[237]座りん坊、しびれん坊



タイトル:座りん坊、しびれん坊
発行日:2022/10/01

分類:電子書籍
販売形式:ダウンロード販売
ファイル形式:pdf
ページ数:48
販売価格:200円

著者:海道 遠
イラスト:鬼倉 みのり

内容
 東京のタウン誌を発行している編集部員の物腰(ものごし)やわら=(男)は、先輩の勝気跳子(かちきはねこ)と共に、話題の離れ小島の美しい正座ができる少年の取材に出かけた。
 連絡船の船長は椿姫おばさん。さっそくふたりは船室で正座の所作を教えられる。島に到着すると、三つ揃いを着た教頭は、いくら美しい正座ができても時間が保てないと無意味だといい、校長(兼・船長)は正座の所作とカタチが基本だと言い張り対立していた。
 正座少年は物腰と勝気を無邪気に歓迎する。

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本文

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第 一 章 離れ小島へ

「『正座島』に、『正座少年』と呼ばれる、正座が素晴らしく美しくできる少年がいるそうだぞッ」
 小さなタウン誌の編集長が、朝からどんぐり眼ををいっそうでっかくして、編集部の十人に叫んだ。
 入社したばかりの物腰やわらは、その剣幕に驚いてしまった。
「入社試験の成績がトップだった物腰くん、入社初の取材を命じる! 勝気跳子くんとふたりで『正座島』へ出張してくれ」
「勝気さんと……」
 勝気跳子は、物腰やわらの先輩指導係で、男の雑誌記者も顔負けの行動力を持つ記者である。
 三人の活発な姉に囲まれて育った物腰は、しんがりの男の子だが姉たちと同じタイプの女性だな~~と、勝気跳子の匂いを嗅ぎ取っていた。
「物腰くん、東京都に位置しながら、赤道に近い離れ小島の正座少年の話題、面白そうじゃないの。行きましょう!」
「あの南海の孤島へですか」
「何よ、怖いの? 私なんかワクワクよ。あなた、『やわら』なんてひ弱い名前だから怖がりなの?」
 物腰やわらは、少しムッとした。
 名前だけでなく細身の身体に色白で面長な顔立ち、銀縁めがね姿では「逞しい男」からほど遠いのは自分でも分かっているが……。
 勝気跳子は、思ったことをズケズケと言うタイプだ。
「『やわら』は母が物事を柔軟に、大らかに考える人間になるよう、つけてくれた名前なんですッ」
 ちょっぴり反論してみたが、跳子は離れ小島への出張に浮かれて聞いていない。

 東京港から諸島のいちばん大きな島へ船で到着して、更に港から出ている小さな連絡船に乗る。
 東京とは違い、やや南の海の色で独特の海風の香りがする。海鳥が無数に空を舞っている。
 客室は畳敷きで、絣の作務衣を着て、椿柄の手ぬぐいで姉さん被りしたおばさん船長が挨拶する。
「皆さま、ようこそ正座島への連絡船へお乗りくださいました!」
 皆さまと言っても、客は物腰やわらと勝気跳子だけだ。
「船長の椿姫と申します」
「つ、椿姫?」
「ははは、もちろん、愛称ですよ」
 おばさん船長は豪快に笑い、
「最近、正座が美しくできる小学生の男の子の話題で、もちきりになっている正座島ですが、海の幸もそれは美味しゅうございます。おすすめは真鯛のお刺身です! どうぞご堪能していってくださいませ」
「ありがとうございます、船長さん」
 勝気跳子が応えた。
「私たち、正座が美しくできる小学生の取材で東京の雑誌社から参りました。よろしくお願いします」
「ほほう、東京の雑誌社から? それはいい! 正座の小学生のことを大々的に書いてやってください!」
「おまかせください。他にもお手伝いできることがあれば、なんなりとお申しつけくださいね!」
 跳子はドンと胸を叩いた。それを見ていた物腰は、おどおどしていた。
(あんなに調子よく安請け合いしちゃっていいのかな?)
「小学校は一年生から六年生までで、三十二人の小規模な学校だそうですね」
 物腰は遠慮げに質問した。
「はい、そうです。でも、皆、お行儀が良くていい子たちばかりですよ。中でも注目されてる正座の美しい子は、男の子ですが本当に所作の美しい子です」
 船長が目を細めた。
「では、ここでさっそく、正座の正しい所作のお稽古をしていただきます!」
 椿姫船長が声を高らかに叫んだ。
「え、ここで?」
「畳敷きですから、お稽古しやすいでしょう、物腰さんとやら」
 船長は、さっそく物腰やわらの名前を憶えている。
「はい、おふたりとも。波で船が揺れますが、その場に踏ん張って背すじをまっすぐに立ってください。それから膝を着き、勝気さん、今日はパンツルックですからそのままでいいですが、スカートの時は裾をお尻の下に敷いてくださいね。それから、かかとの上に静かに座ります。はいはい。おふたりともそれでけっこうですよ」
 物腰も勝気も、揺れる船の上で合格できてホッとした。
 特に、物腰はひやひやものだった。

