[89]正座の高校訪問


タイトル:正座の高校訪問
発売日:2020/05/01
シリーズ名:某学校シリーズ
シリーズ番号:10

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:76
定価:200円+税

著者:虹海 美野
イラスト:時雨エイプリル

内容
某瑛高校の一年生麦田潔は、物事の決定権を女子に委ねつつあるクラスの男子を見て危機感を抱き、生徒会役員になる。
しかし生徒会室訪問初日に一人だけ正座をしていなかったことを指摘されたことに始まり、その後も先輩からの厳しい発言があり、潔は生徒会役員としての自信を失いかける。
そんな時、某瑛高校で生徒会役員をしていた卒業生の護利ナコと天城ユイコが学校で講演会をすることになり、生徒会は二人をお出迎えするが……。

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本文

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 私立某瑛高校に秋がやって来た。
 某瑛高校一年男子の麦田潔は、二学期に入った校内の廊下を伸びをしながら悠々と歩く。
 新学期早々、約二週間で文化祭という今の時期は、校内のどこもかしこも充実感に満ちた忙しさだ。
 潔は昇降口前のラウンジに降り、自販機でお茶を買って一息つく。周囲では文化祭に向けての打ち合わせなどをしている生徒たちが席を立っては、また別の生徒たちがやって来て、潔はそんな様子を一人眺め、おもむろに席を立ち、階段を上がる。
 潔の入学した某瑛高校は、何年か前まで女子高だった。
 某瑛高校の周囲には昔から二校の女子高があり、それぞれ勉強、スポーツに抜きんでていることで有名だ。そして某瑛高校はお作法、お茶、お花の授業があり、昼食は食堂で皆で給食をいただく。多くの高校で細かな教育指導が尊ばれているが、殊に某瑛高校は対応が丁寧で、先生、生徒が優しく温かい、ということで有名である。それに加え、共学になる際、某瑛高校はこれまでの附属大学へのエスカレーター式の進学のみならず、国公立大学を視野に入れた他大学への受験にも対応したカリキュラムへと大幅な変更を行った。この時、お作法、お茶、お花の時間を減らすことも検討されたらしいが、生徒の要望により今日まで、お作法、お茶、お花の授業は変わらぬ単位数、内容で行われているという。
 校舎は至ってきれいで、廊下には生徒の作品である生け花も展示されている。
 生け花といえば、女子が得意で男子は苦手という先入観が潔にはあったが、この学校の廊下で展示される作品には、結構な割合で男子の作品が含まれている。時には男子の作品の割合の方が高いこともある。そして春の体育祭で指揮を執り、大活躍を見せる多くは女子だった。保護者席からも、『この学校は女の子が元気で男の子が優しくていいわね』なんていう内容も何度か聞こえた。
 おおまかに見れば、微笑ましく、これがこの高校、と捉えればそれでいいのだろう。
 だが、入学した教室内でざわついていた男子のクラスメイトは、次第に女子にさまざまな決定権を委ねるようになってきたように潔には思われた。
 それは理想的な役割分担とは少し違い、本来なら発揮できる能力を男子が出さなくなってきたような印象があった。
 危機感というほど大げさなものではないが、潔の中では、このままではよくない、という思いが確かにあった。
 そして、そう思うと、何かしよう、せっかく高校生になったのだし、と前進を試みるのが潔の性格であった。
 そんな時、生徒会役員募集を見た潔は、早速生徒会役員に立候補し、生徒会役員の一員になり、現在に至る。
 一学期は正式に生徒会役員になる以前に、役員希望でとりあえず話を聞きに行った一年生は全員、生徒会役員選挙と同時に行われる生徒総会の資料作りに駆り出され、その全員がそのまま生徒会役員になった。今年の生徒会役員一年は潔を含めた男子が二名、女子が三名だ。一部の部活を除き、校内の団体は三年生が一学期で引退する。生徒会も例外ではなく、親切で大人な雰囲気の三年生は一学期までで引退した。そして二年生、一年生の新体制での生徒会が始動した。二年生は昨年と同じメンバーで、男子が一名、女子が五名だ。
 生徒会立候補演説で、「この学校の男子の本来の力を引き出したい」と大声で訴えた潔だったが、開票までの間、票数が足りなくなるのでは、と内心不安だった。しかし、実際のところ、その訴えの後に校内で女子から何か厳しいことを言われる事態もなく、無事に生徒会役員として認められる分の票数を獲得できた。そんな潔に気づいていたのか、生徒会役員二年の茶川慈は、「うちの学校の女子は、そんなに了見狭くないから」とあっさり言い放ち、潔は「茶川先輩なんかが、入れてくれないだろうなと思いました」とつい言い返した。
 慈は表情を変えず、「私、一人前に仕事できるやつしか視野に入れてないから」と言い、さっさと仕事に取りかかったのだった。
 あの時の悔しさを潔はまだ覚えている。
 そもそも、慈とは初対面から相性の悪さを感じていた。
 初めて生徒会室を訪れた際、それなりの緊張を抱いてドアを叩いた潔だったが、生徒会役員は何やら忙しそうにしていた。
「麦田潔と申します。生徒会役員立候補のために伺いました」と、気合を入れた挨拶も場違いだったと後悔するような、雑多な雰囲気だった。
 この日、生徒会役員に立候補したい、と訪ねて来たのは潔だけで、ほかの一年生が来たのは翌週に入ってからだった。後になって聞いたところ、みんな生徒会がどのような感じか様子を見たり、ほかに立候補する仲間はいないかと周囲を覗ったりしていたのだと言う。そういう考えが潔にはなかった。思ったことを実行する、周囲に囚われない、というのが潔は自身の長所だと考えていたが、如何せん早計すぎた、という思いはさすがにこの時は過った。
 ただ男子が本来の力を発揮をできる学校を、という思いだけがあって、具体的に生徒会に入っての仕事は一年を通して何があるかとか、どういう面が大変であるかとか、どういった利点があるかとか、そういった少し俯瞰した見方を全くしていなかった。
 それにより、生徒会室入室後、いきなり来たことを後悔する事態に陥った。
 雑然とした生徒会室で立ち尽くしている潔に、忙しそうにしている生徒会役員が手前の机から椅子をわざわざ持って来てくれ、申し訳なさそうに「ごめんなさいね、少し待ってもらえますか」と座るように言ってくれ、「これ、去年までの活動記録です。一応参考に」と、生徒会活動ノートを渡されて、ようやく身の置き所を得て時間の過ごし方を与えられ、ほっとした時点でもう失敗だったと思う。ここで一人黙々と活動記録を読む集中力もなく、潔は忙しい今の状況に加われる機会をうかがっていた。そして、「この資料、もう先生に返さないと」という言葉で立ち上がり、「あの、僕行って来ます」とようやくできそうなことを見つけたのだった。
「本当? いいのかな。助かるけど」と先輩は、三冊の資料を潔に手渡す。
 しかし、その先生がいるのは職員室ではなく進路指導室で、結局その場所を説明してもらうのに時間を取った。
 ああ、何をやっているんだ、と潔は思いながら、まだ不慣れな校舎を歩き、どうにか進路指導室の先生に資料を届けた。
 正直なところ、もうこのまま帰りたい、とすら思った。
 またあの忙しさの中で手持無沙汰はさすがにしんどい。
 しかし、戻ってみると仕事は一段落したようで、女の先輩が生徒会室の真ん中にあった会議用の机を移動させ、唯一の男の先輩がお茶を入れていた。男の先輩が「どうもご苦労様でした。お茶が入ったのでどうぞ」と生徒会室の奥を見遣る。
 そこは上り框になった座敷だった。さっきは忙しい先輩たちを前に室内を観察するのも憚られ、床ばかり見ていた。
 手分けして片付けを終えた先輩たちが座敷に上がって座るのを確認してから、最後に潔は「失礼します」と言って、座った。
「忙しい日でごめんなさいね」と言いながら、先輩たちは「どうぞ、どうぞ」とお菓子も勧めてくれる。
 潔の分のお茶も用意していてくれ、各自学校に置いているらしいカップの中に紙コップに入れたお茶があり、それを潔の前に置いてくれた。
「すみません」と「ありがとうございます」をひたすら繰り返す潔に、三年の先輩たちが中心になり、この高校の先生のことやテストのこと、学校行事の楽しさを話して聞かせてくれた。そのうちに、潔の出身中学校のことや、部活はどうするのか、好きな授業は何かといった質問を始めた。
 結構この雰囲気に溶け込めている、と潔が思った頃だった。
「麦田潔くんはお作法の授業はもう受けましたか」
 慈がふいにそう切り出した。
「あ、はい……」
 だいぶ打ち解けた表情で潔はこの時頷いた。
「お作法は特に、苦手ではない?」
「まあ、これといって困ることは……」
