問で返された時の答えに困る事態にならなくて良かった、というのがあった。
 多田師を大人な感じでいいな、と思ったのが最初だったが、今はそれだけではない。けれど、隣に並ぶには、まだまだ自分には足りないことがあると思った。だから、今うっかりその理由を言うようなことにならなくて、良かった……。


 大盛況のうちに幕を閉じた生徒会の大喜利に続き、吹奏楽部の演奏が始まり、サクラが持ち場へ戻ると、もう執行部はこの後の校内見学の準備に取りかかっていた。
 説明会が終わった後、体育館の座席を列ごとに分け、複数のグループが勝ち合わないように別のルートごとに校内を案内する。説明会が終わる十分前までは受付の執行部員以外は休憩となったので、サクラは生徒会室に行き、生地目をねぎらいつつ、生徒会役員の着物を畳むのを手伝った。
 そこへ藁里が来て、サクラは「大喜利、良かったです」と伝えた。
 藁里はサクラが藁里からのメッセージを受け取ったことを確信し、笑った。
「藁里先輩、この前、私と須和理田さんが正座の練習をしている時、生徒会室に来ましたか」と生地目が訊くと、藁里は「どうだったかな」と言って逃げた。多分、立ち聞きされていたのだと思う。けれどそれをあんなかたちで示してくれたところが藁里、という気がした。そんな藁里をとても誇らしげに、そして特別な視線で見ている生地目にサクラは気付き、何となく、嬉しい気持ちになった。
「みんな御苦労さま。この後校内案内をやるからよろしく」と多田師が生徒会室に入って来た。そして着物を畳んでいるサクラに「須和理田さん、おかげさまで大喜利、成功しました。お礼、何がいいか考えておいてください」と言った。
「お礼はもう、藁里先輩からいただきました」と答えたサクラに、多田師は不思議そうな顔をした。


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