第 二 章 校長と教頭

 島に着き、正座教育の徹底している小さな小学校へ行ってみると、正門に朝礼台を置いて正座している男の子がいた。
 周囲を同級生らしき年頃の子供たちが取り囲んでいる。
 しかし、すぐに、
「いたたた~~~、しびれた~~!」
 と言って、ひっくり返って足をマッサージしている。
 いきなり、校舎から紺の三つ揃いを着たダンディな紳士が飛び出してきた。
「おい! 君はこの学校、この島の象徴の『正座少年』なんだから、そんなに短時間で正座を崩しては困る、といつも言ってるだろう!」
 紳士が目尻を上げて怒鳴りつける。
(あ~~あ、そんな怖い叱り方しなくても……)
 物腰やわらは、自分の少年時代に父親や女兄弟から叱られたことを思い出してしまった。
 そこへ、物腰と勝気跳子を追い抜かして正門へ駆けつけたのは、連絡船船長の姉さんかぶりの椿姫おばさんだ。
「教頭先生、私の正座教育主義では美しい正座は一分でも、三十秒でもできれば構わないのです。時間ではなく、完成形のカンペキさを求めておりますので、正座少年くんの正座は一分しかできなくても構わないのです」
「校長先生、お言葉ですが」
 三つ揃いの紳士が咳をひとつして言い返す。
「いくら美しい所作で、カンペキな形の正座ができても、長持ちしなくては意味がありません。正座とは、お客様をおもてなしする座り方だからです。せめてお客様にお茶をお出しして、しばらくお話する時間くらいは保っていただかないと困りますな。それと、何より美しい正座で勉強してもらうことです」
「それよりも、基本ができていなければお話になりません。持続時間はその後の話です」
 おばさん船長と三つ揃いダンディはにらみ合った。
「相変わらず、我々の意見は平行線のままですな」
「そうですね。まずは、正座少年くんに正座の基本をもっとしっかりつけてもらって、島の観光にひと役買ってもらいましょう」
「……わかりましたよ、校長」
 三つ揃いの紳士は、くるりと背を向け、校舎へ戻っていく。

「船長のおばさんが、校長先生だって?」
 物腰と勝気が荷物を足元に置いたまま、呆然とした。
「はははは、そうなんです。連絡船は一日一往復しか運航しませんから、校長の仕事の片手間に船長の業務もやってるんですわ」
「校長先生、この人たちは?」
 さっき、足をしびれさせていた少年が、校長の絣の作務衣の裾を、クイクイと引っぱった。
「ああ、この方たちは東京からのお客さんです。あんたの正座がよくできるから、そのアピールをしてもらって、島の観光のお手伝いをしていただこうと思ってるんですよ」
「へええ。よろしくね。全校生徒は三十二人だけだから、うれしいな」
 いがぐり頭の正座少年は、照れ臭そうに挨拶した。
「勝気跳子よ。宜しくね」
「僕は物腰やわら」
 校長が、
「あんたたち、今晩はどこで寝るつもりかね? 一軒だけある旅館は休業中だが」
「ええ? さっき、真鯛のお刺身がおすすめだって言ったじゃないですか」
「旅館が営業中の時だけね」
「そんな……。じゃ、僕たち、どこに泊まればいいんですか?」
「小学校の宿直室があるから、使うといいですよ」
 椿姫校長はカッカと笑いながら、宿直室へ案内した。