 何を慈が訊きたいのかわからず、潔は曖昧に答える。
 これはお作法の授業で正座がきつかった、という某瑛高校ならではの話題だろうか、ならば嘘でも足がしびれました、とでも言っておくべきだったか、と潔は考えを巡らせた。
「お作法の時間、先生の前でだけ正座を真面目にやって評価をもらえればそれでいいと思ってる?」
 抑揚のない声で続けられ、潔は相手の意図がわからなくなる。
「え……」と、発したきり、言葉に詰まる。
「自然と美しく正しい立ち振る舞いができるように、というのがこの学校のそういう授業で、単位取得だけが目的ではないと私は思うけど、麦田くんは違うの?」
「そんなことは……」
 なんだか嫌な雰囲気になっていることと、それが全くそのつもりはないが自分の言動によるものらしいということは潔にも理解できた。どうにか打開策をと思いながら、ここの人たちは、『なんだかわからないけど、不愉快にさせていたなら謝ります。ごめんなさい』で納得しそうもないことも早々にわかっているので、じりじりと焦りながらもどうにもできない。また、ここの人たちは必要と判断した時には手を差し伸べてくれるらしいが、逆に言えば必要ない、自力で切り抜けろ、と判断した時には手を差し伸べてはくれないらしいということも、この重々しい沈黙が続いていることからわかる。
「背筋を伸ばす。肘は垂直におろして。太ももの付け根と膝の間にハの字で。脇は閉じるか軽く開く程度。膝はつけるか握りこぶしひとつ分開くくらい。足の親指は離れないように。女子はスカートをお尻の下に敷いて」
 慈はすらすらとそう言い、潔を見た。
 急に何を言い出したのかと、潔は困惑する。困惑しながら慈の言葉を反芻し、「あ」と思い至る。
 周囲の打ち解けた雰囲気の中ではあったが、潔以外が全員正座をしていた。
「志とか、気持ちももちろん大事ですけど、それに伴う心がけも同じようにしてください」
 きつい口調だった。
 潔は内心、先ほど親切に話題を提供してくれた三年生がそろそろ間に入ってフォローしてくれるのを期待したが、皆困ったような顔をしたものの、何も言わない。普通、こういう場では、『まあ、正座って慣れないとしないよね』とか、『まだ入学したばかりだから』とか、そんな言葉を出し合って雰囲気を和らげるものだと潔は思っていた。しかし、ここは仲良く、穏便に、というのが暗黙の了解の教室とは異なり、立候補者のみで運営される生徒会だった。慈の言うことが正しい、そしてこの場で皆が慈のように思っていたから、誰も適当なことは言わない。潔の出方を待っている。
 もう半分仲間のようなつもりで話していたこの十数分、生徒会役員はまず潔がどのような心づもりでいるかを何も言わずに観察し、失望していたのではないか……。
 某瑛高校に入学し、中学校の仲間以上に人あたりがよく、気遣いのできる新しい友人とばかり接していた潔は、その一方でずいぶん自分に対する注意が削がれていたと気づく。まだ高校に入学して日が浅く、それほど込み入った人間関係は築いていないが、このままでいれば、知らない間に友達だと思っていた誰かの心の負担になり、それに気づかないままになったかもしれない。そう思うと、今日この場へ来たことは、今の経験だけでも余りある気がする。
 潔は正座をし、「今度から気をつけます」と小さく言った。
 この後三年生が生徒会の年間を通しての仕事について簡潔に教えてくれ、次回の定例会の日を告げた。
 注意は受けたが、一応次回も呼ばれたことにまずは安堵した。
 どこかで真面目な態度で行けば歓迎してもらえると思っていた甘さを潔は猛省する。
 いや、真面目な態度ではなかった。
 真面目な態度のつもりに過ぎなかった。
 しかし一方であの時のことを思い出すと、自分の間違いを慈が正した、ということはわかるのだが、どこか解せない気持ちが残る。あれほどしっかりした生徒なら、もっと別の言い方もできるし、柔軟な態度も取れるはずだ。それを敢えてしないあたりに、どうにも潔は腹立たしさを覚える。
 あの時、何か言い返せばよかった、とも今でも時々思う。
 けれど、結局、それはできなかった。
 生徒会の活動が開始され、暫くした頃、映像研究部という部の部員が生徒会室を訪れ、取材をさせてほしいと言った。放課後に生徒会役員が集まって生徒会についての話をするようなものだと思われたが、映像研究部では現時点から文化祭当日までを通し、生徒会の活動を撮影し、それを編集したいのだと言う。ほかにもいくつかの部活などが候補に挙がっていて、現在交渉中なのだとか。一応生徒会と顧問の先生で相談してから返答、ということで返事は待ってもらったが、生徒会役員の中で異議を唱えるメンバーは最初からいなかった。まあ、二年生が概ね賛成なら、それでいいのだろう、というのが潔の本音だった。多分、ほかの一年生も同じだったと思う。
 しかし、取材の了解が得られた映像研究部の活動は思いのほか頻繁で、もっと言ってしまえば執拗だった。
 生徒会室で定例会がある日は、会が始まる前から撮影を始める。
 一年生はなんだか落ち着かなかったが、二年生は堂々としたものだった。いつもと変わらない態度、口調でいる。
 文化祭までまだ余裕がある一学期に、昨年の反省点、改善点を挙げる際には、様々な意見が出た。
 二年生からは、映画や演劇などの途中退出への対応策が出され、そこで慈が一年生を見て「意見は?」と尋ねた。昨年は潔は中学生でただの来校者の一人の立場だった。ここで言っていいものか、と迷う。取材がなければ言い方に気を遣わなくてもいいが、これがどういうかたちで編集されるのかわからないと、発言するのが躊躇われる。
 生徒会室にしばし沈黙が流れる。
 潔の思いを見破っていたらしい慈はふいに「カメラ意識しない! ちゃんと意見を言う!」と一年生を叱責した。
 ぴしり、と稲妻のような緊張が走る。
 一年生は慈の叱責で完全に下を向いてしまった。
「取材されているからって言えないような意見なら、初めから言うほどではなかったとこれまでを反省してください」
 重ねられた言葉に、更に重い沈黙が訪れる。
 潔は膝に置かれた手を握り、「あのっ」と声を発した。
 一堂が潔に注目する。
 二年生はすでに慈のこうした態度に慣れているのか、取り立てて緊張した面持ちではなかった。
 一年生は救世主を見るような視線を潔に向ける。
「僕は去年中学生だったので、来校者としての、途中退出をする中学生の立場に限った意見でいいですか」と前置きした。
 慈は眉一つ動かさず、「さっきからそれをわかった上で意見を聞いている。どうぞ」と頷いた。
 潔は、中学生が途中退出をする理由として、文化祭の日程が他校と重なり限られた時間の中で複数の高校を回ることや、一校のみの見学でも友達と行けば友達の見たい団体との調整もあって発表の時間枠全てを見たくても見られない場合もあること、またこの時期は模試や塾の補講が入ることもあって二時間も学校に来られればいい方という例を挙げ、だからつまらないからとか、途中退出してもいいとか思っているわけではない、都合により仕方なくという場合もあると説明した。
「それで?」と慈は訊く。
「え?」
「それで、来校者と今この学校の生徒になっての両方の立場から、どうすることが望ましい、そこまで到達していないなら、どういう方向で改善してほしいと思っている?」
 ここで潔は答えに詰まる。
 慈の問いに答えられない悔しさに加え、この場面を撮影されているという屈辱も加わる。
 立候補する時に、あれほど声高らかに『この学校の男子の本来の力を引き出したい』と言ったのに、この有様……。
 ここで二年生が一年生からこれ以上の発言がないことを察し、時間の関係で途中退出する人への対応策として、発表前のアナウンスで途中退出者への注意点を伝える、アンケートなどは途中までの観賞でも可の団体はその旨を記す、体育館など大きな発表の会場では発表の間も出入り口にできるだけ関係者を配置する、といった案が出されたのだった。
 また、駄目だった……。
 この時、潔は内心大きなため息をついた。
 そしてその後の定例会などにおいても、似たようなことは何度かあり、そのたびに潔なりに意見や考えを伝え、できることを頑張り続けているが、慈はそのずっと先にいる。
 到底敵いそうもなかった。
 そうして今日も生徒会室へ着いて早々、慈に「遅い」と言われた。
「すみません、ホームルームが長引いて、さっき終わって急いで来ました」
 潔はラウンジで一息ついていたことは言わず、適当な理由を述べてみる。
「五分前に麦田くんのクラスの担任に会ったよ」
 慈の抜け目ない指摘に潔は黙る。
「これからお隣の文化祭実行委員のところで打ち合わせ。のんびりしているのもいいけど、こっちの活動も忘れないで」
「……はい、わかりました」
 潔の返事を待たず生徒会室を出て行く慈を追い、潔は鞄を机に置き、筆記具を持って文化祭実行委員室へと急ぐ。


 机の上の段ボールにさまざまな備品が山積み状態の文化祭実行員室で、打ち合わせが開始される。
 主に文化祭実行委員の説明を生徒会の役員が聞くのだが、その途中でも慈はいくつか質問をした。
 それは「ああ、言われてみれば」と潔からすれば思うことがほとんどで、けれど当日に知らなければ若干手間取るようなことばかりだった。実行委員長と慈は会ってすぐに「今年もよろしく」と言い合っていた様子から、昨年も実行委員と生徒会役員として互いに助け合って活動してきたことがうかがえた。
 慈の質問を挟みながら改めて確認を行っていると、映像研究部がやって来た。来たのは部長をしている二年生で、いつも生徒会室に取材に来ている二年の女子部員とは別の人だった。映像研究部の部長はとても大人しそうな人で、取材に来ている気の強そうな女子部員とは感じが違う。どうしてこうもこの学校は女子ばかりが強いのか、と潔は内心ため息をつく。映像研究部の部長は、映像研究部の部員の人数が少ない状態で文化祭当日には参加団体全てを撮影したいので、分担する準備を先にしたい。タイムテーブルを見せてはくれないかと、たどたどしく頼んだ。しかし、この部長の頼みは、ひとつの部にだけ先に教えるのは不公平、ということで却下された。がっかりしながらも、どこかでその返答を予期していた様子の映像研究部の部長は、すぐに引き下がる。
 もうちょっとうまくやれないのかな、と潔は思う。
 自身も要領のよい人間ではなく、まだまだ発展途上なことは嫌というほど慈の言動でわかってはいるが、時と場合によっては正面から頼む以外の方法を取った方がお互いのため、ということもあることくらいは潔にもわかる。
 現に奥のホワイトボードには、教室以外の場所を使用する団体名、時間がおおまかに記されていて、こんなの備品を借りに来たとかなんとか言いながら、さっと見て行けばいい話だと思う。まあ、あれだけ俯いていては気づかないのかもしれないが……。多分、断った文化祭実行委員も黙って見て行ってくれればいいのにと思っているはずだ。訊かれて答える、先に一団体だけ教える、ということは些細なことであってもほかの団体との扱いに差が生じると判断し、文化祭実行委員は断った。けれど、用事があって文化祭実行委員室に来たらホワイトボードの内容が見えた、と言えば、文化祭実行委員としても、一団体だけ先に教えたことにはならない。
 タイムテーブルの問題を通りこし、この部長でこの部は大丈夫なのか、と潔は心配にすらなる。
 その時、生徒会仲間で話していた慈が実行委員に中庭での三団体の発表を代わりに撮影してやれないのか、と言い出した。『助っ人』としてほかの団体が発表や裏方を手伝うのはよくあることなので、これは公平性の上での問題はない、という考えらしい。
 文化祭実行委員は中庭のすぐそばに位置する校舎の入り口のところで受付の仕事がある。だから、何人かで受付を担当するのであれば、事前に団体がどのような発表をするのかもわかっているのだから、見せ場となるようなところを撮れないか、と言うのである。
 まさか、と思ったが、文化祭実行委員はそれを承諾した。
 それどころか、生徒会の二年生が口々に自分のクラスの発表を代わりに撮影しておく、と名乗りを上げたのだ。
 その場にいた先生から、短時間の撮影でも取材の腕章をつける、本来の仕事を優先する、などの注意事項が確認され、映像研究部の部長は何度もお礼を言って部室へと戻って行った。
 意地が悪いとばかり思っていた慈のずいぶんと親切な計らいに、つい慈の方を見ていた潔の視線に気づいたのか、それとも単なる独り言かわからないが、「あの部長、頼りないように見えて、実はすごく芯がある。ああいう強い人は応援したくなるんだよね」と言ったのだった。
 大丈夫なのか、と潔ですら心配していたあの映像研究部の部長を慈が買っていることを知り、潔はどこか腑に落ちないような、悔しいような、そんな思いを抱いた。