第 三 章 秘密兵器

 物腰やわらと勝気跳子が、ひと部屋しかない狭い宿直室で、それぞれどこの場所で寝るか、揉めたのは言うまでもない。
 布団もひと組しかない。結局、勝気跳子が物腰に反論させずに、
「レディーファーストよっ」
 で、押し通して、跳子が四畳一間の宿直室に布団を敷き、物腰はレジャーシートの上に座布団を何枚か敷いて、土間に寝ることになった。上に着るものは自分の上着しかない。
(しっくいの土間は、やっぱり冷えるなあ……)
 思わず弱音がもれたところへ、ガラス戸をトントンと叩く音がした。
「こんな夜更けに、ちょいとごめんなさいよ」
 椿姫のおばさん校長だ。
「おふたりに見せたい秘密兵器があってね」
「秘密兵器?」
 奥で布団にくるまっていた跳子も起きだしてきた。
「これなんですけどね」
 おばさん校長先生は、布団のようなかさ高いものを宿直室にひっぱり入れた。
「全国各地に、ゆるキャラがあるでしょう」
「は、はあ」
「正座少年のゆるキャラを作ろうと思いましてね。どんなデザインにするかは、全校生徒から募集して決めたんですよ」
 校長先生は二枚の画用紙を見せた。
 一枚はクリーム色の身体で、ピシリと正座している丸い頭のゆるキャラで、もう一枚は、足が痛そうに顔をゆがめているオレンジ色の身体のゆるキャラだ。
「そして、これが現物です」
 校長先生は入口の外に置いてあった大きな布を引っぱり入れた。クリーム色の布とオレンジ色の布だ。
「これは、縫いかけのゆるキャラの着ぐるみなんですが……。ぜひ、あなた方にこれを着て、観光客にアピールしてほしいのです!」
 校長先生が立ち上がって、広げた二枚の着ぐるみは、人間よりひと回り大きい。
「えっ……」
「これを着て、ゆるキャラになる?」
 物腰やわらは真っ青になった。
「ゆるキャラって、あの有名な、とらもんとか万都くんみたいに着ぐるみを着て、観光客の中で愛想をふりまくアレだよな」
「そうそう、あのゆるキャラ!」
「これ、大人のサイズですよね? 正座少年は着ぐるみを着ないんですか?
「正座少年を真ん中にして、あなた方ふたりに両側に立ってもらって、『座りん坊』と『しびれん坊』を演じてほしいんですよ!」
 夜更けだというのに、校長先生はいっそう目を輝かせて言った。
「着ぐるみを着て演じる! 僕にそんなことができるかなぁ?」
 心細そうな物腰の肩を、跳子がバン! と叩いた。
「できるわよ。実はね、校長先生から、うちの編集長に頼みがあったの。正座の所作を無視して、学力のことばかり言ってる高慢ちきな教頭をぎゃふんと言わせてやりたいから、手伝ってほしいって」
「なんだって?」
「それで、私と物腰が派遣されてきたってわけ」
 校長先生が、うんうん、と頷いた。
「教頭は正座を長持ちさせることと、学力アップのことしか考えない人でな。ここらで一発、観光客の方々に正座の良さを強~~く、アピールしたいと思ったのさ」
「そうだったんですか……」
「さ、グズグズしていたら夜が明ける。ふたりとも、畳の部屋へ上がって、着ぐるみを縫ってもらにゃならん」
 クリーム色の布とオレンジの布を、校長先生はずるずると畳の上へ引っぱり上げ、裁縫箱をデン! と置いた。
「着ぐるみを縫うんですか? 僕、雑巾しか縫ったことないんですけど……」
「大丈夫、大丈夫、私も同じ程度だから」
 跳子が言った。
「『正座祭り』まで三日しかないんだから、頼みますよ、おふたりさん!」
「『正座祭り』~~?? そんなの、聞いてませんてば!」
 物腰やわらは半泣きで裁縫箱から、針を一本抜き取った。