 慈にも一応はいいところがある、と映像研究部の一件を思い返していた放課後、生徒会室に行くと、生徒会役員が総出で古い箱を空けていた。箱の横にはノートが積み上げられていて、ホワイトボードには、生徒会の活動期間を示す数字と二名の名前、『護利ナコ』、『天城ユイコ』と大きく書かれていた。
「今度は一体なんですか」と潔が訊く。
「文化祭翌日、午前中が片付けでしょう? それで、午後がホームルームだったんだけど、急遽卒業生の講演会が入ることになったの」
「あ、そうなんですか」
 呑気な潔に苛立ったのか、普段穏やかな二年の女子の先輩が「その卒業生、昔生徒会やっていた人なんだって。今は小さいけど、急成長していることで有名な会社のプロジェクトのひとつのリーダーとサブリーダーになってて、最近新聞にも出たらしいすごい人たちなの。その二人を講演会の後、ここにお招きして、お話をすることになったって、ついさっき先生が言いに来て……」と説明し、途中でほかの先輩が生徒会顧問の先生の名前を珍しく呼び捨てにし、「なんでもっと早く言わないのよ」と怒気を含んだ声で言い、「せめてもう少し余裕のある日にするとか」とこれまた珍しく、大人しい男の先輩も続いた。
 とんでもなく忙しく、疲労困憊な時にわが校としては、結構重要なお客様を生徒会でお迎えする、ということまで潔は理解できた。
「それで、今は何を?」
 その潔の問いに「だから、生徒会だった二人と話すのに、当時の活動を知らないのは失礼だから、当時の活動記録ノートを総出で探しているところ。二人とも一年生から三年生まで活動していたから、一年の前期、後期から三年の前期までで五冊のノートを探しているんだけど、二冊見つかってないの。活動期間はホワイトボードに書いてあるでしょう? ついでに同時進行でこの散らかったノートの山の片付けもやって。あと、来週は一度掃除するから」と早口の回答が飛んでくる。
「よくわかりました」
 潔はそう答え、探している活動記録ノートの年を確認し、作業に加わった。
 文句を言いながらも義理堅く、真面目なわが校らしい、と思う。
 開けた箱の中の活動記録ノートを順に確認していくと、ノートの中に二冊のノートが挟まっていた。
 潔は探していた活動記録ノートが第何期生徒会のものかを確認し、中を開く。
 中には大きな字で書いたタイトルとそれをフリーハンドで囲った薄くなった蛍光ペンの黄色、その下に整然と並んだ文字、そしてその下に『報告』と定規を使用して囲われた文字と箇条書きにされた文章。先に書かれたタイトルから下と、『報告』は別の人が書いているのがわかる。そして表紙裏に書かれた生徒会役員の名前。そこに天城ユイコと護利ナコの二名を見つけた。
「ありました!」
 俯いて作業していた生徒会役員が一斉に顔を上げた。
「どこにあった?」と訊かれ、潔が別のノートに挟まっていた、と告げると、「ちゃんと片付けなかったの誰よ」と皆がぼやく。
「麦田くん、お手柄。じゃあ、皆さん、箱の撤収作業に入ります」
 二年の女子の先輩の号令で、一斉に片付けが開始される。
 ついでに箱には何期から何期までの活動記録ノートが入っているかを記したシールを貼り、古いものから順に仕舞っていった。


 慈に以前生徒会室に来るのが遅いと言われたことを根に持ち、潔は定例会のあるこの日、ホームルーム後すぐに生徒会室に向かった。もうどこの教室、部活でも文化祭に向けての追い込み時期で、早々に教室を出るのは気が引けたが、心優しいクラスメイトは「生徒会頑張って」と気持ちよく送り出してくれた。明日は今日の分もクラスの方で頑張ろうと潔は思う。
 生徒会室には二年の男の先輩が一人来ているだけだった。
 これで慈に勝ったような気分になっていたところへ、男の先輩が「これ、もうほかの生徒会の人は全員読んだから」と、この前探した文化祭翌日にお招きしている卒業生二人が在籍していた頃の生徒会活動記録ノート五冊を渡してくれた。
「ありがとうございます」とノートを受け取る。
 来たばかりで、じっくりノートを見る気分でなかった潔はノートを鞄に入れ、先輩がコピー機の用紙補充などの作業をしているのに気づき、それを手伝ったり、ホワイトボードを拭いたりしながら、「茶川先輩って一年からああなんですか」と訊いてみた。
 生徒会室でいつもひっそりと事務作業をしたり、お茶を入れたりしているこの男の先輩なら、潔の慈への不満を理解してもらえる気がしていた。これまでこの先輩と二人でこんなふうに一緒にいることがなく、慈のことを質問することを考えもしなかったが、思ってもみないこの機会に訊いてみたくなった。
 潔は苦笑する先輩を想定していたが、先輩の反応は違った。
「『ああ』って?」
 そう訊かれ、潔は少し困惑した。
 いつもの慈のきつい態度のことだと、この先輩が気づいていないわけがなかった。
「『ああ』って、高校二年生の茶川さんが人の何倍も頑張って仕事をして、細かいことにも気づいてすぐ対応できていること?」
 しん、と空気が冷えた。
 潔は何も答えられない。
 先輩が続ける。
「それとも、茶川さんの口調や態度に対しての批判の意味での『ああ』ということ? もしそうだとしたら僕は今の質問以前の『ああ』の部分ですでに同意しない。あれだけ頑張ってやって、生徒会以外の人への接し方ならまだしも、同じ立場で頑張っているはずの生徒会の仲間にまで気づかいまでしろって思うなら、僕はそれを求める側の方に理解を求めたいよ。だったら、茶川さんが余裕を持ってやっていけるだけの仕事を自分がやった上で言ってほしいと思う。それに茶川さんは、嫌がらせをしているわけではないよ。配慮が必要な状態の人にきつい言い方はよくないけど、一年から一緒にやっていて茶川さんが、そういうところで配慮に欠くのを少なくとも僕は見ていない。逆に、茶川さんは嫌われ役を買って出ていて、更にそれは相手のためであり、全体のためであって、すごく損をしているといつも思う。だから、僕や、きっと二年の生徒会役員はせめて茶川さんを理解している立場として、できるだけのことはしようと思っているよ。なかなか追いつかなくて、申し訳ないと思うことが多いけどね」
 ……日ごろの慈からの言葉の何倍も堪える言葉だった。
 言い方は穏やかだったが、その穏やかさがこの先輩の冷静さを伝え、冷静にここまで言うということは、潔の思っていることを概ねわかっている上でこの先輩が言わずにいたことを伝えたと物語っている。
 けれど、潔にも言いたいことはあった。
「……茶川先輩とどういうふうに生徒会でやってきたか、僕はまだ少ししか知りませんけど、茶川先輩が今高校何年だとか、仕事がどれだけできるかと、まだ一年生が生徒会に慣れていなかった当初からきつい言い方をするのは別だと思います。仕事ができるからって、それが許されると思わないし、現に定例会で茶川先輩がきついことを言うと一年生は何も言えてないですよね。それは負利益だと思いませんか?」
 潔は思ったことを言ってみた。
 先輩は少し困ったように潔を見て、「それは個人的な話? もし生徒会での話なら定例会の時に言った方がいい」と潔の質問には答えなかった。
「……すみません、今日、早く帰らなくてはいけないので、これで失礼します」
 潔はそう言って鞄を持ち、生徒会室を出た。
 そんな潔に先輩は、「活動記録ノート、読んでおいて」と声をかけた。
 こんな時に言うのはそれか、さすが茶川慈の親衛隊と潔は不貞腐れた気持ちで思った。


 潔が生徒会の定例会を欠席した翌日、一緒に生徒会をやっている一年の男子が潔のところへ来て定例会の内容を簡単に説明してくれた。二年の先輩は、潔は早く帰らなければならない用事があったらしいが、その前に生徒会室に来て片付けをして行ってくれたと皆に言ったのだそうだ。
 朝のホームルームまで机で伏せっていると、友達が「どうした?」と声をかけてくれた。
 潔は「心が折れつつある」と短く答える。
 友達が「これ、あげるよ」と、潔に焼き菓子をひとつくれた。
「ありがとう」
 何やら上品な味で軽やかなお菓子だった。
 包まれていたパッケージを見て、デパートで売っている高級品だと気づく。
 こうしてもらうお菓子やお土産で、この学校は裕福な家庭の子の割合が高いと潔は思うことがある。
 美味しいお菓子に幾分心が力づけられ、潔は慈のことや、昨日の生徒会の先輩との一件をなるべく事実だけ並べるようにして説明した。
「まあ、その先輩たちが正しいのはわかるけど、腹立つ言い方や、こっちが弱気になる言い方をされれば、嫌にもなるよ。それにさ、何でも定例会で言えばいいってことでもないと思う。生徒会の人からしたら、そういうの陰口になると考えるのかもしれないけど、意見や解決策を求めているのではなく、ただ話して落ち着くこともずいぶんあるはずだよ。思うに、麦田くんのニーズを生徒会の先輩が理解していないってことじゃないかな」
 潔は顔を上げ、まじまじと友達を見た。
 友達は温和な表情で続ける。
「それにさ、今は色々思うところはあるだろうけど、麦田くんも根本的には生徒会の先輩を尊敬しているし、生徒会にも向いていると思うよ」
 友達の言葉にふっと潔の心が軽くなる。
 どこかで潔は生徒会役員の、一般の生徒と比較してのしっかりとした考え方や態度に圧されていた。
 置いて行かれないようにと思っていた。
 そして、クラスにいる友達がとてものんびりして見えてもいた。
 そのことにこの友達はどこまで気づいていたのか……。それはわからない。けれど、今日、この時までこの友達はそばにいて、こうして励ましてくれた。
「ありがとう」
 潔は小さく言った。
「いいよ。お菓子まだあるけど、食べる?」
 高級品で申し訳ないからいいと言うと、これはいただき物で家ではお菓子を食べる人がいないから学校で友達と食べなと渡されたので気にしなくていい、と友達は言った。そういうことなら、ともうひとつもらった。周囲に座っている女子にも友達はお菓子を「よかったら」と渡し、ふだん素っ気ない態度の女子が改まって「ありがとう」と言っているのを見ていた。
 この日のお作法の時間、潔は正座を褒められた。この日のお作法に限られたことではなく、生徒会室に行った初日、慈に正座のことを言われて以降、正座をきちんとする習慣がつき、毎回先生にお褒めの言葉をいただけるようになった。慈が関係しているだけに、潔は素直に喜べない。
「麦田くん、今日も、とても正座がきちんとできていますね。どなたかに指導してもらったのですか」と先生に訊かれた時には、さすがに返答に困った。
「皆さんも眠かったり、疲れているかもしれませんけど、麦田くんのように姿勢を正して、足の親指同士、離れないように、確認してみましょう」
 先生は穏やかに微笑んで、皆の正座を見て回る。
 潔の話を聞いて事情を知っている友達は後で、「生徒会の先輩だって答えてよかったと思う」と普通に言った。
 潔が複雑な顔をしていると、「言ってくれたこと自体が悪いことではなくて、こうして役に立っているんだから、それは普通によかったと思っていいことだよね」と付け加える。
 おっとりしているだけのように見えた友達が、思っているよりもずっと大人で落ち着いていて、そして優しいことに潔は気づいた。
「ねえ、今言ってくれたこと、僕にとってはそれこそ茶川先輩が言ったことより、何倍もためになった。こういうことをさ、もし今の先輩たちに僕から教えられるようになったら、それはお互いにとっていいことだよね」
 潔がはっとしてそう言っても、友達は「よくわからないけど、役に立ったならよかったよ」と、人の好さそうな笑顔をしているだけだ。そのことも、今の潔には救いのような気がした。
 潔は慈のようにもなれないし、生徒会の二年の男の先輩のようにも考えられないし、この友達のような物腰もできていない。
 けれど、それぞれから学ぶこと、そして周囲の評価は別として個人的に好ましいかどうかを知っていくことは、この先も何かしら必要になるのではないか、と思った。