第 四 章 「やるわね、物腰」

 『正座祭り』当日は全国学力模試第一回めも島で実施される。全国から秀才が島にやってきた。第二回目以降、順番に試験場は全国各地に移動する。
 受験生全員が小さな体育館に集められた。付き添いの保護者たちも体育館に座った。
 レジャーシートの敷かれた上に、皆、行儀よく正座している。
 椿姫校長は檀上から、その様子を見回した。
「皆さん、よく遠くからはるばると、この小さな島へ来て下さいました。ご存じのように、今回は『正座祭り』と同時に全国模試を実施いたします。試験はもちろん、正座して行われます。皆さん、日頃の練習の成果を発揮して、正座しながら試験も頑張ってください」
 校長の挨拶が終わると、檀上で着ぐるみふたりと、正座少年のショートコントが始まった。
 跳子が座りん坊の白い着ぐるみ、物腰がしびれ坊のオレンジ色の着ぐるみを着ている。
 着ぐるみはふっくらして愛嬌があるので、受験生の保護者たちも、微笑ましく見物している。
 オレンジ色のしびれん坊が、
「あ、足がビビビビとなって~~カミナリに打たれたみたいだ~~」
 転んで正座少年から助けられると、観客から大笑いされていた。
「うぬぅ……、やるわね、物腰……」
 跳子は物腰の度胸に驚いていた。

 ショートコントが終わり、正座少年が舞台の袖へ来て叫ぶ。
「けっきょく、カンペキな正座が一分か三十秒しかできなくたって、学力テストで上位に入ればいいんでしょう、ねえ教頭先生」
 急に話を振られた教頭は、断固として、
「いや、やはり、そんな短い時間では困る」
 校長がため息をついた。
「教頭先生のお堅い考え方は変わらないんですね」
 反論したのは、オレンジのしびれ坊の着ぐるみを着た物腰だ。
「では、しびれた足でも高得点を取ればよろしいんですね」
「……だが、それでは正座の意味が……」
 物腰はその場に、所作の通りに正座した。
「僕はこの年齢まで正座がまともにできません」
 すぐにしびれて横に倒れた。
「ほらね。それでも、試験会場で正座することが決まりの大学に合格しました。足がしびれまくって、脳に血が回りませんでしたが、最後まで歯をくいしばって頑張りました。試験が終わると転んでしまいましたが、結果は合格でした」
「う~~ん、物腰くん、困ったエピソードだね、それは」
 校長の顔が曇った。
「僕の母親が教えてくれたんです。正座の時、キンチョーするから足がしびれるんだと。もっと頭をやわらかく、気持ちを楽にして正座するとしびれも楽になると」
「ほほう?」
「その通りでした。頭をリラックスすると、いつもよりしびれが楽になり、四科目の試験の間、ガマンすることができたんです」
「なるほど!」
 校長が手のひらにポンと手を打ち当てた。
「しびれは正座の敵だと思いこんでいたが、物腰くんの母上のおっしゃったとおり、しびれはキンチョーから来るものと考えれば、頭をリラックスさせるとしびれも楽になる……なるほどなあ」
「校長先生……」
「正座としびれは切っても切れん間柄。コンビのようなもの。~~それなら、少しでもしびれを楽にして付き合っていくのが得策ですな!」

第 五 章 リラックスの方法

「それにしても、どうして教頭先生は、あそこまでしびれに頑固なんでしょうねえ?」
 跳子が首をかしげた。
「それはだね……」
 校長が、跳子と物腰を体育館の奥へ連れて行って、ナイショ声で話し出した。