 初めての文化祭は、想像以上に楽しかった。
 普段わりと大人しめで真面目な感じの某瑛高校だったが、クラス劇や発表の内容がそれぞれに面白い要素も入れて工夫されていて、その意外性がここのところ肩に力が入って、空回りの多い潔には風が通り抜けるような心地よい楽しさだった。
 自分のクラスの発表もしつつ、空き時間には生徒会の腕章をして、見まわりを行う。
 あちこちで写真を撮ったり、次の開演時間を知らせるプラカードを持って校内を歩いたりする生徒を見ながら歩を進める。
 途中、腕章をして撮影をしている映像研究部を見かけた。あの部長だった。目立たない印象の部長は後方から撮影をしている。クラス劇の終わりに大きな拍手が起こる。映像研究部の部長は撮影を続けながら、カメラ越しに、とても優しい、祝福の視線を送っていた。皆、劇に夢中で、この瞬間を撮っている映像研究部の部長に気づいていない。映像研究部の部長は自身の存在が気づかれないことを願うかのように、ひっそりとそこに居て、しっかりと奇跡のように楽しく、きっと思い返すたびに輝く時間を撮っていた。
 客席は外部のお客さんも多いが、某瑛高校の生徒も多かった。
 某瑛高校の生徒は正座をして観劇している割合がとても高いこともあってか、満員の客席はそれでも一人一人のスペースはそれなりに確保できていた。横並びの列も、縦から見た間隔もほぼ統一されている。お作法の時間、生徒は正座をしているので全体を見渡すことはないが、お作法の先生はいつも様々な角度から生徒を見ているのだろうと潔は思った。お作法やお茶、お花の時間ではないが、ここにいる某瑛高校の生徒の正座はやはりきちんとしていた。
 これもこの学校の教育の賜物か……。
 室内が明るくなり、ゆっくりと観客が立ち上がり、退場を始める。
 正座からの立ち姿も、順番を待って澱みなく前進する様も美しい所作だった。
 映像研究部の部長は時計を確認し、教室を出る人の列に沿って歩く。多分、次の撮影予定があるのだろう。そこへ外部の中学生が何かを尋ねる。隣の校舎を指している説明から、場所を訊かれているのがわかる。潔は見兼ねて、「生徒会です。よかったらご案内します」と声をかけた。顔をあげた映像研究部の部長が会釈する。
「校内の案内なら生徒会で引き受けられますから」
 潔はそう言い、さりげなく映像研究部の部長を促した。
 中学生を視聴覚室まで案内し、昇降口の受付を見ると、慈の字で大きく「落とし物」と大きく書かれた画用紙と、底の浅い箱が置かれていた。そこには自転車の鍵や電子マネーのカード、ハンカチなどが並べられ、どこに何時ごろ落ちていたかまでが記されていた。
「お疲れさま」と声をかけてくれたのは、慈と仲がよさそうだった二年の女子の実行委員長だった。
「お疲れさまです」と潔も一応返す。
「どうですか、初めての文化祭は?」
「楽しいです」
「生徒会の方は忙しくない?」
「まあ、僕は役に立つようなこと、あまりできてないですけど」
 生徒会での居心地の悪さや自信のなさから、潔はそう答えた。
「そんなことないよ。ほら、演劇とか映画とかの途中退出者の対応どうしようかって課題の時、麦田くんが意見出したんだって? それを素にこっちから対応策を各団体に出して、今年は途中退出者のために大きな音が入ったとか、戸が開いて急に教室が明るくなってっていうのが減ったって聞いてるよ」
「……そうだったんですか?」
「慈が言うから、嘘ではないでしょう。期待しているんじゃないかな」
「まさか、それは絶対ないですよ」
「まあ、慈はちょっと尖ったところあるから、長く付き合わないと難しいかもしれないけど、麦田くんに期待しているっていうのは、確かだと私は思うよ。ああいうきつくて嫌われやすいやつだけど、よろしくね」
「あ、いえ」と潔は小さく曖昧に返事をすることしかできなかった。
 そこへ「すみません、自転車の鍵、落としたんですけど」と中学生らしき女の子が来た。
 対応する実行委員長の先輩に会釈し、潔はその場を離れた。
 入り口奥のラウンジでは、映像研究部の短編アニメーションが流されていた。
 某瑛高校に入学して二年目からの生活を、ひっそりと優しく、そして暖かく描いた作品で、背景から視点に至るまで、普段アニメを観ない潔でもつい見入るほどの完成度の高い作品だった。
 生徒会への映像研究部の取材と、あの頼りない部長から、潔はあまり映像研究部に良い印象を抱いていなかったが、この作品を作った人たちだと考えると、捉え方が変わった。
 やって来た人たちも足を止め、映像に見入る。
 潔は人の出入りで乱れた映像前の椅子の列を正し、それとなく立ち止まって見る人に席を勧める。ラウンジに立つ人が奥から座り、通路が空く。
「すみません、ありがとうございます」
 顔を上げると映像研究部の、あの生徒会を取材している二年の女子がやって来たところだった。
「いえ」と潔は短く答える。
 奥のパソコンの前に控えていた部員も顔を出し、お礼を言い、潔は会釈した。
 二年の女子は「今代わるね」と、顔を出した部員に伝え、潔に向き直る。
「それと、取材の方もありがとうございました」
「あ、……いえ」
 今度は若干の間を置いて答える。
「必ず、いい作品にしますから。まだわからないですけど、完成した作品は校内で一度発表しようと思っています」
「あ、そうなんですか」
「楽しみにしていてください」
 ……全然楽しみじゃない。発表とか、もう永遠にしないでくれていいんだけど。
 潔はやや憂鬱な気分になりながら、帰っていく来校者のスリッパを箱に詰め直す作業に取りかかった。


 文化祭では二日目終了後に生徒と先生だけが体育館に集まり、後夜祭を行う。
 ここで投票上位の発表にはじまり、昼間のステージとは違った発表を吹奏楽部、ダンス部、有志の団体が披露する。
 仕切りは全て文化祭実行委員の仕事で、生徒会役員に仕事はなく、クラスの友達と一生徒として存分に楽しめた。
 教室に戻るとクラスの女子が部活で売ったクッキーの残りをみんなに配っていて、潔には「生徒会お疲れさま」と言い、友達には「この前のお菓子ありがとう」と潔ももらったお菓子のお礼を言っていた。ほかにもいくつかのおすそわけをいただき、放課後の教室内はちょっとした打ち上げのようになっていた。
 机と椅子をどかした教室で、お客さんの座る大きなマットに落ち着いたクラスメイトは皆自然に正座をしていた。四月からの半年、それほど多くはないお作法などの時間でも、やはり身につくものはあるらしいと潔は思った。
 その翌日に楽しさの余韻と疲れの両方を持ち越しつつ、使用した段ボールや画用紙の仕分け、備品の返却、掃除を行う。
 本来なら、この後は昼食にホームルームで帰宅の予定だったが、卒業生の講演会が入った。一般生徒にはホームルームでも体育館で卒業生の話を聞くのでもどっちでもいいのだろうが、それをお迎えする生徒会には一仕事である。
 昼食終了後即集合が厳守され、潔も昼食後生徒会室に直行した。
 結局掃除をする暇はなく、最低限の整頓までしかできなかった。
 それでも二年生がお花の先生に頼んで、生徒のできのいい作品を三点借りて来て、それを飾った。
 お茶も点てたものをお出ししようということになった。
 座敷の方は一年生が掃除機をかけ、座布団は短い昼休み中のみだが日に当てた。
 ここでふと顧問の先生が「そういえば活動記録ノートは?」と訊いた。
 皆が「読みました」と答え、潔はしまった、とノートの存在を思い出す。文化祭前に生徒会室で二年の先輩に渡された後、慈の話で解せない思いを抱き、実は持ち帰る気にもなれず、個人のロッカーに入れたまま読んでいなかった。
 潔は小さく、「すみません、僕が持っています。後で返します」と言った。
 職員室に行っていた慈が生徒会室にやって来て、「もうお見えになるから、生徒会役員は昇降口でお出迎え」と言い、全員が急いで来賓用の昇降口へ向かう。
 そこにやって来たのは、すらりとしたきれいな女性と、理知的な雰囲気をまとった小柄でかわいらしい女性だった。
 かわいらしい女性が「本日は文化祭でお疲れのところ、ありがとうございます」と会釈する横で、すらりとした女性は芝の上のバレーボールを見つけ、遊び始め、「生徒会くん、取るんだ!」と、二年の男の先輩の方に向けて軽くサーブする。
「えええ!?」と、真面目な二年の男の先輩は動揺し、反射的にそれを打ち返したのは慈だった。
「ナイス、柔軟な発想と心は、身体をほぐしてこそ! 元気な人は一緒に講演会の前にリラックスしましょう。無理な人は笑顔と声援をよろしく」と、すらりとした女性は言いながら、慈の打ったボールを受け止め、そこから更にほかの生徒会役員を巻き込み、バレーボールを始める。
「ユイコ、そのへんにしときなよ」とかわいらしい女性が言い、出迎えてくれた先生や生徒会役員に「ごめんなさい、ああいう人なの」と謝っている。
 その後ほんの二、三分、ボールを打った回数は一人一度か二度ではあるが、輪になってバレーボールをした。止めた理知的な女性も参加せざるを得なくなり、割と器用にレシーブでボールを返していた。
 そして気づけば、初対面でありながら、二人と生徒会役員はどこか打ち解けた雰囲気になるとともに、確かに凝り固まった肩の力が抜けていた。
 すらりとした女性はもう来賓の立場であったが、素早くボールを倉庫の籠にしまって来てくださった。
 そして、すらりとした女性があの短い時間、全員にボールが行き渡るようにパスを回したこと、誰かが外しても笑顔のままそれを全て拾っていたことで、一度もボールを落とさなかったと潔は気づいた。初対面の来賓お二方との突然のバレーボールに夢中だったほかの生徒会役員もそのことに気づいたらしく、やや視線を落としつつ、すらりとした女性の方を見ている。
 全員の内心を代弁するかのように「ただ者じゃない」と呟いたのは、慈だった。
 お出迎えの次は控室案内の予定だったが、二人はそのまま体育館へ行って構わないと言うので、ステージに案内する。
 壇上横から生徒会役員は講演を聴く。
 会社のプロジェクトのサブリーダーだとばかり思っていた小柄でかわいらしい女性は、プロジェクトのリーダーと紹介され、護利ナコです、と名乗った。そして、てっきりリーダーだと思っていたすらりとした美人はサブリーダーと紹介され、堂々とした様子で天城ユイコです、と名乗った。
 昔二人がこの学校の生徒会役員だったことは、長年この学校にいて、二人のことを知っている先生から紹介された。そして、天城さんは、生徒会役員選挙で投票者全員の票を獲得した、とんでもない人気を誇る生徒会長だったことも披露され、会場はざわめいた。
 二人の話は高校時代から始まり、当時の校則を変えたい天城さんが生徒会室に行き、それに同行したのが護利さんだった。そのまま生徒会活動に参加し、天城さんは当時の校則にあった女子の髪型の指定やアルバイトなどに関する規定を変えていった。それを支え、周囲への理解を広めたのが護利さんだった。卒業後、天城さんは国立大へ、護利さんはこの学校の附属大学にそれぞれ進み、就職活動の時、偶然同じ会社の採用試験で再会する。その会社に二人は入社し、昨年入社三年目にして社内で立ち上げられた新プロジェクトのリーダーに護利さん、サブリーダーに天城さんが決まり、現在に至る、という経緯だった。
 そして、この学校の中での暖かい人間関係の本質、この学校から他大学への受験、附属大学への進学、それぞれの大学の特徴、就職活動の決め手、今の会社に満足しているか、これからどうしていきたいか、といった項目別に話が進み、最後に二人から在校生へ向けた簡単な話があり、講演会は終了した。
 半分眠りながら聴けばいい、くらいに捉えていた講演会は予想外の素晴らしさで、高校生にとっては漠然とした未来が地続きの明るい世界へと変化をもたらすに余りある時間だった。
 そして全く無理をしていない、自然体の天城さんの様子と、常に理性的な口調と物腰でありながら今の会社の仕事と、一緒に仕事をする天城さんとの時間が楽しくて幸せで仕方がない、というのが伝わってくる護利さんの目は、全校生徒を引きつけたのだった。