 教頭の母親はフランス人である。
 幼い頃、母に作ってもらって大切にしていたドゥドゥを持っていた。クリーム色とオレンジ色の犬二匹でかわいがっていた。
 ドゥドゥとは、フランスの子どもたちが幼い頃から抱っこして可愛がるお人形のことである。
 ドゥドゥを抱っこしてると穏やかな気持ちになれて、試験前の勉強にも身が入った。
 教頭は父親に連れられて、母親と共に祖国日本の地を踏んだ。
 十歳の時に学力の高い学校の寄宿舎に入らなければならなくなり、父親は、
「こんな幼稚なものを持っているから学力が上がらんのだ!」
 と、冷酷に捨ててしまった。
 以来、勉強に打ち込んだ。
 いつしか犬二匹のドゥドゥのことは忘れていた。
 今回、正座祭りのクリーム色とオレンジ色の着ぐるみを見て、捨てられた可哀想なドゥドゥを思い出した。
 ――遠い日の、若かった美しい母の面影。
 ――手縫いしてくれたドゥドゥの温かい表情。
 ――抱っこすると、ずっしりして可愛かったドゥドゥたち。
 抱っこして、森の中へ散歩する空想をした。
 どんな風が吹いていたっけ。どんな香りがしたっけ。何を見つけたっけ。そうだ、夕暮れ近く、キノコに窓の灯りを見つけたんだ! あのキノコには妖精が住んでいたんだろうか?
 そんな空想をしながら父から教えられた正座をしていると、ちっともしびれなかった。
「ということなんだってさ。あの教頭も可愛い一面があるわけさ」
 校長が肩をすくめた。
「あの教頭がねえ。校長が、学力のことばかり言って高慢ちきとおっしゃったのに」
 勝気跳子も肩をすくめた。校長は優しい眼差しで、
「意地を張っている人間は、何か理由があるもんだよ」

 正座少年は、物腰が言ったとおり、しびれを感じながらもできるだけリラックスして試験に臨んだ。
 そして見事、終わりまで正座を保ってやり通した。
 立ち上がろうとすると、強烈なしびれを感じて倒れかけたので、オレンジ色の着ぐるみを着た物腰が受け止めた。
 ふたりはにっこり微笑みあった。

 その夜、試験が無事に行われた慰労会として一同で宴会が行われた。
 全員、真鯛のお刺身をたくさん食べてご機嫌だ。

 近辺の海域で台風発生する。
 皆が宴会を楽しんでいる間に、台風が南からぐんぐん近づいてきた。
「皆さん、台風発生の模様です! 宴会はこれにてお開きとさせていただきます」
 翌朝、出発予定だった連絡船を急遽、出港させることにした。船長を努める校長は赤椿の描いた手ぬぐいを、ハチマキに締めなおした。
 受験生の子どもたちとその保護者を本島に送り届けなくてはならない。
 ドンチャン騒ぎしていた教師たちや保護者たちは、ピタッと静かになった。
 物腰と勝気も着ぐるみを脱いで、タブレットを取り出し天気図を映し出した。

第 六 章 春の夢から嵐の海へ

 春の初めだろうか、ポカポカする陽射しの中を、両手をつないで歩いている。
 左側には珍しくにこやかな父親、右側には柔らかい手の母親。白い額は金色の巻き毛に包まれている。
 目の前には故郷フランスのタンポポあふれる草原。
「ここで日本の正座をしてみなさい」
 サンドイッチを広げたシートの上で父親が言う。
「ここで? ……ボク、足がしびれてしまうよ」
「大丈夫よ、あなたには、ほら、ドゥドゥたちがついているから」
 母親が後ろに隠していたドゥドゥを、パッと出した。
「あ、クリームとオレンジ!」
 幼い教頭は受け取って抱きしめた。
「いい? 座ってみるから、しびれないよう見守っててよ」
**********
「教頭、教頭先生、台風が接近してるんだよ!」
 校長の声に、酔いつぶれていた教頭は飛び起きた。

 三十人乗りの連絡船に五十人余りが乗らなくてはならない。
 受験生たちは、次の受験場に向かわなければならないのだ。
 ベテランの椿姫船長もタブレットを睨みながら、夜の海の様子を見て、脂汗をかいていた。
 勝気跳子が、隣で神妙な顔をしている。物腰やわらの肩をつついた。
「ね、私、知ってるんだよ」
「な、何をです?」
「あんたが船舶免許持ってるってこと」
「うほっ」
 物腰はむせた。
「だから、校長先生はうちの編集長に君を選ばせたんだ」
「勝気さん! 何でもお見通しなんですね。まいったな」
「あんたがついていると心強いでしょうから、編集長が気をきかせたんですよ」
「そ、そうだったのか」

 夜の港は台風のせいで波が荒い。他の船は流れていかないよう、しっかりとくくりつけてある。
 椿姫船長は、物腰を連れて操舵室に入って操舵の前の席に座ってみせた。
 物腰は驚いた。
 操舵の前の席は、波の揺れにともなって自由に動くつくりになっている。それも正座専用のつくりだ。
「物腰くん、分かるかい? この席ならどんな波が来ようと正座が保てる平衡感覚を保てるつくりになってることが」
「は、はい。分かります」
「後は、あんたが正座にしびれないように祈るだけだ。大学受験の時のように成功することを祈るよ」
「船長は操舵されないんですか?」
「私は小学校の校舎を守らなきゃならない。老朽化がひどいんでね。
 というわけで、物腰くん、頼むよ! 受験生と保護者さんたちを本島へ送ってくれたまえ」
 校長は安心しきった様子で言うが、重大責任だ。
「しかし、僕ひとりではあまりに荷が重すぎます……」
「教頭も一緒に乗ってもらいますよ。彼は操舵経験は少ししか無いが、船舶免許と気象予報士の資格を持っている」
「教頭先生が?」
「そうだよ。それに彼の父親が一流の気象予報士でね、関東の気象台で待機している」
「教頭のお父さんが! いったい教頭は何歳くらいなんですか?」
「くだらんことを聞くねぇ、物腰くん。君は二十代半ばだろ? 教頭も同じくらいだと思うよ」
「えっ! もっと年上かと思った! 三つ揃いのスーツなんか着てるから」
「ははは、あれで中身は君と同じ、しびれを怖がっていた甘えん坊だよ」

第 七 章 台風の海

 雨が小降りなうちに、受験生と保護者たちに椿号に乗りこんでもらう。
 ぎゅうぎゅう詰めながら、どうにか乗りこんだ。教頭先生と、正座少年と勝気跳子と物腰やわらも乗りこむ。
 操舵室のスピーカーから大きな声が聞こえてきた。
「オランジュ! 舵を握ってるのはお前か?」
「父さん? どうして父さんが?」
 教頭が答えた。
「オランジュだってさ……」
 勝気跳子が傍らの物腰にウインクした。
「フランス語でオレンジの意味だな。教頭の名前」
 スピーカーから、また大声で、
『この台風はかなり大型で風台風だ。船が転覆しないよう、くれぐれも気をつけるんだ!』
「分かりました!」
 教頭が不思議そうに、
「どうして父親が?」
 校長の声がスピーカーから答える。
『教頭先生のことが心配で気象台に駆けつけられたんだよ。お父様だけじゃない、お母様もだよ』
「両親そろって?」
『もちろん、教頭の任務も心配だからさ。なんとしても、子どもたちを本島へ送り届けなきゃならないね』
「はい、校長!」
『物腰くんも操舵交代、頼んだよ!』
「は、はいっ!」
 急に名前を呼ばれた物腰は、緊張して気をつけをして、教頭と操縦を変わった。
「船の操舵、物腰に交代しました」

『台風の勢力衰えず。現在位置は?』
 スピーカーから教頭の父親の声が聞こえる。物腰が位置を告げた。
『本島まで二百キロだ。慎重に操舵するように』
「はい」
 波はますます激しく稲妻も荒れ狂っている。女の子たちは泣き出している。

 正座少年は荒れる海でも全く乱れず正座を続けている。他の生徒たちは、畳の上を右に左に滑りまくってお話にならない。
 勝気が元気な声で励ます。
「皆、元気を出して! この船には優秀な操舵士さんがふたりも乗っているのよ! 必ず皆を本島まで送り届けてくれるわ」
 物腰やわらが、揺れに滑ってパニックになっている船室へ来た。
「船が揺れても正座を保つ方法を教えてあげよう」
「も、物腰が? 自信を持って『正座ができません』って言ってた物腰が? 大丈夫なの、そんな大きなこと言って」
 勝気跳子が慌てた。
「さっきから正座少年の正座を見ていて気がついたんだ。彼は、これほど船室が揺れても、すべりながらではあるけど、きっちり正座を崩さないだろう」
「ええ。見事だわ」
「床の揺れの角度に合わせて正座しているんだよ」
「角度に合わせて?」
「いいか、やってみるよ」
 物腰も正座した。
 床は波の荒れ具合で、時には三十度くらい傾いているが、物腰の正座は乱れない。
「すごいわ、物腰!」
「身体の平衡感覚を床に合わせてるんだ。な、正座少年!」
 正座少年は、力強く頷いた。