 惜しみない拍手の中、ステージ袖に入った二人を、生徒会室にご案内する。
 二年の女の先輩がお茶を点てるため、茶道室へ向かった。
 生徒会室に入ると、二人は「懐かしい」とつぶやいた。
 座布団を敷いた座敷の奥へ座ってもらい、点てたお茶の前に麦茶をお出しした。
 生徒会の先生、二人を当時から知る先生も加わり、先輩が点ててくれたお茶をいただき、茶話会が始まった。
 話の中では、天城さんは入学当時から勉強も運動もずば抜けてできたが、時々そそっかしいところがあったと護利さんが笑いながら教えてくれた。そしてそれをフォローし続け、日常生活から生徒会の取り組みまでを成功させてきたのが護利さんだと二人を当時から知る先生が付け加える。
 天城さんは、「私たちがここで生徒会をやっていた時、女子高のままにしておきたいって一年生が生徒会室に相談に来たことがあって、その時理事長先生はこの高校の生徒の個性と団結の両面の尊重は男の子にも共通する、この学校の門戸を広げるというふうにおっしゃって、共学にすることは変更しなかったけど、この学校の特徴のお作法、お花、お茶の授業の単位数は共学にした時に減らす予定だったのを、そのままにしたんだよね。私たちは女子高のまま卒業して、共学になったこの学校には初めて来たけど、どうですか?」と生徒会役員の顔を見ながら訊いた。
「私たちの学校は」と慈が口を開いた。
「男女の募集人数をどちらも割り込むことはないし、男女比は同じくらいですけど、行事を率先して行うのも、何かを決めるのも女子が多いです」
「どうしてそういうふうになるんですか」と護利さんが訊く。
「僕の考えですけど」と二年の男の先輩が発言する。
「この学校は共学になってそれほど経っていないので、実績のある部活はどれも女子が中心です。女子だけの部活も多いです。それに加えて、お作法、お花、お茶の授業があって、給食のある高校を選ぶ男子となると、思いきり運動するような男子はあまり選ばないと思うし、私立でこれだけ日本文化を重んじる学校を選択肢に入れる家庭の子というと、大人しい男子に限られるのではないでしょうか」
「そうか」と天城さんが頷く。
「女の子がのびのびし過ぎて、男の子が気を遣っているとか、そういう状況ではない?」と天城さんが続けると、一堂が黙った。
「え、何? そうなの?」と天城さんが面白そうに言い、「ユイコ」と護利さんがたしなめつつ、「なかなかこうやって在校生とお話できる機会はないので、できれば来賓というよりは、卒業生の一個人として率直な話を聞かせてもらいたいです」と護利さんは続ける。
 顔を上げると、護利さんは優しく、しっかりとした眼差しをして頷いてくれる。
 ああ、この人だから天城さんは思うように活動できて、会社はこの人を新たなプロジェクトのリーダーにしたんだ、と思った。
 心の奥でわだかまっていたものが、するすると言葉になるのを潔は感じる。
 男子の本来の能力を、と思いながら秋まで何もできなかったとずっと思っていた。けれど、自分の目指すところは生徒会に立候補した演説で明確に発信できていた。そしてこれから潔がするのは、相手の発信を引き出し、見逃さないことだ。今の護利さんが自分にしてくれたように。些細なようでいて、とても重要で、できるようになるには時間もかかるだろう。けれど、できるように努力するのとしないのとは違う。
 思いが言葉になるのと同時に、目標に向かうための方法が見えてくる。
 潔は正座を正す。
 それは背筋を伸ばすのと同じ、潔にとってはごく自然な動作になっていた。
 護利さんと天城さんを前にして緊張している中でも正座をしている足はしびれていない。おそらく、一学期にここで慈にきつく指摘されて以来、常に正座を心がけてきたからだ。慈がこうした場で正座で苦労しないようにと先を見越してあの時ああ言ったのかはわからないが、今になってみるとあれは潔にとって必要な指摘だった。少なくとも今日、この大切なお客様を前に正座をしていない生徒会役員はいない。
「僕は、この学校に入ってしばらくして、男子が女子に発言も決定権も委ねるようになっているのを見て、男子が本来の力とかやる気を手放しているような気がして、それを変えたくて生徒会に入りました。だけど、結局秋まで生徒会にいて、何も変えられないままです。定例会での発言もまだきちんとできていなくて、……注意ばかりされています。正しいことを言われているのはわかっても、的確な言葉は時に、まだ生徒会役員の経験とか、論議に慣れていない僕にはきつく感じられて、意見を求められても言いづらくなることもあります。もう、無理かもしれないと思った時に、生徒会をやっていない友達に励ましてもらって、どうにか前を向けました。僕のような状態の人は、男子だけでなく、女子でもいると思います。まずは、そういう状態の人に話をしてもらえる人間を目指したいです」
 卒業生に告げ口しているような気もしたが、潔は思っていることを伝えた。
「『発言もまだきちんとできていなくて』って、これだけ言えれば十分でしょう」と天城さんが笑う。
「……いえ、でもそこからの具体的な改善策とか、そういうことを訊かれても答えられなくて」
「うん、それは最初はそうだよ。どうしたいのか訊くのは、責めているのではなくて、その後どうしたらいいか考えることを伝えたいからだよ」
「あ」と潔は瞬きする。
「そうでしょう? 『先輩方』」
 天城さんが二年生を順に見る。
「私も、後でいろいろ考えることが多いです」と慈が切り出す。
「『あの言い方でよかったのかな』とか。だけど、『ここまで来てほしい』と思っても、それをこっちで言ってしまっては意味がないんですよね。自分で気づいて上がって来てくれないと、また同じことの繰り返しになるから、それまでは言い続けるしかないのかなって」
「それって、今の二年生に一年生がいずれ追いつけるだけの力があるって思うから言うことだよね」と天城さんが慈に訊く。
 慈はしばし黙る。
「……僕は無理だと思います」
 堪えかねて潔が言う。
「どうして?」と護利さんが訊いてくれる。
「僕、初日にここで打ち解けたと思っていたら、正座を一人だけしていなくて、まずそこから注意されました……」
 潔が小さく言うと、しん、と生徒会室が静まり返った。
 さすがにこれはフォローのしようもないだろうな、と潔が項垂れると、プッと、誰かが吹き出した。
 え……。
 あはははははは!
 突然、潔以外の人間が笑い出す。
「大丈夫だって。この人も初日にそれで注意されたから」
 護利さんが笑い過ぎて目に涙を浮かべながら、そう言う。
「え、あの」
「麦田くん、生徒会活動ノート、読んでおくように言っただろ」
 二年の男の先輩が笑いながら言う。
 確かに、文化祭前に読んでおくように、と言われはしたけれど……。
「活動ノートに、『一年生の天城ユイコさん、護利ナコさんが校則を変えたいとやって来る。天城ユイコさんが正座をしていないことを指摘。まずは正座をきちんとして、他高との交流会を成功させることを条件に出す』って、書いてあったって。皆、これ読んで、麦田同じだって。天城さんと同じなんて素質あるって、大爆笑したんだって」
「……そんなことが」
 潔は後から一人笑うこともできず、ぽかんとしていた。
 そして、慈や二年生の生徒会の先輩が思いきり笑う姿を見て、これまでの彼らに対する意識が少し変わった。