第 八 章 座りん坊としびれん坊

 船室の生徒や保護者が物腰の正座を見習ったおかげで、皆、どうにか冷静さを取り戻した。
 猛り狂っていた波は、いつのまにか、やや静まり、水平線に夜明けのあけぼの色が見えてきた。
 水平線の彼方には、本島も見えてきた。
「本島が見えた!」
 教頭が叫んだ。
 スピーカーから、父親の声がした。
『オランジュ、台風の目を抜けたぞ、こちらからも船体が見えてきた!』
「この船が見えてるんですか、父さんはどこに?」
『本島に来ておるよ。ママンもな』
「ママンも?」
『オランジュ、よくやったわねえ』
「その声はママン!」
「ママンだって……」
 また、勝気跳子がこらえきれずに手を当てて笑った。
「あ、あれは……」
 物腰やわらが、港を見て身を乗り出した。
 船を迎える人々に混じって、三人の女性が一生懸命、手を振っている。
「やわら~~、大丈夫? 船酔いしてない?」
「やわら~~、生徒さんたちを台風の海の中、送り届けるなんてよくやったわ!」
「あんたは物腰家の誇りだわ!」
「姉さんたち!」
 物腰の瞳もうるんでいる。
 船を下りるなり、物腰は姉三人の元へ走っていき、号泣しながら抱き合った。
「やれやれ、マザコンとシスコンか……」
 勝気跳子が苦笑いした。

 受験生と保護者たちは、はしけを渡って、全員港に上陸した。これで次の目的地の試験場へ迎える。
 物腰と勝気、そして教頭が港の警備所の休憩室で休んでいると、椿姫校長の声がスピーカーから流れた。
『諸君、受験生と保護者の送り、ご苦労だった。こちらの校舎も被害なく無事だ』
「それはよかった」
『物腰くん、勝気くん、君たちの活躍はすべて動画におさめてある。着ぐるみ姿から、台風の船内まで、一部始終すべてユーチューブで流させてもらうぞ』
「ええっ」
 物腰と勝気は慌てた。
「これで、正座島は有名になり、観光客であふれること間違いなしだ! 編集長にもお礼を言わなければな」
「一部始終って、私と親との会話もですか?」
 教頭の声が裏返っている。
「僕と姉三人の涙の再会もですか?」
 物腰も真っ青になって尋ねる。
「もちろんさ。ドゥドゥのオレンジと着ぐるみのオレンジの大切な記録だもんな」

 ユーチューブが公開されるや、座りん坊、しびれん坊は、大人気となった。
 同時に発行されたタウン誌でも座りん坊としびれん坊の着ぐるみが特集され、真ん中で正座をピシリと決める離れ島の正座少年は、いきなり超有名人になった。
「正座としびれは、ふたつでひとつのセットになってるんです。正座だけカンペキにしようと思わず、リラックスして、しびれも仲よくって感じで正座すればいいんですよ!」
 正座少年はハキハキと持論を述べた。
 押し寄せてきたテレビ局の取材者が質問する。
「では、正座少年くん、君も多少はしびれを感じているのかい?」
「そりゃそうですよ。正座としびれは一体ですから」
 座りん坊としびれん坊の着ぐるみが、正座少年を両側から盛り立てる。
 頭のでかいクリーム色とオレンジ色の着ぐるみは、子どもたちにも大人気になり、離れ縞への観光客も二倍に増えた。
 人形や文房具、日用品やシャツなどのグッズも売り出された。
 御朱印帳ならぬ正座帳まで売り出され、離れ島の校長先生のところで正座修行すると、ひとつハンコが押され、東京の勝気と物腰の勤務するタウン誌の編集部で正座修行すると、またハンコが押された。
「物腰、聞いたところによると、あの教頭まで正座の御朱印帳を始めたらしいわよ」
「へええ、あの三つ揃いがねえ」
「でもまあ、座りん坊、しびれん坊のおかげで島が栄えるようになって良かったね」
 ふたりはコーヒーを飲みながら、微笑んだ。


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