 天城さんと護利さん二人の訪問の後、潔をはじめ、一年生も意見をだいぶ出すようになった。
 ほんの一時間弱の生徒会室滞在で、半年の間動かせなかった雰囲気を変えたあの二人の手腕は、ただただ尊敬するばかりだ。そしてこれは潔の考えすぎかもしれないが、これまでの生徒会の活動を見守ってきた顧問の先生が、多少強行スケジュールにはなったものの、学校と護利さん、天城さんのスケジュールを調整し、生徒会との時間を設け、硬化していた生徒会の雰囲気を変えるよう裏で働きかけてくれたのかもしれなかった。
 今日の午後のホームルームは特別に、映像研究部が一学期から文化祭までの間取材し、編集した某瑛高校をテーマにした作品のお披露目会だ。
 体育館に集まり、全校で観るのだという。
 昼休みに生徒会室で定例会の資料作りをしていた潔が一人廊下を歩いていると、窓を閉めている一年生の男子がいた。
 確か体育祭で活躍していた男子だったので覚えている。
 潔に気づいた男子が「風が強くなってきて、教室の掲示物も飛びそうなんで」と、窓を閉めている理由を説明する。
「手伝うよ」と潔も廊下の先にある窓を閉めた。
 風の音が止み、廊下がしん、と静まり返る。
「始まるから、行こうか」と潔が男子を見上げる。
「生徒会の人、だよね。確か、麦田くん」
「あ、うん」と潔は頷く。
「俺、選挙の時、麦田くんに投票した。まあ、うちの学校は落選する人ってまずいないらしいけど。麦田くんには必ず投票しようって思っていた」
「……ありがとう」
「俺も、この学校のあり方っていうか、そういうのを変えたいっていうか、麦田くんと同じようなこと思ったから」
「そうだったんだ」
「だから、応援してるんで、頑張って」
「ありがとう、ええと」
「世田っていいます」
「あ、世田くんも」
「うん」
 そんなふうに話しながら、潔は体育館へと急いだ。
 体育館に入ると、クラスの友達が潔の座る場所を空けて待っていてくれた。世田くんも同じだったようで、それぞれのクラスの列へと入っていく。変えたい、と世田くんは言ったし、自分もそう思うけれど、多分、二人ともこういう温かい気遣いはこの学校の利点だと考えているだろうと思った。
 映像研究部のお披露目会が始まった。
 正座の指導から始まる茶道部や、マウスピースを鳴らすところから練習する吹奏楽部の部員、各々の実験を黙々とこなす科学部、お互い遠慮しながら距離を縮めていく一年生のホームルームなどに焦点が当てられている。そして、生徒会……。案の定、「カメラ意識しない! ちゃんと意見を言う!」の慈の一喝。体育館内は慈の迫力にわずかにざわついた。しかし、この後、きつい口調とは裏腹に下を向いた一年生を慮る慈の視線、それに続いて潔が顔を上げ、発言する、そこまでが編集して映し出された。そして文化祭当日、発表前に正座を指導してきた二年生から一年生へ言葉をかける茶道部、見事に演奏を終えた吹奏楽部の部員の笑顔、来校者の前でグループごとに実験を見せる科学部、後夜祭の投票上位発表で三位に輝き喜び合う一年生たち、落とし物を整理する慈や、体育館での劇が始まった後に入るお客さんを誘導したり、落ちているクラスの壁の飾りを直したりする生徒会役員、乱れた来校者貸し出しのスリッパを入れ直す潔の姿と、それを昇降口受付から見て自分の仕事に戻る慈の姿とが映し出されていた。
 最後には『それぞれの道を歩み始めた私たちの出発地点のひとつはこの高校です。その道で出会う全ての人にありがとう。』と記され、取材対象の校内の団体名の後に映像研究部の部員の名前が僅かの時間映された。
 大きな拍手の中、潔は暗くなったプロジェクターを見つめたまま、ひたすら手を叩いた。
 いつか、慈や生徒会の二年の先輩に『ありがとう』を言いたい、そう思った。


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